第69話 体育祭の裏で
嫌がらせに対する作戦会議を終わらせた後はいつも通りに過ごし、体育祭となった。
時計の針が十一時を指す頃、去年からのクラスメイトが申し訳なさそうな顔で空を呼ぶ。
「皇、ちょっといいか?」
「どうした?」
「伝えなきゃいけない事があるんだけど、移動したいんだ。時間あるか?」
「時間はあるけど、ここで話せない事なのか?」
「ああ。ちょっと込み入った話になるんだ」
「……分かったよ」
すぐに承諾すれば、監視しているかもしれない人に勘付かれる可能性がある。
だからこそ仕方なく移動するという風な態度を取って立ち上がった。
当然ながら、傍に居る晶も立ち上がる。
「じゃあ僕も付いて行くよ。空だけだと心配だからね」
「それなんだけど、立花に聞きたい事があるんだ。俺はここでいいから、ちょっとだけ時間をくれないか?」
「……何で今なのさ。滅茶苦茶怪しいんだけど?」
露骨に嫌そうな顔をした晶が、いかにも言いそうな言葉を先程とは別のクラスメイトに告げた。
僅かながら焦ったような態度をしつつも、彼が両手を顔の前に合わせる。
「そう思われてもおかしくないけど、ホントに偶々なんだ。頼むよ!」
「はぁ……。分かったけど、話が終わったらすぐに空を探しに行くからね」
「ありがとな、立花! 早速だけど――」
晶を足止めする役のクラスメイトが、会話を弾ませる。
朝陽の方も、似たような状況になっているはずだ。
男との会話に朝陽は興味が無いので、話を切ろうとする彼女に何とか食らいつくように見せかけるとの事らしい。
こちらはこちらで女性にモテるにはどんな事をすればいいか、と妙に真剣に話しているので、適当な会話をしている訳ではなさそうだが。
「それじゃあ、悪いけどちょっと移動するぞ」
「ああ」
クラスメイトと一緒にグラウンドを出て歩く。
辿り着いた場所は、グラウンドから一番遠い校舎裏だった。
あちこちにシートが引いてあり、在校生の家族が場所を確保しているようだが、今は誰も居ない。
しかし、すぐに葵がやってきた。
澄んだ蒼の目を見開き、彼女が驚きを露わにする。
「せんぱい? トラブルに巻き込まれたんじゃないんですか?」
「いや、別に? それで、話ってなんだよ」
「ああ、話っていうのは――」
クラスメイトが口を開いた瞬間、空と葵の後ろにある男子トイレの窓が開いた。
そこから空に嫌がらせをしているグループの一人が、バケツに入った水を掛けてくる。
「っ!? 葵!」
分かってはいたが、慌てた風に葵を抱き締めて庇い、バケツの水を受け止めた。
甘い匂いが香ったが、気にしている余裕は無い。
どうやら雑巾等で予め汚していたらしく、空の運動着が濁った水で染まる。
庇いはしたが葵にも多少水が掛かったようで、足が濡れていた。
「ははは! ざまあ見やがれ!」
「きったねえなお前ら!」
隠れていた嫌がらせをしているメンバーが出てきて、バケツを持っているクラスメイトと一緒に空達をあざ笑う。
当然ながら、そんな事をされて葵が黙っているはずがない。
空から彼女が離れ、憎悪を込めて彼等を睨む。
「何やってくれてんですか!」
「はぁ? 皇がクラスででかい顔してるからだろ。朝比奈のせいでもあるし、同罪だっての」
「……俺はそんな事してない。何が嫌だったんだ?」
ゴールデンウィーク明けに葵がひと悶着起こしてから、空は彼等に一度も話し掛けていない。
勿論クラスの中心人物になった覚えもないし、大人しくしていた。
葵と朝陽は空達の教室に来ないようにしていたので、彼等の神経を逆撫でするような事は無かったはずなのだ。
理由を尋ねれば、彼等が心底嫌そうに舌打ちする。
「何もかもだよ! 虐められてますって被害者ぶってる奴に、見た目がちょっと良いだけで性格最悪の女! そんな奴らのせいで、俺達は肩身が狭くなってんだよ!」
「あんた達が空さんに嫌がらせをしてるのは事実でしょう! 勝手な事言わないでください!」
「証拠はあんのかよ証拠は!? 適当な事言ってんじゃねえぞ!」
「そうだそうだ! 濡れ衣を着せられた俺達の身にもなれってんだ!」
「今回の件はお前等に面と向かってやられたんだ。もう濡れ衣じゃなくなったし、証拠としては十分だろ」
肩身が狭くなっているのは自業自得でしかないし、被害者ぶったつもりもない。
なのに勝手に逆恨みして、空達に水を掛けたのはやり過ぎだ。
例え空と葵に苛立っていても、限度というものがあるのだから。
(まあ、それだけ俺への嫌がらせに抵抗が無くなってるって事でもあるけど)
彼等は何度も空に嫌がらせしていくうちに「こいつには何をしてもいい」と思ってしまった。
こういう人相手には、どんなに理屈や常識を説明しても無駄だ。
だからこそ淡々と問い詰めるが、彼等は唇の端を釣り上げる。
「これを他の奴に言って誰が信じるんだよ! 俺達がやってないって言えばそれで終わりだろうが!」
「皇と朝比奈が犯人を俺達って言ったところで、たった二人の意見が通る訳がねえんだよ!」
「…………そうか。でも肩身が狭いのが嫌なら、こんな事せずお前達がこれまで俺に嫌がらせをしていないって証拠を出せばいいだろうが」
空と葵を誘導したクラスメイト達を脅して従わせているからこそ、ここまで大きな態度を取れるのだろう。
彼等の頭には体育祭途中で空と葵が偶々バケツの水を被った、というシナリオが出来ているに違いない。
ならばこちらは一先ず置いておき、話を少しだけ戻す。
証拠、証拠と散々空に言ったのだから、さぞ彼等は高尚な証拠が出せるのだろう。
意趣返しも兼ねて彼等を煽ると、不快そうに顔を顰められた。
「うるっせえな! そんなもんある訳ねえだろ! 馬鹿じゃねえのか?」
「俺らがやったっていう証拠を出せないくせに、粋がるんじゃねえよ!」
「教室でお前達が俺の運動着を盗んだのを見た人が居るんだが?」
「あんなもん脅せばどうとでもなるんだよ! 誰だって今の皇のようになりたくないしな!」
「そんなの卑怯じゃないですか! 最低です!」
葵が憎々し気に彼等を睨むが、鼻で笑われる。
「勝手に言ってろ! お前達だけじゃ何も出来ねえよ!」
「あーすっきりした。おいそこの二人、俺達がやったって言うんじゃねえぞ」
「「わ、分かった」」
おそるおそるといった風に去年からのクラスメイト達が頷き、それに満足したのか嫌がらせをしてきた男子達が嫌らしい笑みを浮かべて去っていく。
彼等が去って暫くして、全員で溜息を吐き出した。
「もういいだろ。ばっちりだったな」
「多分な。一応確認しよう」
近くの茂みに向かい、手を突っ込んでビデオカメラを取り出す。
今回の計画で協力してくれたクラスメイトの一人が、親から借りた物だ。
皆で録画を確認すれば、空と葵が水を掛けられてから彼等が去るまでの一部始終がしっかりと記録されている。
「完璧。マジで助かった、ありがとな」
「いや、結局皇が水を掛けられる事になったから、お礼はいいよ」
「掛けられるって決めてたんだし、気にする事ないって」
「……そっか、さんきゅ。取り敢えずこれは教師に提出って事でいいんだよな?」
「ああ。悪いけど、それは頼む。流石にこの汚れは何とかしないといけないからな」
嬉しさと申し訳なさを混ぜ込んだ笑みを見せたクラスメイトに、頭を下げて後の処理を任せた。
ただの水ではなく、雑巾か何かで汚されていたのだ。
このままテントに戻る訳にはいかない。
とはいえ空が動けなくなるだろうと予想していたので、事前に考えていた行動に沿うだけだ。
協力してくれたクラスメイト達を見送り、葵と二人きりになる。
「せんぱい! 早くそれを脱いでください!」
「いや、出来る訳ないだろ。保健室にでも行って、事情を話して服を洗ったりするか」
葵としては今すぐ汚れた運動着を脱いで欲しいのだろうが、裸になる訳にもいかない。
とはいえ空としても着続けたくはないので、まずは移動だ。
事情を説明すれば、保健室を使わせてもらえるだろう。
ゆっくりと歩きつつ、葵の足元を見て眉を下げる。
「足に水が掛かったな。ごめん」
「元々私も思い切り水を被るつもりだったんですから、謝らないでくださいよ。まあ、庇われるって話に落ち着きましたけど」
「当たり前だろ。なーんでわざわざ被害に遭おうとするかねぇ……」
「あのクソ共を騙すには一緒に水を被るのが一番でしょう? せんぱいの傍に居ないと怪しまれますし」
「……そうだけどさ」
水が葵に掛かるだけでも許せないのに、体育祭の間は運動着なのだ。下手をすると下着が透けて見えてしまうかもしれない。
そんな光景を、誰にも見せたくなかった。
だからこそ喫茶店で葵と揉めに揉めてしまい、周囲が微笑ましいものを見るような目をしていた事を思い出す。
結局お互いの要求をすり合わせた結果ああいう行動になったが、未だに納得はしていない。
唇を尖らせれば、彼女が嬉しそうにはにかんだ。
「まあでも、ありがとうございます。かっこよかったですよ」
「男として当然の事をしたまでだ」
「ふふ、そういう所もかっこいいですね。…………まあ、あのクソ共は絶対許しませんけど」
一瞬で表情を変え、目元を暗くする葵が傍に居てくれる事が嬉しくて、小さな笑みを落とすのだった。




