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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
26/29

第二十六話 霹靂 ②

 浅影本家の屋敷───その医務室であった。

 一人の少女が、意識を取り戻した。


「──目を、覚まされましたか」


 一人の女中が、覗き込むように話しかけてくる。

 まだ起きたばかりだからか、輪郭はおぼろげで誰であるかも判然としない。

 微睡みの中で、浅影瑠鋳子は長い夢から覚醒した。

 ばたばたと、床を鳴らす音が近づいてくる。この感じだと複数人、その内一人は予想できる。

 がらりと戸が開くと、顔馴染みの医務班と───伊妻が入ってきた。

 

「今何時?」


 形の崩れた髪を手で梳かしながら、伊妻に尋ねる。


「現在、午後の四時に御座います」


 食い入るように、医務班の一人が答えた。

 次いで、伊妻が話し始める。


「調律の影響か、ある種のトランス状態に陥っていたらしい。魔術回路の調子はどうだ? 健康面は問題ないだろうが、一応確かめてみてくれ」


 脳のスイッチを切り替え、魔術回路を励起させる。

 神経の裏側に、異質な熱が行き渡ってゆく。

 霊的な回路である以上、起動する感覚も術者の霊的感受性に依存する。私の場合は、「夕日に照らされた部屋の中で、瑠璃色の宝石を指でなぞるイメージ」だ。自分にしてはヤケに感傷的(センチメンタル)で、何度も矯正しようと訓練したのだが、既に定着した情景は変えることが出来なかった。

 生命力を魔力に変換し、紙に水を染み込ませるように全身にくまなく行き渡らせていく。

 調律の影響か、休息の影響か、魔力の通りが格段に良い。私の魔力制御に感嘆の声をあげている医務班を無視し、二つの『相伝呪刻』へと接続する。

 魔力を通すと『相伝呪刻』はすんなり起動し、額と胸に紋章が浮かび上がった。


「よし、もういい」


 伊妻の合図とともに、停止命令を送る。

 これまたすんなりと回路も刻印も活動を停止し、身体中の熱はゆっくりと引いていった。


「肉体に関しては問題ないな。気になるのは精神面だが………何か、急に泣きたくなるみたいな症状(こと)はないか?」

「ないわよ。もう出せるものはありったけ出しちゃったし」


 紺髪の少女は、頬を薄く赤らめながら言った。


「そうか。今までも、調律中に意識を失ったことは何度かあったが………ここまで長いのは、それこそ最初の"移植"以来だ。儀式の時刻が近づいているからか、冥府との因果か強まって神と深く結び付きやすくなっているのかもしれん。この意味、ちゃんと分かっているだろうな」


 伊妻が、私の目を見る。剣のように鋭い視線は、しかし哀れみに近い何かを纏っていた。

 浅影瑠鋳子は、幼いながらに伊妻が抱く感情を察知していた。


「わかってるわよ。たかが神童一人の命で、天下の浅影家を復活させられるのよ。不満もないし後悔もないわ。私は私として、この世に、この家に生まれてこれて本当によかったと思ってる」

「そうか………………………助かる」


 伊妻は踵を返すと、「準備をしておけ」とだけ言い、部屋から出ていった。

 それから軽く身支度をし、私は『祭殿』へと向かった。

 浅影家にとって、神殿と祭殿は異なる概念だ。神殿は文字通り『神』やその眷属を迎えたり、直接交信したりする場所であるが、祭殿は土地に巡る霊脈(レイライン)と『相伝呪刻』との接続を調整する場である。

 浅影の『相伝呪刻』を保持している者は皆、例外なく土地からの影響を常に受けている。霊脈から強く『力』を引き出せば、土地との繋がりがより強固になり、ある一定のラインを過ぎれば生命が土地に侵食されてしまう。これは、魔術回路と霊脈の過剰共鳴とは似て非なる問題である。

 浅影の敷地内に居を構える刻印保持者は、月に何度かこの祭殿で霊脈との繋がりを調整するのだ。

 

「──みんな、準備ご苦労様」 


 現在、時刻にして午後四時三十分。

 祭殿の入り口には、浅影瑠鋳子と伊妻梨阿───他、八名の術師が集まっている。

 今回の調整は、通常のものとは一線を画す。本来、二人程度でこと足りる筈の補助術師が、伊妻も合わせて九名もいるのが、その証左だ。

 横向きにずらりと並んだ八人は、全員が一つの規律のもと、完璧に統制されている。

 その内の一人がおもむろに前に出ると、軽く礼をして祝辞を述べた。

 

「当主様におかれましては、ご健勝にてお過ごしのご様子、何よりに存じます。わたくしども一同、此度の儀にお立ち会い出来ますこと、誠に光栄に思うと共に、当主様のお力となるべく、心を尽くして臨む所存に御座います」


 もう一度、彼女が深く礼をする。続けて、後ろの術師達も追うようにお辞儀をした。全く同時といって良いほど、洗練されたタイミングだった。

 

「相変わらず、お堅い挨拶が好きな奴らだ」

 

 伊妻が、微笑気味に呟く。

 まぁ確かに、言葉選びが畏まりすぎてちょっと気まずい。けれど、誠意が籠っていることは痛い程伝わるので、これはこれで悪い気はしない。素直に受け取っておこう。

 祭殿に入る。

 定期的に清掃が入るので、内部は埃一つ落ちていない。

 欄間彫刻が施された豪勢な外装とは対照的に、内装は以外にもシンプルで、小規模の鳥居が五つ連なった先に、しめ縄を幾重にも施した全長二メートル程の岩があった。

 この山の地下から切り出してきた岩で、神道における磐座(いわくら)とは少し異なる、土地との繋がりを示す儀礼用の祭壇である。

 魔術的には、霊脈の波長を測定する為の、地上を中継させるアンカーとしての役割がある。

 浅影瑠鋳子が五つの鳥居を潜り、仰々しい岩の前に静かに正座する。

 

「じゃあ、始めるわ」

 

 八名の術師が、浅影瑠鋳子の後ろに三・五と座った。

 一人が静かに鈴をならすと、それ以外の七人が一斉に手を叩く。音が引いていく中、また一人、また一人と、祝詞を読み上げ始めた。

 

「踏みし地は、ここに在り。流れしものは、絶えず在り。狭間に我が身を置きたれば、境なく、隔てなく、不動を以てここに重なる」

「ここを離れず、ここを忘れず、名を持つ前より、名を失した後まで、我はこの地に余りある」

「踏まれしもの、生から溢れここに残り、流れしもの、死を拝して尚もここを巡る。我が秘するは軽からず、地の重みに静かに従う」

「始原の足跡、終息の影、その境に我らが天地は絶えず在り。我らは今のみならず、悠久に座す」

「声は揃わず、音は乱れず、踏みきたるもの各々に、地は等しく標を示し、その隔たりなきこと、ここに定まる」

「忘れんとせず、離れんとせず、踏みしことは既に戻らず。我はこの地に触れ、触れしことを失わず」

「立ち向かうこと既に在り、流るるもの既に通う。我は加わらず、離れず、地の移ろいを拒まず、呼ばれるままに身を委ねる」

「ここを知り、ここを忘れず。人は絶えず、血は果てず。地は我を拒まず、なれば我も地を隔てず」


 八人の術師が、代わる代わる独自の祝詞を追えた後、浅影瑠鋳子が『相伝呪刻』を起動し、霊脈との同調を始めた。


「私は、仲間はずれか」


 伊妻梨阿は、儀式の様子を祭殿の外から眺めていた。

 彼女はあくまで、"万が一"の為にいるだけ。儀式が無事に終わるのを見届けるだけで良い。

 懐から秘蔵の葉巻を取り出し、魔術で火を点ける。

 今夜の『淵縫い』も、自分の出番は限りなく少ない。何もせずとも、邪魔立てがなければ今のように一服しているだけで全てが終わる。

 ふぅ、と息を吐くと、たちまち紫煙が上ってゆく。人として生を受けた者が、神となって天へと導かれてゆく。そんな神々しい比喩が、何故か彼女には許されないものに思えた。

 紫煙は、天に誘われるように真っ直ぐで、その軌道(まつろ)の先に、浅影瑠鋳子を幻視した。

 

「───終わる、か。確かにそうかもな。あの子の人としての人生は、今日でおしまいなんだ。才能は関係ないか。世の中の酸いも甘いも、その欠片すら知らないガキが、中坊にもなれずに死んじまう。たぶん、影も形もないくらいに──────全く、酷い話だ。私達は、幼子の命を犠牲にしなければ、悲願に指をかけることすら出来ない。何が神々しいだ。何も素晴らしいことなんてない。陰惨な、魔術師どもの伝統だ………………胸なんか、張れるわけがない」

 

 浸っていた伊妻だったが、床を激しく叩く音で我に返った。

 女中が一人走ってくる。


「おい、今儀式中だ。静かに走れ」

「すみません! 須栗(すくり)さんからの伝言で!」

「須栗から? 言ってみろ」


 仔社須栗。

 浅影の敷地に張られた結界、その管理を担当している術師だ。土地の広大さも合間って、常に結界内全土を観測しているわけではないが、魔術的な痕跡を見逃すことはないだろう。

 そんな彼女から伝言が来たと言うことは───


「南東方面で魔力衝突の痕跡を発見。解析したところ、波長から絹幡蘭と鳴上葉純の二名のものであると確認。魔力痕の具合から、恐らく小規模な戦闘があったと推測されます!」 

「場所は?」

(きのえ)・三六〇、(ひのえ)・七〇五」 

「あそこは───」 


 この山には、五つの『点穴』はあると公的には記されているが、実際にはもう一つ存在する。

 浅影の役員でも、一部のものにしか知らされていない、あの座標に何故二人が?

 伊妻の胸を、得たいの知れない焦燥感が支配していく。

 何か、今までの全てが音を立てて瓦解していくような、致命的とさえ言える予感が鼓動する。


「二人の居場所は?」


 女中に尋ねる。

 その声が震えていることが、自分でも分かった。


「現在、追っている最中です」


 女中が言い終わる、直前だった。

 凄まじい光が、空を覆った。

 正しく、それは雷鳴だった。


「な────────────」


 一瞬、時間のコマが吹き飛んだような感覚を覚えた。

 視界の始めに写ったものが、床であったからだ。

 右手が、床に着いている。反射的に受け身をとったのだと、数秒遅れて気づいた。

 魔術回路に痺れを感じる。

 今起こった事象が、何らかの魔術的な攻撃であることを意味していた。


「い、いま、のは………いったい?」


 女中も同じ様に片膝を着いており、現状を把握しきれていないようだった。

 床に落ちた葉巻を踏み潰し、伊妻は推測を語る。


「音叉だ。自律神経を整えられるなら、その逆も出来る。須栗のヤツ…………まんまと結界をアンプとして利用されやがって。もし内部反響なら、屋敷中の奴らがダウンして──────るい(・・)!」


 はっとして祭殿の方を向く。

 今の大規模音叉攻撃が魔術回路を標的としたものなら、魔術回路を起動している者としていない者とでは、当然ダメージに差が出る筈。

 では、もし攻撃を受けた術者が、儀式を行っている最中だったなら───


「私は大丈夫よ!」


 祭殿の奥から、浅影瑠鋳子が勢いよく答える。

 一先ず安心して内部を覗き───伊妻は、またもや顔をひきつらせた。

 

「みんな、やられちゃったけど」


 八人の補助術師全員が倒れていた。

 瑠鋳子が、その内の一人に手を翳し、頭から足先まで『撫でる』ように腕をスライドさせる。


「うん、気絶しているだけだわ。単純に、私より対処が遅れてしまったんでしょうね。アンタが言ってたように、神経───特に魔術回路を乱す『音』を、最も集中していた時に喰らっちゃったみたい。魔術回路は若干痙攣を起こしているけれど、傷ついてはいないから一先ず後遺症の心配は要らないわ」


 古来より、人体を『撫でる』という行為は、複数の魔術的意味を含有する儀式であった。

 悪霊に撫でられた者が死に至ったという怪談や、祀っていた犬の神に喉を撫でられたら刺さっていた骨が抜けたという民話など、『撫でる』という動作にまつわる伝承は日本中にある。その中には、怪異の正体を暴くという作用も存在し、転じて病巣を暴くという民間呪法に使われていた。

 今、浅影瑠鋳子が実践した所作も、類似した縁を持つ術式で、魔術回路の異常を『検知』し、そこから受けた術式を『解析』し、後遺症の有無などを『判定』してみせた。


「なでされ、なでされ」


 短い呪句を繰り返し、背筋を撫でる。

 今度は癒しの効果を持つ呪法であった。

 他の術師達にも同様の回復魔術を施すと、瑠鋳子は伊妻の方を向く。


「アンタは?」

「私も問題はない。つくづく調律師でよかったよ。お前は、本当に大丈夫なんだな?」


 浅影の当主は一秒置いて言った。


「──舐めないでよね。反射的に術式で防御したんだから、魔術回路も『相伝呪刻』も無事よ」

「それなら重畳……なんだが」

「それよりも───」


 浅影瑠鋳子が空を見る。伊妻もそれに続いて天を仰いだ。

 相変わらずの、黒ずんだ灰色だ。

 しかし現在は違う。雲の中から、明らかに自然のものとは言えない『力』を感じる。今の今まで巧妙に隠されていたのだろう。魔術が発動したことで空に渦巻いていた魔力が顕在化したのだ。

 つまるところ、今のは空───結界外からの奇襲であった。

 完璧にやられた、と伊妻は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「くそっ、私としたことが…………」


 明らかに自分の落ち度だ。

 いつかは来るとは思っていたが、敵のレベルを見誤っていた。

 私たちが思っていたよりも、ずっと巧妙で、狡猾で、何より洗練されている。


「さっきの『光』の後、一瞬だけ霊脈が弱まったの」


 浅影瑠鋳子が言う。

 現在の彼女は、儀式を経たことで土地との接続が最大となっている。それがどういう状態かは言うまでもなく、彼女は霊脈の活動状況を鮮明に察知出来るのだった。


「多分、あの『光』が土地の霊脈への攻撃。今の『音』が魔術師への攻撃だったんでしょうね。霊脈を傷つけて山と屋敷の結界をダウンさせ、その隙に結界を一時的にハックして増幅器(アンプ)として使う」


 浅影瑠鋳子が、敵の攻撃を推察する。

 伊妻も考えは同じだった。

 こんなものは古くからの定石だ。魔術師の管理する土地ならば、当然防衛や索敵の為の結界が施されているのが常識で、高名な家の結界ともなれば難攻不落の要塞と化していることも珍しくはない。ならば、先ずその土地の加護を剥ぎ取る所から始めるというのも、また魔術の常識であった。

 結界を一時的にでもハッキングするには、結界の構成を完璧に理解した上で、上位権限を偽装してシステムに干渉するか、結界そのものを弱めた隙を着いて、術式を差し込むかのどちらかだ。

 今回の場合は、間違いなく後者の方だろう。


「しかし、一時的にでも結界に干渉できたということは、向こう側は少なくとも浅影の魔術に詳しい人間ということになるがな」

「それだけじゃない。今の『光』、これ間違いなく落雷の魔術よ。しかも、数ヵ所同時のね」

「落雷…………?」


 嫌な汗が、こめかみに冷たく滲んだ。


「ちょっと待て。攻撃のタネが電気魔術なのは分かる。昨日戦った魔術師は、蛇草の『相伝呪刻』を持っていたのだろう? だったら、そういう系統の魔術も扱えるだろうし、浅影の結界構成に詳しいのも納得できる。だが、落雷となれば話は別だ。天候に干渉する魔術は、神秘の衰退した現代では成功例に乏しい。確かに、この辺りは地形や気候の影響で冬でも落雷が起きやすいから、今日みたいな空が不安定な時に『雷雲が発生する確率を後押しする』という形でなら可能性はある。だが、そんな術式を成立させるには多数の例装と、それ専門に構築された数十人規模の部隊が必要だ」


 非常事態ゆえの焦りか、それとも魔術師としての性なのか、伊妻の語りは饒舌だった。

 浅影瑠鋳子は、それを落ち着き払った様子で聞くと、こう言った。


「正確には『下から上に落ちる』タイプのヤツね」

「何? それでは結界外からの攻撃ではなかったのか?」


 紺髪を揺らしながら、瑠鋳子はかぶりを振って続けた。


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 その言葉に伊妻が驚愕するよりも早く、再び上空が眩い光に包まれた。


「───────!」


 浅影瑠鋳子が、両の掌を床にぴたりと付けて、小さく呪句を唱える。すると、祭殿周囲をまるごと覆う規模の、上級防御術式が展開された。

 轟! という、天地を破砕するが如き神威の雷鳴が轟き、凄まじい突風が襲い来る。

 まるで爆撃だった。

 山の木々は怒れるようにざわめき、屋敷中が悲鳴のような軋みをあげて揺れた。


「さっきのはあくまで呼び水で、今のが本命ってワケね」

 

 土地の侵食を肌で感じながら、瑠鋳子は霊脈の状況を走査する。

 限界まで霊脈と同調した彼女の感覚は、地上に存在する不自然な魔力の残穢を検知した。

 全部で、六つだった。

 点穴と呼ばれる、霊脈から魔力が漏出するポイントに、それらは秘されていた。

 それらは電池のような機能を持ち、来る時まで魔力を溜め込んでいた。そして先程、その魔力は解放され凄まじい稲光を放ちながら天へと落ちた。巨大な魔力が複数箇所で一気に解放されたことで、霊脈の流れは一瞬だけ淀み、結界にも一時的な隙ができたのだった。

 だが、これは攻撃ですらない。本命の術式を、最大の威力と効率で発動させる為の下拵えだった。

 解放された魔力は、霊脈への攻撃を装いながら天地を繋げる雷道(ケーブル)を形成していた。

 威力は全く異なるが、先駆放電(ステップド・リーダー)に近いものだ。

 そして、何時間も前から秘密裏に儀式を行っていた彼ら(・・)が、期を見計らって本命の術式を発動した。

 浅影家上空で滞留していた膨大な魔力は、初撃で形成した『天然の導線』を伝い、真に霊脈を損傷させる六筋の帰還雷撃(リターン・ストローク)となって、浅影の土地へと降り注いだ。

 以上の二段階の工程を経て、大規模攻撃術式は完成する。

 山、屋敷、神殿を取り囲む二十七の結界。その全てが今、機能を停止した。


「ご挨拶なヤツね。つまらないドッキリはいいから、さっさと出てきなさいよ。その礼儀のなってない減らず口ごと、私が踏み潰してあげるわ!」


 少女が、空に向かって吼える。

 返答はすぐに来た。


『──相変わらず、可愛げのねぇ嬢さんだ』


 まるで、この空間一体から聞こえてくるようだった。

 さらりとした、流砂のような声質だった。

 間違いなく、昨日戦った黒い大蛇の男であった。


『折り入って頼みがあるんだけどよぉ…………その可愛い入れ墨、俺に剥ぎ取らせてくれねぇか?』


 足元に悪寒を感じ反射的に飛び上がる。

 魔術で『強化』された脚力は、小さな体躯を数メートル上空へと跳躍させた。

 その直後、床が勢いよく爆ぜ、巨大な漆黒が露になる。

 大蛇の(あぎと)であった。

 あと一秒でも判断が遅れていたら、今頃は大蛇の胃の中だっただろう。

 横目で、伊妻の様子を伺う。

 流石の手際の良さだ。倒れた女中を抱えて、彼女は既に遠く離れた地点へ退避している。

 これならば、余波を気にせずに戦いに集中できる。


「可愛げのないお口だこと」


 風を伝い屋根に飛び乗る。

 大蛇と、ちょうど向き合う形だった。

 漆黒の巨躯は、もぞもぞと蠢動し、額に相当する場所に触覚を形成していく。

 触覚はヒトガタをしていた。

 ソレは急速に、細かい色と陰影が浮き出していき、人間らしい姿形になっていった。

 伊妻が、あっとした表情を浮かべる。


「き、貴様は………まさか───あの時の!」

 

 伊妻の脳裏に、懐かしき幼童だった頃の記憶が甦る。

 忘れるよう努めた、凄惨なる風景。

 魔術調律の初見学。少年にも青年にも見える男が、血溜まりの中で施術を受けている様子。アレを見てから自分は、誰も傷つけない調律師になることを志したのだった。

 尋常な人間とは思えぬ程の、奇怪な白髪。

 細身でも引き締まった、あちらこちらに痛々しい切り傷が点在する褐色の肉体。

 そして、暗く濁ったような緑色の左目。

 間違いない。雰囲気も人間性もあの瞬間から全くと言って良いほど変わっていて、面影も何も欠片ほど感じることが出来ない。それでも、小さく、そして強く確信できるものがあった。

 今、初期衝動の元凶が目の前に存在する。

 マトモに相対す事すら憚れる程の、醜悪に変わり果てた姿となって。


「お前は、伊妻梨阿か。ちょっとだけ憶えてるぜ。十三年前、俺が"慣らし"を受けた時に、その儀式場にいたガキだ。まぁでかく、そして偉くなったモンだ」 

「梨阿!」

「くっ──────」


 ガチリ、と伊妻の身体が硬直する。

 動きたくない。

 伊妻の思考を、あっという間に埋め尽くす怠惰。この状況に似つかわしくない不自然な感覚は、間違えようもなく男の持つ魔眼の力であった。

 無防備となった伊妻の元へ、大量の黒蛇が殺到する。

 大蛇が開けた穴の奥から、屋根から、縁側から、一体どこに潜んでいたのかと言うほどに、夥しい数の黒蛇が湯水のように湧き出し、祭殿周辺に雪崩れ込んでくる。

 祭殿内は元々、最上級の防御結界によって守られている。霊脈への攻撃によって大幅に弱まっているとはいえ、黒蛇や男の魔眼の効果を大幅に遮断出来る。しかし、伊妻と彼女が抱えている女中は、その範囲から逸脱していた。

 黒い波が、二人を飲み込む───と、その寸前。黒蛇の群れが、突如として火に飲まれた。

 浅影瑠鋳子の魔術であった。

 よく見れば、彼女は自分の背丈の半分はあるかと言う、大振りの弓を携えている。東北のイタコなどが使う『梓弓』と同じものだった。

 珠毀の『相伝呪刻』を起動し、梓弓を媒体に口寄せした雷神の名は─────


「『火雷神ほのいかづちのかみ』よ───』


 かつて雷は、火事の原因の一つであった。


 名も無き蛇よ、古き雷神の威容を見よ。

 ()は、天より墜ち来たりて、地を焼き尽くしたる神罰の火。

 今の世であろうと、荒御魂の名を轟かす焔の陽炎。

 

「──焼哭(しょうこく)


 それが、この術式の名であったか。

 浅影瑠鋳子が放った矢は一直線に床へと飛び込み、一匹の黒蛇に突き刺さった。

 矢は炎に包まれており、その炎が黒蛇に触れたかと思うと、たちどころに火は広がっていった。

 例えるならば、水面に生じた波紋。

 恐ろしき炎の輪は、美しい円形を保ちながら、黒蛇の群を飲み込んでいった。


「おおっとォ!」


 大蛇が飛び跳ね、炎の輪から逃れんと疾走する。

 浅影の寵児から放たれる、蒸発という概念すら焼却する超抜の一矢は、小規模ながら恐るべき階梯の燃焼魔術として、体内水分が爆ぜる音すら許さず、黒蛇の海を塵へと還した。

 この時、炎は黒蛇だけを焼き払い、伊妻どころか、建物にすら焦げ後一つ残すことはなかった。

 あれ程の巨躯を持ちながら、よくここまで敏捷性を保てるものだと、浅影瑠鋳子は思う。

 黒蛇達の動きを、一匹一匹完全に統制することで、この動作を組み立てているのだろうか。もしそうだとすれば、この魔術師は一体どれ程の研鑽を積んできたのか。そしてその全てが、私達浅影家への復讐の為だけにあったのだとすれば、この男は今、何を思ってこの私と対峙しているのだろうか。

 まさか、この程度の手札で浅影の根城に突っ込んできたとは言うまい。


「そいつは喰らいたくないなぁ」


 大蛇の男が、逃げながら苦笑する。

 この数秒の間に、大蛇は既に数十メートルほどの距離をとっている。

 それは、むしろ瑠鋳子にとってやり易かった。

 再び、梓弓の弦に触れる。

 祭殿は屋敷で最も標高が高く、露台からなら境内中を一望できる。

 外すことは、あり得ざる事象であった。


「フルコースよ、たらふく喰らいなさい!」


 火雷神の権能を以て、数十発の火矢が放たれる。

 一度詠唱すれば、次からは無詠唱で発動できる程に仕上がりを見せていた。

 魔滅の炎は、軌道上の空気には一切干渉せず、黒蛇という『魔』のみを狙って飛来する。

 異質なことに、矢は射られてからも加速を続け、とうとう亜音速へと至った。

 標的が近ければよし。たとえ遠くとも、後から加速して更に威力と追尾性能が上昇する。浅影瑠鋳子らしい、悪辣極まる退魔の砲撃であった。

 ならば、その魔矢の標的たる大蛇の方は、どう対処するのか。

 

「あんまり使いたくないんだけどな─────」


 大蛇が翻る。

 漆黒の巨躯がぼこぼこと膨張し、大きく反り上がった。

 浅影瑠鋳子が、直感する。

 ──これは、確実に反撃が来る。

 直ぐ様、右掌と左掌を卵を納めるように合わる。

 もう一度、防御術式を正面に展開する。今度は、絶縁効果も配合されていた。彼女は一瞥で、大蛇の裡に電気的な魔力が収束していくのを見抜き、瞬きの間に対抗策を練りだしたのだ。

 黒蛇が、金色の魔力の電気を、その巨躯に迸らせる。

 そのまま、更に振りかぶるようにのけ反って─────


「──()(せん)(らい)(こう)(べん)


 正しく、それは鞭であった。

 凄まじい暴風が、全てを薙ぎ払う勢いで祭殿方面へ襲い掛かった。

 局所的に吹き荒れる、秒速五十メートルの突風。

 自動車を中へ浮かし、窓ガラスを叩き割る程の圧倒的な風圧に巻き上げられた土砂は、最早、礫どころか弾丸や砲弾の域に達し、扇状の射程圏内全てを粉砕する流星の如き暴力であった。

 そして、その爆風と土砂には、金色の魔力の雷が帯電しており、強大な呪詛も孕んでいる。

 ここまでの威力を持ち出されれば、むべなるかな、浅影瑠鋳子が放った火矢はあっという間に飲み込まれ、一つ残らず黄土色の世界に消えていった。

 それでも暴風は留まるところを知らず、一秒ともかからず祭殿を飲み込んだ。

 

「───っ!」


 少女が、束の間の無風の世界で歯噛みする。

 浅影瑠鋳子がたった今展開した防御術式も、祭殿に元々かけられていた護りの結界も、単純な防御魔術としては小規模ながら最高峰のものだ。恐らく、霊脈を攻撃される以前の状況であったら、ロケットランチャーですら傷一つ付けること罷りならなかっただろう。

 しかし、今の攻撃は確実に「破られる」という感触があった。

 威力の問題ではない。ただ巨体を鞭のように唸らせ、魔力を上乗せした衝撃波を発生させただけならば、今の防御術式でも充分防げるであろう。しかし、この『風』は単なる自然のものではなく、魔術的な手段で起こされた現象である。恐らくは、天狗の引き起こす魔風に近い何か。

 純粋な風ではない以上、物理的な護りだけでは破られてしまうだろう。

 無論、このまま何もしなければの話ではあるが。


「奇遇ね。私もあんまり、こういう無茶はしたくないんだけど───ね」


 右の人差し指を前に出し、すっと左から右へスライドさせる。

 既に展開されている防御術式に再度干渉し、更に新たな防御術式を後から重ねる。通常、魔術において『魔術に魔術を重ねる』という術式は高等技術とされ、自分の魔術に重ねるのはさることながら、他人の魔術に自身の魔術を上乗せするのは、一流でも非常に困難である。

 この瞬間、浅影瑠鋳子が新たに重ねた術式は風避け。それも、突風といった局所的な脅威に対しての術ではなく、嵐や雷といった災害を鎮め祓うまじないの一種。

 主に、道切りや辻切りと呼ばれる厄払いに近い効果を内包する魔術であった。


「閉脈」


 窓を閉めるような、他愛ない言の葉。

 空気の砲弾とも言える暴風は、祭殿内に入った瞬間に凪いでいき、土砂は瑠鋳子に触れる直前で足元に墜ちる。風避けの護りか魔風を防ぎ、先程展開していた防御が土砂と雷を拒んだ。

 しかし、それだけではない変化が起きていた。

 防御術式の外側に溢れた魔風が、突如として渦を巻き、一点に収束し始めた。


「まさか、これで終わりだとでも?」


 さっきのは、所詮作業に集中する為の"つなぎ"でしかない。

 防御術式の上に、更に別の防御術式を相乗させる。これを戦いの最中でやってのける時点で、とっくに天才中の天才だが、この土壇場で、浅影の申し子は更なる高みへと指をかけていた。

 なんと、大蛇が放った『魔風』に新たに術式を重ねたのである。

 八つの『相伝呪刻』は、元々浅影の所有物である為、珠毀の『相伝呪刻』を移植しても瑠鋳子ならば十全に扱って見せる────などという領域を、軽々越えていた。

 既に成立した他人の術式のルールに、新たに術式を重ねてルールを書き加える。


「ハッキング………というには鮮度かちょっと落ちるわね。誘導(リーディング)っていうのが近いかしら」


 吹き荒れる風の金色を、蒼色の電気が侵食していく。

 まるで掌で泥を捏ねるように、魔風が一つの巨大なうねりとなって収束していくのを、大蛇の男は背中で感じていた。

 (風を操ってるんじゃねぇ…………風の通りをいじってんのか。なんつーことしやがる…!)

 形容するならば、台風のミニチュア。

 しかも、その中心に───台風の目になっているのは浅影瑠鋳子自身!

 大規模に、されど繊細に、渦は少しずつ小さくなっていき、少女の狙いに倣って変化してゆく。男の渾身の一撃だったそれは、やがて標的だった魔術師の便利な道具へと堕ちていった。

 浅影瑠鋳子が、蒼色の雷が入り交じる、竜巻を纏っている。


「魔力の無駄遣いはしたくないからね……………存分に利用させて貰うわ!」


 浅影瑠鋳子が、跳んだ───否、飛んだ。

 空を背に、圧倒的な轟音を吹き上げながら、凄まじい速度を水平に飛行する。

 現代において、魔術師が飛行する手段は限られている。

 魔女の箒のような『空を飛ぶ異能』の象徴(シンボル)

 使役した霊による滑空。

 そして───


「気ン持ちいぃー! 空を飛ぶってのも悪くはないわねぇ!」


 今の浅影瑠鋳子が実践しているような、航空力学を応用した(ように見せかけた)秘術インチキ


「さぁ! お縄につく時よ!」


 よく見れば、彼女を取り巻く風の渦は二重構造で、内と外で風の流れる速度が異なっている。内側は激しい下向きのらせん構造で、少女を飛行させる推進力を生み出しており、外側は緩やかな回転で飛行時のバランス調整を行っている───というのは男の推測でしかないのだが、実際に浅影瑠鋳子が空を飛んでいることは事実であるので、その身体に纏う『魔風だったもの』で作られたドレスが、そういうルールの術式に書き換えられたのだと納得する外ない。


「あぁクソッたれめ…………損な役回りさせやがってよ」


 少女と大蛇の距離はみるみる縮まって、あとたったの十メートルだ。

 大蛇は己が身体を蠢動させ、次々と黒蛇を射出する。

 狙いを済ませるは浅影瑠鋳子。しかし彼女は、自在に蛇行機動(ウィービング)空中回転(エルロンロール)を繰り返し、無茶苦茶な飛行のまま全てを回避していく。

 たとえ近づけても、強力な風の渦に弾かれてしまうので、大蛇の男は最終的に迎撃を諦めた。


「いいぜ、なら正面から──────」


 浅影瑠鋳子が大蛇に追いつき、ちょうど真上に位置した、その時だった。突如として真下に急旋回(ブレイク)した少女が、そのまま大蛇に降下(ダイブ)したのだ。

 ずしん、という地響きが辺り一面を席巻していく。

 圧倒的な運動量が、黒い大蛇を貫き、浸透した風が土砂を巻き上げていく。

 数十メートル上空から急降下し、加速し、大蛇に拳を叩き込んだ瞬間、自らに纏わせていた『風』の大部分をパージし、全霊の魔力を込め直して大蛇の内部に捩じ込んだ。

 悲鳴とさえ言える金切り声をあげて、黒い巨躯が爆ぜる。

 瑠鋳子はすぐに、それがダメージを与えたことによって起こった現象ではないと見抜いた。


「やられた……………小賢しい真似、してくれるじゃない」 


 拡散したエネルギーに吹き飛ばされ、散り散りになった黒蛇達が、次々に復帰し始める。

 男は、わざと蛇の連携を解いたのだ。

 圧縮強化された『風』のエネルギーは、黒蛇達の強度を超過しすぎていた。黒蛇同士の連携を保とうと、力の流れに無理に抗おうとすれば、それこそ肉体はミンチになってしまう。ならば、逆に身を任せた方がダメージが少なく、浅影瑠鋳子から距離を離せるだろうと考えた。

 かくして、男の賭けは驚く程上手く行った。


 ──上手く行きすぎた。


「しまった…………!」


 声に出た。それくらい、男にとって致命的な失敗だった。

 黒蛇達は、その九割が無事だった。

 しかし、その大部分が離れ離れになってしまっている。

 (これじゃあ指定のポイントに誘導できねえじゃねぇか…………!)


「世の中ってのは上手く行かないものよね…………お互いに」 


 瑠鋳子が、挑発するように虚空へと言葉を投げ掛ける。

 嗜虐心たっぷりなその顔は、心なしか苛立ちが滲んでいた。


「まとめて仕留めようと思っていたのに…………無駄な体力、使わせないでよね」


 梓弓を手元から現出させ、比較的多く固まっている群れへ火矢を打ち込む。魔力の節約か、同時に放たれた火矢の数は僅か十発。それぞれ独自の起動を描きながら、黒い群れへと殺到する。

 直進。

 曲進。

 音速を越えながらも、予測不能な精密挙動で標的の逃げ場を押さえる。浅影瑠鋳子らしい、浅影瑠鋳子という神童だからこそ可能な、埒天外の芸当だった。

 火が、(えん)が、(ほのお)が、(ほむら)が───戦場となった浅影の山中で咲き誇る。


(イッツ)──焦體舞(ショウタイム)


 火に巻かれた蛇達が、死から逃れんと飛び跳ね───舞い踊る。

 まるで、生ける炎のサーカスであった。

 ならばと、男は黒蛇達に新たな命令を下す。

 

『囲い込め!』


 ざざざ、と近くに散っていた黒蛇達が集合し、浅影瑠鋳子と数メートルの距離を保ちながら、巨大なドームを造り上げていく。

 男にとっては、自らの細胞にも等しい使い魔達。それらに裏打ちされた連携力。みるみる内に黒い壁は少女を囲い込み、漆黒のドームへと幽閉していく。


「まるで闘技場ね、あんたも男の子の夢みたいなのがあるワケ?」

『へへへ、あんたが男の夢を語るなんて意外だな』

「私も意外だったわ。アンタがまだ人間でいるつもりだなんてね」


 ドームの壁から滲み出すように現れた男の姿を、浅影瑠鋳子の瞳が射抜く。

 男は上半身は裸の人間、しかし下半身は蛇の尾であった。

 明らかに、人の姿とは言えなかった。

 梓弓の弦に触れ、術式を起動しようとした瞬間、すぐさま身体を倒す。

 頭上を、細長い黒い奔流が駆けていく。


「その弓は使わせねぇ」


 梓弓の魔術で火矢を放つとき、必然として隙が生まれる。

 そこに妨害を捩じ込むことで、出鼻を挫くというのが、この悪趣味な闘技場(ドーム)の真の狙いであった。

 (それだけじゃない…………外の魔力が探知できない。妨害(ジャミング)みたいなもの? となると、地面の中までドームになってる可能性が高そうね)

 瑠鋳子は梓弓を虚空へと隠し、全身を蒼雷で包んでいく。


「そうくるか……!」

「ええ、こっからは───私の趣味でやらせて貰うわ……!」


 地面を強く蹴って走り出す。蒼き雷を迸らせて。

 男も、真正面からそれを迎え撃つ。

 蒼と金の稲妻が激突する。

 小細工なしの接近戦(インファイト)が始まった。

 互いに押し負けることなく、絡み合うように繰り広げられる打撃の応酬は、極大の線香花火だ。

 ビュン、と再び黒蛇が壁から飛びかかる。

 手を翳し、たったそれだけで蛇の奔流を無力化する。

 ある種の浄化によって、黒蛇の制御を初期化したのだ。

 弓を使っていた時は、この不意打ちも効果的に機能していたが、肉弾戦に舵を切ってからは、最早恐れる必要はなくなっていた。

 男の巨大な尾による薙ぎ払いを飛び越え、少女の拳が迫る。小さな拳には、『大雷神』の力が蒼電の魔力として迸っており、まともに当たらずとも、かするだけで命を持っていかれるだろう。

 男は尾の反動により回転し、拳を避けると同時に強烈なカウンターを少女にみまう───直前、少女もまた、打撃の反動を利用し回し蹴りを繰り出した。

 ボ! という破裂音。

 両者が、互いの反動で距離をとる。最早、雷神同士の験比べであった。

 

「答えなさい! 私の部下を───霖雨をどこへやったの?」

「安心しろよ。殺しちゃあいねぇ、ソイツにはやって貰うことがあるからなぁ」

「やって貰うことって───何………よ!」


 少女が、殴りかかる。

 男がそれを避け、少女の耳元で囁く。


「死ぬよりもっと酷いことさ」


 少女が空かさず放った裏拳が、あと少しのところで外れ、虚空をすり抜けていく。

 男の頬が、少し焼けただけだった。

 少女の蒼雷(まりょく)が、苛立ちと共にまた一段と出力を上げる。


「そうはさせない」

「どうさせないってんだよ」

「そうね……アンタをぶっ殺してから考えようかしら……!」


 再び攻防が始まる。

 どちらかが仕掛け、どちらかが掻い潜る。

 少女は魔術と体捌きで、男は奇怪な身体と黒蛇の奇襲で、双方持ち得る全てを使い殺し合っている。

 一糸乱れぬ戦いは、一秒、十秒、一分と続き、永遠に続くかに思われた。

 終わるときは、一瞬だった。


「───!」


 突如として、視界が狭まった。黒色の壁が一気に迫ってきたからだった。

 ドームが縮小していく。それも、物凄い勢いで。

 各地に散らばった黒蛇達が、とうとう合流したのだった。


「くっ───」

 

 必然として、少女はドームの中心へ向かう。男が待っている場所へと。

 男が大きく手を広げて、その肉体を見せつける。


「ここだぞ、良い子良い子してやる」

「もう充分、逆鱗撫で回されてるっての」


 五指を揃えて手刀を作り、男の胸部目掛けて突き出す。

 魔力で『強化』され、最早槍となった手刀は、不自然なほど容易く貫き、そして抜けなくなった。

 だけではなかった。

 ずぶずぶと、腕が吸い込まれていく。


「っ───あぁ───」


 浅影瑠鋳子はこの戦いで初めて、苦悶の声をあげた。


「安心しろよ」


 男が、少女に抱きつく。

 筋肉質な腕は、純粋な腕力だけで瑠鋳子のそれを圧倒していく。抗おうと踠けば踠く程、締め付ける力は徐々に強まっていき、その度に少女の喘ぎは大きくなっていった。


「一応、そういう契約(・・・・・・)だからさ。殺しはしない。死なない程度に凌辱して、さくっと『相伝呪刻(げんてん)』を貰っていくぜ。んじゃ後は、俺の中でお愉しみといこうかね」


 既に、頭の半分が男の内側に沈んでいる。

 右目だけで男を睨み、そして半分だけの口角を吊り上げたのだ。


「? 何故笑いやがる」

「アン…タが……とん、だ。お間抜け……さん…………だからよ」


 瑠鋳子の手が、何かを掴む。

 瞬間、男の表情が強ばる。

 感触は、つるつるとした鱗のような───つまりは蛇だ。

 愉悦に歪んでいた顔が、みるみる内に青ざめていく。


「……アン、タの……つ、使い魔、が……感知を……遮断(シャット)……するのは……わ、解って……た……っ」

「だから、わざわざ………なかに……入ったってワケ…か………よ───がはっ!」


 男が締め付ける力が、急速に弱まる。

 束の間、浅影瑠鋳子は余裕を取り戻した。


「まさか……気づいていないとでも、思った? 本当に肉体を全部、蛇に変えていたのなら……アンタの意識は、とっくに群れのなかへ拡散していたはずでしょう。それが、そうじゃない。……だったらやっぱり、『本体』ってものは、あってしかるべきなんじゃない?」


 互いに互いの喉元に刃を突き立てている。例えるなら、そういう状況だった。

 なら、先に突き刺した方が戦いを制すというのは、道理とも言えるだろう。

 男が再度、少女の全身を締め付ける。

 今度は限界まで縮小したドームも上乗せしている。文字通り、持てる全てで浅影瑠鋳子を絞め落とそうと限界まで肉体を駆動させる。

 金色の電気が、蒼色の電気を押さえ込もうと、黒蛇から滲み出た───その瞬間だった。


「アンタの敗因は───」


 突如として『蒼』が『金』に絡み合い、そのまま蛇の群れを一瞬にして支配した。

 理屈は不明だが、男の『本体』を利用したのは間違いなかった。


「私をさっさと気絶させなかったこと」


 全てが崩壊した。

 例えても、その言葉通りにしかならない。

 男の肉体も、黒いドームも、何もかもが力尽きたように崩れ落ちた。

 大量の黒蛇が、地面という地面に散乱する。おぞましく飛び跳ね蠢いていたそれらは、今は死んだように動かない。

 男の支配から強制的に剥がされたことで、気絶しているようだった。

 浅影瑠鋳子は、その地獄絵図の中央に一人立っていた。

 彼女の手には、何かが握られている。

 白い蛇だった。

 キィ、キィ、と鳴きながら、少女を睨みつけている。


「昨日と同じ手が通じると思わないことね」

『あぁ、こいつは俺のミスだ』


 白い蛇から、男の声が響いてくる。

 言うまでもなく、この蛇こそが男の本体であった。


「さぁ、霖雨の居場所を吐いて貰おうかしら」


 少女は残酷に、蛇を握る力を強めていく。


『い、痛いぜ……嬢ちゃん。こんなに小さくてか弱い生き物をいじめるのかい?』


 色相応に、白々しい懇願だった。

 コイツはまだ、減らず口を叩ける余裕があるのかと、浅影瑠鋳子は感心した。

 ぐり、と蛇の頭を強く握り込む。

 苦悶の喘ぎが、無理矢理押さえられていた口から漏れ出た。


「私と愉しみたかったんでしょ? じっくりシゴいて()かせてあげるから、感謝しなさい」

 

 瑠鋳子が、嗜虐的な笑みを浮かべる。

 大蛇の男の生殺与奪は、今や、少女の小さな手の中に握られている。


『あぁ………感謝するぜ箱入り娘─────最後の最後に、詰めが甘くてよ』


 ──その更に外側から、生殺与奪を握られていたとしたら。

 

 もし、この山全体が、虫籠の中だったとしたら──────


「─────────!」

 

 反射的に、両手を空に翳した。

 山勘による全く同時の、最上級の防御術式が展開され─────

 再び、世界は眩い光に包まれた。

 轟音。

 空から、裂け目かと思うほど漆黒の、巨大な稲妻が迸った。


「あぁ、そうだったわね───」 


 少女が、地面を睨み付けながら言う。

 視線の先には、少女の手から逃れた白蛇がいた。


「アンタのお仲間についても訊きたいことがあったんだっけね」 


 不意打ち気味に放たれた、空からの無慈悲な黒雷を、少女はそれでも無傷で凌ぎきった。

 

『マジかよ………だが、ようやく背中を晒してくれたな』

「!」

 

 つまるところ、この奇襲すらも『つなぎ』でしかなかったのだ。

 ──背後に、何者かの気配が一つ。


 暗殺者とは、標的に気づかれないように抹殺する者達ではない。

 どんなに優れた殺し屋でも───たとえ新矢志輝ですらも、殺す直前には殺気が漏れ出てしまう。

 であるならば、優秀な暗殺者とは一体どういう存在か────


 ──察知したところで、対処できない。


 たったそれだけの、単純にして根元的な物事に他ならない。


 音叉を利用した魔術師特化の攻撃。

 土地からの守護の剥離。

 これによる味方側の撹乱と孤立化。

 昨日戦った、分かりやすい敵による奇襲と戦闘。

 黒いドームによる感知妨害。

 そして、空からの不意打ち。

 

 すべてが、この瞬間の為にあったのだ。

 

 ──黒雷の矢が、浅影瑠鋳子の背中に直撃した。


 一瞬、気を失った───ような気がする。

 次の一瞬には、目の前に迫る黒い尾が見えた。

 抵抗すら出来なかった。


『──()(せん)(らい)(こう)(べん)


     ◇


「ぐ………あ、く──────」


 少女は、固く、冷たい土の上に倒れていた。

 ざく、ざく、と霜を踏み砕きながら、誰かがこちらに歩いてくる。

 それに、瑠鋳子は形容できぬ違和感を覚えた。

 背中が焼けるように痛む。

 それが魔術的な影響によるものか。今の彼女には、それを考える程の余裕はなかった。

 初めて知った土の味。

 自分がここまで打ち負かされたのは、それこそ後にも先にも────

 

『お前はよくやった方だよ、浅影瑠鋳子』 


 耳元で、白蛇が囁く。

 

『こんなだけの人数から多勢に無勢(リンチ)を強いられて────正に大健闘さ』


 気配を感じ、うつ伏せのまま、ふと見上げた。

 誰かがいる。

 視界がクリアになっていき、輪郭が顕になっていく。


『褒美といっちゃあ何だがよ。お前からの要望、二つとも応えてやるよ』


 一言で表すなら、黒い女だった。

 女物の革ジャンにレザーパンツを着こなし、シャツも下着も来ておらず、肌が見える筈の部分は全て包帯で包まれていた。そしてそのどれもが、吸い込まれるような黒色をしていた。

 だからこそ、必然として視線は女の顔に向かってしまう。

 女は面を被っていた。

 白くのっぺりとした輪郭に、怒っているのか、哀しんでいるのか、笑っているのか、感情が判然としない、もしくは多くの属性をその内に孕んでいるかのような表情。

 泥眼という名の女面だった。


『紹介するぜ。俺の協力者にして、今回の襲撃計画の立案を行った首謀者─────』


 女が、面を取る。


「あ───────────────」


 肺から、空気が抜けていく。

 まるで空洞になったかのように、頭の先から足の先まで、あらゆる筋肉が弛緩していく。

 今までの全てが、音を立てて溶け崩れていく。


『──(なる)(かみ)(りん)()さんだ』


 幻覚か。

 幻影か。

 それとも幻術か。

 

 ──その、どれとも違っていた。


 何度も、何度も、何度も───再会を切望した筈の(ひと)が、そこにいた。

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