溶けゆく氷 その1
背後には草の緑、正面には海の青、冷ややかに潮風が吹き付けて金の髪が靡き、黒の羽毛もゆらめく。海が近いと釣りで容易に食糧が得られてありがたい限りだ。
「あっ……」
釣り上げた魚を海鳥に奪われてしまった。アーサーがちゃんと威嚇しておいてくれているのだが、それでも自然の一部である海鳥たちは容赦ない。「僕って威厳とかそういうの無いのかなぁ?」と凹んでいたので、焼いた鱈を軽くほぐして食べさせてあげる。
ここ数日何かと動物と関わることが多い気がする。あの朝の白いキツネを皮切りに、歩いているだけで羊がこちらを見つめながら並んで歩いてきたり、食事中に狼が干し肉につられて寄って来たり。来たばかりの頃は気づかなかったが、この辺りは思っていた以上に自然豊かで活気があるようだ。
「あーー!!人だぁーーー!!」
突然背後から女性の高い声が響いた。先に出会った人間は自分を殺そうとしてきたが、声をかけてきた所を見ると不意討ちではないことは明らかだし、今度こそ危害を加えてこない善人でありそうな気がした。希望的観測かもしれないが、とりあえず会ってみることにする。一応、さっきまで鱈を切っていたナイフは手元に置いたままにし、駆け寄ってくる人影を待つ。
「女の人と会うの初めてだ〜!こんにちわ〜!!」
少し年上、20代後半くらいであろう黒髪をショートにまとめた背の高い女性。本当に敵意が欠片も無いことが感じ取れ緊張がほどける。
「あーー……こんにちわ?」
しかし、この旅においてわざわざ話しかけてきた理由も目的も分からず返事に困ってしまう。どのような態度で対応すればいいのか、そもそもこの状況で何を話せばいいのだろうか。
「私一人だとやっぱ心細くて〜……もし良かったら一緒に旅しない?」
「え、ま、まあ良いけど……。」
つい勢いに押されて許してしまった。確かにこの厳しい環境で一人だといざという時に助けも呼べないし、また襲われたら手も足も出ないかもしれないしとても心細い。しかし彼女にとっては寝込みを襲われて刺される不安もあり、等しく心細いのである。基本的にこの状況で他人を信じることはできないのだが、それでもこの女性を見捨てて不安なままにすることはできないし、それこそその後に殺されでもしたら胸糞が悪い。
「私コマー!よろしくね〜!!」
「あ、私はクラーカ。こっちのカラスはアーサー。よろしくね。」
「アァー」
「この子クラーカちゃんのだったんだ〜!アーサーちゃんかわいいね〜よしよ〜し。」
アーサーは気持ちよさそうに目を細めて頭を撫でられて、というかカキカキされて気持ちよさそうな声を漏らしている。
どこまでも続く草原、景色の変わらない移動も他人がいるとちっとも退屈しなくなる。
「クラーカちゃんはなんで調査に来たの?」
「私はー……あー、お金かな……。」
「えっ、お金に困ってるようには見えないよ〜?服もオシャレだし髪とか肌も……でもホントに困ってるんなら相談乗るよ?いやむしろ力にならせて!?」
「いや、困ってるんじゃなくて……故郷に帰る時に手土産にするというか、親にいいとこ見せたくて。」
「あ〜!家族のためなのね〜!クラーカちゃん優しい〜!やっぱり親には見栄張りたいもんね〜私も何か実家に持ってかないとな〜。」
少し話すだけでどんどん言葉がなだれ込んでくる。彼女自身も話すのは嫌いではないしむしろ好きな方であるが、あまりの勢いに押されて口を開くタイミングが掴みづらい。
「コマーさんは」
「ちゃんでいいよ!」
「えぁ、うん、コマーちゃんはどうして調査に?」
コマーはそう尋ねられると目を輝かせ、両の手で天を仰ぎ嬉々として語り始めた。
「私はね〜!この島に満ちたロマン!壮大な北の大自然と、もしかしたら何か宝の山とか〜、伝説の精霊とか〜、あとはるか昔の人々が作った遺跡とか!そういうのを探しに来たのよ!あ、もちろん闇雲な訳じゃないのよ!実は私こう見えて考古学やっててね〜!八百年くらい前の文献なんだけどなんとこの島の存在を示唆するような……」
まるで機関銃のように言葉の弾丸を浴びせられ、先程までの勢い強いと思っていた会話すら嵐の前の静けさだったのだろうと思う。話が速すぎて内容がろくに頭に入らず、とりあえず相槌をうちながら聞き取れた断片的な情報を整理する。アーサーはとっくに飽きてその辺で拾った長い枯れ草を振り回して遊んでいた。
分かったことは八百年前の文献や他にもいくつかの書物にこの島を指すと思われる記述があったこと、あくまでおとぎ話だがいつかも分からないくらい昔その島には文明を持った人が住んでいたかもしれないということ、その文献はどうやら各地で言い伝えや民話のようなものを聞き集めたようなものであること。あとは専門用語混じりでよく分からなかったが、伝聞で書かれた文書だから本当のところは分からない、だから確かめるのだと強調していた。
「……ということで私はその真実を確かめに来たのです!」
ドヤ顔。話し終わるとまるでふんすっとでも言うかのように達成感に満ち満ちた顔をして歩きながら腕を組んでふんぞり返っている。語りに語って相当スッキリしたのだろう。かと思えば、
「ねぇねぇ、あれ湯気かな?」
間髪入れずにコマーが尋ねてくる。指差す方を見ると少し先の方の海岸沿いに湯気のような煙の上がっている場所が見えた。島を発見した時の報告によると、この島は火山帯のちょうど真ん中に位置していて、地殻運動が盛んであることが推測されていたとのこと。湯がこんな所に湧いていても何もおかしくはない。
「ホントだ、ちょっと行ってみる?」
長い語りでコマーと居ることにもずいぶん慣れたのだろう、さっきまでの緊張が抜けた自然な喋り方で尋ねた。