第47話 言い訳無用
葵や晶、朝陽とクラスメイトの文句を言いながらバイト先へ向かい、きちんと働いてきた。
晩飯を終えて片付けを済ませれば、葵がソファに座ってぼすぼすと隣を叩く。
葵の家に来た時から微妙に不機嫌だったが、まだ機嫌はなおっていないらしい。
「まさか、座れと?」
「はい。お話がありますので」
「……今日は俺の家に行ってゲームしないんだな」
「話を逸らさずに座るんです! 今すぐに!」
「ハイ」
どうやら葵の機嫌を更に悪くしてしまったようで、蒼色の瞳が剣吞な光を帯びた。
これ以上の口答えは危険だと判断し、素直に頷いてソファに座る。
隣を見れば、葵が腰に手を当てて唇を尖らせていた。
「私が何に怒っているか、分かりますか?」
「俺が殴られても構わないって思いながら行動したからだろ? 言っとくが、これっぽっちも後悔してないからな」
校舎裏では晶に強引に話を逸らされたが、まだ空と葵の間で意見がすれ違っているのだ。
しかし、言葉を取り消すつもりはない。
改めて宣誓すると、盛大に溜息をつかれた。
「ホント、せんぱいは頑固ですね。……もういいです」
「怒ってる割にあっさり許したな」
「逆の立場なら私も同じ事をしたでしょうから」
「朝比奈は女なんだ。殴られても良いと思いながら行動するのは駄目だろ」
男女差別をするつもりはないが、男と女でどちらが殴られても平気かと言われたら男だろう。
それを他の男に強要するつもりはないので、あくまでも葵と空を比べただけだが。
真剣な声で注意すると、葵が呆れたと言わんばかりに肩を竦めた。
「……さっきの自分に対しての発言と真逆なんですが」
「それはそれ、これはこれだ。絶対にするなよ?」
「嫌ですよ。自分の事を棚に上げる人の忠告なんて聞きたくありません」
「ぅ……」
ふいっとそっぽを向かれたが、葵の言う事も一理ある。
とはいえクラスメイトに囲まれた際の対応を空が後悔していないのだから、これ以上何も言えない。
言葉に詰まって呻くと、葵が怒りを吐き出すかのように深呼吸した。
「取り敢えず、せんぱいが殴られようとしたのは置いておいて、次です」
「次があるのかよ」
「当たり前でしょう。それで、誰が誰に幻滅するんですか?」
形の良い眉を不愉快そうに歪ませて、葵が空との距離を詰める。
整った顔は不機嫌な表情も似合うのだから狡い。
内心を悟られないように上体を僅かに逸らしつつ口を開く。
「いや、あれは仮定の話であって、朝比奈が幻滅するって決めつけた訳じゃないって」
「でも、幻滅しないって明確な言葉にもしなかったですよね?」
「…………それは、その。ほら、明確な言葉にしたらあいつらが逆上するかもしれないだろ?」
少し前に風呂に入る際の事で揉めた時と同じく、葵を信用しなかったのだと告げられて、背中に冷や汗が流れた。
必死に頭を回転させて言い訳をすると、葵がこてんと首を傾げる。
完全な無表情かつ美しい瞳がガラス玉のように何も映していないので、ちょっとしたホラーだ。
「へぇ。逆上したらせんぱいを殴ってくれるかもしれなかったんですよ? それこそせんぱいの望み通りなので、なぜ明確な言葉にしなかったんですか?」
「えーっと、あーっと……。こ、心の中では朝比奈が幻滅する訳がないってちゃんと思ってたんだ!」
これ以上余計な事を言うとどうなるか分からないと、空の第六感が危険を告げる。
迷わず本心を口にすれば、葵から発せられる圧が強まり、蒼色の瞳がすうっと細まった。
「ホントですか? ちょっとでも疑ってませんよね?」
「疑ってないって! 言い方が悪かっただけだ!」
「…………そう、ですか」
葵は一応納得してくれたらしく、彼女の圧が無くなる。
しかし水に流した訳ではないようで、ぽすりと腹を殴られた。
力が全くこもっていないので痛くはないが、手が出る程に明確な言葉にされなかった事が不服なのだろう。
「…………」
葵の溜飲が下がるのならと、無言で殴られ続ける。
顔を俯けながらも手を動かし続ける彼女が拗ねた子供のようで、つい手を伸ばして頭に触れてしまった。
不満たっぷりの瞳が空へと向けられ、視線が交差する。
「……何ですか、これ」
「え、あ、すまん。触れて欲しくなかったか」
「そうは言ってません。触れたならちゃんと撫でてください」
「り、了解」
離せと言われるかと思ったが、逆を願われてしまった。
女心は訳が分からないと思いつつ、さらさらの金髪を撫でる。
葵は撫でられながらも空を殴り続けていたが、唐突に手が止まった。
「せんぱいが私を信用していても、ちょっと傷付きました」
「そう、だよな。すま――」
「なので、お出掛けを所望します」
「は? 何でお出掛け?」
空の言葉を遮って出された唐突過ぎる提案に、呆けたような声が出た。
驚きに手を止めた瞬間に睨まれたので、すぐに頭を撫でるのを再開する。
「私のご機嫌取りです。いいですよね?」
「ご機嫌取りって……。いやまあ、いいけどさ」
「いいんですか?」
空があっさり承諾するとは思わなかったようで、葵が驚きに目を見開いた。
先程までの拗ねは既に表情から消えており、僅かだが喜びで彩られている。
「いいさ。一緒に外で遊ぶのを禁止してる訳じゃないし、日頃のお礼もあるしな」
既に学校では空と葵が親しい友人だと知れ渡っているのだ。
一緒にお出掛けしたとしても問題にならない。
葵が普段晩飯を作ってくれて、そのお返しにゲームをさせてくれと言っているが、全く釣り合っていないのもある。
肩を竦めて微笑を浮かべれば、葵が躊躇いと喜びが混ざった何とも言えない苦笑になった。
「日頃のお礼はもらってますけど、せんぱいがそう言うなら本当にご機嫌取りしてもらいますからね」
「任せてくれ。明日からゴールデンウィークだし、近場じゃなくてもいいからな」
「マジですか!? どうしよっかなー。どこに行こうかなー」
完全に機嫌をなおした葵が、顎に手を当てて考え始める。
考える所作すら綺麗な彼女を眺めつつ、ホッと胸を撫で下ろすのだった。




