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第80話 違和感のある部屋

「いろいろあって結構夜遅くなりましたし、ご飯にしましょうか」


 葵がソファから立ち上がり、朗らかな笑みを浮かべる。

 終業式後に両親が来て、それから葵と長話をした後、空が寝てしまったのだ。

 既にバイトが休みの時に晩飯を摂る時間を過ぎている。

 唯一の救いは、買い物に行くタイミングが無いと予想して昨日のうちに晩飯の材料を買っていた事だ。


「だな。じゃあぱぱっと作るから、葵はゆっくりしてくれ」

「いいえ。今日はお疲れでしょうし、私が作りますよ。甘えてくださいって言ったでしょう?」

「いつもバイトが無い時は俺が作ってただろうが。甘えるのと葵に負担を強いるのは違うっての」


 これまで以上に葵に甘えてもいいとは思っている。

 けれど空の役割を葵に丸投げしては、彼女が辛いだけだ。

 そんな甘え方は間違っていると眉を寄せて告げれば、同じ表情が返ってくる。


「負担でも何でもありません。遠慮なく甘えてください」

「無理」

「せんぱい?」


 先程と言っている事が違うのではないかと、葵が首を斜めにした。

 いつもなら輝きを帯びている瞳に光が無いのが怖い。

 けれどここで折れては、空は堕落してしまう。

 恐怖を押し込め、葵を真っ直ぐに見据えた。


「遠慮してる訳でもないし、強がってる訳でもない。単に、俺がやりたいってだけだ」

「そう言われても、私もやりたいんですが」

「俺の飯、食べたくないのか?」


 子供のようなふくれっ面をする葵に、追い打ちを掛ける。

 葵の料理は十分美味しいのだが彼女は空の料理を好んでおり、空の予想通り形の良い眉が悩まし気に歪んだ。


「そりゃあ、せんぱいのご飯は美味しいですし、食べたいですけど」

「じゃあいいだろ? いつも通りじゃないか?」


 空の指摘に葵が目をぱちくりとさせ、それから楽し気に微笑む。


「……こういう日でもいつも通りって、なーんにも変わりませんねぇ」

「俺達らしくていいじゃないか」


 言外に想いを伝え合っても、やり取りは以前と変わらない。

 それくらいに近い間柄になっていると自覚し、空の頬も緩んだ。

 暫く葵と共に笑っていると、突然彼女が仕方ないなという風に溜息を落とす。


「分かりましたよ。今日はお願いします」

「おう、任された」

「私はやる事がないのでせんぱいを眺め――」


 てます、と言おうとした葵が、呆然とした表情で固まった。

 彼女が固まってしまうような事などリビングにないはずだ。

 そう思いつつ周囲に視線を巡らせると、どうにも寂しい気がする。

 いかにもな男の部屋なのだが何かがおかしいと首を捻ると、すぐに答えに辿り着いた。


「葵の物が無いな」

「そうなんです! 引き上げてたんですよ!」


 二人共、このリビングに葵の私物が無いと違和感を覚えるようになってしまったらしい。

 普通では有り得ない当たり前にくすりと笑みを零す空とは違い、葵は早足で玄関に向かっていく。


「今すぐ大移動させます! すみませんが、夜ご飯をお願いしますね!」


 先程までの言い合いは何だったのかと言いたいくらいに、葵があっさりと空に晩飯の調理を委ねた。

 どうやら、空の返事を聞く余裕すら無いらしい。

 許可を取らず私物を置くくらいに空の家に馴染んでくれている事が嬉しく、空の頬が緩む。


「……ああ、任せとけ」


 葵に「美味しい」と言ってもらえるように頑張ろうと、気合を入れてキッチンに向かうのだった。





 空の晩飯で腹を膨らませ、葵はご満悦の表情だった。

 既に片付けも終えており、これから風呂だ。

 自室から服を取って脱衣所に向かおうとすれば、ソファに座っていた葵が空の方に視線を向ける。


「あ、ちょっと待ってください。せんぱいって、洗面所の方で髪を乾かしたり肌の手入れとかしてますよね?」

「そうだけど、それが?」


 今までずっとやってきた事だし、わざわざ確認するまでもないだろう。

 質問の意図が分からず首を傾げれば、葵が唇の端をにんまりと釣り上げた。


「なら、今日はリビングで肌の手入れをしてください。髪はその間に私が乾かしますので。自分でやっちゃダメですよ?」

「……マジ?」

「マジもマジです。せんぱいを甘やかすって言ったの、忘れてませんよね?」

 

 葵の顔は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。

 とはいえ男の髪など触っても楽しくないだろうし、普段から自分自身で乾かしているのだ。わざわざ他人にやってもらう意義を感じない。

 正直なところ遠慮したいのだが、この様子だと葵は絶対に折れないだろう。

 取り敢えず一回やってみるべきだと、素直に頷いた。


「忘れてない。それじゃあ、乾かしてもらっていいか?」

「おお、あっさり許可しましたね。勿論いいですとも。女子の力で完璧に仕上げて見せます!」

「いや、別にそこまでは求めてないんだが……」


 空の手入れはあくまでも身だしなみに気を付ける程度のものであって、気合を入れなければならないものではない。

 ぐっと拳を握り込んだ葵に苦笑を落とし、脱衣所へ向かった。

 いつも通り風呂を終え、湿った髪と何も手入れをしていない肌のまま、ドライヤーを持ってリビングに向かう。

 既に葵はカーペットに座って待機しており、手招きをしている。


「さあさあ、座ってくださいな」

「ん。よろしく頼む」


 葵の前に座り、くるりと体を反転させた。

 すぐに肌の手入れをし始めると、葵もドライヤーのスイッチを入れる。

 ドライヤーの音がうるさいのもあり、黙々と手を動かす。


(滅茶苦茶気持ち良いな……)


 毎日髪を乾かしているが、空の指と葵の指では頭に触れる感覚が全く違う。

 空の指は何も感じないのに、彼女の指はくすぐったく、それでいて心地良い。

 肌の手入れをしながらなのであまり感覚に集中してはいないが、癖になりそうだ。

 それに、他人に髪を手入れしてもらうというのは、優越感が沸き上がってくる。


「……ありがとな、葵」

「何か言いましたー?」

「いや、何でもない」


 小さな呟きに反応されたが、惚けて手入れをし続ける。

 あっという間に肌の手入れは終わり、それは髪もだ。

 ドライヤーの音が消えたので、お礼を言う為に葵の方へ振り向こうとする。

 しかし再び空の髪に細い指先が触れてびくりと体が震えた。


「お、終わりじゃないのか?」

「滅茶苦茶乾くの早かったので、不完全燃焼です。もっと堪能させてください」

「目的が変わってるような気がするんだが」

「いいじゃないですかー。こんなに綺麗な髪なんですし、もうちょっとくらい触らせてくださいよー」


 空の指摘にもめげずに、葵が髪を触り続ける。

 普段から手入れをしているのもあり「綺麗」と言われて悪い気はしなかった。

 それに髪に触れる葵の指が心地良く、あっという間に反抗の気が削がれていく。


「……好きにしてくれ」

「はーい!」


 投げやり気味な空の言葉に、実に楽し気な声が返ってきたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 終章。……終章? 終わってしまうのか。距離の近さは最初から異常だった、というかほぼ最初から恋人してたからなぁ。嫌がらせも解決したし、過去も話したし、もう告白するくらいしか残ってないか。どっ…
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