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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
9/21

第九話 襲撃 ②

 霊洞の中は静まり返っていた。

 骨兵たちが姦しく蠢く音もなく、骨髄まで染み渡る怨念が燃え盛る音もない。

 無形の道を淡々と歩いていたのは、魔術師、逢魔坂朱理だった。

 ジャリ、ジャリ、と骨兵の()()を踏み進む。

 如何な武具でも弾き返せるかと見舞う程だった骨の強度は、かけられていた『強化』の術式の効力がなくなり、火葬された骨のように少し踏みつけるだけで崩れる程脆くなっていた。

 この白骨死体たちにかけられていたのは、生前の残留思念を再生し怨念を発露させ、その妄執から生み出されるエネルギーを使って死体を動かす、比較的スタンダードかつメジャーな降霊術。

 その中でも、西洋の死霊術(ネクロマンシー)に近いだろう。

 あの黒ずくめの女は、その"動く骨"をその名の通り骨組みにして、土石を繋ぎ一種のゴーレムを形成した。

 一つの術式を"核"として、別の術式を成立させる。

 小手先の技術ではあるのだが、成る程確かに一級品だ。

 通常、魔術というものは無数のパラメーターを計算し、幾多の理論を組み合わせて初めて成立する非常に繊細な技術だ。

 魔術と魔術を重ね合わせるのは至難の技で、同じ基盤の術式の重ね合わせならばまだしも、ゴーレムと降霊術という別系統の魔術の組み合わせは非常に難度の高い技術なはずだ。

 さらに、骨そのものに『強化』の術式を施して、複数の術式の媒体としてかかる負荷への耐性を高め、極めつけは黒い女自身の魔術特性を利用して骨に染み付いた恩讐を焔として具現化させるといった芸当など、魔術に関してかなり造詣が深いと言えるだろう。

 一体一体が非常に強力。

 それが、何十もの群を成して全方位から襲いかかってくるのだ。向き不向きや相性などはあるが、土御門や化野では、恐らく為す術もなく鏖殺されていただろう。

 十分持てば、かなりの大健闘と言える筈だ。

 ()()()、彼女は一分も経たぬ間に蹴散らした。

 あの二人とは、魔術師として次元が一つ違っていた。

 寧ろ、そんな彼女相手に何十秒か手こずらせた骨兵が、それを造り上げた仮面の女が讃えられるべきではないか。

 まだ声はうら若いし未熟さも言葉の端々に見て取れる。

 しかし、その手際の良さは、長い年月を研鑽に費やしてきた魔術師のそれだった。

 "黒い女"は、魔術を兵器として使う点に於いて、間違いなく手練れと呼ぶにふさわしい実力だった。


((まず)いかもな…)

 

「一ヶ月もの下準備とこの霊脈を利用したとはいえ、あのレベルの魔術式を仕込めるほどの玉なら、いくら墓守の舞夜でもちょっと厳しいかもね………

 流石に、死ぬことはないだろうとは思うけれども。」


 逢魔坂は厳しい眼差しで虚空を見つめながら、思い詰めたように不安をこぼした。

 しかし、弟子の心配する様子とは裏腹に、その歩みは霊洞のさらに奥深くへと潜っていく。

 

「まっ、土御門もいるし大丈夫か。」


 そう能天気に(のたま)って、一切も立ち止まることなくその背中と足音は黒い闇に吸い込まれていった。



     ◇



 霊洞の外。周囲を鬱蒼と繁る木々が囲む、束の間拓かれた草原地帯。

 大気を引き裂く黒い稲妻と、風を這い回り蠢く黒い煙。

 二つの黒が、決定的なまでに違う両者互いの生体を駆使し、ぶつかり合い絡み合い、互いの飼い主を惨殺しようと竜巻のように暴れ狂っていた。

 例えるなら、正しく風神と雷神。

 通常、神が現世に現れるときよく顕現という言葉が使われる。

 しかし、ソレらは顕現というにはあまりにも禍々しい。

 跳梁跋扈という以外にソレを言い表せる言葉はなかった。

 魔術戦。

 黒い女が少女の心臓を撃ち抜こうと黒雷を撃ち込み、化野が巧みに黒煙を操り呪いの凝集された稲妻を防ぐ。

 攻防それの繰り返し。

 撃ち込んでは下がり、撃ち込んでは下がり、黒雷と黒煙が衝突し一際眩い青い光が起きた瞬間、黒煙の濃度を見てこちらの視線を掻い潜るように死角を縫い、素早く動き回り背後をとってまた蒼炎を生み出す黒い雷を撃ち放ってくる。

 黒い女は、常に化野と一定の距離をとってくる。

 踏み込める時に踏み込み、危険と判断したらすぐに身を引く。

 先程、怪物を屠った黒煙の圧縮による爆撃を警戒してとのことか、もしくは化野の黒煙を操れる範囲や量の限界を測っているのか。

 どっちにしろジリ貧だ。

 最小限の立ち回りで、確実にこちらを削ってくる。

 しかも、徐々に黒煙の操れる範囲や量の限界に気付いてきているのか、更に動きや魔術の所作が最適化されてきている。

 ───────化野舞夜(わたし)に適応される。

 底をまさぐられて手玉にとられるのも時間の問題だ。

 じっくりと時間をかけて炙られ調理されているような感覚。

 料理人が逢魔坂ならば至福の一時なのだが、相手は何処の馬の骨かも分からない黒タイツ女。

 普通に不愉快だ。

 実際、腸が煮えくり返る一歩手前なのだが、相手が自身よりも格上なのだからしょうがない。

 本家ではそこまで出来の良くない(スペア)なのだが、これでも十年真面目に必死で研鑽を積んできたのだ。その自負がある。

 自分という魔術師の十年が、妹を見返すための十年が、こんなにも簡単に攻略されていく。

 

 ───────それだけじゃない。


「煙の量が少なくなってきているな。キレもさっきよりも大分落ちてる。なるほど、さっきの怪物に結構リソース割いていたようだな、ここにきて緊縮財政か?」

 

 魔力が足りない。

 

 黒雷が炸裂する。

 大気を蒼く焼きつくし、今までのものとは比にならない程の殺傷性能を持つ槍となって襲いかかる。

 流石に出し惜しみはせずに、黒煙を凝縮してすぐさま重厚な壁を作り出し対抗する。この防御術式を編み上げるに使った魔力は通常の七割増し。現時点で自身に扱える防御術式の限界点、即ち最大出力だ。

 脳天に雷が落ちたのかと思えるほどの轟音。

 黒煙と黒雷、二つの極小の天変地異のぶつかり合い。

 その衝撃によって中空に生じる蒼い火花。

 まさしく、百花繚乱の狂い咲き。

 美しいものとの出会いとはいつの時代であろうと突然だ。殺し合いの最中に生まれ出でる光景としては、いつの時代の美術品にも劣らずこの上なく美しい。

 しかし、これを人間の画角に納めることは不可能なのだ。

 一瞬という僅かな時間に生まれた、極彩色の絶景。

 命の奪い合いの最中に生まれたものとは到底思えなかった。

 

「今の一撃を防いだか───────」


 黒い女の声に、不穏な気配が漂っていた。

 それは、自身が今窮地にたたされる可能性を感じ取ったなどといったものではなく、まだ見ぬ遠い未来への不安に近いようなものだった。

 まるで今の自分の実力に納得していないかのような……

 

「今の攻撃、かなり自信があったようですね。

 あなたという魔術師の底は、濁っているだけで実はずっと浅いところにあるのでは?」 


 精一杯挑発的な笑みを浮かべて見せる。

 こんなもには強がりの様なものでしかないのだが、あの攻撃を防いだことで僅かとはいえ女の自信が崩れたというのは事実だ。

 ───────自分の力は通じている。

 このまま逢魔坂先輩が来るまで粘る。


「君、一つ訊ねたいことがある。手品は好きかな?」

「興味ありません。」

「そうか。私は好きだよ、手品。なんといったって摩訶不思議に見えてその実種も仕掛けもあるからね。とはいっても種も仕掛けもあるんだからそれを隠さなきゃいけない、あくまで観客は本物の魔法のようなものが見たいのだからね。私はそういうの面倒臭くて苦手でね。だからいつも見てるだけなんだ。

 ただね、魔術も同じようなものだと思ってる。いろいろ下準備をしてどうこうして、あぁまさしく戦いだな。

 手品とは戦いだ。

 戦いに必要なのは手品だ。

 底の浅い君に一つアドバイスだ。手品をする上での骨とはなにか分かるかい?

 ───────正解はね、観客の目を大事なところから逸らさせることさ。」


 身の危険を感じたときは、もうすでに遅かった。

 自身の背後から雷速で迫ってきた黒い雷槍は、防御の薄い黒煙と衝突し、勢いを大幅に殺されながらも私の背中を撃ち抜いた。



     ◇



 暗転───────

 

 揺れる、揺れる、揺れる。

 ガランドウに揺れ動く。

 虚無の表層に揺れ動く。

 それはまるでゆりかごの中の赤子。

 風にたなびく真っ赤な炎。

 異空を進む、童話に出てくる遊覧船のよう。

 幾度となく来る意識の跳躍。

 しかし、頭に響いているのは、変わらず誰かの子守り歌。

 ノスタルジックな夢見心地。

 次に、時間が飛ぶような感覚、魔法の中にいるかのような幻想的な心地よさ。

 突如、真横から頬を殴られる。

 何処か懐しさを覚える感覚だった。

 トラウマにも似た、デジャヴ。

 とうに過ぎ去り、宝物のように心の奥底に忘れ(しまっ)た遠きいつかの冬の記憶(ミッシングリンク)

 その記憶の中と同じように、当然のように倒れ伏し、当然のように自身の自由を放棄した。

 体に力を入れられない。

 土の匂いが鼻腔をくすぐる。

 ここが夢と現実の狭間だと気づいたときには、既に私は刹那の旅路(ゆめ)から目を覚ましていた。

 始めに視界写ったのは、地面の茶色と、そこから生える緑色。

 そして───────


 こちらを見下ろす、あの女だった。

 

 相変わらず、全身真っ黒なタイツのような服と締め付けるような黒い包帯で、その豊満かつラインの整ったシャープな肢体を扇情的かつ暴力的に、鋭利なナイフで眼球をくりぬくようにこれでもかと見せつけてくる。

 その不気味な仮面は笑っているかのようで、その実泣いているかのよう、曖昧な狭間に揺蕩っていて度しがたい。

 多重面相で本質を覆い隠しているのか、その重複性こそが人の本質だと訴えているのだろうか。

 鶏が先か、卵が先か。

 メビウスの輪のように真実は循環する。

 この女も同じだ。

 私たちと戦うためにここに来たのか。

 ここに来るために私たちと戦うことを選んだのか。

 まるで空洞とそれ以外を区切る境界のように不確かだ。

 

 地べたを這いつくばって吊り上げる私の眼と、翼を捥がれて地に墜ちた鳥を見下ろすような黒い女の冷徹な眼が、その蛇のように唸る視線を絡み合わせながら互いを互いの網膜に写し出す。

 黒い女は、霊洞の方向を一瞥すると、もう一度敵意を込め直した視線を送ってきた。


「おや?随分とお早いお目覚めじゃないか。」


 ザ、ザ、ザ、と、霜を砕くような音。

 黒い女は、雷で焼かれ脆い陶器のようになった土の表面を踏み砕きながら、こちらに近づいてくる。


「まだ一分もたっていないというのに。ま、流石は一流の魔術の家系の出と言ったところか、既に保険として起動していた回復魔術で傷を直し始めているな。

 だが、まだ時間は掛かるだろう。焼相の呪詛もある。

 それに───────」 

 

 焼相の呪詛とは、先刻の蒼炎であろうか。

 その名の通り、焼けるような痛みが背中から体内へと食い込んでくる。

 声すら出すことが叶わない。

 敵を苦しめることに特化した呪いだった。

 黒い女が私の腕を踏みつけ、ゆっくりと私の顔を覗き込んでくる。

 くい、と私の顎に手を添え軽く持ち上げる。

 チェックメイト、とそう彼女は告げる。


「この状態からではもう何も出来まい。」


 老獪な喜びを含んだ女の低い声が、耳元で囁かれる。

 女の言っていることは正しい。

 この状況からでは、どうしようと先手を取られてしまう。

 今の自分では、どうすることも出来ない。

 攻撃を受けた背中が、ジュクジュクと痛む。

 無力の悔しさと、痛みの苦しみと、恐怖が渦を巻いて体の隅から隅を巻き込みながら肥大化していく。

 敗北の二文字。

 その次に"死"の一文字が脳裏をよぎった───────その瞬間だった。

 

 ふわり、ふわり、ふわり───────と、一匹の蝶。

 二人の魔術師が気づかぬ内に、いつの間にか周りを旋回している。

 見た目はどうってことのない、なんの変哲もない蝶。

 ただ、和紙を折られて作られた物であること以外は。

 

「───────!」

 

 黒ずくめの女魔術師が、脱兎のごとく後ずさる。

 しかし、警戒するのが遅かった。

 既に、十匹を越える和紙の蝶が黒い女を取り囲み、ふわり、ふわりと旋回している。

 式神。

 勿論のこと、魔術師ではない普通の人間には生きている本物の蝶にしか見えない。魔術師である二人だけが、この蝶が和紙で作られた折り紙でしかないことを見抜くことが出来る。

 そもそも式神などの使い魔は、どれ程精巧に作られた物であっても、ある一定の実力をもった魔術師ならば難なく見破れてしまうものだ。

 そも、たいした霊媒でもない素材で作られた式神のステルス性能などたかが知れてる。

 この蝶も、式神としてはそこまで高性能の物でもない。

 魔術師としては一流とはいえない化野や黒い女でも見抜ける、その程度の物だ。

 しかし、それでも、その存在を間近に迫るまで気取らせないのは、単純にその式神使いの腕なのだろう。

 使い魔としては穴があるのに、それが近づくまで気づかなかった。

 黒い女は、その不気味さに退いたのだった。

 

 こんなものを寄越すのは、()以外ありえない。


「土御門………有雪───────。」

 

 少女は、腹から絞り出すような声でその名を呼び、天を仰いだ。


「ご名答。」


 意気揚々とした声が、昏き森を舞った。

 瞬間、和紙の蝶が妖しく光る。

 最初は一匹、次は二匹、夜明けの町の灯りのように、次々と蝶の式神達が不気味な相変異をとげていく。

 異様な状況を察知した黒い女は、対処しようと黒い雷をその体から漏出する。

 蝶が、一際強く光った。

 刹那の硬直の後、淡い光りと共に式神は白く光る鱗粉を撒き散らし始めた。

 黒い女は驚きはするものの、しかし迎撃するわけでもなく手を翳したまま光の粒子に包まれる。

 後ろから、よっと、という声が聞こえたと思ったら、無防備に晒していた背中をぐっと捕まれ、上に引き上げられた。

 束の間の浮遊感。

 ジェットコースターが滑り落ちる瞬間のような感覚に身を委ねる。

 僅かに体が落ち込んだと思ったら、地面が目の前に迫るところで落下は停止した。

 

「立てよ。」


 足を伸ばして地面につける。


「ふつーは、立てる?とかだと思いますけど。」

 

 愚痴を溢す。

 次の瞬間、捕まれていた背中はパッと離され、背中から足元にかけて重力の感覚が貫く。

 うわっ、と前のめりになって腹に力が入ってしまい、みっともない呻きをあげてしまう。

 ははは、可愛い可愛い、とからかってくる土御門。

 私は、そんな白髪に嫌悪の視線を向けながら、「なぜ今頃ここに」、と疑問をぶつける。

 ほぼ確実に土御門よりこちらの方が荷が重かったはずだ。

 土御門の方に向かっていった怪異も、そこまで手こずる程のものでもないはずだ。

 もっと早く来れただろ、という問。

 それに対して土御門は、「恩を売るのはタイミングが大事だからね、ましてやこんな血生臭い業界ではさ。」と、なんの悪びれもなく答える。

 どうやら、私を掌握しようとしていたらしい。

 まぁ、幸いそんな時間はなかったわけだが。

 今回は"命の危機"という状況に助けられた。

 土御門有雪は、二年前から土御門本家から勘当されている。

 所属する場所を失ってしまうのは、魔術師として致命的だ。

 なにせ、魔術を行うこと、それ自体が巨大な金食い虫だからだ。

 魔術物資を効率的に手に入れるなら、何処かしらそういう脈にコネのある組織に所属することが必須(マスト)かつ理論(セオリー)だ。

 逢魔坂朱理の弟子を見殺しにしたとなれば、当然、この"部"にいられなくなる。

 魔術に必要な物資の供給は、この"部"もとい逢魔坂先輩の財布に依存している。

 勘当された土御門家との"交渉"も破綻する。

 また何を企んでいるのかはわからないが、この白髪は新矢志輝にご執心らしい。その新矢志輝は逢魔坂先輩と実質的な主従関係になっている。その魂を握られている程の。

 事実上、二重の人質を取られている状況。

 上手く私を取り込もうとするも、私の命の危機でそれどころではなくなってしまった。と言ったところか。


「だから君も、この世界で生きていくなら気を付けな。

 ───────特に、逢魔坂朱理(あのおんな)の元に師事をするなら、尚更ね。」


 ───────ひどく、背筋が凍る趣を土御門は放っていた。

 将来的に、土御門が敵になる可能性も視野にいれておくべきなのだろうか。

 取り敢えず、一刻も早く逢魔坂先輩と合流したい。

 さっきの怪異も黒い女もこの男も、隙を見せられない。少し背を見せたその刹那を突いて切り刻まれる予感しかない。


「なんだ、仲良くおしゃべりか?私も混ぜておくれよ。」

 

 そう、ここで喋っている暇はないのだ。

 ここは、まだ戦場なのだから。

 

 黒い女が立っていた。

 両腕を下げ拳を握り締めており、疲労からか肩を小さく上下に揺らしている。

 

「早いね。」

「は、まともに拘束する気もなかったくせに。」


 白い男と黒い女が刃を向け合うかのように言葉を投げ交わす。

 空気は気付かぬ内に張りつめていた。


 黒い女の握る拳から、和紙の蝶だった物だろうと思われる羽やら触覚やらが、くしゃくしゃになるまで握り潰された紙のように飛び出している。

 しかし、それでも式神の蝶はその機能を止めてはいなかったようで、ビクビクと小刻みに痙攣しながら鱗粉を溢している。

 

「だが、驚異ではあった。

 あの鱗粉を吸い込んだ時点で、私の体に駆け巡る魔力回路の内約七十パーセントほどがその機能を大きく低下させていた。

 魔術を行う上で、魔力生成に必要とする器官(ろしん)を賦活する用途として使われる薬物やら煙草があるが、これはその逆だな。吸い込んだ術者の体内に働きかけ、身体機能を一部麻痺させ一時的とはいえ大幅に性能を低下させる弱体化(デバフ)。」

「そそ、俺はそこまで直接的な魔術戦には向かないからね。自分を強化したり近距離で迎撃したりする速攻的な魔術とかは大の苦手。お陰で使い魔に助けてもらいっぱなしだよ。まったく嫌になっちゃうぜ。まぁこれも才能だから仕方ないんだけどね。

 だからやっぱり、こうやっていざ戦場に投入ってなると後方からチマチマ遠距離掩護射撃や、こうやってデバフかけてじわじわ攻略してった方が俺としては戦いやすい。

 とはいっても、やっぱりぱりぱり、世の中思い通り都合通りにいかないんですわ。他人、特に魔術師の体内に働きかける魔術ってのは、結局契約盟約みたいなお互いの同意の元にあるもの以外、どうしても()()()が悪い。

 どんな強大な吸血鬼も招かれなければ家の中には入ってこれないっていう民間伝承といっしょだねそこは。」

 

 人間の体内は"内界"とも言われ、魔術的にはある種の異界に相当する。

 普通の人間の物は"色"が外界と多少異なる位だが、"神秘を織る機構"として外界からの影響が限りなく薄まる程にまで練り上げられた魔術師のそれは、ある種の異界常識を伴うほどのものとなっている。

 また、その状態の魔術師は大抵、魔力を生成し体内を循環させている。それ故、体内の直接的な魔力の流れが体外から働きかけられる間接的な魔力の流れを弾いてしまう。

 結果として、どれ程の差があっても相手に招かれない限りは体内へ魔術で直接干渉するのは困難を極める。

 

「だからこその鱗粉。相手の体内に侵入ではなく、相手自らに取り込んでもらう。

 鱗粉の効能で引き起こるのは大体三つ。

 ①筋肉硬直(スタン)

 ②神経毒による伝達物質、電気信号の錯乱。

 ③魔力回路の鎮静化。

 硬直で混乱させ、神経毒でさらに術中に、冷静に対処する隙を与えない二段構え。そこを通り抜けたとしても、もう魔術が使えるような状態じゃなくなっちまう。

 十秒もしない内にあっさり突破されたときは流石にビビったけど。」

 

 土御門は、刺すように黒い女を一瞥する。

 普段女性に向けている舐め回すような視線ではない。

 明確に敵と判断した狩人の目だ。

 その黒曜石のように輝く瞳に写るのは、漆のような黒ずくめの女。

 鱗粉の効能がいまだ残っているのか、呼吸は荒く僅かながらに焦りが見える。


「だいぶ、きつそーだね。」


 雪を被ったような純白の髪。

 日本人離れした長身。

 幾多の彫刻家達が趣向を凝らして作り上げたのだと、架空の歴史を想像してしまうほど日本人離れした容姿。

 そこに少し浮世離れした雰囲気を漂わせたソレは、これまで数多の乙女を魅了させてきたのだろう。

 しかし、黒い女にとっては凶器のような笑みだった。


「ふん、まさか。この程度の足枷で、手負いの仲間背負ってる蝶使いごとき、仕留め損なうとでも?」


 黒い女は再び全身に魔力を巡らせる。

 黒雷で魔力回路を刺激し、麻痺した器官を無理矢理活性化させているのだ。

 明らかに肉体に負担が掛かっており、手足が小刻みに震えている。否、軋んでいるといった方が良いのかもしれない。

 無理にでもこの状況を突破しようとのことらしい。

 黒い女が土御門を睨みつける。

 パキ、と黒い雷が女の体から漏れた───────その瞬間、二つの小さな影が土御門の背後から飛び出し、二筋の閃光を描き黒い女めがけて突撃した。

 管狐。

 土御門の使い魔。

 不意打ちのために、予め背後に待機させていたものだ。

 

「ッッ───────。」


 女魔術師から黒雷が放たれる。

 それを予期していたのか、二対は左右に避けていた。

 しかし、黒雷はまるで意思を持つかのように二つに裂け、一方の管狐へ伸びて───────撃ち落とした。

 分かたれたもう一筋は、当たらず木々の中へ吸い込まれるようにして消えていく。

 直撃。

 黒い女の腹に黒雷に当たらずに向かってきたもう一方の管狐が衝突した。

 ぐっ…と呻きながら女魔術師は何メートルも吹っ飛ばされる。

 しかしそれだけで簡単に倒せる魔術師ではない。すぐさま起き上がり黒雷を障壁の様にを周囲に展開し、追撃に備える。


「ビビってんの?」

 

 薄ら笑いを浮かべながら、土御門がゆっくりと向かっていく。

 次の瞬間、ドン、と黒い女が踵を返し、脱兎のごとく逃げ始めた。

 その速度は人知を越え、もはや黒い自動車と見舞う程である。

 しかし、それでまんまと逃げられるほど土御門は伊達に陰陽師をやってはいない。


「やっぱそう来るか。いいぜ、追い駆けっこはシキといつもやってるからな。」


〈韋駄天符 凌迅疾脚 憑籠靭躯 (ひょうろうじんく)蹴震洞地 飛天風靡 隆猛蠢動

 急々如律令───────〉


 詠唱を唱え、術式を起動。

 すぐさま足を"強化"し、その後を追う。


 土御門は"強化"を不得手とするが、それでもトップアスリート以上のスピードを出すことは容易い。

 それに、これは単に足に魔力を込めて行うただの強化だけではない。両足に予め装備していた霊符を用いた呪装との重ね掛け。

 正当な手順を踏んで成立させた術式は、さらにその効力を高めていく。

 呪符や霊符は、予め儀式などを行い術式を刻んでおり、術者の任意のタイミングで魔力を込めれば発動するインスタント術式としての側面もある。

 歴とした陰陽術式との重ね掛けにより、通常の強化時よりもその性能は倍以上に水増しされているというわけだ。

 黒い女の後ろを白い風となって土御門が追う。

 両者二つの色の風は、それ以上開くことも縮まることもなく、ぴったりと同じ間を開けて森のなかを駆け抜けていく。

 不意に、黒い女が飛び上がる。

 

「な───────」


 土御門は驚きのあまり声を上げる。

 黒い女は天蓋から根を張る木の枝を、まるで猿のように機敏に飛び渡っていく。

 筋肉質な見た目からして、相当な鍛練を積んでいるのだろうと思ってはいたが、やはり実際にその実力の片鱗を見せられると圧倒される。

 何がここまで驚異的なのか。

 やはり何といっても、その動きが非常に高レベルまで洗練されていることだろう。

 動きの癖。

 そこに注視する。

 戦闘を行うタイプの人間とはやはり違う。

 相手を煙に巻くかのような、翻弄する"ため"のような立ち回り。

 本来は潜入捜査や暗殺などで培われる技術。

 恐らく、くの一。忍を源流とした魔術師なのだろう。

 しかし、そんな極僅かな情報で、この女の素性を辿ることは流石に不可能だろう。

 忍や侍の家系が元となった魔術師など、この国では特段珍しい訳ではない。それに、土御門は陰陽博士ではあるが、忍についての知識はからっきしである。

 兎に角、後手に回るしかないのが現状だ。

 こっちは仲間に手を出されてるんだ。

 一発ぐらいはぶち当てたい。

 なんならここで拿捕しておきたい。

 猿も木から落ちるもの。なら、なんとかあそこから引きずり下ろして───────

 肩に強い衝撃が走る。

 それはまるで、あの日に受けた銃弾のような感触。

 間違いなく、何らかの飛び道具が右肩に命中した証だった。

 

「ぐっ───────」


 間欠泉のように、熱いものが肩から吹き出す。

 赤い飛沫が中を舞う。

 視界の右半分が、鮮血に彩られる。

 痺れるような感触の後、焼けた肉の匂いが鼻腔をつついたところで、この銃弾の正体がわかった。

 黒雷だ。

 あの黒い稲妻を矢のようにして打ち放ったのだ。

 

「ハッ、まさか私がこのまま逃げおおせるとでも。

 そんなもの、お前を有利な場に誘い込むために決まっているだろう。」

 

 右腕、負傷した箇所を押さえる。

 "強化"していたからか貫通はしておらず、損傷は最小限に押さえれた。回復の術式はもう既に発動済み、既に細胞分裂の活性化による組織の再生は始まっている。

 しかし、このレベルの攻撃を何度も何度も打ち放ってこられるのは拙い。

 強敵であることは分かってはいた。分かってはいたが、先刻披露した化野を撃破した攻撃といい、逢魔坂朱理を留める使い魔のことといい、少し用意周到すぎる。

 我らが部長は敵を作ることがとてもお上手だが、数多くの牽制(逢魔坂の根回し交渉もあるが、殆どが俺たち部員のブラック労働)もあり、流石に暴走した魔術組織の鎮圧以外で組織間抗争になったりすることはまずあり得ない。

 それにこいつは単独でここに来ている。そして複数の魔術師相手にここまでやってのけている。

 壮絶なる執念なくしてここまで来ることなありえない。

 兎に角謎がありすぎる。

 女の面も合間って、不気味さがさらに増している。

 

「さぁ、"狩り"の時間だ。

 天才の実力のほどを見せてくれよ───────土御門有雪。」


 黒い女が別の木に飛び移る。

 その動きは洗練されており限りなく無音に近いが、自身の周囲の木々を円に飛び回っているのは分かる。

 風すらも翻弄するように動き回る彼女は、豹か、いたちか。

 空を裂くように黒雷の矢が飛んでくる。

 雷速のそれをすんでで射程外から逃れ、逃げるように森を走り始める。


「ハハッ、逃げるか。立場逆転というやつだなぁ陰陽師。」


 ───────走る、走る、走る。とにかく走る。

 "走る"ことに関する呪装を六つも重ねがけしているので、全く舗装されていない文明の臭いが感じられない獣道でも、問題なくこの足は稼働する。

 しかし、やはりそれでも動きの精度なら女の方が何枚も上手のようだ。

 凄まじい身のこなしと身体能力を駆使し、最早へし折る気なのではと見舞う勢いで木々を軋ませながら迫ってくる。

 女の放つ黒い殺気が、背中越しでも感じ取れる。

 警鐘をならし続ける本能が、さらに心臓の鼓動を早め肺はもっと多くの酸素を要求してくる。

 土御門有雪と黒い女。

 幾多の事象の絡み合いの最中でも、少しずつ少しずつその差は縮まっていく。だが、鬼ごっこを楽しんであげる程、黒雷の女魔術師に余裕はない。

 出来れば敵側の戦力を削っておきたいと考えているのは、土御門だけではない。


「まずは無駄に速いその面倒な足から炙ってやる。」

 

 右斜め五メートル後方、木々の合間で何かが弾ける。

 それを術式の起動による魔力の発露だと気づけるものは、土御門などの魔術師のみ。

 土御門の足をピンポイントで狙い撃つ正確無比な黒雷の槍。

 当たれば終わり。

 運良く外れても、着弾時点で吹き上がり辺りを炭化させるあの青い炎に焼かれては一溜りもないだろう。

 押し潰すように、根が張り不安定な地面をそれでも思い切り蹴り放つ。

 足に掛けた肉体強化術式の影響か、その体は常人では不可能な五メートルの跳躍を可能とする。

 これが土御門の選択。

 黒雷が着弾した地点から、青白い炎が吹き出す。

 中空に飛び上がった土御門を逃がすまいと襲いかかるも、あと数cmほど届かず焔の勢いは途切れてしまう。

 土御門はそれに、地獄から出ようと踠く亡者の姿を幻視した。

 ───────と、突如腹を鋭い痛みと衝撃が貫く。

 避けたところ、その空中を狙いに来たのだ。

 悶える暇もなく、そのまま地面に弾き飛ばされる。

 出迎えたのは、土のベッド。硬く、冷たい感触を味わう暇もなく跳ね起きる。

 大木を背にし、すかさず追撃に備える。

 しかし追撃は来ず、辺りは静まり返っている。

 それで油断する土御門ではない。過去の経験から、これが戦いの終わりのものではなく、嵐の前の静けさであることを知っているからだ。

 そして、この沈黙を利用しない手はない。ということも知っている。

 ポケットから和紙を四枚取り出し、周囲にばらまく。

 和紙には筆で何らかの呪印が刻まれている。"式札"と呼ばれる式神の媒介となる霊符の一種だった。

 魔力を消費し、術式を起動する。四方に散った和紙はみるみるその形を変えていき、式神なるものが形成されていく。

 この式神は、さっき披露した相手を撹乱させるための"蝶"ではなく、土御門がもし敵の術師と不得手とする直接戦闘になったとき、真正面からでもなんとか戦えるよう工夫に工夫をこらして作った一品。

 その形は───────


「鷲か?」


 何処からともなく女の声が響き渡る。

 居場所を突き止められぬよう魔術で声を加工しているのか、声はその"場"から発せられているかのように反響している。

 全方位から、しかしただ一人だけに話しかけられている。感覚としてはそんな感じ。

 土御門は様々な神秘を経験しているからか、その程度で動揺することなど万に一つもないが、常人だったならばあまりの君の悪さに逆に神秘的だとも思うのではないだろうか。

 

「ご名答。どうかな、結構"粋"だと思うんだけど。」

「まぁ。魔術は言葉遊びが本質な所があるが、余白も余分も多すぎやしないか?」

「ははは。良く言うよ、俺に近づいてこれないくせに。」

「───────。」


 土御門の言っていることは正しかった。

 女魔術師は鷲型の式神を警戒し、大きく距離をとり身を隠している。

 土御門が意図的に設定しているのか、周囲の鷲との距離は近からず遠からず、絶妙な位置に"浮いている"。


(自陣を固めるとは、あくまで防戦に徹するつもりだな。ならば物陰から狙い撃つまで。)


 黒い女は手を銃の形にする。

 これが黒雷の矢を打ち出す術式を使用するときの型だった。

 暗い草木の隙間から、音もなく指を露出させ白髪の少年の心臓に向ける。

 指に魔力を込める───────その寸前だった。


「気を付けろよぉ。(こいつ)らは目がよくてね、魔力探知に優れてる。サーモフラフィーみたいに魔力が見えてるから、どこから撃ってこようが全てお見通しなんだぜぇ。くくく…」


 すぐに術式を中断する。

 

(危なかった…完全に誘われていた。)


 もしあのまま矢を撃っていた場合、術式起動時の魔力の励起と黒雷の"溜め"をあの鷲達に気づかれる。その次に雷撃の軌道を読まれ、その内の一体に壁になるなりして防がれた後、残りの鷲達による総攻撃を食らうことになっていただろう。

 鷲に防がれても貫通させるなら勝機はあるが、あの式神は恐らくさっきの蝶や管しょうとは比べ物にならないぐらい"固い"だろう。

 より多くの魔力と長い"溜め"が必要になるはずだ。もしそうなれば、そもそも撃たせてもらえるかも怪しい。

 

(だが…)


 これで弱点はハッキリしてしまった。

 土御門は自身が背にした大木の裏まで式神を配置し、四方を完全に自らの戦力で固めている。

 正に鉄壁であろう。

 が、しかし、頭隠して尻隠さずとは言うが、これはその逆と言えるのだろうか。

 黒い女は動く。

 土御門が背にする大木の回りを円に。

 闇に溶け込む彼女を、土御門は音でしか追うことが出来ない。

 しかし、その音もやがて消える。

 女は枝を伝って既に新しい木へと飛び移っていた。

 ───────白髪の少年が背にしている木、その頂に。

 土御門有雪、唯一の死角。

 黒い女は、土御門が少しでも見上げたら簡単に見つけられる位置にいた。

 背後を取られるよりもおぞましい。

 既に死が決定づけられたも同義。

 脳天を取られた白髪の少年は───────しかし、ぐるんと女の方を向いたのだった。

 ───────まるで、そこに来ると分かっていたかのように、その黒曜石のように鋭利な瞳は漆黒の女を貫いた。

 

〈震えろ〉


 呪装の力を引き出す詠唱が、言霊として土御門の口から紡がれる。

 次の瞬間、四股を踏むように、黒い女を乗せた一際太い大樹は土御門の筋肉質な右足に力の限り蹴り抜かれた。

 大樹が震える。

 それは強風に煽られたものとは違う、異質な振動。

 大きくは揺れていないが、強く小刻みにその巨大な体躯を揺らしている。

 明らかに自然界に存在しない挙動。

 長い年月を重ねた植物やモノには魂が宿るというが、この大樹は生命の雄大さを感じさせる雰囲気も合間って、まさしく人間が痙攣を起こしているかのようだった。

 耳を澄ませば、木々が揺れ幹が軋む音は悲鳴にも聞こえた。

 蹴震洞地。

 土御門は、韋駄天符の六種の呪装、その全てを両足に絶妙なバランスで掛けていた。

 その時、右足にのみ掛けられていた呪装。

 その効果は、術者に大地を震わす力を授けるというもの。

 その力は、指向性のある強力な振動を伝播させ、鍛えてはいても人間の域を出ない筈の土御門の非力な足は、高さ十メートル根本の太さは直径二メートルはある大木を揺さぶった。

 これには流石に黒い女も、行動を無力化され柔軟かつ剛健な身体能力を活かせず、無様に墜落するしかない。

 

「ッ───────!」


 受け身を取ろうと身を捻った女魔術師の腹に、土御門の両足が揃って食い込む。

 

〈震えろ〉


 瞬間、黒い女の全身を腹部から爪先の端まで莫大な振動が貫いていく。

 蹴震洞地を再度発動させたのだ。

 如何に魔術師の肉体が外界からの干渉に強くても、物理的な超振動による体内破壊は防げない。

 これを予期していたのか、全身の肉体強化の比重を"打たれ強さ"に傾け、そのまま受ける。これだけならほぼ何の損傷もせずに切り抜けられただろう。しかし、土御門の猛攻はそれだけに留まらなかった。


〈猛れ〉


 瞬間、目に見えない力が、女の腹部と白髪の少年の足の裏との間で膨れ上がり、強烈な反発力を生み出す。そのエネルギーのベクトルは、全方位に無秩序に放たれるものではなく、あくまで土御門の足裏から女魔術師に向けての一方通行のものだ。

 隆猛蠢動。

 土御門の左足に掛けられていた呪装。

 本来は後方へ足を蹴り出すとき、地面に反発力を生んで押し出してもらい瞬間的に加速するものである。体制を崩してしまうリスクが高いが、それを圧倒的な体幹でカバーしている。

 今回は足に向かってくるベクトルを反転させ、撥ね飛ばす。

 詠唱により、その出力は攻撃的なものとなっている。

 

〈風よ、吹き上がれ───────〉

 

 最後に放たれたのは、乱舞する風の濁流。

 飛天風靡。

 三つの術は凶悪なまでの衝撃波となって、女を十メートル以上吹き飛ばす。二本の木を薙ぎ倒して、ようやく勢いを失い地面に転がったそれは、血を吐き喘ぎながらも立ち上がりこちらの動向を伺う。

 いや、そんなものじゃない。

 仮面越しでもわかる、壮絶なる殺気。

 見るだけで射殺しそうな、凶器の視線。

 全身が総毛立つのを、土御門は感じていた。

 

「───────痛ぇじゃねぇか。」

「お前がまんまと引っ掛かってくれたお陰だよ。」

「なるほど…そうか。最初からお前の手のひらの上か。

 四方を囲んで分かりやすい罠を作り、わざと上方に死角を作った。結局、誘い込まれていたんだな…私は。」

「それでもバレる可能性はあったからね。"式神の距離と配置"にも気を遣った。」

(なるほど…式神との距離が離れすぎれば、逆に死角となる位置が強調されてしまい怪しまれる。近すぎれば逆に式神がノイズになる。

 だからこそあの鷲を近すぎず、けれど決して遠くはない微妙な位置においた。

 木の上に誘い込んでいること悟らせないために、式神に視線を逸らさせたかった。

 式神の特性の開示もその為か。)

「やられたよ、大したものだ。」

「褒め言葉は、お前を取っ捕まえたあとにじっくり聞くよ。」


 土御門は加速する。

 黒い女は身を構える───────と、その瞬間、勢いよく背後から何かに切り裂かれる。

 鷲の式神だった。


「くっ───────後ろ…から?!いつの間に───────。」


 土御門の背後から、主に続くように鷲の式神が複数向かって凄まじい速度で飛んで来る。

 術者の四方を守りし四体の式神が───────


(まさか…五体目───────)


 体勢を立て直そうと踏ん張る黒い女に、土御門の拳が迫る。

 この男は、式神にだけ戦闘を任せず、自分自身も近接戦闘に応じるタイプの術師なのか。

 ならばと、そのまま左に身を捻って陰陽師の拳を寸前で躱し、右足を蹴り上げ黒雷を纏わせた回し蹴りを脇腹に叩きつけようとする。が、しかし、その渾身の蹴りを二者の間に滑り込んできた鷲が身をもって受け止めてしまう。

 そこですかさず、土御門は拳を引くと同時に、がら空きとなった女の腹へ強烈な膝蹴りを喰らわせる。

 強化された足の打撃に、流石の黒い女も呻きを上げる。それでも戦いを仕切り直そうと、体勢を崩しながらも冷静にその場から離れようとする。

 しかし、それを式神は許してくれない。

 再度後ろへ鷲が回り込んできて、今度は翼で足を払われる。

 それは普通の猛禽類でもあり得ないほどの力で、彼女の体勢を完全に崩し地面に倒れさせるには十分すぎる程だった。

 黒い女が地面に背中から倒れこむ。

 そのまま土御門へ指を向け、そのまま雷撃を撃ち込む。

 当然のように、術式の起動を感知した鷲が斜線に割り込み盾になる。バチンッと、青い稲光が弾け土御門が僅かに怯む。

 そのまま地面に倒れ込み、雷撃の反動を利用して体を後転し後ろへ跳び跳ねる───────も、既に上空を旋回していた鷲の内の一体により、ハエたたきの要領で叩き落とされる。

 なんとか踏ん張って着地するも、足元に見えるのは自分に向くもう一人の足。驚愕し前を向いた瞬間、土御門のストレートが顔面に叩き込まれる。

 不気味な仮面が軋み、不穏な音を立てる。

 大きく飛ばされながらも尚体勢を崩さず踏みとどまるも、勢いを一切落とさず一息で此方との間合いを盗み、式神を盾に肉薄してくる白い嵐に気圧され、思うような動きが作れずさらに数発もの殴打の連撃を喰らってしまう。

 そのまま、両者の競り合いは近接格闘に移行していった。

 土御門は、魔術で限界まで強化した肉体を駆使し、通常は鷲と交互に徒手空拳で攻め立てて、黒雷を放たれそうになれば鷲が盾になるか翼による足払いで妨害し、勢いを一切落とさず式神とのコンビネーションで追い詰める。

 対して漆黒の女魔術師は、度重なる戦闘による疲労と土御門の猛攻が効いているのか、先程までの忍の如き躍動を失い、その姿からは焦りが見えていた。

 しかし、土御門と式神の猛攻の波に押されながらも、防戦に徹し黒雷を撃ち込もうと隙を伺っている。

 両者は、一つの竜巻の如く森全体の空気を犇めかせていた。

 不意に、二つの影が弾かれあって別れた。

 白髪の男は、余裕の笑みで土埃を払う。

 黒い能面の女は、大きく肩を上下させて口元の朱を拭う。

 

「あれ~息が切れてきているみたいだけど。結構限界かな?」

「ほざけ、」

「心なしか、声も元気がなくなってるね。」

「ほざけと言っている!」

 

 黒い女から凄まじい魔力と黒雷が吹き出る。

 それはまるで、消える寸前の蝋燭によく似ていた。

 両者、右手に渾身の力を混める。

 黒い稲妻の魔力は、まるで蛇が集るようにうねりながら女の右手に凝集されていく。

 次に女は、ゆっくりと厳かに、神に祷りを捧げるように、静かに詠唱し始める。


崇めよ(はたた)捧げよ(はたた)畏れよ(はたた)孕めよ(はたた)喰らえよ(はたた)…黒雷よ。

 我らが奉ずる神の腸、腹にて孕みし同胞よ、空を覆いて闇に臥せ。

 我らが渡は境亡き空───────その常闇に、霹靂を。」


 戦闘の途中から隙を狙って撃ち込むのを止めて、黒雷の矢の術式を最大出力でぶつけるために魔力の捻出に全霊を注いでいたのだ。

 詠唱は終わった。

 砲身が、ゆっくりと土御門に狙いを定める。

 全ての力が一点に収まり、撃ち放つ準備が整った。


「終わりだ。」

 

 黒雷の槍が放たれる。

 かくして、土御門は避ける間もなく腹を貫かれ、ほんの十五と三月の命に終わりを告げる───────はずだった。

 闇魔遊戮・黒凌天閃。

 "それ"を放つほんの直前、黒い女の視界はぐにゃりと歪んだのだった。

 


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