第18話 これからの不安と覚悟
「それでは、お先に失礼しますね」
ある程度談笑したところで、朝陽と晶が立ち上がった。
今日は入学時なので早上がりであり、まだ空のバイトまで時間がある。
だが予定があるのかもしれないので、引き留めるのは気が引けた。
「ああ。またな晶、和泉」
「ホント、明日から頑張ろうね、空。それじゃあまた」
「立花先輩、朝陽、またです」
二人がレジに向かい、会計を済ませて店を出る。
扉に遮られて見えなくなる直前に、手を繋いでいた。
恋人らしい二人にくすりと笑みを零し、席を移動する。
「隣に座ったままでいいじゃないですか」
「二人で喫茶店に居るなら、普通は向かい合って話すだろうが」
不満そうに唇を尖らせる葵へ、肩を竦めて見せた。
喫茶店で隣に座ったまま談笑するなど、それはカップルしかしない事だろう。
そもそもカップルですらそんな事はほぼしないので、バの付くカップル限定かもしれない。
「それで、何で正門で別れなかったんだよ」
「せんぱい以外が来たなら帰るつもりでしたが、都合が良かったので」
「都合が良かった?」
「はい。これで、学校でもせんぱいと接点が出来ましたから」
どうやら、単に面白がって一緒に行動した訳ではないらしい。
空は先程まで談笑しつつも、明日行うクラスメイトへの説明を考えていたので、葵の言わんとする事は察せられる。
「和泉の彼氏が晶。その友達の俺と偶々知り合ったって流れか」
「その通りです。あれこれ事情を聞こうとする面倒臭い周囲への説明としてはバッチリでしょう?」
「一応は、な」
面倒臭いと発言した際に一瞬だけ苛立ちが見えた。
やはり、詮索されるのは嫌なのだろう。
空も全く同じ説明を周囲にしようとしたので、内容に異論はない。
とはいえ至って普通の外見の空と、美少女である葵では立場が違う。
「でも、俺と学校で仲良くなったら男子達が積極的に動くぞ。『俺も俺も』ってな」
「知ったこっちゃないです。私が仲良くしたいと思う人は私が選びます」
「それと、下手すると先輩に媚びを売ってるって、女子に目を付けられるかもしれない」
「それも知ったこっちゃないです。元々、男子も女子も友達を作る気なんてなかったですし。朝陽は例外ですが」
クラスで浮く可能性も十分考えた上で、葵は朝陽以外友人を作らない。
おそらく相当やっかみを受けるだろうが、蒼色の瞳に不安や後悔の色は見られなかった。
「多分、朝陽も同じ考えだったんでしょうね。だから仲良くなれたんだと思います」
「和泉も? ……有り得そうだな」
体が弱い頃からずっと傍に居た幼馴染であり恋人。
そんな人ならば、何に代えても優先するだろう。
葵が空の言葉にくすりと微笑を零し、羨まし気に目を細める。
「『周囲なんてどうでもいい。私は晶くんの傍に居られたらそれでいい』。だそうですよ」
「そりゃあまた凄い覚悟だな。それに、朝比奈からすれば付き合いやすい人だ」
「ですね。ややこしい女子のやりとりとは無縁の人ですから」
「良い友達が出来たな」
葵からすれば、朝陽はまさに理想の友人だ。
入学早々縁に恵まれたと頬を緩めれば、彼女も嬉しそうに顔を綻ばせる。
「はい。ふたりぼっちですけどね」
「その感じだと大丈夫そうだけど、何かあったら言うんだぞ」
芯のある葵と朝陽ならば、例え周囲が悪意を持って彼女達に接しても跳ね除けるだろう。
それでも、二人ではどうしても辛い事があるかもしれない。
朝陽は晶がフォローするので、空は葵をフォローすべきだ。
先輩風を吹かせると、可愛らしい顔が安堵に彩られた。
「朝陽と二人で何とかなると思いますが、もしもの時は頼りにさせてもらいますね」
「ああ、そうしてくれ」
「でも、それはせんぱいも同じです。というか、私はせんぱいの方が心配なんですが」
「俺が? どうして?」
周囲への説明は、先程のもので良いはずだ。
心配される理由が無いと首を傾げれば、葵が不安そうに眉根を寄せる。
「だって、入学式で有名になった女子二人と友達なんですよ? やっかみを受けたり悪目立ちすると思います」
「そりゃあ大変だし晶と一緒に落ち込んだけど、それは仕方ないだろ」
「別に仕方なくはないのでは? 今日はもうやっちゃいましたが、明日から私や朝陽と関わらなければ、悪目立ちも無くなるでしょうし」
「悪目立ちを無くす為に、朝比奈や和泉と関わらないようにする? 馬鹿言うな」
もしここで葵に「これから学校では関わるな」と言ったら、彼女は空の望み通りにするだろう。
その結果、平穏な学校生活が送れるようになるのかもしれない。
だが、空には空なりの矜持がある。
葵は空を想って提案してくれたのだろうが、そんな提案を受け入れる訳にはいかない。
「どっちも大切な友達なんだ。関わりを無くすつもりはない」
「本当に、いいんですか?」
「ああ。俺の平穏な学校生活くらい、いくらでも差し出す。どっちを選ぶかなんて、考えるまでもないっての」
空は悪目立ちして嫌がらせを受けるのを恐れている訳ではない。
単に、対応が面倒臭いので目立とうとしなかっただけだ。
葵と話しながら覚悟を決めるものの、それでも僅かに弱気な心が出てしまう。
「………………まあ、偶に晶と一緒に落ち込むだろうけどな」
「ふ、ふふっ。最後が無ければ完璧でしたよ」
大きく目を見開いていた葵が、楽し気に、嬉しそうに笑いだした。
締まらないのは理解していたが、指摘されると恥ずかしい。
羞恥に頬を炙られながら、そっぽを向く。
「うるさい」
「あははっ、照れなくてもいいじゃないですか。……すっごく、嬉しかったです」
「…………おう」
歓喜が溢れ出したかのような魅力的な笑みに、どくりと心臓が跳ねた。
葵の急激な変化に、短い言葉しか返せない。
胸の奥がむず痒くて、必死に話題を変えようとする。
「というか、有名になったって自覚してるんだな」
「あれだけ周囲が騒いでるんです。誰だって自覚すると思いますが」
「まあ、そうだけど、容姿とか、な」
一年生に美少女が二人居る、と有名になったのだ。
当然ながら、葵にもその噂は届いているだろう。
クラスでも間違いなく『可愛い』と言われているはずだ。
その割には葵の態度が平常運転過ぎる。
面と向かって容姿を褒め辛くて遠回しに言及すれば、余裕すら見える笑みが返ってきた。
「謙遜も自慢もしませんが、自分の容姿は自覚してますよ。これでも、割と努力してるんですから」
「まあ、自覚してないはずがないよな」
ここで露骨に謙遜するタイプの人間ではないと、知り合って短いながらに葵の事は理解している。
とはいえ、自分が美少女だと言外に認めたのは間違いない。
努力しているが故の真っ直ぐな言葉に苦笑を零した。
「でも、せんぱいから見た私の評価は分かりません。この際ですが、どうですか?」
「……どうですかって何だよ」
「可愛いですか、それとも綺麗ですか? 少し前までは苦手なタイプって話でしたけど、もしかして好みじゃなかったり?」
空が葵の容姿について言及した事は今まで一度もない。
とはいえ先程もそうだが、面と向かって言うのは恥ずかし過ぎる。
整った顔を不安に彩らせているので、空が悪いような気がしてきた。
出来る事なら誤魔化したいが、二度も言葉にしなかったら葵を傷付けてしまうかもしれない。
彼女が努力している事は間違いないのだから。
沸き上がる羞恥を必死に抑え込みながら、せめてもの抵抗として視線を逸らしつつ口を開く。
「そりゃあ、その、可愛い、と、思う。あくまで、俺の感想、だけど」
思いきりつっかえてしまい、抑えていた羞恥が頬へと昇ってきた。
火傷しそうな程に熱いので、空の頬は真っ赤になっているはずだ。
ちらりと葵の様子を窺えば、彼女が柔らかく目を細めて大きく息を吐き出した。
「良かった……。ホントに良かった……」
「そんなにホッとする程か?」
普通なら照れるか、褒め言葉に慣れているのなら素直に喜ぶ。
しかし葵の対応は全く違っており、気になって羞恥が一瞬で引っ込んだ。
空の質問にも葵は安堵の表情を見せる。
「はい。だって、一緒に居るのに好きじゃない顔だったら嫌じゃないですか」
「容姿だけで人を選り好みはしないけど、言いたい事は分かる」
おそらく、葵は空に不快感を与えていないか心配だったのだろう。
彼女程の美少女でも、自らの容姿に不安を抱く事があるようだ。
共感を示せば、葵が力を抜いた笑みを見せた。
「でしょう? これで一安心です」
「……」
明らかに普通の態度ではないが、聞くに聞けず黙り込む空だった。




