第31話 はじまり
四月第二週目の半ばを過ぎたある日。
今日は珍しくバイトが休みなので、葵の代わりに買い物へ行ける。
とはいえ彼女の事なので一緒に行くだろうと思っていた矢先、空のスマホへ「今日は一緒に帰れません」と連絡があった。
葵にしては珍しいと思いつつ買い物を引き受け、教室を出て昇降口へ向かう。
「……ん?」
「あれって朝比奈さんじゃない?」
空と晶が人気のない場所へ向かう金髪の女子生徒を見つけ、首を傾げた。
金髪はかなり珍しいし、そもそも葵と同じ髪の色をしている生徒を見た事がない。
となると、あれは間違いなく彼女だろう。
どうやら帰るのが遅れるのは学校で用事があるからのようだ。
(まあ、人気の無い場所に行く理由なんて二つくらいしかないよな)
その内の一つである最悪の展開にならなければいいかと思いつつ、葵から視線を外した。
「何か用事があるらしい。先に帰ってくれってさ」
「そうなんだ。見に行かなくていいの?」
単なる好奇心から提案した訳ではないようで、晶の瞳が不安に揺れている。
おそらく、彼も空と同じように最悪の展開を予想したのだろう。
晶が葵を心配してくれた事が嬉しく、空の顔に微笑が浮かぶ。
「そんな事するか。ほら帰るぞ」
葵の普段の態度からして、彼女は相当強かだ。
どう考えてもただでやられる性格ではないし、報復すら考えるだろう。
そもそも朝陽が焦って空達の教室に来ない時点で、今すぐ心配する必要はない。
空のあっさりとした態度に怪訝な顔をしつつも、晶が頷いた。
「分かったよ。……一応、朝陽には注意するように言っておく」
「俺が頼もうと思ってたけど、晶から言ってくれるなら助かるな」
友人に感謝しつつ、昇降口で靴を履き替える。
外履に思い切り足を突っ込んだ所で、足の裏に痛みが走った。
「いっ!?」
急いで靴を脱ぎ、足の裏を確認する。
空の予想通り画鋲が刺さっていたので、痛みを堪えつつ足の裏から引き抜いた。
(懐かしい嫌がらせだなぁ……。今度から気を付けよう)
中学生も高校生も、嫌がらせの程度は変わらないらしい。
大勢の男子に目を付けられているのに注意不足だったと、自らの行いを猛省した。
僅かな鈍痛を実感しつつ再び靴を履くと、隣から気遣うような声が聞こえてくる。
「空……」
「偶々靴に入ってたんだ。運が悪いよな、ホント」
晶は近くに居たのだから、空の身に起こった出来事を隠せる訳がない。
それでもへらりと笑って気にしていないとアピールすると、晶の瞳がすうっと細まった。
「絶対に許さない。実行犯を見つけたらただじゃおかないから」
「ありがとな、晶。でも、和泉と朝比奈にはナイショな」
「……分かった」
ここで喚いても何の解決にならないと、晶も分かっているようだ。
味方が一人でも居るというのは、それだけで心強い。
空と晶の間でだけで済ませるという提案に渋い顔をしたので、本当は葵達と共有したかったようだが。
緊迫した雰囲気のまま正門へと向かえば、朝陽が何とも言えない表情で晶を待っていた。
軽く挨拶を済ませ、すぐに歩き出す。
「あの、皇先輩。葵ちゃんは――」
「一緒に帰れない事はもう知ってる。だから、俺が聞きたい事は一つだけだ」
朝陽が言い辛そうにしていたので、詳細は口にしないでいいと遮った。
戸惑う彼女を真っ直ぐに見つめる。
「は、はい、何でしょう?」
「朝比奈を一人にして、酷い目に遭わないか?」
「葵ちゃんが残ったのはそういう用事じゃないので大丈夫です! そもそも、葵ちゃんを酷い目になんて遭わせません!」
「なら、それだけでいいさ。朝比奈の事、頼んだ」
「僕からも頼むよ。勿論、朝陽も気を付けてね」
「わっかりました!」
頼もしい返事に頬を緩ませ、三人で下校する。
いつもは葵と朝陽がはしゃいでいたり、晶と朝陽がいちゃつきだしたら葵が話し相手になってくれていた。
しかし今日はそれがなく、どうにも盛り上がりに欠ける。
そのままいつもの別れ道に来たので、晶と朝陽に別れを告げた。
ゆっくりと歩きつつ、大きく息を吐き出す。
「勉強道具は置きっぱなしにしてないから大丈夫。流石に足を引っかけたり椅子を引いたりはしないと思うけどなぁ……」
今回の嫌がらせの犯人がクラスメイトなのかは分からない。
しかし教室内でも注意するに越した事はないだろう。
幼稚な嫌がらせであっても、周囲が溜飲を下げる為に行う可能性は十分にあるのだから。
「これからどうしたもんか」
嫌がらせに過剰反応するのが一番の悪手だ。
なので先程の画鋲の件は気にしない事にしたものの、悪化されると非常に面倒臭い。
空はいくらでも耐えられるのだが、晶や葵、下手をすると朝陽ですら爆発するかもしれないのだ。
かといって晶以外の友人は頼れないし、教師もどうせアテに出来ない。
頭を悩ませつつ歩いていると、後ろからぱたぱたと足音が聞こえてきた。
「せんぱーい!」
華やかな声に振り向くと、いつかの朝のように金糸を靡かせた少女が走ってきている。
驚きに固まっているうちに少女は空に追いつき、軽く息を弾ませながらふにゃっとした笑顔を浮かべた。
「な、何とか追いつけましたぁ……。無理だと思ってたんですけど、頑張ってみるもんですねぇ」
「いや、何で追いつこうとしたんだよ。ゆっくり帰れば良かっただろ」
葵には空が晩飯の材料を買うと伝えていたのだ。
こんなに焦って帰る必要などないと苦笑しながら告げるが、彼女は勢い良く首を振る。
「だって久しぶりにせんぱいと一緒に買い物出来るんですよ? 追いつくに決まってます!」
「無茶し過ぎだ。取り敢えず休憩な」
「えー。私なら大丈夫ですよ?」
「走ってきた女子をそのまま歩かせるとか、俺が嫌なんだよ。という訳で休憩。強制な」
「はーい」
無理矢理休憩させたのに、葵はにへらと溶けるように眉尻を下げ、幸せそうに笑んだ。
可愛らしい笑みに心臓の鼓動を乱されつつ、一緒に近くのコンビニに入る。
お互いに飲み物を買って外に出て、喉を潤した。
「ぷはー! 生き返ります!」
「無茶し過ぎだ。用事だってすんなり終わるものじゃなかっただろ」
「…………用事、ですか」
先程までの爽やかな表情が、一瞬で能面のようなものに変わった。
あまりの変わりようからして、かなり嫌な事があったのだろう。
余計な事を言ってしまったと後悔していると、葵が細く長く息を吐き出した。
「ま、取り敢えず晩ご飯の材料を買っちゃいましょう! 話はそれからです!」
張り付けた笑顔の裏に押し込めた感情が、空に対してのものではないと分かっている。
だからこそ蒸し返す事はせず、肩を竦めるだけに留めた。
「分かったよ。でも、ちゃんと休憩してからな」
「りょーかいです。にしても、こうしてコンビニの外でゆっくりするのも学生って感じでいいですねぇ」
「まあな。こういうのも悪くない」
単に休憩しているだけだが、そんな時間が先程までの沈んだ気持ちを癒していく。
勿論、それは一緒に居てくれる葵の存在があってこそだ。
飲み物で再び喉を潤しつつ、内心でお礼を言うのだった。




