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溶けゆく氷 その2

「わ〜〜マジで温泉じゃ〜ん!!」

 先程遠くから見つけた煙の出どころにたどり着くと、海に流れ込む細い川から湯気が上がっていた。恐らく地熱で温められているのだろう。

「入ってこうよ〜!」

「ガァー、クァゥ」

 アーサーも同調するようにワクワクした声で鳴いている。

 水面をのぞき込むと、クマが酷く顔色の悪い自分の顔。水面の揺らめきで歪むせいかひどくやつれて見えた。

「ええ、でもまだ明るいし、先に進むべきじゃないかな……。」

「知ってる?温泉ってただ暖かいだけじゃなくて怪我とか病気にも効くんだよ?気分も良くなるし良い事づくめだよ?」

「そういう事じゃなくて……。」

「でもクラーカちゃんも相当疲れてるっぽいよ〜?」

 誤魔化していたいた疲れを簡単に見抜かれている。確かに、慣れない土地で歩き続けた疲労もあるが、何より初めて人を殺したことへのショックからくる精神の疲労。フワッとした彼女の態度からは想像もつかない慧眼、考古学をできているのはその洞察力の深さからなのだなと妙に納得した。

「わかった、ちょっと早いけど今日はこの辺で野宿しようか。」

「ぃやった〜!」

「カァー!」


 川から少し離れたところにそれぞれテントを立て入浴の準備をする。服を脱いでタオルをまとい、ポニーテールを解いて淡い金色の髪をまとめあげ、体を拭くためタオルを出しておく。タオルを多めに持ってきておいてよかった。

 テントから出るとすでにコマーが待っていた。持っているタオルが少ないのか、最低限しか隠せておらず視線を向けづらい。それもそのはず、見る人がいないこの旅では身体を隠す必要は無いとも言える。

 コマーの身体は肉付きが良くなければ筋肉質にも見えない。屋内での活動が多いのかあまり日焼けもしていない。旅の経験だとか戦闘経験なんてこれっぽちも無さそうで、少し心配になる。

「よし、じゃあ早速入ろ〜!」

 そう言うと彼女は駆け出していき、すぐに足を湯に入れその刹那。

「あづいっ!?」

「温度確かめてから入らなきゃだよ……もう少しぬるい所を探そう。」

「アァ……」

 アーサーもやれやれという感じで声を漏らしている。

 もっと海に近いところや流れが脇に逸れたところなど、適した場所が無いかと湯温を測りつつ探す。

「クァークァー」

 後ろからアーサーの呼ぶ声がし、振り向くとちょうど浸かるのに良さそうな窪みがある。アーサーはすでに浅い所で寛いでいて、濡れた白いキツネが歩み去る姿がちらりと見えた。同じ動物のよしみなのか、そのキツネに教えてもらったのかもなんておかしなことを考えつつ、コマーを呼んで向かう。

 湯温は少し熱めで湯はほぼ透明、川の淀みになっていてゆったりと流れている。熱い湯が海風で冷えた身体に、酷使した足の筋繊維に、考えすぎていた脳細胞ひとつひとつに染みて思わず声が漏れ出てしまい、なんとなくニヤついた感じで二人に見つめられる。

「……なによ。」

「べつに〜?にしても、こんな天然の温泉があるなんてね〜〜!なんか素敵!」

 傾き始めた太陽が水面に反射し、空の青が少しづつオレンジに染められていく。といってもこの緯度では太陽は沈まず、一晩中夕方のように薄明るい。

「この島はちょうど海嶺の上にあるらしいし、南北を火山帯が貫いてるようだしね。」

 海嶺は大地の生まれる場所。地殻運動の盛んな場所であり、端的に言うと火山や海底火山が連なり惑星内部から岩石等が地表に供給される場所である。火山があればマグマの熱は地熱となり、水が加熱され温泉となる場所も多い。

「ほぇ〜クラーカちゃんよく知ってたね!」

「いや、配布された資料に書いてあったけど……。」

「そうだっけ〜?読んでなかったかも?」

 どうしてこんなにも気楽でいられるのか、この根明さは素直に羨ましくなる。


 あの時自分が下した判断が正しかったのか、人を殺した自分を彼女は認めてくれるのか、ふと他人の意見を求めたくなった。ここまで打ち解けたんだ、流石に言っても大丈夫だよねと自分を納得させて尋ねる。

「コマーちゃんはさ、もし襲われたりしたら、どうする?」

「何に〜?野生動物とか?」

 人に、という言葉を言いかけて口を噤んだ。

「いや、まぁ何でもいいんだけど……身を守る術とかあるのかなって。」

「一応猟銃は持ってるけど……あんま自信ないかなぁ〜。」

 言うことが出来なかった。あの判断は正しかったと言い聞かせてきたが、でもやはり言えないということは後ろめたく感じているということの証明でもある。結局、肯定されたいだけ。

「やっぱなんか悩みとかあんの?お金のこと?それとも別の?私でよかったら話聞くよ?」

「……どうして、そう思うの……?」

「だって悩みまくってますって顔に書いてあるもん。最近あんまよく寝れてないでしょ?それにさっき何か言いかけたし。」

 しばらくの沈黙。たぶんもう隠し通すことはできない。それに、ここで言わなかったとして、ずっとそのモヤモヤとした気持ちを抱えたまま行動を共にするのはあまりにも苦しい。

「私……人、殺しちゃった……」

「あ〜、だから襲われたらどうするって話だったのね〜。」

「えっ」

 思っていたその何倍も軽い返事に肩透かしを食らった感覚に陥る。

「だってクラーカちゃんは私と一緒に居てくれるくらい優しいし、そもそも殺す気ならもうやってるでしょ?ってことは正当防衛だってことくらい分かるよ〜。」

 自白にも近い告白を受け流され、悩みに悩んだ事をすんなり肯定され、あまつさえ優しいとまで言われて。島に来てから、下手したら旅に出てから一度も向けられたことのない他人からの信頼に目頭が熱くなってきた。

「……いや、優しい、のは……コマーちゃんの方……だよ……」

 コマーは何も言わない。おそらく落ち着くまでそっとしておくつもりなのだろう。どこまで行っても変わらない優しさに更に涙がこみ上げる。精一杯取り繕うために顔を伏せ、湯で涙を誤魔化す。


 大分気分も落ち着いてきた頃に、伏せていた頭に何かがコツンとぶつかった。顔を上げるとアーサーが仰向けにぷかぷか浮きながら眠っている。黒い羽毛が濡れたことで更に艶が増し、気持ちよさそうに口を開いた寝顔も相まって、どうしてか色気すら感じる。タオルで身体を隠した女性二人よりもよっぽど。

 カラスの行水とはよく言うが、野生の個体は濡れたままでいると病気になることがあり、それを防ぐためのこと。しかしアーサーは体を拭いてもらえるのでたっぷり濡れてもお構い無しなのだ。

 しかし逆上せてもいけないし、あまり羽根の脂が取れすぎても体に悪いので、湯から上げてタオルで拭き取りそのままくるんでおいた。遠い太陽に照らされ艷めく、水も滴るいいカラス。そんなふうに感じた自分が何かおかしくて。もう涙は出なかった。

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