第59話 ゴールデンウィークの終わり
ゴールデンウィーク中は葵が深夜を過ぎても空の家に居るのが当たり前になり、彼女と過ごす時間がいつもより増えた。
そんなゴールデンウィークはあっという間に過ぎて、最終日に軽く部屋を片付けてのんびりしていると、玄関の鍵が勝手に開いた。
誰が来たかなど分かり切っているので焦る事はなく、リビングに来た人物へと微笑みを向ける。
「こんにちはだ、葵」
「こんにちは、せんぱい! お邪魔しますね!」
鍵を使って空の家に入るのには慣れたらしく、葵はいつも通り屈託のない笑顔を浮かべていた。
そんな彼女は勝手知ったる我が家のように、冷蔵庫から作り置きのお茶を取り出した。
コップを棚から取り出してリビングまで持ってくる流れには、空への遠慮など全く見えない。
「ぷはぁ! 生き返りますねぇ!」
「生き返るような事をしてたのか?」
「はい。最近せんぱいの家で過ごしてはいますが、私の家を放置してる訳にもいきませんからね。ゴールデンウィーク最終日ですし、折角なので掃除してました」
「なんだ、葵もか」
どうやら考える事は同じだったらしい。
くすりと笑みを零せば、美しい蒼の瞳が僅かに見開かれ、それから嬉しそうに細まった。
「ふふ、お揃いですね」
「掃除するタイミングが一緒なのをお揃いって言うのは違うと思うぞ……」
「そうですか? 別にいいじゃありませんか、減るもんじゃないですし」
「ま、そうだな」
他愛ない話をしつつ、お互い好き勝手に過ごす。
そんな中で、葵に伝えなければならない事を思い出した。
「そう言えば、さっき晶に俺達の事情を伝えたぞ。『好きにしたらいいんじゃない?』だってさ」
「私も朝陽に伝えましたが、特に意見は無かったですよ」
「よし、これで準備は万全だな」
明日から学校で空と葵が付き合っていると言いふらす事になる。
その際に親しい間柄である晶と朝陽が驚くと、周囲に空と葵の関係を疑われかねない。
しかし嘘をつくのが嫌だったので、二人には事前に真実を伝えたのだ。
最終的に晶は投げやり気味な言葉を口にしたものの、その前に『ふうん……』と何か言いたげな呟きを落としていた。
とはいえ晶にしては珍しくそれ以上何も言わなかったし、話を合わせてくれるとの事なので、朝陽の方も含めて口裏合わせは万全だ。
取り敢えず一段落だと胸を撫で下ろした空と違い、葵が目にぎらついた何かを宿す。
「ですねぇ。あのクソどーーこほん。むかつく先輩達にこれで思い知らせる事が出来ます」
「頼むから、大事にはしないでくれよ?」
葵の口が悪い事など既に知っているのだが、それでも言い直したあたり気にしているのだろう。
物騒な発言に頬を引き攣らせるが、彼女はにんまりと笑って首を振る。
「駄目です。最初の一発はインパクトが無いと、牽制にならないじゃないですか」
「何をするつもりなんだ……」
「そうですねぇ。取り敢えずは、朝陽と同じ事をしようかと」
「和泉と? ……そういう事か」
朝陽が空のクラスメイトに何をしたか。約一ヶ月前の事ではあるが、忘れる訳がない。
空の為ではあるものの、それでも大胆な行動をする葵に苦笑を零した。
「駄目とは言わせませんよ?」
「言う訳ないだろ。むしろありがとな。お礼になるか怪しいけど、告白を断る時に俺の名前を出していいからな」
葵は有名人であり、何度か告白もされている。
明日から空の恋人だと触れ回るが、それでも彼女は望まない告白を受けるだろう。
力になれればと思って提案すれば、葵の顔が安堵に彩られる。
「滅茶苦茶助かるので、遠慮なくせんぱいの名前を使わせてもらいますね」
「しつこい奴とかいそうだからな」
「そうなんですよねぇ……。少なくとも、これからは『友達からでいいから! 皇も友達なんだろ?』とか言われずに済みます」
「そりゃあまた何とも断り辛いな」
葵が空を特別扱いした結果、告白を断るのにまで影響が出るとは思わなかった。
渋面を作ると、葵が不満そうに鼻を鳴らす。
「そうなんですよ。勝手にせんぱいと同等だと思わないでくださいって感じです。ま、絶対に同等になんてなれないんですけどね」
「……さんきゅ」
偽ではあるものの、恋人になっているのだから誰も空と同じ立場にはなれない。
分かってはいたが改めて言葉にされて、胸に温かなものが沸き上がる。
微笑を零し、愚痴に火が付いた葵の言葉を受け止めるのだった。
バイト後は最早いつも通りとなった空の家で晩飯を摂った。
そして好き勝手に過ごしていたが、深夜近くなったためゲームに熱中している葵に声を掛ける。
「葵、そろそろ時間だぞ」
「うえー、もうですか。早いですねぇ……」
露骨に嫌そうな顔をした葵だが、明日から学校が再開されるからか駄々を捏ねずに立ち上がった。
勉強道具等、持ち帰る物を纏める彼女を待つ事なく玄関に向かう。
ゴールデンウィーク前と違って玄関の外に出て、人が居ないかを確認した。
そのまま扉を開けて待っていると、苦笑を浮かべた葵がやってくる。
「隣の家に帰るだけなんですし、そんなに警戒する必要ないじゃないですか」
「ある。そんな薄着で外に出るんだ。誰かに見られたらどうするんだよ」
葵が空の家でラフな格好をするのは構わない。
しかし数十秒だとしても、そのままの格好で外に出るのは危険過ぎる。
マンションの通路なので不審者は居ないが、誰かと鉢合わせする可能性はあるのだから。
なので葵がラフな格好をし始めてから、空が先に外に出て周囲を警戒するようにしている。
「心配症過ぎませんか?」
「それくらいでちょうどいいだろ。ほら」
「はーい。お邪魔しましたー」
移動するように促せば、葵が間延びした声を上げて空の家から出た。
すぐに隣の家の扉の前に立ち、鍵を開けて中に滑り込む。
その途中で、首だけを外に出した。
「おやすみなさい、せんぱい。明日から頑張りましょうね」
「おやすみ、葵。迷惑掛けるけどよろしくな」
優しい我儘によって、空を嫌がらせから救ってくれるのだ。
何度もお礼は言っているので今回は前向きな発言をすれば、ふわりと柔らかな笑みが向けられる。
「こちらこそですよ。それじゃあ」
鉄の扉が閉まったので、空もすぐに家の中へと戻る。
しかし、葵の家へと視線を向けて小さな笑みを落とした。
「ホントにありがとな、葵」
もう何度目かも分からない、感謝の言葉が夜の空気に紛れるのだった。




