第73話 不満がありつつも
「……という訳で、このクラスで揉め事がありました。次にこんな事があれば停学の可能性もあるので、絶対にしないよう」
体育祭の振り返り休日が明けてすぐの、朝のホームルーム。
担任の教師が、沈んだ表情で教室に声を響かせた。
体育祭の裏でトラブルが起きただけでなく、以前から行われていた嫌がらせを噂程度には知りながら何もしなかったのだ。
そのせいで、おそらくだが上役からあれこれ言われたに違いない。
教師からすれば頭痛の種なのだろうが、被害を受けた側としては当然の結果だ。
ちらりと嫌がらせをしていたクラスメイト達を見れば、顔を青くしている。
「それではホームルームを終わります」
教師の言葉を受けて学級委員が号令を掛け、ホームルームが終わった。
教室に居づらいのか、嫌がらせをしていたクラスメイト達が逃げるように外へ出る。
一瞬だけ空へと向けられた目には、怯えと強い後悔が浮かんでいた。
(ここまでされてようやくか。馬鹿馬鹿しい)
証拠が無ければつけあがり、自分より下に見た相手には強気に出る。
自分より立場が上の相手には言い訳を述べ、状況が悪くならないように取り繕う。
あんな奴らに苦しめられていたと自覚するのは癪だが、空がギリギリまで耐えていた結果だ。
あの態度からして、もう空に嫌がらせをする事はないだろう。
自業自得ではあるが、既に彼等の居場所は教室に無いのだから。
溜息をついて彼等が出て行った扉から視線を外せば、去年から一緒のクラスメイト達が近付いてきていた。
「その、皇。何ていうか……」
「ありがとな。お陰で、あいつらに痛い目を遭わせる事が出来た」
改めて謝罪したかったのかもしれないが、そんなものは不要だ。
彼等と協力して、嫌がらせを辞めさせた。それだけでいい。
頬を緩めてきっぱりと告げれば、彼等の顔が泣きそうに歪む。
「俺達の方こそ、ありがとう」
「次はちゃんと注意とかするよ。勿論、皇以外のやつが嫌がらせをされたとしても」
「それで、皇にきちんとお礼をしたいんだけど、何かして欲しい事はないか?」
「お礼なんて要らないけど」
無情ではあるが、元々彼等には何も期待していなかったのだ。
だからこそ恨みは持っていないし、今では感謝の念しか抱いていない。
彼等からすればお詫びのつもりでの「お礼」なのだろうが、必要ないのですぐに首を振った。
けれど納得出来ないようで、彼等が眉を顰める。
「頼むよ。何でもいいんだ」
「このままじゃすっきりしないんだよ」
「はぁ……。分かった。じゃあ前と同じように接してくれ」
このままでは同じ応酬の繰り返しになると判断し、空が一番求めている事を口にした。
彼等とは運動着の一件から話し辛くなり、体育祭前に話すまで距離が開いていたのだ。
それならそれで晶と話すので問題はないが、折角ならば元の距離感に戻りたい。
微笑を浮かべながら告げれば、彼等が一斉に頷いた。
「ああ。改めてよろしく、皇」
「ちょっと恥ずかしいけど、俺達の自業自得だもんな。よろしく」
「皇は優しいな。ホントにありがとう」
懐かしいやりとりに、嫌がらせの件が一段落したのだと改めて実感したのだった。
教室での嫌がらせの件は一段落し、放課後になったのでいつも通り葵や朝陽、晶と一緒に帰っていた。
そして現在。空のバイト先の喫茶店で、晶と朝陽が思い切りむくれている。
「「……」」
性格上、朝陽がむくれるのは分かるが、晶も同じ態度を取るとは思わなかった。
とはいえ彼の内心は何となく分かるので、気まずくはない。
「晶や和泉は囮をしてくれたんだ。滅茶苦茶助かったんだぞ」
「そうですよ。二人が監視役を引き付けてくれたからこそ、あのクソ共に勘付かれなかったんです」
「…………でも、私と晶くんは何もしてない。やっぱり納得なんて出来ないよ」
「そうだよ。それに、もっとキツい罰が必要でしょ」
「俺や葵が罰を決めた訳じゃないんだが……」
空は証拠を取れるように立ち回り、後は教師という取締役に任せただけだ。
何とか晶達を宥めようとしたが、二人に盛大な溜息をつかれる。
「はぁ……。あの程度の罰だって分かってたら、もっと言っておけばよかったなぁ……。今更言ったら追い打ちになるから、ややこしい事になるんだよなぁ……」
「こんな事ならすぐにビンタしに行けば良かったよ……。今からでも出来ないかなぁ……?」
「流石にこれ以上となると二人が罰を受けるから、それは止めてくれ」
朝陽は勿論だが、晶は空が嫌がらせを受けた最初の頃から彼等に憤っていた。
実際、事前の打ち合わせの際に葵の代わりに晶が校舎裏に行くと言って、最初は他の意見を聞かなかったくらいなのだ。
結局は標的が空と葵であり、晶が居ると警戒させてしまうという事で、渋々ながら囮役を引き受けた。
しかし、未だに怒りが胸の内に燻っているらしい。
逆の立場であれば空だって絶対に納得しなかっただろう。
「ここまできて問題を起こすと泥沼になるから、流石にしないけどさぁ」
「でも、もやもやするぅ……!」
全く同じ体勢で頬杖をつき、拗ねたような声を発した晶と朝陽。
二人とてこれ以上の事をすると、報復しては報復されてを繰り返すだけだと分かっている。
だからこそ体育祭の後から大人しくしているのだ。
ある意味で息が合っている二人の姿に苦笑を落とし、喫茶店のメニューを二人に見せる。
「何にせよ、これで終わったんだ。パーッといこうぜ」
「……分かったよ。よし朝陽、今日は腹いっぱい甘い物を食べよう」
「うん! 晩ご飯とか体重は後で考える! 今は自棄食いだぁー!」
「ほ、程々にね……」
一周回って吹っ切れたのか、晶と朝陽がメニューを食い入るように見始める。
後先考えない朝陽の発言に、葵が頬を引き攣らせていた。
話を聞いていたのか店長の勝が近寄ってきて、嬉々とした笑顔を浮かべる。
「解決したみたいで良かったわぁ! 今日は全力を出しちゃうから、どんどん注文してちょうだいね!」
「ありがとうございます! それじゃあまずは――」
あれこれと注文していく朝陽と晶に呆れつつ隣を見れば、葵も同じ気持ちなのか顔が苦笑で彩られていた。
「これ、多分私達も食べなきゃいけませんよね」
「ああ。晶も朝陽も後先考えてないからな。間違いなく二人じゃ食べきれないって」
「じゃあ晩ご飯は抜きますか。絶対食べられないと思いますし」
「甘い物が晩飯ってのは変だけど、そうした方が良いだろうなぁ」
別段、体重を気にした事はないが、ここで腹を膨らませた後の事は容易に想像出来る。
大変な事になったなと思うが、それでも空の頬は緩んでいたのだった。




