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第62話 学生の本分

 ゴールデンウィーク明けに葵と付き合っているという嘘の噂を流して、二週間が経った。

 未だに嫌がらせへの対策はしているものの、呼び出されたりする事はない。

 散々空への嫌がらせしていたクラスメイト達は肩身が狭くなったようで、休み時間の度に教室の端で固まっている。

 とはいえ偶に空を憎悪を込めた目で睨んでおり、綺麗さっぱり解決した訳ではなさそうだが。

 そんな取り敢えずの平穏を手に入れた空は、葵と向き合って黙々と手を動かしていた。 


「「……」」


 普段であれば空が勉強している時にゲームをしている葵も、珍しく机に向かっている。

 勿論、勉強の楽しさに目覚めたのではなく、もう少し経つとテストがあるからだ。

 学生の本分は勉強であり、こればかりは逃れる事が出来ない。


「……よし、こんなもんだな。葵はどうだ?」

「う゛ー。全然頭に入ってきません」

「無理に詰め込もうとしても仕方がないからな。夜も遅いし程々に切り上げろよ?」

「そうしたいのは山々なんですが、そういう訳にもいかないんですよ……」


 苦笑の中に必死さを宿し、葵が項垂れた。

 彼女は空がバイトに行っている間に勉強しているとの事だが、長時間勉強してはいないと睨んでいる。

 普段あまり勉強しない人が、いきなり勉強をぶっ通しで出来る訳がないのだ。

 しかし手を止めない葵の姿と、以前空の成績を聞いた時の曖昧な態度から、空は一つの閃きを得る。


「もしかして、結構成績が悪かったりするか?」

「はうっ!? …………まあ、隠してもしょうがないですのでぶっちゃけますが、入試の際は多分ギリギリ合格でした」


 体を跳ねさせ、それからしゅんと肩を落とした葵。

 おそらくは成績が良くないのを、悪い事だと思っているのだろう。

 もしくは、空の成績と比べて落ち込んでいるのか。

 そんな葵へと、柔らかい微笑を向ける。


「そうなのか。赤点取りそうか?」

「赤点を取る程じゃないんですけど、その少し上くらいになると思います」

「ならいいじゃないか。そりゃあ赤点を取らない程度には勉強すべきだとは思うがな」


 赤点を取ってしまえば進級に関わってしまうので、流石にそれは避けなければならない。

 葵は少々危険のようだが、この様子だと赤点を取っては駄目だという自覚はあるだろう。

 ならば心配は要らないと流せば、葵が蒼の瞳を見開いた。


「それだけ、ですか?」

「ああ。他に何か言われたかったのか?」

「言われたかったというか、『ゲームなんてせずに勉強しろ』とか『何で赤点に近いんだ』とか言われるのかと……」

「はぁ……。俺、前に言ったよな? 頭の良さだけで人を評価しないって」


 盛大に溜息をつき、葵をじとりとした目で睨む。

 葵の過去を聞いた今では、勉強が出来ない事で空に見捨てられないか不安なのだと分かる。

 けれど、彼女を見捨てる事など有り得ない。空が変えてしまった少女の味方をすると誓ったのだから。

 

「だから、赤点が近くても気にしない」

「そ、そうですか。ありがとう、ございます」

「色々あったんだろ? ……身に合ってないレベルだって分かってても、うちの高校を受けさせられたとか、な」


 あまり身の上話をするのは良くないと思い、小声で話した。

 話したくなければ無視して欲しいという願いを感じ取ったようで、葵が柔らかく目を細める。


「そうですね。『絶対に合格しろ。合格しないと金は渡さない』って言われて、もー必死に勉強しました」

「……大変だったな」


 過去に色々とやった葵に十分な金を渡すだけマシ、と言う人も居るのだろう。

 けれど、空は全くそう思わなかった。

 金さえ渡して普通の生活させれば、血の繋がった者としての義務を果たしていると思っているようなものだから。

 胸の鈍い痛みを無視して励ませば、葵が疲れ切ったように息を吐き出す。


「はい。改心するまで全然勉強してなかったですし、最初は担任の先生に『絶対無理』って言われましたからね」

「なのに合格したとか、滅茶苦茶頑張ったんだな」

「頑張って合格したのはいいんですけど、結局底辺レベルなのであんまり喜べないですねぇ……」


 あはは、と乾いた笑いを零すあたり、結構な悩みなのだろう。

 だからといって毎日遅くまで勉強するのは性格的に無理のようだし、そんな事をさせるつもりもない。

 しかし、このまま放っておく事も出来なかった。


「なら、今度の週末にガッツリ勉強するか? 来週の頭からテストだし、一夜漬けのような感じで二日間だけの追い込みだけど」

「そうですねぇ……。今から毎日遅くまで勉強するのはしんどいので、出来ればその方向で行きたいです。二日だけなら耐えられるはずです、多分、きっと」


 遠くを見るような目で告げられたので、休日の追い込みは出来ればしたくないようだ。

 けれど赤点を取るかもしれないと分かっており、決して拒否はしない。

 冷静に現状を把握出来る葵は、決して頭の回転が悪い訳ではないのだろう。


「おっけ。ならその時は分からない所があれば何でも聞いてくれ。これでも成績上位者だからな」

「成績上位者っていうか学年一位でしょうに。というか、質問して大丈夫なんですか?」

「勿論。今回は葵の成績を上げる為の追い込みだ。遠慮すんなよ」

「で、でも、そうするとせんぱいの成績が下がりませんか?」

「別に多少下がっても問題ないし、絶対に一位を取るつもりもない。そもそも、俺はテスト前だからって一夜漬けしないからな」


 あくまでも良い成績を取りたいと思っているだけで、目標がある訳ではない。

 それに、普段から予習復習をしているのだ。空だけならば、休日はほんの二時間程度勉強を増やすだけでいい。

 大した事はしないと肩を竦めれば、可愛らしい顔立ちがぴしりと固まった。


「これが強者の余裕……。逆立ちしても敵わない絶対的な強さ……」

「何言ってんだか。それで、やるか? やらないのか?」

「や、やります! やらせてください!」

「分かった。じゃあ今日の勉強はこれでお開きだ。片付けていつも通りだらだらしようぜ」


 現在、葵が課題ではなく自主的な勉強で頭を悩ませているのは分かっている。

 なので、勉強を再開する意味はない。

 てきぱきと自身の勉強道具を片付けつつ告げれば、葵が嬉しいような困ったような、何とも言えない微笑を浮かべた。


「私に甘いような、でも追い込みは掛けるので厳しいような……」

「甘くはないだろ。結局葵に勉強させるんだからな」


 空が本当に甘いのならば、葵に勉強をさせない。

 彼女は彼女なりに、本当に赤点を取りそうならば自主的に勉強をするだろうから。

 なので空の提案はお節介のようなものだ。

 さらりと自己評価をすると、葵は小さく首を振る。


「そんな事はありません。私の為を思って提案してくれたんですし、せんぱいは甘厳しいですね」

「……変な言葉を使うなって」


 曇りのない眩しい笑顔をぶつけられ、心臓がどくりと跳ねる。

 葵の顔を見ていられず、視線を逸らして勉強道具を自室へ持って行くのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 肩身が狭くなったようで。教室の隅で、拗ねちゃうぞ……チラッて視線を向けてくるのか。構って欲しい、のか? どうにか精一杯の抵抗をする姿を女性陣に目撃されて白い目で見られてそう。前原一人が悪目…
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