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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
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第六話 少女A ②

 逃避行劇は一時間にも及んだ。

 流石は浅影の当主と言ったところか、有利な土地の恩恵か、魔術師としての肉体強化の精度の高さか、それとも純粋に鍛え上げられた肉体がもたらすものなのか、迫りくる新矢志輝の手を息も切らさずひらりひらりと躱していく。

 土地からのバックアップもさることながら、この屋敷の知見の深さ、それにどれだけ慣れ親しんだかの差も浅影瑠鋳子に有利に働いているのだろう。

 新矢志輝は高校生であり、浅影瑠鋳子は年の割には未だ第二次成長期の序盤である準中学生だ。身体能力、体格差は未だ子供と大人ほどの差があるだろう。浅影瑠鋳子の背丈は、新矢志輝の肩にも及ばない。

 しかし、それほどの差があるにも拘らず、新矢志輝が後手後手に回らざる追えないその立ち回りの機敏さは、大きく衰退しているとはいえ、多くの傘下の名門を抱え持つ一勢力の頭領だと言わざる負えない。

 そういった一族の長は、小さな頃から賊によく狙われる。浅影瑠鋳子も例外ではない。

 呪い、穢れの類いを西洋のそれより、より深く扱う魔術の学問の徒───────呪術師としては未だ発展途上だが、魔術どころか、神秘の概念すら録に学んでいなかった頃からそういった類いのモノを扱う追手や、その者たちだけでなく純粋な力で捩じ伏せようとしてくる輩どもとも凌ぎを削っていたのだ。

 彼女自身はただ逃げるだけだっただろうが、知識、思想、その継承。この螺旋を尊ぶ魔術師たちにとっては、それは"戦い"と呼んでも指し支えないものだっただろう。

 この少女は、早くから"逃げる"というものを熟知し、極めていた。

 それは正に、最強の逃避人と言えるだろう。

 しかし、新矢志輝も負けてはいない。

 肉体を戦うためのモノに組み替えたとしか思えない程の、常人離れした驚異の運動神経と身体能力で、呪術、仕掛け問わず真正面から迫りくる罠を、巧みに躱しながら勇猛の少女に食らいついていた。

 新矢志輝の幼稚な意地が発端であり、くべられていく薪だったが、最強の逃避人としてのプライドに火をつけたのか、今ではその"熱"は浅影瑠鋳子すら取り込み、両者はこのようなくだらない意地の張り合いに没頭していた。


 ───────しかし、その逃避行も永遠ではない。

 終わりは徐々に見え始めた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ───────っっ」

 

 浅影瑠鋳子に疲れが見え始めたのである。

 対して、新矢志輝は額に汗をにじませながらも、悠々と後をおってくる。

 

「っっ───────なんでよっ!幻術が通じないっっ!」


 浅影瑠鋳子が焦りを溢す。

 追い詰められている側は明らかだった。

 その顔を見て、新矢志輝はニヤリと笑い「この"眼"は特別製でね。幻術(こういうの)を見抜くのは大得意なんだ。」と語り再びニヤリと口角を上げて不適な笑みを浮かべたかと思うと、さらにその速度をぐんと加速し始めた。


 浅影瑠鋳子は当初、幻術により新矢志輝を狐が化かしたかのごとく、一階の客間の周りをぐるぐると走らせて疲れさせようと思っていた。そして最後にもう一回何か仕掛けて完全勝利、と言った具合だった。いたずらっ子の性なのか、子供と侮られるのに苛立ちを覚えてしまうのか、ああもしくはこれも一種の呪術師としての矜持なのだろうか、どうしてもああいう手合いは徹底的に完膚なきまで叩き潰し、なぶり、弄りまくりギャフンと言わせまくりたくなってしまう。

 今回は物理的な地形を利用した幻術だった。

 八割の嘘に二割の真実を混ぜると説得力が爆発的に上昇するように、実際にある地形やその他心理学的効果を織り交ぜながら幻術にかけると、これが驚くほど簡単に上手く行く。今回もこの手を使って陥れ、同じところをぐるぐると回っている無様な姿を見ながら愉悦に浸り、悠然と勝ち誇ってやろうと思っていた。

 しかし───────

 後ろから追ってくるその者は、その眼光を決して自身から離さなかった。

 何をしても追ってくる。

 強化の魔術はその応用が幅広い。魔術を強化したり、武器を強化したり、肉体を強化したり。基本中の基本なだけに、バリエーションは豊富だ。

 しかし、体力は強化できない。あたりまえだ、体力は魔力に変換する生命力に起因し、尚且つ直結しているものだからだ。

 さらに、此方は昨夜からの準備で疲労が蓄積しており、思うように魔力を捻出できない。仮にも呪術師ならば、この程度でパフォーマンスに障害があってはならないのだが…まだ自分は呪術師として未熟も未熟らしい。

 このままでは追い付かれるのは明白であろう。


 端から見れば、四つもしたの小学生女児を、いたずらをされたことに目くじら立てて追いかけ回す高校生の図である。

 たかが、いたずら。

 所詮、子供の児戯である。

 もう十六にもなろうというのに、情けない大人げないと思われるかもしれないが、こちらにも年長者としての面子(プライド)がある。

 稚拙な物かもしれないが。まぁ、プライドやら誇りやら言うものは、そのほとんどがそんなものだろうさ。

 

 果たして、浅影瑠鋳子は完全に追い詰められた。

 とある階段を降りた先、浅影瑠鋳子の動きが停止する。

 階段の下には、さらに下に続いていく道はなく、えらくのっぺりとした壁になっている。

 なぜ屋敷を熟知していた浅影瑠鋳子がここに逃げ込んだのだろうか。隠れようとしたのか、それとも一瞬の判断ミスだったのだろうか。新矢志輝は脳の片隅で考察する。

 魔術式などは仕掛けられてはいない。なんの変哲もない行き止まり。

 そこに彼女───────呪術師、浅影瑠鋳子は立っている。

 下に続く道のない、欠けた踊り場。

 ただ浅影瑠鋳子の乾いた息づかいだけがこだまする。それは静謐のなか、無機質に音と歴史を刻む時計の針の更新に似ていた。

 二人の吐息は白い霞となって、空間の裏側に滲み出ていくように溶けていく。

 収束していく。

 殺風景だなと、新矢志輝は思った。

 一瞬、奥の壁が忍者のような回り扉になっていて、華麗に状況を打開され一泡吹かされるのかとも思ったが、壁を背に少女がもう後退することの出来ない背後へとにじりよって体躯が盛り上がっていくのを見、それはあり得ないと両断し思考のゴミ箱に笑い飛ばした。


「さぁ、追い詰めたぜ、お嬢さん。いや?若当主様かな?どちらにせよ、イタズラで大人をおちょくる時間は終わりだぜ。」

「はッッ、皮肉のつもり?ガキ扱いとか、舐められるとか、そんなの散々されてきたしもう慣れっこなのよ。それに、堂々と大人とか言っちゃって、あんただってまだ高校生でしょ。」


 浅影瑠鋳子は、一瞬苦虫を噛み潰したような表情をした後、不自然なまでに口角を吊り上げ、精一杯の余裕を出した笑みを作って見せる。

 先ほどの自分と浅影瑠鋳子のその様が重なり、志輝はそれが強がりであると理解した。


「おっと、こりゃ失礼。別に皮肉のつもりじゃなかったんだがねぇ。まぁそうまで過剰反応されると、やっぱりなにか思うところがあるんじゃないかって勘繰ってしまうなぁお嬢ちゃん。あ、若当主様。」


 新矢志輝は薄ら笑いを浮かべ、顔面一杯に嘲りの意を滲ませてやる。

 浅影瑠鋳子はその顔を見て、むすっとした表情を浮かべると、すぐさま揉み消すように普段の調子に戻る。

 彼女にも心からの憤慨の感情があるのかと感心する。

 やはり、当主にしては若すぎることに関しては結構気にしているようだ。にも拘らずクソガキムーヴを止められないのは、なんと業の深いことか。


「で、どうするの?私を捕まえて。レイプでもする気?あ~童貞って怖。」


 意味不明な挑発には乗らない。

 新矢志輝は階段を降り始める。


「別に、どうもしないさ。」


 一歩一歩、判子を押すように降りていく。ここに自らがいたと言う存在の証を、ある種の記録帯として刻み込むように。


 新矢志輝の目的はただ一つ。

 浅影瑠鋳子のカーネーション色の端末が握られた右手に目を写す。

 自らの黒歴史(よわみ)になりえる、先程の自身の痴態が納められた携帯端末を叩き割る。ただそれだけだ!

 浅影瑠鋳子もその真意に気付いたのか、やれやれと持ち直す。

 新矢志輝は、もう階段の中腹まで迫っていた。

 

「さぁ、年貢の納め時だぜ。まあ、あの写真はもう見納めなんだが。」

「そう、残念。もう少し遊びたかったけど()()()終わり。さぁ、これで仕上げよ。新矢志輝。」

「はっ。やっぱり強がりってのは、お前みたいにプライドの高い小物にはよく似合───────」


 ───────ずるり、と、不意に、不自然に、不気味に、足が水平にスライドした。

 いや、ぬるりと形容した方がいいのかもしれない。

 脂ぎった血がぶちまけられている様な感触。


「ぁあ、」


 階段一面に、滴るかのような量の潤滑油(ローション)が撒かれていた。


 なにも出来ず、動揺することすら出来ず。どしゃーーーーと階段から滑り落ちていく。

 途中、しがみつこうと思っても、ぬるんという潤滑油の触感に追放される。そればかりか、今度は横に回転がつき、そのままゆったりとメリーゴーランドのように回転する。

 流れるように床に到達する。しかし、それでも一度ついた勢いは止まらず、全身に潤滑油を絡みつかせながら浅影瑠鋳子めがけて滑っていく。

 少女はそれをひょいと避けると、すかさず端末のフォトショ機能を起動させる。

 どん、と背中が壁に激突する。

 ぅう、と漏れる情けない喘ぎ。

 目を開けて見上げると、尻餅をついた格好の俺を、案の定クソガキが激写している。

 このっ、と立ち上がるも潤滑油まみれの体は、あらゆる部位で滑ってしまう。

 裏返った亀のように立ち上がれなくなっている俺に、少女はにんまりとした笑みで端末を向けている。

 今度はフラッシュ音がしないので恐らく動画を取っているのだろう。

 写真を消そうと思ったのに、弱みを隠滅しようと思ったのに、さらなる弱みをさらけ出させられてしまった。

 クソ。してやられた!

 完膚なきまでに叩き潰された。

 何という屈辱。

 何という恥辱。

 今までいつも逢魔坂にいじり倒され、ゆるりと躱され、地に伏していた。それは俺にとって石をも噛み砕ける程の辱しめであったが、それと同時逢魔坂唯一の特例なのだという安堵があった。

 しかし、ここに二人目がいる。

 

 恐らく、逢魔坂でさへ予想だにしなかっただろう、史上二人目の、新矢志輝の天敵の登場の瞬間であった───────



     ◇



「───────ぁあ、ふぅ。」


 さざめくような水の音が反響する。

 

 浅影本家の大浴場。

 その絢爛の装飾が施された豪華客船に、俺は浸かっている。

 あの後、俺は潤滑油まみれのまま放置され、なんとか這い上がった。

 本当に大変だった。

 いつの間にか、駄目押しかと思う程に潤滑油が満遍なくぶちまけられており、階段を上ろうとするもぬるぬるの床がそれを阻み、どれだけ踠いても無情にも滑り落ちていく。

 "蜘蛛の糸"の罪人達もこんな気持ちだったのであろうか。

 かれこれ五時間の奮闘で、漸くローション地獄から脱出できたのである。その時は身体中ローションまみれで、流石に不憫だと女中さんが特別に入れてくれた、という馴れ初めだ。不憫というかあんたの所の主が傍若無人なだけなんだがな。

 まぁ、こうして寛げるのは悪くはない。

 露天風呂ではなく展望式の浴場で、壁はなく外を見ることは出来るが、別に町を一望できるというわけでなく、ただただしけた木々が広がるだけ。吸い込まれそうな暗黒だ。

 だが、それも趣があっていいだろう。

 ここの湯は天然の湧き水を使用している。つまり温泉だ。麓にはこの湧き水を利用した旅館を経営しており、古くから続く老舗としてわりかし繁盛しているらしい。

 数百年前に堀当てたもので、少数精鋭の浅影家の数少ない資金源の一つなのだそう。古より続く高名な呪術の家柄は、家業の儲けとは別の資金源を用意しているという。現代じゃあ大抵はヤクザ屋なんだが、浅影はここら一体の土地の管理者だからかこのような特殊な手法を取っているらしい。

 勿論、旅館に来る客はそんなことを知るはずがなく、近所じゃ有名な老舗の温泉ということでそれなりに名が通っている。

 キャッチコピーは"弱酸性のお湯があなたの罪も穢れも落とします!"。

 まぁなかなかに、呪術師の家が経営している温泉にはぴったりだな。

 なんだかばからしいが、日々あいつらで溜めたストレスを落とすには丁度いい。この際、愚痴も洗いざらい吐き出して、今までの怨恨も流してしまおうかと思う程に。

 まぁ、新しく湧いてきたストレス源の屋敷の物であるのは尺だが。まあ温泉に罪はない。たぶん()()()の邪魔もないだろうし、しばらくゆっくりさせてもらおう。

 幸い、今日は準備というか慣らしであり、本格的な儀式は明日の夜からだ。

 しっかり英気を養っておきたい。

 

「しっかしまぁ、人数少なめなのに、よくここまでこんなデカイ屋敷の面倒みてられるよなぁ。」

 

 雄大な山々の風景が、窓からその威容を覗かせる。吸い込まれるような暗闇からは、虫の鳴き声ひとつしない。

 山肌にへばり付くように建つ浅影の屋敷。

 千坪を越える広大なソレは、複雑に入り組ながらこの山を掌握している。

 浅影の屋敷に居る人間は、全員漏れなく住み込みだ。人数は当主含め多分十人もいないだろう。

 千坪と入っても、それは屋敷自体の面積であって、実際の敷地はこの山一つ分一万坪以上もあるわけで、それでもってこの屋敷は古ぼけた家屋に張る蔦のように山中に根を張るような構造をしているのだから、屋敷に深く携わったものでなければ想像も出来ない広大さなんだろう。

 よくもまぁ、こんな馬鹿みたいにだだっ広い屋敷をたった十人ほどで管理できると思ったものだ。 

 まぁ実際出来ているのだから文句のつけようがないだろう。

 

 しんと静まり返った夜景。もうもうと漂う白い湯気と、微かに耳に揺蕩う水の音。

 関連性のないその二つの要素が混じりあって、極小の、ある種の天空を作り上げていく。いつの日か、逢魔坂が海外から買ってきた雪の降る水晶玉を思い出す。

 目をつぶる。

 五感が研ぎ澄まされていく。

 微かに聞こえていただけだった波の音も、今では耳元で囁かれているのかと思うぐらいはっきり聞こえる。

 ひゅう、と胸から頭にかけて、冬のそよ風が静かに吹き付けてくる。

 下は熱いのに、上は冷たい。

 二つの感覚に体が引きちぎられる、そんな感覚。

 この矛盾をしばらく堪能していたかったが、流石に耐えられなくなってきたので、さらに腰を下ろしてずぷりと肩まで湯に浸かる。


「あ…はぁ、」


 吐息が漏れる。

 白いもやが湯に溶けていく。

 全身で湯の熱を感じる。

 なにかに触れているようで触れていない、そんな虚ろな感覚。

 どこかでそんな場所にいたかのような、そんな既視感が胸のそこから滲み出てきた。

 赤い。

 黒い。

 青い。

 刻印でしかないその記憶。

 忘却されたその感覚。

 心は覚えているが、体は憶えていない。

 心と体、二つの在処はガランドウ。

 ただ、果てなき空洞により隔たれている。

 だが、心と体の境界とは恐らくそれだ。

 心と体は、広大な死海の果てと果てで繋がっている。

 出会うことは、恐らく永遠にあり得ない。

 叶わない。

 有り得てはならない。

 だって私たちは、きっとそれに耐えられない。

 壊れてしまう。

 夢から目を覚ますように、すべて一夜の狂騒であったかにように。

 忘れてしまう。

 (からだ)(こころ)を殺すんだ。

 その、なんと恐ろしいことか。

 それの、なんと悲しいことか。

 それでも私たちはソコに向かっている。

 虫が光を目指すように。

 精子が卵子を目指すように。

 僕が、君を殺したいように───────


 ───────はっと、我を取り戻す。

 南無三、物思いに没頭してしまっていた。

 いつもの悪い癖かと、顔に手をかざす。

 未だ思い出せない。あの日の記憶。

 ただ分かることは。

 其処は、ここよりもずっと暗く。底は、あんなにも昏かった。


 湯から上がる。ざぷんという波の音。

 吹き抜けてくる夜風の冷たさを、体の熱がはね除ける。

 くらりと呼応する脳髄、頭が痛い。

 どうやら、少しのぼせてしまったらしい。

 湯冷めをしないように早く着替えよう、と更衣室に体を向けた直後───────背後から俺を射抜く何者かの視線に、一瞬ほてった体を硬直させた。

 すぐさま向き直る。

 誰もいない。ただ夜の茂みが広がるだけ。

 もうもうと立ち上った湯気が満ちる大浴場。

 湯気が逃げ、そのまま消え溶けていく闇夜。

 その内と外との狭間にヤツは"いた"───────

 

 ───────二つの金色の眼光が俺を差す。

 蛇だった。

 驚くほど、目が釘付けになる程美しい純白の蛇が、じっと俺を睨んでいた。

 いや、睨むといった表現は正しくはないだろう。それはまるで俺がどんな人間であるかを見透かすように、見定めるようにその眼窩を向けていた。

 大きさは決して大きいとはいえない。精々ヒバカリぐらいだろう。それなのにも関わらず、この溢れんばかりの威容はなんなのだろう。昔の人々は、この言い表せぬ威容を持って神の使いと崇め祀ったのだろう。

 実際それは、異質なまでに神々しかったのだから。

 

「何のつもりだ?」


 だから、俺はソレが確実に"異常"の存在であると理解できた。


 ───────沈黙がひたひたと流れていく。

 両者は睨みあってその眼光を互いに離さない。

 超常の蛇は何も言わない。

 そりゃあそうだだろう。蛇は人の言葉を離せない。

 俺達は視線を交わし合うことしか出来ない。

 だが超常の蛇である以上、俺という存在をこいつはよく理解しているのだ。こいつが確実に俺に何かを伝えに来たのは間違いない。

 俺には理解る。

 刃物で心臓を刺されるかのような鋭い不快感。

 その金色の瞳と、その眼窩が語っている。

 敵対者としての警告か、味方としての忠告か。

 云うまでもない。


 コイツは、俺の───────新矢志輝の敵だ。

 

 だっと浴場をかけ更衣室にたどり着く。

 勢いよく部屋に飛び込み、俺の服をかけているところに走り込む。

 服のポケットの中に隠していた小太刀(ナイフ)を一本取り出して、そのまま開けっぱなしのドアから、(ヘビ)目掛けて勢いよく投擲した。

 小太刀は、湯気を切り裂きながら弾丸のような速度で蛇に向かって迫り来る。

 蛇はそれを紙一重で避けると、そのまま外へ飛び込み逃げる湯気と共に夜の闇へと姿を消した。


 殺意無き、しんと静まり返った世界の中で、新矢志輝の舌打ちの音だけがこだました。



     ◇



「白い蛇、妙ね。」


 電話口から、髪を梳かすような少女の美声が流れてくる。

 逢魔坂朱理。

 オカルト研究部"胡蝶之夢"の部長にして、霜枝市の土地の管理者にして、冷酷無比の魔術師。

 部のメンバー全員どころか、我が霜枝高校のあらゆる生徒が恐れ羨望する女傑。彼女を識るものは彼女をこう呼ぶ"学園一の秀才にして天才にして鬼才"と。

 その威容は女王と呼ぶにふさわしく、魍魎ひしめく実力主義の高校で絶大な影響力を持ち、単身で生徒会どころか教育委員会まで相手取れるというのだから驚きだ。

 その圧倒的な影響力ゆえか、その発言一つ一つが重くその声にすら神威が宿っている。声色が変わるだけで喉の奥からひっという悲鳴が上がりかける。業腹だが、俺でもこころの奥底でこの女に怯えている自分がいるということを理解している。

 悔しくてたまらないが、この強さは認めざる終えない。

 まさに魔王。


「ん?どうしたの?すごく怯えているようだけど。」

「え…あ…いやなんでもない。それよりどうなんだよ。」


 すぐさま言葉の軌道を修正する。

 内を探られている。

 この心の奥底を見透かされているような、まさぐられているような感覚。これが新矢志輝が彼女が苦手な一要因だった。

 新矢志輝にとって、人間とは外見からしかその概念を読み取れないモノだった。特殊な"視界"のお陰で人体の構造や生命力の在処、壊れやすい所などを見ることはできるし、残留思念もある程度読み取れる。が、心の奥底までは見ることが出来ない。人間が真に読み取れる人間の所なんて所詮外見だけ、内面なんて紙にでも書いてくれなければ分からずじまいなモノなのだ。

 しかし、この女は例外だ。

 本来分からないような人の心ですら、顔すら見ずにいとも容易く見透かしてくる。

 見る目があるなんてもんじゃない。

 まるで透視だ。

 彼女の前に、心の扉などありはしない。

 そして彼女のもう一つ特筆すべき点、いやこっちが本命何だろうが今は脇に流しておこう。


「どうするもこうするもないわよ。怪異なのか、使い魔の類いなのか、それとも本物の神の使いなのか。結局それだけの情報じゃ判らない。なにせ"蛇"の伝承は世界各地にあるからね。心当たりのある魔術基盤がありすぎて特定できない。まぁでも、その程度の使い魔なら、君にとっては何の問題もないと思うけどね」


 逢魔坂朱理はそう言って大きくあくびをする。

 こんな悪魔のような冷酷無情な人間でもあくびをするんだと思い、少しだけ安心する。

 まぁ、これも俺を油断させるための罠なのだろうが。


「まぁでも油断はしないほうがいいわ。」


 逢魔坂朱理の声色が変わる。

 より念を押すような重みを持つ。

 

「土御門君が調べてくれたんだけどね、今回の件、どうしてもちょっときな臭いのよねぇ。」

「何があったんだ。そっちで。」


 新矢志輝が喰い気味に聞く。


「あったわ、いろいろとね。まぁ私の部はいつも何かしら物騒なことがあるんだけどね、けどまぁ大したものじゃない。今の忠告も、今回は単純にそんな気がしてるってだけ。」

「そうかよ。」


 クスクス、と逢魔坂が電話越しに笑う。

 

 呆れる。

 わざわざ人を脅かしに来たのかコイツは。


「浅影のお嬢ちゃんとは仲良くしてる?」

「お前は俺のお袋かなんかかよ。」

「少し気になってね。向こうじゃ肩身の狭い思いをしてないかと心配になったんだけど、これなら大丈夫そうね。」

「はいはいわかった。もう切る。」

「じゃあお休み。周りに味方がいない夜を過ごして、私達の大切さに気づいてね。」

「わかってるさ。元よりそのつもりだぜ、俺は。」


 つーと切れた後の音。

 その音が繰り返し響くなか、新矢志輝は夜空に浮かぶ白い(まなこ)を睨み「上等だ」と決意を固めた。



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