第87話 ナンパ
「いやー、遊び尽くしましたねぇ!」
「ホントにな。まさか午前中だけで回り切るとは思わなかったぞ……」
呆れを混ぜた苦笑を浮かべ、肩を落とす。
様々な種類のウォータースライダーや、波のあるプール等、大型施設のアトラクションを数回にわたって遊んだのだ。
楽しくはあったものの流石に疲れてしまい、休憩エリアの椅子に凭れ掛かっている。
葵も達成感に満ちた笑みを浮かべてはいるが、その表情に疲労が見え隠れしているのではしゃぎ過ぎたのだろう。
「テンション上がっちゃって止まらなかったんですよ。そのせいでお腹が空きましたー」
「俺も腹減ったし飯にするか。適当に飯を買ってくるから、葵はこの場所が取られないようにしてくれ」
「りょーかいです。この人の多さなら仕方ありませんね」
太陽が真上に来ているからか、周囲は昼飯を摂る人で溢れていた。
この状況で二人共が席を立てば、すぐに取られてしまうだろう。
だからこそ葵に場所の確保を頼んだが、本当ならば彼女を一人にしたくない。
せめてものナンパ対策として空のラッシュガードを着せているものの、厄介な男に声を掛けられる可能性はあるのだから。
渋面を作り、葵に言い聞かせる。
「頼むからラッシュガードを脱がないでくれよ。それと、何かあったら大声を出してくれ」
「勿論ですよ。まあ、大声を出すまでもなく私がナンパしてくる男を撃退するかもしれませんが」
「……葵なら有り得そうだけど、無理すんなよ」
葵は曇りのない笑顔を浮かべているが、それでも心配だ。
とはいえここでジッとしていても腹は膨れないので、彼女の頭を一撫でして席を離れる。
焼きそばにカレーと定番の物を買って帰ると、空の予想は当たっていたようで、葵がナンパされていた。
「だから、彼氏を待ってるんですって。何度も言ってるじゃないですか」
「そう言うけど、こんなに可愛い子を一人にするなんて有り得なくない?」
「そうそう。そんな男なんて放っておきなよ」
「というか彼氏とか嘘付かなくていいって。そのラッシュガードも自分で買ったんでしょ。君は可愛いからいっぱい声掛けられるだろうし、その対策だよね?」
「俺達と一緒なら声を掛けられる心配なんてないよ!」
「…………あ゛?」
僅かに聞こえた空を軽視する発言を受けて、葵が低い声を発した。
爆発させては駄目だと急いで葵の傍に行き、彼女とナンパ男達の間に割って入る。
葵の姿が見えなくなった事で、彼等の顔が苛立ちに染まった。
けれど僅かな恐怖すら沸き上がっておらず、空の胸は葵に手を出そうとした男への苛立ちで満たされている。
「この子、俺の彼女なんだよ。ナンパは辞めてくれないか?」
「ホントに居たのかよ。嘘だと思ったわ」
「彼女を放っておいた彼氏が偉そうに何言ってんだ?」
「というかパッとしねぇなー。こんなのが彼氏なのかよ?」
正面から空を馬鹿にする言葉に、空の背中側から圧が発せられた気がした。
ほぼ間違いなく怒っているだろう葵が言葉を発する前に、彼等に冷笑を浴びせる。
「ナンパしようとしてる相手の言葉すら聞かない奴等が随分と吠えるなぁ。そんなんでナンパが成功する訳ないだろ」
「テメェ、喧嘩売ってんのか?」
「彼女に手を出されそうになったんだ。怒るのは当たり前だろうが」
空は聖人君子などではないし、むしろ性格が悪い。
そもそも、想い人がナンパされていて何も感じない人など居ないだろう。
憤怒を言葉に乗せれば、彼等が僅かにたじろいだ。
「というか、男用のラッシュガード着てる時点で話し掛けられたくないって察しろよ。対策だって分かってて声掛けるとか有り得ないだろ」
「……それは」
「というか、まだナンパするつもりか? 目の前で彼氏を馬鹿にされた人を?」
普通の恋人ならば、こんな状況でナンパに靡く訳がない。
諦めさせる為に言ったのだが、彼等が空の後ろに視線を向けて表情を凍らせた。
「「「ひっ……」」」
びくりと体を跳ねさせて顔を青くしているので、葵は相当お冠なのだろう。
見てみたいという欲望に逆らえず、首を僅かに捻って視線を葵に向ける。
すると、彼女は能面のような無表情で目を見開いていた。
(うわ、怖……)
こんな顔を葵に向けられたら、空は心が折れてしまうかもしれない。
僅かに背筋を震わせると、葵がそのままの表情で顎をかくんと傾けた。
あまりの不気味さに、人ではなく機械が動いたように思えてしまう。
「視界から消えろ」
「「「す、すみませんでしたー!」」」
葵の小さな呟きに、ナンパ男達が逃げて行った。
敬語が消えていたので、彼女の怒りが限界を超えるとこうなるのだろう。
これまでの怒り方はまだ甘い方だったと理解したと同時に、絶対に限界を超えさせないと誓った。
声を掛けるかどうか迷っていると、葵が大きく息を吐き出して瞬きする。
一瞬で先程の表情は消え、柔らかな笑顔が返ってきた。
「助けてくれてありがとうございます、せんぱい」
「……俺が助けなくても何とかなった気がするけどな」
「なったかもしれませんが、助けてくれた事が嬉しいんですよ」
どうやらナンパ男達を追い払えた事で溜飲が下がったらしい。
今の葵は怒りよりも空が助けた事による嬉しさで胸が満たされているようだ。
安堵に胸を撫で下ろし、椅子に座って一息つく。
「あんなの当たり前だろうが」
「当たり前の事を当たり前にしてくれたのが素晴らしいんです。……それに、せんぱいが怒ってくれました」
甘さを帯びた笑みを浮かべ、真っ直ぐに空を見つめる葵。
歓喜の込められた瞳を直視出来ず、頬を掻きながら視線を逸らした。
「葵がナンパされてるって思ったら、つい、な。みっともない所を見せて悪い」
「いえいえ! 私にとってはご褒美でした! すっごくかっこよかったです!」
「……そうかよ」
好意を全力でぶつけるような褒め言葉に、頬が熱を持ち始める。
誤魔化すように買ってきた昼飯を摂り始めた。
葵も昼飯を摂り始めるが、ずっとご機嫌に笑んでいる。
「ふふ。私の為に怒ってくれて、ありがとうございます。一生忘れません」
「大げさ過ぎるだろ」
「そんな事ありませんー。ふふ、ふふっ。……ふへへっ」
余程嬉しいのだろうが、だらしない笑みになってきている。
そんな姿も可愛いと思うのだから、空はもう手遅れなのかもしれない。
小さく溜息をつくが、葵の機嫌が戻ったのなら良いかと気持ちを切り替えるのだった。




