第53話 救われた者、押し付けてしまった者
「あの女の子がまさか朝比奈だったとはなぁ」
葵との最初の出会いを振り返り終え、苦笑を零す。
目元は髪に覆われてあまり見えなかったし、そもそも髪の色が違っていたのだ。
金髪に蒼目という目立つ容姿なので忘れる訳がないと思っていたが、あの容姿なら納得だ。
随分変わった――というより容姿は元の色に戻しただけのようだが――ものだと唇の端を緩めれば、玄関から呼び鈴の音が聞こえた。
「意外と早かったな」
早めに帰ってきたお陰で、まだ晩飯を作るには早い時間だ。
なので別れ際にフォローしたとはいえ、葵が来るのは晩飯の直前だと思っていた。
勿論、すぐに来てくれた彼女を追い返すつもりなどなく、玄関の扉を開ける。
未だに少し落ち込んでいるようだが、それでも葵は小さな笑みを浮かべていた。
「……入っても、いいですか?」
「ああ」
葵を家に招き入れ、リビングに向かう。
特に何をするでもなくソファに座ると、葵も隣に腰を下ろした。
暫く口を開いては閉じてを繰り返していた葵だが、ようやく「その」と不安に彩られた声が耳に届く。
「きちんと、話しておこうと思いまして」
「何をだ?」
「どうしてあんな事をしていたのか、とか。髪を黒くしていたとかを、です」
「別に、朝比奈が話したくなかったら話さなくていいぞ」
「え?」
何を言われたのか分からない、という風に葵が首を傾げた。
彼女は何故か空に話さなければならないという使命感を持っているようだが、それは間違っている。
「さっきも言ったけど、俺は朝比奈と出会った時の事を思い出しただけで満足だからな」
「いいん、ですか? 気にならないんですか?」
「そりゃあ気になる。でも、無理強いするもんじゃないだろ」
髪を染めるなど、どう考えても訳アリだ。
それを無理矢理聞くのはマナー違反だろう。
興味が無い訳ではないと軽く説明しつつも、肩を竦めて苦笑を浮かべた。
「勿論、朝比奈が聞いて欲しいと言うなら聞く。でも、俺から聞いたりはしない」
葵に選択権を委ねれば、彼女が嬉しそうに頬を緩める。
家に帰って来るまでの不安に彩られた表情は、とっくに無くなっていた。
「なら、つまらない話ですけど聞いてくれますか? せんぱいに、聞いて欲しいんです」
「ああ」
「あのクソーー失礼しました。あいつらも言ってましたが、私のこの髪と瞳の色って元々なんですよね」
「みたいだな」
本当に苛立った時の口の悪さを見せた葵に、苦笑を零す。
とはいえそれは彼女が調子を取り戻した証拠だ。
「そのせいで、小さい頃から悪目立ちしていじめられてたんですよ。外国人の顔立ちならまだ納得出来てたんでしょうけど、思いっきり日本人ですから」
「そういうのは目の敵にされやすいからな」
「はい。なので、この髪と瞳が大っ嫌いだったんです。……なのに、家族はそれを全く理解してくれませんでした」
「…………そう、なんだな」
全てを諦めたような葵の表情に、昔を思い出して胸が痛む。
けれど今は自分の事ではないと痛みを押し込めた。
「この金髪と蒼色の瞳って、祖母譲りなんです。……自分にも他人にも厳しい人でした。その祖母が同じ容姿の私に、同じようになれるのを期待したんです」
「なのに朝比奈は虐められて心が折れて、髪も瞳も嫌いになった。それが祖母からしたら許せなかったんだな」
「はい。『自分と同じなのにどうしてそんなに弱いのか』、『どうして誇らないのか』って何度も何度も言われましたよ」
「……その、朝比奈の両親は? 祖母に反論しなかったのか?」
全く両親の話が出て来なかったので踏み込んでいいのか分からなかったが、気になって仕方がなかった。
葵が少しでも嫌がるなら質問を取り下げようと思ったのだが、彼女はあっさりと口を開く。
「私の家では祖母が一番立場が上なので、無理でしたね。むしろ『それは葵が乗り越えるべき壁だ』って関与しなかったくらいです」
「…………そうか」
家族からすれば背中を押したつもりなのかもしれないが、葵はそんなものを求めていなかった。
ただ、助けて欲しかった。寄り添って欲しかったのだ。
なのに一人で立ち向かえと言われれば、自らの容姿を嫌いになるのは当たり前だろう。
「でも、昔の私はこの髪も瞳も本当に大っ嫌いで。だから色を変えて、目元を髪で覆ったんです。家族から逃げたかった。同じ容姿である事を忘れたかったんです」
「そういう事だったのか」
約一年前に聞いた、葵のつぶやき。
その意味が理解出来たと同時に、髪の色を変えたり等で変わった彼女がどうなったか、容易に想像がついて眉間に皺を寄せた。
「滅茶苦茶怒られただろ、それ」
「あいつらと一緒に夜遅くまで遊ぶようになりましたし、そりゃあもう凄かったです。で、家にお金だけはあったので、それを渡されて完全に私を無視するようになりました」
髪を黒く染め、目元を隠すような臆病者は家族ですらない。
唯一の救いは十分な金を渡された事だろうが、あまりにも無情過ぎる。
「そうして家族から見放され、虐めに怯えたまま中学生になって、あいつらと出会ったんです」
「確か、最初は普通の友達だったんだっけ?」
「はい。それにクラスの女子の中でも影響力がある奴らだったので、最初は虐められる事もなく平穏でしたよ」
「それが、いつの間にかお金をたかられるようになったと」
「私があいつらのグループに入れて欲しいと最初にお願いしたからでしょうね。『一緒に居るなら分かってるよね』って言われましたよ」
「…………クソだな」
最初はどうだったのか分からない。もしかすると、本当に葵を友人だと思っていたのかもしれない。
けれど最後は葵を金づるとしか見なかった。
胸を満たす苛立ちのままに悪態をつけば、葵がくすりと小さく笑んだ。
「本当に、そうですね。でも、私はそれに縋るしかなかった。もう一度虐められたくなかったので」
「なのに、あの日裏切られて一人になったんだな」
「ぶっちゃけあの時は途方に暮れてましたね。…………でも、せんぱいが助けてくれた。せんぱいに出会えた」
先程までの諦めた表情を歓喜を込めた微笑に変え、葵が空を見つめる。
「せんぱいの言葉で、目が覚めたんです。あんな奴らに、他人に縋る必要なんかない。寄り添ってくれなかった家族に頼るのは間違っていると、ようやく分かりました」
「そう、だな」
空とて同じ考えをしているし、この考えを変えるつもりはない。
だからこそ葵の発言を否定出来なかったが、他人の口から放たれた事で、どれほど悲しい発言なのか分かってしまった。
彼女は空の考えに一利あると思って受け入れたのだろうが、他人に自らの考えを押し付けたのと変わらないのだから。
とんでもない言葉を送ってしまったと自覚し、後悔という名の棘が空の心を苛む。
「それからは髪の色を戻して髪型も変えて、誰にも頼らず一人で行動するようになりました。その結果また虐められましたし、家族にも見捨てられたままです」
「……そうか」
葵は変わっても、周囲は何も変わらなかった。
それどころかより葵へ辛く当たり、家族に至っては遠ざけようとしたのだ。
心に刺さった棘が空の心を抉り続け、短い言葉しか返せなかった。
「最終的に追い出すように実家から遠い高校を受けさせられて、ここに来たんです。まあ、別にその事を恨みはしていません。今もそこそこのお金をもらってますし」
「そうなのか?」
お金をもらっているとはいえ、未だに家族と認められていないようなものだ。
けれど葵の顔には負の感情など見えず、むしろ清々しさすら見える。
「はい。家族の期待を最初に裏切ったり、あいつらに利用された私の自業自得だったので。でも、一つだけ気掛かりがあったんです」
「それは?」
「引っ越してしまえば、せんぱいに頑張った結果を見せられなくなる事です。ああやって会えたのだから、近くに住んでると思ってたので」
「それは、すまん。あの時にはもうここに居たんだ」
葵はどうやら空と再会したかったようだが、あの時は実家に呼び出されただけだ。
彼女に期待を持たせてしまったと今更ながらに謝罪すれば、首を横に振られる。
「せんぱいが謝る必要なんかないです。……まあ結局せんぱいに再会出来ないままこっちに引っ越す事になって、結構落ち込んでたんですが」
「でも再会出来たから、あんなに喜んだんだな」
「ですね。最初はそりゃあびっくりしましたよ」
もう会えないと思っていた人と、引っ越した先で出会う。それは、恐ろしく低い確率だ。
再会した時に、葵が呆然としていたのも無理はない。
恥ずかし気に苦笑する葵を見ていると、ふと疑問が浮かんだ。
「ここまで来た理由も、朝比奈が色々と変わった理由も分かった。でも、何であいつらに怯えてたんだ?」
「昔の情けない私を思い出して欲しくなかったからですよ。私が一番嫌なのは、私の目を覚まさせてくれたせんぱいに『変わっていない』、『そんなに弱い奴だったのか』って言われて見捨てられる事なんですから」
「そんな事、思う訳ないだろうが」
葵と再会してから普通ではない関係を持ち、彼女がどれほど努力してきたのか空は身を持って思い知った。
決して虐めに屈しない強い心。料理のような初めて行う事であっても絶対に諦めない姿勢。
それらは、最初に葵に会った時に彼女が持っていなかったものだ。
迷いなく断言すれば、彼女が柔らかく目を細めた。
「……本当に、ありがとうございます。せんぱい」
安堵に彩られた微笑は、葵の不安が晴れた事を意味している。
決して悪い表情ではないのに、その笑顔が空の胸を締め付けるのだった。




