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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
25/25

第二十五話 霹靂 ①

 その日の夜は、いつにも増して冷え込んでいた。

 身を震わせながら、廊下を小走りに『彼』の部屋に入った。

 火か風の元素を利用した魔術であろうか、暖房をつけていないにも関わらず部屋の中は暖かい。

 文机の小さな照明が、頼りなく部屋を照らしている。

 ぼんやりと赤く染まった世界で、彼はいつもの日課である能面作りに勤しんでいた。

 鳴上(うち)と能面は、魔術的にも文化的にも深い関係がある。趣味と実益を兼ねた日課は、効率主義的で何とも彼らしい。次期当主としての自覚が、彼をこうさせるのだろうか。

 私の存在には気づいているのだろう。ともすれば、私から来るのを待っているのか。

 座っていても高い彼の背を、後ろからそっと抱き締める。彼は抵抗するばかりか、警戒する素振りすら見せず、私の腕を受け入れていた。

 背中に身を預け、胸元でそっと体重をかける。

 どうということはない。私のペースに乗せるための、単なる下拵え(ジャブ)だ。


「──なんだ、来ていたのか」


 腕の中の男が、落ち着き払った様子で尋ねる。

 夜這いを受けた側にしては、極めて紳士的な対応だった。他の男ならば、この時点で理性など吹き飛び、欲望のままに私を貪り尽くしているであろう。それだけ、目の前の男が『こういった事』に慣れている証左でもあった。

 しかし、悟りへと至っているわけではない。

 どれだけ経験を積んだとしても、男である限り女を意識せざるにはいられないのだ。その証拠に、娼女(しょうじょ)の『強化』された耳には、男の心臓の高鳴りがつつがなく聞こえていた。


「ふふ。そんなことを言って、とっくに気づいていらしたでしょうに」


 首元から鎖骨にかけて指を滑らせ、秘中へと下ろしてゆく。

 とくん、と一際大きな鼓動が鳴り、彼の呼吸が一瞬だけ止まった。


「──随分と、張り詰めていらっしゃいますね」


 男の逞しさを指先で感じながら、耳元で色っぽく囁いてみる。

 耳元でわずかに身じろぎし、息は次第に浅くなっていく。

 もう何十人も女を抱いてきただろうに、私の前では未だ可愛い反応を見せてくれる。


「ここ数週間は夜が静かだったらな」

「それは申し訳ありません。最近は特に忙しく」

「いや、構わんよ。むしろ、喜ばしいことじゃないか。多くの任務を任されるということは、それだけ腕を買われている───期待されているということだ。君は出世したいんだろ? このまま順当に任務をこなして経験を積んでいけば、キャリアに関してはまず安泰な筈だ。まぁ、君が出世にこだわる理由にもよるだろうし、上り詰めていくことが必ずしも君の幸せに繋がるかどうかは分からないがね」

 

 彼は向き直ると、私の肩を強く掴んだ。

 どこか儚さを感じる端正な顔立ちは、今や紅く融け崩れている。

 熱を帯びた眼差しが、身体より先に交わった。


「だが、少なくとも女中に堕ちるなんてことはないだろうさ。というか───」


 抱き寄せられる。

 彼の体温が、息づかいが、心臓の高鳴りが、すぐ間近で感じられる。

 ただそれだけで、私の心を暖かいものが満たしていく。


「──俺がさせない」


 そっと、優しく押し倒される。

 彼の身体は逞しく、ただ眺めるだけで腹の奥底が熱を帯びた。


「さっき、言いましたよね。上り詰めることが、必ずしも私の幸せに繋がるかは分からないって」

「あぁ、」


 それは返答だったか、それとも吐息だったか。


「──口ごたえをお許しください」


 再び、視線が絡み合う。

 次に、吐息が交り合う。

 ならば最後は───


「私は───今、とても幸せです」


 心が、繋がり合うべきだろう。


 ──二つの影が、重なった。


     ◇

 

 ──最初は、心を殺して身を任せていた。

 物心ついたときから、父からは事あるごとに暴力を振るわれ、兄には毎晩のように言い寄られ、男という生き物に対し、ネガティブなイメージしか持てなかった。親戚の者達も、私を尊重してくれる者は一人もいなかった。

 少なくとも、私がいるこの小さな世界(はこ)には、優しい男の人などいないと思っていた。

 実際、私の初めては酷いもので、魔術師同士の経路(パス)を繋げる修練だとかで、年配の上級術師に有無を言わさず純潔を散らされたのだった。

 これ以上、尊厳を踏みにじられて溜まるか。

 そう一念発起したこともあったが、対して才があるわけでもない私は、結局落ちぶれていった。

 その後も様々な悲劇を経て、苦心に苦心を重ね誇りも腐りかけていた私は、とうとう禁忌としていた枕営業に手を染めたのだ。そして案の定、見下していた女中と同様に無様に弄ばれ、とっくに磨耗しきっていた私は、いつの間にか屍のように事に当たるようになっていった。

 

「葉純……!」

「………翔琉……………さん─────────」


 そんなとき、私は彼に───鳴上翔琉(かける)に出逢った。

 最初は他の男と同じだろうと、流れ作業のように接していたが、すぐに違うと分かった。

 そして今では、この通りだ。

 彼とこうしている時だけ、私は自分が女として生まれてきたことに、少しだけ感謝出来るのだ。


「俺は、自由を愛している。最近、そう思うようになってきたんだ。一ヶ月前の潜入捜査、ちょうどそのときからだ……………なんでかな、現在(いま)に満足できていないんだ」

「『相伝呪刻』のことに関しては、私も残念に思っています。当主になれても、女でなくては継承することが出来ない」

「わかっている。納得もしている。魔術の世界だ。理不尽なことなんていくらでもあるさ。だが、俺はどうにも魔術が好きらしい。家系の最奥に、一度でもいいから触れてみたい」


 その半年後、鳴上翔琉は刻印保持者に暴行を加えたとして、懲戒処分が為された。

 屋敷から彼の姿は消えた。

 三年ぶりに、鳴上葉純の人生は冬の時代に突入することになる。


     ◇


「ガハッッッッ!」


 黒い少女の身体が、空中を数メートルに亘って勢いよく吹っ飛び、大木にぶつかると地に伏した。


「ぐぅ……ふうぅぅ……」 


 倒れた少女が、低く唸る。がなるような声は、分厚い雷雲の奥から響く雷鳴にも似ていて、少女をより一層雷神めいたモノに仕立て上げていた。

 影が射す。黒いヒトガタに、ヒトガタの黒が重なる。

 桜羽織の少女───絹幡蘭が、黒雷を纏った少女を見下ろしている。そのかんばぜには、内に抱える葛藤と苦悩が、深い皺となって眉間に浮き上がっていた。

 がばりと、鳴上葉純が面を上げる。四肢を縛られ身を捩らせながらも、絹幡を鋭く睨めつける。


「邪魔を……するなァ───!」


 身体を波のようにしならせ、葉純が跳ね起きる。流石は鳴上の出か、驚異の運動神経だ。

 彼女を縛った時は、地面に縫い付けられたように身動き一つとれていなかった。しかし、今はどうであろうか。魔力を絶えず内から捻出し、『布』に施されている身体硬直の術式に抗っている。

 もう既に、ある程度の自由を取り戻しつつあった。

 とはいえ、彼女が追い詰められていることに変わりはない。

 黒雷の羽衣を編み上げている稲妻は、先程よりも密度が極度に薄まっている。身体を縛る『布』が、黒雷の魔力を吸い上げているのだ。『布』を纏って強化された絹幡の打撃を、みぞおちに受けてしまったことも響いているようだった。

 絹幡が、細く白い指を向ける。同時、三本目の『布』が、葉純の身体を背後の大木に縛りつけた。

 

「──瑠鋳子ちゃんのところに行きましょう。きっと、話を聞いてくれる筈です。」

 

 詰みであった。

 物理的・魔術的な『力』で縛り上げられ、身動き一つ取ることも敵わず、更には三つの『布』に魔力を吸い上げられ、黒雷の加護も完全に剥がされつつある。

 敗北の二文字が浮かぶ。

 あまりの苛立ちと悔しさから、葉純は発狂してしまいそうだった。

 葉純にとって絹幡は、勝って当然の相手であった。無論、絹幡蘭という人間そのものを軽んじていたわけではない。むしろ、彼女の気配りや観察眼は目を見張るものがあったし、だからこそ浅影家で工作をする上で、最大限の警戒を要する相手であると評価していた。

 しかし、こと魔術戦に至っては、驚異とは言えないというのが、今日までの葉純の認識であった。

 絹幡は基本的に、例装の拵えや儀式の補助をする役割で、直接戦闘を行う魔術師ではなかった。幼少の頃から、魔術戦に特化した鍛練を積んできた葉純にとって、搦め手で多少手こずりはすれども、まず負ける筈のない手合いだったのである。

 少なくとも、この瞬間(とき)までは。

 この戦闘では、徹頭徹尾「どれだけ早く殺せるか」しか考えていなかった。罷り間違えても、自分が敗北するなどあり得ないだろうと、そう踏んでいた。

 一体、どこで取り違えてしまったのだ。

 油断も慢心も無かった。正面から全力で、一切の余白なしに命を取りに行った。

 (なんで負けた……戦力は圧倒的にこちらにあったというのに!)

 葉純にとって、この戦いの決着は予想だにしないものであり、また受け入れられない絶望であった。

 絹幡がこちらに歩いてくる。目の前にまで近づいてくると、すっと手を差し出した。


「大丈夫です。私たちは……私たちなら、きっとやり直せます。私も、屋敷の皆も、葉純ちゃんのことを理解できるように頑張りますから。何かあったら、私が葉純ちゃんを庇います。それでも罰せられるのなら、私も一緒に背負いますから! だから……もうこんなことはやめにして、一緒に屋敷に戻りましょう……………ね?」

「──知ったような口を利くのはやめてください。私はここから出たいんです。出なければならないんです。私は私の人生を生きたいんですよ………………なぜ、何故それを邪魔するのですか!」   


 最早、ただ思いを感情のままにぶつけているだけだった。

 ヒステリックな咆哮を上げながら、葉純は魔術回路を全力で駆動させ、魔力を精製する。

 身体に纏わりつく絹幡の魔力を、精製した魔力で洗い流す。

 間接的な魔力の流れは、直接的な魔力の流れに書き消される。ある種の魔術師ならば、よっぽど魔力量に差がない限り、たとえ燃焼の術式(のろい)をかけられたとしても、自身の魔力で解呪することが出来る。

 しかし、電気(まりょく)を吸い上げられてしまうこの状況下では、その一般論(セオリー)は通用しない。

 絹幡の魔力と、葉純の魔力が拮抗する。

 哀しきかな。力の均衡が崩れるまでに、数秒とかからなかった。

 再び、絹幡の魔力が葉純を支配し始める。

 それでも、葉純は諦めきれなかった。

 鳴上の経路(パス)を介して、接続した『相伝呪刻』から『力』を引き出す。一種の喚起によって、呼び起こされし雷神の名は『黒雷神』。

 地上全土を闇に染める、暗雲を象徴する八雷神の一角。

 葉純の魔術は、引き出した雷神の諸力を、電気に変換した葉純自身の魔力で制御する方式を採る。

 一握りの実力者は、自身の魔力を雷神の力に上乗せし、様々な特性や概念を付与することが出来るそうだが、葉純はカタチこそ自在に変えられはすれ、まだその境地には至っていなかった。

 (『布』の内側から一点集中の雷撃を打ち込む……! 下手したら私もタダでは済みませんが………)

 それで十分。

 魔力を練り上げ、『布』の内側に収束させていく。纏った羽衣の黒雷も、リソースとして使う。魔力を吸い上げられたならば、更に上から捩じ伏せよう。

 やれる。最後まで、足掻いて足掻いて足掻いて足掻いて、足掻き抜いてやる。絹幡蘭という女にだけは、死んでも屈するわけには行かないのだ。

 火花が散る。冬季の乾燥と放出される電気の高温で、葉純をくくりつけている大木が引火する。


「まだです! まだ終わってない!」

「やめてください葉純ちゃん! そんなことしたら、葉純ちゃんだって───」

「自由には代償が伴うんです。これぐらい、釣り合いにもならない!」


 限界以上に回転する魔術回路は、次第に熱を帯びていく。

 痛い。

 熱い。

 重い。

 息が苦しい。

 けれど、自由という甘美の前には、簡単に捩じ伏せられる些末事でしかない。


「ひ、ひひ、ひははははははははははははははははははははははは!」


 葉純が嗤う。少女の口から出ているとは思えぬ程に、その声色は不吉だった。

 炎と黒雷に包まれ、ただひたすらに狂気を垣間見せる葉純の姿は、火刑に処される魔女のようでもあり、荒ぶる炎の鬼神のようでもある。

 熱に歪められたか、それとも、それこそが本性なのか。彼女の顔は、人とは思えない形相だった。

  

「葉純ちゃん……!」

 

 結局、こうなってしまうのか。悔しさと悲しさで、胸が張り裂けそうだった。

 私は一体、どこで、どう選択を誤ってしまったのだろう。どう向き合うべきだったのだろう。

 自分はどうやっても、蚊帳の外にいる無辜の人でしかないということなのか。今更、何かを成そうとしたところで、世界の歯車と噛み合うことはなく、指の先から零れ堕ちていくだけだとでも。

 視界という視界が、熱く霞んでゆく。まばたきをすると、大粒の雫が頬へと滑り落ちた。


「私は、ここから出るんだ……! 全てが、境界へと沈んでしまう前に───くふ、くふふふふふふふふふふ! そ、そ、そしたら、か、翔琉さん…………貴方の元に必ず参ります………たとえ、この身を焦がすことになったとしても!」


 その瞬間だった。


「──いや、その必要はない」

 

 刹那。

 絹幡は確かに、背後から響く何者かの声を聞いた。

 それは、ひどく聞き慣れた声色で───


 衝撃。

 轟音。

 そして、暗転。


「が、は───────────────」

 

 絹幡の意識は、急速にブラックアウトしていった。


     ◇


「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ………!」


 白い影が、山道を転がるようにかけ下りてゆく。

 今の葉純に、先程までの冷静さはない。

 術師としてのタイムリミットが近づいている焦りよりも、最後まで絹幡の呪縛を解くことが出来なかったという、人としての屈辱から来るものであった。

 

『後はこちらで処理しておく。貴女は好きにするといい』


 黒い包帯で全身を包んだ、仮面の女の言葉を思い出す。

 鳴上家の当主代理(・・・・・・・・)様が直々にそう仰っているのだ、私は晴れて自由の身ということなのだろう。

 事実上、私は鳴上家からは勘当されたということになる。その証拠に、先程から何度も試しているが『相伝呪刻』への接続が出来ない。

 鳴上の神と結んだ経路(パス)が、完全に断たれたことを意味する。

 これは契約破棄ではなく、契約満了のサインだ。

 指令(オーダー)が完遂されれば、鳴上の術師としての特権を失う変わりに、誰もが幼少期に刻まれる『鳴上家への忠誠・服従』を強制する呪印が、効力を失うようになっている。


「は、は、はは、あはははははははははははは!」

 

 自由。自由だ。私は自由になったんだ。

 心なしか、体は急速に軽くなっていく。それこそ、この勢いのまま跳び跳ねれば、空へと飛び立てそうな気がする程に。

 自分の人生すべてが、この時の為に存在していたのだ。この為だけに存在してきたのだ。

 鳴上の術師になる為の厳しい修練も、好きでもない男達に身を委ねたのも、浅影家に潜り込み今日まで信頼を勝ち取ってきたのも、すべては鳴上家から解放され自由を得る為であった。

 今まで少しづつ積み重ねてきたすべての布石が、この瞬間に結実する。

 木々の間をすり抜け、岩から岩へと飛び乗って、鍛え込んだ体術すべてを駆使してかけ下りてゆく。

 一歩間違えれば、野生動物でも滑落死し得る急勾配。鳴上家での身体訓練と比べれば、こんなものはアスレチックの範疇内でしかない。

 その技術も、もう使うことはないのかもしれないが。

 一先ず、今いる山道を真っ直ぐ下りていけば、公道に出られる筈だ。そこから街へは、どこかで適当にタクシーを捕まえれば、さほど時間をかけずに到達できるだろう。

 結界の影響を受けるのが敷地のみである以上、公道に出さえすれば後はこっちのものだ。

 木々の間から、灰色のアスファルトが見える。ゴールが近い。

 

 (待っていてください、翔琉さん………必ず貴方を探し出して、今度こそは貴方と……)


 その時だった。

 視界という視界を、(まばゆ)い閃光が覆い尽くす。

 大気を引き裂き、大地を穿つような轟音と共に、凄まじい衝撃が内蔵を揺さぶっていく。

 地面が、急速に起き上がる。

 自分が倒れていることにすら気づかずに、鳴上葉純の意識は闇へと沈んでいった。


     ◇


『──へぇ』


 ()は、闇の中にいた。

 闇の中で、すべてを見ていた。

 この瞬間を待っていた。


『誰一人逃さねぇってか。徹底してるねぇ、あの爺さんは』


 闇の中で男が嗤う。

 しーしーと、続けて蛇達が唸りを上げる。

 うぞうぞと蠢く蛇達が、より集まって黒い輪郭を作っていく。

 やがてそれらは人の形に結ばれた。

 濁ったような緑の左目と、褐色の肌が特徴的な青年だった。

 いや、もっと特徴はあったかもしれない。

 男の全身は、大小様々な切り傷だらけだった。


「今日は、いつにも増して(きず)が疼く」


 青年がそっと右腕を擦ると、青白い光を帯びた『蛇の目』が浮かび上がった。

 その紋様こそ、失われたとされた蛇草の『相伝呪刻』であったか。どうやらそれは、青年の肉体に馴染んでいないようで、光が波打つ度に焼けるような痛みが青年を蝕んでいた。

 しかし、それも今夜までだ。

 ある種の呪術によって、幾千幾万に分化した自らの黒蛇(しょっかく)。その何匹かを使って外の様子を伺う。

 気味が悪い程の静寂だが、既に計画(こと)は始まっている。

 雷鳴と地響きが聞こえてから、浅影家(とち)霊脈(ちから)が急速に萎んでいくのを感じる。一番懸念していた『大規模攻撃術式』は、無事に成功したようだった。

 北風が、ごうごうと吹き散らす。

 行き場所を失った魔力が、水面に揺らぐ月のように澱んでいく。

 空に蓋をする叢雲は、土地を押さえつけるように、鉛色の天幕を地平まで垂らしている。

 

「──絶好の復讐日和だ」


 蛇草の残穢は、白い歯を剥き出しにして獰猛に嗤ったのだった。


     ◇


 土御門一行は、雁崎家が所有するワゴン車に乗って、浅影本家へと向かっていた。

 時刻は、午後三時をちょうど過ぎた辺り。

 冬至を過ぎて、もう一月以上が経つ。日も徐々に延びてきているのか、少し前と比べても随分明るくなったものだ。正月の今くらいなら、もうとっくに日が傾き始めている頃合いだろう。

 かといって、明るいかといえばそうとも言えず、むしろ暗いとすら言っても良いかもしれない。

 窓越しに切り取られた景色は、何だかどんよりとしていて重苦しい。

 空に覆い被さる灰色の雲。

 墓標のように立ち並ぶ、小さな鼠色のビル郡。

 遠くに聳える名も知らぬ黒い山々。

 どれもこれも、まるで自分達の色を忘れてしまったかのように、ただ無気力に過ぎ去っていく。哀しいかな、元から色なんて、これっぽっちもなかったというのに。

 そんな寂れた街並みを、土御門有雪はどこか他人事のように、ぼんやりと眺めていた。こうして意識を逸らさねば、居た堪れなくなってしまうように思えたからだ。

 ついさっき、浅影家の事情について、雁崎の当主代理から聞かされたところだった。

 儀式のこと。

 神のこと。

 十三年前の事件こと。

 そして、人身御供のこと。

 明かされた真実に、この場に同乗する誰もが口をつぐんだ。それからは、ずっとこの調子だ。

 珍しく、雰囲気なんていうモノに当てられてしまったのか。それとも、自分みたいな人間にも、おセンチな一面があったのか。基本、陽の者寄りであると自負している土御門も、今回ばかりは自分から会話を切り出す気にはなれなかった。

 まぁ実際、それが『普通』の反応ではある。

 人身御供なんて、一般社会では到底容認され得ないことだ。当たり前だった昔と今とでは、価値観が致命的なまでに違ってしまっている。そんな現代人が、とある家では人身御供が未だに行われている何て知ったら、きっと頭を殴られたような衝撃を受けるだろう。

 しかし、この業界の風土に慣れてしまうと、どうも凄惨な物事に免疫がついてしまって、こういった所業を知っても、あまり驚かなくなってしまう。

 あぁ正に、志輝が言っていた「『異常』にやられる」というのは、こう言うことなんだろう。

 あり得ざる『異常』に触れすぎて、あるべき物差しを忘れてしまう。歪んだ焦点(ピント)では、どう眼を凝らしても"当たり前"とすれ違ってしまう。

 存在論的不適合。

 ひょっとすると、志輝は常にそれと戦っていたのかもしれない。志輝の『眼』は後天性であり、少なくとも"開いてしまう"以前は、多少霊感のある常人と相違なかった筈だ。普通だった世界を知っていた志輝にとって、視界だけでなく自分すらも変わってしまうことは、何よりも恐ろしく思えただろう。

 毎度のごとく、俺達の活動に釘を刺していたのも、自分のような常識を喪失してしまう苦しみを、味わわせたくない一心だったのかもしれない。

(───いや、マジでさっきから何考えてんだ俺は。志輝が本当にそう思っているかなんて、本人しか知りようがないってのに。傲慢が過ぎるってもんだろ……)

 さっきから、志輝の事ばかり考えている。

 やはりここ二日間、通話以外で新矢志輝を摂取できていないことが、一番響いているようだった。


「う~ん。なかなか、天気がすぐれませんね」


 沈黙を破って呟いたのは、小学生程の年齢の少女───仔社玲奈だった。

 助手席から、ひとり不安そうに呟く。

 やはり、子供というのは光なのだ。たとえ闇の世界で生きることを約束された魔術師であっても、同じこと。こういった陰鬱な空気の中でも、迷わず切り出すことができる。

 

「ここら辺りの地方では、冬はよく雪が降ります。水を多く含んだ空気が、北西からの季節風によって運ばれてきますから。都市部はそこまでですが、山地が近いここは本当によく降るんです。」


 運転席からだった。


「学校で習いましたよ! 確か、海の水をたくさん含んだ空気が、山を越えるときに冷やされて、雪として降るんですよね!」

「そうそう、よく勉強していますね。ちょっと補足すると……雪は、ほとんど山陰側で降ってしまうんですが、冬型の気圧配置の具合で寒波が強かったりすると、雪雲が山を越えてくるんです。他にも、山に切れ目があったりすると───」

 

 仔社の問い掛けに真摯に答える、見目麗しい女性の名は雁崎しのぶ。 俺達を出迎えてくれた圭子氏の実の孫であり、現在、雁崎の『相伝呪刻』を継承している実質的な当主だ。

 少なからず役に立てるだろうという圭子氏の強い推薦の下、こうして俺達に同行してもらっている。

 このワゴンも彼女が運転しており、事実上俺達の生命線となっている。

 彼女と談話している仔社の顔は、何だか楽しそうだ。

 同性の話し相手ということもあるのだろうが、話運びが巧みでふとすると聞き入ってしまう。きっと面倒見のよい女性なのだろう。下劣ながら悪くはないな、と思った土御門であった。

 (それにしても……雪、ときたもんだ)

 名前に入っているからか、土御門にとっては何かと縁深い。縁と言っても、因縁に近いが。

 土御門のアパートがある白尾町(しらおまち)は、霜枝市の中でも指折りの豪雪地帯として知られている。冬になると、日本海の水をたっぷりと含んだ雪雲が、地面という地面を一面白銀に染め上げてしまう。積雪量は二メートルを優に越えることもあり、その度に現地住民はそれなりの苦労を強いられている。

 大家に頼まれて、屋根の雪下ろしを手伝ったことが何回かあったが、肉体労働というよりは命懸けの駆け引きに近く、最初の頃は滑り落ちてきた雪の下敷きになり、何度も死にかけた。

 天性の肉体に裏打ちされた身体能力がなければ、なんでもない日常の最中にお陀仏だったろう。

 雪下ろしを毎年のように行っている現地住民には、ある種の畏怖を覚える。越してきてまだ一年も経っていないが、何十年と暮らせばそういったことは慣れてしまうものなのだろうか。

 そして雪という気象はもう一つ、土御門という人間にとって非常に重要な意味を成している。

 三年前の冬。

 しんしんと、静かに雪が降る夜のこと。

 黒と白の狭間で佇むその姿は、この世のものではないと思う程に美しくて───


「雪か……どうにもキナ臭くていかんな」


 隣に座っていた黒須が、水底に沈んだ石のように低く呟いた。

 相変わらず、黒いライダースーツに黒い革ジャンと、全身黒ずくめを徹底している。この暖房が効いたワゴンの中でも、そのスタイルを崩すことはないらしい。

 まぁ大抵の魔術師ならば、発汗機能の調節くらい『強化』を使えば造作もない。こいつも殺し屋とはいえ仮にも魔術を嗜む者なら、それぐらいは出来て当然の芸当だ。

 それにしても、獅子身中の虫とまで評価した男と、結局ここまで同行することになるとは。

 黒須本人によると、どうやら浅影の屋敷に会いたい人間がいるらしい。

 目的が一致していることと、戦力的にこのまま解放(リリース)するのも危険との判断で、仕方なく一時的な同盟関係を結ぶことにした。

 そして今、助手席に仔社ちゃんを置き、自分と黒須は後部座席に座っている。

 無論、武装の類いはボディチェックで全て没収済みだ。銃が使えない以上、あの変態的なスナイプ技術は封じられる。幾ら咬合力が高くとも、牙のない口では獲物を噛み千切ることは叶わない。魔術に関しても同じだ。この距離なら黒球も発動前に潰せるし、未知の術式も数の利で抑え込める。

 少なくとも、黒須側から仕掛けてくることはない筈だ。

 そしてそれは、こちらも同じ。

 抑え込めるとは言っても、刺し違える覚悟で暴れられれば、この密閉空間では自分達も無傷では済まないだろう。特に今は、その痛手が致命の一刺しに成り得る。

 極論を言ってしまえば、このワゴンを破壊されるだけで実質的に詰みだ。

 こんな山道では、タクシーなど呼べる筈もない。仮に呼べたとしても、あまりにも時間がかかりすぎてもう一つの意味(・・・・・・・)で詰みだ。残されたタイムリミットは、それ程多くはない。ここから浅影の屋敷までまだ百キロ以上はある。いくら超人な魔術師でも、たった数時間での百キロ走破は不可能だ。

 こういった諸々の事情から、俺達も黒須の扱いに慎重にならざるを得ない。

 相互確証破壊。

 互いに引き金に手を掛けながらも、それ故に引くことが出来ない薄氷の同盟であった。


「──キナ臭ェのは、この状況だっつーの」


 土御門が、小さく悪態をつく。声は前の座席に届くことはなく、談笑に書き消されていった。


「異論はない。仔社と雁崎の当主に、男が二人───それも、一人はあの土御門の分家の当主。もう一人は、その命を狙いにきた殺し屋だ。魔術師の同盟でも、これ程奇怪な組み合わせはあるまいさ。まぁ最も、ただの体の良い掃除屋でしかない俺では、君の異質さには見劣りするがね」

「……ぐぬぬ…………言うじゃねぇか」

 

 不覚にも、的を射た意見に唸らされた。確かに、言われてみればその通りだ。

 土御門家は『陰陽連』においても日本の魔術業界においても、非常に重要なポジションにある。

 何せ、かの安倍晴明の直系であり、陰陽師達の実質的なトップであるのだ。比較的影響力の低い分家筋とはいえ、その当主がこんなところに首を突っ込んでいるのは、他の魔術師の目には不吉に写っていても可笑しくはない。特に、当主でありながら勘当されているという、この歪な状況下では尚更だ。

 今更になって、言葉とは呪いであるのだとつくづく実感する。

 黒須に向けて放った皮肉が、そっくりそのまま自分にも返って来てしまったのだった。

 

「け、けどよ、それ(・・)を加味しても、お前と並んで扱われる謂れはないと思うけどなぁ。警戒されてンのはどう考えたってお前の方だぜ」


 土御門は、窓の外を過ぎ去る景色の奔流を眺めながら、ねっとりと異議を唱えた。

 異議と言っても、実態は重箱の隅をつつくような詭弁(もの)で、決して意義のあるものではない。

 当の本人である土御門も、それは重々理解していた。

 理解した上で、そう嘯いたのだ。

 陰陽師としてのなけなしの矜持と誇りが、自身と黒須を同一として扱うのを拒んでいた。或いは、タダでは納得したくなかっただけなのかもしれない。

 もし少年が素直な男であったなら、勘当されてまで志輝を追ってここまで来る筈がない。

 往生際の悪さ。それが、土御門有雪という魔術師(ひとでなし)意思(けつろん)であったのだ。

 そして奇しくも、今の土御門の醜態は、逢魔坂に言い詰められた新矢志輝の姿に確かに見紛った。


「そこは理由次第だがな。君は何故、本部から離れてまで逢魔坂に手を貸している。京都に戻って研究に勤しんでいれば、君ほどの才の持ち主ならものの数年で成果を挙げられる筈だ。その出世街道を蹴ってまでついていく魅力が、今の逢魔坂にあるとは思えん」

「──随分、がっついてくるじゃねぇか」

「立場に恵まれなかった身でな。お前のような人間の心理が知りたい───のかもしれん」


 ふぅと、黒須が深く息をついた 腹の奥底から押し出されたような音には、幾つもの黒い情念がない交ぜになって濃縮されているようだった。

 恐らく、彼には彼でまた複雑な事情があるのだろう。魔術使いなんて、大概はそんなものだ。


「知りたい……かぁ……なら、やっぱ俺はお前と同じなんだな」

「なんだ、あっさりと認めるのか。それとも───」

「そのまんまの意味だっつーの。どうしても知りたいことがあっから『胡蝶之夢(ここ)』にいるのさ。少なくとも、人生全てをかけたいぐらいにはな。これは好奇心なんかじゃない───執念の類いだよ」


 声が沈んだ。

 土御門を取り巻く空気が、一瞬だけ粘ばついた得体の知れないモノへと変じたのだ。

 黒須が、ちらと視線を動かす。

 少年の瞳には、煮えたぎるような何かが煌々と揺らいでいた。少なくとも、黒須の目はそう映った。

 しかし、それもすぐに消え失せ、数秒後にはまたいつもの調子に戻っていた。黒須の方も、迂闊に触れてはならないと直感したのか、それ以上は何も言わなかった。

 前の席から、絶え間なく流れてくる話し声。

 他愛のない掛け合いのなかに、しばしば専門的な話題が入っていて驚かされる。

 二人の作り出す空気感に背中を押され、土御門は自らが作り出した沈黙を、自ら破ることにした。


「──で? お前はどうなんだ?」


 土御門が、煽るように尋ねる。


「む」


 黒須が、虚を突かれたように一瞬硬直する。元々、こういった世間話に不馴れな人種なのか、空気感の激しい変動に思考が追い付いていないのか、その顔は彫刻のようにしかめている。


「たしか、会いたいやつがいるとか言ってたが。ソイツとはどういう関係なんだ?」

「ああ、そういう話か。何ということはない。殺しに関係ない完全な私情だ。ソイツは、まだ俺が『魔術師』だったときに、贔屓にしていた術師でな。もう三年になるか。どれ程のモノになっているか、少し見ていきたくなったんだ」

「となると色恋か? お前にしては意外だな」

「……………」


 黒須が、何とも言えない表情を浮かべる。内情を言い当てられたことはともかく、何故か自分と旧知の仲であるかのような言い草に、釈然としないようであった。


「呉越同舟って奴さ。いいから教えろよ」


 はぁ、と浅く息を吐くと黒い男は語り始めた。


「心身ともに若かった頃のことだ。情欲も人並みにあったさ。鳴上(あの)家ではここ百年、重要な役職やコネクションを得るために、上役や客人に取り入ろうとする不正行為が横行している。何しろハイパーメリトクラシー、結果を出せない者にはとことん冷たい。最下層に至っては、術師どころか人間扱いすらされないという有り様だ。どんな手段を使っても、少しでもマシな場所に身を固めようとする奴は多い。そういった者達が捧げるのは、大抵が『カネ』か『カラダ』。境遇を考えれば後者一択。それなりの地位に就いていれば、基本的に女に困ることはないというわけだ。無論、表向きは実力主義を謳っているから、見つかれば即粛清だがね」


 黒須の声は、語られる内容とは裏腹に、ひどく穏やかだった。まるで、それがさも当たり前の事柄であるかのように、つらつらと事実だけを羅列する探偵のように、淡々と述べていた。


「枕営業って奴か」

「そうだ。今まで数多くの女が、快楽の押し売りをしに俺のもとへと訪れた。感受性が高い年頃だったからか、修練三昧で享楽への耐性が薄かったのか、俺は気づけば溺れていた」

「最悪だな」


 土御門はつとめて、心底軽蔑するように吐き捨てた。腹の底から零れ出た本音と言うより、ある種の意思表示といったような言い草で。

 意外かもしれないが、羨ましいかと訊かれたら「全く羨ましくない」と答える自分がいる。

 

「女ってのはさ、あれこれ趣向を凝らして、その心を射止めてこそだろ。フルコースみたいに運ばれてくるもんじゃねぇ。自分で食らいにいくもんだ。」


 誇らしげに語る土御門の言葉に、黒須は目を丸くすると続けて言った。


「驚いた。その年で、殊勝なことだ。まぁ、それが普通なんだろうが。だが……俺はいつしか、そこから抜け出すことが出来なくなっていた。手っ取り早く快楽を得られるからな。怠惰極まることだが、十年もすれば俺に『熱』をくれるだけの有象無象としか思わなくなったよ。五年前くらいから、さらにその考えが加速していった───だが、『彼女』に出会ったのもまた、その年だった。」


 特に何か恥じるわけでもなく、自らの過去を淡々とアリのままに話す黒須。

 自分は体の言い殺し屋だと、こいつは言っていた。

 その言葉から察するに、プライドだとか信念といった青臭いものは、とうに腐ってしまっているのだろう。闇の世界に生きるなかで、時の流れと共に磨耗していったに違いない。

 だからこそ、土御門はそれ(・・)に驚き、それ(・・)の尊さにうちひしがれた。

 男の瞳を見ると、未だ淡い光が宿っている。

 それは希望などではなく、所詮は網膜に焼きついた過去の情報(ざんぞう)でしかないのだろう。

 遠い昔の記憶に想いを馳せる。

 そうすることでのみ存在できる。否、そうしなくては存在できない、温もりとすら言えぬ形の良い幻想(ますい)に他ならない。

 現在(いま)の痛みを散らす麻酔───そう聞くと、どことなくマイナスなイメージが出てきてしまう。

 けれど、自分はそうは思わない。

 辛いときこそ、思い出す。そうでなくとも、ふと目を閉じれば思い出す。そういったものは、とうに過ぎ去った過去の残滓でしかなかったとしても、確かに心に残る宝物なのだから。

 卑しくはあれど、悪徳とは言い難い。

 この時だけは、土御門も黒須へ抱いてきた嫌悪を忘れ、彼の言葉に真摯に耳を傾けた。

 

「彼女は、見てくれから他の奴らとは違っていた。ここまできて、また更に卑しいエピソードを付け加えなくてはならないのだが、最初に目を奪われたのはその美しさだった。」


 黒須の顔が曇る。


「勿論、外見(ガワ)の話だ」


 後から形成された価値観か、過去の自身を糾弾する。誰しもにある、心の成長痛だった。


「別に、ごく一般的な話だ。世の中に溢れかえる綺麗事と同じくらいには、面食いは多いさ。そこからどうアプローチするかっていうのが問題だからな。理由はどうだって良いんだよ」


 土御門がきっぱりと言う。

 人が人を好きになるのに理由はいらないとは、昔のドラマだかでよく聞くカビ臭い謳い文句だが、土御門の考え方はある意味その対極に位置していた。

 端的に言えば、本人の言葉通り『どうでもいい』のである。

 理由の有無を重要視しない、理由にそこまでの意味や価値を求めない在り方。

 土御門が見ているのは、その先だ。 

 好きな人間と、どういう関係を構築していくのか、どうやって自らの色に染め上げるのか。白髪の陰陽師は、そういった駆け引きに情熱を注ぐ男であった。

 土御門の言葉に安堵したのか、黒須の表情が少しだけ和らいだ。


「そう言ってくれると、こっちも楽に話せる」


 ほんの少し前まで殺害対象だった男に、何故ここまで赤裸々に語れるのかは分からない。

土御門(おれ)は特に自分の過去を明かしたつもりはないから、単なる質問に答えてくれた返礼───というわけでもなさそうだが。

 あくまで、協力関係を築く上での処世術と言ったところだろうか。

 共感はしても、同情はしないように努めよう。


「当時の俺は十六、『彼女』は十三だった。自分より若い女が来たのは、初めてのことだった。最初のうちは、顔が良いと思う程度だったが、仲が良くなるにつれ、徐々にそれ以上の何かを彼女に求め始めていた」

 

 正直、馴れ初めから話してほしかった気もあるが、これもまたよし。

 男女の付き合いは、中盤になってからが本番。深みが増していく時にこそ、男の真価が問われる。

 最初は、顔目的で相手をしていただけの、名も知らぬ少女。しかし、肌を重ねる度に、言葉を交わす度に、黒須少年の心は少女の不思議な魅力に惹かれていき、いつしか情欲を満たすこと以上の何かを、少女に求めるようになっていった。言語化出来ないこの熱い気持ちの名前(しょうたい)とは、少女が枕営業をしてまで為したいコトとは。泥臭くも甘酸っぱい青春の記憶が、朽ち果てた男の口から明かされ───


「終わりだ」

「へ?」


 つい、間抜けな声を出してしまった。

 

「第一章完? 新章スタート?」

「だから、終わりだ。これ以上、何か語れることはない」

「うそォ!?」


 いやいやいやいや、幾らなんでもあっさり過ぎる。

 一番肝心な、件の『彼女』との関係性がざっくりしすぎているじゃないか。


「まだ話せることあるだろ! 馴れ初めとか、掛け合いとか!」

「何年前だと思っている。とっくのとうに忘れたよ」

「そういうのって忘れるパターンあるの?」

「家族との思い出とかも、存外覚えてなかったりするだろう?」

「一週間前の晩飯とかじゃねぇんだぞ!」

 

 今までの意味深な語りはなんだったのか。気が抜けそうになる。


「それ以上の何かとは?!」

「知るか。分からずじまいのまま、家とは縁を切った」

「甘酸っぱい青春の記憶は?!」

「どこにそんな要素がある。そもそも、枕という前提を忘れているだろう。どう言い繕っても、薄汚い関係だよ。まぁ、そいつが出世できるように色々根回しはしたがな」


 はぁ、と黒須が一際大きな溜め息をつく。呆れだった。

 土御門有雪という少年は、思っていたよりもずっと人でなしであるらしい。


「でもさ。会いに行くんだろ?」

「ああ。結局どう思われているか分かったものではないが……あれが、あのとき抱いた感情が何だったのかを確かめにいくんだ……………………………………………………………たぶん両思いだったし」


 最後に何かボソッといったような気もするが、そんなことはどうだっていい。

 黒須の抱負を聞き、土御門がニヤリと形の良い口角を上げる。


「よし決まった。俺がそいつに合わせてやるよ」

 

 土御門が声高らかに宣言した。


「あ、けど、勿論俺が先だかんな!」


 そして、釘をぶっ刺した。


「男子のみんなも、ようやく猥談が終わったようですね」


 聞き捨てならない言葉が、運転席から俺達へと投げ掛けられた。

 雁﨑しのぶさんであった。

 その横には仔社玲奈ちゃんがいる。若干頬を赤く染めており、そういえばまだ小学生だったことを思い出す。魔術師だからって、下の話に慣れているわけではないのは、結構重要なことだ。

 俺達の存在は、教育に悪かったのかもしれない。いや、たぶんかなり悪い。

 釘をぶっ刺されたのは、俺の方だった。


「──それでは皆さん、これより高速に入ります。あと二時間ほどで到着しますので、もろもろの準備をお願いします。恐らくですが、到着した頃には既に『攻撃』が終わった後でしょう。完全に占拠されている可能性もあります。どこから敵が来るかわからないので、重々お気を付けを。」


 カーブミラーに写ったしのぶさんの眼は、いつになく真剣だ。

 当然だろう。これから俺達は、誇張なしの『戦場』に赴くのだから。

 そしてそこには、新矢志輝がいる。

 (志輝。頼むから無事でいてくれよ。この事件の黒幕は『蛇草の復讐鬼』だ。けど、アイツのバックについているのは一人や二人じゃない─────鳴上家『そのもの』なんだ)

 高速のインターチェンジが近づいてくる。

 土御門は静かに、これから起こる激しい戦いに向けて、決意を固めたのだった。



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