悔悟と解悟
どれほど眠れただろうか。3時間、いや2時間にも満たないかもしれない。とにかく、日が昇り始めるまでの時間は永遠にも感じた。アーサーは首をすくめて気持ちよさそうに眠っていて、正直羨ましい。
頭の中には色々な考えが目まぐるしく巡り、とてもじゃないが眠る気分にはなれず、とにかく居心地が悪い。そもそも初めから参加者同士での殺し合いは想定できた事かもしれなかった、それを考えていなかった自分が迂闊で愚かだったのかもしれない。軽率にこんな作戦に参加しなければ良かった、自分の満足とお金のために目がくらんで、自分だけでなくアーサーまで危険に晒してしまって、挙句の果てに人を殺して。自分ももうその殺人を厭わない連中と同類になってしまったのだと考えると自分が嫌になる。自分の今までの行いが正しかったのか、間違っていたのではないかと疑うことしか出来ない。
ずっと下で波が岸壁にぶつかり砕ける音が、微かに聞こえ続けていた。崖の下の冷たく鈍い色の海。白夜の夕暮れのような陽の光に包まれ黒く煌めく海はまるで影か何かのようで、自分はその暗い影の底に沈んでいるような気がした。実際に沈むべきなのはあの男ではなく自分だったのかもしれない。
気がつくとアーサーが目を覚ましてこっちを見つめていた。きっとこの気持ちは、強い後悔と自己嫌悪は、能力による伝達かそれとも単に察されているのか、アーサーにも伝わっているのだろう。彼は何も言わないし伝えてこないが、心配されていることは察するに容易い。時計は午前5時を指しており、辺りもだいぶ明るくなってきていた。流石にこうも明るくなると尚更眠れないし、安全のためにも行動せざるを得ない。とりあえず水を入れたケトルを火にかける。ゆらめく炎を見ていると何故だか気持ちが落ち着いてきて、発生する熱がそのまま自分の活力に繋がって行く気がした。
旅に出てから毎朝必ずコーヒーを飲んでいる。初めは大人になろうと背伸びして苦味を噛み締めながら飲んだものだが、最近はすっかり慣れて好きになっていた。しかし今朝はまるで苦味しか感じず、初めてコーヒーを飲んだ時よりもひときわ不味く思えた。温めていたスープを流し込んだ。
「クァー」
振り向くと、アーサーが後ろから呼びかけていた。東に昇りかけてきた太陽に背後から照らされて、黒いシルエットがくっきり際立っている。クチバシに何か小さな青いビー玉のような物を咥えて差し出してきた。昔からアーサーは一般的なカラスのイメージの例に漏れず、光るものを集めるのが好きだ。この前なんか宝石の埋め込まれた高級な雰囲気の指輪を持ってきたことがあって、ついに盗みに手を出してしまったのかとヒヤヒヤさせられた。結局それはレプリカの安物だったし、多分誰かが落としたまま放置した物だったのだろう。そんなこともあったなと思い出すとなんだか笑えてくるし、少し元気が湧いてくる。起きてしまったことは仕方ない、今はなんとしても生きて目的を達成することが第一であると。
玉を受け取ると、目の前のすこし離れたところに白いキツネが居ることに気付いた。この島でキツネを見かけるのは初めてではなかったが、人のいないこの島では全く人慣れなどしておらず、少しでも近寄ると逃げ去るのが常だった。しばらくするとそのキツネはどこかへ走っていき、姿が見えなくなる。ちょうどこれから向かおうと思っていた方に、歩いて降りるのに丁度よさそうなルート。もしかして行く先を導いてくれているのかもしれないと思うと、何故だか安心感があった。
ふと昨日のことを思い出す。男に襲われたことではなく、アーサーが顔の上に乗っていた時のこと。黒い羽毛で覆われた背中が重力で顔に押し付けられ、体温と羽毛の保温性を感じた事を思い出した。勝ち筋が見えた事ももちろんだが、温かい体が触れていたことも心を落ちつける助けとなった。
「アーサー。」
呼びかけながら両手を伸ばし、彼を持ち上げる。能力のせいで何をしようとしているかは筒抜けなはずだが、嫌な顔ひとつせずにじっとしてくれた。そのまま顔をお腹の羽毛に埋めると、冷涼な気候に慣れきっていない身体に温もりが染み渡っていく。羽毛は早くも冬羽への生え変わりが始まっていて、もこもことしていて癒される。元気を出したい時はよくこうしていたし、アーサーも文句一つ言わないでいてくれていた。
貰った青白い玉をバックパックのひとつのポケットに入れ――もっともそのポケットはアーサーのコレクション入れになっているのだが――、テントを畳んだ。魔法をかけられていないのに寝不足で重く気怠い体に鞭打って、命を繋ぐために先へ進まなくてはいけない。とにかく次の、島の北岸にある拠点まで。この下り坂を終えればしばらく見晴らしのいい草原が続いている。海にも近いため、なるべく食糧は釣って手に入れようと決めた。雲ひとつない高い空が深く蒼い海を輝かせていた。