第58話 無防備な服装
空の家に置いている下着を見ていいという葵の爆弾発言を受けて動揺してしまったが、何とか落ち着く事が出来た。
そうなると、次は彼女の服装が気になってしまう。
「今更だけど、それが自分の家に居る時の服装か?」
「ですねぇ。これが一番楽なんですよー」
へらっと気の抜けた笑みを浮かべた葵は、シンプルな半袖シャツを着ていた。
下側は今は見えないが、空が帰って来た時に見たのは上と同じくこれまたシンプルなハーフパンツだった。
春も終わりなので、長物を着るのは嫌だったのだろう。
結果として、真っ白なふくらはぎが思い切り曝け出されているのだが。
「これまで毎日せんぱいの家に行く時は、そこそこマトモな服を着てましたからね。意外ですか?」
「別に。俺だって風呂上がりは似たような服を着てるし、誰だって家では楽な服を着たいだろ」
美少女だからといって、部屋着にまで気を遣っているとは思わない。
それどころか、簡素で楽な服を好んで着る事に共感が持てる。
こんな服を着てくれるようになったという事は、ここを第二の家と思ってくれているのだろう。
問題は、絶対に手は出さないものの無防備過ぎて心配なくらいか。
「でも、男の家って事は忘れないでくれよ?」
「忘れる訳ないですって」
「じゃあ多少視線を向けるくらいは覚悟してくれ」
いまいち危機感を持っていない気がする葵に、釘を刺すという意味でも忠告した。
美少女がラフな姿でいるのだ。視線を向けるのは男の性と言っても良い。
流石に引かれるかもしれないと考えていたのだが、葵はこてんと無垢な顔で首を傾げる。
「こんな服を着てる私を見て、何か得があるんですか?」
「……まあ、あるっちゃあるな」
葵はかなり男から言い寄られているはずなのに、今の自分が魅力的な姿をしている自覚が無いらしい。
目の保養かつ毒だというのを素直に認めたくなくて、視線を逸らしながら答えた。
警戒してくれた方が助かるのだが、葵はほんのりと頬を染めながらはにかむ。
「着替えろって言われたらいつもの外行きの服に着替えるつもりでしたけど、意外に好印象なんですね」
「そう、だな」
「では気の済むまで見ていいですよ。あんまり私は良さがよく分からないですけど」
どうぞ、と言わんばかりに葵が手を広げた。
あまりの無防備さに、大きな溜息を落とす。
「まあ、その、ありがとう。でも、良さが分からないか。そうだな……」
どうにかして、無防備な姿も良いものだと葵に教えなければ。
思考を巡らせると、全く同じ感想にはならないだろうが一つ案を思いついた。
「葵は俺が昨日みたいな外行きの服を着てたらどう思う?」
「そりゃあかっこいいです。昨日も言ったじゃないですか」
何の迷いもなく、当たり前のように褒められて羞恥が沸き上がる。
葵の目を見ていられず、そっぽを向いて緩みそうになる頬を抑えた。
「……どーも。なら、俺が風呂上がりにラフな服を着てるのは?」
「あれはあれで良しです。ラフな姿のせんぱいも素敵ですよ」
「すげぇあっさり褒めるのに、どうして逆は想像出来ないんだ……」
空のラフな服の感想など「普通」くらいかと思ったのだが、想像以上に好印象だったらしい。
何故だか負けた気がして、項垂れて落ち込むフリをしつつ頬を炙る羞恥を消し去ろうとする。
どうしたものかと頭を抱えていれば「あ」と何かに気付いたような声が耳に届いた。
「も、もしかしてそういう事ですか!?」
ちらりと顔を上げれば、葵の真っ白だった頬が湯気が出そうな程に赤く染まっている。
空がどういう気持ちなのか思い知って欲しかったのは確かだが、ここまで過剰な反応をされるとは思わなかった。
「……いやまあ、俺の部屋着はもうちょっと評価が低いと思ってたけど、分かってくれて良かったよ」
「は、はい」
「それで、恥ずかしいならこの後着替えるか?」
「着替えはしないです。せんぱいが、気に入ってくれてるみたいなので」
甘さを帯びた笑顔が、空の心臓を擽る。
もう一度葵のラフな服装を褒められる気がせず、再び晩飯にとりかかる。
先程までと全く同じ味なのに、どこか甘い気がした。
「あ、そうだ。お風呂はもう沸いてるので、すぐに入れますよ」
晩飯の片付けを終えて浴槽に湯を張ろうとした空へと、そんな声が掛かった。
どうやら葵が空の帰ってくる時間に合わせて準備してくれたらしい。
「助かる。ありがとな」
「いえいえ。というか勝手に風呂の準備しましたけど、大丈夫でしたか?」
「汗を流していいって言ったんだ。これで風呂の準備をするなは理不尽過ぎるだろ」
「そう言ってくれると助かります。それともう一つ、ちょっとだけ事後承諾で申し訳ありませんが、提案がありまして……」
何故か葵が頬を紅色に染め、気まずそうな声を発した。
こういう場合は大抵ロクな提案じゃないのは、既に分かっている。
「……取り敢えず言ってみろ」
「洗濯物、一緒に洗っていいですか? ほ、ほら、せんぱいってバイトしてますし、折角なら早く帰ってくる私がした方が良いかもしれないなーと思いまして」
空はそれなりの頻度でバイトをしており、毎日洗濯するのは現実的ではない。
なのである程度纏めて洗濯していたのだが、葵はそれを気にしてくれたようだ。
(まあそれは建前で、本心は纏めて洗濯したいんだろうな。…………服とか、下着とか)
空の家で汗を流した場合、汚れた服等は当然ながらそのままにはしておけない。
だからといって、葵の家に持って帰るのは面倒臭いのだろう。
言葉の裏を見抜く事は出来たが、正面から指摘するのはどう考えても駄目だ。
正直なところ洗濯してくれるのが助かるのもあり、平静を取り繕いながら頷く。
「まあ葵がそれでいいなら。一応聞くが、俺が洗濯物を取り込んだら駄目だよな?」
「だ、駄目です! 私がしますので、せんぱいは触れちゃ駄目ですからね!」
耳まで真っ赤にしているので、干している下着に空が触れて欲しくないらしい。
それならそれで構わないが、別の問題が発生する。
「そうか。因みに、俺の下着も洗濯してくれるって事でいいんだよな」
「したっ……!? せんぱいの!?」
「そりゃあそうだろ。まあ、俺は見られたり触られてもいいけど、葵は大丈夫か?」
洗った下着など所詮は布だ。葵に触られても何も思わない。
しかし葵がどう思うか分からず確認すれば、彼女はわたわたと体の前で手を振る。
「えっと、その、あの!」
「…………取り敢えず俺は風呂に入るから、ゆっくり考えてくれ」
「はいぃぃぃ……」
明らかに一杯一杯になった葵に落ち着くように促せば、真っ赤になった頬に手を当てながらソファに退散していった。
空は脱衣所に向かったものの、何となく洗濯物を入れている籠に視線を向けてしまう。
パッと見ただけならいつも通り空の服しか入っていないが、葵の台詞からすると彼女の下着類が紛れ込んでいる可能性が高い。
どくどくと心臓の鼓動が早くなり、頭が沸騰しそうになる。
「いやいや、これで興奮するとか変態か。流石にそれは無いだろ」
頭を振って煩悩を追い出し、風呂場に入る。
今まで無かったシャンプーのボトル等が視界に入り、葵が空の風呂場を使ったという実感が襲ってきた。
「あーもう。落ち着かねぇ……」
どくどくと心臓の鼓動が弾む中、無心で汗を流して風呂から上がる。
髪と肌の手入れを終えてリビングに戻れば、未だに顔を真っ赤にしている葵から「せんぱいの下着も、洗濯します」と告げられたのだった。




