ボウク・ドレイムュル【2】
一瞬意識が遠のき、垂直落下する恐怖に失神しかけた。
でもこんな訳の判らない状況のまま死ぬのも滅茶苦茶嫌なので、私は頑張って悪足掻きをしてみることにした。
「ヴァナディースたる麗しき豊饒とセイズを司るフレイヤよ───我にその叡智を以て運命の糸で紡がれた衣を、この危機から逃るる翼輔として與え給え!」
詠唱とほぼ同時に、魔杖化した私の左手の甲の魔鉱石が闇を切り裂くように眩い光を放ちだす。
×××××××××××
気づくと私は雲の上を飛翔していた。
風を切る音がゴォゴォと耳元で煩く鳴っている。
おぉ、飛んでる!
上空を見ると蒼穹が迫りくるように覆い、その中心付近から陽光の刺すような輝きが目を射る。
って言うか、また場所変わったんだ───今度はどこなんだろ?
少々げんなりしながらも雲の切れ間を探して飛んでゆくと、ふと自分の体の違和感に気づく。
右を見ると、ブルーグレーの広げられた鳥の羽根が見えた。
……ん?
軽く首を傾げ、今度は左を見る。
やはり同じように風を受けた翼が広げられている。
え?
今度はお腹を見ようと頭を下げたところでバランスを崩し、無様にも錐揉み状態で落下し始めてしまった。
し、しまったーっ!!
叫ぶ間もなく私は分厚い雲の中に突っ込む。
濃い霧の中のような雲を抜けると、眼下に広大な白銀の世界が現れる。
えーっ!?
その迫り来る白い大地に動揺しながら、必死になって私は両翼を拡げた。
翼が冷風を受ける大きな羽音を聞きながら、どうにか垂直落下する恐怖に打ち克ち、私は再び風に乗って飛ぶことが出来た。
心臓がばくばくと喉元辺りで激しく鼓動しているのが判る。
いや、おっかな……!
色んな意味で何度も怖い思いをしながら、どうにか紙一重で最悪の事態を回避し続けていることに思わず苦笑する。
我ながら相変わらず悪運だけは強いな、とどこか他人事のように思いながらもその事実に感謝していた。
諦めればある意味楽にはなるだろうけど、本当にそうなるかなんて誰にも判らないし。
頑張れば報われるなんて全然言えないけど、簡単に諦めてしまえば努力が報われないのは当たり前、とは思う。
諦めてもいいけど、それで後悔するなら諦めない方が自分的には全然気持ちが楽なのも事実。
私はこれからまだ待ち受けているであろう苦難に腹を括り、どうやら鳥になってしまっている自分の体の状態を確かめられないまま、取り敢えず人のいそうな場所を探すことにした。
しかしそこでひとつの事を思い出す。
そう言えば私ってあの書物に呑まれたんじゃなかったっけ?
って事は、ここって本の中の世界なんだろうか?
そうなると、人なんて居ないかも知れないよ、ね───いやいやいや、決めつけは良くない。
もしそうなら、私にはしなければならない事がある。
すると、雪深い森の中から声が聞こえてきた。
「師匠、あんなところにオオタカが飛んでますよ!」
そこにはローティーンに成長した、幼い頃金髪だった髪色がダークブロンドに変化した刈り上げマッシュの少年が、私を見上げながら楽しげに叫んだ。
身長も急激に伸びたのか、傍らに佇む銀髪の美女エルフより少し大きく見える。
「羽根色が白っぽくて綺麗な個体ね───それより、これからペリュトン討伐に行くんだから、そんなピクニック気分でいたら返り討ちに遭うんだからね。気を引き締めなさいよ」
そう言う里和ちゃんは、マルベリー色のウール地のマントコートに海老色のツイード地の鹿撃ち帽、黒い細身のボトムに赤茶色のレースアップブーツという出で立ちで、柄頭に水晶のついた魔杖を持っていなければとても冬山で魔獣討伐に行くような格好には見えない。
「そんなの僕らで瞬殺できますよ」
ダークブロンドの少年は自信に満ちた声でそう言うと、美女エルフの先に立って茶革のカントリーブーツで雪を踏みしめてゆく。
「トスリッチ教の連中なんかギャフンと言わせてやりますよ! あいつらに師匠のことをとやかく言われる筋合いなんかないんだ」
その少年の妙に男っぽい言葉に、里和ちゃんはどこか複雑な表情でそのせっかちな背中を眺めていた。
「君は優秀な弟子だからね……優秀過ぎるから、あたしとしては逆に心配なんだよ」
【’24/05/22 微修正しました】




