上に下に その2
銃を向けられ、いよいよ死が間近に迫ってきていた。ここから先の一手、誤ればもう次は無いという極限の状況で、早まる鼓動に合わせてドクンドクンと恐れと絶望が頭の中を侵食してくる。いつ引かれるか分からない引き金、動かない体と回らない脳。名声を得て故郷に帰ってみんなに、家族に認められるまではこんなところで死ぬ訳にはいかない。今動かせる駒はナイフを持ったアーサーのみだが、ナイフを持っているのにも関わらず、アーサーは私と違ってまだ動ける点が不可解だ。そこにこの状況を少しでも好転させられる手がかりがあるはず。
奴は激昂しながら銃をこちらに向けている。アーサーが何かしようとすれば気づかれて飛べなくなってしまうかもしれない、どうすれば奴の魔法を止められるだろうか。ナイフを奪ったあとアーサーは奴の背後で様子を伺っている。奴にはアーサーが見えていない……。
(アーサー!)
(クラーカちゃん!どうすればいい?)
能力を使い、脳内でアーサーと意思疎通をする。
(多分コイツは場所が分からないと、目で見てないと動きを止められない!)
(じゃあ後ろから急所を)
(いや、それじゃ殺しちゃう。目潰しをお願い。奴の意識はなんとか惹き付ける。あとは任せるよ。)
(……わかった、やってみる。)
「おい、この……腐れ外道……!」
普段使ったこともないような、思いつく限りの罵倒をする。なるべくイラつかせるために、恐怖に青ざめた顔色を誤魔化すために、煽るような笑顔を作る。
「あ?この期に及んで喋ってんじゃねーぞオラ。」
「悔しく、ないのかよ……カラスなんぞにナイフ、奪われて……ゲホッ、逆上してさ……。」
「立場分かってんのかァ?テメェはこのナセット様の足元で地面に這いつくばって死ぬんだよォ!!」
男は目を見開き叫びながら膝を付いて屈み、彼女の眉間に銃口を押し付け、空いている方の手で首を掴む。彼女は目を閉じ、緊張で引き攣る口角を上げ精一杯余裕ぶって見せた。
アーサーが静かに背後から近づき、彼女の頭と男の顔の間に脚を上にして滑り込んだ。拳銃はその拍子に手から離れ落ちたが、アーサーも重く動けなくされてしまう。しかし体勢を崩さずに翼を広げてバランスを取りながら踏ん張り、唸り声を上げながらもなおナイフを絶対に離さない。
「ざっけんなや!鳥カスがァ!!このまま絞め殺しっブッ!?」
アーサーがナイフで男の額を切りつけた。飛べなくされてしまうなら、飛ばなくても届く状況を作ればいい。挑発したのは意識を極力向けるためだけでなく、少しでも男を感情に任せて動かせ隙を作るためでもあった。クラーカの顔にアーサーが乗る形になるのは予想外だったが、本当に作戦通りにいったのは幸運だ。流石はアーサー、今までの旅でも何度も彼の起点に救われてきたし、カラスの中でもひときわ賢くて頼もしい。
目を開け軽くなった体を起こすと、そこには目に血がかかり倒れ込む男の姿。すぐさま男の落とした拳銃を拾った。
「これ以上戦うつもりは無いから、拠点に戻って自首しなさい。そうするなら、私はあなたを殺さない。」
「クソォッ……調子乗りやがって、クソカスのクセにッ……!テメェなんざに諭されて自首なんぞする位なら死んだ方がマシだってんだよォ……!」
男は立ち上がり、さっきまで彼女が倒れていた場所に重力魔法をかけたようだ。ズシャッと音を立て砂利が蠢いたので分かるが、相当の威力になっているようだ。
通常魔法は発動やその維持を視覚に頼りきっている。見えないままの当てずっぽうもいいところだが、もし喰らえばまたふりだしに戻る。男は次々と場所を変えて重力を操り数打ちゃ当たるで彼女を狙っている。攻撃を辞める素振りが無いため一刻も早く男を撃ち抜かなくてはならない。
震えた手で男に銃を向け、指を引き金にかける。何となく使い方は知っているが、全くもって触れたことの無い代物。私は今から初めて人を殺すのだと意識するとそれだけでおぞましい。すぐ目の前の空間が魔法で乱され、砂塵がはね飛ぶ。今やらなくては自分が死んでしまうと必死に自分に言い聞かせ、固い固い引き金を押し込む。
男は銃弾に頭を撃ち抜かれ、そのまま後ろに倒れ込み崖を落ちていった。彼女も想像を遥かに超える銃の反動で尻もちをつき、銃はどこかに吹き飛んでいってしまった。銃声と、身体がぶつかり傷つき壊れ命が失われていく音が、静かな入江に何度もこだまする。
「あ……ああぁっ……。」
男は死んでしまっただろう。いくらそうでないと自分が殺されていたとはいえ、今まで一度も人を殺めたことのない彼女にとってこれが初めての殺人。一気に張り詰めていた緊張感が無くなったことと、人の命を奪ったというショックで、彼女はその場にへたりこんでしまった。息が荒く激しくなり体が震える。
(クラーカちゃんは悪くないよ。あの男のせい、仕方なかったんだよ。)
「うん……はぁっ……はぁ……そう……だね、わざと、はぁ……じゃない……。」
アーサーが傍にくっついて励ましてくれている。仕事の手伝いでミスをして親に叱られたり、好きだった相手に告白して玉砕したり、旅の途中で道に迷って不安な夜だったり、いつもこうして元気づけようとしてくれた。カラスながらに思いやりがあって、人一倍、いや鳥一倍賢くて優しくていつも支えてくれる大事な相棒。
褒賞の取り分を増やすために殺人を犯す輩は他にも居るだろうということが予想できる。未知のロマンに溢れる新天地で探検という夢想は崩れ去り、もはやこの旅はいつどこで誰に殺されるか分からない過酷なものとなってしまった。
非常に疲れたので、今日は移動は控えておくことにした。近くでなるべく目立たなそうな場所にテントを立て、アーサーとなるべく楽しい話をするようにして眠れない薄曇りの白夜を凌ぐ。夕食に食べた缶詰は味がしなかった。