第二話 視界
「あ、ようやく来たか~志輝~。待ちわびたぜ~」
白髪の長身は、駅前の人気の恋愛スポットである「カップルベンチ」に一人座っていた。深く背を凭れ、投げ出すように胡座をかいて、本来ならば恋慕深める憩いの場であるはずのベンチに、我が物顔で腰かけている。
女遊びの相手でも選りすぐっているだろうか、こちらに顔を向けながらも、チラチラと人々の群れに目を移している。
いや、この俺もあいつのなかでは、ナンパ相手の一人なのかもしれない。
「しっかし~女児行方不明だとか、霊障だとか~最近はいろいろと物騒にゃんね~」
「───────お前は誰だ。」
飄々としたその後ろ姿に、いつものように投げ掛ける。
「はい!いただきました!本日の『お前は誰だ』。ッハハ!またかよ志輝!俺は正真正銘、長身白髪、なぜか前髪だけスカイブルーの霊媒師。土御門有雪だッゼェェ!!」
白髪の男は待ってましたとばかりに立ち上がる。いや、跳び跳ねるといったほうが正しい。
マフラーやニット帽を被った多くの人々が見えるなか、ブランド物の半袖と、この極寒の季節にはあまりに不釣り合いな格好だ。
───────土御門有雪。自称稀代の天才陰陽師。
そして小学生の頃の俺の友人───────らしい。
と言うのもあまり実感がわかないのだ。
別に忘れている訳じゃない。小学生の時に「土御門有雪」っていう人間がいたことはよく覚えている。近所では有名な悪戯っ子で、オトナをよく困らせていたことも知っている。おれも一緒に荷担してたっけ、まあ問題はそこじゃない。
コイツと再開したのがつい先月くらいなのだが、なんと言うか「これ」ではないと言うか、俺自身「コイツが土御門有雪だ」っていう確証が持てない。
───────宛ら「存在感が嘘臭い男」、とでも言うべきか。
俺の土御門有雪の記憶が偽物なのか、俺じゃない誰かが土御門有雪を記憶したのか。
そんな信憑性がどこか欠けている記憶へのもどかしさが、こいつと会うたびに湧き出てきてしまうのだ。
だからこうやって、こいつが本物であるかどうかを毎度毎度確かめている。
いつもからかわれるだけで終わってしまうが、いつの日かこのえもいえぬ違和感を払拭したいものだ。
「ったく、ヒドいぜ~志輝。俺たちゃ親友だったはずだ。あの頃の友の情はどこ行っちまったんだよ~あのときと同じく"アリュー"ってよんでくれいいいぃぃぃ」
土御門は俺の肩を掴んで頭をブンブン振って狼狽している。
「ああ全くだ。なんでお前みたいなクズに友の情なんて持ってたのか不思議でならないよ。やっぱりあれは俺じゃなかったのかもな。」
「いいのかな~俺っちの悪口いっちゃって~鳩さん相当怒ってるよ~」
土御門の隣に居座っていた一匹の鳩が、力強く唸るようにこちらを威嚇してくる。
こういった類のものは、人が近寄れば間抜けな声を上げながら飛び去って行くものだが、コイツはやけに土御門に惚れ込んでいるようだ。
「すげぇな、言葉も通じないのに手篭めにするなんてな。」
百発百中のナンパ師、女ならだれでも、それこそ百獣の王だって口説き落とす天賦の才の持ち主。
土御門に目をつけられたが最後、この鳩のように骨抜きだ。
「いい女」は霊力でわかるとは本人の弁。奴曰く、喰女衝動だそうだ。
そのため、こいつの傍らには必ずコイツの女がいて、ずーとこちらを睨んでくる。
土御門に対する嫌悪感がダダ漏れというのもあるが、友達(それも土御門のお気に入り)というていが嫉妬心を燃え上がらせ、表層意識に剥き出しにさせているのだろう。
奴の使う陰陽術はどれもこれも本職のものとは思えない。術を使うのに、魔力とか呪力とかの不思議パワーを基本使わない『結界術』ですら初歩レベルという体たらくだ。
だが、こいつはなぜか『生き物を使役する』という術に関しては一流なのだ。
生来の女誑し故だろうか。
「さぁて、いくか志輝。オカ研のみんなが待ってるかもだぜ。」
「確実に待ってるだろ。んで、今日は何をするんだ。ああ確か四国の旅行の奴か?めんどくせぇなぁ。あぁ、ほら、いま流行りのアプリ、なんだったっけな、緑色に吹き出しのある奴、あれ使えばいいだろに。」
───────志輝は気だるく愚痴を吐く。
「───────まあ、あの部長なら仕方にゃいかな~」
───────おどけた調子で不敵とも楽観とも言えぬ笑みを浮かべる白髪の長身とともに、『異常』に埋め尽くされた赤く、黒く、青い死界の中で、異常者は歩き始めた。
◇
───────霊媒師というのは普通、怪異や魑魅魍魎の類いの事が、もはやどうしようもないくらいに肥大化し、身を翻すことのできない最悪の時に、颯爽と現れ心霊現象を解決し、体験者に安堵と教訓をもたらしてくれる厳格な存在であるもので、陰陽師といえどもそれは変わらない。
しかし、このオカルト研究部に席をおく土御門有雪という男は、そんな陰陽師らしさどころか、陰陽師としての力すら満足に使えず(本人は失ったといっているが)、いままでに培った『知識』のみを、自信満々に吐き出し続けるという体たらくである。
普通の人間には何も見えないが、一応奴の張った土御門家直伝の結界とやらは、薄青色をした網の様なものが張り巡らされていたように見えたことから、そういった類いの力自体は僅かにでも持っているのだろう。
が、悪い気が溜まりにたまって悪霊や怪異の巣窟と化した廃墟や、一種の異界と化した土地の空間は、腐敗した屍を無造作に掻き回したような醜悪なる風景であったことから、そういった次元の違うものの前では役に立たない可能性がある。
いや、保証する。確実に役に立たない。
「───────だから~そこで志輝の力が役に立つんよ~。本来ならば見ることができないものを瞳に写すことができる。『見えざるものを見る異能』。幽霊、魂、魔力までも全部丸見え、そんなチート能力が志輝には備わってるんよ?」
───────土御門は興奮入り交じりながら言い終わると共に、不適に口角をあげる。それは新しいものを発見してまもない子供のように純粋で、都合のいいカモを見つけた大人のような悪辣さだ。
───────たしかに、俺は『異能』と呼べるものをもっている。
本来ならば見えないはずだという霊魂や穢れ、気の流れなど、常人にとっての『異常』と言えるものを、何らかの視覚情報として得ることができる。
その他にも、外側に漏れた思念なども、感情くらいなら目を凝らせば色として読み取れる。
「そんな志輝の力があるから、俺たちは安全に心霊スポットを調査できてるってわけだ!」
コイツはオレを幽霊探知機として扱っている。
言っておくが暗い視界の中でオレが見えるくらいに近い位置にいると言うことは、同時に『奴ら』もオレを見えている。俺たちが奴らの視線を感じるように、「向こう側」も俺たちの視線に気づいているのだ。
深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いている。その法則は怪異相手にも健在のようだ。
見つけた時点で見つかっているのだから探知機も糞もない。
土御門はそのガバに気づいていない。先が思いやられる。
───────黒い風が耳を掠める。
窓ガラスのないビル群が生み出す風は、ずいぶんと空虚なものだ。十三年前の災害の爪痕───────一面灰色のそれらからは、脆さを嫌でも連想する。ため息ひとつで崩れてしまいそうな、そんな無情感が体の内側で小さく渦巻いている。
「───────んで、最近の調子はどう?」
まるで久しぶりに再開した友人と、新天地での近況の会話をし始めようとするように、土御門は軽く問いかける。
それが「能力」に関してのことに気づくには、新矢志輝には刹那の猶予もかからなかった。
「───────どうもこうもない、いつもと同じさ。どこにも行く宛のない亡者の幻影、暇そうな蛇蝎磨羯がのんきに闊歩してんのをただただ眺めているだだよ。」
───────白い吐息を虚空に零す。
喪失、無情と無粋、それら無感動が無気力な打線を描き、虚無の心臓から滲み出る。
「ああ、そういえば」と、強引に志輝は会話を続ける。
「最近になって、また変なもんが見えるようになり始めたよ。」
「へんなもん?なんそれ?」
土御門は、ごく自然な流れのまま疑問を投げ掛ける。
しかし、知的好奇心が押さえられていない。マッドサイエンティストにも似た横暴さが声の端からにじみ出ている。が、それを下手に強引に覆い隠そうとする努力によって、逆にぎこちなくなってしまっている。
「まだ目を凝らさねぇとよく見えない。けどあるんだよ、至るところに。運命の赤い糸、って言うには二次元的だしグロテスクな色合いだ。亀裂のようにも感じるが、これは…そうだな。
植物の根───────だな。赤黒い蔦が、街全体を覆っている。」
「んで、ソレがなんなのかはまだわからない…と。」
「ああ、解らない。けど、触れちゃあならない気がする。絶対的な禁忌が顕になってしまいそうな───────直感的にだがそう思うんだ。」
───────水気一つ感じられない乾いた風が、首筋を執拗なまでに撫で上げる。
どこまでも冷たく吹き付けるそれの、まるで死体に首筋をなめられているかのようなザラついた感触に、流石に嫌気がさして、別に誰かが潜んでいるわけでもない背後を、小さな手で振り払った。
───────別にそれ以上のそれ以下でもない、なんの面白味も風情もないただの風だ。常人ならばまず"感じる"と言う作業すら別のことに使うだろう。
しかし、このなんの変哲もない路地の吐いたため息にさえ、何百何千という醜悪なる人の怨念が入り交じっていて、それを異能により否応なく知覚できる新矢志輝とっては、下水道に立ち込める空気に当てられるのと大差ない。
いや、それよりかひどいかもしれない。
───────物心ついた頃には、新矢志輝にとっては既に当たり前の景色だった。
目を開ければ「不浄」「醜悪」「混沌」「死」が広がり、それは成長に付随してじわじわと日常の風景を侵食し、よりクリアにに視界を支配し、今もその力の増幅はとどまるところを知らず、新矢志輝を飲み込もうと、底無しの暗黒となって押し寄せてくる。
───────人間が幽霊を見ることができないのは、"それ"から眼を逸らし続けてきたことで、"それら"を"見る"能力が退化してしまったからだ。
今際の際にいるものや、霊能力者或いは霊媒体質があるものならば、"見る"ことは敵わなくとも"感じる"ことは出来ると、土御門は言っていた。
そういった特殊な人種の者達以外は、高位の魔術師や苦行に数十年を委ねた修行僧でさへ、その片鱗を掴みとるだけでも一苦労とのこと。
だから俺みたいな人間はきっと『見えすぎている』と、土御門は言っていた。
人間が日頃目を背けているモノを、否応なく見続けなくてはならないのだ、常人ならば数瞬と持たずに叫び散らかし、廃人と化してしまうだろう。
新矢志輝が発狂しないのは、ひとえに絶望的なまでに達観しているからだ。
この苦悩は、皮肉にも人間社会の縮図が如く、忍耐などの類いは意味をなさず、諦めそれが自己なのだと心を空にして受け入れるしか、適応できる術がない。
故、新矢志輝は無機的に振る舞っているのである。
が、そんな現実逃避もうまく行かなくなってきた。
歳を重ねるごとに、視界から『正常』が消え、『異常』な存在に埋め尽くされていく様に、新矢志輝は半ば自暴自棄になっていったのである。
「───────そんな顔するなよ志輝~、分かっているさ人間ってのは適量ってんがある、多けりゃ多い分吐くし、少なけりゃ少ない分飢える。志輝は前者だ。いや、前者でなければならないやつだ。普段から見えすぎちまってる。だから見えすぎた分だけどっかに吐き出さなきゃあならない。でも志輝にはそれはない。吐き出す気が起きないんじゃない、吐き出す場所がないんでもない。根本的に吐き出す『口』がない。」
───────土御門の口角が三日月のように捻上がる。
どうやら煩悩に火が灯ったらしい。
「だから飲み込まなきゃならない、受け入れなくちゃならない。しかしなにがし物事は常に有限、苦渋を飲み込む鬱屈には限界がある。誰にも解ってもらえない。つらいだろう志輝。」
───────白髪の雄の目元が三日月のように垂れ下がる。
「───────ねえ志輝~いいかげん整髪剤でボサボサツンツンにするのやめてよ~小さい頃みたいに髪とか梳かしちゃってさ伸ばしちゃってさあ、あの絶世の美貌を現代に甦らせてくれぇいぃい~。」
「はぁ、また始まった。」
突如盛り上がり始めた土御門。
俺が常に極限の状態で、弱みを見せないように、無理に平静を装っているプライドの高い人間と勘違いをしてしまったのだろう。土御門はよくそういった健気さに食い付く。
「だってシキ!髪垂らしてスカートはいたら完全に超美人女子高生ジャーン!」
「はぁ。女のカタチをしてたら誰でもいいんだな。お前。」
顎に自分の手よりか明らかに大きいそれが添えられ、次の瞬間には頭蓋は上向きに四十五度傾き、不本意ながら土御門と目が合う。黒曜石のような、ギラついた瞳だった。
「分かってるにゃ、志輝が性別でちょっとしたコンプになってるってのは。でも俺っちそういうところも結構好きなんよ、ソプラノボイスも、小顔で華奢な躯も、隠しきれない乙女心も。まさに絵に描いたような女の子。ねえ、なんで男装にゃんかしてるんにゃ?」
───────ああ、そうだった。俺は生まれつき、体質なのか病気なのかは知らないが、男とも女ともつかない体つきをしている。
気付いたときには忘れていて、土御門のセクハラで思い出す。
我ながら、自分のカラダに疎すぎるきもする。
「はなせ。こんなところだれかに見られて勘違いでもされたらどうする。」
土御門の手を顔からひっぺがす。
───────何度も言うのだがコイツは女癖がお察しだ。
女ならところ構わず狙う、その洗礼は俺にも牙を向けている。
確かに、悔しいが図星だ。こんな気持ちの悪い男に執心されるこの躯に嫌悪感を持っていることは否めない。いや、体はどうでもいい。こいつがこの世にいなければいいだけの話だ。
───────だが、それまでだ。
釈迦曰く、人生とは試練である。人の道とは艱難辛苦そのものであると。この程度の苦難に屈服はしないさ。こいつの遊びに付き合わないといけない理由もあるし。でも、どうしても我慢ならないことが一つ、
「一応な、戸籍上は男だし。お前ら男にはか弱いか弱い無垢の娘に見えるんだろうが、女には男に見えるらしいからな。そんなことしたら通行人の半分に白い目で見られちまう。あと別にそんなんじゃないし。」
「分かってるにゃあ、いずれ分かるさシキ、そんときはしっかり抱き締めてなにもかも忘れさせてやっから…」
「はぁ…だからなぁ…」
───────それを、いつまでたってもこのバカにわかってもらえないことだ。おいおい、本気で俺がツンデレクーデレの類いだと思ってるのかこの男は?
ああ最悪だ。つくづく人間関係というものに恵まれない。
なぜか、諭すように、言い聞かせるように、怒り狂う妻をなだめる夫のように、穏やかで、しかしどこか軽薄な物言いをする土御門と、向きにならず希薄に反応する新矢志輝。
───────相も変わらずこの二人の仲は『混沌』としている。
いつの間にか空には、鼠色の雲が覆い被さっている。
頬を赤らめながら虚空を抱き締める痛々しい白髪の長身を他所に、新矢志輝はぼうっと上辺を眺めいる。
空は相変わらず灰色一辺倒で、ちっとも風情がない。
まあ古めかしさや彩りも糞もない、心を写しとる単色が売りのものに、風情を求めたところで、という話だが。
心のなかで軽く自分を嘲笑すると、手で掴めるのではないかという程にまで分厚かった雲が、目蓋が開いていくかのいうにちぎれ始め、見えなかった空が見え始めた。
と、その時だった。
───────ゾクリ、と、突如全身に冴え渡る霊感。弾丸が体内を一周したかのような、劇的な衝撃が、内蔵の至るところを貫いていく。
───────突如反転する空の常識。
眩く光の洗礼か、新たなる異界常識か、今まで垢抜けた灰色だった乱層雲が、否、ソラ全体が、まるで宗教画のように黄金に輝いていた。
まるでこの世の全ての人間が、一斉に天に召され、最後の審判を共にするかのような絢爛さに、思わず魂が引きずり出されそうになりながら、新矢志輝は冷静に、冷徹に、冷酷に、この名状しがたき現象を分析し始めた。
「どうした志輝、お空ばっかりみて。あ、もしかして、なんか見える?。上空の魔力がかしいでいるんだけど。」
若干興奮気味な土御門。
彼には、この金色に輝く風神雷神の屏風のような空は、全くもって見ることができないのだろう。
なんらかの『異常』を視覚に捉えた俺に、興味を沸き立たせている。
その光輝く臨場感と、日常との明らかなる差に、後戻りのできない際に近づいているような不安を覚える。
───────しかし、そんな邪念は次の瞬間書き消えた。
雲の切れ間───────天と地上を仕切る厚い雲の断層が、ゆっくりと開かれて行く。
普通ならばただ雲が晴れていく気候現象に過ぎないものが、今この眼に写るそれは、まるで聖母マリアの受胎告知を思わせるかのような神々しさと、ある種の畏怖のような感覚が、冷えた心にいたいほど訴えかけてきた。
その一瞬は、涙さへ溢れそうな気がした。
───────あそこにナニカがいる。
この地上に降りてくる。この地球に降ってくる。大きな、巨きなナニカが───────今、産み落とされようとしている。