第93話 ショッピング開始
葵の風邪が治って数日後。空と葵は大型ショッピングモールに来ていた。
今までほぼ来た事がなく、あまりの人の多さに辟易する。
「すげーなぁ……」
「ですねぇ。夏休み真っ只中ですし、仕方ないかなと」
葵はあまり気にしていないようで、あっけらかんとした表情を浮かべた。
「まあ、せんぱいは私に集中するので、周りはどうでもいいですよね?」
「……確かにそうだな」
今日は葵の誕生日プレゼントを買いに来たのだ。
以前服を買いに行った時と同じく、彼女以外に意識を向ける必要はない。
頼もしい少女の姿に肩を竦めれば、繋いでいる手を引っ張られた。
「では行きましょー! まずはどこですか?」
「葵の誕生日プレゼントを選ぶんだし、特には決めてないぞ。色々見てまわるつもりだ」
「りょーかいです!」
詳細をあえて決めずにお出掛けしたが、葵は気にしていないようだ。
見る者を元気にする笑みを浮かべてくれた事に胸を撫で下ろし、彼女に先導されて歩く。
最初に入った店は、女性用の化粧品等が置いてある店だ。
「ふーむ……」
「誕生日プレゼントだから何を買ってもいいけど、化粧品なのは意外だったな」
「はい? ああいえ、ここにある物を誕生日プレゼントにするつもりはないですよ。単に、ショッピングモールまで来たから何か買いたいなと思っただけです。いいですか?」
どうやら、誕生日プレゼントには至らない物も買いたいようだ。
買う物を絞っている訳でもないし、見たいというなら好きにさせるべきだろう。
「時間はたっぷりあるからな。普通の買い物もオッケーだぞ」
「ありがとうございます!」
華やかな笑みを浮かべた葵が、店内を物色し始めた。
空とて肌の手入れをしているものの、やはり女性の化粧品は多過ぎる。
口を出すべきではないと判断して傍観に徹していると、葵が香水を手に振り掛けて空へと差し出した。
「はい、せんぱい。これはどうですか?」
「……えっと?」
「せんぱいの好みの匂いにしたいなと思いまして。感想を聞きたいです」
「…………それじゃあ、遠慮なく」
葵とほぼ一日中一緒に過ごしているが、彼女の匂いについて言及した事は無かった。
いきなり口にするのは気恥ずかしいし、下手をするとセクハラ案件だから黙っていたのだが、どうやらそれが悪い方向に傾いたようだ。
取り敢えず葵の要望に応えようと、差し出された真っ白な手に鼻を近付ける。
ミントのような爽やかな匂いは悪くないが、一番ではない。
「俺としては、まあ、そこそこ良いかな」
「なら次ですね。これは?」
「……悪くない」
「むぅ。難しいですね……」
空がいまいちな反応をしているせいで、葵を悩ませているらしい。
恥ずかしがってる場合ではないと、羞恥を抑え込んで口を開く。
「その、だな。香水も悪くないけど、俺は葵の本来の匂いが、良い、と思うぞ」
葵が風邪を引いた時は彼女の匂いを色々と嗅ぎ取ってしまったが、普段から彼女の甘い匂いは嗅いでいる。
全く不快ではなく、けれど空の欲望を僅かに刺激する香りは、正直なところ好みだ。
頬の熱を自覚しつつ葵の様子を見れば、白磁の頬が真っ赤に染まっていた。
「つ、つまり、何も付けない方が良いと」
「……そうなる」
「そう、ですか。おしゃれしないというのは女性としていかがなものかと思いますが、せんぱいがそのままで良いなら買いません」
抑えきれないという風に頬が緩んでいるので、嬉しいのだろう。
引かれないで良かったと安堵しつつ「分かった」と言葉を零す。
そのまま香水のエリアを立ち去ろうと思ったのだが、葵が何故か身を寄せてきた。
「…………嗅ぎたいなら、嗅いでいいですからね?」
「っ!?」
僅かに背を伸ばして空の耳元で囁かれた言葉に、どくりと心臓が跳ねる。
慌てて距離を取ると、葵は照れと歓喜を滲ませた微笑を浮かべていた。
「ふふ。そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
「驚くに決まってるだろ。変な事を言われて嫌じゃないのか?」
「変だと思ってないですし、嫌なら提案なんてしませんよ。それで、どうします?」
「…………保留で」
葵に集中しているとはいえ、公共の場だというのは忘れていない。
それに、家に帰って葵の匂いを嗅ごうとすれば、変な気分になってしまう。
曖昧な返事をすれば、言葉の裏に潜めた意思を読み取ったのか、葵が残念そうに唇を尖らせた。
「遠慮しないでいいのに。私はいつでもいいですからね?」
「変な事言うなって」
このままでは弄られ続けるだけだと、葵の手を掴んで引っ張っていく。
くすくすと楽し気な笑い声に、全く落ち着けないのだった。
葵と化粧品店を後にして、次に入ったのは男性用の洋服店だ。
先程と同じく誕生日プレゼントではなく、単に空の服を選んでみたかったらしい。
目を輝かせてああでもないこうでもないと服を手に取っているので、物怖じはしていないようだ。
「せんぱいってそれなりに背があるので、割と何でも似合いますね」
「高身長です、って自慢出来る程でもないけどな」
「高身長過ぎるとせんぱいを見上げる時に大変なので、私としては今がベストですよ」
葵の背は女性平均程度なので、男性平均より少し高いくらいの空の背が合うのだろう。
今まで背の高さを一度も褒められた事がなく、胸が温かなもので満たされた。
頬を緩めると、葵が空にシャツを二つ渡してくる。
「ではこれとこれを着てみてくださいな」
「……いいけど、一つは滅茶苦茶派手だな。頼むから笑うなよ?」
「笑いませんって」
渡された一着はシンプルだったが、一つがいかにも南国の人が着そうな服だった。
心外だと言わんばかりに腰に手を当てる葵にじっとりとした目を送りつつも、更衣室に入って着替える。
まずは派手なシャツを着て見せれば、葵が真剣な顔で首を横に振った。
「お試しに選んでみましたが、無いですね」
「容赦のない感想をありがとよ」
「単にせんぱいに合わなかったってだけですよ。拗ねないでくださいな」
「はいはい。着替えるからちょっと待ってろ」
拗ねるというよりは、お試しであっても葵の選んでくれた服が予想通り合わなかった自分自身に落ち込んでいるだけだ。
肩を落としてカーテンを引き、今度はシンプルなシャツに着替える。
再び葵に見せれば、満足そうに頷かれた。
「やっぱりこっちですね。かっこいいです」
「かっこいい、のか?」
「はい!」
無難な物なので普通だと思ったのだが、葵の感想は違うらしい。
テンションの上がった彼女は、空を放ってくるりと身を翻す。
「ちょっと待っててくださいね! すぐ次の服を持ってきます!」
「いや、俺も行くから。ナンパされるのは嫌だろ?」
女性が男性の服を選ぶのだから、どう考えても親しい人が居ると判断出来る。
しかし、プールでは男物のラッシュガードを羽織っていてもナンパされたのだ。
葵程に人目を引く容姿ならば、店内でナンパされるかもしれない。
念には念を入れて彼女を引き留めれば、歓喜を滲ませたはにかみが返ってきた。
「嫌というか楽しい時間を邪魔されたくはないですね。それじゃあ付き添いをお願いします!」
「服を選んでくれてるんだから、むしろ俺がお礼を言いたいっての」
すぐに元の服に着替え、試着室を後にする。
葵の誕生日プレゼントを選ぶ為に外出したのだが、二人共指摘はせずに楽しむのだった。




