9. 悪夢再来
「しかし旅行か。俺行ったこと無いんだよな」
「そうなの?」
「家は母さんだけだったから余裕が無かったんだと思う。大人になったら母さんを旅行に連れて行きたかったなぁ」
「うう……ゆうとぐーん」
「なんで彼方が泣いてるの!?」
優斗もそれなりに切なさを感じていたのだが、それ以上に彼方がボロボロと泣いていたので驚きで悲しみなど吹き飛んでしまった。
「彼方ってもしかしてテレビで感動話見ると泣いちゃう系?」
「う゛ん……ぐすっ」
「ああもう、顔洗ってきなさい」
「は~い」
感受性が豊かというやつなのだろうか。
だとするとここしばらくの不幸の連続で壮絶なまでに苦しみ、逆に今の幸せな毎日に溺れるようにのめりこんでいるのも分かる気がする。
「ホント、騙されないようにちゃんと見てないとな」
感動話の裏には詐欺が潜む、なんてことは多々あるのだ。
流石にそこまでポンコツではないと信じたいが、つい心配してしまう。
「ただいま」
「おかえり」
洗面所で顔を洗ってさっぱりさせた彼方が戻って来た。
「彼方は旅行に行った事あるのか?」
「実は家も無いの。ほら、お父さんもお母さんも忙しかったから」
「ああ……」
彼方の両親は巡り合わせが悪くブラックな職場ばかりに当たってしまったため、旅行に行く時間が取れなかったのだろう。
「じゃあお互い初めての旅行か」
「初めてが貸し切りのコテージってのも凄いよね」
「マジそれな。ちなみにどの辺りにあるんだ?」
「ええとね……」
せっかくなのでこの機会に旅行先の場所について色々と確認した。
彼方が知らないことは直接閃に確認するなどしたら、とんでもないことが分かった。
「プライベートビーチとか、金持ちぱねぇな」
「でも良かった」
「ああ、混雑している海とかゆっくりできないもんな」
「そうじゃなくて、水着姿を優斗君以外に見せたくなかったから」
「…………」
「…………」
あまりにも可愛らしい事を言ってくれたため、思わずまた唇を合わせしまった。
「水着か。そういえばプールにもずっと行ってなかったから買わないと」
「私もだよ」
「…………」
「…………」
今度は別にまたイチャついたわけではない。
二人が同じことを考えて思考が一瞬停止してしまっただけだった。
「買いに……行くか?」
「……うん」
二人が個別行動で買い物に行くなどあり得ない。
つまり水着も一緒に買いに行くのが自然な流れだった。
旅行前デートの予定が決まったのであった。
「彼方の水着姿か。楽しみだな」
「優斗君のえっち」
「そうだぞ。俺はえっちで狼さんなんだ。だから際どい水着を頼みます」
「あはは、ばーか」
照れ隠しに茶化し合っているが二人は気付いていない。
今回の旅行が何泊か決まっていないことを。
そしてもし二泊以上になり初日にアレをしてしまったのなら。
プライベートビーチと水着。
果たして優斗は狼から人間へと戻れるのだろうか。
「そうだ、旅行に行くなら家から色々と持ってこなきゃ」
「色々と?」
「うん。持って行きたいものがあると思うし、持ってなかったら買いに行かないとダメだから確認しないと」
実質優斗の家に旅行し続けているようなものなのだが、遠距離の旅行ともなると意味が異なる。
特に彼方は女子なので常備しておきたいものが優斗よりも遥かに多いのだろう。
「じゃあ彼方の家に行くか」
「うん」
ここしばらくは優斗の家に入り浸りだったから、彼方が自分の家に戻るのは数日ぶりだ。
一時的な帰宅くらいは一人でもメンタル的な意味で問題無いのだが、閃達から念のため彼方をなるべく一人にしないようにとも言われているので優斗もついていく。
拉致されて父の会社の人にも狙われたのだから、用心してもしすぎることはないとの考えによるものだ。
二人は優斗の家を出て、大通りを渡り、彼方のマンションへと入る。
そしてポケットから鍵を出した優斗は玄関の鍵穴にそれを差し込んだ。
「(なんで俺が持ってるんだろうな)」
彼方は正気に戻った後も自分の家の鍵を何故か優斗に持たせたままだった。
合鍵を作れば良いのにお金が勿体ないからと作らせてくれない。
「(あれ、感触が……?)」
鍵を回してみたが、開いた感触が全く感じられなかった。
まるですでに開いていたかのように。
「まさか!?」
「優斗君?」
彼方の家を出る時に間違いなく鍵を閉めた。
それなのに空いているという事は空き巣か何かに入られているのかもしれない。
「彼方、ここに居ろ」
「…………え?」
「誰かが中にいるかもしれない。もし鉢合わせたら全力で逃げるぞ」
警察を呼ぶことが出来ないから犯罪者と鉢合わせたら逃げる事しか出来ないのだ。
「そうだ、閃達に連絡して協力してもらおう。特に春臣達がいれば百人力だ」
強盗の一人や二人、息を吸うように軽く捻りつぶすだろう。
優斗はスマホを取り出してさっそく閃に連絡しようとした。
しかしその手は彼方によって止められた。
「彼方?」
「…………」
彼方は既に顔面蒼白であり、首をゆっくりと横に振った。
「多分、泥棒じゃ、ない」
まるで両親の死やトラウマに触れた時のように苦しそうにしながらも、彼方は辛うじてそれを口にした。
中にいるのが泥棒では無いと言うのならば何故鍵が開いているのか。
彼方はその理由に気付いているのかもしれない。
そしてその理由は彼方がこうして苦しんでいる原因に関係しているのではないか。
この扉の先に彼方の秘密がある。
「彼方、やっぱり戻ろう」
このまま扉を開けて中に入ったならば、彼方は倒れてしまうかもしれない。
だから一度優斗の家に戻って心を落ち着かせるべきだ。
「ううん……入ろう……優斗君」
だが彼方は歯を食いしばりながらも前に進むと決めた。
自分を苦しませる原因に立ち向かうと決めた。
彼方の想いを尊重すべきか。
それとも今無理に頑張る必要は無いと諭して落ち着かせるべきか。
「分かった。開けるぞ」
それが優斗の選んだ道だった。
ゆっくりとゆっくりとなるべく音を立てないように扉を開ける。
「!?」
その瞬間、優斗の目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。
正面の廊下の先にあるリビング。
そこがあってはならない惨状になっていた。
まるで彼方の家に初めて訪れた時のようだ。
「彼方」
「…………っ!」
彼方は見ていられないと言った風に目を瞑り優斗の服の裾を掴んでいるが、背中を軽く押して中に入るように促して来た。
「(玄関に男の靴がある)」
中に誰かがいるのは間違いない。
彼方は大丈夫だと言うが心配だ。
優斗は警戒しながらそろりそろりとリビングに向かった。
そこは酷い有様だった。
数々の棚が中身をぶちまけほとんど倒れている。
テレビの画面には大きなヒビが入り、リビングのテーブルは完全に破壊されていた。
衣服の散乱こそないが、あの時の光景と瓜二つだった。
いや、それよりも酷く荒らされているように見える。
「なんだよ……これ……」
そして優斗の心を最も抉ったのがあの壁だった。
沢山張られた彼方との数々の想い出がほとんど剥がされ、ビリビリに破かれて無造作に捨てられていた。
当然例の不快な文字が存在感をアピールしている。
『祝死』
これまで隠されていた鬱憤を晴らすかのように胸糞悪いオーラを惜しげもなく放つそれを見て、優斗は吐き気を催した。
優斗ですらこうなのだ、彼方がこの光景に耐えられるとは思えない。
「いやっ」
小さく声を漏らした彼方は、地面に座り込みぐしゃぐしゃになった写真を集めていた。
「(彼方にとって一番ショックなのが写真か。くそ、こんな状況なのに喜ぶんじゃねーよ)」
その写真はいわば優斗との想い出の象徴である。
荒れた部屋や壊れた物よりもその想い出が汚されたことを一番に苦しんでいることが、それほどまでに優斗との想い出を大切に思ってもらえていることが、優斗を嬉しく思わせてしまったのだ。
「(しかし誰もいないな。他の部屋か?)」
玄関に靴があった以上、誰かが中にいるのは間違いない。
彼方の部屋か、それとも両親の部屋か。
そう思った時にトイレから水が流れる音がした。
どうやら件の人物はトイレで用を足していたらしい。
優斗は彼方を庇う形でそいつが出てくるのを待つ。
しばらくするとガチャリとトイレの扉が開き、中から出てきたのは薄手のTシャツを着てハーフパンツを穿いた若い男だった。
「なんだ、やっと帰って来たのかよ。彼方」
そいつは見るからに下卑た笑みを浮かべて優斗の後ろでしゃがみこむ彼方に親し気に声を掛けた。




