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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
21/25

第二十一話 少女A ③

                       ───転章


     ◇


 浅影本家の屋敷は、騒然としていた。

 時刻は午前十一時。新矢志輝と絹幡蘭が、瘴気の発生源へ向かって実に二時間が経過している。

 その間にも、屋敷の者達は片時も休むことなく、自分達の仕事に従事していた。

 非番の女中も到着している。屋敷内の人口は三十を越え、いつもより忙しない様子だ。

 皆が儀式の準備に一丸となって動けば、こうも賑やかになるものなのか。昨日が昨日で異様(やけ)に静かだっただけに、そのコントラストに圧倒されてしまう。十三年前の活気に、限りなく近づいているだろう。

 不足の事態が起こったからといって、魔術師たちの祭事を中止させるわけにはいかない。何せ、今夜の儀式は浅影の未来が懸かっているのだ。何としてでも、己が務めを果たさなくてはならない。

 普段は面倒事を嫌う伊妻梨阿も、一通りサボタージュを謳歌したあとは、今回ばかりはと奮起し、柄でもない現場指揮に勤しんでた。


「それは、この地点に置いておけ。この術式に使う。ああ、こいつは…まだ保留で良いだろう。」


 図にくまなく目を通して、押し寄せる無理難題とも言える課題に最適な指示を下す。本来ならば、彼女よりも適任の役がいる筈なのだが、生憎とその人物も、この呪詛の瘴気の前にダウンしている。専用の薬を処方したところ、一先ず体調は回復し安定してきたのだが、この感じだとすぐに復帰とはいかないだろう。

 伊妻の周りには、十人程度の人だかりが出来ている。

 全員が十代ぐらいの年頃の、無地の和装を纏った女中達であった。


「よし、集まったな。『家政婦長』伊妻茜に代わり、これよりこの伊妻梨阿が指示を伝える。静音班は担当魔術師の指示の下、予定通り祭殿の組み立てを続けろ。瀬名班はここに残って私と薬剤を調合する。終わった後は全員に届けるから気合い入れてけ。綾香班はしばらく待機していろ。あ、だが美紀子。お前はダメだ。サボっていたからな。罰として蘭達の様子を確認してこい。イヤだと言ってもダメだ。ルールは守るもんだぞわかってるのかクソガキ。」


 美紀子と呼ばれた女中は、途方にくれた表情を浮かべながら去っていく。さっきまでサボっていたことは棚に上げ、伊妻梨阿はよしと頷いた。説教するのは嫌いじゃない。大人というものは汚いのだ。


「さぁ、各々持ち場に戻れ!」


 少女達が散っていく。

 家政婦長が不在の間、伊妻梨阿が指揮し、神殿の組み立てと霊脈の安定化を計る必要がある。

 早朝の瘴気騒動で、既に何人かが倒れている。他の女中や祈祷師にも、汚染の兆候が現れ始めていた。

 しかし、そんなことは、ここで我らの歩みを止める理由になりはしない。

 浅影が、我らが七家が、一対どれ程の年月を、この神秘を繋ぐことだけに執着してきたと思っている。たかだか一人や二人の命など、この数千年の悲願の前には及ぶべくもない。

 誰にも邪魔はさせない。

 今宵、浅影は生まれ変わるのだ。


「伊妻さーん!」

一葉(かずは)か。何があった?」


 一葉と呼ばれた女中は、しばらく息を整えてから言った。


「蘭さんが帰ってきました! 地底湖の浄化は済ませたみたいです。これで瘴気も消えていくかと。ですが───」

「なんだ。言ってみろ。」


 少女から笑みが消えている。

 どうやら悪い報せであるらしいことは、その強張った顔から伝わってきた。


「敵の魔術攻撃への迎撃の末、未知の怪異に遭遇。蘭さんを庇って新矢志輝さんが───その、行方不明と。」

「もういい。お前も、持ち場に戻れ。霊脈の計測、引き続きよろしく頼む。浅影を支えているのは、お前達でもあるんだ。」

「はい…。あ…あと、当主様は大丈夫なのですか? 今朝から引きこもっているらしいのですが…ちゃんと、儀式はやるんですよね!? 私たちの十三年は無駄にならないんですよね!?」

「大丈夫だ。アイツはやるときはやる。お前も、やらなきゃいけないときにキチンとやれるように、準備を怠るなよ。」

「わかり…ました。」

 

 

 少女の姿が遠ざかっていく。

 それを眺めながら、伊妻梨阿は口角を上げる。

 やはりこうなったか。

 ()()は強い生命に惹かれる。新矢志輝を狙うことは想像に難くないだろう。アチラさんも、最初からこれを狙っていたのだろうが───それは此方の陣営にとっても好都合なことだ。

 新矢志輝はまだしも、絹幡蘭にはどういう訳か、魔術師らしからぬ倫理観が備わっている。この儀式の真相を知れば、必ずあの二人は反発するだろう。出来るなら、絹幡にも消えてほしかったが───

 生きているか死んでいるか。何はともあれ、一番厄介な駒が盤面から消えてくれたことはありがたい。

 新夜───いや、今は新矢なのか。

 あんな厄介極まりない異能の持ち主など、どうせ手に余ることになる。そう易々と迎え入れないでほしいものだ。いずれ、確実にこちらの驚異と成っただろう。ここらで早めに手を打っておいて正解だった。

 初めから、この『淵縫い』の儀の影で蠢く思惑は、一つや二つに留まらない。

 敵は複数人いると報告にあるが、それら全員が同じ目的の元に協力しているとは思えない。というか、他の家系や伊妻家の人間同士ですら、その腹の中にどんな野望を抱いているのか分からないのだ。

 誰が裏切るかわからない。そんな修羅の中では、自身の立場や思想をより明確なものにしなくては。

 我ら伊妻家は、七家の中で最も古くから浅影と交流を続けてきた一族だ。理想を共にする魔術の徒として、最も浅影家の理念を信仰しているのは、私たちだと言ったとしても、傲慢だと嘯くものはいないだろう。

 本家が壊滅しかけているとしても、関係のないことだ。

 伊妻の、延いては浅影の悲願はただ一つ。

 ■■■■■を■■とし、■■■■■■■■■■■させる。

 我らの希望が産声を上げる刻は近い。

 十三年前の失敗は、今日この日を以て、その意味を実らせるだろう。

 必ずや成功させて見せる。


「その為にはまず、あいつを叩き起こさなくてはな。」


 伊妻梨阿は、灰色の景色の中へと歩き出す。

 儀式の要である、浅影瑠鋳子の部屋へと。


     ◇


 浅影本家の屋敷は、広島県某所にある山の上に建てられている。

 屋敷とは言っても、その実態は要塞に近い。いつ襲撃されても対応できる構造(つくり)となっていた。

 魔術工房とは、魔術師にとって有利をとれる場所であり、同時に死守せねばならない最後の砦でもある。浅影の一族は、土地を簒奪せんとする無頼の魔術師達から、今日まで屋敷(ここ)を守り抜いてきたのだ。

 山にへばりつくように連なっている回廊は、蛇が這いずっているようにも、蜘蛛の巣が張り巡らされているようにも見える。そんな異形の風景を支える山は、さながら膨大な年月を経て朽ち果てた墓石だった。

 その一角に、他の建物よりも一際豪奢な棟が見える。

 当主専用の邸宅。

 他でもない、浅影瑠鋳子が住んでいる部屋である。

 幻術の類いを施しているのか、麓の温泉街を散策する人々には、この屋敷の姿は見えていないようだ。それでも、こんなに目立ちやすい外装になっているのは、名門魔術師の家柄故の傲慢さであるか。

 そんな浅影邸であるが、内装はさほど豪奢と言うわけではない。いや、確かに豪奢なのだ。豪奢なのだが、所謂成金じみた下品さを感じない。自然とその価値を受け入れてしまうような作りとなっている。

 ただ単純に、美を追求したような作り。輝くというより、見た者の内側に訴えかけてくる構造。

 魅了させるのではなく、魅入らせる。

 少し踏み込んだ言い方をすれば、見ている側の審美眼や感性を試してくる感覚。今まで、どれだけ美しいものを見てきたかを問われているような、観客も含めて一つの美術として取り込む在り方だ。

 先代当主、浅影瑠璃花の思想が反映された部屋。

 その隅に、浅影瑠鋳子はいた。

 体育座りをして俯いている。

 豪奢な屏風も、美しい壁紙も、彼女の心を癒すことはできない。

 どんな人物であろうと、精神の支柱が脅かされればただでは済まないのだ。

 部屋には、夥しい量の和紙が散らばっている。その一枚一枚には、呪術的な紋様に重なるように方位が刻印されていて、羅針盤やコンパスを想起させる。或いは、西洋のウィジャ盤と言い換えても良いだろう。ある種の魔術師であるならば、それらが非常に高度な術式を含んだ(まじな)いであることは、容易く見抜くはずだ。

 術式の構成としては、何十年か前に流行ったコックリさんとさほど変わらない。ただ純然たる事実を、術者に『知らせる』というものだ。とは言っても、どう『知らせる』のかは土地により多岐に亘る。

 コックリさんと同じく、周囲の浮游霊を呼び出し教えてもらう降霊術系。陰陽道やタロットカードでも見られる占星術系。より実践的だが、六つの神通力の中には自らの未来を悟るものもあるという。

 部屋に散らばっている和紙には、流石に六神通のような代物はなかったが、様々な系統から引っ張ってきた術式が大量に記されていた。

 それらは全て、あの蛇使いに連れ去られたと見られる鳴上霖雨の居場所を探知する為の術式だった。

 浅影瑠鋳子の努力は───

 

「なんでよ、」


 結果は見ての通りだ。

 

「───どこにいんのよ…霖雨」


 掃き捨てられた和紙には、懸命に魔力を通した痕が刻まれている。散らばった数は、百を越えていた。

 浅影瑠鋳子は、帰還してからもずっと部屋に篭り、探知の術式を試行し続けていた。

 しかし、如何なる術式を試してみても、一向に突破口が開けない。

 全くといって良いほど反応を示さない方位図は、まるで浅影瑠鋳子が魔術師であるということを否定しているかのようだ。どんなに魔力を通してみても、鳴上霖雨の居場所は浮かび上がってこなかった。

 度重なる失敗は、精神的にも体力的にも、術者を消耗させていく。十を過ぎて尚も神童と称された、天下の浅影瑠鋳子も例外ではない。数時間が経った今、絶望は失望に、癇癪は嘆きに変わっている。

 そしてついさっき、とうとう彼女は、自らの無力さに屈したのだった。


「───っ」


 力を入れた指が、びくんと跳ねる。

 指先の神経の裏側が、ヒリヒリと焼けるように痛む。

 魔力の生成を停止した魔術回路は、昨日からの酷使の疲労を訴えている。

 魔術回路は、本来は霊魂に属する疑似神経だ。魂に痛覚はなくとも、脳と肉体に付随する器官である以上、ある程度は()()()()ことがある。だから、幻肢痛のようなものでも、この痛みは純然たる現実だ。

 けど、それよりも───


「う、うう、うええぇ…」


 ───今はただ、胸が痛かった。

 心にぽっかりと穴が空いた、なんてものじゃない。寧ろ、そっちの方がまだ優しかった。

 私の胸を、細長い杭が貫いている。端から端までを何かが伝い、私の全てを溢していく。

 人を苦しめる為だけに作られたような、太くて、鋭くて、ただひたすらに痛ましい形は、私が私へ向けた殺意の具現なのだろう。それが、胸に開かれた穴の中を、かき混ぜるように抉っていく。

 後悔も、失望も、全ての感情が混じり合ってしまったら、私の心は、一体どうなってしまうのだろう。

 浅影の当主としての矜持も、人間としての尊厳も、女としての覚悟も───なにより、魔術師として積み上げてきた(おご)りでさえも。かくも容易くかなぐり捨てて、ケモノにでも堕ちてしまうのだろうか。

 それはそれで、私らしいと言えばそうだろう。

 だけどたぶん、それは今よりもっと痛ましい。

 というか今は、顔を上げる気力すらもない。ただ過ぎ去っていく時間に、すり潰されているだけだ。

 

「───誰?」


 ふと、襖の奥の廊下に、人の気配を感じた。

 随分と見慣れた気配だった。

 偏屈で、理屈っぽく、嫌味ったらしい。

 歩く音にすら気づかない感覚は、隠密機動の経験が染み付いている鳴上霖雨を彷彿とさせる。しかし、今回は私の落ち度だろうし、向こう側にいる人物が彼女でないことくらい、纏う雰囲気から分かる。

 というか、この浅影邸に、そんな人間は一人しかいない。

 

「開けるぞ。是非はない。」


 そういって、不躾にも襖を開けてきた女の名は、伊妻梨阿。

 たぶん、浅影邸にいる魔術師の中でも、随一といって良いほど性格の悪い女だ。

 気まぐれな皮肉屋で、いつも当たりが強く喧嘩腰。未成年なのにお酒を飲んで、「魔術師なんだから大丈夫だろう?」と皆の前でタバコを吹かす。新しい魔術薬を開発するとか言いながら、部下に仕事を押し付けて、自分は部屋でのんきにサボってる。まだ二十歳にもなってないクセに、さも世の中を良く知っているかのような態度は、腹立たしいことこの上ない。

 私が幼い頃は、彼女の心ない言葉によく泣かされていたものだ。自分がこんな性格になったのも、彼女の影響が少なくはない。最も、彼女に似るのではなく、反抗心が研ぎ澄まされていった感じだが。

 けどその反面、彼女の考えはいつも正しい。

 人としての倫理など、魔術世界では何の意味も持たない。ならば、どれだけ人として最底辺だろうが、魔術師として間違っていないのなら、それは何者にも及ばない真の意味での正義足り得る。

 そんな彼女が来たということは、たぶん、そういうことなんだろう。

 部屋の隅で項垂れる私を見た後、彼女がなにを言うのか。これほど当たりやすい占いはない。

 星を詠むよりも容易いことだ。


「いつまで、そんなことをしているつもりだ?」


 ほら、やっぱり。

 アンタは昔から、そういうことを言う。


「儀式の準備が、思っていた以上に難航している。悪意ある誰かさんのせいでな。霊脈のバランスが崩れて、全部一からやり直しだ。」


 「ふざけやがって」と、小さく悪態をつく。舌打ちすらしない辺り、明らかに苛立ちを隠せていない。

 

「お前だって分かってるんだろう? 今夜の儀式が、浅影にとってどんなに大事か。魔術師として生まれたんなら───いや、こんなこと言うだけ無駄か。少し、趣向を変えてやろう。お前は知らないんだろうが、今この瞬間にも、女中どもが死力を尽くして、自分に出来ることを最大限にやっている。それで、お前は何だ。お前は何者だ。お前はこのまま、何もしないでいるつもりか。霖雨のヤツだって、まだ死んだと決まったわけでもないのに?」


 ありきたりな常套句に、気が遠のく。

 結局のところ、コイツは私のことを、単なる子供としか見ていないのだろう。まぁ、本当にそうだから何も言えない。けど、自分のことを棚に上げるのはどうかと思う。アンタだって、仕事しないクセに。

 「ふざけるなよ…」と、唸るような声が聞こえる。

 今度は、私に対して言っているようだった。


「うるさい」


 絞り出すような声が聞こえる。

 

「うるさい? うるさいのはお前だ、()()。皆が、お前をどれだけ気にかけていると思っている。お前がそんな対応をとれば、皆が気まずくなるんだ。現に、今のお前は腫れ物そのも」

「うっさいわね、ほっといてよ!」


 今はとにかく、どうしたらいいか分からない。

 これから何を為そうとも、どう朽ち果てようとも、鳴上霖雨が居ないのでは意味がない。


「お前───」


 伊妻梨阿は、驚愕の表情を浮かべる。

 唖然としていると言っても良い。

 そして、何かを察したかのように深呼吸をすると言った。


「───認識を改める。」


 俯いていた浅影瑠鋳子からは見えていなかったが、その時の伊妻梨阿は神妙な面持ちでいた。ようやく、伊妻梨阿にも、浅影瑠鋳子の現状の深刻さが、理解の範疇に落ち込んできたようだった。


「こいつは重症だ。霖雨が居なくなったことが、相当堪えてると見える。」

「平気よ、このくらい。今は少し休みたいだけ。昨日ちょっと無理しちゃったから。」


 精一杯の気丈だなと、伊妻梨阿は思った。


「それにしては、随分と憔悴気味だが。」

「───アンタって、ホント意地悪いわね。」

「やはり重症だな。普段のお前なら、人のことを言えないような発言は絶対にしない。」


(その微妙に先回りしてくるやり口が、意地悪いって話よ)


「私は、お前のカウンセリングをしてやろうと思っているだけだ。このままじゃあ、お前の空気で屋敷の全員がダメになる。元より、私はお前専属の調律師だ。魔術師のメンタルの不調を解決するのも、調律師の役目だとは思わないか?」

「私のどこが悪いって言うの?」


 精一杯の欺瞞をぶつける。

 答えはすぐに帰ってきた。


「自分が傷ついていることに、全く無自覚なところだ。本当は寂しくて今にも泣きそうな癖に、ガキの癖に、いっちょ前に力みやがる。泣いてないのに、泣き声が聞こえてくる。」

「───当主なんだから…当然でしょ。次期当主足るもの、弱みを見せるなって。」

「他の奴らに見せるなとは言ったが、自分にも見せるなとは言っていない。自分の傷に向き合わなければ、お前はずっとそのままだ。ずっと立ち止まったままになる。すぐ泣くガキはクソだが、ずっと我慢して抱え込むガキもクソだ。私と初めて会ったとき言ったよな? 辛いときは、辛いって言えって。このままじゃあ、お前は全部をかなぐり捨ててぶっ壊れることになる。そいつはダメだ。人間として、たまには自分を解放しなくちゃあいけない。」

「何が言いたいわけ?」

「その…つまり、だ。」


 頭をかきむしりながら、部屋の中に入ってくる。

 浅影瑠鋳子(わたし)の姿を、伊妻梨阿の影が包み込む。


「もう一回言うぞ。辛いときは辛いって言え。私との二人きりに限り、その弱さを赦してやる。」


 まだ二十歳になってすらいない彼女の影法師は、なぜかその時だけ、どんなオトナよりも大きく見えた。小学校に入ったばかりの頃は、上位学年の生徒が大人びて見えたものだが、今のは違う。その逆だ。

 一重にそれは、私が子供だったことを意味していた。

 自分が思っていたよりも、ずっと。

 

「───お前は、確かに優秀だ。」


 私の目と鼻の先に、彼女は立っている。

 

「幼い頃から、魔術師としての運命を受け入れて、数々の死線を逞しく潜り抜けてきた。生来の気質か、成長の賜物か、大した度胸だ。浅影の当主としての手腕や立ち振舞いも申し分ない。魔術の腕だって、もう全盛の頃の浅影の猛者と遜色ないレベルだ。これで、まだ発展途上だって言うんだから恐れ入る。お前はもしかしたら、千年に一人の逸材なのかもしれないな。この七年間、お前専属の調律師としてやってきたことは、私にとっては誇りなんだよ。けどな───」


 頭にそっと手を置かれる。

 女性にしては厚い手だったが、不器用な優しさが篭った手でもあった。


「───お前は、まだガキだ。ガキが、ムリにオトナぶるんじゃない。ガキはガキらしく、つらい時は、黙りコクってないで泣きたいように泣け。」

 

 顔を上げる。

 瞳に写る伊妻梨阿の顔は、霞みきって見えない。

 浅影瑠鋳子は遅れて、自分が泣いていることを理解した。

 実に、五年ぶりの涙であった。

 すべてが、決壊した。

 

「う…うう…ううううう…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!なんで!?なんで?!なんでなんでなんでなんでなんでェ!なんでなのよォ?!なんであんたがこんな…!なんで…こんなことに………あんたが…あんたがいないとダメなの!あんたがいなきゃ私………うううううぅぅぅええええぇぇぇぇぇ………どこにいんのよ…どこにいるのかおしえてよ………あんたがいなくなったら…私…何のために…何のために痛いの耐えて……耐えて…………当主になったのか、わかりゃしない…」


 抱きついた伊妻梨阿の腕の中で、浅影瑠鋳子は刹那の間、本当の意味で一人の少女に戻った。

 本音は言えても、本心は言語化できない。

 それでも、最後に放った言葉だけは、限りなく真意に近い極限の言葉であったと言えよう。

 

「世界で…たった一人だけの…私の家族……お姉ちゃん───」


 そういって、浅影瑠鋳子は力尽きたように、伊妻梨阿の腕のなかで眠りに落ちた。

 二人の少女を包み込むように、仄かに甘い香りが周囲に立ち込めている。伊妻梨阿が炊いた、お香の匂いだった。そっと嗅げば、鼻腔の奥がすっきりと澄み渡り、意識がぼんやりと霞みがかって心地よい。

 どうやら、催眠効果があるようだった。

 伊妻梨阿は魔術の調律師だ。調律師といっても、多種多様な系統が存在するので、何でも一緒くたにすることは出来ないが、傷心の少女の精神を落ち着かせ、心地よい眠りに誘うお香を作ることくらい訳はない。

 浅影瑠鋳子は、抵抗することなくそれを受け入れた。

 

「まったく、妬けるなぁ。この屋敷じゃ、年寄りどもが死んで以来、一番長くお前を見てきたのは私だったってのに。なぁ霖雨、私はお前が羨ましいよ。本当の自分を曲げてでも、何でそんなに人に尽くせる。本当の気持ちを押さえても、何でそんなに満たされている。人との軋轢を生まない物腰。当たり障りなく接する謙虚さ。そんな人から好かれる為の努力が、気持ちが悪くてしかたがなかった。だから、こんな人でなしになってしまったんだろうな。」


 そっと、髪を撫でる。紺色の髪が、さらりと流れた。

 

「るい。今は寝ていろ。お前にはこの後、大事なお役目が待っているんだ。頼むから、こんなところで潰れてくれるなよ。」

 

 そっと少女の頭を撫でる。伊妻梨阿の瞳には、煮えたぎるような野望と、暖かな慈愛が灯っていた。

 

     ◇


 昼過ぎの、とある山道だった。

 ここら一帯は針葉樹林の為か、まだ一月の末だというにも関わらず、杉や檜が生い茂っている。しかし、冬であることに変わりはない。肌を刺すような寒波も、水分を奪っていく乾いた空気も顕在だ。

 そんな樹林の中を、躊躇うことなく機械的に進む三人の人影がある。

 最後尾にいるのは、白い頭髪が特徴的な長身の男。続く真ん中は、長髪までも含めた全身黒ずくめの、これまた長身の男。そして先頭を務めるのは、二人の男とは真逆の、一際小さな体躯の少女だった。

 

「すみません。本当に、ここを真っ直ぐ行くだけでよろしいんでしょうか?」

「うん、そうそう。俺の式神の目に狂いはないさ。」


 先頭の少女が、振り替えって尋ねる。土御門は陽気に答えると、少女にサムズアップした。


(仔社…やっぱ、こんな珍しい名字を持ってるやつは早々いねぇ)


 土御門を窮地から救ったこの少女は、自らを仔社玲奈と名乗った。普通に考えれば、浅影勢力を構成する七家の内の一家───霊地管理を担う、仔社家に関係のある人間であることはまず間違いない。

 あの戦いの後、土御門と仔社玲奈は行動を共にしている。目的が同じであると分かったからだ。


『鳴上家の当主さんに、雁崎仄華さんとの交渉を依頼されまして、雁崎の隠れ家があるっていう場所に行ってみたんですが、この通り、迷ってしまった次第です。』


 俺も、その雁崎仄華を探している。魔力を辿って案内できるから、同行させてくれないだろうか。

 そう頼むと、彼女は二つ返事で快諾してくれた。

 どうやら彼女も、アジトへの複雑極まりないルートに攻めあぐねていたらしい。攻めあぐねていた、というのはそのままの意味で、武力衝突も辞さない命懸けの交渉をしに来たとのことだった。

 一体、どんな交渉であるというのか。


「それにしても、『仔社』もひでぇことするね。こんな小さな娘に、命懸けの交渉だかなんだかをやらせるんだからさ───っと、アッぶねぇ!」


 獣道に限りなく近い山道故か、地を這うように茂る草や木の根に、足を絡めとられる。落ちた木の枝は、踏まれる度にパキパキと軽快な音を鳴らし、霜で凍った地面が割れる音か判別が難しい。


「小さい子には旅をさせろ、とかいいますからね。まぁこの場合、旅というより冒険ですけど。でも、結構楽しいですよ?」

「冒険ねぇ。そりゃあ言い得て妙だ。」


 辺りを見渡す。

 確かに、これは冒険だ。

 来たものを惑わす、迷いの森。

 最早、樹海と言われても違和感のない場所である。このまま進んでも、同じ景色だけが延々と続いて、一生目的地に辿り着くことが出来ないのではないか。そんな考えが浮かぶ程に、ここは混沌としていた。

 妖怪変化に化かされ、延々と同じところをぐるぐると回る怪談を思い出した。

 とはいえ、土御門とっては、既に活路は開かれているも同じだ。魔力探知に優れた『鷲』の反応から、雁崎仄華と思われる魔術師が、この先にいることは間違いない。例え、結界の類いが掛けられていたとしても、問題はないだろう。反閇(へんばい)と『鷲』の探知を併用すれば、多少時間が掛かっても、雁崎の居場所に辿り着ける筈だ。

 しかし、憂慮すべきはそこではない。

 昨日読んだ手記には、雁崎仄華が平穏に暮らすことを望んでいる趣旨が見られた。

 どんな理由や思惑があるにせよ、俺たちが訪問するということは即ち、大なり小なり、その平穏な暮らしが脅かされることを意味している。

 向こうにとっては、俺たちは招かれざる客そのものだ。

 再度、周囲を見渡す。

 今は、どこにでもありそうな樹林だが、この先もそうである保証など何処にもない。落とし穴や迷路なんてものは可愛いもので、最悪、地雷のような殺傷力の高い術式が組み込まれている可能性もあり得る。

 もし待ち伏せされていた場合、俺一人で凌ぎきれるか分からない。

 それに、警戒すべきは外敵だけではない。


「おい、もっと速く歩け。」

 

 前を歩く三人目に言う。黒いライダースーツに黒い革ジャンと、全身黒で彩られた長身の男だ。

 土御門の術式によって拘束されており、魔術行使が満足に出来ない状態である。勿論、銃も没収済みだ。

 あの伝説的なバイクチェイス以来、こいつも同行している。

 本当はここで殺しておいた方がいいのだろうが、生憎と、志輝との約束で自らに禁じている。

 一度倒したからといって、諦めてくれる保証など何処にもない。いずれまた、俺の命を狙いに来るだろう。ならばいっそのこと、手元に置いておく方が無難だと判断した。

 

「腕が苦しいんでな。転んでしまうと、手を借りねばならなくなる───君が、取ってくれるのかな?」

「取らねぇよ。魔術師の手なんか。」

 

 この通り、油断も隙もない男だ。

 二人の魔術師で、挟み込むように監視し続けなくてはならない。

 獅子身中の虫。

 内にも外にも意識を向けるとなると、相当なエネルギーを使うことになる。土御門の身体も、昨日の今日で既に限界が近づいている。このまま、何事もなく目的を達成できることを祈るばかりだ。


「そういやお前、名前聞いていなかったな。」

「易々と本名を明かすと思うか? まぁいい、"黒須"と呼べ。」


 自らを黒須と名乗った男は、振り返りもせず黙々と歩く。その背中には、僅かな余裕が見られた。

 こいつはこいつで、これからどうするつもりなのだろうか。

 外部から雇った野良の殺し屋。

 本当にそうだろうか。

 しかし、今の土御門には、黒須への疑念より別の事柄への興味が勝った。


「さっきは、いきなりの事だったから聞けなかったけどさ、その交渉っていうのは何かな? 今夜、重要な儀式があるみたいだけど、それと関係があるのかな?」 

「よくご存じで。」

 

 土御門が、先頭に向かって尋ねる。少女は鼻唄を止めて、黒須の横からひょっこりと顔を出した。

 庶民的な服。自分のちょうど腰辺りの背丈。女性らしい曲線や膨らみのない、成長期前の華奢な体躯。瑞々しいきめ細やかな柔肌。まだ、生理すら来ていないであろう清純さ、穢れを知らないあどけない無垢。

 どこにでもいそうな、ただの小学生にしか見えない。

 そんな少女が、黄泉と穢れを司る浅影勢力の魔術師であるとは、一体どこの誰が知り得ようか。系統こそ違えど、同じ魔道に生きる土御門ですら、今でも半分は信じられていない己がいる。というか、魔術は大体五歳くらいから習い始めるものだ。年齢的に、まだ五年位しか研鑽を積んでいないだろう。にも関わらず、あれ程までの高位の霊を使役できているのは、にわかに信じ難い。


「それは後でのお楽しみということで。」


 ウィンクをして、前に向き直る。

 露骨にはぐらかされてしまった。

 横に付き添っている男の霊が、小さく会釈する。

 二十代半ばといったところか、成熟してはいるが、まだ老けているとは言えない狭間の年頃だ。

 命令されてもいないのに、自ずから高度な知的活動が出来るとは、降霊術としては驚異的な技術力だ。


(浅影瑠鋳子といい、部長といい、何で落ち目の家系からは、こうもバケモンがぽんぽこ産まれるかね。)


 これでは、まるで断末魔ではないか。

 人は死の間際、急に体調が回復する事があるという。  

 そう聞くと、この現象と通ずるものがある。曰く、尽きかけた命が、最後の力を振り絞って、後継者を残そうとするのだとか。そんな眉唾な論文を、どこかで見たような見なかったような。

 魔術とは、単なる技術に過ぎない。それが、魔術師にとって我が子のような存在だったとしても、使うか使わないかを決めるのは、当の魔術師本人であり、魔術はただ使われるだけのモノでしかない。

 しかし、一枚岩ではないのが魔術世界だ。古い伝承の付喪神のように、代を重ねる度に、技術にも意志が宿るとしても、何ら不思議ではない。

 そう考えると、何か薄ら寒いものを感じる。

 自分の家系は分家筋だったのだが、異様なほど優秀だった姉は、本家の並みいる候補を差し置いて当主に選ばれ、土御門宗家の看板として一躍大成した。それまで世話焼きで面倒だった姉は、相変わらず面倒な人のままだったが、果たして本当にそうだったであろうか。今となっては、思うところがある。

 土御門の術式を継承する前後で、雰囲気に僅かな差異があった。元から、魔術が大好きだった姉だが、当主になってからは、陰陽師を束ねる者としての責任感だけでなく、何か、大いなる使命感のようなものに取り憑かれていた───ような気が、しなくもない。

 心臓を移植された人に、ドナーと同じ趣味趣向が発生したなんて事例もあるが、相伝呪刻もある意味、先代達の執念の結晶である以上、継承されるのは魔術だけではないのかもしれない。

 そして───

 腕を見る。太くはないが、鍛え上げられた筋肉質な腕だ。

 

(───俺にも、ソレが刻まれている。)

 

 分家筋には分家筋の相伝呪刻がある。姉がいなくなった空白を埋めるように、俺が当主の座についた。

 今は勘当されて、こんな辺鄙なところにいるが、当主として受け継ぐものは受け継いでいる。

 受け継ぐ以前の自分と、受け継いだ以降の自分。

 何かが違っていたとしても、今の俺には分からない。

 単純に、このたった数年で俺は劇的に変わってしまった。人間としての変化は勿論のこと、環境の変化、知識の変化、そして何より、心の拠り所が全くといっていい程変わってしまった。

 思春期に入り大きく変わった世界は、魔術師としての変化を埋もれさせてしまった。

 けど、そんなことはどうでもいい。

 魔術の継承の前後で、俺という存在がどれくらい変容したとしても、いくらでも許容できる。

 人は、変わる生き物だからだ。

 むしろ、自らの変化にワクワクしている趣さえある。

 呪いでも執念でも、それくらいなら許容してやる。俺は俺として、魔術師・土御門有雪として、全身全霊をかけて千年続く指令(オーダー)を全うするつもりだ。

 ───けど、どうしてもタダじゃおきたくないヤツがいる。

 俺を、間違いなく大きく変革させ、こんなところまで連れてきた俺たらしが。

 新矢志輝。

 この二年間、ずっと君を探し続けていた。

 ()()()、何が起こったかなんてものは、もうどうだっていいんだ。この二年間、一体どんな思いで、どんな風に生きてきたか何ていうのも、もう訊くつもりはない。

 ───俺はただ、あの日の答えを聞きたいだけなんだ。

 

「着きましたよ。たぶん、ここです。」


 先頭の少女が言う。

 周囲は、今までの景色と少しも変わらない。三百六十度緑一色の、見渡す限りの樹海である。

 常人ならば、まず間違いなく遭難の二文字が過るであろう。

 しかし、魔術師にしか分からない世界が、この世界には存在する。


「少しお待ちを。」

 

 そう言うと、仔社玲奈は周囲の「何か」に目星をつけて、すっと、その白い細腕を虚空へ翳した。

 

「神の御息は我が息、我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば、穢れは在らじ残らじ。阿那清々し、阿那清々し。」


 最後に、翳した手の人差し指と中指を、少し開いて唇に押し当て、ふっと、虚空に息を吹き掛けた。

 すると次の瞬間、前方の風景が霧のように融け崩れ、今まで存在していなかった道が現れた。


「成る程、限定的にだが、本来の位相をずらしていたということか。」


 黒須が、感心したように言う。

 端的に言えば、本来の景色を、どこか別の景色と置換していたのだろう。かなり高度な結界だった。

 対して土御門は、結界を解いた仔社玲奈の術式に着目していた。 

 

(今の詠唱、間違いない。『息吹法』だ。)


 息吹法。

 大祓詞の一種。

 国産みに関わったとされる夫婦神の片割れ───伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、黄泉の狭霧を払った故事に因んだ術式である。その逸話から、邪気や穢れを祓う神事や儀式に幅広く使われている祝詞だった。

 黄泉の理を支配する系統故か、浅影勢力の魔術師もこの術式を使うようだ。

 さらに、どうやら彼女の術式は、結界にも対応できるように改良されているらしい。

 魔術の世界では、何か一つに特化しているよりも、万能であることがより尊ばれる。成る程、どんな力も術式も、究極的にはたった一つの言葉で為しえた方が効果的というのは、正しく魔術師の理想とするところだ。

 

「私はまだまだ未熟者です。()の力添えがあってのことですから。」


 謙遜しながら言う少女の隣には、一人の男がいる。

 生きている人間ではない。しかし、生きている人間よりも生気に満ちた男の霊だ。 

 大正ロマンの装いは、渋い色合いの割に古臭さを感じない。

 仔社玲奈と並ぶと、彼女の現代的な服装とのコントラストも相まって、この世のものとは思えない異質さがより強く滲み出ている。幽霊だけに、周囲の時間から隔絶した、浮世離れしているような印象が強い。

 守護霊。或いは、背後霊。

 恐らくは、そういった概念を基にした降霊術の一種だろう。

 しかし、死霊というには魔力量が桁違いだ。一体、どんな人間を素体にしたのかは知らないが、これ程の大霊の使役は、日本中探しても中々見れるものじゃない。場合によっては、下手な精霊にすら匹敵する代物だ。

 浅影家傘下の七家は、各々が役割に基づいた特色を持っているという。雁崎が、電気の術式で自動人形(オートマタ)を操作していたのに対し、仔社家の魔術は、強力な霊体の使役に秀でているようであった。


「うおっ。こりゃ相当なやり手だな、ソイツ。生前は退魔師だったと見た。どうかな?」


 先程の戦闘。男は、黒須が放った強力な呪詛を、まるで汚れでも拭うかのように容易く消し去ったのだ。

 仔社玲奈は、魔術師としては決して能力が高いというわけではない。確かに、あの年齢にしては優秀な方ではあるが、魔術が長い年月を掛けて研鑽していく学問である以上、全体として見ると普通の域を出ない。

 それでも、結界破りのような芸当が可能なのは、この男の霊のバックアップがあるからに他ならない。


「ご推察の通りです。()は生前、私の家がある地域では名のある霊能者でして、本人の同意の下、死後を買い取るという形で仔社家(わたしたち)が。」

「はえ~随分と親切な人だったんだねぇ。」

「単なるいい人というよりは、自分を検体にするお医者さんみたいなものでしょうか。ほんと、仔社家(わたしたち)のくだらない収集癖に、よく付き合ってくれましたよ。彼もまた、どこか捻子が外れた人だったんでしょうね。まぁ、超能力者なんてみんなそんなものですけど。」


 少女が苦笑する。

 流暢につらつらと発言するところは、本当に小学生かと疑いたくなる。

 年頃のませた子供とは違う、物事の受け答えが自然と整っている。


「彼のような人が他にも?」

「はい。仔社家(わたしんち)は、特別な才能や技術を持っている人間の霊を収集するっていう、ちょっと変わった家業があるんです。」

「へ~それで、」


 男の霊をみる。

 強力な霊とは思えない程、存在として穏やかだ。

 通常、霊というものは希薄な存在だ。

 残留思念。その人物を取り巻く事象が、世界に記録として焼き付いたレコードのようなもの。それらが魔力を帯び、現実に対する影響力を持ったものを、魔術の世界では一般的に霊と呼称する。だが、大抵は『ただそこにいるだけのもの』として彷徨い続けるだけで、霊脈の変動や、大規模な術式行使が起きない限りは、特に自分から外界に対して作用することはない。

 人間に積極的に危害を加えたり、魔術師が非実体の兵隊として使役できる霊は、外界に強い執着や感情を持った個体のみであり、転じて、強い影響力を持つ活発な霊は、気性が荒く危険だ。死霊術師は、そうした死者の妄念を以て霊を動かすが、それは自らが霊に害されるリスクを背負うことでもある。

 そういった意味では、この霊は異質といえる。

 これ程自我がはっきりとしているのにも関わらず、主人や他者に対する悪性は見られない。

 単なる性癖か、それとも古来より続く何らかの指令であるのか、一体どんな技術を用いれば、ここまで安定して霊を使役できるのか。式神の核に霊を使うこともある土御門にとっては、興味の引かれることだった。


「おい、お前ら気づいているか。」


 不意に、黒須が言った。

 辺りを見渡す。


「前だ。」

 

 道の向こう。

 生い茂る脇の草木から、無数の影がぞろぞろと姿を表す。


「こいつらっ」


 人ではない。

 しかし、人形の物体である。

 土御門は以前にも、これらを見たことがあった。

 金属質な甲殻。のっぺりとした顔面に、無数の魔術的な紋様が刻み込まれた胴体。二の腕は人間のそれではなく、巨大な剣のような形をとっている。線の細い手足には、横向きに回転する車輪がついている。

 

「───自動人形(オートマタ)。」

 

 昨日、雁崎の隠れ家で戦ったものとそっくりだった。

 

(量産タイプっワケじゃあねぇよな。)


 昨日、あれだけ苦戦して、ようやく行動不能にした自動人形が、今、目の前に数十体程立ち塞がっている。

 こちらの戦力的には、最悪に近い。

 いくら仔社の使役霊が強力であっても、流石に数が違いすぎる。戦闘において、物量とは非常に重要だ。

 だが、驚愕と同時に確信したことがある。


「やっぱり、ここが雁崎の根城っぽいな。」


 バリッという音と共に、自動人形たちが駆動する。

 目に見える程に励起した空色の魔力が、その金属質な全身を雷のように駆け巡っていく。

 恐らく、核は心臓部にあるのだろう。胸元から現出した空色の雷が、胴体に刻まれた魔術的な紋様をケーブルとして、両腕のブレードや脚部の車輪を始めとした各所部位へと、忙しなく電力を供給している。

 ブレードが、一斉に唸る。

 不意に落ちてきた枝が、流れるように両断される。

 電気メスの要領で振動する大太刀は、たった一撃で人体など真っ二つに引き裂いてしまうに違いない。

 その切れ味に、背筋が震えた。


「成る程、折雷の力ですか。やっぱり、雁崎の刻印は仄華(かのじょ)が持っているようですね。」


 仔社玲奈は臨戦態勢だ。

 この絶望的な戦力を前にして尚、戦意を失ってはいない。しかし、絶体絶命の状況であることは理解しているのか、その目は険しい。表情が強ばる度に、額からこめかみに掛けて大粒の汗が伝っていった。


 きりきり。きりきり。きりきり。きりきり。


 静かに、車輪が鳴る。

 自動人形がゆっくりと駆動し、散らばっていく。

 お互い、ろくに仕掛けてすらいないが、膠着とは呼べまい。 

 着々と、こちらを迎え撃つ陣形が構築されている。

 このまま囲まれれば、詰みは確実。かといって、ここから逃走するという選択肢も存在しない。俺たちは、それぞれ方向性に違いはあれど、引いてはならない理由がある。傷を負ってでも進むべき道がある。

 

(ここで…引けるか………) 


 一か八か、上空で旋回させている『鷲』へと指令を送る。任意のタイミングで、急降下してくる手筈だ。

 昨日の戦闘では、『鷲』の加速突撃は自動人形にも通じていた。流石にこのスペックでこの数となると、一機破壊することすら現実的には困難であろうが、注意を反らすことぐらいは期待できる。

 

「玲奈ちゃん。俺が合図をしたら、式神が飛んでくるから、それに合わせて道を切り開いてほしい。」

「了、解、です。」


 まず、『鷲』の式神で遊撃。注意を反らした隙に、仔社玲奈の『霊』が道を抉じ開ける。

 活路は見えた。後は、成功率をより上げる為の、もう一押しがあれば───

 

「おい、お前もいけるか。」


 黒須に問い掛ける。

 男は、一瞬逡巡してから答えた。


「そう、何度も打てるワケではないがな。」


 自動人形が動き出す。

 咄嗟に、黒須の拘束を解く。

 自由を得た黒須は、魔力を急速に回転させる。


「まだか!?」

「まだだ!!」

「くそ───」


 式神に指令を送る。

 何十ものブレードの群が、唸りを上げて迫りくる。

 直後、気流を切り裂くようにして、一匹の鷲が上空から自動人形目掛けて突撃した。

 轟音。

 混乱。

 次の瞬間、目に写ったのは真っ二つになった『鷲』だった。

 しかし一瞬、その陣形が大きく崩れた。

 その隙を、仔社玲奈の『霊』は見逃さない。

 地面に手のひらをつけると、辺りから一斉に無数の何かが沸き上がった。

 オーブとも表現できる、真っ白な光の玉であった。


(アレは、()()か?)


 エーテルを核とした魔力のプラズマか、それとも電磁波を凝縮して閉じ込めているのか。

 

「いや───自然霊か!」


 自然霊の喚起による蓄電。

 両方とも正解だった。

 大気中の自然霊を、魔力の白雷によって励起・帯電させ、電力を蓄えさせることで発光しているのだ。

 それが、『仔社』の魔術特性。

 膨れる電気(まりょく)が、放出される。

 炸裂した光が周囲に伝播し、自動人形を怯ませる。機体を流れる電気を、外からの電気が妨害(ジャミング)する。

 無論、間接的な魔力の作用は、直接的な魔力の抵抗に弾かれてしまうが、この一瞬さえあれば十分だ。

 男の手から、膨大な熱と呪詛を凝集した魔弾が、黒く輝きながら打ち出される。


「伏せろ!」


 着弾。熱の篭った爆風と、周囲の地形ごと凪払うエーテルの乱流が、自動人形たちを飲み込んでいく。

 地面にうつ伏せになっていた土御門達は、その熱を背中で感じていた。

 破壊の旋風が収まり、しばしの静寂が訪れる。

 土御門は、がばりと面を上げた。


「嘘…だろっ…」

「っ───そんな…」


 結論から言おう。

 自動人形達は、全くの無傷であった。

 動きこそ鈍ってはいるが、その躯体には明確な損傷が見られない。

 内部までそうかはわからないが、少なくとも自動人形の外皮は金属製だ。あれ程の熱をまともに浴びれば、躯体の一部が溶解するくらいのダメージは負う筈。しかし現実として、奴らの躯体の朱い輝きは健在であり、あろうことか、金属を熱した時の発光反応すら観測されていない。恐るべき断熱性能だ。


(いや、ありえねぇだろ…こんなこと)


 「まさか、」と、黒須が言う。

 何か心当たりがあるようだった。


「───いや…だが、しかし…この現代で、そんなことがありえるのか…? いや、だがもしそうなのだとしたら…」

「おい! 何がどうなってんだ?! コイツは一た───」

「気をつけろ! 自動人形(こいつら)の外皮は恐らく───ヒヒイロノカネで構成されている…!」

「な───」


 思わず、大声を張り上げそうになった。

 黒須の言ったことが、あまりにも非常識であったからだ。

 ヒヒイロノカネ。

 日本の伝説上の金属。或いは、その総称。

 漢字で書くならば、緋々色金、もしくは日緋色金。地域や時代によって差はあるが、陰陽連では『日緋色金』と書かれる事が多い。ただ、厳密にはこの呼称は、後世の創作の影響を強く受けている節がある。

 一般社会では単なる創作として認知されているが、魔術世界では実在するものとして扱われている。

 曰く、焔の揺らめきの如き朱い金属光沢を持ち、決して錆びることがない耐腐食性を有している。金よりも軽量で鉄よりも柔軟だが、合金として加工されたものはモース硬度にしてダイアモンドすら凌ぐ。熱伝導性が非常に高く、木葉数枚ほどの燃料で茶を沸かすには十分なのだという。

 磁気に対する耐性もあるようだが、成る程、どうりで仔社玲奈の術式が効きにくかったわけだ。あの魔術的な紋様は、磁気を遮断する性質を持つ日緋色金と、雁崎の電気魔術を組み合わせるための鎹だった訳だ。

 

「成る程…そういうことですか。これで、『鳴上』が目を付けていた理由がわかりました。"あなた方"は、日緋色金の鉱脈を密かに保有していたのですね。」

「その通りでございます。」


 自動人形が停止する。

 視界を覆う、朱い人形の軍勢。その奥から、枯れた女の声がした。

 次に、自動人形達が左右に散ると、束の間開いた道から一人の老女が出てきた。

 灰色の着物に、雪を被ったように白い髪。ゆらりとした佇まいは、老女を幻想的に仕立て上げている。

 

「お騒がせしました。この土地の名代を任されております、雁崎圭子と申します。大方、あなた方の目的は承知しております。」

「名代? 本来の管理者がいるということっすか?」


 土御門が言う。


「はい。十年前より、この土地の管理をしておられたのが、雁崎仄華様にございます。」

「雁崎仄華!? 俺はその人に用があるんです! 今はどちらに。」


 とうとう、その名に辿り着いた。

 十三年前の真実を知る、重要参考人に。


「それは、不可能にございます。」


 老女は、強く言い放つ。


「何でです? 俺たちは別に、危害を加えるつもりはありません。俺はただ、知りたいだけなんです。十三年前に、何があったのかを。」


 老女の皺が、より一層濃くなる。


「それは、承知しております。しかし、この人形をご覧ください。これらがあなた方に襲いかかったのは、暴走していたからにございます。()()()()、ようやく権限の継承の方が終わり、制御を取り戻したという次第にございます。権限は、当主様が保有してございます。」

「まさか───」


 老女が告げた。


「雁崎仄華は、つい今朝方、息を引き取られました。」


 あまりにも、絶望的な答えだった。

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