第75話 両親と会う前に
七月の終わり――夏休み前に両親が空の様子を確認しに来る事になった。
しかし両親の件よりも先に、学生である空と葵には再びのテストが迫っている。
とはいえ以前と同じく葵と一緒にテスト前の追い込みを行い、無事にテストは終了した。
そして彼女がご褒美を所望したので、順位発表があった日の夜に、ベッドの上で膝枕している。
「はふぅ……。やっぱりせんぱいのご褒美は最高ですねぇ」
満足気な溜息をついて、葵が体の力を抜く。
無防備な姿に笑みを零し、彼女の頭に手を伸ばした。
やはりというか、葵は嫌な顔一つせずに空の手を受け入れる。
さらさらの金髪は、最高の触り心地だ。
「前と全く同じだけど、良かったのか?」
「勿論じゃないですか。頑張ったかいがありましたよ」
「今回は平均点だったっけ? 滅茶苦茶順位が上がっただろ」
空がバイトから帰ってくるまでにしっかり勉強しているのか、葵の成績は更に良くなった。
追い込みの際に前回より質問される事が減ったので、日頃の成果が出たのだろう。
彼女の腕や足に触れてしまってあまり集中出来ないので、隣で教える時間が減るのは空としても有難い。
「ですねぇ。今回は夏休みが掛かってましたから、流石に気合を入れました」
「そうか、赤点を取ったら補習だっけ」
折角の夏休みなのだ。補習で潰されたくはないのだろう。
担任の教師の言葉を思い出して苦笑を落とせば、葵が僅かに頬を膨らませる。
「そうですよ。せんぱいと一緒の夏休みなんです。補習とか絶対やりたくないですって」
「……俺と、一緒なんだな」
葵の夏休みの生活に当たり前のように空が入っていて、頬が緩んでしまった。
嬉しさを伝えるように優しく頭を撫でるが、じとりとした目で睨まれる。
「当然じゃないですか。むしろ私が他の人と遊ぶとでも? 友達が少ないって知ってますよね?」
「そりゃあ知ってるけど、朝陽が居るだろ」
「殆どの場合、朝陽と遊ぶなら立花先輩も一緒です。つまりせんぱいも一緒です」
「まあ、確かにな」
葵の友人が少ない事も、その少ない友人と行動するなら空も一緒だというのも分かってはいた。
それでも何の迷いもない言葉が嬉しく、唇が僅かに弧を描く。
「流石に朝陽と二人きりで買い物くらいはすると思いますけどね」
「女性二人でしか出来ない買い物はあるだろうから、楽しんでこい。ナンパには気を付けろよ」
葵も朝陽も紛う事なき美少女だ。外出する際に空や晶が居ないなら、間違いなくナンパされるだろう。
二人の性格ならばまず大丈夫だろうが、葵がナンパされると考えるだけで胸に僅かな苛立ちが沸き上がる。
表に出さないように感情に蓋をして忠告すると、澄んだ蒼の瞳が嬉しそうに細まった。
「気にしてくれるんですか?」
「気にしないと思ったのか? そこまで薄情だと思われてたのはショックだな」
「うあー。ぐりぐりされてるぅー」
わざとらしく唇を尖らせ、葵の頭を指で押す。
文句を口にはするものの、彼女は離れようとしないし、小さな口元には笑みが浮かんでいた。
「普段から一緒に居るんだし、心配くらいするっての」
「ふふ。ありがとうございます」
ふにゃっと緩んだ表情で、葵が頬を空の太腿へと擦り付ける。
ご機嫌なのはいいが、擦り付けられると擽ったい。
とはいえ辞めさせる理由もなく、やりたいようにさせた。
「……にしても、せんぱいは相変わらず凄い成績ですよね。二位って」
「順位が良いのは否定しないけど、普通に予習復習やってただけだぞ?」
「毎日勉強してるのは知ってるんですけど、何で数時間だけの勉強であんな順位が取れるのか……」
瞳の奥に尊敬と少しの呆れを秘め、葵が空を見上げる。
彼女は実際に空が毎日勉強しているのを見ているので、不思議で仕方がないのかもしれない。
とはいえ、空は事実を口にしているだけなのだが。
「そう言われてもなぁ」
「ホント、頭の出来が違いますよ。逆立ちしても敵いません」
「比べる必要はないけど、俺は別に葵の頭が悪いとは思ってないぞ」
「は? 馬鹿にしてます?」
低い声が聞こえたので、単なる煽りと思われてしまったのだろう。
光を無くした瞳に射抜かれて、冷や汗が流れた。
慌てて葵の頭を撫でて宥める。
「怒るな怒るな。俺が言ったのは頭の回転の良さだよ。嫌がらせの件とかな」
以前から思ってはいたが、葵は状況判断がしっかりと出来る。
嫌がらせをしていた人達に対しては少々攻撃的なものの、それは空を心配しての事だ。
とはいえ諫められれば止まるし、何も考えずに行動したりはしない。
空の言葉に取り敢えず怒りを収めてくれたようで、葵は少しだけむくれつつも瞳に光を宿す。
「そう、ですかね。そんな事言われたの、初めてです」
「頭の良さは勉強だけじゃないからな。自信持てって」
「は、はぁ……」
困惑を顔に宿す葵の頭をゆっくりと撫で、滑らかな髪の感触を堪能する。
暫くすると、葵が以前のように「あ」と声を上げた。
「またせんぱいにご褒美をあげられてません」
「いいって。もう少ししたらご褒美を貰うんだからな」
両親が空の生活を確認しに来た後、葵から頑張ったご褒美を受け取る事になっている。
内容は一応決めてはいるものの、伝えてはいない。
彼女なら受け止めてくれると思ってはいるが、初めての事なのだ。どうしても不安は抱いてしまう。
葵に内心を悟られないように微笑を浮かべれば、不満そうな顔をしつつも頷いてくれた。
「分かりましたよ。覚悟してくださいね」
「何でご褒美をもらう側が覚悟するんだか……。それより、夏休みの予定はあるのか?」
「そうですねぇ。まずは買い物です。色々と物入りですからね」
「物入り?」
「はい。夏に欠かせない物を買いに行くんです。申し訳ありませんが、せんぱいはお留守番です」
「分かったよ」
「一人にさせたお詫びに良い所に行くつもりですから、期待しててくださいね♪」
「……分かったよ」
美しいウインクに見惚れてしまいそうになるも、どんなお詫びになるのかさっぱり分からない。
流石に変な所へ連れ回されはしないだろうが、それでも頬を引き攣らせるのだった。




