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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
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第四話 尋問

 ───────扉を開けて外に出ると、女中と思わしき少女が一人佇んでいた。

 鶯色というのだろうか。わずかに茶を帯びた濃い着緑色に、鮫唐草の紋が刻まれた着物。只でさえ渋柿のような落ち着きのある色合いのそれを、自然に悠然と着こなした彼女は、完全に周囲の木々と調和している。

 少し目を離したら見失いそうだ。

 

「では、私がご案内させていただきます。」


 そのまま無機質にくるりと振り返り、本殿の方向へと歩き始めた。

 長い髪が揺れる。自分より、二つか三つぐらい年下だろうか。未だその佇まいからは幼さが見える。

 

───────ふと、過去の自分が重なる。

 

 昔からの悪い癖だ。

 意志の病理だ。病的だ。

 もう過ぎ去ったことなのに、未だ"あの"幼少時代が心の奥底にこびりつき、"もし"だなんてありもしない異聞(イフ)を探ってしまい、目の前に、過去の自分が陰影のように写し出されてしまう。

 

 その行いが、全く意味がないのならまだよかった。

 無駄で無為で無価値なもので、自分を自分で嘲笑える機会ならばよかった。しかし、探せば探すほど"後悔"を堀当てる。あの日の自分がするべきだったことがいくつも湧き出てくる。

 

 人は、それを教訓というのだろう。

 実際、あの忌々しい日々が今の俺の"すべて"を形作っているんだから皮肉なものだ。

 どれだけ過去を間違いだったと否定しても、酔狂なものだと笑おうとも、現在(いま)の俺が過去から繋がれた運命(レール)の上を歩いているという事実は、揺るぎなく変わらない。まっすぐな未来にしか繋がらず、脇道にそれることも、ましてやUターンすることなんてあり得ない。

 だから不本意にも進むしかない。屈辱的だが這うしかない。


 ───────人は、過去には敵わないのだから。


 だが、見ての通り俺はそこから逃げている。過去の自分に自己投影している。ましてや、それを全くの別人に、少し自分を感じたものに重ねてしまっている。

 現在の自分の上から、過去の自分を走らせている。そんな感覚だ。

 抽象的なものすらも、頭のなかで視覚化している。

 

 ───────だからこの『眼』は、モノのカタチなんて捉えてしまうのだろうか。

 

 無意味なコトを、ただ過去(ひたすら)に探している。


 ───────そういう意味で、病的だ。


「あの───────」


 そんな自分の愚かしい感傷を、眼前から真っ直ぐ縦に、しかしふにゃりと寸断される。

 たぶんこの断面には迷いが見えるだろう。何せ臆病風が吹いている。どうやら過去への妄執を嗤われたわけではないらしい。

 

「先程は、ご当主がとんだ非礼を…代わりにお詫びします。」


 栗色の長髪をはためかせ少女は振り返り言った。


「ああ、人の鼻っ柱をへし折ろうとするだけでなく、あんな貧相で窮屈なところへ押し込めて俺を凍死させようとするところとかな。」


 ぶすっと食い気味に、さして冷静さは損なわず、新矢志輝は口先をわずかに尖らせて言う。


「あ、その事もお詫びします。ご当主がどうしてもとおっしゃったので、あぁいやそれでも非礼は非礼なのですけれど…えっと…その…」


「逆らえなかったんだろ?」


 ぴしゃりと、新矢志輝は少女が弁明を言い終わる前に結論を捩じ込んだ。


「は、はい…そうなります…。」


 少女は申し訳なさそうにうつむく。少女のいかにも辿々しい口調とは裏腹に、その声色は落ち着いており、ある種の可憐さを醸し出している。

 

 その象りが、本当にあの日の自分そっくりで───────


 ふるふると思考を振り切る。

 いけないいけない、また過去に没頭しようとしている。もう古い刻印に囚われるのは御免だ。

 ───────逃げるように別の話題を考えた。


「あ~しかし、まあ…なんだ。大変だなあんたも。あんなやつの面倒を四六時中見なきゃならないとか。胃が持ちそうにないぜ。ちゃんと人間ドック行けよ、もしかしたら土手っ腹にでっかい風穴空いてるかもだぜ。」


 ───────虐待されてるんだろ。

 

 なんてバッサリ言うことなんて出来ない。

 年頃の、しかも丁度思春期が始まったばかりの頃の少女の、その繊細で不安定で曖昧で、いかにも熱っぽいどろどろとした血生臭いぬかるみを、いつ底が抜けるかもわからない地雷の沼を、ズブズブと我が物顔で突き進むのは、単純な人としての申し訳なさと、人としての禁忌の本能的感覚から憚られた。

 

 しかし、今発した言の葉は確実に失言だったという小さな確信があった。

 あれだけ不格好にも、物語の紳士のような心持ちで探ったのだが、所詮猿真似。ズブリ、とデリケートな貴族社会に、しかもプライベートな人の心の領域に片足を踏み入れてしまった。

 実際本当にそうかはわからなかったが、その実感が心を支配した。

 ちょっとデリカシーなかったかな。


「は、はい…気を付けます。」


 と、少女は気力なく答える。なんとそれ以上なにも言わなかった。

 なにもかも受け入れているというか、諦めているというか、自分の内に入ってこられることにこんなにも抵抗がない人間ははじめてだ。


「とは…言っても…」


 ───────されど、言葉は続いた。


「あれでも結構いい人なんです。やるときはちゃんとやってくれるというか…なんと言うか。確かに、意地悪ですけど…優しいんです。」


 確信にも似た、勇気───────或いは自信か、どうやらあの暴力女は───────浅影瑠鋳子は、その横暴で高飛車な性格(ナリ)の割に、意外にも部下からの信頼は厚いらしい。ただ単にDVを受けている女が、本来離れるべき男に依存してしまうアレなだけかもしれないが。

 

 当主から非道な仕打ちを受けている女中、或いは子供。今のこの時代にそんなコトをしている人間は少ないだろうし、それがどれだけ醜悪で許されざる悪徳なのかは、現代に生きる人間ならばごく当たり前に体に馴染んでいる筈だ。

 

 しかし、その()()()()()は、"普通"の人間の(せかい)にしか通用しない常識(モラル)だ。魔道に生きるものにとって、それはさして珍しい事柄(もの)ではない。

 近代になって魔術、神秘に傾倒してきた家系はともかく、中流から上流ではほんの少し前まで、子への虐待、拷問、洗脳、屈服なんて文化は、極々当たり前に浸透していた。

 

 基本魔術師や呪術師は、肉体を弄くったり作り替えたり、投薬したり使い魔を埋め込むなどして、徐々に身体に神秘を織る機構を馴染ませたり、魔力や呪詛を捉える霊的な感覚に五感を慣らしたりするのだが、恐らくこういったものの延長線上であったのに違いない。

 ───────魔術師という生き物は、つくづく度しがたく業が深いものだ。

 

 ───────そういった親やら師からの仕打ちが、その子供にどのような影響を与えたかは言うまでもない。

 

 虐待を受けていた子供が、将来子供をこさえたとき虐待を行うようになるように、魔術師の価値観に子もまた染まり、暗黒の淵へと親共々引き摺り落とされるのだ。

 悲しいかな。

 ミイラ取りがミイラとは、こういった負の連鎖を指すのに相応しい言葉はあるまい。

 

 もしかしたら浅影瑠鋳子も───────


 ───────そう思考したその刹那、俺の顔面に華麗な回し蹴りが飛んできた。

 

「ッッッッ!」


 ───────直撃だった。


 無論、防御した手の甲にだが。


 轟音が響き渡る。其は最早、人間の手足のぶつかり合う音ではない。

 魔術で肉体を『強化』していたのだろう、浅影瑠鋳子から放たれた剛力による回し蹴りは、常人ならば腕を持っていかれるどころか、反動で体が廊下のとなりの部屋まで木造の壁を突き破って吹っ飛んでいるはずだ。

 しかし新矢志輝は一切の反動もなく、空を切り裂く高速の回し蹴りを、無駄という無駄をすべて削ぎ捨てたかのような最小限の動作で防いでいた。眉一つすら動かさず、易々と。


「へ~かなりやるじゃない。気配遮断に不意打ちからの渾身の『強化』による蹴撃(キック)だったのに。」


「殺気が駄々漏れなんだよ。ドロドロとしてて、むせ返るようなな。」

 

 ───────鼻に付く、加虐的で残虐な殺気。暗殺者や傭兵等が持つ、義務と無機に満ちたそれとは正反対の在り方。

 そういったものは怪異殺しをする上でよくよく見かけるものだが、これほどまでに純粋に、醜く洗練されているモノを、ここ数年見たことがない。


「あら?そらそうでしょう?どんな暗殺者だって聖者だって英雄だって、誰かを殺そうとする瞬間は必ず"殺気"が漏れてしまうものだもの。」


 ───────悪びれることもなく肩を竦める。

 邪悪だが言っていることは正しい。どれだけ優れた暗殺者でも人を殺す前には必ず『殺気』が少なからず漏れ出るものだ。

 生理現象はたまた脊髄の反射反応と同じように、どれだけ修練しようともこの"理"にだけは抗うことはできない。


 だからこそ一流の暗殺者やその手解きを受けたもの、その術理を知り尽くしているものなどは、己の内側に渦巻く殺気を知覚し観察し、それに貼り付いた"色"や"匂い"を紐解き、徐々に自分自身のモノから他人のモノに重きを変えていき、最終的には他人から向けられる殺気を感じとり、頭のなかに一切の隙を無くし、自分の流儀を高めていくのだ。

 

 新矢志輝もその段階に達している。

 特殊な"視界"の副産物。

 浅影瑠鋳子の禍々しい殺気を読み取り、人をいとも容易く殺せる回し蹴りによる一撃を、異次元の反射神経で防御したのだ。

 

 ───────しかし、真に特筆すべき点はまだ他に有り余っている。

 

「なんであんたの腕は無事、つうか無傷なのよ。結構強力だったと思うんだけど。腕くらいミンチになってなきゃおかしいと思うんですケド。」

 

 子供が駄々をこねるように抗議する。


 ───────そう疑問に思っても仕方がない。

 浅影瑠鋳子の空中回し蹴りは、身体強化の術式を発動してのものだ。本来は腕で防ごうものなら捥げて吹き飛ぶか、最低でも生物としてあり得ない方向にねじまがりひしゃげてもおかしくはない。


「まさか、自分しか『強化』できないなんて思ってないよな?」


 新矢志輝はうっすらと口角を上げる。

 確かに。怪異と日々戦い、呪術の一派の当主、しかも日本呪術業界の覇権を争ってきた没落したとはいえ名門中の名門である浅影家本家の当主の護衛任務に、他の多くの立候補を押し退けて大抜擢された男が、魔術の基本中の基本である『強化』が使えないはずがない。

 しかし───────


「それはあり得ないわ。」


 女はピシャリといってのけた。


「誰だって魔術を使うときは魔力が発露する。この屋敷全体には結界が張ってあってねぇ、この家を囲むようにぐるっと外郭に張られた侵入者を拒む『隔絶』と、敷地内全土に敷かれた誰かが魔術を使うとその魔力を検知し、居場所を割り出す『索敵』。そうして感知された魔力は───────え~と、これだ。」


 浅影瑠鋳子は着物の裾から、とある古びた和紙を取り出す。そこには何か様々な図形や記号、文字が書かれている。


「ん?見取り図…か?」


「その通り。この屋敷全体の見取り図。でもただの見取り図じゃあない。さっき言った結界と連動した魔術例装よ。」


 浅影瑠鋳子は得意気に見せびらかす。見取り図に記されていた離れと本殿を繋ぐ廊下、即ち今立っているこの辺りの地点を記したところに、何やら奇妙な赤い点がポツンと浮かび上がっている。


「その赤い点は『屋敷版図』───────この魔術例装そのもの魔力よ。おおよそ現在地ってこと。」


 「まあ見てなさい」と、浅影瑠鋳子は近くの池に向かって、素早く撫でるように腕を振るった。すると、たちまち池に溜まっていた"淀み"がほどけて、元の清純な空気に戻っていった。

 その手の者なら誰でも出来る。祓いの儀式。

 見取り図には、もう一つの"青い点"が浮かび上がっていた。浅影瑠鋳子の魔力だ。


「なるほど、見取り図以外の魔力は青く浮かび上がるのか。結界の反応と見取り図を対応させて、といったところか。」


「形や役割が同じものは互いに影響し合う───────類感魔術の一種。シンプルだけど、簡易で便利で画期的。それに他の術式にも応用がきく。」

 

「ああ、すごいなー」

 

 新矢志輝は無気力にで賛辞を送る。

 

 一応、俺にも魔術の嗜みはある。

 土御門から天文学や風水、式神などの基本的な陰陽術や、魔術の基本であるマナ学や五大要素など、基本的なことまでは参考までに聞いてきた。

 だが、実のところ感覚だけで、理屈としてはあまりピント来ない。

 それに、元より使えないのだから意味がない。


「世辞は結構よ。ていうか普通にこれ穴だらけだし。まあそんなことは良いとして、この魔力反応は検知して十分経つまで残るよう設定している。あんたを蹴ってからまだ十分経ってない。あんたを蹴った私の反応は消した。あんたが『強化』して防いだなら、まだあんたの"青"は残っているはずだけど?」


 浅影瑠鋳子の尊顔には、ニンマリと邪悪な笑みが貼り付いている。

 新矢志輝はその顔を知っている。

 ───────探りの感情だ。

 相手の秘密を暴きたて、我が物にしようとする簒奪者の眼。


「新矢クン。身長何cm?」

「160だが?」


 ───────奇妙な感覚だった。

 いや、奇妙どころじゃない。俺は今、なにも考えていなかった。

 

 ───────勝手に俺の口が、ひとりでに動いた。

 

 絶対にいうはずもない。コンプレックスの話題を。自ら明かしたのだ。この口で、いやこの口が、無意識に───────

 かぁっと顔が厚くなる。


「へ~意外とちっちゃいんだ?顔も相まって、女の子みたいで可愛い。あれ?どうしたの?顔が赤いけど?もしかして照れてるのかな?」


 浅影瑠鋳子が愛らしい笑みを浮かべる。その裏には悪徳の愉悦が渦巻いていた。


「あ───────なんだ…これは。まさか!」 


「ようやく気づいたんだ。」


 ───────呪い、だった。恐らくは、


「強制尋問───────聞かれた問に、どう足掻いても答えてしまうという。がっ…」


 新矢志輝は力なく崩れるようにその場にへたれこむ。

 

 ───────足の力が、まるで大地に還っていくかのように抜けていく。


 悔しそうに顔をしかめる俺に。「ご名答」と、浅影瑠鋳子の影が飲み、見下すように顔を覗き込んできた。


 ───────尋問が始まった。新矢志輝の秘密を全て暴きたてる、いや自ら吐き出させる。屈辱と愉悦の尋問が。


「さ~て何から吐いて貰おうかな~」


 目の前の悪女は、手をわきわきとさせてこちらをニンマリ覗き込んでくる。


「お前───────」


 何とかして立ち上がろうとしたが、腰が抜けたようにゆるゆると力が抜けていってしまう。

 骨を、筋肉を、一筋一筋緩やかに解きほぐされていくような、そんないやらしい感覚。

 精気(オド)が急激に奪われていく。

 ここは浅影の敷地。どう足掻こうがどこまでいっても手のひらの上。


「クッ…ソ…」


「こんな簡単な呪いでダメになるなんて。成る程成る程、アレは魔術の類いじゃなさそうね。まあいいわ、持ってるだけで価値になるんだもの。得られるものは得ていかないと。」


 浅影瑠鋳子は相も変わらず気色の悪い笑みを浮かべている。あの女中も、普段からこんなものに付き合わされているのか。

 

「何が目的だ?」


「自己紹介をしようかなぁって思って。───────もちろん、嘘はナシで、ね。」


 グッと、新矢志輝は浅影瑠鋳子を睨むように見据える。


 浅影は腰に手を当て、覗き込むようにしていった。


「そうね、まずは───────志輝クンって、童貞?」


「ッッッッ!!はぁ!!?」


 ───────世界が横転する。

 突拍子も無さすぎる質問への動揺に、精神の威勢は、呆気なく崩されてしまったのだった。

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