第30話 陰口
土日をまったりと過ごし、平日がやってきた。
それから数日が経ち、葵達が入学して一週間と少しが過ぎる。
ある程度時間が経ったからか、葵と朝陽が昼休みに空と晶のクラスに来るのは当たり前のものとして受け入れられ始めていた。
とはいえ空は晶繋がりで葵と知り合った事になっているので、おこぼれに預かったとして男子からの嫉妬が凄まじい。
一年生の頃からのクラスメイトは冗談交じりに揶揄ってくれるが、空が気にくわない人からは憎悪に近い感情を向けられている。
(俺を恨んでも仕方がないだろうに)
昼休みの訪れを知らせる音を聞きつつ溜息を零した。
平穏な高校生活ではない事は覚悟していたが、それでも針のような視線が向けられるのは面倒臭い。
勿論、空なりに周囲の男子の敵対心を無くそうと努力はしたのだ。
空を明らかに利用しようとする人には「朝比奈に伝えておく」と穏便に接した。
陰口を叩く人は刺激するとややこしい事になるので、相手をしなかった。
けれども、空への男子の視線は日増しに鋭くなる。
再び溜息をつくと、今日も今日とて朝陽と共に金色の髪を靡かせて少女が来た。
「晶くん、来たよー」
「こんちゃー。せんぱい!」
付き合っていると公言している晶への風当たりは少なく、彼は思ったよりも平穏に過ごせているらしい。
晶と話す朝陽の甘い表情を見れば、誰だって脈ナシだと分かるからだ。
女子が晶と朝陽を見守る為に結束しているのも大きいのだろう。
となると、葵と単なる友人の空に嫉妬の感情が集中するのも仕方ない。
ただ、空が嫉妬を一心に受ける原因はもう一つある。
「さてさて、行きましょうか!」
「ああ」
葵の太陽のような明るい笑みは、向けられた人を元気にするものだ。
実際、空の心も少しだけ上を向く。
しかし視界の端で露骨に舌打ちされて、気持ちが一瞬にして沈んだ。
心の機微を悟られないようにして、晶や朝陽、葵の後ろをついていく。
するとクラスメイトの男子の一人が、媚びるような笑顔を葵へ向けた。
「なあ朝比奈さん。今日の放課後――」
「あ、すみません。放課後は忙しいので」
一見すると華やかだが、よく見れば張り付けたような微笑で葵が男子をいなす。
宝石のような蒼い瞳には、何の感情も浮かんでいない。
一応は笑顔で対応されたからか、男子は渋々といった表情をしつつも引き下がる。
「……そっか」
男子の呟きなど聞こえていないかのように、葵は教室を後にした。
続くように空も教室を出ると、教室の端に居るであろう男子達の会話が聞こえてくる。
「まーた皇だけかよ。ホント狡いよな」
「しかも毎朝朝比奈と登校してるしな」
「美少女からの特別扱いはさぞかし気分が良いんだろうなぁー」
「何であいつが気に入られたんだろうな。意味分かんねぇ」
空が居ないからこそ遠慮なく口に出来るやっかみに、胸の奥が一瞬で冷えた。
葵は前々からの宣言通り、空や朝陽、晶以外の親しい人を作ろうとしない。
それは女子だけでなく男子もで、先程のように男子へは冷たい対応をしがちだ。
曰く「少しでも脈があるとつけあがるから、バッサリと切るべきなんですよ」との事らしい。
結果として、空を利用して近付こうとした男子も全て撃沈している。
後ろから聞こえて来たのは、先程のように冷たい対応をされた男子達の声だ。
その中には、入学式の日に撃沈された男子も居る。
(ま、いつかはこうなるって分かってたけどな)
人は悪意を向けても良い人が居れば、とことん悪意を向けるものだ。
陰口を遠慮なくぶつける事の出来る空は、さぞかし都合の良い標的なのだろう。
唯一の救いは、陰口を叩いている男子が一年生の頃からのクラスメイトではない事か。
それでも陰口を咎める事は出来ず、こっそりと謝罪してくれる程度なのだが。
空にとってはそれだけで十分だし、それ以上は何も望まない。
クラスメイト達に何もしていない空が、彼等に何かを期待していいはずがないのだから。
大きく息を吐き出しつつ、隣で目元に影を作っている少女へ視線を向ける。
「…………チッ」
「朝比奈、黒いのが出てる」
「仕方ないじゃないですか。あいつらホントうっざいなぁ……」
本気で機嫌が悪くなると同時に口も悪くなるのは葵の癖だ。
美少女の舌打ちは正直なところかなり怖いが、ゲーム中も偶にしているので多少は耐性が出来た。
それに、今では愛嬌の一つだと思うようにしている。
先輩を先輩とも思わない発言に関しては、あちらが陰口を叩いているので咎めはしない。
「気持ちは分かるが、どうしようもないだろ?」
「それは、そうですけど……」
「なら今は抑えてくれ。晶や和泉が心配するぞ?」
「……分かりました」
どうやら、口が悪いのは空にしか知られたくないようだ。
葵が感情を飲み込むように俯き、それからいつも通りの明るい雰囲気になる。
取り敢えず一安心だと胸を撫で下ろせば、前を歩いていた二人が振り返った。
「空を妬んで陰口とか、なっさけない奴らだね。まあ陰口を叩いたんだから僕も遠慮なく陰口を叩くんだけど」
「駄目だよ晶くん。ああいう人達に構ってたら馬鹿が移っちゃう」
むすっとした表情の晶は言葉はある意味いつも通りだが、朝陽が満面の笑みで毒を吐くとは思わなかった。
ゆるふわな外見に反して頑固だとは思っていたものの、意外にも容赦のない朝陽に苦笑を零す。
「言う時には言うんだな。ありがとう、和泉」
「お礼なんていいですよ。友達を馬鹿にする人に慈悲は必要ありませんから」
「そっか。それでも、ありがとな」
「いえいえ」
微笑を浮かべて首を振る朝陽だが、瞳は全く笑っていなかった。
誰かの為に怒れる朝陽の姿が、空の冷えていた胸を溶かす。
それなりに抱えているものはありそうだが、彼女と友人になれて良かったと思っていると、晶が首を傾げた。
「あれ。僕は?」
「晶は平常運転だろうが。……まあでも、晶もありがとう。なんつーか、嬉しい」
「そ、そう。空がそう言うんなら、いいか」
「こういう時に素直に受け取れないのが晶くんだよねぇ」
「うるさい」
ふいっとそっぽを向いた晶に、三人で笑みを零すのだった。




