第50話 過去との邂逅
「はぁ……」
葵とかなりの数の店を渡り歩き終え、今は休憩所で一息ついている。
思いきり溜息をつけば、隣で水を飲んでいる葵が苦笑気味に笑んだ。
「結構連れ回しちゃいましたからね。大丈夫ですか?」
「大丈夫――とは言えないけど、付いて行くって言ったのは俺だ。文句は無いさ」
女性専用の店にそれなりの回数入った事で、空の精神はかなり疲弊している。
しかし愚痴を言うつもりはないと笑みを返すと、葵が嬉しそうにはにかんだ。
「本当にありがとうございます。今度はせんぱいの服を買いに行きましょうか?」
「いや、いい。夏服は去年の物で大丈夫だろうし、買う予定は無いな」
「そうですか……」
残念そうに声を漏らし、しゅんと肩を落とす葵。
先程とは逆に空の服に感想を言いたいのかもしれないが、どうしてそんなに期待しているのか分からない。
首を捻りつつ、葵が持っている紙袋に視線を向ける。
「結局最初に入った店の服を買ったけど、それで良かったのか?」
「はい。大満足です」
大切そうに紙袋を抱き締めているので、余程気に入ったのだろう。
空としてもあちこち見て回ったが、最初のワンピースとパンツスタイルの服が一番似合っていたので異論はない。
とはいえ服は買い終えたし、この先の予定は白紙なのだが。
「それで、これからどうする? まだ帰るにはちょっと早いけど」
「そうですねぇ……。なら少しだけウインドウショッピングにお付き合い――」
「葵?」
特に目的など無く店を物色するつもりだった葵へと、聞き慣れない女性の声が掛かった。
可愛らしい笑顔が一瞬で凍り付き、能面のような無表情になる。
あまりの変わりように驚きつつも声の方を向けば、女子高生らしき女性達が居た。
いかにも遊んでいる風な服装をした彼女達が、葵へと近付く。
「マジで葵じゃーん! 奇遇ー!」
「久しぶりー! ゴールデンウィークだから遠出したけど、まさか会えるとは思わなかったよ!」
「やっぱりアンタは目立つね!」
気安い空気を出しつつ葵に話し掛ける彼女達とは反対に、葵の表情は全く動かない。
いつもなら澄んでいる蒼色の瞳は、濁ったように暗かった。
「……何の用?」
「何の用も何も、久しぶりに会った友達に話し掛けただけじゃん」
「そんなに怒ってどうしたの?」
「友達? ふざけないで。それに私が怒ってる理由も分からないの?」
本当に機嫌が悪い時にしか出さない低い声が、空の耳に届く。
彼女達がどういう関係なのかは分からないが、少なくとも葵はこの出会いを望んでいないのだろう。
明らかに葵は苛立っているのに、彼女達はそんなの知らないとばかりに話を続ける。
「え? もしかしてまだ根に持ってんの? マジ?」
「あれは葵のせいじゃん。私達の言う通りにしないし、翼くんに告白されたし」
「そうそう! なのに未だに根に持ってるとか、しつこいなぁ」
「……」
明らかに侮っている発言に、葵が形の良い眉をぴくりと揺らした。
どうやらひと悶着あったようだが、彼女達の発言が正しいとは思わない。
胸に黒いものが沸き上がるものの、話に割って入るには早過ぎる。
少なくとも、葵がどうしたいかを見極めなければ。
「そうだ! 折角会ったんだし、またお金貸してくれない? 今月ちょっとピンチでさー」
「私も私も!」
「いいでしょ? 友達のよしみでさー!」
「…………は?」
我慢の限界が来たようで、葵が短くも明確な拒絶の声を上げた。
続けて葵は瞳に憤怒を込め、彼女達を睨みつける。
「誰が友達なの? お金を貸す理由もないし、友達だと思ってもいない。どっか行って」
「はぁ? 何よその態度は?」
「折角前と同じような友達になってあげようってのに」
「必要ない。……せんぱい、行きましょう」
話をするのも億劫になったのか、葵がここから離れるようだ。
空としても耳障りな声を聞きたくないので、断る理由はない。
しかし先程まで傍観に徹していた空に興味が湧いたようで、彼女達の視線がこちらへと向いた。
「そういえばアンタって葵の彼氏なの?」
「彼氏出来たんだ! じゃあ男紹介してよ!」
「というか、彼氏からも葵に言ってよ。友達を大事にしろって!」
先程までの葵への発言と態度に何の疑問も持たない彼女達が、空へと媚びを売る。
葵が瞳を揺らして無表情を保っている空を見つめたが、心配は要らない。
気持ちの悪い態度が目障り過ぎて、爆発しそうな感情を抑えるのに必死になっているだけなのだから。
「恋人を金づるだと思ってるような奴と、話す事なんてない。あさ――葵、行くぞ」
空の年齢を話すのも、彼氏という勘違いを訂正するのも面倒だ。
葵に申し訳ないと思いつつも名前を呼べば、彼女の顔が歓喜と安堵に彩られた。
冷淡な対応をされた彼女達は不快そうに顔を顰めたが、付き合っている義理はない。
葵と一緒に、側を通り抜けようとする。
そんな空達へと「ねえ」といら立ちを押し込めたような声が掛かった。
「アンタが葵と付き合ってるのは、顔が良かったり、髪が珍しかったり、お金持ちな所を目当てにしてるんでしょ?」
「何だと?」
確かに葵は紛う事なき美少女だ。金色の髪が珍しいのも否定しない。
しかし葵が金持ちだという事は全く知らなかったし、自尊心を満たす為に彼女と一緒に居る訳では断じてない。
苛立ちを言葉に乗せるが彼女達は全く動じず、むしろ嘲るような笑みを浮かべる。
「アンタみたいな地味な男が葵と一緒に居る理由なんて、それしかないし」
「というか、アンタって昔の葵を知ってて一緒に居るの?」
「……やめて」
隣から聞こえてきた、弱々しい声に目を見開く。
葵の方に視線を向ければ、顔を俯けて唇を噛んでいた。
「髪を黒く染めて、しかも目元まで伸ばしてさー。地味だったよねー」
「それでもよく見たら顔が良いから男子からの人気はあったし、だから私達と一緒に居させてあげたんだけどね。まさか私が狙ってた翼くんを取られるとは思わなかったわ。マジ最悪だった」
「散々私達と夜遅くまで遊んでたくせに、急に地毛だって言う金髪に戻して優等生ぶってさ」
「そりゃあちやほやされるよねぇ。ホントむかつく」
「…………やめて」
黒髪を目元まで伸ばしていた。そして、夜遅くまで遊んでいた。
彼女達の言葉に、空の記憶が呼び起こされる。
『……はじめから、ぜんぶ、まちがってたんでしょうか』
行き場を無くしたかのような、途方に暮れている少女。
隣を歩いていたあの少女と、声を震わせている葵の姿が重なった。
思い出された記憶に驚いて固まっているうちに、彼女達は悪意を言葉に乗せ続ける。
「前と同じように、その見た目で男を誘惑したんでしょ」
「良かったじゃない。イケメンじゃないけど、男を捕まえられて」
「あ、でも葵のような根暗にはちょうどいいんじゃない? アンタのような男からしたら、金も貰えて一石二鳥でしょ」
当然のように空と葵を馬鹿にしつつ、彼女達がけらけらと笑う。
その笑い声が不快過ぎて、姿を視界にすら入れたくなくて。
何の反応もせずくるりと背を向けた。
「帰るぞ。店を回る気分じゃないしな」
「…………はい」
心の中で謝罪しつつ、葵の手を取って歩き出す。
彼女の手に触れたのは初めてだが、全く心臓は高鳴らなかった。




