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第74話 貴重な時間

「お疲れ様でした」

「お疲れ様、空ちゃん! 気を付けて帰るのよー!」

「はい」


 葵達とちょっとしたスイーツパーティーをした後は、しっかりとバイトに勤しんだ。

 勝の裏声に返事をし、喫茶店を出る。

 七月の生温い風が空の肌を撫でる中、手持ち鞄に入れているスマホが振動した。

 鞄から取り出して画面を見れば、空の母親である『皇早紀(さき)』の名前が表示されている。


「早かったな。ま、あの人の性格ならそりゃあそうか」


 体育祭当日は日が暮れる間際まで事情聴取されていたし、親への連絡も最後に確認を取られた。

 なので休み明けの今日、早紀に連絡が行ったのだろう。

 この場に葵が居なくて良かったと安堵しつつ、スマホに耳を当てる。


「はい」

『ようやく出たわね。時間を無駄にしたわ』

「バイト中にスマホを見る訳にはいかないでしょう?」

『…………ふん』


 世間一般の常識を述べれば、不満そうに鼻を鳴らされた。

 電話に出なかった追及はそれだけで終わり、話が次に進む。


『聞いたわよ。体育祭で揉めたんですって?』

「ですね」

『連絡を受け取る為に、貴重な時間を割きたくなかったのだけれど』

「それを俺に言われましても。教師の職務ですし」


 多少の喧嘩けんか程度ならば、生徒を注意する程度で終わったはずだ。

 けれど今回は違い、教師として親に連絡しなければならなかった。

 その事は誰にも責められない。

 代わりとして空に嫌味ったらしく文句を言うなと遠回しに告げれば、露骨な舌打ちが聞こえた。


『……まあいいわ。あんたの生活を確認しなきゃいけないし、月末にあの人とそっちに行くから』

「去年と同じなら俺がそっちに行くはずでは? 約束の近況報告はそれで十分でしょう?」


 両親の性格なら絶対に有り得ない行動に、大きく目を見開く。

 何か心境の変化があったのかと思ったが、早紀とて空のマンションに来るのは望んでいないらしく、再び舌打ちされた。


『迷惑を掛けられたんだから、報告だけじゃなくて一度しっかりあんたの生活を見ておかないといけないって事よ。本当はそんな無駄な事なんてしたくないわ』

「今回の件に俺の生活は関係ないと思いますが」

『うるさいわね! いいから月末は空けておきなさい!』


 甲高い怒鳴り声を聞くのは久しぶりだ。

 とはいえそれで心が動く事は無く、凪いでいるのだが。


「……まあ、分かりましたよ」

『全く、余計な手間を取らせないで。ああもう、こんな無駄な時間を、これとかあれに――』


 ぶつくさと愚痴を言いつつ、早紀が電話を切った。

 何も変わらない母の態度に、父も同じなのだろうなと溜息をつく。


「俺だってアンタ達と会うような無駄な時間なんて無いっての。まあ、実家に顔を出さなくて良くなったからまだマシか」


 一応のメリットがあるのだから、後ろ向きになってはいけない。

 とはいえ悩み事が解決した途端にまた悩み事が出来たのだから、気分が上がらないのも確かだ。


「……葵の顔が見たいな」


 あの明るい笑顔を見れば、沈んだ気持ちも上を向くだろう。

 それどころか、葵なら空が落ち込んでいる事に気付いてくれるかもしれない。

 少し前までの空ならば絶対しない思考に、彼女を頼りにしているのだと改めて実感した。


「誰にも頼らないように、ね」


 心に誓った事は既に崩れている。けれど、何もかもをさらけ出すのは怖い。

 そのくせ葵に頼られようとする自分自身の醜さに、乾いた笑いを零すのだった。





 空が期待していた通り、葵は家に帰った空が落ち込んでいる事に気付いてくれた。

 なので月末に親が来る事を説明すれば、神妙な顔で頷かれる。


「ふむ。話は分かりました」

「そういう訳で、悪いけど葵の私物は一時撤収だ。両親が来る日に俺の家に来るのもナシで頼む」

「りょーかいです」

「面倒掛けて悪いな」


 下着や普段着をしまう棚にブランケット、風呂にある道具等持ち込まれた物は多くないが、引き下げるのは面倒のはずだ。

 それでもあっさりと承諾してくれたので頭を下げると、柔らかい微笑が返ってくる。


「いえいえ。せんぱいの家も訳アリでしょうからね。余計な指摘をされない方がいいでしょう?」

「……ホント、助かる」


 お互いに一人暮らしをしており、普通に生活していると家族の話を一切しないのだ。

 元からお互いに訳アリだと思っていたし、実際に葵は間違っていなかったのだから、空も同じだと察してくれたのだろう。

 もう一度頭を下げると、葵が心配そうな目で空を見つめる。


「元々は私の我儘から始まった事でしたし、お礼なんていいですって。それより、大丈夫ですか?」

「大丈夫って?」

「せんぱい、親と会って苦しかったり辛くなったりしませんか?」

「まあ、するだろうな。でも、こればっかりは仕方がないだろ?」


 会いたくない人と会うのだから、負の感情が沸き上がって当然だ。

 葵にも分かるはずだと尋ねれば、すぐに頷きが返ってきた。


「ですね。でも、そんなせんぱいを放っておけないです。なので、終わったらご褒美をあげますね」

「これは俺の問題なんだし、別に――」

「せんぱいは、私の過去を受け止めてくれたでしょう? 話したくない事を話せとは言いませんから、それくらいはさせてください」


 決して無遠慮に踏み込んだりはしない。けれども、空を支えたい。

 そんな葵の優しさが胸に沁み込み、目の奥が痛くなった。

 必死に我慢し、頑張って微笑を作る。


「分かったよ。さんきゅ」

「お礼はいいって言ったでしょう? 何はともあれ、せんぱいの両親が来るのはまだまだ先なんです。今は全部忘れて、のんびりしましょう!」

「……そうだな」


 溌溂はつらつとした笑みは、やはり空の心を癒してくれた。

 葵が傍に居てくれて良かったと思い、今度は心からの微笑を浮かべる。

 すると、彼女が近寄ってきて空に背を向けた。


「とう!」

「また背もたれか?」

「はい。せんぱい背もたれです。ちょっと固いですけど、これも良きですね」


 ふわりと香った甘い匂いと肩に伝わる葵の温かさに胸がくすぐられたが、文句を口にされて溜息をつきたくなった。

 とはいえ、葵が空の力になりたいと思っての行動なのは分かっている。

 仕返しとばかりに彼女の頭を撫でると、小さな含み笑いが耳に届いたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お疲れ様、空ちゃん! 甘いものでお腹いっぱいの状態でバイト、だと。それで働けるのか。いつも以上にスマイルな鬼塚がバイト中にちらちらと優し気な視線を投げかけてきて少し働きにくかった、かもしれ…
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