第85話 日焼け止め
目的地に辿り着き、水着を買って着替えてきた。
今は女子更衣室から僅かに離れた場所で、葵が出て来るのを待っている。
夏休み真っ盛りだからかあまりにも人が多く、初めての光景に思わず溜息が出てしまう。
「プールってこんなに人が集まるんだな。こんな所に葵と来たのか……」
葵は紛う事なき美少女なのだ。こんな人の多い場所に一人で居たら、間違いなくナンパされるだろう。
実際、ナンパ目当てなのか女子更衣室から出て来る人が見える位置に、それなりの人数の男性が居る。
彼等の視線が最初に葵へ、そして次に彼女の元へ行く空に向けられると思うだけで、気が滅入ってしまう。
とはいえ、怖気付いている訳にはいかないのだが。
「お、ようやくか。……って」
内心で覚悟を決めていると、女子更衣室から金色の髪を靡かせた少女が出て来る。
とんでもない美少女の登場に周囲が騒がしくなるのは予想していた。
しかし、少女の魅力的過ぎる姿は反則だ。
こんなものを周囲に見せる訳にはいかないと、頬を炙る熱も早鐘のように鼓動し始める心臓も無視して駆け寄る。
「葵!」
「あ、せんぱーい!」
頭上に浮かぶ太陽に並ぶ程の笑顔を浮かべ、葵が手を勢い良く振った。
男持ちだったのが分かって周囲から舌打ちが聞こえたが、気にしている余裕はない。
彼女へと近付き、日差し対策で水着と一緒に買ったラッシュガードを羽織らせた。
「着とけ」
「えぇ……? 折角水着を着たんですよ? なのに隠しちゃうんですか?」
「気持ちは分かるけど、流石に着てくれ。ほら移動するぞ」
「え、あ、ちょっと」
葵の言葉に耳を貸さず、女子更衣室の前から移動する。
ある程度移動したところで、パラソルの下にあるプラスチック製の簡素なビーチチェアに座らせた。
強引に連れ回したからか、葵が頬を膨らませている。
「もう。感想も言わずにラッシュガードを羽織らせるって、どうなんですか?」
「悪かったよ。その、何だ。……葵の水着を、他の男に見せたくなかったんだ」
「へ?」
視線を逸らして告げれば、葵が呆けたような顔になった。
とはいえ彼女は空の言葉を一瞬で理解し、僅かに頬を染めて蕩けた笑みを浮かべる。
「えへへ。そんなに私の水着は良かったですか?」
「……ああ。滅茶苦茶可愛いし、すげー似合ってる」
「なら、もっと見ていいですよ。はい」
葵がラッシュガードを羽織ったまま、前側を広げた。
元々前のファスナーを閉めていなかったので真っ白な肌が見えていたが、肌の面積が一気に多くなる。
あまりにも素晴らしい光景に、目が離せない。
(……毒なのか保養なのか分からん)
母性の塊は前々から大きいと思っていたが、目の前で谷を作っているのを見ると改めて大きさが分かる。
肌はシミ一つない真っ白で、太陽の光がその白さを際立たせていた。
腰はしっかりとくびれがあり、足は細いのだが女性らしい柔らかさも兼ね備えている。
そんな葵の容姿を際立たせるようにビキニを着ているのだから、反則と言っても良いだろう。
普段は伸ばしっぱなしの金髪をお団子にして纏めているからか、艶やかさと子供っぽさが混ざり合っている。
ジッと見続けていると、葵が嬉しそうに、けれど照れくさそうにはにかんだ。
「見ていいとは言いましたけど、そんなに見つめられると流石に恥ずかしいですね……」
「すまん。でも、これは見るって」
「ビキニは攻め過ぎたかなと思ったんですが、正解でしたか?」
「正解過ぎて逆に困ったぞ。俺が葵の所に行かなかったら絶対にナンパされてたからな?」
「ふふ。それが嫌だったんですよね?」
「…………そうだよ。こんなに可愛いんだ。誰だって独り占めしたいって思うだろ」
頬を朱に染めつつも甘い笑顔を浮かべる葵の質問に、呻きそうになりつつもしっかりと答えた。
既に空の羞恥は限界で、自らの頬の熱さが分かる。
それでも目を逸らせずにいれば、葵が頬を赤らめつつも悪戯っぽい目つきになった。
「いいですよ。これはせんぱいの為に着たんです。今だけは独り占めしてくださいな」
「今だけなのか」
「水に入る時には流石に脱がないといけませんからね。なので、他の人に水着を見せるお詫びをします」
「お詫び?」
「はい」
葵の言葉に首を傾げると、彼女がラッシュガードを脱いでビーチチェアに寝そべった。
ほぼ隠している物がない背中が露わになり、ごくりと唾を飲み込む。
ちらりと空を見た葵の瞳には、期待が揺らめいていた。
「約束、だったでしょう? 日焼け止めを塗ってくださいな」
「……そう言えば、そうだったな」
ここに来る時のやりとりを思い出し、嬉しさと気恥ずかしさを混ぜ込んだ苦笑を浮かべる。
男の夢だとは思っていたが、こんなに素晴らしい背中に日焼け止めを塗る事になるとは。
約束したのだからと内心で言い訳をしつつ、葵が地面に置いた手提げ袋から日焼け止めを取り出した。
「最後の確認だが、ホントにいいんだな?」
「勿論です! べちゃっとやっちゃってください!」
「微妙に盛り下げる事を言ってくれてありがとよ」
気の抜ける擬音に、高鳴りっぱなしだった心臓の鼓動が僅かに収まる。
空を落ち着かせる為なのか、それとも空の予想以上に葵が恥ずかしがっているのかは分からない。
それでも内心で彼女に感謝しつつ、日焼け止めのクリームを手の平に馴染ませ、肩から塗っていく。
きめ細かそうだなとは思っていたが、想像以上に葵の肌は滑らかだ。
素晴らしい感触に、どうしようもなく心臓が鼓動を早める。
「ん……」
葵がぴくりと肩を跳ねさせ、鼻に掛かったような声を上げた。
失敗したのかと手を止めれば、葵がこちらを横目で見て小さく首を振る。
続けろという言外の指示を受け取り、再び手を動かす。
「なあ、胸の紐って引っ張っていいのか?」
「いいですよ。というかそこだけ避けて一本線が出来たら怒ります」
「想像したらちょっと面白かったけど、折角の綺麗な肌を焼けさせたくはないな。遠慮なくやらせてもらうぞ」
「……どーぞ」
僅かに羞恥が混ざった声が聞こえたが、葵の顔は見えない。
惜しくはあるが日焼け止めを塗るのに集中し、胸を支えている紐を少し引っ張った。
「ぁ……」
窮屈なのか葵が再び声を漏らしたが、それが妙に艶めかしい。
一気に心臓の鼓動が早くなり、体が熱を持つ。
「わ、悪い。ちょっと我慢してくれ」
「だいじょぶです。それに、せんぱいの手は気持ち良いので」
「……そうかよ」
この状況で「気持ち良い」と言われると、邪な事をしている気分になる。
必死に煩悩を振り払いながら、日焼け止めを塗るのに集中するのだった。




