表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
24/25

第二十四話 袂を分かつ

 浅影の管理する山。その内部には、天然の地下洞窟が形成されている。

 複雑に入り組んだ異形の岩窟は、如何なる真実も、おぞましき闇へと閉ざす。

 この屋敷の人間が、数千年にも亘って奉じてきた神の正体。

 今宵、十三年ぶりに執り行われる忌むべき儀式。

 そして、数奇なる運命に翻弄されし二人───その、未来を定める問答を。


「何度も言うけどよ───」


 呪いを背負わされた者。

 呪いへと成り果てた者。


「その誘いには乗れない」


 ──二者の交渉は破談に終わった。


「お前の計画なら、少なくとも浅影瑠鋳子(アイツ)の命は助けられる。けど、それじゃあダメなんだ。それじゃあアイツは報われない。その選択は、アイツの意志と覚悟を殺すも同然なんだ」


 新矢志輝がナイフを突き出す。刃先は、男の正中をなぞるように向けられている。

 事象のカタチを捉える瞳は、白銀に輝く切っ先以上に、眼前に聳える『異常』を鋭く貫いている。

 昨夜の戦闘───その敗北と末路を思い出し、男の背筋に悪寒が走る。

 無理もない。他でもないあのナイフに、男の半身は一突きで殺戮されたのだから。武者震いか、それとも心的外傷か。その時に刻まれた死の感覚が、刃を向けられただけで思い起こされてしまうのだ。

 それでも、今日まで培ってきた復讐の熱が、死の恐怖をも溶かして男を振るい立たせる。

 男はしばらく間、目下の天敵を舐め回すように眺めると、目を細めて言った。


「……へぇ。助けて殺すか、死なせて報いらせるか。お前は、後者を選ぶってわけだな?」

「そういうことに…なるのかな。」


 この現状に、本当の意味で納得出来たわけではない。

 しかし、現時点での自身の思考は、この男に与する選択を許さなかった。


「悲しいなァ!」


 男が吠える。

 それに呼応し、大蛇も吼える。

 黒い巨躯が唸りを上げて、その醜悪な肉の宮をボコボコと蠢動させる。


「お前は結局、目の前に救える命がありながら、死に水を取ることしかしねぇ怠け者ってワケだ! ハハッ! そいつはまるで、本当に死神みたいじゃねぇか!」


 大蛇が煽る。その悉くが、新矢志輝には届かない。

 それは、もうとっくの昔に受け入れたことだ。

 俺は、ヒーローなんかじゃない。あくまで、浅影瑠鋳子のボディーガードとして雇われただけの部外者だ。家庭の事情に、おいそれと手を出す事は出来ない。

 彼女が自らの役目に殉ずるというのなら、俺はそれを見届けるまでだ。


「勘違いすんなよ。俺はただの派遣だぜ? 雇われに何を期待してやがる。生憎と、二重雇用はおっかない部長さんに禁止されてるんでね。俺は俺の責任の範疇で、好き勝手やらせてもらう!」


 自分の責務の範囲を犯さないのは、浅影瑠鋳子だけでなく自分の身の為でもある。

 激情に駆られ、実際に儀式を台無しにしてしまえば、それ相応の因果が返ってくることになる。

 俺は晴れて戦犯として、浅影家の連中から吊し上げられることになるだろう。将棋倒しで、逢魔坂も敵に回すことになる筈だ。

 契約不履行の代償は、一体どんな災いで払うことになるのだろうか。一生タダ働きなら良い方で、担保として『眼』をくり貫かれるか、最悪、粛清されるかもしれない。浅影瑠鋳子にとっても、自分が大切にしてきた組織への裏切りは、心苦しいものに違いない。

 数千年の一族の積み重ねを放棄するだけでなく、家系の衰退を決定的なものにする行為だからだ。

 だからそんな結末は、俺にとっても浅影瑠鋳子にとっても、あり得てはならないと思う。


(──けど、もし浅影瑠鋳子(アイツ)がソレを拒絶するなら…………)


 最悪の可能性を思い浮かべる。

 自分ならば、求められさえすれば、やらかしてしまう(・・・・・・・・)かもしれない。

 思えば、始めからそうだった。この屋敷の人間に、何故か妙に靡いてしまうのは、自分の境遇を、他でもない彼女達に重ねていたからではないのか。

 自分だけ、全部台無しにして助かったくせに、お前と同じ境遇の浅影瑠鋳子は見殺しにするのか。

 知らない誰かが、そう囁いてくる。

 今はまだ、なけなしの責任意識で封じ込めてはいるが───

 

(………"助けて"と、そう言ったなら…………………)


 それを破るのは、案外、そんなありふれた言葉かもしれない。

 

「それに、怠け者はどう考えてもお前の方だろ。復讐心の赴くままに全てを壊すなんて、俺でも出来る(・・・・・・)ぜ。楽になれんなら、誰だってそうしたくなるだろうよ。この世にはな、どう頑張っても『助けられない人間』がいる。そいつが、どんな奴だか分かるか?」


 男は、その一瞬だけ確かに沈黙した。お構いなしとばかりに、新矢志輝は言い放つ。


「『手が届かない人間』と『触りたくもない人間』だよ。お前は間違いなく後者だろうさ!」

「ほざいたな……ガキ!」


 新矢志輝が、闇を引き裂くように駆け出すと、男の喉元目掛けて飛び上がる。

 それを阻むように、大蛇から数十匹の黒蛇が砲弾のように飛び出し、中空の影へと迫りくる。

 双方から駆ける影が交差し───その刹那、虚空に閃いた斬撃は六つだ。

 黒い津波は、その悉くが新矢志輝に触れることすら出来ない。たまたま軌道がかち合っただけの十数匹が、まとめて斬り払われただけであった。

 奇襲を躱した志輝の身体は、その勢いのまま空を滑るように男の胸元へと導かれ───


「ちっ───」


 男の姿が、煙のように掻き消える

 標的を見失った得物は、冷たい大気を貫いていく。

 昨日とは違い、本体が引っ込む速度が早い。

 大蛇の黒い背に着地すると、足元から声が聞こえた。


『趣向を変えたのさ。』


 黒い足場が、もぞもぞと脈打つように蠢動し、思わずたたらを踏む。

 体制を取り戻すと、すぐさま大蛇から飛び降りた。

 大蛇と呼んではいるが、実態は大量の黒蛇が依り集まった群体なのだ。変幻自在に構造を変えられる以上、長時間の接触は危険であると、己の直感は判断した。

 着地した目の前には、大蛇がぶち破った大穴がある。奥から吹き付けてくる冷風は、向こう側に広大な空間が広がっていることを意味していた。

 男への攻撃はあくまでフリ。こちらが本当の狙いだった。

 昨夜の戦いで、黒蛇の空間制圧力の高さは散々思い知らされている。この密閉空間では、更に勝率は下がるであろう。生還するには、一刻も早く開けている場所に出る必要があった。

 大蛇の方も、新矢志輝(こちら)の思惑を理解したのか、急回転して翻り、仰向けのまま突進してくる。


『そっちには行かせねぇよォ!』


 吼える大蛇に、新矢志輝が声高らかに煽り立てる。


「そんなに必死になられちゃあ、こっちに行かれたくないって言ってるようなもんだぜ! こっちにゃ何があるんだ? 地上への道か? お前のアジトか? それとも、お前の本体でも隠してんのか!?」

 

 風穴へと飛び込む。突如、刺すような冷風が頬を叩いた。

 

「これは……」


 喉の奥から零れるように、呟きは白く虚空へ融ける。

 思わず、目を剥いた。純粋な風景の凄まじさで驚いたのは、十五年の人生の中で、これで何度目だろうか。一筋の光も届かぬ、地の底の闇の中。万物を捉える瞳は、正確にその構造を捉えている。

 奈落であった。

 すり鉢状に果てしなく続く、巨大な穴がソコにはあった。

 底を、推し量れない。どこまでも、ただ闇だけが無限に深まっていく。

 大穴のサイズは、目測で半径二百メートル以上。この角度ならば、最深部は千メートルを軽く越えるだろう。よく見ると、大穴の側壁には所々に横穴があり、成る程、この風穴もその内の一つであった。

 まるで、水面に写った逆しまの鏡像のようだ。

 この空間に関しては、浅影瑠鋳子からも屋敷の人間からも、全く聞かされていない。山を管理している彼女達なら、当然知っていると考えると、ここはトップシークレットのような扱いなのか。

 一体、この広大な空間と『大穴』は、どういったものなのか。

 この奥底には、何があるというのか───


『──これが、浅影家だ。』


 背後から、男の声がする。

 振り返り様に、二度、三度ナイフを振るう。刃は、正しく標的の命を断った。

 真っ二つになった黒蛇が、その勢いのまま奈落へと墜ちていく。

 

「どういう意味だ…ソレ?」


 眼前に蠢く、巨大な大蛇へと問いかける。

 泡立つように脈打つそれは、さっきよりひと回りもふた回りも大きい。


『簡単なことさ。ここが、浅影家の本体───神道でなら御霊屋ってところか。連中が云千年もかけて守ってきたのは、何も屋敷だけじゃない。というか、屋敷は単なるカモフラージュみたいなモンで、こっちが本丸と言って良い。気が遠くなるくらい昔、この場所で浅影家は始まったのさ。』


 不意に、大蛇の横腹が急速に肥大化し、魔力が凝集されていく。

 ワゴン車程のサイズにまで膨れ上がると、こぶ(・・)の先端に小さな孔が開いた。

 ブシュ! と、開いた孔から黒い粘液が噴射される。コールタールにも似たそれは、高水圧カッターの如く、軌道上の大気を引き裂きながら志輝の喉元まで迫りくる。

 何らかの術式で制御しているのか、どす黒い粘液の水流ははその形を崩さない。

 衝撃波が生じてない以上、音に比べれば遥かに遅い。

 粘液カッターの動きを見切った志輝であったが、わざわざナイフを当てようとはしなかった。

 転がるように右に避ける。すぐ左を、どす黒い奔流が豪速で駆け抜けて行った。標的を失った粘液流は背後の岩壁を削り取り、脳を掻き毟られるような不快な音を鳴らす。ウォータージェットと仕組みを同じとするが、この速度と面積では本物のジェットには遠く及ばない威力の筈。にも拘らず、岩盤程度なら容易くこそげ取ってしまえるということは───

 ジュウ、粘液が付着した箇所が、音を立てて溶ける。高熱が生じているのか、白い蒸気が上った。

 

「毒か───!」


 大蛇の表皮に、巨大な瘤が次々と形成されていく。

 ナイフを構える暇もなく、身体が動いた。

 毒素と魔力がふんだんに籠められた体液が、孔から一斉に射出される。全方位に撒き散らされる光景は、まるでレーザービームか、小型のロケットランチャーのようだ。

 この距離からでは、大蛇に追撃をかけられない。下手にナイフで受ければ、武器を溶かされる。

 あくまで、新矢志輝を怪異殺し足らしめているのは、卓越した戦闘技術と万死の瞳だ。一応、このナイフも中々の曰くがあるらしいが、それ以外は特筆することのない鋭いだけの一品だ。

 無論、この粘液の『カタチ』を捉えれば、或いは、含まれる毒素のみを殺すことも可能だろう。

 しかし、その為には少なくとも、攻撃を視界に収めていなくてはならない。

 噴出孔の位置を把握しきれていない以上、仮に迎撃したとしても、視覚外からの一射でナイフを狙われ、唯一の武器を失うハメになることは目に見えている。

 接近するにしても、距離を取るにしても、回避以外の選択肢を見出だすことが出来ない。


『おいおい良いのか……そっちは崖っぷちだぜ?』

「くっ───!」


 踏み留まる。

 靴裏。後ろから数センチは、地に着いていない。

 背後では、男の声が音が反響していく。


(クソ…! 何が"接近するにしても"だ。あっという間に、穴の縁まで追い詰められてるじゃねぇか!)


 ちらと、足元の闇を見る。

 断崖絶壁───と言う程でもないが、落ちれば二度と上がってはこれまい。

 眺めているだけで、魂が吸い込まれてしまいそうだった。

 浅影家は、本当にこんな場所を神殿として扱っているのだろうか。

 単純にフェイクという可能性も───


「いや……待てよ?」


 もし神殿なら、儀式や催事は大抵ここで行われる筈だ。

 ──ということは、だ。

 この空間のどこかしらに、地上へ向かう為のルートがあるのではないか。

 大蛇を視界に留め、周辺視野を使って岩壁をくまなく見渡す。ちょうど、大蛇の頭上数十メートル辺り。新矢志輝の視線が、ある一点で止まった。

 天井付近の横穴。ガレージ程のサイズの窪みが、不自然に揺らいでいた。

 空間が歪んでいる。

 それも、以前どこかで見たことのあるカタチで。

 浅影の『遺物』が、忌々しい歴史を抱いて安置されていた祠。今考えると、社と呼んだ方が適切だったそれは、路地裏に創られた異界の中心に建てられていた。

 異界の構成には、創造者の癖や流派・術式により、ある程度の特徴が出る。

 新矢志輝の『眼』は、それをより精密に、ある意味で冒涜的に、つまびらかにするモノだった。

 

(──あそこの歪み……間違いない………! あの路地の異界とそっくりだ。) 


 再び大蛇を飛び越え、あの窪みまで岩壁を登りきりさへすれば、或いは、異界を通って地上へ出れるかもしれない。

 ──試してみる価値はある。

 取り敢えず、俺が今やるべきことは決まった。

 

『あ~らら。とうとう見つかっちまったかよ』


 大蛇は俺の顔を見て何か勘づいたのか、心底残念そうに言った。

 どうやら、異界への入り口に気づいているのは、俺だけではないらしい。そもそも昨夜では、浅影が施した隠蔽用の結界を抜けて、異界の中に入ってきているのだから、当然と言えば当然か。


「──気づいてたのかよ。昨日俺と戦ったときもそうだが、お前随分と勘が良くないか?」

『蛇ってのは昔っから、人とは異なる世界が見えるって信仰されてきた。実際、ピット器官? つう赤外線を捉える器官があるしな。ちょいと失せ物探しが上手くったって、別に変じゃねぇだろ。まぁそういう意味じゃあ、俺とお前は似た者同士ってワケだ。』


 大蛇が───否、その内に巣食う男が、くつくつと嗤う。


「フン……お前と一緒にするな」


 新矢志輝が言い放つ。透き通る声には、隠しきれないほどの嫌悪感が滲み出ていた。 


「──それに、仮にそうだったとしても、すぐにそうじゃなくなるさ」


 新矢志輝が、挑発的な笑みを浮かべる。


「どちらかが死ねば、もう似た者同士とはいえないだろう?」


 生きている者と、死んでしまったモノ。

 それらは、本質的に異なるものなのだから───

 互いの視線が、暗闇の中で絡み合いながら火花を散らす。凍てつくような地下の空気が、両者の間で熱を帯び、他を寄せ付けぬ沸騰した殺意の結界が、静寂のままに編まれてゆく。

 昨夜のときと、本質的には何も変わらない。

 所詮、殺し合うだけの関係でしかない。

 交わらないモノ同士は、自らの世界で定義しきれない存在を、許すことなど出来はしない。

 畢竟、それは剥き出しの純粋な殺意そのものである。

 無限にも思える『大穴』を背に、新矢志輝が大蛇目掛けて駆け出した。

 ──神速であった。

 急激に膨張した大蛇の瘤から、無数の粘液が撃ち放たれる。孔の数は、さっきの小競り合いの時とは比較にならない。射線が絞られているのか、密度も高くなっている。

 間違いなく、初撃で討ち取りに来ているんだと、新矢志輝は直感で理解した。

 志輝を確実に仕留める為に、この射角、この出力にリソースをフルベットしているのだ。

 ならば、ここは避けて、がら空きになっている横から攻めるのが定石(セオリー)だろう。

 (いや……それは駄目だ…………)

 それでは、また振り出しに戻るだけ。

 ここでひよれば、再び不毛な消耗戦を強いられることになる。

 それに、たとえ大蛇を飛び越えたとして、奴は俺を逃がすまいと、全リソースを投入して追撃をかけてくるだろう。猛攻を背に無事に岩壁を登りきれるかどうか。

 ──だから、ここで膿を出し切る。

 文字通りだ。大蛇の体内がどうなっているかは分からないが、少なくとも黒い蛇という物質の集合体なのだ。射出出来る粘液にも、限度がある筈。俺を倒すことに固執している今、真っ向から押し切れば奴も正面から迎え撃たざるを得ない。

 ここで、さっきの挑発が効いてくる───!

 紙一重で粘液カッターを避け、避けきれない一撃は『カタチ』を捉えてナイフで受ける。

 攻撃を集中させたことで、視覚に収めやすくなっている。

 粘液だろうが、毒だろうが、恐れるに足りぬ───

 粘液のレーザービームを潜り抜け、新矢志輝が大蛇の喉元目掛けて迫り来る。


『くっ───!』


 男も、新矢志輝の猛攻に圧倒されていた。

 (そこ…普通突っ込んでくるのかよ!)

 驚愕と同時に、歯噛みした。

 当初の計画では、がら空きに見せかけていた横側に誘い込み、尾の上を通過した瞬間に分化し、黒蛇に飲み込ませるというものだった。

 たとえ捕らえ損ねても、背後に聳える岩壁で挟み込めばいいと、そう思っていたのに。

 (いいぜ、真っ向から殺し返してやる。)

 まだ、リカバリーは効く。

 新矢志輝のナイフが、大蛇の額───本体との経路(パス)が、直接繋がっている急所へと向かう。と、その瞬間、膨張した内部圧力を使って、勢いよく分化した。

 黒蛇の渦が、新矢志輝の矮躯を包み込み───と、その時には既に大蛇の視界からは消失している。

 

『どこいきやが───

「上だ間抜け」


 上。

 新矢志輝は既に、遥か上の岩壁に足をかけている。

 そこから、ひょい、ひょい、と、厚さ数センチ程の出っ張りを蹴って、ピッケルもハーケンも使わずほぼ垂直の断崖をボルダリング(?)していく。

 

『は───?』


 両者の運命を決定づけたのは、認識の違いだ。

 つまるところ、ここまで手を尽くして尚、男は新矢志輝という怪物を舐めていた。

 

「伊達に、殺し屋家業に生まれていないんでね」


 こういったゲテモノ技術(スキル)は、護身術というお題目で、幼少の頃にさんざん叩き込まれた。

 天賦の才と、偏重した修練が織り成す、怪奇にして逸脱なる御業であった。

 

 (クソジジィ……メチャクチャな野郎だったけど、礼は言っとかねぇとな。)


 そう、亡き祖父に感謝すると、志輝は更に速度を上げて『窪み』まで迫る。

 男も黒蛇を集合させ、粘液カッターにより追撃をかけようとするが、雑に集合させたことで砲身が安定せず、十全に射出できたのはたった三発だ。

 志輝の背に、殺戮の黒閃が伸びていく。先刻より、速度が著しく減少しているのは、見なくても明らかだった。

 ナイフを岩壁の切れ目に突き刺し、片手で掴んでぶら下がる。

 奈落を見下ろす。

 三つの黒く細い奔流が、すぐそこまで迫っていた。

 (やや、右によっているな……)

 そこから、岩壁の出っ張りに横から足をかけ、思いっきり蹴る。ターザンの如く、新矢志輝の身体が時計回りに動いた。

 志輝の腕一本だけとなった空間を、三本の黒い矢が突き抜けていく。

 粘液の矢が、袖をかする。じゅ、と煙を上げながら溶け、毛羽がだった傷が生じた。

 今のは、運が良かっただけだ。

 既に、大蛇の追撃が始まっている以上、早く登りきらなければ、どこかで撃ち落とされる羽目になることは明白だ。

 振り子のように元の体勢に戻ると、クライミングを再開する。

 背後から、凄まじい勢いで殺気が迫ってきている。見下ろすと、夥しい黒蛇の群れが断崖を這いずりながら登ってきていた。

 追いつかれたらば、死あるのみだ。

 岩壁を駆け上がる志輝は、まるで白い蜘蛛のようだ。どす黒い蛇の波に飲まれぬように、必死で全身を駆動する。

 

 (死んで…たまるか)


 ナイフを突き刺し、凹凸を蹴り、掴み、脚をかけ、再び蹴る。

 手のひらはとっくに傷だらけだ。

 生への執着を糧にして、痛みを堪えて登っていく。


「はぁ……はぁ…………はは───は、はははははははは!」


 一歩踏み外せば、一度でも足場が崩れれば、あっという間に死へと墜ちるこの瞬間。

 志輝は、ただ笑っていた。

 自分が死にかけているにも拘わらず、心底楽しそうだとばかりに。

 手を伸ばす。今度は、手のひらが全部かかった。ようやっと、登りきったのだった。

 流石に、少し疲れた。

 地を這いずりながら、異界への入り口に潜ろうとした───その時だった。


「くそ───」


 黒蛇も、登りきっていた。

 足の先から、纏わりつくように俺の身体を昇ってくる。

 必死でナイフを振るい、黒い波を削ぐ。

 

「クソォ!」

 

 最悪だ。数が、あまりにも多すぎる!

 斬り殺したそばから、新たな個体が流れ込みナイフがすり抜けていく。

 まるで、『眼』をつぶって水を切っているようだった。

 下半身が、黒い波に沈んでゆく。底なし沼のように、抗う行動全てが無意味に終わっていく。

 黒蛇は服の中にまで潜り込み、白い柔肌を這いずり、なぶり、犯し尽くしていく。


「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 ───とぷん。


「あ────────」


 身体も、悲鳴も、意識も、すべてが闇へと沈んでいった。


     ◇


 浅影の屋敷の南西部には、女中や術師を治療する部屋がいくつかある。

 浅影の魔術的な理念から、儀式や催事が行われる部屋は鬼門の方角である北東に集中し、穢れ払いや病気の治療に使われる部屋は裏鬼門のある南西に構えられているのだ。

 鬼門とは、古代中国に端を発する風水的な観念の事だ。邪気や穢れを呼び込むとされる方角を北東、それらが出ていく方角を南西と定め、この二つの方角では鬼に出くわしやすいという考え方から、それぞれ鬼門・裏鬼門と呼称するようになった。

 この思想が日本に輸入されたのは、千二百年程前。

 現代人にとっては大昔だが、浅影の歴史の長さを考えればごく最近の事である。

 浅影家は内輪で営んでいる為、独自の伝統にしがみついている偏屈な組織というイメージを持たれがちであるが、意外にも、こういった概念や思想をうまく取り入れたりする器用さがあったりする。

 絹幡家も、そうやって外部の技術を取り入れて大成した家系の一つだ。

 資本主義のシステムが本格的に日本に根付き始めた頃、絹幡家の人間達は縫製の技術者達と独自のパイプラインを築き、最新鋭の技術や機材を輸入して家業を飛躍的に進化させていった。今では、アパレル業界の深部にも食い込み、その存在感を日夜高めている。

 絹幡家の主な家業である機織りが、社会的・経済的な需要に合致していたという面も大きい。

 魔術や神秘は時代を経るごとに衰えていくが、文明の最先端の技術を上手く活用することで衰退の危機を乗り切った成功例の一つと言えよう。

 ──しかし、絹幡蘭にとっては、その成長はあまり快いものではなかった。

 当主候補としての重圧ではない。主である浅影を差し置いて、社会的地位を確立してしまったことに対する認知的不協和でもない。純粋に、魔術師としての在り方に対する違和感だった。

 彼女にとって衣類とは、ただ裸を隠す為だけにある装いではない。その人が自分を表現する為の外郭であり、心───引いては肉体の延長でもある。

 ホラー映画を見た後、布団から身体の一部を出して寝ることを躊躇うのと同じだ。

 衣服には、纏った人間の精神の一部として心理的に振る舞う機能が存在する。

 心を込めて作るということは、呪いをかけるのと同義である。機織りの魔術師を名乗るのならば、すべからく心を込めて縫製をしなくてはならない筈だ。

 ──だが、現実にはどうであろうか。

 現代に適応したと言えば聞こえは良いものの、行っていることは貴重な資源を大量に消費して、その場だけの価値を産出しているだけ。商売は軌道に乗っても、魔術の本質は見失っていくばかりだ。

 絹幡蘭(わたし)は、それがどうしても看過できなかった。

 以前、絹幡家が株主をしている民間企業の工場を見学させてもらったことがあった。

 体育館くらいの広々とした空間に、所狭しと並べられた大量の縫製機械(ミシン)。台の上には、色取り取りの生地が山のように積み重なり、今日のノルマとばかりに無造作に捨て置かれている。それを死んだ魚の目をした人達が手に取り、まるでロボットと一体になったかのような正確さで縫製機械に通していく。

 聴こえるのは、縫製機械が決められた通りに駆動する無骨な音。

 悪夢のような光景だった。胸の裡に、何か得たいの知れない(おり)が積もっていくようだった。

 

 ───私は、そんなものにはならない。


 その日、その時に、私は自らの行く先を明確に規定したのだった。


     ◇


 浅影本家の屋敷から、遠く南東に外れた樹海のとある一画であった。

 二人の少女が、冷風に揺られながら対峙している。

 一人は、桜色の着物に身を包み、もう一人は、雨雲のような暗い灰色の着物を着ていた。

 桜羽織の少女───絹幡蘭が、怪訝な表情のまま口を開く。


「そこで、何をしているん───」


 絹幡が言い終わる前だった。

 バチン、という空気が裂ける音と共に、彼女の目前で火花が散った。

 魔力の雷撃による、威嚇であった。


「なんで、そんなことをするんですか?」


 明確な敵意と拒絶に満ちた威嚇を受けて尚、絹幡は臆さず眼前の少女に問うた。


「──葉純ちゃん」


 絹幡の前に佇んでいる少女の名は、鳴上葉純。

 浅影本家の重役として、鳴上家から派遣されてきた術師だった。

 何かと一緒に仕事をすることが多く、それなりに付き合いが長い。それだから、彼女にこうして敵意を向けられている現実を、どこか受け入れられない自分がいる。

 一体、何が彼女を駆り立てているのか。今は、その理由(ワケ)をとにかく知りたい。

 彼女の眼を、まっすぐ見据える。

 葉純の瞳の奥には、猜疑心と、敵意と、戸惑いがうっすら見える。

 ならば、まずは私から彼女に向き合わないといけない。相対す者の心を解かすには、こちらも精一杯の誠意を見せなくてはならない。

 絹幡は穏やかな笑みと眼差しを向けながら、ゆっくりと話し始めた。


「なんで葉純ちゃんがそんな風にするのか、何をしようとしているのか、私には分からないですよ。けど、何か事情があるんですよね? そうしなければならない、理由があるんですよね? 私は、この家に仕える人間である限り、いつだって葉純ちゃんの味方です。よかったら、教えてくれませんか? ガッツと根性で、全部受け止めてみせますから!」

 

 ふんす、と鼻を鳴らし、桜羽織の少女が腰に手を当て胸を張る。

 対する葉純は、未だ沈黙している。しかし、ほんの一瞬だけ、瞳の奥が揺らいだ気がした。

 彼女の背後には、何か黒い陶器のようなものが見える。それが、魔術的な力を帯びた物品だということは、絹幡の目にも一瞥で分かった。

 彼女が、それを使って何をしようとしているのか、まだ判然としない。

 そもそも、この場所は一体何なのか。五つしかないと聞かされていた『点穴』が、何故もう一つ存在しているのか。

 分からないこと尽くしのまま、沈黙が過ぎ去ってゆく。

 一体、どれくらいの時が経ったであろうか。

 十秒、二十秒、三十秒、或いは一分近くは経過していたかもしれない。ある意味で、彼女と過ごしてきた中で最も濃密な時間だった。

 冬の曇天を写したような、重苦しい空気に浸された世界で、鳴上葉純がとうとう口を開いた。


「──私は、自由になりたいのです」


 たまさか吹いた風が、少女達の髪を揺らした。


「前に、私に質問してくれましたよね。『魔術師として、後悔したことはないか』って。その時、私が言っていたこと、まだ憶えているでしょうか。」


 話が進む度、彼女の言葉には熱が篭り、徐々に速度が早くなっていく。


「私は、鳴上家の分家筋に生まれ、幼い頃から術師としての修練に励んできました。絹幡さんも、知っていますよね。鳴上家は、基本的に完全実力主義。たとえ男子でも、実力があれば当主になること()出来るんです。」


 あえて含みを持たせていったのは、当主の継承事情からだろう。

 浅影勢力の『相伝呪刻』は、女性の肉体にしか適合しない。鳴上も例外ではなく、男性が当主に選ばれた場合、保有者には適合した別の女性術師が選ばれる。

 このシステムは、浅影も含めて他の家系には存在しない鳴上独自のものである。


「反面、実力がない者は人間として扱われません」


 ぴしゃりと葉純は言った。

 眼を背けたい───否、耳を塞ぎたい現実が、そこにはあった。


「生まれついて才能が見込めなかった者は、女中や下男として使役されます。雑用や、儀式の補佐として使われるならマシな方で、術師や重役の下世話をさせられることなど、日常茶飯事です。」


 ひどく、清々しそうであった。もう自分には関係のない事のように、ただ情報を並べ立てている。

 ある種の、精神の防衛規制なのではないかと、絹幡は邪推した。否、或いはそう思いたかっただけなのかもしれない。

 無機質のまま話が弾んでいる様が、絹幡の眼にはやや不気味に写っていたからだ。

 何か普通ではない物事を、自分の理解の範疇に落とし込みたいとするのは、正に精神の防衛規制だ。

 

「下世話というのも、屋敷の底辺層の話だけではありません。忍の術理を取り入れた家系であるというのに、いや、だからそうなのでしょうか。鳴上家は、秋波を送る政が横行する淫行の坩堝でした。当時の私は、大した実力もありませんでしたので、少しでも早く出世するには、そういった後ろ暗い物事にも身を投じなければならなかったのです。」


 しかし、そんな違和感も彼女の半生を知ると霞んでしまう。

 鳴上葉純という少女は、常に自らを薄汚れたケダモノ達に捧げてきたのだった。

 聴いていて、心臓が張り裂けそうだった。それと同時、自分がどれほど恵まれた境遇で、どれほど愛を注がれて育ったのか、身に染みて理解させられたのだった。

 彼女が今まで耐えてきた苦しみに比べれば、私の苦悩などくだらないことこの上ない。

 自分の人間としての底の浅さに、ただただ脳が焼けつくようだった。


「──ですが、ある日思ったのです。私は、一体何がしたくてこんなことをしているのかと。好きでもない殿方に身体を捧げ、気色の悪いケダモノに媚を売り、上り詰めるために春を消費していく。何のために、誰のために───どうなりたいために。そう考えたとき、何か無性に居心地が悪くなって、一刻も早く鳴上の家から身を遠ざけたくなったんです。さらなる実績を上げたくもあった私は、迷いなく浅影本家へのポストを勝ち取りました。勿論、根回しはじっくりやりました。」


 何か、取り憑かれたように話す葉純に、不振を感じた───その時だった。

 空に異変があった。

 分厚い雲が、蒼を塗り潰すようにかかった冬の空。一見、何の変哲もないただの曇りに、絹幡の魔術師としての感覚が警告を鳴らした。

 雲の内側に、微かにだが魔力の流れを感じ取ったのだ。

 ただのマナの揺らぎではない。明確に人の意思によって恣意的に操作されている。しかも、これはたった一人の魔術師によって易々と成せる技術ではなかった。

 何十もの魔力の流れが、幾重にも重なり、肥大し、一つの巨大な『歪み』を形作っている。

 新矢志輝によれば、敵は多くとも数人程度だと聞いていたが、これではまるで───


「──どこを見ているんですか、絹幡さん。」


 葉純が言う。


「え? あ、あの───」

「絹幡さん、貴女は私の話を聞かなければならないのですよ。私の話をきちんと聞いて、その上で私の前に立ち塞がって欲しいのです───命懸けで、ね。」


 空気が、変わった。

 鳴上葉純を取り巻く全てが、一瞬にして何かおぞましいものに変じたのだ。

 尋常ではない覇気に圧倒され、思わず後退る。


「怖がらないでくださいよ。話を聞くと仰ったのは貴女じゃないですか。」


 じり、じり、と開いた距離を埋めるように、葉純はにじり寄ってくる。


「で、私の話なんですがね。ここに赴任してきたとき、初任務ということで、ご当主直属の部隊と共に怪異討伐に向かったのです……私はそこで、見てしまったんです……知ってしまったんです。浅影瑠鋳子という少女を───!」


 葉純の穏やかで細い目が、ぎょろりと見開かれる。


「誰よりも鮮烈に! 誰よりも眩く! 暗闇の中に立って、駆け抜けて行くその姿は! 正に私たちが信奉している雷のようで………この世で一番美しくて………この世で一番………自由だったァ……!」


 ばっと両手を広げ、葉純が叫ぶ。

 彼女の瞳は、今まで見てきた中で最も輝いていた。


「だから私も、自由になりたいのです! 鳴上からも……浅影からも……魔術からもォ…! こんな薄汚れた世界から全部全部全部ゥ! あははははははははははははははははははははは!!!」


 壊れたラジオのように、けたたましく笑う彼女には、過去の面影は一ミリも存在しない。

 最早、今までの葉純と同じ人物であると、認識できなくなっていた。これが、悪夢か何かの間違いではないというのなら、本来の彼女とは、今目の前で笑っているナニカではないのか。

 わざわざ私との問答に付き合わず、沈黙のまま戦うことも出来た筈なのに。

 私の期待に応える為に、或いは決定的に違える為に、自らの本性を、ありのままにぶちまけたのだ。


「そうですか……なら、要らぬ時間を使わせましたね」


 絹幡は、落ち着き払った様子で返す。その瞳は、哀れみに満ちていた。

 彼女の真意に気づいたのか、鳴上葉純は叫ぶように言った。


「いえ、いいえ、いいんですよ! お気遣よりも同情が、時間なんかよりも哀れみが、私にとって何よりも必要ありませんからァ! あなたはここで、私に大人しく淑女のように殺されてくれればよろしいのですよ、はい!」


 この子を、救って上げなくては。そう思うのは、傲慢なのか。

 先程とは打って違う、獣のような葉純の姿に、絹幡はより一層思いを強固にしていく。

 バチバチ、と周囲の魔力が帯電し始め、葉純の元に収束していく。彼女に纏わりつくように蠢動する魔力は、やがて眼に見える形で黒く発光し始める。

 それが、彼女の術式であったか。否、鳴上の魔術は、ある程度方向性を同じとするのか。

 鳴上葉純の、細くも鍛え抜かれた身体に迸った黒い雷は、彼女の身体を這い回りながら加速し、まるで布を編むように黒き戦乙女を顕現させていく。

 痺れるような殺意を感じたとき、絹幡は、ようやく自分が命の危機に瀕していることに気づいた。


「『雷衣(ライエ)』」


 それは、正しく雷で編まれた黒い羽衣だった。

 葉純が使う魔術は主に、鳴上家当主と結んだパスを介して、『相伝呪刻』から雷神の力を引き出すことで成立している。

 この姿は、その雷神の力を最も強く引き出し、有効に活用する為にデザインされた術式であった。

 

「私、ここに来てから結構腕を上げたんですよ。それに比べ、絹幡さんは───」

「ちょ、ちょっと待ってください! 私たちがここで戦う必要はない筈です! 今からでも遅くはありません。瑠鋳子ちゃんや屋敷のみんなと相談して───ぐっ!」


 目の前で火花が散り、思わず手を翳す。再び、威嚇の雷撃が放たれたのだ。


「そうそう! そこなのですよ絹幡さん! 貴女はずっと、この屋敷の人々を繋いできた。けど、勘違いしてはいけません。貴女は、屋敷の皆を浅影家というピンクッションに刺し止め、仮初の共栄圏を造り上げていたに過ぎません。現に私は、貴女の事をずっと煩わしいと思っていました!」

「そ……そんな───」

「私にとって、貴女はご当主以上にこの屋敷を象徴する存在……しがらみそのものでした。よくも、私をこんなところに縛り付けましたね。私にとって、呪縛の象徴は三つ。魔術、お祖父様、そして他でもない絹幡蘭───貴女です。この後の大規模作戦が成功すれば、私は鳴上家から除籍される───そういう契約をお祖父様に取り付けています。鳴上の『相伝呪刻』とのパスも、作戦が終わり次第、直ちに失われるでしょう。あぁご安心ください。これからの人生設計もきちんと練っておりますので。とまぁ、これで呪縛が二つとも消えるのですが、まだ後一つ残っているのですよ。解りますよね───絹幡さん。」


 受ける情報量があまりにも多すぎて、完全にこちらが圧倒されている状況だが、彼女が自分に明確な殺意を向けていることは、女の本能で解った。


「貴女を殺して、私は真の意味で自由を掴み取るのです───!」


 叫ぶように放たれた宣戦布告。

 彼女の暴挙に対抗する為、こちらも魔力を練り上げていく。


「ならば、こちらも貴女に容赦はしません。全霊で迎え撃つまでです。それに───急いでいるのでは? まだ、呑気に話している余裕があるとでも?」

「ええ、ありませんよ。私は急いでいます。だから正直、さっさと殺されてくれると幸いです。あぁでも───間違っても、わざと命を差し出すような真似はしないでくださいね。全力の貴女を殺さない限り、私は永遠に貴女に囚われることになっちゃいますから───ね!」


 大気を引き裂きながら、黒い雷が真横に走る。

 濃密な魔力を伴ったそれは、実際の雷の威力には劣るが、直撃すればタダでは済むまい。

 常人の反応速度では、雷速の槍はそれだけで致命的だ。それは、魔術師であっても大した違いはあるまい。撃たれてから全くの同時に、黒い雷は絹幡蘭の心臓を穿った。

 絹が焦げる匂いがする。しゅう、と音を立てて真白い蒸気が乾いた景色に吹き上がる。

 白い煙が晴れた時、鳴上葉純は瞬時に異変を察知した。

 黒雷の槍で、心臓を撃ち抜いた筈の絹幡蘭が、何事もなく佇んでいる。怪我は、特に見られない。ただ一つ、決定的な変化が起きていた。

 絹幡蘭の周囲に、数メートル程の三片の布が、大気を游ぐように漂っていた。

 

「成る程……『機織り』と『降霊』は、そういう風に結び付くのですか。」


 一反木綿。その伝承を模倣した、或いはルーツとなったかもしれない絹幡の秘術であった。


「死者の衣服を加工し、生前の『力』を引き出し使役する死霊術。生前の事とはいえ、死者を包んでいたという意味では、キリスト教の聖骸布にもよく似ていますね。」

「自慢の母が、生前愛用していた浄衣です。」

「なるほど…ますます気色が悪いですね。大方、残留思念を用いて操作性を担保したり、染み付いた呪力や『概念』を抽出することが主な手法なのでしょう。まるで肉親を死後も縛り付けているように見えて、あぁ正に貴女を象徴する術式にふさわしいですよ、本当に。」


 ぎゃん、と黒い雷の槍が放たれる。先程よりも太く、更に出力が上がっているようだった。

 それが撃たれるよりも先に、絹幡の周囲に浮かぶ『布』が射線を遮る。雷が炸裂する轟音が鳴り、灰色の景色を雷光が黒く照らした。

 絹幡は如何なるダメージも受けていない。どうやら、『布』には絶縁効果もあるようだ。しかし、完全に雷を拒むことは出来ないようで、雷撃を受けた箇所は黒く焦げている。

 雷速の攻撃は、そもそもが捕捉不能だ。それは、この『布』も例外ではない筈だ。恐らく、鳴上葉純という術師の魔力に反応し、攻撃の軌道に合わせて迎撃するように作られている。

 今の一撃を受けきる強度がある以上、この三つの『布』を掻い潜って絹幡に攻撃するのは至難だ。

 だが、それは絹幡も同じことである。

 絹幡は、それ以上鳴上を踏み込ませない。鳴上も、絹幡を近づけさせず、かつ確実に防御を削ることが出来る。

 防御一辺倒の絹幡。

 引き撃ちで、攻撃と牽制を一手に担う鳴上。

 確かに、鳴上葉純の魔術は、そういう意味では強力だった。

 雷速という、尋常の存在では物理的に対処できない速度に加え、特殊な防御術式を必要とする電気という性質。

 戦闘の為の魔術と言って良い。最も、研究色の強い西洋の魔術師が見れば、首を捻るだろうが。

 対して、絹幡は元々戦闘要因ではない。儀式や祭事を行う際、衣服や道具などを調整する役割を持つ魔術師であった。この『布』も、強度こそ高いが、護身用の域を出ない殺傷力の低い術式だ。逃亡ならばまだしも、鳴上葉純を鎮圧する気ならば、それこそ役者が違うというもの。

 それに、絹幡は今朝の戦闘の疲労がまだ残っている。魔術回路の方も、限界に達している筈だ。

 (幾ら身を固めようが、無駄です。貴女には、私に勝てる道理がないのですから)

 鳴上が、絹幡目掛けて一直線に駆け出す。

 まるで地面を滑るように、間合いを確実に摘み取ってゆく。

 (はや)い。

 忍の術を体得しているとはいえ、ただの少女に許される速度ではなかった。

 (魔術で『強化』している…だけじゃない!)

 絹幡は心の中でそう叫ぶ。

 魔力で肉体を『強化』しているだけでは、ここまでの敏捷性を発揮出来ない。ならば、これらの現象を成立させているカラクリは、葉純自身の魔術に帰結していく。

 葉純が纏った黒雷で編まれた羽衣───雷衣こそが、この速度の根元であると絹幡は見抜いた。

 (あの黒い羽衣が、全身の筋肉や神経を電気で()して、実質的に強化しているんだ)

 正気の沙汰とは思えない。あれ程の電力を恒常的に身体に作用させれば、肉体的な負担は相当のものになる筈だ。命の危機までとは行かずとも、一つ操作を誤れば神経が焼き切れてしまうだろう。

 どれ程の技量と精神力があれば、ここまでの暴挙を、いとも容易く為し得るというのだろうか。

 もう既に、葉純はあと少しの距離まで接近している。

 黒雷の槍は強力無比ではあるが、その分タメも長く離れていれば対策も容易だ。葉純は、作戦時刻(リミット)が近づいていることを考慮し、絹幡の消耗を待つより、真っ向から打ち砕くことを選択したのだ。

 低姿勢のまま、葉純が更なる急加速と同時に雷撃を撃ち放つ。

 今度は、放電の範囲が広い。絹幡は『布』を横に二片並べ、即席のバリケードを張って相殺する。

 爆発と白煙。そして───喉元にまで迫る漆黒の影。 

 葉純が、空中に固定された二片の『布』を、恐るべき柔軟性で下から潜り抜けていた。


「あはっ。こんな簡単に近づけるなんて………絹幡さん、ガードが甘すぎます。」


 至近距離。

 二人を隔てるのは、二畳にも満たぬ彼女の間合い。

 葉純は、両の手の指を合わせて銃を象ると、絹幡に突きつける。

 細い指先は、桜羽織の少女の胸元に伸びている。

 指先に蓄積した魔力の電気は、限界量に達していた。これ以上は、神経や血管が破裂しかねない。

 自身の生命の危機を察し、絹幡はバックステップで後退する。

 無駄な足掻きだ。

 既に規定値に達した以上、撃ち放つのに一秒とかからない。

 (これで…さよならです)

 術式を起動し、雷撃射出の命令を魔術回路に送り込もうとした───その時であった。


『わからないことがあったら、何でも訊いてください! 困ったことがあったら、何でも言ってください! 今日から私が、貴女の味方になりますから!』


 ──眩しい。

 脳裏に未だ焼きつく、あの日の記憶。

 彼女は、この世界で誰よりも輝いていて───


「私の視界を───遮るなァ!」


 雷撃の術式が、唸りを上げて起動する。

 黒い姫を固定砲台とし、砲身となった両腕を強大な魔力が駆け抜ける。これは、指先に収束した魔力の電気を、黒い槍として撃ち出す神秘を成立させる、ある種の推進力として用いられる。

 過去の記憶を振り払って、術式が発動する。

 撃たれては、最早逃れられない。黒雷の槍が絹幡の心臓に放たれる───その、直前であった。


「な───」


 絹幡の身体が、中空で後ろ向きに回転したのである。


 (バク宙……!? いやっ、これは───)


 漆黒の槍が、大気を焦がしながら雷速で放たれる。

 直撃──────回避!

 放たれた雷撃は、絹幡の背を掠めると、虚空を焼く。真横に走る落雷は、そのまま進路上の木々をなぎ倒し、遂には淡い火花となって融け爆ぜた。

 絹幡が、背を屈めて着地する。

 もうもと沸き立つ、白煙の中に佇む彼女の姿は、まるで霧の精霊か妖のようにも見える。


「認識が甘いです。『鳴上』の術師としての感が鈍ったのでは?」

 

 絹幡の頭上に、一片の白い『布』が棒上にくるまれて浮いている。

 葉純は、感心したように「ほぅ」と呟く。

 必殺の雷撃を、絹幡は如何にして回避せしめたか。あの『布』にカラクリがあった。

 さっき潜り抜けた二片の『布』は、空中に固定されていた。原理としては、それと同じだ。ただ、使い方が違うだけ。

 雷撃を防ぐ盾として展開した後、二片に遮られた死角を利用し、もう一片を後ろへと取り回した。そして、撃たれるタイミングに合わせて、固定された『布』を軸に後ろに回転したのだ。

 葉純は、すかさず術式を起動し、自身を睨め上げる少女に、無表情のまま指先を向ける。


「もう十分、見下げ果てましたよ。」


 渾身の一射が防がれたとして、それが一体何だというのか。

 依然として、決定力のあるこちらが優勢であることに変わりはない。むしろ、絹幡が大きな隙を晒している今、勝機はここにあるとさえ言える。

 

「では先輩、さよならです」


 吐き捨てるように、眼下の少女に別れを告げる。

 魔力を励起し、雷撃の指向性を絹幡の脳天に合わせる。

 その時だった。

 長い二本の影が、葉純の足元に射した。

 横へ横へと延びていくそれは、大きく広げた翼にも似ていた。

 危機を察した時には、もう遅かった。


「つっ……あ───」


 全身を締めつける圧迫感に、葉純の口から低い呻きが漏れる。

 身体が動かない。胴体と脚が、何かに拘束されている。

 絹幡が立ち上がり、拳を振り上げる。その細腕に、するすると『布』が巻き付いていく。

 それを見て確信する。自身を縛りつけているのは、さっき潜り抜けた二枚の『布』だ。

 しまった、と葉純は思わず歯噛みした。

 雷撃をも拒む防御性能ばかりが目立っていたが、捕縛こそが本来の用途であったのか。意図的か、それとも単なる偶然か。拘束具としての堅牢さを応用し、伸縮自在な盾に仕立て上げていた。

 身動きの取れない葉純に、『布』を巻き付けたことにより鉄塊となった、絹幡の拳が迫る。

 今度は、葉純が追い詰められる番だった。

 必死に手足に力を入れるが、巻き付いた二枚の『布』は千切れない。更に、物理的要因以上の『何か』に囚われているのか、身をくねらせることは出来ても、地面から足を離すことが出来ない。

 まるで、強固な杭に縛り付けられているようであった。

 魔術回路を全力でぶん回し、少しでも絹幡を遠ざけようと、魔力の電気を全方位に発散する。

 不発───

 魔力を電気に変換したそばから、電気が『布』に吸い取られていく。その度に、自身を縛る『布』の強度も徐々に上がっていっているようだった。

 (あ───ダメだ)

 ボクッ! という鈍い音が空間を軋ませる。 

 絹幡の拳が、身動き一つ取れない葉純の溝に、勢いよく打ち込まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ