第84話 久しぶりのお出掛け
「さてさて、準備はいいですか?」
葵が朝陽と買い物に行った数日後。
女子二人で買い物に行き、空を放っておいたお詫びという事でお出掛けとなった。
目的地は聞かされていないが、準備する物は伝えられたので察しがついている。
「出来る限りはしたけど、肝心の物が無い。何せ水着なんて学校指定の物以外必要じゃなかったからな」
中学時代は二年生の頃から虐められていたし、高校生になっても最近まで晶とプライベートで遊ぶ事など無かったのだ。
葵とのお出掛けは楽しみだが、これでは空が何も出来なくなる。
首を振って肩を竦めると、葵が柔らかく笑んだ。
「大丈夫ですよ。今から行く大型の施設には水着売り場があるみたいですし」
「という事はプールか。海かプールだとは思ってたけど、答えを言って良かったのか?」
「『水着が必要な場所に行く用意してください』って言った時点でバラしてるようなものですし、今更ですよ。因みに海は後処理がめんどいのでナシです」
「さいですか。なら、準備オッケーだ」
海にしなかったのは思ったよりも現実的な理由からのようだ。
微笑を浮かべて鞄を肩に掛けるが、何故か葵の顔が曇る。
「その、直前まで秘密にしてましたけど、もしかして事前に話して水着を買いたかったりしましたか?」
「いや、別に。男の水着なんて普通ので十分だからな。拘りは無いぞ」
水着が無い事が問題なのであって、用意出来るなら何でも良い。
大型施設の品揃えがどれほどなのかは不明だが、普通の物は売っているだろう。
不安げな顔の葵に手を伸ばせば、あっさりと彼女が受け入れる。
「そうですか。良かった……」
「変な心配すんなって。ほら行くぞ」
「はーい」
あっという間に機嫌が上を向いた葵と一緒に家を出た。
扉に鍵を閉めると、真っ白い手が差し出される。
疑問に思って葵の顔を見れば、白磁の頬がほんのりと色付いていた。
「その、私達って、あれじゃないですか。だから、繋ぎません?」
葵にしては珍しい遠回しな言い方だったが、何を言いたかったのかは分かる。
正式に付き合ってこそいないが、お互いの想いは知っているのだ。
折角のお出掛けなのだから、手を繋ぐくらいはしてもいいのではないか。
そんな葵の可愛らしいおねだりに応えないという選択肢は、空の頭には無い。
「ああ、繋ぐか」
「ありがとうございます!」
沸き上がる羞恥を抑えながら手を繋ぐと、葵が弾んだ笑顔を浮かべた。
何となく普通の繋ぎ方をしたが、それでも彼女は満足のようだ。
葵と手を繋いだのは二度目だが、一度目は重苦しい雰囲気の中だったので手の感触など覚えていない。
しかし今日は状況が違い、細過ぎる指や空とは全く違う柔らかさなどがハッキリと分かった。
どくどくと心臓の鼓動が弾む中、何となく葵を見る。
すると先程とは違い、葵は照れ臭そうに甘い笑みを浮かべていた。
「え、えへへ……。せんぱいの手、おっきいですね……」
「……葵が小さ過ぎるんだよ」
眩し過ぎる笑顔を見ていられなくて、ゆっくりと歩き出す。
エレベーターの中でも手は繋いだままであり、何となく無言になってしまった。
そのままマンションの外に出ると、焼けるような日差しが降り注ぐ。
「うわぁ……。夏真っ盛りだなぁ……」
「お出掛け日和ではありますけど、凄いですねぇ……」
日差しに辟易しつつ駅へと歩くが、暑過ぎて手が汗ばんできた。
手汗が気になってしまって隣を見るが、葵はご機嫌に笑んでいる。
不快な目には遭わせていないようで一安心だ。
「こんなに日差しが強いんだ。日焼け対策はしてるだろうな?」
「ばっちり日焼け止めを塗ってます。と、言いたい所ですが、今は顔とか腕みたいに服から出てる所だけですね」
「水着になったら他の所もしろよ?」
「それなんですが、私には不可能な所がありましてですねぇ」
悪戯を思いついたような、唇の端を釣り上げた笑みを葵が浮かべた。
嫌な予感がして背中に冷や汗が流れる。
「……まさか、背中とか言うんじゃないだろうな?」
「おお、大正解です! という訳で、よろしくお願いしますね!」
「いや駄目だろ。何言ってんだ」
ある意味では男の理想とも呼べる行為なのかもしれないが、簡単に頷けはしない。
それでも思わず頷きそうだったので理性で堪え、渋面を作った。
葵はご不満のようで、頬をぷくりと膨らませる。
「だって朝陽は体質の問題で一緒に行けませんし、そうなるとせんぱいにしか頼めないんですもん。まさか、見ず知らずの人に頼めとか言いませんよね?」
「……それは、言わないけど」
朝陽は屋外のプールには行けないようで、今回はパスだ。
朝陽が行けないのなら晶も行かないとの事で、今日は二人でのお出掛けになる。
当然ながら、そんな状況で葵の背中に日焼け止めを塗れるのは空しかいない。
見ず知らずの人にお願いするのは、例え女性であっても嫌だ。
言い負かされて口を噤めば、葵が僅かに頬を染めて微笑む。
「なら、お願いしますね。恥ずかしいですけど、せんぱいになら触れられても大丈夫ですから」
「ああもう、分かったよ」
空を誘惑するような甘い言葉に、がしがしと頭を掻いて負けを認めた。
どうやら、水着に着替えて早々に空の理性が試されるらしい。
とはいえ男の夢のような状況なので、胸が期待で高鳴ってはしまうのだが。
「あ、それと、今日の水着はこの前のお出掛けの際に朝陽と選んだ物なんです。楽しみにしててくださいね?」
正直なところ、あっさりとお出掛けを承諾したのは、葵の水着姿を見られるからだ。
しかも先日のお出掛けで選んだ物らしいので、嫌でも期待してしまう。
内心を見透かされた気恥ずかしさに、悪戯っぽい瞳から目を逸らした。
「……ああ。葵は何でも着こなすだろうし、楽しみにさせてもらうよ」
「ふふ。何を着ても似合うよりかは、せんぱいの好みに合ってる方が良いんですけどね」
「その割には何も俺に聞かなかったよな」
「完全に秘密にしたかったので。……期待に沿えなかったらすみません」
「それは絶対に無いから安心しろ」
僅かに不安を滲ませた声に、顔を葵の方へと戻して断言する。
余程真剣な顔だったのか、彼女はぱちりと瞬きした後、擽ったそうに笑うのだった。




