第1話 お隣に引っ越してきた美少女
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「動きたくねぇ……」
三月末の春の陽気が降り注ぐ室内で、皇空はソファに凭れながら呟いた。
先程冷蔵庫の中を見たが空っぽだったし、カップ麵も家の中から姿を消している。
ならば外食すればいいだけなのだが、あまりにも過ごしやすい気温というのもあって動く気力が湧かない。
それに、今日は夕方からバイトだ。二回も外に出たくないと誰だって思うだろう。
「でも、腹減ってるのも確かなんだよなぁ」
空の腹が「何でもいいから栄養が欲しい」と訴える。
このままジッとしているのも耐えられそうになく、溜息をついて立ち上がった。
適当な服に着替えて外に出ようとしたのだが、数人の男の声が聞こえてきて、ドアノブに伸ばした手が止まる。
『それじゃあ置くぞ。タイミング合わせてくれー』
『了解です!』
『どいたどいたー! 入るぞー!』
音がかなり近いので、おそらく隣に誰かが引っ越してきたのだろう。
時期的に有り得ない事ではないし、ここは1LDKのマンションだ。
住人が入れ替わるのはおかしな事ではない。
とはいえ、空が外に出たいタイミングで引っ越しが行われるとは思わなかった。
「めんどくさ」
隣の住人と仲良くすべきだとは思うが、そもそもマンションでの横の繋がりが殆ど無い事はこの約一年で理解した。
実際、以前まで住んでいた隣の人が引っ越していたのに気付かなかったくらいだ。
となれば新たな住人に空から関わる必要などないし、わざわざこの状況で外に出て鉢合わせしたくもない。
折角外に出ようとしたのに出鼻を挫かれ、思い切り顔を顰めた。
「はぁ……」
くるりと身を翻し、リビングのソファに座って惰性で行っているスマホのゲームを弄り始める。
一時間が経って再び玄関に向かうと、外からの物音が聞こえなくなっていた。
「流石にもう終わってるか」
音だけで判断するのは良くないが、かといって他に方法もない。
引っ越しの最中よりかは出会う確率が低いだろうと諦めて、外に出る。
しっかりと扉に鍵を掛けてエレベーターに向かおうとすると、隣から鍵の開く音が聞こえた。
「うわ、最悪」
勝手にではあるが避けようとしていた相手と鉢合わせしそうになり、頬が引き攣る。
出来る限り急いで扉から離れようとしたのだが、無情にも空の背後から「あの!」という溌剌とした声が掛かった。
「………………どうかしましたか?」
無視して逃げるのも手ではあったが、それでは印象が悪くなってしまう。
媚びを売るつもりはないし、積極的に関わるつもりはないものの、出会ってしまった以上はそれなりの対応をしなければ。
諦めの境地で振り向きつつ、声の主へと視線を向けた。
(あー、そういうタイプかぁ……)
空は美醜で対応を変えるつもりなどない。しかし、好みというのは存在する。
そして、目の前の女子高生と思われる少女は、明らかに空の好みではない――もっと正確に表現するなら苦手な――タイプだ。
とはいえ艶がかったセミロングの金髪は癖一つなく、顔も驚く程に整っているので、見ている分には非常に目の保養になる。
出ている所は出て、引っ込んでいる所は引っ込んでいるという、これぞ理想の女子といった体型はさぞかし異性を惹き付けるだろう。
問題は、彼女がいかにもな元気溢れる笑みを浮かべている事だ。
ピンク色のギャザーセーターに白色のシンプルなスカートと合わせて、これぞ明るい美少女といった雰囲気を醸し出している。
だからこそ、空にとっては忌避すべき対象となってしまった。
無難な返事をしながら微笑を浮かべられた自分自身を褒めたい。
だが、空に声を掛けた彼女の方が何故か固まってしまった。
「………」
目を見開いて硬直する姿は一種の美術品のようではある。
しかし、空の何が彼女を硬直させたのか分からない。
飯を買いに行く為に適当な服へ着替えたとはいえ、普段から身だしなみには気を遣っているのだ。
少なくとも、嫌悪されるような姿ではないだろう。
顔が好みではないと判断した上での対応ならば仕方ないと割り切り、僅かに首を傾ける。
「あの?」
「は、はい! すみません! え、えと、その、朝比奈葵です!」
「……は?」
普通、お隣への挨拶は無難なものから始まるはずだ。
なのに、彼女の名前であろう言葉を告げられるとは思わなかった。
目をあちこちにさ迷わせ、目の前でぱたぱたと手を振る姿は、苦手なタイプであっても可愛らしい。
それでも、全く予想出来なかった展開に空の口から呆けた声が出てしまった。
空の言葉を受けたからか、彼女の瑞々しい頬が朱へと染まっていく。
「わ、私の名前です!」
「多分そうだと思ってはいましたが、引っ越しの挨拶じゃないんですか?」
「そうでした! すみませんすみません!」
何度も何度も平謝りされると、空が彼女に何か悪い事をしたように思えてしまう。
実際は彼女が暴走しているだけなのだが。
「取り敢えず落ち着いてください」
「は、はいぃぃ……」
彼女が真っ赤になった顔を空から背け、深呼吸をする。
ジッと見つめるのも悪い気がして壁に凭れていると、呼吸が整ったのか「すみません」という声が耳に届いた。
ちらりと視線を送ると確かに顔の赤みが引いていたので、壁から背を離して彼女と向き合う。
「ご迷惑をお掛けしました」
「それは別にいいですけど」
「……? 何で敬語なんですか?」
「初対面ですし、それが普通でしょう?」
こてん、と可愛らしく小首を傾げる姿は、あざとさすら覚える程に似合っていた。
容赦なく心を擽られて僅かに視線を逸らしつつ答えると、宝石のように美しい蒼色の瞳が僅かに見開かれる。
「初対面……。なるほど」
「もしかして、違ってましたか?」
「あー、その、私は四月から高校一年生なんです。間違いなく私の方が年下なので、敬語は不要ですよ」
言外に空の見た目が高校一年生ではないと言われているようなものだが、大人に見られる程老けてはいないはずだ。
他人から見た空の外見年齢は気になるものの、それよりも彼女のぎこちない笑顔がどうにも引っ掛かる。
とはいえ初対面の相手にずけずけと質問するつもりはないので、小さく息を吐き出して違和感を放り投げた。
「……ならナシでいいか?」
「はい! それでは改めて。お隣に引っ越してきた朝比奈葵です。よろしくお願いします!」
「皇空だ。よろしく」
彼女――葵が名前をもう一度口にしたので、空も告げないといけないような空気になってしまった。
変だとは思いつつも取り敢えず挨拶を交わせば、葵の唇が花が咲くように綻ぶ。
「では『せんぱい』ですね!」
「先輩って……。いやまあ、いいか」
空は学年どころか学校すら告げていない。にも関わらず、当然のように先輩呼びをされてしまった。
陽の者特有の距離の詰め方に嘆息しつつ、身を翻す。
変な形ではあるが、自己紹介は終わったのだ。
ならば葵に用は無いし、世間話をしたいとも思わない。
「それじゃ」
「あ、えっと、もしかして、これからお昼だったりします?」
「……そうだけど」
まさか引き留められるとは思わず、頬を引き攣らせながら首だけで振り返る。
短く答えを述べると、葵が目を輝かせた。
「外食ですか? それとも、スーパーで弁当とか惣菜を買ってくるんですか?」
「特に決めてなかったけど、今日は何となくスーパーだな」
隣の住人が昼に何を食べるかなど、気にする事ではない。
なのに葵は口元に緩やかな弧を描かせた。
「でしたら、ご一緒してもいいですか?」
「は? 何で?」
「私もお昼まだなんです。それに、周辺の事は私よりも長くここに住んでるせんぱいに聞いた方が良いと思いまして。オススメのスーパーとか、美味しい惣菜とか、そういうのって人に聞いた方が良いじゃないですか」
「……」
コンビニやスーパーがどこにあるかは簡単に調べられるので、わざわざ空に聞かなくてもいいはずだ。
そんな空の反論を見事に封じられ、言葉に詰まる。
(滅茶苦茶嫌だけど、拒否するのは止めた方がいいだろうなぁ……)
これから長い付き合いになるかもしれないのだ。出来る限り印象を悪くはしたくない。
それが苦手なタイプであったとしてもだ。
他に気にするべき事は、葵との買い物を同じ高校の生徒に見られるくらいだろうか。
とはいえ、この約一年で周辺に空と同じ高校に通っている生徒が居ないのは知っている。
騒ぎになって悪目立ちする事もないだろうと判断し、小さく頷いた。
「まあ、いいけど」
「ありがとうございます!」
へらっと緩んだ笑みを浮かべ、葵がエレベーターへと歩き出した空の隣に来る。
あまりにも急に増えた同行者に困惑しつつ、ひっそりと溜息をつくのだった。
22時にもう1話投稿します。