第11話 失言と対価
「「ごちそうさまでした」」
随分と上達した晩飯を摂り終え、食材に感謝する。
その後は片付けを済ませ、お開きとなるはずだった。
しかし葵は帰ろうとせず、ちらちらとゲームへ視線を向けている。
「もしかして、まだやりたいのか?」
「その……、はい。続きがどうしても気になってしまいまして」
しゅんと肩を落とした姿から察すると、空に申し訳ないと思っているのだろう。
晩飯の後は空の自由な時間なので、葵が家に居ると好き勝手に出来ないのは間違いない。
だが、彼女の気持ちは理解出来る。
くすりと笑みを零し、小さく頷いた。
「いいぞ」
「え? い、いいんですか?」
「続きが気になる事なんてよくある。俺もそうだからな」
「せんぱいもですか? ふふ、お揃いですね」
嬉しさが溢れたような小さな笑みに、空の心臓が僅かだが跳ねる。
ゲームをするなら誰しもが経験するはずの事なのだが、葵に言われるとどうにも落ち着かない。
動揺を必死に押し殺し、苦笑を浮かべた。
「だからゲームしてもいいけど、条件がある」
「はい? せんぱいの邪魔をしない事ですか? それなら元々そのつもりでしたけど」
「有り難いけどそうじゃない。何時に帰るか事前に決めてくれってだけだ」
空も葵も一人暮らしなので、門限がないのは理解している。
家が隣なので、帰る際に危険がほぼ無い事も。
しかし、それに甘えて男性の家に女性が何時間も居るのは駄目だ。
勿論、間違いを犯すつもりはないし、葵が空を信頼しているのは分かっているが、それでもケジメはつけなければ。
線引きをするつもりの空とは対照的に、彼女はこてんと可愛らしく小首を傾げた。
「それ、決める必要あります?」
「ある。このままだと帰るのを引き伸ばして深夜まで居座ってそうだからな」
「うっ。確かにそうですね。せんぱいに迷惑を掛ける訳にはいきませんし……」
夜遅くに男の家で遊ぶとしても、葵の優先順位は空に迷惑を掛けない事らしい。
日中の様子からして迷惑を掛けられはしないだろうが、否定するのも面倒だ。
あえて黙っていると、顎に手を当てて思考に耽っていた葵がぱっと顔を上げる。
「では、後四時間で」
「随分長い時間にしたな」
恐らく、一度時間を忘れて熱中していた事を考えて口にしたのだろう。
しかし今から四時間となると、日付は変わらないがかなり夜遅くになる。
根性のある提案に眉を寄せれば、葵の顔が不安に彩られた。
「だめ、ですか?」
「…………分かったよ。それでちゃんと帰るんだぞ」
捨てられた子犬のような表情の葵に「時間を早めろ」とは言えず、渋々とだが承諾してしまった。
空が折れるのを狙って表情を作ったとは思わないが、美少女は狡いと肩を落とす。
ちらりと葵の様子を見れば、満面の笑みを浮かべていた。
「はい! わっかりました!」
「それと、そんなに遅くまでこっちに居るなら、朝比奈を放って風呂入っていいか?」
「勿論大丈夫です! 私は居ないものと扱っていただければ!」
「……そこまでは思わないけど、俺が見てない間に物を取ったりするなよ?」
これまでの葵の姿を見て、悪さをしない人だとは分かっている。
それでも、一瞬で信用が裏返る事はあるのだ。
不安になって釘を刺すと、蒼色の瞳が驚いたように見開かれ、それからすうっと細まった。
「そんな最低な事しません。私がすると思ったんですか?」
「一応言っておかないといけないと思っただけだ。気を悪くしたなら謝るよ。すまない」
「むぅ……」
空は葵を怒らせたくて言った訳ではない。
とはいえ葵の言葉も一理あり、空が彼女を信用していないと言葉で示した事になる。
発言に後悔はないが、微妙に空気が悪くなってしまった。
不満そうに唸っている葵に背を向け、風呂場へと向かう。
「本当にすまない。……風呂の準備をしてくる」
「あ、いえ、その、お気になさらず。無理を言ったのは、私ですし」
どうやら本気で怒っている訳ではないようで、気遣うような声が耳に届いた。
ちくりと胸が痛んだが無視し、浴槽に湯を張るスイッチだけ入れてリビングへ戻る。
まだ葵はゲームはしておらず空の予想通りだったが、何故か彼女はシンプルな皮財布を持っていた。
「どうぞ」
「え? 何だよ、これ」
「信用してくださいと言っても、言葉だけじゃ何の意味もありません。なので、預かってください。お風呂場に持って行っても構いません」
葵の雪のように白い手が空へと伸びる。
彼女の言いたい事は分かったが、信用の代わりとして財布を差し出すのはやり過ぎだ。
「そこまでしなくても……」
「します。もしせんぱいが私から目を離してる間に物が無くなっていたら、この中身を全部持っていってください」
「……マジで言ってるのか?」
「マジもマジです」
蒼色の瞳はゾッとする程に澄んでおり、葵の覚悟が透けて見えるようだ。
財布を差し出しても構わないと思える程、空に疑われた事が嫌だったのだろう。
いくら葵からの提案とはいえ財布を差し出させてしまった事で、罪悪感という名の棘が空の胸を刺す。
その痛みに促されるように首を振った。
「財布は受け取れない」
「でも、せんぱいは不安なんですよね? 私の事は気にしないでいいですから、遠慮なく預かってください」
「もういいんだ。十分覚悟は見せてもらったから」
財布という貴重品の中でも一番大切にすべき物を差し出そうとしたのだ。もう葵を僅かでも疑うつもりはない。
絶対に受け取らないと態度で示すように葵の傍を通り過ぎ、ゲームの電源を付けた。
「ほら、やるんだろ?」
コントローラーをソファの前のテーブルに置き、座るように促す。
おそらく謝罪をしても堂々巡りになるので、こういう時は話題を逸らした方が良い。
葵は納得いかなさそうに唇を尖らせていたが、諦めたのか盛大に溜息をついた。
「……やります。でも、これはここに置いておきますから」
「分かった。でも、絶対に触らないからな」
「別に触ってもいいですが、お好きにどうぞ」
投げやり気味な言葉を発しつつ、葵がリビングのテーブルに財布を置く。
喧嘩のような形になってしまったが、それでも彼女はソファへ腰を下ろした。
距離を開けて空も座れば、窺うような視線が向けられる。
「せんぱいは――いえ、何でもないです」
「そっか」
聞きたい事があるだろうに、葵は言葉を呑み飲み込んでくれた。
それは、間違いなく空を気遣ってくれたからだろう。
小さく笑みを落とし、ゲームの画面を見るのだった。




