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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
28/29

第二十八話 浅影邸奪還作戦 ①

 浅影が所有する山。

 その、北西に位置する林の中であった。

 三人の上忍と、二人の人物が向かい合っている。


 新矢志輝。

 浅影瑠鋳子。

 

 喝食面の少年。

 黒い翁面の初老の男。

 般若面の壮年の女。

 

「瑠鋳子!」

「分かってるわ……よ!」


 浅影瑠鋳子が梓弓を引き、新矢志輝が走り出す。

 向かう先は崖の上。能面の上忍達だ。

 志輝の後に続くように、大量の火矢が空中を飛び回る。


黙せよ(はたた)───」


 黒い翁面の男が、詠唱を始める。

 (しわが)れた声は、独特の覇気を纏っており、この老人が只者ではないことを示していた。

 ──心底、どうでもいい。

 技を繰り出す前に、始末すればいいだけなのだから。


伏せよ(はたた)───」


 般若面の女と喝食の少年が、志輝の行く手を阻まんと崖を下ってくる。

 すかさず、火矢が二人の上忍へと殺到する。

 二人が手を翳すと、目に見えない『力』が網のような電撃として展開され、生物的に動き回る火矢を余すことなく絡めとった。

 火矢の消失と、黒雷の網の破壊は同時であった。

 新矢志輝が二人の上忍の懐に飛び込み、恐るべき速度と踏み込みを以て刃を振るう。


湛えよ(はたた)───」


 ギン、という金属音。

 志輝の振るったナイフの軌道に、二人の上忍も暗器を合わせてきた。

 そして上忍は、双方驚愕する。

 高純度の日緋色金で造られた暗刀が、断ち斬られていた。


殖えよ(はたた)───」


 必然、上忍達は距離を取ることになる。

 逆手に持ち変えての切り返しを、避け────た瞬間、同時に放った回し蹴りが、女の腹を打った。

 吹き飛ばされた般若女など意にも介さず、喝食面が無言で迫る。


閉ざせよ(はたた)───」


 喝食面の飛び蹴りを片手で受けると、少年の喉元へとナイフを滑らせる。

 少年は志輝の肩を蹴ってナイフを避け、飛んできた火矢を欠けた暗器を用いて辛うじて弾いた。


「「黒雷よ」」


 それぞれ別の術式の詠唱ながら、翁面と般若面の言葉が重なった。

 バチン、という電気の音。

 人一人は容易く噛み砕けるであろう黒雷の(あぎと)が、志輝目掛けて大口を開けた。

 それでも微弱な先行魔力を観測し、一刀の元に断ち切る。


「我らが奉ずる神の腸───」


 黒雷の顎が消滅すると同時、衝撃波によって志輝と般若面は吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされた先で、般若面の女を待ち構えていたのは浅影瑠鋳子。強烈なフックを撃ち込んで女を怯ませると、たたらを踏んだ女に数十本の火矢が殺到し、四肢を地面に縫いつけた。

 矢の痛みと熱で、苦悶の喘ぎを上げながら抵抗する女を、瑠鋳子の小さな影が覆って────

 

「腹にて孕みし同胞(はらから)よ───」


 ドゴォッッという、凄まじい音が刹那に轟く。

 般若面の(かんばぜ)に、瑠鋳子の渾身の鉄拳が隕石の如く振り下ろされたのだ。

 少女の拳は小さなれども、限界まで魔術で『強化』された状態での全霊の一撃ならば、たとえ上忍と言えども急所に命中すれば沈ませる程の威力があっただろう。

 顔は厳つい般若面諸とも粉砕され、誇り高き上忍であった女は白目を剥いて伸びていた。


「天地を繋ぎ闇に臥せ───」


 喝食面の少年が、体勢を立て直そうとした志輝の背後を取る。

 二対一の不利を悟ったのだろう、人質として志輝を利用しようとしたのである。

 押してダメなら引いてみろ。

 志輝は逆に、前向きに蹴って少年へ背中をぶつける。これは少年を怯ませるだけでなく、目隠しとしても機能していた。

 志輝が、首を傾げる。火矢が志輝の首横を紙一重で通り抜け、少年の肩に命中した。

 喝食面で隠しても、志輝の『眼』には少年の苦悶の表情が映っている。

 志輝は、そのまま身体を反転させ────隙を晒した少年の股間を、全力で蹴り上げた。少年は絹を裂くような悲鳴を上げた後、崖を転がり落ちていった。

 二人の上忍は、あっという間に片付いた。

 詠唱を終えかけている最後の一人を、未だ大地に立っている二人が鋭く睨めつける。


「我らが渡るは境亡き空───」


 ここまで二十秒後半。翁面(やつ)が術式を発動させるまで、残り数秒足らずと言ったところか。

 なりふり構っている暇はない。

 二人ともそう直感したのか、翁面に向かって同時に走り始めた。

 垂直にも近い崖を、物凄い勢いで駆け登っていく。片方は魔術による『強化』した肉体で、もう片方は、特殊な呼吸法による身体制御と、類い稀なる運動神経で、それぞれ疾駆する。

 無論、簡単には辿り着けない。

 翁面の周囲に、透き通るような『何か』が複数体漂っている。

 亡霊の類いであった。

 事前に喚起させていたのだろう。よもや、この上忍二人は囮の内に過ぎなかったのであろうか。奇怪な呻き声を上げて、志輝達へと一斉に飛び掛かった。

 蒼雷と銀閃。瑠鋳子は霊を鎮める浄化で、志輝は致死の点を突くことで、それぞれ対処していく。


「その常闇に───」


 瘴気を吐き散らす亡霊の群れを呪詛ごと斬殺し、とうとう崖の上へと登りきる。

 コンマ一秒遅れて、瑠鋳子も辿り着いた。二人とも、息が切れ始めている。

 僅か数メートル先に、黒い翁面の男が座っている。座禅を組み、掌を合わせ、指と指を少し絡ませたような手印───金剛合掌印を組んで魔力を練り上げていた。

 彼の背後には、黒い水晶玉のような物体が十個近く浮いている。

 サッカーボールと野球ボールの中間くらいのそれは、まるで天体のミニチュアのように高速で横向きに回転しており、膨大な熱と呪詛と運動エネルギーを蓄えているようであった。

 浅影瑠鋳子は一瞥で、黒球の正体が『雷雲の概念を閉じ込めた魔力の塊』であると見抜いた。


「まずい!」

 

 天性の直感が、黒球に対して警告を鳴らす。

 圧縮されたエネルギーが解放されれば、この場は地獄へと変じるだろう。

 一刻も早く破壊しなくては。

 新矢志輝が、ナイフを強く握り込んで走り出す。


「志輝っ、ダメよ!」


 瑠鋳子が叫んだ瞬間、黒球がわっと動きだし、二人をドーム状に不規則に取り囲んだ。

 黒球が『雷雲の概念』なら、このドームの中は雷雲の内部と言うことになる。


「しまっ─────────」


 翁面の男が、遂に最後の一言を述べた。


「──霹靂を」


 黒球が、その膨大なエネルギーを解放し、致死の電撃が炸裂する。

 ある種の『閉じ込める結界』を形成した黒球の格子ドームは、発散された魔力の電撃を媒介と攻撃に転じさせ、黒球間での伝播と増幅の繰り返しにより、内部の志輝達を抹殺する術式であった。

 電撃は、余すことなく内部の生物を焼き尽くす────筈であった。


「何ィ!」


 翁面が狼狽するのも無理はない。

 志輝は、咄嗟に黒球と黒球の隙間に身を滑らせると、無傷で脱出してみせた。

 瑠鋳子は、電撃を蒼雷で逸らして事なきを得た。

 

「ど、どうなっておる!」


 黒い翁面をパカパカと揺らし、男が叫びながら問う。

 上忍としての威厳は、最早欠片ほど残されてはいなかった。


「新夜の至宝が抜け出したのはいい。だが、何故貴様が無事なのだ……浅影の娘ェ!」 

「この飴玉の数を数えてみな」

「!」

  

 黒球の数が一つ減っていることに、翁面はすぐに気づいた。

 新矢志輝が、ドームを抜けると同時に、すれ違いざまに殺していたのだ。


「まさか。一つ減らしたことで生じる、密度の薄い安全圏を見つけ出したのか?」

「まぁ、才能のごり押しよね。自分でもちょっとくらいは、はしたないなとは思うわ。けど、黒球(アレ)を自爆用ファンネルにされたら、ちょっと厳しかったかも」

「上忍って言うなら、それぐらいの覚悟を見せてもらいたかったけどな……爺さん」


 翁面が低く呻く。

 彼の背中には、実に八本もの火矢が突き刺さっていた。恐らくは、崖を登っている最中に撃ったのだろう。ともすれば、志輝よりコンマ一秒到達が遅れたのは、それが原因だったのかもしれない。

 元々老齢であったからか、翁面はそのまま倒れてしまった。


「そりゃ無理でしょ。だってコイツら、本質的に忍者じゃなくて魔術師なんだもん」


 戦闘開始から一分弱。

 新矢志輝と浅影瑠鋳子は、何とか襲撃を切り抜けたのだった。


     ◇


 志輝達がいる場所から、ちょうど反対側───即ち、南東部に位置する地点。

 陽が完全に沈んだ闇の中を、一列に連なって進む集団がいる。よく見れば、横に三人、縦に十人程で隊列を成しており、まるで一匹の蛇のようでもあった。

 彼らは全員が紺色の着流しに身を包んでおり、下着は着けず黒い包帯で肌を徹底的に隠蔽していた。

 何よりも奇妙なのは、全員がそれぞれ独自の能面を被っていることである。

 まるで、一人一人が『そういう役』を演じているかのような、現実に固着しない浮遊感を纏った集団であった。それこそ、この場が能楽であるかと見紛う程に。

 彼らは、山を登っている。道なき道を、歩いているような走っているような、曖昧な動きで。

 陰陽道に伝わる反閇(へんばい)に近い効用を持った、鳴上家独自の歩行術である。ある種の力士が四股を踏んで邪気を払うように、足を介して『地』に働きかけることで場を整える、神事であり魔術であった。

 彼らはそれを活用することで、一切の足音を消し去り、結界や霊脈からの影響を遮断している。 

 土地が傷ついて一時的に魔力が不全になっているとはいえ、浅影家が土地中に張り巡らせた魔術による罠を、能面の集団は易々と潜り抜けてしまうのだった。

 最前列である。真横の木々から人影が飛び出した。

 どうやら、相当に焦っているらしい。面の位置が少し崩れ、帯も緩んでいるようだった。

 

「ご報告します」


 焦りはすれども声は震えず、忍は低く言った。


「『脳幹』から『右翼』へ、『左翼』壊滅。寿太郎(じゅたろう)佳名女(かなめ)苑司(えんじ)、上忍三名重症。石動(いするぎ)組九名、獏良(ばくら)組七名、五十嵐(いがらし)組八名、戦闘不能。浅影瑠鋳子、新矢志輝、共に追跡を見失いました」


 この浅影家襲撃作戦では、大きく分けて三つの役割に分かれている。

 一、実行。

 二、指揮。

 三、伝達。

 この忍びは伝達部隊。指揮部隊と実行部隊の橋渡しをする役割を担っていた。


「そうか、ご苦労だったな。引き続き、探りをいれろ」

「御意に」


 人影が消える。

 と同時に、最前列にいる三人───その内の真中に並ぶ一人が、深く溜め息をついた。


「人手不足だな。当て馬とは言え、こっちの上忍を二人ぐらい寄越せば、十分仕留められたんじゃないか?」

 

 狐面を横顔に張り付けた、目に隈のある、見るからに鬱屈そうな青年だった。


「え~それやったら絶対私が選ばれるじゃーん」


 狐面の横から、声があった。

 豊満な体つきをした、若い女であった。顔は衆生の人間(もの)とは思えぬ程美しく、長く見ていると引き込まれそうな妖艶さを漂わせていた。しかし、頭の後ろにつけている面は、彼女の顔とは真逆のおぞましい様相をしていた。

 能面の中でも、『真蛇』と呼ばれる女面であった。

 狐面は、その女を心底鬱陶しそうな目で見ると、嫌みったらしく言った。


「自覚はあるようだな女狐」 

「イヤ~ねぇ。狐はそっちでしょ? それに───」

 

 まるで、フィルムのコマが飛んだように、真蛇面の女が狐面に接近する。

 吐息の音すら鮮明な至近距離で、女は耳元で囁いた。


「人を惑わすことにおいては、君も中々じゃん?」


 ヒュン、という風切り音。

 常人では知覚することすら困難な一瞬で、狐面の男は女に斬りかかっていた。もし、真蛇面の女が首を横に倒していなければ、そのまま首を撥ね飛ばしていたかもしれない。

 狐面は、女を視界に捉えてすらいなかった。しかし、その太刀筋は恐ろしいほど正確に、女の首が位置していた座標を通過した。

 女が、弾かれるように狐面から距離を置く。それでも隊列は乱れなかった。

 

「ちょちょ、冗談冗談。悪かったって」


 女が手を上げて謝罪する。何ともわざとらしく、それもまた狐面の癪に障ったのであろうか、女の言葉には一切返答しなかった。


「ははははは! 面白くなってきやがった!」


 更に横から声が上がった。

 口髭を蓄えた、二メートル近い中年の大男だ。

 能面すら被っていなかった。

 

「うるさいぞ、気づかれたらどうする」


 狐面の注意をものともせず、大男が続ける。


「そう連れねぇこと言うなって。どうせこれから派手にやり合うってのによ!」


 大男は、声量を一切下げずに反論する。

 今度は後ろから声があった。


「それは本家を制圧してからだ。我らは忍、戦闘が始まった時には既に勝負がついていなければならない。貴様…上忍にもなって、まだ正々堂々などと抜かす腑抜けではあるまいな」


 天狗面の、如何にも気難しそうな男が、大男に問うた。


「腑抜けねぇ。そんな都合よくいくと思っている方がそうなんじゃねぇのか?」

「その都合のいい作戦を成し遂げるのが、俺たち上忍に求められる資質らしいぜ」


 狐面が皮肉げに大男に言い、また溜め息をついた。


「ちょっとちょっと、みんな今から本当に静かに! これから本格的に敷地に入るよ」


 真蛇面の女が、慌てて忠告する。

 上忍達は今度こそ、目の前に聳える砦のような屋敷を見据えた。


「血が騒ぐぜ……!」

「はぁ……羨ましいことこの上ないな」

「──では、分かれるぞ」


 横に三人づつ並んでいた上忍六人が、それぞれ分かれて三方向に進んでいく。後ろの下忍達も、彼らに続いて三方向に分かれた。

 志輝達がけしかけられたのは、あくまで全滅前提の様子見兼意識を逸らさせるための部隊。

 彼らこそが、浅影家征服の要となる実働部隊であった。


 それから小一時間程で、浅影家は彼らに制圧されることになる。


     ◇


 浅影の山、その最東端であった。

 四人の魔術師が月を背に、真っ黒な山を見上げている。

 土御門有雪。

 仔社玲奈。

 雁崎しのぶ。

 そして、黒須。

 時刻はちょうど五時。土御門達は、しのぶの予告通りの時間で浅影家に到着した。


「ここって、本当に浅影家ですか……」


 黒い山を見つめながら、玲奈が言う。少女の声には、少なからず動揺の色があった。彼女の背後に憑いている男の霊も、心なしか表情が険しい。


「そうなるのも無理はありませんね」


 しのぶも、玲奈の心情に共感する姿勢を見せる。

 凛とした横顔だった。

 なにやら、彼女の身長ほどはあるかという、長大なギターケースを肩にかけている。

 魔術例装が保管されているのだろう。

 助っ人という名目ながら、このお姉さんは戦う気満々だった。


「普段はどんな感じ? もう少し落ち着いているのかな。かなりファンタスティックな感じだけど」


 白髪の少年が、玲奈に訊ねる。

 土御門から見ても、山の状態は霊的に安定しているとは言い難かった。

 山肌を、異質な魔力が覆っている。ここからだと、まだ上手く感じ取ることが出来ないが、山の地層の内側からは、更に壮絶な力の片鱗を覗かせてた。

 何か、途轍もない何かが、山を殻にて産まれ出でようとしているかのようであった。

 少年が今まで見てきた厄ネタの中でも、指折りの不吉さだ。


「正直、あんまり登りたくないね、こいつは」


 内心、少しびびっている。

 神を奉ずる術師の一族だと事前に知ってはいたが、実際に訪れて間近で見てみれば、成る程、その触れ込みに劣らないおどろおどろしさを孕んでいる。


「親父が見たら、真っ先に手を退くんだろうな」


 土御門家の教えに、術師たるもの呪いに溺れず境に触れず、という言葉がある。

 陰陽師や霊媒師に限らず、魔術師とはある種の超人であり、それ故に自らの力に溺れてしまうことがままある。かつて、二年前の土御門がそうであったように。

 力に溺れ、好き勝手に力を振るえば、そのしっぺ返しは高くつく。

 呪いとは、最後は自分に返ってくるものなのだから。

 土御門家は、陰陽道の名門にして実質的な頂点。そんな家に産まれた魔術師ならば、返ってくる呪いも家柄に恥じない意味のあるものでなければならない。

 そして『境』とは、自分に出来ることの範疇、という意味である。

 その一線を越える行いは、力への慢心に他ならず、それもまた『力に溺れる者』の姿である。

 陰陽連とは、神秘が衰退していく現代において、それでも価値のある文化、術式を学問として残していこうとする思想を基に、今でも秘密裏に運営されている非公式の組織である。

 ならばその頂点───土御門の本文とは、魔術(それら)の価値を正しく測り取ることだ。

 土御門の術師なら、自分の価値くらい当たり前に裁定し、証明してみせろ。この教えには、そんな意味も込められていた。

 それらを加味した上で、今の土御門が下す判断は、彼の父なるものと果たしてどう違うのか。


「引き返しますか?」


 しのぶが、土御門に問う。


「いや、いくぜ────助けたい人がいるからな」


 彼の決意表明が、そのまま全員の納得を代弁した。


「では、私についてきてください。屋敷に続く安全なルートがありますので」


 実質的に、仔社玲奈がガイド役となる。小さな背が、今は頼もしかった。

 そして彼女に連れられてきたのは、木々が生い茂る獣道。いや、最早道ですらない。植物の迷宮に等しい、樹海そのものであった。

 明らかに、本来の登山ルートではない。

 こんなところをがむしゃらに進んでいけば、遭難は必至であろう。

 彼らが、尋常の人間であれば、だが。

 彼女はその樹海にずかずかと入るなり、軽く呪句を唱えると、ふっと息を吹き散らした。

 ろうそくの火が消えるように、風景がグニャリと歪んだかと思うと、霧が晴れていくように『本来の道』が開け始める。雁崎の隠れ家で行った、結界解除の術式であった。

 現れた道を一瞥し、周囲の木々や地形をぐるっと見渡した後、彼女は深刻そうに呟いた。


「──土地の守護が剥がされて、結界がだいぶ弱まっていますね」

「やっぱり、ですか」


 どうやら、結界は本調子ではなかったらしい。

 しかし、土御門は道が出来るまで、結界があったことにすら気づけなかった。

 結界術は不得手な分野だが、それでもこの結界は陰陽連の中であっても十分高レベルな筈だ。これですら、本来の性能よりか大きく劣っているというのか。

 改めて、名門・浅影家のレベルの高さを、土御門は思い知らされた。

 

「鳴上の奴らがまだ彷徨(うろつ)いている可能性がある。見つからないように慎重に行くぞ」

「その鳴上の奴らってさ、どれくらい強いんだ?」


 伝え聞くには、忍者を源流とする家系らしいが、それがどう結び付いてくるのだろうか。

 黒い女───鳴上霖雨は上忍と呼ばれる位に就いているらしいが、昨日の戦いではその触れ込みに恥じない圧倒的な猛威を振るっていた。

 逢魔坂を出し抜き、結界調節の要である宝石例装を強奪した後、化野と交戦し彼女を撃破寸前まで追い詰め、俺が加勢しても化野と二人がかりでなければ返り討ちに合っていた。

 鳴上霖雨のあの時の強さは、恐らく何らかの仕込みがあるとはいえ、驚異的だ。もし仮に、そんな奴らが何人もいるなら、この四人では少し力不足なのではないか。

 ゆるゆると気を揉ませる土御門(おれ)の顔を見て、黒須は少し自信を含ませて言った。

 

「上忍と下忍がいる。上忍はリーダーみたいなものだが、下忍は下忍で自律して動く。上忍と下忍の大まかな違いは、鳴上の『相伝呪刻』と経路(パス)を結んでいるかどうかだ。上忍は身体技術・魔術ともに下忍とは一段階上。そこに『呪刻』の力が加われば、俺には劣れども相当厄介な戦力になる」

「でも、下忍は下忍で面倒な手合い……とか?」

「……そうだ。上忍は単独での戦いを行いたがるが、逆に下忍は集団戦法に固執する。上忍は『一人でも戦い抜け』と、下忍は『一人になればすぐに退け、集団で協力しろ』と叩き込まれている。上忍の基礎戦闘力・魔術は強力だが、だからと言って数の力は侮れん。……奴らは奴らで、個々が何らかの武芸を極めた集団だ。スタンドプレーから生じるある種のチームワーク……というわけでもないが、個々の自律した立ち振舞いが、一つの統率された連携を生み出す。

 魔術も同様だ。いや、魔術の方がより直接的だな。互いに経路(パス)を結び、集団で一つの魔術回路として魔術を使ってくる。制約はあるだろうが、場合によっては上忍を上回る出力を叩き出すかもしれん」

「強力な個を筆頭に、集団で補助し、時には自律行動で個を上回る戦果を叩き出す立ち回り、か」


 何とも日本人らしい、集団教育の賜物か。

 

「今の時代には似合わんが、しかし長年の積み重ねがある。もし遭遇すれば逃げ一択だ」

「でも、そんな奴らから逃げれるか? 忍者って素早いイメージがあるんだけど」

「ああ、十中八九逃げられんだろう」

「はぁ? 逃げ一択だって……逃げられないんじゃどうすりゃいいんだよ!」

「だから見つからないように慎重にと言ったんだ」


 結局、そこに戻ってくるのか。

 土御門は観念したように、先頭に立って『道』を歩み始める。


「?」 

「俺が先頭にいくよ。玲奈ちゃんは、案内よろしく」


 振り返ると、仔社玲奈が不思議そうに見てくる。

 土御門は、微笑んで言った。


「流石に、女の子に前を歩かせるわけにはいかない」

「……心強いです」


 玲奈は、目を瞑って言った。

 しのぶは、うんうん、と感心したように頷いた。

 黒須は、呆れたように鼻を鳴らした。

 四人は出会ってからまだ数時間しか経っていない。ほんの半日前までは赤の他人である。それどころか、一人は最初、土御門を暗殺するために送り込まれた刺客であった。

 それが今では、謎の一体感と、ある種の信頼関係が形成され始めている。

 つくづく、人と人との関係とは数奇なものだ。

 神秘を扱うもの同士は、何故こうも惹かれ合うのだろうか。

(取り込まれないようにしなくては)

 新矢志輝という本命がいる土御門の心境は、少し複雑だった。

 

「あっ、そこ罠ありますよ」

「え?」


 ばちゅん、という電池が爆発したような音がしたかと思うと、土御門が盛大に吹っ飛んだ。

 美しすぎるくらいの放物線を描いて、最後尾に背中からダイブする。受け身をとったとはいえ、地面に思いっきり背中を打ち付ける。

 ぐえ、という情けなさ過ぎる声を上げたが、幸いにも『強化』された肉体には傷一つなかった。


「ちょっとビックリさせるくらいなので、大丈夫だとは思うのですが……」

「一般人だったら骨折くらいしてると思いますけどね……アイタタタ」


 背中を手でさすりながら立ち上がり、土を払う。

 こんなところで、ヘンテコリンなトラップに引っ掛かっている場合ではないのだ。

 急いで先頭へと戻ると、懐から和紙を取り出す。

 多様な呪印や文字が書かれているそれに、極めて正確に魔力を流す。陰陽道において、式札と呼ばれるそれは、淡い光を放ちながらみるみる形を変えていき、一つの動物の姿をとった。

 白い頭部に、焦げ茶色の羽。眼光は、暗闇の中であっても全てを見通すかのように鋭い。


「へぇ~鷲ですか。かっこいいですね。ご自分で作られたんですか?」


 しのぶが言う。意外と、こういうロマンに理解のある方なのかもしれない。


「そうです……中学の時の力作でして。あぁ、和紙と掛けたギャグ作品なんですけどね。なんか無駄に盛っちゃって、おかげで経費も嵩んじゃいましたよ………ははははは」

 

 土御門が制作した式神の中でも、今展開している『鷲』は傑作の一つと言っても過言ではない。

 戦闘、索敵、防御、補助、これ一体でカバー出来る。

 自動人形(オートマタ)のような、カラクリを専門に扱う雁崎家の人間であるからか、ある程度式神のレベルを測れるのだろう。しのぶは感心したように言った。


「いやいや、中学生でそれは異常ですよ。見た感じ、和紙そのものを『変化』させるだけでなく、魔力を『そういう形』として世界に定着させているタイプの式神でしょう? 実質的に別々の魔術を重ね合わせて、更に式神として運用しているんですから、魔術としては超高難度ですよ」


 嬉しく思うと同時、少しぎょっとした。

 彼女の推測は完全に的中しているというわけではないが、俺の式神の本質───その輪郭を、確かに掠めるものであったからだ。

 軽く愛想笑いをすると、今度は逆にしのぶを立てるように世辞を言う。


「いやいや、ちょっと器用なだけっす。……それに、雁崎産の自動人形(オートマタ)もなかなかのモンです。日緋色金(ひひいろのかね)ってめちゃくちゃ硬いって聞きますけど、つまりそれってめちゃくちゃ加工が難しいってことでもありますよね? 日緋色金が存在すること自体特大ニュースものですけど、それを素材(もと)に現代では失伝した筈の自動人形の鋳造を行ってるって……陰陽連の人達が聞いたら卒倒間違いなしですよ!」


 本来、魔術師相手においては、こういう解説じみた真似は憚れる傾向にある。

 この職業では、他人に自らの秘奥を開陳される行為は、四肢を一本ずつ切り分けられ解剖されることに等しい。土御門もしのぶも、その他の二人もそれは変わらない。

 普通なら、間違いなく関係にヒビが入るだろう。特に土御門は、勘当されているとはいえ元々陰陽連トップの家の人間なので、政治的な意味でも色々と不味い。

 今回は事態が事態である為、この程度の馴れ合いは許容範囲内だが、尋常の魔術師相手と仲良くしたければ、もう少し別の世辞を用意する必要がありそうだ。……しかし、こういった詮索のし合いが、逆に互いの信頼関係の確認行為となったりするので、魔術社会も一枚岩ではない。

 無論、雁崎の隠れ家については決して口外しないつもりだ。それを条件に協力を取り付けた節があるし、純粋に細々と暮らしている雁崎の者達の平穏を、奪いたくないという思いもある。

 ただ、それはそれとして、『日緋色金で鋳造された自動人形』は、手札(カード)として残しておきたい。


「ここからは、本格的に浅影の支配する土地になりますから、気をつけてください」


 玲奈が忠告する。

 それと同時、辺りの空気が一変した。


「これは……」

「本当に冬の山かよ。ここ」


 空気という空気が、肌にべったりと張り付いてくるような、今までにない異様な瘴気。

 まるで蒸し暑い真夏の雑木林の中にいるようだ。

 深呼吸をして、身体の律動(リズム)を整える。

 霊感に惑わされないように、精神に防壁を張り巡らす魔術師の基本。

 意を決し、一歩一歩踏みしめるように進む。

 地に足を着ける度、足裏からどろりとした感触が全身に伝わってくる。得体の知れない何かが、自分達のすぐ下で蠢いているかのような、そんな不気味なインスピレーションさえ浮かんでくる。

(化野が来てたら、面倒臭いことになっていただろうな)

 こういう場所では、霊媒としての適正が高すぎる化野みたいなタイプは、土地の霊脈の状態や属性を過敏に感じ取ってしまい、結果として体調を崩してしまいやすい。その代わり、彼女には優れた墓守としての実力があるのだが……この山ではその実力を十全に発揮しきれないだろう。

 逆に土御門は霊感が弱い方なので、そういった心配は一先ずない。

 今のところは、だが。

 しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。半径二十メートル程の、草木の生えていない空き地だ。

 

「ここは……」


 まるでミステリー・サークルのようだが、土御門はこの場所をよく知っている。

 ここではない、しかし、ここと同じ性質を持つ場所を。

 空間の中心部から、目に見えないエネルギーが噴き出している。

 霊脈(レイライン)と地上の隣接地。

 大地の下に無数に広がる『力』のうねりが、ほんの一部だけ漏れ出る風水的に重要な地点。


「霊脈の……点穴か!」 


 この場所の真実を口にした、その時だ。

 ふい、と生暖かい風が、木々の奥から吹いてくる。濃密な瘴気を含んだそれは、不埒な侵入者である土御門達への敵意や殺意で溢れていた。

 いや、それが土御門達に向けられたものであるかどうかは、厳密には不明だ。

 こういった(・・・・・)モノ(・・)は、人々の想念や集合意識の影響を受け、その形を安定させる性質がある。故に、『彼ら』が抱く思念もまた、どこかの誰かの思念を代弁するものだったりする。

 ソレらは、時に悪霊として、時に精霊として、人々に解釈され、決まった形を持たない。

 雲霞のようにも、綿菓子のようにも見えるソレらは、ぼこぼこと不規則に変形しながら、こちらに向かって流れ込んでくる。

 やがてシャボン玉のような形に落ち着いたソレらは、内部に新たな器官を形成し始めた。

 それは、胎児のようでもあった。

 それは、昆虫のようでもあった。

 それは、花弁のようでもあった。

 それは、細胞のようでもあった。

 畢竟。

 それは万華鏡の如く、時々刻々と変容する陽炎であり、人々の幻想を写す濃霧であった。


「こいつらは……!」


 もうもうと膨れ上がり、辺り一帯を埋め尽くす勢いのソレは、ある程度の魔力と想念を取得できたのだろう。次第に変化の頻度が下がってくると、スライムの如き粘着質な質感を帯び始めた。

 そして最終的に、それらは翼の生えた口の眼球だけの奇妙な肉塊となった。


「魑魅、ですかね」


 玲奈が呟く。

 魑魅───読みでは、チミ。

 

「山の瘴気だけなら、ですかね」

「と、いうと?」


 意味深なしのぶの発言に、土御門が更に問い掛けると、玲奈が言った。


「この近くには川が流れています。魍魎の可能性も、十分にあるかと」


 魍魎───読むならば、モウリョウ。

 昔話をよく見れば、それらを合わせた魑魅魍魎という言葉をよく目にするが、魑魅と魍魎が異なる言葉であることと、その違いまで知っている人間は、存外少ないのではないかと、土御門は思う。

 魑魅とは、山に満ちる瘴気から発生する怪異であり、魍魎とは、水辺や木石、地中に宿る精が悪しき方向へと転じたものである。

 魔術の世界では、そのどちらもあまり変わりはなく、自然に満ちる小さな精───自然霊が、土地の変化の影響を受けて、励起したものとされる。厳密にはそれすらも広義でしかなく、流派によって呼び方や定義はコロコロ変わるものでしかない。しかし、またそういった事情も、人々の想念やら土地の状態やらに在り方を左右される、魑魅魍魎という存在の不確かさを示していた。

 鳴上の『攻撃』で土地が刺激されたのか、それとも最初から仕掛けられていたのかは分からない。


「どちらでも同じだ。単なる魔力の凝りなんだからな」

「そんなこといって、もう弾ねぇだろ」


 陰陽師が和紙を新たに二枚投げると、それぞれが変形し『鷲』の形をとった。

 三体の『鷲』が、魑魅魍魎の群れへと迫る。

 スクリューのように回転しながら、羽根の持つベクトルを逸らす効果を応用して、運動エネルギーを外向きに散らす傘を形成し、怪異の魔力を瘴気ごと押し散らしていく。

 魔力が主要な動力源であるが故に、こういった面制圧攻撃は、この手の怪異に打ってつけだ。

 あっという間に、怪異で埋め尽くされていた山道が、四人が通れるくらいに抉じ開けられていた。

 

「んじゃ、いっそげー!」


 土御門の合図と共に、四人が一斉に『道』に突入する。

 全員が魔術師なのだ。魔力で肉体を『強化』すれば、道が狭まる前に通り越せる。

 式神はかなり奥側まで抉ったようで、道の内部はアーチ状の怪異のトンネルみたいになっていた。


「おいおい、鷲ってこんなんだったか?」

「いいのいいの! 魔術なんだから、能力が多少ファンタジーだって許されるさ!」

「──それじゃ、次は私の番ですね」


 玲奈はそう言うと、急に立ち止まる。


「……!?」


 彼女の突然の行動に驚いた三人は、立ち止まって振り返った。


「視界を拡げます!」


 仔社玲奈が、右足の爪先で二回地面を叩くと、ザンと強く大地を踏みしめる。

 四股や反閇と同じ『地』に働きかける簡易儀礼。

 彼女の足元から、電気的な趣を持ったエネルギーのさざ波が、同心円状に広がっていく。まるで、血流にも似た力の波紋は、物理的な大気の流れさえ伴って、周囲の空間を急激に励起させていく。

 少女のミニスカートがふわりと翻り、右大腿部を覗かせた。

 淡い輝きと共に励起する、純白の『相伝呪刻』。

 色白の肌に融けるように刻まれたそれは、百合の花弁を正面から写したような模様をしている。そこから、稲妻が駆けるように、或いは雫が垂れるように、太い光の線が地面に向かって脚を走った。

 仔社玲奈の『相伝呪刻』と周囲の土地が、足を幹として接続された合図であった。


(ふす)(いかづち)(かみ)よ──────」


 喚起した『神』の名を口にした瞬間、地面から次々に光の玉が立ち上がった。

 心霊写真でよく見るオーブのようなそれらは、この状況でも静寂を決め込んでいた自然霊であり、仔社の魔力と引き出された『伏雷神』の力によって、強制的に活性化させられたのだった。

 背後の『霊』は、穏やかな顔を崩さず、地面に手をついている。

 彼の発する強大な霊力も、少女が起こす現象を後押ししているようであった。


「……地に満ちよ、風に巡れ──────」


 もう二小節、仔社玲奈が続けて詠唱する。

 瘴気の影響で、自動人形の時のように『大気に満ちる自然霊』が使えないからだろう。地中付近に残留する霊ならまだ使い物になるだろうと分析し、地脈に働きかけたのだ。

 かくして、少女の魔術は正しく成立した。

 励起した自然霊は、次々と白色の魔力の電撃を内側に蓄え始め、強烈な光を放ち始める。

 昔の人々なら、それを狐火やら燐火やらと称すのだろう。物理学やらオカルトやらにロマンを求める学徒なら、球電現象の現れだと宣うかもしれない。

 ある意味で、どちらとも言える現象を引き起こす、珍しい魔術特性だった。


「一気に行くぞ!」


 黒須の掛け声と共に、四人一斉に走り出す。

 左右後方から迫り来る怪異の群れは、自壊しない程度に帯電した自然霊の光球が、実質的な電気柵として機能することによって、その侵攻を断続的に阻んでいる。

 

「わお! まるでエリミネーションだな、こりゃ」

「それを言うなら、イルミネーションだろう。まぁ、排除と言う意味ではそうかもしれんが……」


 オーブが点々と連なり、一つの道を作りあげる。

 それは、いつかの冬の日に志輝と行った、聖夜の商店街のようであった。

 更に先へ進んでいくと、今度は気温に変化があった。


「ん? なんだこりゃ……?」

「む」

「これは……」

「なんだか、すごく暑いですね……」


 暑いというより、熱い。

 真夏のような猛暑と言うより、火事現場にでもいるかのような─────


「あれ? これ……もしかして───」


 土御門は一度、この感覚を味わったことがある。

 それも、つい最近───どころか、


「──昨日と、同じ……か?」


 黒い女と戦った後、逢魔坂を追って霊洞へと潜った俺と化野は、最奥へと近づくにつれ途轍もない熱気に襲われたのだ。今感じているこれは、その時のものと少し似ていたのだ。

 そして、その予想は的中した。

 土御門達の向かう先、道の奥で青白い炎のようなものが見えた。


「アレは─────」


 まだ数十メートル先の地点だが、ここからでもハッキリと見える。

 死装束のように白い体躯。

 身体中から、生い茂るように吹き出す青白い炎。

 そして、木々をも睥睨(へいげい)する巨体。

 骨の巨人だ。

 大量の人骨らしきものを組み合わせて造られた、巨大なゴーレムであった。

 先行させた『鷲』も、それに阻まれているようだった。


「俺が破壊する」

 

 黒須はそういうと、生成した魔力を指先へと凝集させていく。

 

「そう何発も撃てる術式(もん)じゃないんだろ?!」

「お前の式神では、火力不足だろう!」

 

 実際、その通りだった。

 巨人の発する熱で『鷲』は上手く近づけず、たとえ炎を掻い潜ったとしても、創造主の魔術によって『強化』された骨格は、式神の爪でも怯ませることすら出来ない。


「草喰み…根喰み…血喰み…啄喰み」


 黒須の掌が、何かを掴もうとするように開かれる。

 大気が悲鳴を上げる。

 内から泡が沸き立つように、腐りきった肉から体液が溢れるように、禍々しくも繊細な魔力が掌から浸潤し、膨大な熱と呪詛を凝らした漆黒の球体を形成していく。

 鳴上の魔術に詳しい者なら、それが『暗雲の概念』の具現であると、正しく看破しただろう。

 現出した黒球は、それ自体が一つの星のミニチュアであるかのように、黒雷を迸らせながら加速回転を続け、その熱で周囲の風景を揺らがせていく。

 青白い巨影が迫る。

 比率の狂った巨頭に、地面に届く長大な腕。異形のシルエットへ、走りながら狙いを定める。


「刻み散死───『喰闇(くらやみ)』」

 

 最早、それは戦車の砲撃にも等しかった。

 黒須の掌から放たれた黒球は、猛獣の咆哮の如き轟音を侍らせて、巨人の頭蓋へと飛来する。

 決して速度があるわけではない。

 この距離からなら、土御門でも十分に避けきれるだろう。魔力というエネルギーの運用を、撃ち放つより圧縮させる方に特化させた結果である。

 当然、集団戦ならいざ知らず、個人に向けるには適していない術式だ。


「──それでも、デカいだけのノロマを処理するには、十分だ」


 巨人に触れた瞬間、圧縮された魔力が解放される。

 暴風の如き凄絶なる衝撃波が巨躯を叩き、発散された膨大な熱が強靭な骨格を溶解させていく。

 被害は周囲の木々にまで及び、バキバキと幹や枝がへし折れる音が響いた。

 身を伏せていた土御門も、気を抜いたら爆風に持っていかれるのではという直感があった。それ以前に、ここまでの熱なら季節的に山火事が起きてしまわないだろうか。

 詠唱は圧縮省略されているのだろうが、それでもたった数小節でコレは破格だ。

 炸裂した魔力は瞬時に霧散し、後には、頭部がまるごと抉れた骨巨人の残骸しか残らなかった。


「ったく、少しは加減しろって」

「これくらいでなければ、倒せんだろうさ。……それに、我々は急いでいることを忘れるな」

「そりゃあ、まぁ……そうなんだろうけど。山火事にでもなったらどうすんのさ」

 

 男二人が口論する脇で、女二人もまた語らっていた。


「お力になれず、すみません」

「あ…いえいえ! そんなことは全然全然。私が勝手に前に出ただけですから……!」

「役に立つと言われお供しました手前、大変情けないことです……」

 

 しのぶは、意外にも落ち込んでいるようであった。

 玲奈のような幼子に助けられたというより、その幼子にリスクを追わせてしまったことに、申し訳なさを感じているのだろう。雁崎の数少ない生き残りとしての、責任も含まれているようだった。

 そんな彼女に対し、玲奈は精一杯ジャンプしてから、努めて言った。


「そんなことないですよ! 私にとっては、雁崎さんも土御門さんも、近くにいてくれるだけで、それだけで心強いんです!」


 少女の本音。

 しのぶは、それらを察したのか、子を宥めるように言った。


「いえ、ダメなんです……」

「え?」

「近くにいるだけでは、ダメなんです。むしろ、近くにいることがダメなんです……何もせずに。誰かと一緒に歩むには、それなりの資格がいるんですよ」

「そんなの必要ないですよ! それに、資格っていったら、圭子さんから────」

「それだけじゃないんです……大人(わたしたち)は、自分の存在価値を証明し続けなくては、胸を張って誰かと一緒に生きていくことができないんです。それは、家族や伴侶といった話だけではなく、こういう『何かを為すためのチーム』であっても同じです」 


 玲奈には、あまりにも遠すぎる話であった。

 だって、学校では『一緒に遊びたいから』というだけで輪に入るし、特に何かをする予定がなくても屋敷の儀式に顔を出したりする。

 自分から理由があって誰かと接することはあっても、資格を探したことなんて一度もない。


「価値とか証明とかは、正直よく分かりません……けど、私にとっては、ここにいてくれるだけで、それだけで十分すぎるくらい意味があります。……ですから────」  


 懇願するような瞳であった。

 しのぶはそれを見て、意を決した。


「──大丈夫です。ご心配をお掛けしました。そうですよね、皆さんにとっても意味のない、そう言うわけではないですもんね。ですが、それが私の指針(ポリシー)なんです。……ですので───」


 視線が、絡み合った。


「"次から"は、ちゃんとお役に立てるように励みます」


 それは、自分に対する鼓舞であったか、それとも少女に対する励ましであったか。それは、しのぶ自身にも判らないところである。しかし、このやり取りが、しのぶの言葉が、玲奈の思いが、彼女達の心を一つにしたことだけは、間違えようのない確かな事実であったのだ。

 この瞬間、玲奈が浮かべた表情は、しのぶの人生にとっての宝物の一つになる。

 

「おーい! 二人とも、なんか小屋みたいなのがあるぞ!」


 土御門が呼んでいる。式神は既に札に戻っていた。

 二人はもう一度顔を会わせ、互いに微笑んでから後を追った。


「なぁ、コイツはなんだい? 物置小屋にしては物々しいけど」


 土御門が見つけた『小屋』は、木々に埋もれるように建っている。

 まるで、冬眠している熊のようだ。

 漆を塗りたくったような外観は、完全に闇に溶け込んでおり、強い拒絶の意を感じる。


「……どうやら、結界で隠されていたらしい。……とすると、さっきの余波でぶち破れたか」

「あの骨の巨人(デカブツ)は、もしかしてここを守っていたんじゃないか?」

「まぁ、確かにあのレベルの使い魔なら、上忍達でも避けるだろうが……」


 女性陣二人が追い付く。

 仔社玲奈が、怪訝そうな顔で小屋周辺を見渡しながら言った。


「たぶん、祭具置き場ですね。使わなくなったものを、後で処理するために臨時で置いているのかと」


 土御門が小屋の壁を観察し、何かを見つけた。


「──扉がある! 作戦会議もしたいし、皆で入ろうぜ!」

「時間は惜しいが……まぁ、いいだろう」


 小屋に鍵はかかっていなかったが、古びているからか扉が中々動かない。しかし、それでも学園で怪力無双と名を馳せた土御門である。力を込めて思いっきり引くと、扉はひどくあっさりと開いた。

 巻き上がる埃への鬱陶しさよりも前に、土御門達が感じたものは『暖かさ』だ。

 真冬の、それも山の中にポツンと捨て置かれるように建てられた小屋である。本来なら、肌を刺すような冷えが彼らを襲う筈であった。

 しかし内部は、まるでストーブかヒーターでもかけているのかと思う程、熱が保たれていた。


「なんだよコレ! 志輝ん家の布団の中よりも暖かい……エアコンでもかかってんのか?」

「いや、そしたらどこから電力を供給するんだ?」

「魔術。浅影って雷神使いなんだろう?」

「確かにそうだが、流石にそこまで文明に迎合してはいないだろう。……だが、かなり高度な術式であることに変わりはない。結界か何かで、気温を一定のレベルにまで『保存』しているのか……?」


 思考を巡らす黒須を他所に、内部(なか)を見渡してみる。

 驚くほど、なんてことのない普通の小屋だ。確かに祭具らしき物品は散見されるが、魔力や術式の類いは感じられない。例装ではなく、西洋魔術における触媒(カタリスト)に近い役割の代物なのだろうか。

 何か罠が仕掛けられていないか探っていると、玲奈が声を上げた。


「こっち来てください!」


 玲奈の方を向くと、彼女は床のある一点を指していた。


「この下です。ここから魔力の反応が……ちょっと強めに触ってみてください!」


 玲奈に指定された箇所を、指で擦り付けるように押す。

 確かに、少し痺れる。

 静電気を数十倍に弱めたような、じりじりとした魔力の波が、指の腹を走っていく。

 

「皆さん、離れてください」


 少女の背後にいた『霊』が手を翳すと、そこから半径一メートル程の床がめくれ上がった。

 ぽっかりと空いた穴から覗くのは、奈落の如き空洞(うつろ)

 否、それは実体を持っている。

 地層となっている筈の床下には、ただひたすらに物質化した闇が広がっていた。

 

「こいつは────」

「典型的だな。これは鳴上家秘伝の封印結界『闇雲』だ。……暗雲の概念が覆っている。空気は問題なく通過できるだろうが……迂闊に飛び込めば、魔術師であっても熱と呪詛と衝撃ですり潰されるぞ。この術式には、内と外を繋げる『鍵穴』がある、術者の魔力がその鍵だ。術者がいない以上、術式のハッキング以外に破る手段はない筈だが─────誰か、自信があるヤツはいるか?」


 玲奈は、何度か当該箇所を掌でさすると、自身に満ちた顔で言った。


「いけます。ですが────一人、力をお貸ししてほしい術師(ひと)がいるのです」


 玲奈が、振り返る。

 その視線の先にいたのは──────


「出来ますか、しのぶさん」


 再び、少女と淑女の視線が絡んだ。


「──ええ、勿論です」


 二人が、術式の解除に取りかかる。


「雁崎の取り扱っている神は裂雷神、もしくは『(さく)(いかづちの)(かみ)』ですよね?」


 析雷神。

 伊邪那美命の女陰から産まれたとされる、八雷神の一角。

 雷が木を引き裂く様に、御阿礼(ミアレ)を得た神である。


「──なら、彼の神には『あらゆるモノを引き裂く力』があるでしょう。それを使います」

「具体的には、どうかな? ぱっと見た感じ、これ床全体に張り巡らされてるだろうから、力押しで開けるんだったら、相当キツいぜ? 小屋ごと吹き飛ばすことになるかもしれない」

「勿論、そういう手を使うつもりは今のところありません。貴重品の類いがあったら困りますし、もしここが『鳴上サイド』の重要なアンカーポイントだとしたら─────」

「あんまり、良い想像が出来そうにないねぇ」


 玲奈は、こくりと頷きながら、こう述べた。


「ですが……力押しというのは正解です。なにせ『鍵穴』を無理矢理造るんですから」


 成る程、そうきたか。

 魔術には固有の波長と術式があり、解析に時間が掛かりすぎる。しかし解錠するにも、恐らくは術者の魔力を鍵としなければ叶わない。

 ならば、新たにもう一つ鍵穴を造り、そこから解錠すればいい。

 反則じみた術式だが、彼女達ならばそれが可能だろうという信頼があった。


「析雷が意味するのは、『雷が落ちて木が裂ける』だけではありません。かつて、この国の人々は木の股───即ち、幹や枝が分かれている部分に霊威を感じ取ったのです。分かれているということは、実るものが『増えている』ということでもあります。ですから、鍵穴をもう一つ造るという術式には、記号的に最適なんですよ。……というわけで、しのぶさん。いきなりですが、かまいませんか?」

「望むところです」


 早速、術式の構築に取りかかる。まるで、ドラマで見る外科手術のようだ。

 

析雷(さくらい)よ─────」


 空色の電気的な魔力が、雫が垂れるように伸びていき、床という床へ浸透していく。


「若木を裂き、灰を実らせ」


 析雷神の神威を纏った魔力が、防御術式を削り取っていく。

 それは開かずの扉に、『開けられる』という概念を付与するかのような所業であった。

 しのぶの魔力が切開した虚空を、玲奈の純白の魔力が満たしていく。


「俺もフォローしよう」

「助かります……!」

「……っ、抜け駆けすんじゃねぇ……俺も!」

 

 四人で床に空いた穴を囲む。

 しのぶが『引き裂く力』で鍵穴を増築し、玲奈が『浸透し励起させる特性』で解錠を試み、黒須が『鳴上』の知識を駆使して二人をフォローし、土御門がサブプランを拵える。 

 息の合った───否、各々が各々の特性・方針に必死で合わせた作業だった。


「ふぅ」


 たった十分という時間だったが、四人にとっては数時間に比する密度であった。

 封印の解錠が、終わった。

 床下一面に貼り付けられていた闇が、霧が晴れるようにそのベールを脱ぎ捨てていく。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか─────」

 

 床下を封印していた『闇雲』が消え失せ、隠されていたものがつまびらかになる。

 まず、下に続く梯子があった。

 玲奈が、大気中の自然霊に魔力を送り、仮初の光源として仕立て上げ、内部を照らす。

 そこは、四畳半と言うには少し広い部屋だった。しかし、諜報員の隠れ家というよりかは、どこにでもある民家の一室のような、平凡な内装をしていた。

 木の板が、隙間なく張り付けられた六面。

 壁に打ち付けられた時計。

 文机には、蝋燭が立てられていない三叉の西洋燭台が置かれている。

 比較的新しいものばかりだ。まるで、誰かがここに住んでいるかのような─────


「え─────────」


 部屋の奥の方からだった。

 息遣いのようなものが聴こえる。それも、人間の。

 ベッドの上に、小さな影が横たわっている。


「あ、あなたは──────」


 栗色の髪に、絹のような白肌の少女だった。

 身ぐるみは剥がされており、桃色の下着だけが彼女の秘所を隠匿している。

 玲奈は、その顔と姿に見覚えがあるようだった。

 

「ら、ん………さん──────」


 絹幡蘭が、童話の姫君のように眠り込んでいた。

 

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