第67話 衣替え
新学期最初のテストが終わり、六月に入った。
朝飯を摂り終えて教科書等の忘れがないかを確認し、葵が来るのを待つ。
入学式の数日後から彼女と一緒に登校するようになってから、これが空と葵の当たり前になっていた。
ソファでぼうっとしていると呼び鈴が鳴ったので、鞄を持って玄関に行く。
扉を開ければ、今日も今日とて溌剌とした笑みを浮かべた葵が居た。
「おはようございます、せんぱい!」
「おはよう、葵」
「早速ですが、どうでしょうか!」
ご機嫌な葵が、空の目の前でくるりと一回転する。
突然の行動に驚きはしたが、理由はすぐに察せた。
「夏服も似合ってるぞ。まあ、その、可愛い」
スカート丈はこれまでと変わらないものの、半袖から伸びた肌の白さが眩しい。
家でも半袖を着ているのだが、制服姿だとより眩しさが強調されている気がする。
服の感想とはいえ素直に褒めるのが恥ずかしくて視線を逸らす。
それでも、葵のにへらと溶けるように眉尻を下げた笑みは視界に入っていた。
「ありがとうございます! えへへ。せんぱいに感想を言ってもらうの、いいですね」
「大したもんじゃないけどな。ほら、行くぞ」
「はーい」
空の貧相な語彙でも葵は喜んでくれる。
間延びした声を漏らした葵とマンションの外に出ると「あ」と隣から声が聞こえた。
「感想が嬉しくて後になっちゃったんですけど、せんぱいも夏服似合ってますよ」
「ただのシャツだろうが」
「それが良いんですよ。『男の人!』って感じです」
「俺、ちょっと背が高いだけで筋肉質じゃないんだけどなぁ……」
空の夏服のどこに男らしさを感じるのか、さっぱり分からない。
おそらく、一生分からない感覚なのだろう。
「それを言うなら、葵は『女の子』って感じだぞ」
「はえっ!? な、何でですか!?」
葵は自らの容姿の良さを自覚しているので、この程度では照れないと思っていた。
しかし予想に反して頬を朱に染め、目をあちこちにさ迷わせている。
珍しい姿が彼女の可愛らしさを引き立たせており、つい笑みが零れた。
「腕ほっそいし、肌が白いからかな。日焼けに気を付けろよ?」
「その、ありがとう、ございます。ひ、日焼けに関しては、ちゃんと対策してますので」
「そりゃあ女子だから対策するよな」
男であれば殆どの人が無対策だろうし、空とて何もしていない。
女子の苦労が垣間見えて苦笑すれば、葵がおそるおそるといった風に口を開く。
「もしかして、肌を焼いてる方が好みですか?」
「何でそうなった」
「だって日焼け対策してるって言ったら、残念そうだったので」
「んな訳あるか。こういう時は女子の方が大変だよなって思っただけだ」
空の反応を見て、変な方向に考えてしまったらしい。
勘違いを訂正するが、葵の顔は曇ったままだ。
「まあ、そりゃあ大変ですけども」
「だよな」
「それはそれとして、焼いてる方が良いんですか?」
「結局話が戻るのな」
どうやら、空の好みを聞かないと話が進まないようだ。
諦めて沸き上がる羞恥を押し込め、口を開く。
「焼いてない方が良いな。あくまで俺の好みだけど」
「なるほど、参考になります」
「それに葵は肌が凄く綺麗みたいだし、それなら白い方が嬉しい、かな」
焼いている人の肌が荒れていると言うつもりはないし、葵ならば焼いてもきちんと肌の手入れをするだろう。
それでも、彼女には肌を焼いて欲しくなかった。
気恥ずかしくて正面を向きながら感想を述べれば、視界の端で葵が顔を俯ける。
「さんこうに、なります」
「俺に合わせる必要はないからな」
「合わせます。ありがとうございました」
「……まあ、葵がそれでいいなら構わないけどさ」
絶対に意見を曲げないという葵の発言に苦笑を零し、会話が途切れた。
いつもならお互いに黙っていても平気なのに、今は何となく気まずい。
話題はないかと思考を巡らせると、一つ思いついた。
「そうだ。六月末に体育祭だぞ」
「体育祭ですか。ぶっちゃけあんまり興味ないんですよねぇ……」
「話題にした俺が言うのも何だけど、同じくだな」
葵は普段明るいので、行事の際にテンションを上げるタイプに見える。
けれど中学時代の彼女や家でのんびりしている姿を知っているので、案外こういう時はひっそりとしている質だ。
話題に失敗したかと眉を下げる。
「因みに、葵って運動が出来るのか?」
「人並みですかね。可もなく不可もなくって感じです」
「成程。なら尚更体育祭は楽しめないな」
何となく運動神経抜群だと思っていたが、現実は違うらしい。
指摘する気はなく肩を竦めれば、葵が興味の目で空を見つめる。
「そういうせんぱいはどうなんですか?」
「俺も並みだぞ。至って普通だ」
「じゃあお揃いですねぇ。……折角なので聞いちゃいますが、体育祭のお昼の予定は?」
「昼? ああ、そういう事か」
遠回しな言葉だったが、葵の気遣わし気な表情から何を言いたいのか察せた。
体育祭と言えば、殆どの人は家族が来る。
しかし、葵は実家を追い出されているようなものだ。当然ながら、家族が来るはずがない。
ならば同じマンションに住み、明らかに家庭事情に訳アリの空がどうなのか、気になったようだ。
別段隠す気もなく、あっさりと答える。
「生憎と一人だな。来てくれるような奴はいないぞ」
「なら体育祭の日も一緒にご飯食べませんか? 付き合ってるって言いふらしてますし、誰も文句は言わないでしょう」
「いいな、それ。折角だし、豪華な弁当にしてもいいかもな」
「賛成です! 重箱とかどうでしょうか!」
「一段はおにぎりだけにして、でも具は変えて――」
ほんの少しだけ漂っていたしんみりした空気を消すかのように、昼飯の話で盛り上がるのだった。




