1. 扉を挟んで
「彼方!? おい、彼方どうした!?」
過去の恥ずかしい記憶を一通り思い出したことでしゃがみこみ発狂した彼方は、優斗の声に気付いて理性を取り戻した。
同時に自分が置かれている状況を理解する。
彼方を心配した優斗もまたしゃがみ、横から優しく肩を抱いて落ち着かせようとしてくれていたのだ。
「~~~~っ!」
顔や体があまりにも近く、しかも触れられていることで極限まで高まっていた羞恥心が爆発する。
そうなるのも仕方ない。
好きで好きで仕方ない相手。
恥ずかしいことを沢山してしまった相手。
そんな相手に優しくされて触れられてしまえば、枷が取り払われた心が耐えられるはずが無いのだから。
「ごめんなさい!」
「え?」
彼方は勢い良く立ち上がり自室へと逃げ込んだ。
そしてドアが閉まるや否や、そのドアに背を預けてヘナヘナとへたり込む。
「ど、どど、どうしよう……」
真っ赤な顔を両手で覆い必死に落ち着こうとする。
しかし落ち着こうにも蘇った記憶が何度もフラッシュバックする。
今も恥ずかしい姿を見られているような気がする。
今も恥ずかしい場所を触られているような気がする。
羞恥心が全く治まってくれない。
それなのに。
「(なんで平気なの!?)」
狂乱する程のダメージを負ったはずなのに心がギリギリ耐えられている。
それどころか正常に戻っている。
普通に恥ずかしくて悶えている。
壊れてくれない。
実はこれこそが頭痛と感情抑制の理由だった。
拉致された事件で彼方の心は一旦正常に戻ろうとしたが、そのまま正気に戻って恥ずかしいあれこれを思い出したら心が耐えられないだろうと自己防衛機能が働いたのだ。
危険な記憶を封印し、思い出そうとしたら頭痛という危険信号を出して抑制した。
感情までも抑制したのは、強い感情という刺激により強引に記憶を呼び覚まされる可能性があったから。
しかし封印してもいずれ解放しなければならない時が来る。
その時に耐えられるように準備をしなければならない。
彼方は無意識である判断をした。
慣れちゃえば問題無いんじゃね?
それゆえ彼方は恥ずかしいセリフを積極的に言うようになったのだった。
素直な想いを口にして恥ずかしい気持ちに慣れるために。
一歩間違えれば傷口に塩を塗り込み追加ダメージを与える様な行為だったが、一時の狂乱だけで治まったところを見ると成功したのだろう。
彼方は座り込んだまま、その『慣れ』が心を落ち着かせてくれるのを待った。
そうしてどれだけ時間が経っただろうか。
コンコン
「!?」
部屋の扉をノックする音がした。
まだ落ち着いたとは言い難く、心臓が飛び跳ねる。
「彼方、大丈夫?」
扉越しに聞こえてくるのは優斗の心配そうな声。
「~~~~っ!」
その声を聴くだけで狂乱状態に逆戻りしてしまいそうになる。
時間を空けてノックしたのは彼方が落ち着くのを待ってくれていたのだろう。
その思いやりに気付き好きな気持ちが高まってしまう。
しかし『慣れ』のせいか、辛うじて踏みとどまった。
「だ、大丈夫だよ。急にごめんね」
しかもこうして会話することも出来る。
尤も、顔を見ていないからかもしれないが。
「そうか……」
優斗の声からは心配の感情が消えていない。
これまでに無い程の取り乱しっぷりだったのだから、大丈夫と言われても信じられないのは当然だ。
「本当に大丈夫!」
優斗をとてつもなく心配させている。
そのことに思い至った彼方は慌てて大声をあげた。
「あれ、彼方感情が……」
声の大きさだけでは無い。
その声にははっきりと『慌てている』という感情が篭められていた。
そのことに気付き優斗は思わず感じたことをそのまま漏らした。
「感情? あ、うん、その、治ったみたい」
何がきっかけだったのかは優斗には分からないが、そんなことはどうでも良い。
ついに彼方が元に戻ったのだ。
そのことがあまりにも嬉しくて万感の想いを篭めて優しくつぶやいた。
「良かった」
心から安堵するその声からは、彼方の事を深く想っていることがダイレクトに伝わってくる。
扉越しなのに容易に貫通して彼方の胸に突き刺さる。
「優しくしないでぇ」
「え!?」
これ以上の追撃は止めて欲しいとつい懇願してしまった。
その半泣きのような甘い声が煽情的であり優斗を惑わせていることに気が付いていない。
優斗はその誘惑にどうにか耐え、内心を悟られないように必死に冷静さを装って会話を続ける。
「なぁ彼方。さっきのってもしかして色々と思い出しちゃったのか?」
「え、あ、ええ!?」
「これだけは分かってくれ。俺は絶対に彼方の味方だから」
「はい!? あ、なんだ、そっちの意味なの。え!?!?」
「彼方?」
すれ違いである。
優斗は彼方が辛い記憶を思い出して苦しんでいるのかと勘違いしていたが、彼方は自分が恥ずかしがっていることがバレたのかと焦っていた。
そして優斗の言葉でその勘違いに気付いて安心したものの、その言葉にキュンとしてしまい大混乱。
しかしこのままでは優斗に心配をかけたままだ。
それはあまりにも申し訳ないと思い、勇気を出した。
「ええと、そのね。色々と思い出してパニックになっちゃっただけなの。それで、その、あの、少しだけ、恥ずかしくなっちゃって……」
何が恥ずかしかったのかを具体的に言わなかった。
口にするのも恥ずかしいので言えなかっただけかもしれないが。
優斗は彼方の言葉の意味をどこまで察したのだろうか。
「そうか……それなら俺、家に戻った方が良いかな」
「え?」
彼方が恥ずかしがっている。
その理由はいくつも考えられる。
でもその原因が間違いなく優斗にあるということだけは分かった。
それならば彼方を落ち着かせるために一旦距離を取るべきなのかもしれないと思ったのだ。
そもそもうら若き男女がこうして同棲していることが不健全なのだ。
正気に戻った彼方ならばそのこと自体が恥ずかしいはず。
他ならぬ優斗がそうだったのだから。
恥ずかしい原因である自分がいなくなれば、彼方はゆっくりと考える時間が取れるだろう。
それは恐らく正しい。
そして彼方もそのことに気が付いていた。
「ダメ!」
しかし彼方はそれを断った。
「(だってそれじゃあ私の都合で篠ヶ瀬君を追い出すようなものじゃない!)」
ここまで尽くしてくれた優斗に恥ずかしいからという理由だけで出て行けなどと言えなかった。
そんな恥知らずなことは出来ない。
好きな相手とかそういうことは関係ない。
優斗が帰るかどうかは、二人で冷静にしっかりと話し合って決めるべきだ。
こう考えられるのが彼方という人間だった。
そんな彼方に突然悲劇が訪れる。
今の彼方は正常時の状態に戻ってはいるが、実はとある後遺症が残されていた。
そして優斗に帰って欲しくない理由の中には好きな人と離れたくないという気持ちも含まれていた。
この二つが合わさった時、何が起きるか。
「私と一緒じゃ嫌?」
「え!?」
羞恥心が戻って来たにも関わらず、反射的に恥ずかしいセリフを言ってしまった。
「(いやああああ! なんてこと言っちゃってるの!?)」
言い慣れてしまったがゆえに、この手の台詞が自然と口から出てしまうようになっていたのだ。
「(恥ずかしくてもう部屋から出られないよ……)」
こんな気持ちのまま優斗の顔を見たらどうなってしまうか分からない。
後遺症による自爆により、彼方は部屋から出られなくなってしまったのであった。
なんてことは無かった。
「彼方、部屋から出るのは難しそう?」
「……うん」
「う~んそうか。じゃあ夕飯どうしよっか」
「え?」
「そうだ! 俺が作って部屋の前に置いておくからそれを食べ」
「絶対ダメ!」
ゲーミング料理は全てを解決する。




