第19話 一番の味方は
葵の容姿を褒めた後、彼女は「晩ご飯の準備しますね」と言って喫茶店を出て行った。
去り際もいつもと変わらない笑みを浮かべていたので、容姿を褒められた事に関して安堵以上の感情は持っていないのだろう。
最終的に一人になり、やる事もないので時間を早めてバイトに出させてもらう。
「良かったわね、空ちゃん」
忙しくないタイミングで、店長の勝が空へと微笑みを向けた。
唐突な彼の発言に、頭が疑問符で満たされる。
「良かったって、何がですか?」
「良い友達が出来た事よ。それがすっごく嬉しいわ」
「そりゃあ俺にだって友達は居ますって」
春休みから今日までで葵に朝陽と一気に友人が出来たが、そもそも晶が居たのだ。
沢山の、と言われれば苦しいが、独りぼっちと思われるのも心外だ。
眉を寄せながらも笑みを浮かべると、勝はゆっくりと首を振る。
「単に話すだけの人、という意味の友達なら多いでしょうね。空ちゃん、話を合わせるのが上手いから」
「……ま、そうですね」
当たり障りのない話で一応の関係を築くのは得意だ。
一年生の頃は晶とクラスメイトの橋渡し役だったが、同時に毒にも薬にもならない地位を築いていたのだから。
とはいえ、空の基準では話を合わせるだけの人を友人とは言わない。
勝も「友達」と口にはしたが、同じ考えなのだろう。
強面の顔が、悲し気な微笑に彩られていた。
「でも、今日の子達は違った。あの子達の前でなら、ありのままの空ちゃんで居られたのよね?」
「多少は、ですね。ありのままの俺なんて、見せても良い事ありません。ロクでもない人間ですから」
自らの性格が歪んでいる事など、十分に理解している。
真剣に考えた事は今まで無かったが、だからこそ晶と仲良くなれたのかもしれない。
溜息と共に自分を見つめなおせば、「んもう」と不満げな声が耳に届いた。
「何度も言ってるけど、自分を卑下しちゃダメよ。自分の一番の味方は自分なんだから」
「そうだったら、どれだけ良かったでしょうね」
「そーらちゃん」
唇の端を釣り上げながら笑うと、ごつごつした手が空の両頬を掴んだ。
頼もしい両手の感触が、空の胸を締め付ける。
「今すぐにとは言わないわ。でも、いつか自分を好きになりなさい。じゃないと貴方はいつか潰れてしまう」
「……気長にやってみます」
「それと、あの子達と一緒に居て楽しかったんでしょう?」
「楽しくは、ありましたね」
葵も晶も朝陽も、露骨な壁を作らず自然体で接する事が出来た。
だからこそ楽しかったし、肩肘張らずに過ごせたのだ。
今度は心からの微笑を浮かべれば、勝の顔が満面の笑みを形作る。
「なら、あの子達との付き合いをこれからも続けるといいわ。勿論、皆を大切にするのよ?」
「分かってますよ。こんな俺と、一緒に居てくれるんですから」
友人が少ない空だからこそ、その僅かな友人は大切にしなければ。
特に晶は今まで学校でしか交流が無かったが、これからは学校外でも接点を増やしていいかもしれない。
その際は恋人である朝陽も一緒だろうし、そうなると友人の葵も一緒のはずだ。
四人で集まる光景を想像し、胸に沸き上がる温かさのままに頬を緩める。
「あらー、空ちゃんからそんな言葉を聞けるなんて思わなかったわー!」
「俺の事を何だと思ってるんですか」
「うーん。すっごく警戒心の高い猫かしら。最初は私の事を利用出来る人くらいにしか思ってなくて、全く信用してなかったし」
「それは、その、すみません……」
この店でバイトを始めたばかりの頃を持ち出されれば、何の反論も出来なくなる。
あの頃の空は今以上に酷かったが、勝は最初から空を心配してくれている。
その結果、人の良さに絆されて警戒心など無くなってしまった。
実際、勝は店に来る客の相談にもよく乗っているので、単に世話を焼くのが好きなのだろう。
「全然いいわよぉ。空ちゃんがこれからの人生を謳歌出来れば、私としてはオッケーよ」
「ありがとう、ございます」
「それであの子――朝比奈ちゃん、かしら。あの子とはどうなの?」
「…………めっっっちゃくちゃ話が飛びましたね」
しんみりした雰囲気を一瞬で壊した勝に、じとりとした目を送る。
こういう話が好きなのは客の相談を聞いている時の態度から分かっていたが、まさか空が標的にされるとは思わなかった。
空の態度にもめげずに、勝がしなを作って迫ってくる。
「気にしない気にしない! それで、どうなのかしら!?」
「そう言われても、朝比奈とは友人でしかないですよ」
「空ちゃんはそうかもしれないけど、朝比奈ちゃんのあの様子は明らかにそれだけじゃないわよ?」
「ま、色々あって感謝されてはいますね。その延長で信用もされてるかと」
空が思い出せない出来事を省き、現状を簡潔に述べた。
葵からは信用されているし、空も彼女を信用している。
だが、それだけだ。可愛いとは思うが、恋愛感情はない。
彼女とて、恩人かつ一番頼れる人間が空だから特別扱いをしているだけだろう。
空の葵への感情を正確に読み取ったようで、勝が苦笑の形に唇を歪める。
「空ちゃんは難儀ねぇ……。朝比奈ちゃんも大概だけど」
「俺の性格が捻くれてるのは置いておいて、朝比奈もですか?」
「えぇ。あの子の事、ちゃんと見ておいた方がいいわ。私の勘がそう言ってるの」
今までのような乗りを引っ込め、勝が真剣な顔つきになった。
彼がこんな雰囲気になるのは、殆ど見た事がない。
おそらく、葵の何かが勝の琴線に触れたのだろう。
気を引き締めて頷きを返す。
「これでも、朝比奈と一番親しいって自負はありますからね。ちゃんと見ておきます」
「頼んだわよ」
初めて喫茶店に来て、しかも勝と全く話さなかった人すら気にするのだ。
こういう人だからこそよく相談を受けるのだろうし、喫茶店が繫盛するのだろう。
この店で働けて良かったと、しみじみと思う。
「随分長話しちゃったわね。それじゃあ、張り切っていきましょう!」
「はい」
偶々手が空いていたから話し込んだが、本来はあまり良くない。
気を引き締めて仕事に取り掛かるのだった。




