第15話 入学式
「ふわぁ……。ねむ……」
生活リズムを一日で戻したせいで出てしまった欠伸を噛み殺し、掲示板を見に行く。
薫風香る四月一日。いよいよ高校二年生の始まりだ。
とはいえ特に沸き上がる感情などなく、自分の名前を確認して新しいクラスへと向かった。
「おはよう」
扉を開けて教室に声を響かせる。
名前が分からない人達が多いが、かといって挨拶をしないのは良くない。
窓際でひっそりと過ごすにしても、コミュニケーションは大切なのだから。
「おう皇、今年もよろしくな」
「こっちこそよろしく」
「やっほ、皇くん。知り合いが居るっていいねぇ」
「だな。心細い思いをしなくて済む」
男子であれ女子であれ、話し掛けてくれた人に雑な対応はしない。
とはいえ特別親しい訳でもないので、一言二言だけで会話を終える。
空の名前の紙が貼られている机に座ってほうと息を吐き出せば、軽く肩を叩かれた。
視線を叩かれた方に向けると、中性的な容姿の男子生徒が爽やかな笑みを浮かべている。
「おはよう、空。今年もよろしくね」
「晶か。一緒のクラスだったんだな」
先程話したクラスメイトと同じく一年生の頃からの知り合いではあるが、唯一の友人と言っても良い立花晶へと、心からの微笑を返した。
クラスが離れたとしても晶とは交流を続けただろうが、同じクラスでこれから一年を過ごせるのは本当に嬉しい。
とはいえ空とは反対に、晶が呆れた風な笑みを浮かべる。
「掲示板で僕の名前を探してくれなかったなんて悲しいなー」
「は? 俺が晶の名前を探すなんて思ってないくせに良く言う。晶こそ、俺が教室に入ってきて初めて同じクラスだって分かったんだろうが」
「あったりー! いやー、良く分かってるね!」
毒舌の応酬ではあるが、これが空と晶の間での平常運転だ。
というよりは、晶が優しそうな見た目に反して歯に衣着せぬ物言いをするから、空が引っ張られているのだが。
そのせいで晶は一年生の頃、空以外に友人が居なかったのだが全く気にしていない。
今も周囲を全く気にせず、けらけらと笑っている。
「ま、改めて一年間よろしくね。主に僕と周囲の緩衝材として」
「堂々と言い切る晶の根性は相変わらずだな」
「あはは。そんな根性ねじ曲がった奴と付き合い続ける空も大概だと思うよ」
「晶は分かりやすいからな。あれこれ邪推しなくて済むんだよ」
誰に対しても媚びる事なく真っ直ぐに発言する晶は、大半の人からすると取っ付き辛いのだろう。
けれど空からすれば表情や言葉の裏を探らなくていいので、非常に楽な人物だ。
お互いに掲示板で名前を確認しないくらいにドライな関係なのも、むしろやり易くて良い。
一年生の頃は晶への橋渡し役になっていたし、今年もそうなるはずだ。
ひらひらと手を振って正直な感想を口にすれば、晶が僅かに目を逸らす。
「……全く、これだから空は」
「何か変な事言ったか?」
「いいや、何も。それで早速だけど、空にお願いがあるんだ」
「晶が俺にお願い? どんな風の吹き回しだ?」
晶が今まで見た事のない気まずそうな表情で頬を掻いているので、相当頼み辛いお願いなのだろう。
一番仲の良い友人と言える晶だし、何だかんだで晶も空をそう思っているという自負はある。
それでも、今までクラスでのコミュニケーション以外で晶が空に頼み事をした記憶がない。
警戒しつつ事情を話すように促せば、晶が言い辛そうに口を開く。
「えっと――」
「ホームルーム始めるぞー。席に着けー!」
タイミング悪くチャイムが鳴り、新しい担任の教師が教室に入ってきた。
話を強引に打ち切られた事で晶が露骨に顔を顰めたが、続ける訳にもいかない。
手を振って着席を促すと「後でね」という言葉を残して晶が去っていった。
(あの晶が珍しい。ややこしい事じゃないならいいけどな)
晶の性格上、一人で解決出来る事をお願いするはずがないのだ。
となると、間違いなく他人の力が必要なのだろう。
内容がさっぱり分からずひっそりと苦笑しながら、教師の話を耳に流すのだった。
四月一日に二年生がやる事と言えば、まずは入学式の準備だ。
新一年生の為の会場を作り終えると、次は後ろで何のメリットもない入学式を見る事になる。
全校生徒強制参加という、訳の分からない式に内心で呆れていると、ついに新入生入場の時間となった。
セミロングの美しい金髪を靡かせ、葵が入ってくる。
(というか朝比奈は俺と同じ高校だったんだな)
今まで全く気にしなかったが、彼女がどの高校に進学したのか聞いた事が無かった。
同じ高校だとしても学校で接触するつもりはないものの、後輩に知り合いが居るというだけで胸が弾む。
そして、当然ながら葵の容姿は目立っていた。
「お、あの子滅茶苦茶可愛いじゃん」
「後輩に恵まれたな!」
「かわいー。金髪だー。地毛かな?」
「多分そうでしょ。レベルが違うわー」
「だねぇ。自信無くすよ……」
周囲がざわめき、口々に葵を褒める。
空が予想していた通り、彼女は有名になるだろう。
昨日の様子からすると、あまりちやほやされるのが好きではなさそうだが。
大変だなと他人事のように考えながら、葵から視線を外そうとする。
しかし、彼女のすぐ後ろを葵に負けない程の美少女が歩いているのに気が付いた。
「あの子もすっげぇ可愛いな」
「こっちは銀髪か。今年はとんでもないな」
「はー。お人形みたい」
「新入生、レベルが高すぎない……?」
周囲の視線も葵の後ろの女子に向き、ざわめきが大きくなる。
少し波打った銀髪を腰まで伸ばした、まさに人形と言っても良い美少女だ。
葵が親しみを持たれる可愛さなら、彼女は人間離れした可愛さだろうか。
どちらも人目を引くだろうが、空は葵のような親近感のある方が好きだ。
「……いや、何考えてんだか」
美少女二人を比較出来る程偉い人間ではないと、自分を戒める。
溜息を落として二人から視線を外せば、晶が頭を抱えているのに気が付いた。
「どうした、晶?」
「ああ、やっぱりこうなる。僕の平穏な高校生活が……」
どうやら空の言葉は届いていないようで、晶が何かを呟き続けている。
入学式の真っ只中では詳しく聞く事が出来ず、そのまま式が流れていくのだった。
ホームルームを終えてお開きとなり、周囲が喧騒に包まれる。
彼等の話題は、葵と彼女の後ろを歩いていた美少女だ。
「あの二人ヤバかったな!」
「でも彼氏居るんだろうなぁ」
「そりゃあそうだろ。むしろ居なかったら驚きだ」
「かー! あんな子の彼氏になれる男は羨ましいぜ!」
おそらく、他のクラスも似たようなものだろう。
やはり美少女は大変だなと苦笑を落とし、席を立つ。
そのまま教室を後したのだが「空」と名前を呼ばれて足を止めた。
後ろを振り向けば、絶望に打ちひしがれたような顔の晶が近寄ってきている。
「どうした、晶。ようやくの復活か?」
入学式を終えてからずっと沈んでいたので、晶の「お願い」を聞けなかった。
なので明日にしようと思ったのだが、もしかすると今日中に話しておくべき事なのかもしれない。
晶の到着を待って歩き出すと、隣から盛大な溜息が聞こえてきた。
「まあね。落ち込んでなんていられないし」
「その割には立ち直ったように見えないけど」
「そりゃあそうだよ。この後地獄が待ってるんだから」
「そうか。ご愁傷様だ」
何が地獄なのかは分からないが、晶の雰囲気からして相当嫌なのだろう。
そんな事に巻き込まれたくはないと、素っ気ない対応をした。
普段であれば晶はこの後愚痴や文句を口にするのだが、何故か彼は引き攣った笑みを浮かべて空を見つめる。
「残念だけど、空にも付き合ってもらうよ」
「絶対嫌だ」
「空がそう言いたくなるのも分かるし、逆の立場なら僕だって付き合わない。でも、これがお願いなんだ」
「じゃあせめてもう少し具体的に話せっての」
嫌な予感がしつつも詳細を聞くべきだろうと話の先を促せば、晶にしては珍しく申し訳なさそうな表情になった。
「ある人に会って欲しい」
「はぁ。会って何をするんだよ」
「あの子曰く、話がしたいんだとさ」
「話ねぇ。それに『あの子』と来たもんだ」
晶の言葉からすると、どうやら彼と親しい人物が空と会話したがっているらしい。
晶に空以外の親しい人物が居たのは驚きだが、それ以上に何故空を名指しされたのかが気になる。
「もしかして、その人って俺の知り合いか?」
「いや、初対面だよ」
「初対面の人が何で俺と話したがるんだよ」
「それは、その……。えっと……」
思っている事を隠さず口にする晶にしては珍しく、歯切れが悪い。
これはただ事ではないと、空の中にある警戒ベルが鳴り始める。
今すぐ晶を放って逃げ出したいが、何だかんだで一番親しい友人なのだ。
ただ話すだけならいいかと、大きく息を吐き出しつつ頷く。
「……分かったよ。取り敢えず話はする。でも、媚びを売るつもりはないからな」
「ありがとう、空! お詫びに何でもするよ!」
「晶が何でもするって言うって時点で相当だな。ま、貸し一つだ」
覚悟を決めて昇降口へ向かい、外履きに履き替える。
そのまま正門を出ようとしたところで、周囲から注目を浴びている人達が目に入った。
美しいストレートの金髪と波打つ銀髪は、それが一つの絵画のように合わさって人目を引きつける。
そんな彼女達は帰ろうとせず、楽し気な笑顔で談笑していた。
まるで、誰かを待つように。
「おい、まさか」
「…………正解だよ。片方は知らないけどね」
入学式での晶の姿と、現在の光景。
そして空と会話したいと言う人が初対面だとすれば、最早誰と会うかは考えるまでもない。
「マジかよ…………」
空の平穏な高校生活が、崩れる音がした。




