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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
29/29

第二十九話 浅影邸奪還作戦 ②

 深い闇の中にいる。

 私はただ走っている。

 多分、誰かを追いかけて、ただひたすらに走っている。


 足元は見ていない。

 君だけしか見ていない。

 転ばないよう気を付けていたら、見失ってしまいそうだから。


 私の身体は、不思議と軽い。

 まるで、桜の花びらになったよう。

 ひらひらと宙を舞うように、暗い道を駆けていく。


 心臓が早鐘を打つ。

 胸の高鳴りが止まらない。

 ずっと走っているからか、ずっと焦っているからか。

 正直、どちらか分からない。

 

 ──ただ今は、去り行く君に追い付きたい。

 

「はぁ………はぁ………はぁ………はぁ……!」


 走る。

 走る。

 走る。

 走る。

 彼女の背中を追いかけて。


「待ってください……葉純ちゃん!」


 曇り空のような、灰色の背中。

 今日の彼女は、兎のように白い振り袖であった筈。

 一体、いつ着替えたのであろうか。


「なんで行ってしまうんです! まだ……なにも話し合っていないじゃないですか」


 葉純の、白い手を掴む。

 その瞬間、突如として世界が赤黒く染まった。

 全身の血という血を、外側にぶちまけてしまったような、グロテスクな風景。

 呆気に取られ、たたらを踏んだ時には、葉純は目の前から消えていた。

 いや、本当はずっと目の前にいたのかもしれない。

 すぐ後ろから、声が掛かった。


『あなた、だれですか?』


 頭の中に反響するような、または胸の内で反芻するような、不可思議な声であった。


「私は絹幡蘭。絹幡家の次期当主で、浅影の魔術師です! あなたもでしょ!?」


 振り返る。

 しかし、そこには誰もいない。

 

『──わたし、そんな人知りません』


 ただ、一台のテレビだけが置かれている。

 映像が流れている。

 見知った少女が、背を向けて椅子に座っている。


「そんなことはありません。私たちは、ずっとこの屋敷で何年も暮らしてきた……筈で────」


 おかしい。

 何も思い出せない。

 鳴上葉純。

 その人物との記憶が、全く。

 思い出せない。

 

『思い出せないのではなく、そもそも存在しないのではありませんか?』


 背を向けたまま、映像の中の少女はこちらに向かって話しかけてくる。


「ずっと、同じ屋敷で……一緒に、暮らして────」

『同じ屋敷に暮らしていた、だけでしょう?』

「……だって、わたしたち、は……か、ぞく、で……」


 本当に、そうなのであろうか。

 そうだったのであろうか。

 彼女と一緒にいたのは、魔術の修練や儀式の時だった。

 ──だけ、だった。

 お互い忙しかったこともあってか、魔術(それ)関連以外、ほとんど顔なんて突き合わせたことがない。

 それは、一緒に暮らしていると、自信を持って言えるのだろうか。


「言え─────」


 言えて、良いものなのだろうか。

 

『訂正します。あなたの名前は知っています。あなたの扱う魔術も分野も、一通り知っています』


 自分が、他人の名前を出す時は、常に『魔術』があった。


『私にとっては、"しがらみ"ではなく、"つながり"ですから』


 いつかの、自分自身の言葉だった。

 何故、ここに至るまで、違和感の一つも抱かなかったのであろうか。

 私という人間が、ソレありきでしかなかったということに。


『──それ以外のあなたは、何も知りません』


 映像の中の少女が、首だけをこちらにぐりんと捻った。

 目も鼻も口も、全てが空洞。

 (かお)の亡い少女は、無表情のままに絹幡蘭へトドメを刺した。


『あなたは、私の家族ではありません─────』


 ──つまるところ、絹幡蘭(わたし)という人間は、生粋の魔術師であったのだ。


     ◇


 少女は、微睡みの淵から目を醒ました。

 長い夢を見ていた。自力では抜け出せない、監獄のような夢を。

 それは、あの子が抱いていたであろう閉塞感の、その一割でも再現できていたであろうか。……分からない。全てが理解し難いことであった。

 瞼が、重苦しく開く。ぼんやりとした視界には、こちらを覗く二つの影が映り込んでいた。


「ん………は、ぁ─────────」


 小さな影と、大きな影。

 後者は知らない人物であったが、前者はよく知る人物だった。


「起きました……蘭さんが起きました!」

 

 安堵したように笑みを浮かべる、十歳程の少女。


「玲奈……ちゃん」


 弱々しく、呟く。

 そんな私の手を握ったのは、任務に行っていた筈の仔社玲奈だった。

 彼女の手の暖かさに、安堵を覚える。


「なんで、ここに……というか、ここは?」


 身体を起こしながら、玲奈に尋ねた。


「それはこっちの台詞です。蘭さん、なんでこんなところにいるんですか? 本部とはさっきから連絡が取れないですし、もしかして屋敷の皆さんも監禁されているのですか……?」

「屋敷の──────」


 鳴上葉純。

 その言葉が脳裏をよぎった瞬間、さっきまでの全てが走馬灯のように海馬から呼び起こされる。

 言い表すならば、悲劇の洪水であった。


「あ、あぁ………あ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 後悔。

 疑問。

 無力感。

 失望。

 

「蘭さん……! 大丈夫ですか!」


 気づけば、私は幼い子供のように、みっともなく泣きじゃくっていた。

 あまつさえ、自分よりも幼い少女の胸に顔を埋めて。

 

「う、ううううううぅ、私……わたしぃ……なにも、なにもできなくて……くるしくて……けど、気づいて……しま……って。わたし……なにも……しようとして……いなかった……だけって」

「な、何があったんですか?」

「蘭さん……でしたっけ。無理しなくて大丈夫ですよ。一旦、心を落ち着かせてから、ゆっくりと話してください」


 もう一人の女性が、私の肩をさする。


「誰も貴女を、責めませんから………」


 ──それからしばらくして、精神がある程度落ち着いた絹幡は、今までの事を話し始めた。

 鳴上葉純の乱心。彼女との戦闘。そして、その顛末を。

 途中、何度も泣きそうになりながらも、涙と嗚咽をこらえて語り続けた。

 それで楽に成るわけでは、決してなかったのだとしても。

 全てを話し終えた時、玲奈は半ば衝動的に彼女の胸に飛び込み、そして掠れるような声で言った。


「貴女が……無事で、よかった──────」


 涙する玲奈を一瞥し、絹幡は自己を客観視したことによって、冷静になった。

 そして、玲奈の頭をそっと撫でると、優しい口調で言ったのだ。


「ごめんなさい。情けないところを見せてしまいましたね……私は、年長者失格です」

「いいんです……いいんですよ………蘭さんは、私にとっても、浅影家(みんな)にとっても、かけがえのない家族なんですから。生きて……無事でいてくれた。それだけで嬉しいんです………」


 玲奈の発言を聞き、絹幡は一拍置いてから礼を言った。


「──ご心配をお掛けしました。助けてくださり……ありがとうございます」


 玲奈が顔を上げ、少女達は見つめ合う。

 二人は、幾度も儀式や家業を共にし、苦楽を共にし、絆を深めてきた。しかし、この瞬間だけは、そのどの経験でも越えられない、少女達の繋がりを確固足るものにする儀式であった。

 

「……とりあえず、蘭さんは服を着ましょう。ここは暖房魔術がかけられていますが、外は極寒です」


 横から、しのぶが少しおどけながら、諭すように言う。


「そういえば…………ひゃっ! 私、服……脱がされてる?!」


 今更ながら、自身が下着姿であることに気づき、絹幡は頬を赤らめながら身を竦めた。


「あの……これ、上に置かれていたのですが、ひょっとして?」


 しのぶが、丁寧に畳まれた何かを差し出す。

 桜の意匠が所々に織り込まれた、薄桃色の羽織と着物だった。


「あ……これ、私のです」


 絹幡が、着物を手に取る。


「……やっぱり、私が仕立てた着物です」


 手元のそれをまじまじと見つめ、確信したように言う。


「でも、なんで脱がしたんでしょう? いかがわしいことをする為にしか思えないのですが」

「それは……」


 絹幡が、羞恥を僅かに滲ませながらも、自信を持って言った。


「着物に魔術式を編み込んでいるからだと思います。……私が逃げないようにする為の処置かと」


 幾ら自信がある結界を張り込んでも、目の前に転がっている不確定要素を放置するほど、この結界を編んだ術師は平和主義ではないということか。

 成る程、という態度をさらりと示し、しのぶは続けた。


「あと、これも気になるのですが……」


 そう言うと、しのぶが懐から新たに何かを取り出す。

 黒いナイフだった。

 その形通りに空間が抉れているのではと錯覚する程に、光を一切反射しない漆黒であった。


「そ…それは……!」


 聞き知らぬ、男の声であった。

 梯子の上から、白髪の少年が覗き込んでいる。


「あの……」


 絹幡が何かを言う前に、もう一人の手が少年の顔を引き上げた。

 引き上げられなかった。

 少年の頭は、地下室の天井に阻まれ、ゴンという間抜けな音を奏でた。


「いてててて……」

「こらー土御門さん。私が良いっていうまで、地上で待機してくださいと言ったじゃありませんか」

「す、すんません……」


 頭をさすりながら、土御門が謝罪する。

 

「土御門……殿……でしたっけ。このナイフについてなにか?」

 

 若干恥じらいながらも、絹幡が問う。


「そのナイフって、どこで拾ったか教えてくれるかな?」

「新矢殿が落としたものなのですが──────」

「志輝を知ってるの……!?」


 食い気味に質問してきた土御門に、少し狼狽えながらも絹幡は答えた。


「はい……共に戦いました」


 若干、白髪の少年が驚いたのを、絹幡は感じ取った。


「今、どこにいるか…………って、わかんないか……」

「とりあえず─────」


 玲奈が、水流を二手に割るように切り出した。


「──一旦服を着て、それから話しませんかね」


 閑話休題。

 絹幡が服を着た後、互いの開示できるだけの情報を、一通り共有した。


     ◇


「そうか……志輝が………」

「正直、何がなんだかわからなかったのですが、いつでも返せるように、とっておいた所存です」


 申し訳なさそうな絹幡の顔を見て、土御門は彼女の『責任を感じやすい性格』を察知し、一定の敬意を持ちながらも、彼女の現在の精神状態を慮り、迂遠な言葉を選んだ。


「ありがとう。志輝(アイツ)のこと、ちゃんと考えてくれてたんだな。ナイフ(これ)、志輝のお気に入りだからさ。回収してくれて本当に助かった。アイツの代わりに、礼を言うよ」


 ナイフを手に取り、すかさず頭を下げた土御門に対し、絹幡は慌てて両手を前に突き出す。


「い、いえいえ……! 私は……ただ、助けられていた、だけですし………それに、私なんかをかばってせいで新矢殿は─────────」

「なら心配いらないよ」


 間髪入れず、白髪の少年は言葉を差し込んだ。


「志輝は、強いから。俺とアイツは何年かの付き合いでさ。アイツのしぶとさは、俺が一番よく分かってる。昔っから、病弱なクセに軟弱じゃないところがある、って言うか。……いや、こういうのは(したた)かっていうんだっけか。どういう神経してんだか、自分からふらふらっと面倒事に首突っ込んでは、その度に死にかけてやんの。……けど、いつもなんやかんやで切り抜けて見せるんだ」


 天井を仰ぎながら、どこか誇らしげに語る土御門。

 しかし彼は、この数秒にも満たない無意識の最中で、膨大な思考と経験値に裏打ちされた果てしない演算を、涼しげな顔で行っていた。

 彼女にこれ以上気負わせない為には、どういう言葉を紡ぐべきか。

 土御門が異性に魅力的に見られやすいのは、容姿だけでなく話術方面も秀でていたからだった。


「だから、心配はいらないよ………………………………………………………ごめん、ちょっぴり嘘」


 ──しかし、今回ばかりは、その才覚も翳りを見せている。


「やっぱり心配。今のは色々と偏見入っます。半分くらい願望なところは、あります。けど、心配はしなくて良い。自分を責めなくても良い。……ただ、今はとにかく信じることが大事だよ」


 土御門の黒曜石のような瞳が、絹幡を再び捉える。


「──お互い、やれるだけのことをやろう。後悔するのは、それからおいおいと」


 白髪の少年が、諭すように言った後、優しく微笑えんだ。


「ふんっ」


 わざとらしく鼻を鳴らしたのは、黒須であったか。


「結局、くだらん結論に帰着するのなら、最初からそう言っておけ」

「こ、これは……言葉の積み重ねがだな─────」

 

 いがみ合う男達へと、しのぶが新たに質問する。


「それで、皆さんはこれからどうするおつもりで?」

「どうするって、事態の解決を────」


 土御門が話している途中で、黒須が簡潔に言った。


「俺は葉純を捜した後、鳴上の『司令塔』と交渉してくる」


 黒須の言葉に最初に反応したのは、当然といえば当然か、絹幡蘭であった。


「葉純ちゃんを捜して、交渉って言うのは……?」


 絹幡が、黒ずくめの青年に問う。

 黒須を名乗る男は、土御門の配慮も虚しく、残酷な考察を叩き付けた。


「お前の話から察するに、葉純は『鳴上』の捨て駒として利用された可能性が高い」


 絹幡の表情が、一気に険しくなる。


「それは、どういうことですか!」


 叫ぶような絹幡の問いに、黒須は両目をつぶって答えた。


「鳴上家というのはな、秘密主義なんだ。基本そうである魔術の家系の中でも、屈指のな。暗殺業は情報が命。それらを隠匿する為ならば、身内や関係者を徹底的に縛り上げ、地下牢への監禁も辞さない」


 あまりにも、おぞましい内容であった。

 絹幡は、ベッドの上に座っているにも関わらず、足が竦んだのを感じた。


「じゃあ……葉純ちゃんが言ってた、鳴上家から除籍されると言うのは───」

「解放されるなんていう甘い話ではない。その逆。お払い箱として地下で一生を過ごすことになる」


 自由。

 その真逆。

 地下への幽閉。

 それも、一生?


「騙してたってことですか!」

「……かなり、悪どいがな。それに、『お爺様』ときたものだ。これは相当まずい」

「何者なんです? そのお爺様って」


 黒須は深刻そうに、或いは心底やりずらそうに語り始めた。


「──鳴上冬驟斎(とうしゅうさい)本滋(もとしげ)。鳴上家の元当主だよ、もう三代前のな」 

「どういうこっちゃそりゃ?」


 土御門が質問する。


「摂関政治って知ってるか?」

「藤原の某?」

「……む。まぁ、そうだな」

 

 黒須はまだ何か言いたげであったが、これ以上はアカデミックな内容になりそうなので、表面的には肯定しながらも、話の本質を優先して続けた。


「ヤツは家内政治の立ち回りが上手くてな、基本的には現当主の発言力が最大だが、そこにあの手この手でヤツ自身の思惑を差し込んでくる。膨大な人脈や知識に裏打ちされた利益の供与(インセンティブ)や、閉鎖環境を最大限活用した人心掌握の類い(マインドコントロール)もお手の物。古株の多い上層部ほど、ヤツの息のかかった人材が、少なくない数潜んでいる。やろうと思えば、当主派にも対抗し得る一大派閥を組織できるだろう。そうやって百年近く、完全とはいかないまでも、鳴上家を裏から操ってきたんだ。……そして当主が不在になった今、ヤツは事実上の当主となって、鳴上を完全に掌握してしまったんだろう。そうでなければ、ここまで大規模な人員を使ったクーデターなんて、起こせる筈がない」


 魔術の世界においては、決して珍しいほどでもない政治劇。

 しかし実際、その渦中に立たされてみると、背筋が凍りついてしまいそうな不吉な趣がある。


「じゃあ、今回の襲撃は?」

「冬驟斎の食指が動いたのか、それともずっとこの時を待っていたのか。……そこまでは、心の中を覗いてみないことには分からんが。ヤツは、この浅影家すら自らの支配下に置くつもりだ」


 仔社玲奈と絹幡蘭。

 どちらの顔も、表情は深刻そのものだった。


「……だが、やりようはある。鳴上の術師は、集団で作戦を行う時、常に三つの班に分かれて行動している。指揮。伝達。実行。司令塔となっているのは、この内の指揮部隊だ」 


 黒須は指を三つ立て、一つずつ折りながら説明する。


「俺はこの指揮部隊と交渉してくる。無論、ある程度実行部隊を潰してからだが」

「交渉って……何をどう交渉すんだよ。まともにやり合える材料はあんのか? まさか雁崎の───」

「そこは大丈夫だ。もっと手軽で確実な手札を用意している」

「それは、確かなことなのですね、黒須さん」

「あぁ、信じて欲しい」


 しのぶが、ベットから立ち上がった。


「──よろしい。では、こうしましょう。しのぶ(わたし)と玲奈さん、土御門君は、鳴上家の実行部隊を食い止めます。土御門さんは、それと並行して新矢氏の捜索を。絹幡さんは─────」

「私は、黒須さんと行きます」


 黒須も含めた全員が、絹幡の方を見た。


「どういうつもりだ?」


 真っ先に、黒須が尋ねる。


「葉純ちゃんに、もう一度会って話がしたいんです」

「お前は絹幡家の次期当主だろう。もし、お前がしくじれば、浅影にとって確実に不利に傾くぞ」

「………」

 

 絹幡が沈黙する。


「──どんなことを、話したい?」


 数秒の間隙の後、土御門が優しく尋ねた。


「それは───」

「良いだろう」


 黒須が、話し始める前に承諾した。


「こんな結界に閉じ込めるくらいだ。お前も、少しはやるのだろう?」


 黒須が、背を向ける。


「だったら、少しでも役に立つかどうか……見極めさせて貰う」


 空間が泡立つ。

 黒須が、指先に魔力を凝集し、小規模な黒球を現出させた。


「構えろ」

「ちょっ、スパルタが過ぎませんかね!」

「口だけで同行を許せと?」


 驚いて下がる土御門。

 男の指先は、射線上にいる絹幡の額を捉えている。

 玲奈もしのぶも、絹幡を沈黙のまま見やる。


「分かりました」


 絹幡が、目を閉じる。

 軽い呪句を唱えると、彼女の神経の裏側に形成された回路が、静かに廻り始める。

 次の瞬間、彼女の着ている羽織が、独りでに脈打った。


「お願いします───」

「そうか……いくぞ───!」


 ピンポン玉サイズの黒球が、男の指先から飛び立つ蝶のように放たれる。

 

「─────!」


 離れているにも関わらず、じりじりとした熱を土御門は感じていた。

 これでは、砂漠のただ中にいるようだ。

 極小といえども、暗雲の概念を具現化した魔力の塊である。土御門達には、一切の影響が出ないように配慮しているだろうが、黒球が発する熱気は彼らにまで届いていた。

 まともに受ければ、ただでは済まない。

 黒球は、ゆるゆると回転しながらも、凄まじい速度で絹幡目掛けて飛来する。

 ソレは瞬きの間に、彼女の心臓へと迫り───

 がばり、と羽織の端が翼のように引き伸ばされ、黒球を包み込む。次の一瞬には、中空に揺蕩っていた熱と呪詛の暴威が消失し、程なくして地下室は静寂を取り戻した。

 魔力の吸収と言うより、捕食といった方が適切だった。

 本人の言った通り、羽織に何らかの魔術式が組み込まれていることは、間違いないだろう。


「どう……でしょうか。私の部屋に戻れば、色々強い例装を回収できるのですが───」


 波が引いていくように、絹幡の羽織があるべき形に直っていく。

 極めて生物的な動きだった。

 動物霊でも仕込んでいるのだろうか。

 ただ衣服を操る術式ではないことは、今起こった現象を見れば想像に難くない。

  

「上出来だ」


 黒須が、意外にも賛辞を送った。


「師匠面してんじゃねぇよ」


 土御門が、吹っ掛けるように発言する。


「お前に言われる筋合いはない」


 また、二人の言い合いが始まった。

 それを見て、しのぶが小さく溜め息を吐く。


「──では、そろそろ小屋(ここ)を立ちましょう。二人は、早く分かれた方がよさそうです」


 ここで一旦、各々の目的を一通り整理しておく。


 土御門有雪。

 新矢志輝の安否を確認した後、事態の収束に動く。


 雁崎しのぶ。

 仔社玲奈。

 屋敷の人間を救出し、鳴上勢力を鎮静化させる。

 

 絹幡蘭。  

 黒須。

 鳴上葉純を捜索・救出し、指揮部隊と交渉する。


 そして、全員に共通する優先目的は────


「──鳴上家を、ぶっ飛ばすぞ!」

 

 土御門達は、浅影家奪還の為に動き始めた。


     ◇


 夜にも、霧は漂うものなのだろうか。

 窓の外を覗きながら、新矢志輝はふと思う。

 山にかかっている霧はその実、単なる自然現象にはあらず、瘴気や呪詛の類いである。

 恐らく、鳴上の奴らがまた何か仕掛けてきたのだろう。

 今、小屋から出るのは得策とは言えない。

 いや、本来なら出てしかるべきだ。

 鳴上家の能面集団と戦ってから、もう一時間は経つ。浅影の屋敷で何が起こっているかは、想像に難くない。即ち、力あるもの達による一方的な蹂躙だ。

 浅影を守ると決めたのなら、屋敷の人間達を守りに向かうべきだろう。

 

「なぁ瑠鋳子、やっぱり───」

「今は、得策ではないわね」


 浅影瑠鋳子が、部屋の隅で身を固めながら言った。


「私たちは、体力を大分消耗してる。今動いても、返り討ちに合うだけよ。それに───」


 当主様がこの様子では、行くにも行けない。

 少女の視線の先には、年若い女性が横たわっている。

 海や夜空を思わせる群青色の着物。

 未成年にも関わらず、その出で立ちには大人と遜色ない貫禄があった。


「梨阿を置いては行けない」


 浅影に名だたる調律師───伊妻梨阿の姿がそこにはあった。


「けど、ここ(・・)は屋敷からそう遠くねぇ。……もし屋敷が制圧されていたら、奴らの魔の手はここにも及ぶんじゃないのか?」

「隠すことに特化した結界は張ってあるけど、アイツらがここの祭具の魔力を感知できるくらい敏感な奴らだったら、見つかるのも時間の問題でしょうね」


 現在、志輝達が身を隠しているのは、浅影の屋敷から北西に百メートルほど移動した地点にある、祭具置き場である。瑠鋳子は、ここに伊妻を運び込んで治療を行っていた。

 ほぼ使い物にならないとはいえ、名家の祭具。

 瑠鋳子程の才人であれば、如何様にも応用できる底力は有していた。

 大蛇の男───龍弘と名乗っていた呪術師から受けた傷は、命に関わるほどではない。しかし、それはそれとして、戦力的に一刻も早く復帰して貰いたい人材であった。

 治療自体は既に終わっており、後は彼女の意識が戻るのを待つだけなのだが────


「……ちょっと外出てくる」 

「危ないわよ」

「分かってる……すぐ戻るから。魔力練っとけよ」


 祭具置き場を出る。

 瑠鋳子が張った結界を抜けたことは、感覚で分かった。

 深く、大きく、息を吸ってみる。


「うん。気持ちが悪いくらい、新鮮な空気だ」


 ひゅん、という風切り音。

 それが聴こえたのは、反射的に首を傾げた後であった。

 とん、という樹の皮を叩くような音。それが、すぐ後ろに聳えている巨木に、ナイフが突き刺さった音であると容易に把握できるのは、今日この日まで面倒事に首を突っ込みすぎた弊害か。

 木々の合間から、堂々と投擲してきた。

 角度は、今見ている視点から、右斜め三十八度。ほとんど正面からだった。


「自信があるんだな。それとも、俺が舐められてんのか────」 


 前を見渡す。

 そこに在るのは、無数の木々。もしくは、闇そのものと言って良い。

 いる。

 誰かがいる。

 それも、一人や二人ではない───少なくとも、十人近く。


「出てこいよ、そこにいんのは分かってんだぜ」


 自然と口角が上がる。

 殺意を向けられて笑うのは、何とも俺らしい。

 

「新矢志輝だな」


 ぬっと、赤い能面が木の裏からまろび出た。

 天狗の面であった。

 手元には、全てが黒に染め上げられた、大きな団扇(うちわ)が握られている。


「そうだが。お前たちは鳴上の奴らだな。……派手な出で立ちから見るに、上忍ってやつか?」

「浅影瑠鋳子ともども、投降願おう」


 天狗面が、語気を弱めて言った。


「だったら、部下に余計な真似はさせんなよ。こっちはもう、()り合う気しかしねぇんだけど」


 懐から、流れるようにナイフを取り出すと、正面に構える。


「加勢はないようだが……本気なのかな」


 もう一つ、声があった。

 斜め三十八度───投擲があった地点から、狐面の男が現れたのだ。

 恐らく、さっきの奇襲の主であろう。

 てっきり天狗面の部下かと思っていたが、貫禄からするにこいつも上忍か。

 彼は両手に、流線形の黒い短剣を携えていた。

 

「お前らこそ本気なのかよ。たかだか十人ちょっとで、俺を止められると思ってんのか?」

「そっくりそのまま返したいな。あの程度の奇襲を避けたところで、粋がられちゃ困るんだよ」 


 瑠鋳子の手を、これ以上借りるわけにはいかない。

 彼女はこれから"淵縫いの儀"を行うのだ。

 これ以上の消耗は、何としてでも押さえておきたかった。

 しかし、一人で出てきた理由はそれだけではない。


「さっきは、三十人近い相手に棒立ちだったからな。十人程度軽く捌けなきゃ、俺の沽券に関わる」

「はぁ……ごちゃごちゃ言う奴の相手は、何でこんなに疲れるんだろうねぇ」


 新矢志輝が、走り出す。

 馳走にありつく、猛獣のように。

 口角を獰猛に上げながら。


「は! そんなの……テメェが俺に、怖じ気づいてるからだろうが!」

 

 一瞬で、狐面の懐に飛び込む。

 俺の動きに合わせて、がら空きとなっている左側へ、狐面が短剣を振り下ろす。

 更に半歩余分に踏み込み、左腕で狐面の腕を直接制した。

 そのまま狐面の右腕を封じながら、左腕からの攻撃が起こる前に、ナイフを喉元へ振り上げる。

 致命的な直感を察知し、弾かれるように離れた。

 四方から冷徹な殺意と共に、五本の暗器が投擲される。流石は実践派の忍か、五本全てが俺の急所を捉えている。あのまま狐面を切り付けていたら、捌ききれていたか怪しいところだ。

 決して、伊達や酔狂で忍を名乗っている集団ではなかった。

 ほぼ同時に放たれた、五本の暗器。

 俺がどう避けようとも、必ず何本かは急所を穿つように計算されている。

 死角から放たれた二本を、視認せずに身体を右にずらして回避し、回避先を潰すように配置されていた三本を、横から叩くようにナイフの刃で迎撃した。

 うなじに寒気を感じ、振り返り様に二度、ナイフを弧を描くように振るう。

 抜かりがないのは、お互い様か。最初から、五本全てを捌ききれると踏んでいたか、それとも暗殺に関して偏執的なこだわりでもあるのだろうか。

 迎撃されることを加味した上で、先回りするように陣形を組んでいたのだ。


「怖い怖い……そんなに近づかれたくないのか?」

「思い上がるなよ。貴様は我らに触れることさえ出来ず、惨殺されると言うことだ!」


 下忍達が、唸りを上げて迫り来る。

 全方位から霰のように、無数の小刀の暗器が次々と打ち放たれる。闇に紛らせ視認を許さず、風切り音すら志輝くらいでなければ聞き取れない。

 魔術師の『強化』した肉体であっても、直撃すれば一溜りもない。

 少しでも刃に触れようものなら、人体は紙切れ同然に裁断されてしまうだろう。


「───!」


 白い斬閃が、黒い奔流を次々と駆逐していく。

 山中になり響く金属音は、人々からすれば不気味この上ない。

 古来の人間達が聴けば、いや現代であっても、妖怪変化が牙を研いでいると錯覚もしよう。

 実際、そこで戦っているのは、(あやかし)の如き傑物ばかりである。

 狐面と天狗面に、数人の下忍達。

 鍛え上げられた肉体と技術を限界まで駆使し、忍の術理で志輝を追い詰める。


「だいたい……十人くらいか!」


 新矢志輝が、煽り立てるように虚空へ叫ぶ。

 四方八方から、死角を縫うように投擲される暗器を弾きながら、それらの放たれる距離やタイミングから動きと陣形を逆算していき、正確な人数を絞っていた。

 小屋の中にいた時点で、足音や殺気の濃さなどから人数は大方把握していたが、この暗闇と忍達の隠密性の高さから、信憑性の高い測定を得られていなかった。

 だが、こうして本格的に刃を交えるようになれば、自ずと見えてくるものがある。

 

「数当ての遊戯を得意気に披露したところで、我らの超然を崩すことはできん!」 


 木の裏から何者かが飛び出し、こちらに向かってくる。

 天狗面だった。

 恐るべき踏み込みで、周囲に風がたつ。

 奴はそのまま、黒い団扇を振り下ろすように大きく扇いだ。


「うぐっ───!」


 途轍もない突風が、志輝の全身を叩く。

 上忍の『強化』された膂力とは言え、明らかに尋常の摂理で引き起こされた風ではない。

 如何なる魔術によるものか、思考する間もなく吹き飛ばされていく。


「ん……にゃろ───!」


 吹き飛ばされながらも、自身を襲う突風を『眼』で捉え、その魔力の綻びを観測する。

 風で、目がヒリヒリと痛む。

 運用次第では、自分にとって最も厄介な障害に成り得る術式だった。


「天狗風ってか……よ!」


 ナイフが空を斬り、颶風が凪ぐ。

 体勢を立て直すよりも早く、暗器による一斉射撃が来る。転がりながら地面に手を付くと、そこから強引に突き放して飛び上がった。

 実家で教わった呼吸法は、正しい手順(マニュアル)、正しい律動(リズム)さえ修めれば、身体運用を爆発的に高める。

 バク宙して樹木の分け目に着地すると、周囲の様子を俯瞰した。


「ほぉ、中々の動きだな。……我々の中でも、ここまでの傑物はそういまい」

「そりゃどーも」


 この時点で、十人全員の位置は把握している。

 後は、どう切り崩していくかだが───

 下方から飛んできた暗器を避け、木の分け目から飛び下りる。


「危機感が足りないな────」


 木々の裏側から、空中を落ちる俺へと向かって、無数の黒い刃が放たれた。

 

「っ───!」


 圧縮された時間の中、本能だけが逆手に握ったナイフを踊らせた。

 まるで、志輝の身体に巻き付くように、小さな白い竜が立ち上ったようであった。

 黒い殺戮の雹が、一瞬で叩き落とされた───だけでは、飽き足らなかった。


「がは────」


 能面集団の一人が、呻きを上げて倒れた。

 否───倒れたと言うより、崩れ落ちたと言う表現が適切であった。

 攻撃を全て捌ききった時、図らずも身に起こってしまう安堵の隙。そこを突いて、志輝に不意打ちを仕掛けようと木陰から身を出した───その瞬間を狙われたのだ。

 木から飛び下りたのは、絶好の機会をでっち上げるための誘導であった。


「脚に投擲し返したか……優しいね。やろうと思えば、頸動脈でも当てられるだろうに」


 狐面が、皮肉げに呟く。


「お前ら、そこまで覚悟できてねぇだろ?」


 志輝が、不敵な笑みを顔面に張り付けたまま、挑発するように言った。


「……どういう意味かな」

「お前みたいな奴らはさ、普段はそうやって達観している風を装っているけど、いざ自分がぶっ殺される番になったら、保身に走る老人みてぇに怯え出すんだよ───な!」


 背後から飛んできた暗器を掴み取り、その勢いのままに投げ放つ。

 短刀使いが為せる、一瞬の早業。

 下忍達には、ほんの少し暗器に触れたようにしか見えなかった。

 また一人、呻きを上げて倒れ伏した。

 掌で、得意気にナイフを踊らせながら、志輝は煽るように言い詰める。

 

「どうした? さっきよりも殺意の純度が低いぜ。忍なら、私怨はなるべく籠めない方が良いんじゃねぇのか。……お前らの超然は、飛び越すより(くぐ)る方が難しそうだな」


 狐面は数秒押し黙ると、低く言った。


「……いいだろう。鳴上の深奥を見せてやる」


 バチリ、という音を上げ、狐面の短剣が帯電する。

 漆黒の刀身に、漆黒の魔力の雷を纏い、その殺傷性能は極限まで高まりつつある。

 それだけではない。

 下忍達が、一斉に動き始める。

 二人潰して残り六人。大きく戦力を削って、一安心とはいかないようだ。

 木々の裏から木々の裏へと、跳ねるように移動しながら、秒単位で陣形を変遷させていく。志輝を中心として、真円とも楕円とも取れぬ不可思議な軌道を描きながら、死の鳥籠を形成していく。

 一体、どれ程の引き出しがあれば、ここまで大胆な戦術を展開できるのだろうか。

 鳴上という家が蓄積してきた歴史の厚みに、圧倒されつつあった。

 だが、志輝もここでナイフを折るわけにはいかない。


「……こい!」


 五感全てを動員し、周囲を飛び回る六つの気配を追跡する。

 最早、一つの生物と見紛う程の圧倒的な連携は、六の気配を一つの流れに撹拌させてしまう。

 個と集団との境が曖昧になっても尚、感覚を研ぎ澄ませて期を伺っていく。


「受け身では、我らを仕留めることはできんぞ」


 不意に、背後から声がしたかと思うと、反射的に振るったナイフが黒い団扇に止められた。


「ちっ──!」


 白いナイフと黒い団扇が、火花を散らし鬩ぎ合う。

 尋常の材質ではないとは思っていたが、どうやら魔力を通すことで強度を高めているようだ。致死の箇所にこそ触れてはいなかったが、それでも業物(ナイフ)と真っ向から打ち合える代物であろうとは。

 全身の至るところに凍りつくような殺気を感じ、弾かれるように距離を取る。

 投擲された六本を、身を捻って避けつつナイフで迎撃し、躱しきれないものは片手で掴み取る。


「───!」


 一瞬、掴んだ側の手が痺れた。

 下忍達も、本格的に俺を殺すために刃を振るい始めたのだ。

 上忍二人と斬り結びながら、志輝が叫ぶ。


「頑なに近づいてこねぇな!」


 ここまで来ても、未だ暗器による投擲に拘る当たり、下忍達は接近戦においては俺に劣ると見た。

 上忍達が殿を勤めていることも大きい。

 まずは、陣形の要となっているであろう、上忍どもから潰していくべきか。

 横一線に振るわれた狐面の短剣を紙一重で避けると、そのままカウンターの一振りを見舞った。


「くっ────」


 赤。

 狐面の肩口から、小さな飛沫が上がった。

 右肩の熱い感触が、出血によるものだと気づいて始めて、狐面は痛みを感じた。

 傷口すら、切り裂かれたことを認識できていないようだった。

 それ程までに、鮮やかな断面であった。

 しかし、狐面の身に起きた変化は、それだけに留まらない。


「……これは」

 

 憎々しげに、狐面がこちらを向いて呟いた。

 面越しからでも分かる、壮絶な殺気。

 今の一撃は、男の身体に致命的な結果をもたらしていた。


「泣き喚かないだけで、一流だと思うぜ」


 志輝が励ます。

 言葉自体は同情を装っているが、声色は嫌みに満ちていた。

 

「貴様……」 


 暗色の服装の上からでも分かる、出血量。

 辛うじて短剣を握れてはいるが、腕を肩より持ち上げることができないようである。

 三角筋損傷は確実。やもすると、腋窩神経まで至っている可能性もある。

 

「早く直した方が良いぜ、それ。かすり傷でも……舐めてっと、ぽっくり逝っちまうのが戦場だろ?」

「く─────」


 大動脈は避けたが、生身の人体をバッサリ斬ったのは久し振りだ。

 まだ、斬り裂いた時の気色悪い感触が残っているが、罪悪感に浸っている暇はない。

 あの傷では、もうまともに戦えはしないだろう。

 陣形が乱れるのも時間の問題。一匹ずつ狩っていくのが、地味ではあるが確実な手順だ。

 どろり、とナイフを突き出す。刃の向く先は、同じく上忍である────


「次はお前だ、天狗。……出し惜しみはナシだぜ!」

「望む……ところだ!」


 天狗面が、魔術師としての本領を発揮する。

 右手に握られている黒い団扇に、壮絶な魔力が流し込まれていく。

 単純な量にして、先程打ち放った突風の、およそ三倍。

 コンマ一秒の猶予も、与えてはならない。

 またも投擲された暗器を弾き飛ばし、一瞬で天狗面との距離を詰める。

 間合いを盗むかのような、奇怪にして洗練された動き。


「おおおおおおおおおおおお!」


 横からだった。

 咆哮を上げながら、狐面が斬りかかってくる。

 振り上げた腕は、傷を負わせた方とは逆。


「ぐっ……!」


 帯電した漆黒の短剣を、白銀の刃で受ける。

 刀身の腹で滑らせながら斬撃をいなすと、狐面の肩へと回し蹴りを放つ。

 クリーンヒット。狐面が、呻きを上げて地面を転がる。

 

「風に倣え……塵芥の如く」


 轟くような言霊。何か大いなる者に身を捧げるかのような、大袈裟な詠唱。

 直後、天狗面が大きく団扇を扇ぐと、風景が爆ぜた。

 虚空から莫大な風が生まれ、膨大な土煙を巻き上げながら、射線上の全てを押し流してく。

 先程よりも、威力としては数段上。志輝の五体は、容易く吹き飛ぶ。

 これ程までに凄まじいエネルギーを持ちながらも、突風の範囲自体は非常に狭い。


「く……あ!」


 突風には、件の『黒雷』も小規模ながら含まれている。

 まともに受ければ、感電してしまう。

 されど、志輝がやられっぱなしで終わる人間ではないと言うことは、当の本人が一番よく知っていることである。

 先程受けた天狗風の術式を学習し、突風の出力が上がりきる前に、魔術そのものを殺した。

 黒雷も、大気に伸びた導線ごと断ち切り、無効化する。

 天地がぐちゃぐちゃに混じり合う中で、志輝は絶えず全身で受け身を取りつつ、運動の方向性を一つに定めていく。

 地面にナイフを突き立てると、数メートル地面を滑りながら、身体は止まった。


「あっぶ……!」


 立ち上がり、ふと背後を見て、絶句する。

 あと二メートル少しで、切り立った崖になっている。天狗面の突風への対処が遅れていた場合、少なくない可能性でここから滑落していた。

 前を見る───直前には身体が動き、六本の暗器投擲を捌ききっていた。


「つくづく、運の良い羽虫だ────」

 

 天狗面が言い終わる前には、志輝は既に駆け出していた。


「だが、最後は地形(とち)に見放されたな」


 天狗面が、大きく団扇を振り上げる。

 既に、術式は成立している。

 このレベルの魔力なら、一撃で志輝を崖まで吹き飛ばすことは容易だ。

 ぶん、と漆黒の団扇が振り下ろされる。


「な─────」


 暴風は、もう起こることはなかった。


「弱点を潰すのは……得意でね!」


 黒い団扇が、上下にポッキリとへし折れていた。

 薄皮一枚───である。

 突風の術式を『殺した』時、同時に団扇にも横一線に切り込みを入れていたのだ。

 思いっきり振れば、へし折れてしまうくらいの、絶妙な加減で。


「がはァ!」

 

 天狗面は、自身の魔術例装に起こったあり得ない自壊に、ほんの一瞬気を取られた。

 ──その一瞬を、新矢志輝は無慈悲にも見逃さない。

 志輝が天狗面の胴体を蹴り飛ばした音は、下忍全員が聞き逃さなかった。

 ボグ、という硬いものがへし折れたような……それだけで何の音だかすぐに分かる、聞くに耐えない異音。……感触としては、肋骨当たりだろうか。

 上忍は、蹴られた勢いそのままに吹き飛び、水切り石のように土の上を転がっていった。


「ぐぅぅ……ふ、ぐ」


 転がっていった先から、くぐもった呻きが聴こえる。

 流石は上忍の術師。渾身の蹴りだったのだが、未だ戦闘不能には至らない。

 土煙の中から、胸部右下を押さえながら、天狗面が歩いてくる。


「殺さないようにしたとは言え、なかなかタフだよな。流石は、上忍さんって感じか?」


 月下に佇む、新矢志輝。

 その『眼』は極めて冷徹に、敵の輪郭を捉えている。


「ケフッ……貴様」


 その時だった。

 天狗面は、何か言いようもない恐怖に支配されたのだ。


「やれ……!」


 下忍達が、一斉に動き出す。

 志輝の周囲をぐるぐると飛び回り、木の裏から、枝の上から、盛り上がった地形の裏から、次々と暗器を投擲し、新矢志輝の生命を停止させんと疾駆する。

 右から四本、左から三本、上から五本────三百六十度全方位から、殺気が飛び交う。


「こいつに……雷撃は効かん………接近戦も……侮るな………!」


 天狗面の忠告を無視し、下忍達は志輝へと接敵する。

 個で劣るのなら強き個で、尚も劣るなら数の利で。

 そう教えられてきた下忍達にとって、今は戦うべき時であった。

 ──蹂躙される運命だとは、微塵も思わずに。

 

「が……!」


 下忍の一人が、落下する。

 大腿部に突き刺さっているのは、投擲した筈の暗器。

 志輝が、神速で投擲し返したのだ。


「あと、五人」


 周辺視野を活用し、残った下忍達の居場所を特定する。

 視界の端で捉えたのは、四人。

 ばっと振り返ると、ちょうど木の裏から、こちらに飛び掛かる影があった。

 黒い凶刃が、差し迫る。

 頸動脈《喉笛》を、確実に狙った一刺し。

 しかし志輝は、他の四人の位置関係、僅かな息遣いや足音、自身に向く殺気や戦闘勘などから、下忍の位置を極めて正確に把握し、その一挙手一投足すら手に取るように読み取っていた。

 最小限の動作で、暗器による刺突を回避する。

 首筋に風を感じながら、すれ違いざまのカウンターで、下忍の肩口にゆるりとナイフを置いた。

 赤い飛沫が上がる前に、ナイフを逆手に持ち替え、更に右足の腱を削ぎ取る。

 ずるり、と下忍が足元から崩れ落ちる。

 ガン、という、鈍く、痛々しい音。

 どさり、と下忍の身体が力なく倒れ伏す。

 ナイフの持ち手部分で、下忍の頭蓋を上から殴打したのだ。

 志輝は残りの下忍達に仕掛けて来させる為に、倒れた下忍の背を踏みつけた。


「脳震盪だ。早く手当てしねぇと、命に関わる」

 

 僅かな風を感じて、右に転がる。

 ごう、という大気の嘶きと共に、黒雷を含んだ突風が通過した。

 左半身で風を感じながら、体勢を立て直す。

(これは……天狗面の……! だが、さっきよりも弱いし狭い……このまま押しきる)

 ここまでの戦闘で、確実に向こうは消耗している。

 志輝(おれ)を危険視し過ぎたか、それとも瑠鋳子の参戦を警戒していたのか。どちらにせよ、忍達の陣形がここまで崩れてしまったのは、焦って事を進めてしまった側面が大きかった。

 時間的に不利を強いられていたのは、間違いなく俺の方だった筈だ。

 もし、じっくり消耗戦を仕掛けられていた場合、たとえこの状況を切り抜けられたとしても、今よりもっと体力が削られていただろう。ただでさえ、既に極限一歩手前なのだ。その状態下で、これから控えている蛇男や鳴上霖雨、別の忍の部隊を捌けるかと言われると、安易には首を縦に振れまい。

 だからこそ、次々と向かってこられる今のような状況は、極めて理想的であった。

 向き直り、獲物の位置を把握する。

 一人は木の上。二人は目測で十メートル先にある木の裏側に。最後の一人は────

 右斜め三十八度から、大気を穿つように放たれた暗器を弾く。

 その行動を読んでいたのか、死角となった右腕を掻い潜るように、更なる投擲が飛び込んできた。

(いや……違う……!)

 二段目の投擲を、首を傾けて紙一重で避けると、左側・・から『最後の一人』による刺突が迫った。


「っ───!」


 下忍の刺突を、手首を掴んで受け流すと、逆手に持ち替えすれ違った。

 ざふ、という肉を断つ音。

 血飛沫をさらりと避けると、そのまま下忍の後頭部を、またもナイフの持ち手で殴打した。

 下忍が起き上がらないことを確認してから、ある方向を見やる。

(あと……三人……!)

 先刻の二段投擲は、恐らく上忍二人のどちらかだ。

 投擲は下忍しか行わないという、認識の裏を巧妙に掻い潜った騙し討ちであった。


「次は……そうくるか─────」


 三方向から、下忍達が飛び掛かってくる。

 右の一振りをナイフで弾き、左斜めからの一刺しを左腕で制す。真正面から薙ぎ払われる三本目の一振りも、髪を一房持っていかれながら一ミリ単位で躱して魅せる。

 三人の猛攻を華麗に捌き、反撃の狼煙を上げようと思った───その時であった。

 

「新手か!」


 不意に足元に悪寒がして、後方に飛び退る。

 透明な『力のうねり』のようなモノが、複数に亘って蛇のように地を這ってきた。

 標的は、間違いなく俺。

 よく見れば、ソレらは黒い魔力の雷を内包する、空気の塊であった。


「しぶといな……天狗モドキ!」


 成る程、こういう使い方も出来るのか。

 一時間前に翁面が使っていた『黒球』なるものの正体は、瑠鋳子曰く『雷雲の概念を具現化した魔力の塊』だったそうだが、天狗面の扱う『風』もまた、それに近い性質を持っていた。

 風を起こすだけでなく、風を生物的に操れる。

 もし、団扇を破損させていなければ、周囲も巻き込む風の飽和攻撃で更に苦戦していた。

 下忍が大きく減った今だからこそ、狐面はこの術式(カード)を切ってきたのだろう。しかし、こんな手があるのなら、仲間への被害を省みず使っていくべきだったように思う。

 今の俺には、大した脅威には成り得ない。

 何が忍の流れを汲む家系だ、何が日本有数の諜報部隊だ。

 蓋を開けてみれば、この通り。敵を駆逐する為に、仲間を切り捨てる判断すら出来ない。

 恐らくそれは、必ずしも人情から来るものではないのだろう。上忍と下忍が、言葉通りの関係ではないということくらい、彼らを視ていれば自ずと分かる。鳴上家の詳しい政治事情は、俺の関知するところではないが、余程の大義があっても『上忍が下忍を使い潰す』というのは、上忍側にとって何らかの不都合をもたらす行為であるところまでは読める。

 つまるところ、コイツらは『切り捨てる信頼』を構築していないのだ。


「だったら────」


 迫る三本の気流を、曲線運動時の減速を狙って、回り込むように切り付ける。

 志輝の『眼』には、万物の綻びを示す黒い罅が映っていが、本来、それらにナイフを滑り込ませるというのは、針の穴に杭を通すようなデタラメである。

 そのデタラメを為せる技量があるからこそ、魔術を殺すなどという理不尽を押し通せるのだ。

 

「煩わしく思わなくても、良いようにしてやるよ──────!」


 万象の殺人者が、木々の間を縫うように走り出す。

 下忍達も、その後に続く。

 木の裏から木の上へ、木の上から岩の影へ、岩の影から木の裏へ、志輝への有効射程を維持し続けたまま、地形を活かした立体軌道でぴったりと追跡してくる。

 背中で、大気の軋みを感じた。

 後方から、黒雷の魔力を大量に含んだ気流が、何本にも分裂して襲い掛かってくる。

 蛇のように、中空を自在にうねりながら追尾してくる魔術の気流は、標的に確実に当ててやるという執念じみたものを感じさせた。

 死角を縫うように迫るもの、纏わりついて動きを制限してくるもの。

 攻撃用か撹乱用かに関わらず、触れるだけで人体なぞ容易くねじ切られてしまう。

 他人の殺気を気取れない者でも、この風魔術の殺意の高さは、気流が周囲の木々をこそげ取っている情景を目にすれば、十分に読み取れるだろう。

 なまじそうであるが故に、志輝にとってこれ程扱いやすい攻撃はなかった。


「──────!」


 下忍が見せた僅かな動揺を、志輝は見逃さない。

 身体を、無減速で反転させる。

 三人の下忍の一人へ、神速を以て肉薄する。

 (かんばぜ)で感じる、大気の微細な震え。

 悲鳴とすら思える程の、風切りの音。

 そして、肌という肌を刺激する、ひりつくような殺気。

 脳天を狙った投擲を弾くと、志輝は静かに嗤った。

 

「そりゃ……悪手だろ!」


 下忍の一人が、志輝に飛び掛かってきたのだ。

 暗器を弾いたことで生じた空白へ、一直線に短刀を振り下ろす。志輝は、それをナイフの持ち手とは逆の手で制し、力を受け流して下忍自身の肩へと誘導した。

 闇に咲く血の赤を視界にすら入れず、志輝は二人目の始末に向かう。

 今度の下忍は、周囲の木々の上を飛び回りながら、マシンガンの如く連続で暗器を投擲してきた。向こう側も、一対一になったときの対策は練っていたのか、大技を使ってくる。

 天蓋から降り注ぐ黒い短刀、その数は実に十七。

 しかし、志輝はその一瞥で、自身に被弾する暗器を見抜き、それらのみをナイフで弾き返すと、それと同時に他の下忍からくすねていた短刀を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた暗器(たんとう)は、その刃先を標的(げにん)から一切ぶらさず、中空を一直線に舞い───


「あと一人だな」

 

 ──そして最後の一人は、呆気なく終わる。


「心臓狙いか、気概(ガッツ)だけは評価してやるよ」


 背後からの奇襲を避けると、すれ違いざまに大腿部の外側を深く斬り抉った。

 下忍は意識を保ったまま、そこから立ち上がることはなかった。


「──────」


 新矢志輝は、ただ一人、無言で佇んでいる。

 それを遠くから見ていた人間は、あることに気づいて戦慄した。

 志輝が手にしている、白銀のナイフ。

 それに、一滴たりとも血の赤が付着していなかったのだ。

 ありえないことだ。

 そのナイフは、人の肉を裂き、闇を赤で染め上げてきた。今までの戦いで、少なくとも十人以上の血を吸ってきた筈だった。

 にも拘らず、それは未だ穢れを知らず、銀一色に輝いている。


「な……なぜだ…………」


 わなわなと、腹の底から絞り出すような声であった。

 声のする方を見れば、狐面が闇に浮いている。

 気づいたときには、黒い短剣による一撃を防いでいた。


「いや……!」


 白銀の刃と黒鉄の刃が競り合い、眩い火花を散らしながら、両者は弾かれるように距離を取る。


「お前は……なんだ、新矢志輝ィ!」


 狐面が、吼えるように問いただす。


「答えるまでもねぇだろォ!」


 二者が、激突する。


「くっ───」


 狐面は、両手で短剣を振るってくる。

 潰した筈の右肩が、何故か十全に稼働していた。

 その理由を、志輝は一目で見抜いてしまう。


「魔術回路って奴か……脳と同期する疑似神経で、本来の肩の神経を代用してんのか……!」

「なんとかね…………これくらいは、する価値がある…………」

「なんとか、じゃあねぇだろが。バッサリ()ったつもりだが、重要な神経は『傷つける』だけで済ませてんだよ。お前らくらいのタマなら、回復魔術と現代医療で特に後遺症もなく復帰できんだろ。それ以上無理すりゃ、本当に使い物になんなくなるぞ」 

「だから言っているじゃないか………それをする価値が……捧げる価値が、あるんだと……!」


 狐面の予想外な執念に虚を突かれ、志輝は半ば一方的に押されていく。

 短剣をいなし、躱し、されど後退りは止まらない。

 立て直さんと踏みしめた時、がっと、何かに足を掴まれた。

 わざわざ、何者かなど確認するのも億劫か。

 純然たる執念でここまで這ってきた、殲滅した筈の下忍の一人であった。


「チィ───」


 狐面が、対の短剣を同時に振り下ろす。

 志輝は咄嗟に、左腕のナイフでそれを受け止め、続いて右腕でもう片方の手首を掴んだ。


「ぎいぃ!」


 一ミリ以下の厚さでの、膠着状態。

 両者、両腕の筋肉を総動員し、何がなんでも押し勝たんと、踏ん張り続ける。

 下手に足技を使えば、そのまま押しきられるだろうという確かな共通認識が、二人を極限の腕相撲へと拘束したのである。

 志輝の左肩に、短剣が纏う黒雷が触れる。それだけで、言語化すら憚られる強烈な痛みが走った。

 痛みと、強制的な筋肉硬直を強引に捩じ伏せながら、志輝は短剣を押し留める。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 まるで、二匹の熊が互いに吼え合っているようだ。

 掴んだ手首から、狐面の肉体が悲鳴を上げているのを、志輝は感じていた。

(なんで、そこまでやるんだよ─────)

 そう思った時、志輝は今朝のことを思い出した。

 霊洞内にて、大量の黒い腕が迫る中、志輝は絹幡を守る為に咄嗟に身を出したのだ。

 あの時、何故自分はそんなことをしてしまったのだろうか。


「っ───!」


 狐面の顔面に、全身全霊の頭突きを決める。

 奴が怯んだ隙に、掴まれてない方の足で、全力の蹴りを腹部に叩き込んだ。

 ナイフを構え直した志輝の顔は、澄みきっている。


「そうか、お前と同じか─────」


 衝撃で後退った狐面に、志輝が言った。


「お前は、俺に『何だ』といったな」

「!」

「お前と同じさ。自分にとって価値があると思ったものに、全力で投資(ベット)する………つまりは────」


 少■が、走り出す─────

    

「ただの、平凡なクソガキだ」


 決意に満ちた狐面。

 覚悟を決めた志輝。


 ──雌雄を別つ、最後の攻防が始まった。

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