第32話 特別扱いだからこそ
葵と二人で晩飯の買い物を終えて帰ってきてから、一度別れて私服に着替える。
その後は時間があるので葵が空の家に来たのだが、リビングには静寂が満ちていた。
「……」
ちらりと隣を見れば、いつもならゲームをするか他愛のない話をしている葵は、むすっとした顔で黙り込んでいる。
分かりやすく不機嫌アピールする彼女に、小さな笑みを零した。
「黙りっぱなしだと何も分からないって。話したい範囲で言ってみろ」
「……何も話したい事なんてありません」
「あのなぁ。そんな露骨な態度取っておいて、しらを切るのは流石に無いだろ」
空と葵が初めて会った時の詳細等、本当に話したくない場合は表情も含めて彼女はもっと上手く誤魔化す。
つまりこうして不機嫌になっているという事は、心のどこかで聞いて欲しいと思っているのだ。
可愛らしくも面倒臭い態度を突っ込むと、葵も自覚していたようでびくりと肩を跳ねさせた。
「う……」
「愚痴はいくらでも聞くって前に言ったからな。何を口にしても気にしないって。勿論、無理矢理話を聞く事もない」
「いや、その、せんぱいに文句がある訳じゃないんですよ。空気を悪くしてすみません」
「空気が悪くなったとは思わないけど、それは置いておいて。それじゃあ何にむかついてたんだ?」
最初から葵が空に怒っていないのは分かっていたのだ。
彼女の謝罪を流して話の先を促すと、小さな唇が言葉を紡ぎ出す。
眉を下げた表情は、怒りよりも申し訳なさで彩られている気がした。
「今日告白してきた人がせんぱいを悪く言ってたので、それでむかついて、ですね」
「告白か。まあ朝比奈ならされるだろうな」
こういう場合は起こった事を一つ一つ振り返りつつ、相手の感情を落ち着かせるのがいいらしい。
喫茶店の店長である勝から軽く教えられた際は役に立たない知識だと思っていたが、そうでもないようだ。
肩を竦めて葵の容姿を遠回しに褒めると、白い頬に朱が灯る。
「……ありがとうございます、でいいんでしょうか」
「そこは素直に喜べばいいだろ。それだけ朝比奈が人気って事なんだろうから」
「別に人気はどうでもいいんですけど、分かりました」
「それで、俺の悪口だっけ?」
「はい。『友達の彼氏の更に友達だろ? それって友達の立場を利用して近付いてきただけじゃね?』だそうです」
「あー、まあ、そういう風に見られるのも仕方ないよな」
偶々空が晶の友人であり、その恋人である朝陽の伝手で葵と知り合ったと周囲に説明したのだ。
他の人からしたら空も彼等もほぼ同じ立場だし、空だけ特別扱いなのが気に食わないに決まっている。
穴のある説明だったかと苦い笑みを浮かべれば、葵が悔しそうに拳を握った。
「そうかもしれませんけど、でも実際は違うじゃないですか!」
「確かに違う。でも俺らの家が隣同士だって知ったら、今度はそっちでややこしい事になるはずだ。朝比奈だって、分かってたからこそああいう説明を周りにしたよな?」
「そうです。そうですけど……!」
本当の事を口にすれば、それはある意味最高の火種になる。
ならばと誤魔化せば、空が悪く言われてしまう。
頭では分かっていても、納得は到底出来ないのだろう。
美しい蒼の瞳が、泣きそうに揺れていた。
葵が悲しむ姿を見て胸が痛むのを自覚しつつも、へらりと笑って肩を竦める。
「なら勘違いさせておけばいいさ」
「でも『あんなパッとしないやつどこがいいの?』とか言われたんですよ!?」
「それはまあ、すまん」
葵と朝陽は言わずもがな、そして晶は中性的な容姿で女子から人気があるのだ。
本人の性格がかなり気難しいので、観賞するに留めている人は多いらしいのだが。
それでも容姿が整っているのは間違いなく、空だけが浮いてしまっている。
容姿だけはどうにもならないので頭を下げると、葵が勢い良く首を振った。
「せんぱいが謝る必要なんかありません! 見た目なんてどうでもいいです!」
「そうは言っても、見た目って大事だぞ?」
容姿ではなく中身が大事だと世間で言われる事があるが、現実は残念ながらそうでもない。
個人の好みはあれど、好印象を与えられるかどうかは第一印象でほぼ全て決まるらしいのだから。
それも含めて空は髪や肌の手入れを行っているのだが、出来る事と言えばそれくらいだ。
容姿が明らかに葵や晶、朝陽に劣っている事は空が一番良く分かっている。
葵の言葉に胸を温かくしつつも苦笑を零すと、端正な顔が怒りの色に染まった。
「だとしても、せんぱいだって努力してるじゃないですか! 単に顔だけでその人の全てを決めるなんて間違ってます!」
「まあ、そうだな。ありがとう、朝比奈」
空だって、何も第一印象だけで全てを決めてはいない。
それは葵に対してもだし、彼女の性格を知ってからは仲を深めている。
全力ぶつかってくるような勢いの言葉に、頬が緩んでしまった。
「それで、俺があれこれ言われてるのがむかついたと」
「はい。なのでばっさり振って終わらせてきました」
「だから俺に追いつけたんだな」
「です。せんぱいに文句を言う人とせんぱいなら、どっちを優先するかなんて考えるまでもないですから」
「……そっか」
空への悪口こそあったが、告白してくれた人より恩人である空を優先する。
そんな彼女に「俺なんか放っておいて、恋人を作ってそっちを優先した方がいいぞ」とは言えなかった。
聞いた事で気まずい空気になどなりたくないし、葵との時間を気に入っているのだから。
胸に沸き上がる歓喜を微笑として表せば、葵が嬉しそうに笑い、それから悩まし気に眉を下げた。
「にしても、せんぱいが悪い意味で有名になり過ぎてるのは問題ですねぇ」
「こればっかりはどうしようもないからなぁ」
空だって目立ちたくて目立っている訳ではない。
空と葵と晶と朝陽。その中で一番標的にしやすいからだ。
例え葵が特別扱いをしてくれていても、あるいはだからこそ他の男子からの羨望は大きくなる。
ままならないものだと苦い笑みを零すと、葵の顔が不安に彩られた。
「あの、何かあったら言ってくださいね? せんぱいが目を付けられるのって、私のせいですし」
「……朝比奈のせいじゃないだろ」
空を心から気遣う声色に、画鋲で刺された足の裏がずくりと痛んだ。
動揺を必死に抑えて絞り出した声は、震えていなかっただろうか。
内心は不安で一杯だったが、葵が嬉しさと呆れが混ざった笑みを浮かべた事で空の心が晴れる。
「またそんな事言って。せんぱいは甘すぎます」
「甘いもなにも、俺達は何も悪い事なんかしてないんだ。堂々としてればいいんだよ」
確かに葵から特別扱いされたのが始まりはあるが、彼女から相手にされない鬱憤を空にぶつける男子の方が悪いのだ。
勿論、空は葵を責めるつもりなどない。
楽観的な言葉とは反対に頭の隅で『堂々とした程度じゃ何も解決しない』と冷静な思考が囁く。
「……それで上手くいけばいいんですけどねぇ」
願うような、祈るような葵の言葉に何も返せないのだった。




