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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
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第十六話 失意に淀む朝 ②

 時刻は午前九時を過ぎたばかり、ようやく日の光が満遍なく照りつけるようになった外廊下を、新矢志輝は急ぎ足で歩いていた。

 右を見てみれば、庭園と言うには少し小さいぐらいの開けた空間が広がっている。そこから更に、成人二人分の高さの石垣を隔てた先に、青々と寂れた針葉樹の雑木林が聳えていた。

 ほぅ、と、口から漏れる息が白い。大気はカラリと乾いていて、冬とは言えども日の光は眩しいものだ。

 ダムが決壊するように、冬の冷気が石造りの塀を越えて、洪水のように流れ込んでくる。

 右頬をそっと撫でてくる冷たい空気を、新矢志輝は冷え切った瞳で一瞥で拒絶し、一歩踏み出す毎に今にも陥没しそうに怪しく軋む、老朽化した木造の廊下を躊躇なく歩いていた。

 屋敷に居た人間の身体的特徴は粗方観察し終えた。現状、黒い女の特性と一致するのは三人のみ。

 本家屋敷に支える女中の二人。

 伊妻梨阿(いづまりあ)

 鳴上葉純(なるかみはすみ)

 そして、絹幡蘭。

 三人とも、身長は俺よりも少しばかり高く、体つきも華奢ではあるが引き締まっている。もし、黒服の女魔術師が、浅影の内側に潜んでいるのだとしたら、この三人の中の誰かと考えるのが自然────というより、まだ納得できるといった方がいいか。

 正直、この三人はシロだと踏んでいる。

 確かに、同年代の女子としては、骨格や筋肉は三人とも優れている方なのだろう。見たところ、筋肉の形からして最低限の鍛練は積んでいる筈だ。だが、彼女らの肉体には、木々を自在に飛び回ったりするための機動力を生み出せるような特徴が何一つない。

 才能がないと言うより、そういった専門的な鍛練を積んでいない様に思う。

 まぁ、あくまで俺に当て嵌めての話ではあるが。

 

 それよりも────


 新矢志輝は、浅影邸の上空を見上げる。

 乾いた空気とは対照的に、粘っこい鉛色の乱層雲が分厚い層を形成しながら、山の頂を中心としてゆっくりと広がり始めていた。

 それと同時に、何かよくないモノの気配が、この土地一帯をうっすらと覆い始めていた。

 瘴気と言っても良いだろう。

 その呪層深度自体は、まだそれ程大それたものではない。赤子ならば多少は影響は出るかもしれないが、成熟して精神が安定した大の大人なら、少し体が重いくらいで済むはずだ。

 しかし、それはあくまで、ごく短期間かつ現時点での濃度ならばの話。一時間もこの瘴気の中に埋もれていれば、魔術的な影響に耐性のない常人ならば、誰であろうと精神に変調をきたしかねない。

 それに恐らく、これは一過性の事象ではなく、何らかの汚染源によって起こっている歴とした「異常」。これから更に悪化していくことは、魔術やら霊脈やらの知識に疎い俺でも想像に難くない。


「新矢殿!」


 振り返り、自らを呼ぶ声の方向を見やる。

 声の主の正体は、こちらに大急ぎで走ってきた絹幡蘭であった。

 余程焦っていたのだろう。額には透明な脂汗が幾つも玉を作って滲み、呼吸のリズムも自慢の着物も大きく乱れ崩れている。

 普段から魔術やら怪異やらに精通している浅影の人間にとっても、今の状況はかなりの異常事態らしい。


「おい、これは一体、何の騒ぎだ?」


 一応、ナチュラルを装うって聞いてみる。

 絹幡蘭は、呼吸を若干乱しながら言った。


「どうやら、土地のバランスが崩れたようで、何処からか瘴気が発生しているようなのです。今は空気が"どんより"するだけに留まっていますが、何かの拍子に連鎖的に影響が広がっていった場合、こういう土地柄なので怪異が大量発生してしまう恐れがあります。」


 新矢志輝は状況を瞬時に判断し、現状持ち得る情報から、可能な限り最適な選択を導き出そうと思考する。


「わかった。俺は何をすれば言い。」

「まだ、最初の異常発生から、それ程時間は経っていません。歪みが拡大する前に浄化して修復すれば、被害を最小限に押さえられる筈です。今、専門の術師が汚染源を突き止め中なので、それまで私達は連絡が入るまで待機になります。」


「私達?」

「はい。今回、私も出動します…!」


 桜色の着物の少女が、自信に満ちた笑みを浮かべた。

 雪の代わりに、桜の花弁が舞った気がした。


     ◇

 

 それから十分ほどが経った頃、霊脈の解析にて汚染源を割り出した術者の元に、新矢志輝と絹幡蘭は足早に向かっていた。


「ところでアンタ…本当にいけるのか?」

「何を言ってるんですか、私も浅影の魔術師ですよ?」


 桜羽織の少女が、不敵な笑みを浮かべ答える。

 その言葉には、虚勢も欺瞞も見られない。確固たる自信と信念の元に打ち放たれた、ある種の宣誓だった。

 

「いや、まぁ…それはわかっているんだが。」


 そんな彼女の様子を見て尚、それでも新矢志輝は内心では納得していなかった。

 浅影家の、否、浅影勢力の魔術系統は、第一に「穢れを以て穢れを制す」という特性を持つ。

 こういうと聞こえはいいが、裏を返せば純粋な力比べ技比べになるということである。どちらの穢れが出力が高いか、また、どれだけその扱いが巧みか。「浄化」のように相性的な利をとれないだけに、実践では大人数での儀式や自然干渉を用いたりして、ある種の「力」を増幅させて少しでも有利をとるのがセオリーだ。

 浅影瑠鋳子は『浄化』を使っていたが、あれは例外だろう。

 怪異殺しにかけてなら、不本意ながら最も適正がある俺が付いているとは言え、こんな少数精鋭で本当に大丈夫なのだろうか。


「まぁ、あなたの考えは大方分かります。浅影勢力(わたしたち)は"穢れ"を扱うことに長けているが故に、本質的に「浄化」や「祓徐」などの術式と相性が悪い。あぁ、瑠鋳子ちゃ…大将は例外ですよ。あの子はマジモンの天才ちゃんですからね。」


 まるで御伽噺でも語るかのように、しかし心底誇らしげに鼻の下を指でさする。

 確かに昨日の戦いで、俺は浅影瑠鋳子の無法っぷりと当主としての若々しくも強靭な威厳を垣間見た。

 あの男の使い魔であった黒蛇の大群を、浄化の応用だとか言ってあっさり無力化していたが、浅影の魔術の特性を知った今となっては、たったそれだけの技術がどれだけ高度で理不尽なものであるかを、改めて突きつけられる。

 

「ですが、今回は別にそこまで深刻ではないようですから、私達二人だけでも十分任務は遂行可能かと。」

「いや、だが…儀式は今夜なんだぞ? 万が一ってこともあるだろう。」


 万が一。

 そう、万が一だ。

 先の蛇使いの男との戦いでも、今までの"部"で遭遇してきた怪異絡みの厄介事でも、常に万が一を想定していたからこそ生き残れた。

 なんといったって、俺たちが戦う相手は腐っても怪異の類いなのだ。どんな抜け道やイカサマじみた外法を使って、此方を殺しにかかってくるか分からない。いくら現代が、文明の発達により神秘が衰退した時代だからと言って、"例外"なんていくらでもいるだろう。

 神業とも称される宝石魔術の使い手にして、若冠十六歳で一つの魔術結社を束ねる逢魔坂朱理。

 そして彼女に言わせれば、俺の『眼』もその内の一つに数えられる埒外であるらしい。能力はともかく、希少価値で言うなら最高レベルだとか。だからこそ、俺を手元に置きたくて目を付けたんだろうと、思わず勘繰ってしまう。

 と、このように、青天の霹靂なんて皮肉が過ぎる初見殺しが度々降ってくる可能性もゼロではない。決して保守的ではないとは言えないが、魔術師ならば最低限のリスクヘッジ位はしてもらいたいものだが。


「そうです…今夜だから"こそ"なのです。」


 少女の語気が、その意思と共により強くなる。

 吐息が、更なる感情(ねつ)を帯びていく。


「昨日の事もありまして、屋敷内が色々とゴタついているんですよ。何らかの襲撃や妨害工作への対策はしていたんですが、敵側のアクションが悉く此方を上回ってくるものでして、余計な手間や無駄を積み重ねた結果、人員全てがもれなく儀式の準備に追われることになり、手が空いているのが私しかいなかった次第です。」


 そんなことを言われてしまうと、こちらとしてはどうしようもない。どうせ、昨日の夜の戦いがゴタゴタの原因だろう。

 ────だとすると、あの野郎を完全に殺し損ねたばかりか、ものの見事に出し抜かれて人質を捕られてしまった俺に、責任というか原因が半分くらいはあるんじゃないだろうか。

 勿論、浅影瑠鋳子にも責任の半分はあるだろう。重要な儀式を行うのに想定が甘かった浅影全体にも、ある程度の落ち度はある筈だ。

 しかし、だ。ボディーガードとして雇われておきながら、確実に襲撃してくると分かっていたであろう敵対存在を排除できず、守るべき浅影瑠鋳子の身を危険に晒したばかりか、あろうことか親友や家族にも等しかったであろう補佐をまんまと奪われた。

 普通の人間ならば、懲戒免職レベルの大失態だ。

 そんな人間が、何を言ったって仕方がない。自分の失態が招いた事態として、責任を負って受け入れるべきだろう。

 責任はなるべく負いたくないし、出来るならこう言った厄介事には首を突っ込みたくない。

 けど、一度背負ったからには────進もう。

 力になってやろう。

 これが正常かどうかは分からない。ある者から見れば尊ばれるべきコトであるかもしれないし、ある者から見れば狂気としか言いようがないかもしれない。

 しかし、逢魔坂朱理の企みとは言え、一度自分から見てしまったんなら、逸らすことは俺には出来ない。

 

「…了解した。」

「心強いです。」


 そうこうしている内に、俺と絹幡は呼ばれた地点へ着いていた。

 

「お待たせ! 今来たよ、梨阿ちゃん。」


 絹幡がそう呼んだ相手は、俺が黒い女魔術師の正体ではないかと睨んでいた魔術師の一人、伊妻梨阿だった。

 

「────絹幡、遅い。こっちにも色々と用事があるんだ。頼むから、一分たりともかかってくれるな。」

 

 伊妻梨阿は心の奥底に響くような、女性にしては低い声で言う。


「あいわかった!それで? 場所は何処かな?」

「ここから東に山を下った先に、小さな地底湖があるだろう。そこだ。」


 伊妻が、ゆっくりと落ち着き払った様子で指を指す。

 はらり、と、着物の袖が中に揺らめく。

 彼女が纏った紺色の着物は、深い海か、雲一つない夜空を連想させた。

 その佇まいは正しく、音一つない深海のように静謐であるのなら、口調はそれに抗うような粗暴であった。

 伊妻家は、魔術師専門の医術や薬学に秀でている家系らしい。とりわけ、魔術回路の調律に至っては、土御門家から特注で依頼が来たりする程、日本有数の技術を持った家系であり、浅影勢力の魔術継承には、彼女らの存在が不可欠であった。

 

「地底湖? そんなものがあるのか?」


 一応、昨日の夜に、浅影の土地については鳴上霖雨から大体聞いている。

 浅影邸が構えられている山、それ自体は、人払いや認識阻害なんかで外界からの視線、その一切を遮断している。その為か、浅影の山に刻まれた歴史や地形は、外部の一般人や並の魔術師程度では分からないという。

 たとえ、地底湖なんてモノがあったとしても、情報統制されているんじゃ分からない。

 ある程度の事は既に聞いていたが、より多くの人間から多角的に情報収集をしたかった俺は、敢えて知らない風を装って尋ねてみることにした。まぁ最も、それなりの情報すら溢してくれるとは、微塵も思っていないのだが。


「浅影瑠鋳子から聞いていなかったか? ったく、それくらいは教えとけってんだ。

 ………まぁ、良い。何から説明したら良いか分かんねぇのと、時間がねぇから簡単に言うが。浅影が管理しているこの山はな、当然の如く世間一般にはその内情の大部分は伏せられている。その多くは地形だったり建物だったり入山ルートだったりで色々あるんだが、その中に二つの地底湖と一つの洞窟がある。まぁ、どれも地のうねりで空いた隙間に、山に降った雨水が流れ込んで形成されたものらしい。

 問題は次でね。この二つの地底湖と洞窟は、それぞれが地下水脈で繋がっている。当然、この内のどれかが穢れで汚染された場合、地下水脈を辿ってこの山の地下全土に穢れが伝播していく可能性がある。こうなるとめんどくさくてね、浅影の術式で十分取り除くことはできるんだが、なにせ時間がかかる。今夜に間に合わなくなってしまう。」


 伊妻梨阿は、一度話を止めたかと思うと、懐からタバコを取り出し口に加える。すると、ライターすら使わずに、ひとりでに先端から青白い光が煌々と灯った。

 火の魔術だろう。

 いつかの日に逢魔坂が言っていた、西洋魔術に於ける元素変換の様なものなのだろうか。もしくは、火傷の治療が専門だから火の魔術も扱えるとか。そういえば、関西らへんでは靴底を火で炙る呪いがあったが、そう言ったものに由来するものなのだろうか。

 何れにしても、俺にはよく分からない。

 ────しかし、気になるところが一点。


「………あまり、じっとり見ないでもらえるか、気が散るんでね。」 

「え? あぁ…悪い。」


 思いがけない言葉に、思わずひょうきんな声を漏らしてしまう。

 いつのまにやら、たかがタバコごときに気を向けすぎていたらしい。


「何、別に火起こしの魔術をかけたんじゃない。籠める魔力によって引火する薬草ってだけだ。魔術回路を賦活するクスリぐらい、聞いたことがあるだろう。

 ────っ、そうだよ。私はまだ十九、未成年さ。私だって調律師なんて肩書きではあるが、魔術師なんだからな。そっとやちょっとでガタが来るほど、ヤワって分けじゃないさ。」


 成る程。魔術師は超常の業を扱うからか、肉体の強度も通常の人間よりかは当然優れている。未成年飲酒も喫煙も、大して悪影響はでないということか。

 いやはや、つくづく人外じみている。

 しかし、そんなことは心底どうでも良い。話の軌道を戻すために、本命に切り込むとしよう。


「それで、今夜に間に合わなくなるってのは、"淵縫いの儀"のことか? となると、儀式上はここの地下ってことになるな?」

「そうだ。というか、それも聞いていなかったのか。」


 はぁ、と吐かれた白い煙は、ため息か副流煙か。伊妻は一拍置いてこういった。


「浅影の霊地、その根幹に座す場所でね。浅影で執り行われる呪いの中でも、とりわけ浅影という魔術勢力にとって重要な儀式や催事はここで行われるんだ。今夜の"淵縫い"もその一つ。」

「その儀式ってのは何なんだ?」


 伊妻は、俺の隣に居た絹幡の方へ、一瞬目配せをすると「それは、答えられないな」と無気力に言った。


「よし! というわけでだ、これからお前達にはその地点に行ってもらう。葉純。」

「はい。」


 妖精の様なか弱さを思わせる小さな返事と共に、伊妻の背後にある襖から出てきたのは、俺が黒い女魔術師の正体なのではと目星を付けていた、三人の魔術師の内の最後の一人、敵に誘拐されたとおぼしき女中と同じ名字を持つ、浅影の魔術師、鳴上葉純であった。


     ◇


 緊急対策会議が終わってから、五分とかからず現場に駆り出された俺たちは、さっきよりも幾分か濃度を増した瘴気の中、魔力や呪詛避けの護符を使って険しい山道を下っていた。

 下っているからと行って登りよりも楽かと言えばそうでもなく、足下から脳天までを突き抜けるように揺らす段差の衝撃が、こちらの肺と腹筋を絶えず断続的に締め付けて不快極まりない。

 大きな重荷を背負っているような登りとはまた違った苦しみであった。

 

「…と、そろそろですね。」


 そう言いながら、俺の前を大袈裟な動きで慎重に進んでいくのは、桜の紋様と桃色に彩られた羽織を淑やかに着こなす、浅影の魔術師である絹幡蘭だった。

 彼女は普段から、こんな崖同然とも言える急勾配の山道を登り降りしているわけではないのだろう。アスレチックのごとき坂道が要求する、静動織り混ぜた不馴れな運動に桜羽織の少女は半ば悲鳴を上げていた。

 しかし、それでも体の動きは遅れながらもついていっているのは、彼女の恵まれた体格故であろうか。

 転びそうになりながらも体勢を立て直し、間髪入れず次の安全地帯の足場に飛び移っている。

 俺は特殊な訓練を積んでいるから、こういった獣道はさして苦労せずスムーズに突破できる。いや、逆にこういったものは、余計な力が入っていては反って遅くなってしまうものだ。

 ちゃんと自己の肉体の重心の位置を把握し、体幹を普段から鍛えていれば、絹幡の様に恵まれた体格を保持していなくとも、身のこなしは幾分増しになるだろう。

 そんな絹幡のぎこちない動きに対し、鳴上葉純は驚くほど軽やかなステップで、道なき道をひょいひょいと進んでいく。一秒一秒の自身の動きに躊躇がなく、体捌きや足運びも洗練されている。

 斬り倒され朽ちた大木を、茶色の地面から浮き出た鼠色の岩を、空を舞うような勢いで飛び乗っていく鳴上葉純のその様は、彼女と共にたなびく染み一つない純白の着物も合間って、鮫の背を飛び乗って向こう岸まで海を渡ろうとした、因幡の白兎に見紛った。


「ちょっと~葉純ちゃん速すぎ~新矢殿も、もう少しペースを見直して貰えませんかね~」

「蘭。ちゃんと『強化』かけてる? 出し惜しみをしても無駄に体力を減らすだけだよ。」


 霞を連想させる、小さくハスキーな声で忠告する鳴上葉純に、若干怒り気味に絹幡が言葉を返す。


「かけてますって、全開で。あの、これ以上は嫌味と見なしますから、そこんとこよろしくお願いします。ふんす!」

『じゃあ、次「そろそろですね」って言ったら、ハラスメントってことで良いか絹幡。』


 突如脳内に語りかけてくる声に、少し胸が高鳴る。

 まだ、この感覚にはない。

 魔力の経路(パス)を繋いで、術者の精神同士で対話を行うタイプの通信魔術らしい。互いに縁深い間柄であっても、この瘴気のなかで通信を維持できるのは、流石は調律師と言ったところか。

 今回、実際に現場に向かうのは、俺と絹幡と鳴上葉純の三人。伊妻は屋敷で待機して、こちらのサポートをでき得る範囲で遠方から行うというものだった。

 鳴上葉純も、しばらくしてから俺たちと分かれ、二つ目の地底湖を点検しに行くそうだ。

 正直、メンバーがごちゃごちゃしているのは性に合わないから、俺としてはこちらの方がありがたかったりする。


「な! そんな。」


 絹幡が狼狽えながら言う。


『お前、さっきから"そろそろですね"ってうるさい。願掛けのつもりか? 今ので何回目だと思ってる。』

「…三回目くらいかな。」

「二十七回目ですね。」


 間髪入れず言ったのは鳴上葉純。


「ちょっ、数えないでくださいよぉ…」


 絹幡が、膝に手をつきながら弱々しく言った。

 彼女達は、いつもこんなやり取りを、日常を送っているのだろうか。

 そんな疑問を浮かべても、彼女達と"部"での自分とを照らし合わせることはしなかった。


「それでは、私はここで。くれぐれもお気を付けください。」

「あっ…と、そうだ…!鳴上、一つ良いか?」


 既に、常人の域を遥かに凌駕した勢いで、更なる木々の深みへと遠ざかり始めていた彼女の姿が、今の一言で束の間こちらに裏返る。

 あんなに激しい動きから急停止しても、反動で足を滑らせるどころか体勢すら全く崩れないのは、彼女の身体能力と技術がなせる業なのか。

 この時、彼女に対する大きな感心とは裏腹に、ほんの一瞬だけ何らかの違和感を感じていたのだが、急いでいたこともあってか思考の片隅に流してしまった。


「なんです? 手短に。」

「お前も鳴上の人間だ。鳴上霖雨についてはよく知っているだろう。」

「それが、何か?」


 彼女の返答は、どれも簡潔だ。

 全くといって良いほど無駄がない。

 後手に回っている自分との乖離に、いたたまれなくなってしまう前に、質問を投げつけることにした。


「鳴上家では、どんな奴だった?」


 傘下の家系ごとに、ちょっとした違いや特色があるものの、基本的には浅影勢力全体を、たった一つの共通した制度が貫いている。

 先ず傘下の家系では、魔術師としての素養があると判断されたものを、十歳以下の人間から数人ほど選抜し当主候補として教育する。その他の人間は魔術の存在そのものを教えず放逐するか、浅影の屋敷で女中として送り出される。

 選抜された当主候補達は、その家系の魔術を叩き込まれる事は勿論の事、帝王学やら政治やらの当主として必要なことも学び、互いに研磨し合いながらも当主の座を争うことになる。そして、その中で最も優れた魔術の才と実力を持つ者、或いはその家系の刻印に適正があるものが、晴れて次期当主として歓迎される。

 無念にも選ばれることがなかった人間は、そのまま当主の補佐として魔術師としての一生を捧げるか、浅影本家の運営役員となるか、酷い時には女中堕ちなんて事もあるらしい。

 年齢的に見ても、鳴上葉純と鳴上霖雨は同年代。恐らく二人は、当主候補として互いに争った間柄であろう。

 彼女は浅影の役員魔術師で、鳴上霖雨は女中をやっていることから、残念ながら二人とも当主争いには敗れてしまったのだろうが、彼女ならば鳴上霖雨についてよく知っているかもしれない。


「そうですね。彼女は、最初は選抜された中でも飛び抜けて優秀で、次期当主の話になったら先ず候補に上げられていました。」


 予想だにし得ない言葉に、軽く後頭部を殴られたような衝撃を受ける。隣の絹幡も、彼女の言葉に大層驚いているようだった。


「しかし、それは最初だけした。早熟、というものだったのかもしれません。ある日を境に、霖雨(かのじょ)はその成長を止めてしまい、私も私の回りも成長していって、霖雨(かのじょ)はどんどん追い抜かされていったのです。結局、当主は私の一番上の兄が選ばれ、私はなんとかして浅影家のポストをもぎ取ったのですが、霖雨(かのじょ)はそのまま女中へと堕ちてしまったようです。」


 鳴上葉純は何を思って話していたのだろう。

 複雑な表情だった。

 それは才能という無慈悲な世界への悲哀か、或いは自分よりも下がいるのだという安堵なのか。今、この場で判断するのは、あまりにも不躾であった。


「今なら理解し得ます。あの人は多分、自ら研鑽を止めたのだと思います。魔術師としての成長(みらい)を自らの手で閉ざしたのだと、そう勘繰ってしまうのです。」

「なぜ、そう思うのです?」


 絹幡が疑問を呈した。


「色々あったんですよ、色々。それこそ、人死にだってありました。(はかりごと)による死、焦ったが故の自滅、家への叛逆を企てたことによる誅戮。数えたらキリがありません。何人もの素晴らしき才が、未来が、ただ無意味に潰えていくのは、魔術になんてこれっぽっちも興味がなかった頃の自分にとっても、なまじ価値というものが分かっていたが為に、心苦しいものでした。

 彼女は…霖雨は、ここに配属されてきた時によく呟いていたんです。『なんで私はいつでも、奪う側に回らなくちゃ行けないんだ』って。多分、彼女もそんな世界に嫌気がさして、今まで積み重ねてきたものを全部かなぐり捨ててでも、目の前の全てから逃げ出してしまったんじゃないかと思うのです。」

「だから、魔術なんて関係ない、女中に?」

「それ以上は、ただの妄想にしか成り得ませんよ。」


 まるで自分に言い聞かせるように、自嘲気味に鳴上葉純は苦笑した。


「余計だとは思うが、アンタは何でそれでも魔術師を続けたんだ? 浅影の役員だなんて重要な役職にまで上り詰めて。」

「それは単純に、一刻も速くあの家から身を遠ざけたかったからです────いくら魔術儀式の一貫だからと言われても、もう、性奴のような扱いを受けるのは御免でしたから。」

「────っ…!」


 またしても、地雷を踏んでしまった。


「悪い…」


 心のなかで、この馬鹿と自身を罵倒する。


「良いんですよ。巫女の世界では、特に珍しいものでもないですから。」


 こほん、と、柔らかい咳払いが響く。

 絹幡蘭だった。


「あの、そろそろ。」

『なんだよ、さっきはあんなにも休みたがっていたくせに。』


 いじらしく、伊妻が通信越しに言う。


「空気が、悪くなるでしょ。そんな話。

 

 絹幡蘭は、さぞご立腹といった感じで、今や天の声となった伊妻に気迫だけで詰め寄る。


『は、どうだか。毎日毎日、お料理機織り人形遊びのお前には刺激が強いんだろうが、腐っても私達はそんな世界に生きているんでね。いつもの事なんだから、多少負の側面を話したところで、別に大してして険悪には成らんさ。』

「でも…!」

『でも────なんだよ? あのさ、いつも秩序を重んじるのはご結構なんだが、今のお前のソレは、ただの自分本意にしか成り得ないぞ? 別に誰かが傷つく分けじゃないんだからさ、ちょっとは話したって良いじゃないか。』

「────わかりましたよ…」


 絹幡はまだ何か言いたげだったが、それが今の秩序だと汲んでグッとこらえたようだ。

 というか、正直、今の雰囲気の方が嫌悪だと思うのだが、そこはどうなんですか伊妻さん。


『よろしい。…まぁ、私も正直なところ、他の家の連中がどんな地獄を生きてきたのか、それを聞くのが愉しいって思ってる自分に恐怖しているよ。私も、随分と毒されてしまったものだ────まぁ、こういった女に纏わるセンシティブな話題は、君みたいなのが一番興味があるんはないかと思うんだが、そこんとこはどうなんだ、新矢志輝殿。』

「────な!」


 この話題で、この状況で、このタイミングで、この俺に話を振るのか、この女は!


 二つの視線が、俺という点で交わる。


「うぐ…」


 魔力や霊力の類いではない。純粋な"圧"。

 全く「異常」が視えないのに、呪い殺されるんじゃないかという程の威圧感が、一本の鋭い槍へと変じ俺を存分に貫いていく。

 視線の一つは鳴上葉純。

 彼女からは、特に敵意も殺気も感じない。しかし、問題はその隣の少女だ。 

 絹幡蘭。

 真っ直ぐな性格ゆえに、その悪感情は恐ろしい程に鋭利に尖っている。

 さて、どう弁明したものか。いや、ここは上手く論点をずらして煙に巻いた方が良いのか。

 どうする。

 

「────どうなんです?」

「ど、どうなんですって言われてもさ。先に勝手に話し始めたのはお前らだし…俺は、別に…特に、そういったものに興味とかは湧かないな。」

「勝手に、ですか。」


 また一段と、ギアが上がる。


『ははは、ひでぇよなぁ絹幡。勝手も何も、聞かれてなけりゃ答えてないんだもんなぁ。』


 追い討ちと言わんばかりに、伊妻が焚き付ける。

 ついさっきまで、この二人の間に険悪な空気が漂っていたのが、嘘になるような勢力図の大変革。

 こうなれば、と、この流れを作る足掛かりに成ったと言っても過言ではない人物に────鳴上葉純に助けを乞おうと視線を向けるも、既に彼女は風に拐われた様にこの場から姿を消しており、俺と絹幡の一対一、否、伊妻も合わせて二対一の構図が作られていた。


 どうする。ここは、一旦謝っておくべきか。

 ────否。

 ここで提示すべきは、俺は鳴上の話に全く興味も感心もないということ。それと────


「ま…まて! 考えてもみろ! そもそも、自分の身の上話を言うのが嫌だったら、俺が聞いたときに断っていた筈だ。けど、鳴上葉純(アイツ)は敢えてそれを言った。どこの馬の骨だかも分かんねぇ余所者である俺にだ。それは勇気でも自棄でもない。ましてや、悲劇のヒロインぶりたいわけでも絶対にない。それが自分に刻まれた歴史であるのだと認め、過去と向き合っていくという確固たる信念によるものだ。それを否定しちまったら…アイツの覚悟は報われない…違うか?」


 柄でもない。

 我ながら相当酷い演説だ。

 まぁ、何が言いたいかというと、"鳴上葉純が自分の意思で言ってんだから、自由にしゃべらせてやれってこった"だ。

 必要なのは、弁解よりも鳴上へのフォローだ。今の絹幡の怒りの源は、「俺が鳴上の過去に関して興味も持っているのではないかという疑惑」から、「俺が情報収集をするという名目で個人の過去に深入りしようとしたこと」に写っている。

 俺の大義名分足る要望に、しかたなく答えたのだと。そう、絹幡の中では認識されている。

 たが、ここで大きな前提の誤りがある。

 二人とも、俺が黒ずくめの女魔術師を探しているということを知らないのだ。だから俺の捜査にしかたなく協力したのではなく、自分から過去を明かしたことに成る。まずはそこを明確に認識させ、かつ鳴上葉純の覚悟の尊さを述べることにより、絹幡の気を晴らし事態を終息させる。はずだったが────


 絹幡は、心底驚いたと言わんばかりに、目を丸くして俺のことを見つめていた。

 

「一つ、聞きたいのですが。」

「…なんだ?」

「なぜ、わかるのです?」

「わかるって、何が?」


 神妙な面持ちで、絹幡蘭は語り始める。

 

「以前、葉純ちゃんに聞いたことがあるんです。魔術師として生きてきて、後悔したことはあったかって。私はその頃、母を病で亡くしたばっかりでして、自責と悔恨でいっぱいいっぱいになっていたんです。それこそ、それまで何の関わり合いもなかった葉純ちゃんに、ついそう聞いてしまうくらいには。多分、一時の気の迷いでしかなかったんだと思うんです。私の心が空っぽだったから、別の誰かに埋めてもらおうと思ったんです。

 彼女は、こう言ってました。『私は、後悔することが出来なかった。』と。」

「できなかった?」


 不思議な言い回しだ。


「自分には選択肢なんてなかったし、自らの運命を呪いきることもすらもできなかった。死地へと向かうその手を引き留めることが出来なくて、無力で、苦しくて、けれど、だからこそまだ自分の番は回ってこなくて、他でもないそれに安堵している自分がいて、でもやっぱり大して実力があるわけでもないから、嫌でも蛇と戯れるしかなくて、結局、鳥籠のなかに囚われたまま、失われていく命と、奪われた自分の尊厳の数を、ただ数えるだけの日々を送っているだけだった。

 故に、後悔できなかった。

 そんなときに、浅影瑠鋳子の話を聞いて、実際にその眼で彼女を知った。私の眼に写った彼女の姿は、正に雷だった。誰よりも鮮烈に、醜悪な闇を切り裂きながら駆けていく。その時自分を打った衝撃が、止まっていた心臓を再び動かしたのだ、と。」


 浅影瑠鋳子は、俺が思っているより随分大きな影響力を持つらしい。

 魔術師としてだけじゃない。

 見るものを知るものを興じさせ昂らせる、正に一組織のトップとしてだ。

 確かに、似たようなやつなら知っている。


「彼女は、あなたの言う通り、自分に向き合って戦っているのだと思います────でも、なんでそれがわかるんです? あなたは、今日始めて合った赤の他人同士じゃないですか。」

「…そうは言われてもなぁ。」


 絹幡にとっては、純粋な疑問なんだろう。

 しかし、話題は一先ず逸らせた。後は穏便に場を納めよう。


「似てたんだよ。俺の知り合いに。」


 "部"に一人、過去との因縁を持ち、多くの傷を負いながらも、それに立ち向かっているやつがいる。

 ソイツには、当然と言えば当然か、羨望と憧憬が崇拝の域にまで昇華される程、慕っている師がいる。

 その関係の是非は置いておいて、浅影瑠鋳子と鳴上葉純は、正にそんな関係だったのだろう。


「そういう、ものなのですか…」

『あぁ、ハイハイ。いいよ、もう。私が悪かった。ったく、蛇足極まれりだ。』


 伊妻の声が、話を塗り潰すように横から割り込んでくる。


『新矢志輝。もう、知りたいことは知れたんだろう?』

「ああ。」

『だったら、先を急げよ。』


 元はと言えば、お前が焚き付けて絹幡を怒らせたのが原因だろうと、そう心の内では思いながらも、新矢志輝は「あぁ、」とだけ返し、再び目的地へと歩を進め始めたのであった。


     ◇


 太陽は既に昇り、とうに闇は晴れていた。

 地上を包んでいるのは、朝焼けの彩り。冬の朝日は妙に眩しく、ある種の神秘性を帯びていて筆舌に尽くしがたい。そんな美しい景色など露知らず、この二人を包んでいるのは永劫とも言える闇であった。


「よぉ、おつかれさん。元気してたか。」

 

 男は、少し出っ張った岩に腰かけていた。肌は褐色よりで、堀の深い顔立ちをした青年。右目の瞳孔は黒色だが、もう片方はダークグリーンに濁っていて、ある種人間離れした神秘性を漂わせている。

 ────ならば、それと対峙する()()はどうであろう。


「ふん、それは此方の台詞だ。体の調子はどうなっている。半身を焼かれたんだろう? 計画に支障が出るんじゃないのか。」


 その女は、全身をドス黒い包帯で包み上げ、白い能面を被って闇の中に佇んでいた。

 その姿形の殆どが闇に溶け込んでおり、白い不気味な能面だけが不自然に宙に浮かんでいるようだった。  

 

「まぁ、三割ほどな。」


 男が右腕を擦る。指がなぞった箇所には、十センチ以上もある切り傷の後が残っていた。

 魔術回路を励起させると、その箇所から青白く光る蛇の目の紋様が浮かび上がった。


「支障と言う支障はでないだろうが、それでもまぁまぁでかいだろうな。と、なると、こっちも相応の対策が必要だ。蛇草の最奥────俺の十三年を、今夜こそ開陳せねばならんだろう。」


 口角が上がる。

 男の笑みは、闇を裂くほど鋭く、闇に咲くほど不敵であった。


「そうか、勝手にしろ。元より私たちは、利害の一致でのみ成り立っている、所詮足元を見合う関係に過ぎないのだからな。しかるべきときが来たら、牙を向け合う準備はできている。出し惜しもうが出し尽くそうが、私にとってはどうでもいい。」

「おっと、そうだったな。しっかし、その反応は悲しいな。一度は身を寄せ合って交わった仲じゃないか。」


 男は身を屈めた姿勢で女の方を身やり、ねっとりとした口調で語りかける。


「ふん。つまるところ、その程度の仲ということだ。」


 女魔術師は、そういって冷酷に吐き捨てると、胸元に巻かれていた包帯から何かを取り出す。


「これは、いつ使うんだ?」


 紅玉であった。

 炎を封じ込めているかのような輝きは今はなく、魔術的な異常を感じさせない唯の宝石に戻っている。理由は単純で、逢魔坂朱理が所持しているであろう対となる宝石と、再びパスが繋がらないよう細心の注意を払っているからであろう。

 もしパスが復活し、再び『共振』が起これば逢魔坂朱理に感知され、その時点で居場所が逆探知されてしまうからだ。

 

「いや、まだ考えなくていい。しかるべきときに、改めて俺が指示を出す。それまでは慎重に扱ってくれよ?」

「了解した。それで、次はどうする。浅影本家への侵入経路は押さえてあるが。」

「そうだな…」


 男は見上げる。

 視界を覆うのは、闇しかない暗き坑道の天井だ。しかし男の眼差しは、まるで夜空の星々に想いを馳せるかのように儚く、未だ希望を絶やさず理想と情熱に燃ゆる少年の様にたおやかだった。

 ただ純朴に、ただ瑞々しく、男は残虐だった。

 ニヤリ、と口角が上がる。


「まずは…狼煙を上げようじゃないか。どでかい、迷惑千万なモノをな。」


     ◇


 鳴上葉純と分かれてから五分ほど、新矢志輝と絹幡蘭は無言のまま獣道を進んでいた。

 瘴気の濃さゆえだろうか。伊妻梨阿からの通信は完全に途絶えてしまっている。

 そろそろ目的地が見えてくる頃合いだったが、新矢志輝が一言切り出した。


「さっきのことなんだが…」

「気にしないでください。私が血迷ってしまっただけなので。ちょっと過保護すぎたのかもしれません。」


 年長者であるが故に、無意識のうちに背負ってしまう責任感。全うではあるのだが、手元が狂ってちゃあ意味がない。

 魔術の本質は秘匿するものという関係上、魔術師は身内ネタを隠したがるっていうし、腹の内側を探るような質問には過剰反応してしまうのだろう。


「予想以上に大変だってのはわかった。まぁ、俺の家も色々合ったから、少し気持ちは分かるぜ。人間ってのは魔術師どうこう関係なく、そういうモンはみんな持ってるもんだ。最悪なのは、どこいっても必ず何かに縛られるってこと。」


 逢魔坂朱理の顔が浮かぶ。

 結局、糞みたいな過去から逃げおおせても、また変な奴らに足をとられちまってる。


「しがらみってのは、ついて回るもんじゃなく拾ってくるモンなのかもな。」


 辺りは、真冬の昼間だというのに妙に熱気がある。日差しが肌を焼くようなものではない、真夏の体育館倉庫のようなむせ返るような暑さだ。

 熱にうかされた俺は、ふと、ある質問をこぼした。


「なぁ────あんた、魔術師をやめたいって思ったことはないのか?」

「ははは、懲りない人ですね。さっきのコトは忘れたんです?」

「あんたの身の回りの人間は地雷だったけど、あんた自身は違うんじゃないかと思ってね。ただの興味本位ってやつだ。ムカついたのなら、ぶっとばしてくれて構わない。」


 新矢志輝は顔を斜めに傾け、晒した右頬を指で指す。

 

「それは後にしておきます。」


 後にしておくんだ。


「それで、魔術師をやめたくなったことがあるかについてですけど、ぶっちゃけありません。というか、今まで考えたことすらなかったです。魔術師にとって、魔術っていうのは趣味だとか仕事とかよりも、人生みたいなものですから。」

「人生か…」


 この現代社会は、莫大な数の情報や流行が現れては消え、際限のない生産と消費が両儀の如く食い合う地獄絵図だ。常に遠い異邦の報せに振り回され、世界の荒波を漂流する他ない。

 そんな時代の真っ只中でも、自らの生涯をたった一つの物事に捧げている人間は、必ずしも少ないというわけではない。しかし、それすらも時間をかけて莫大な情報圧に晒され続け、数多くの経験や情緒が堆積した結果として、かろうじて方向性が担保されているにすぎない。

 浅影一族しかり逢魔坂しかり。魔術師というのは、生まれてから既にその在り方が決定している、或いは凝り固まっている存在なのである。

 幾百、或いは千の年月を超えて、先祖代々受け継がれてきた秘技や叡知の数々は、魔術の才だけでなく初代から先代までの執念すらも刻まれている。

 最早、呪いの域だ。

 なまじそんなものに当てられてしまうが故、魔術を捨てるという選択肢は生涯持ち得ることができないのだ。

 嗚呼、それは────なんて、無機質なんだろう。

 なんて受動的なんだろう。

 間接を動かす度、一歩を踏み出す度、金属が擦れる音が聞こえてくるようだ。

 誰しもが、知らず知らずの内に業を背負い、何らかの流れに飲まれていくモノならば、あくまで自分が選んだ道でそれぞれ背負っていくのがせめてもの抵抗だというのに。


「でも、やっぱり後悔することはよくあるんですよ。」

「それは、さっきの?」


 母親を病でなくして、自責と悔恨に押し潰されそうになっていたと、絹幡は言っていた。


「ええ。私たちの家系は代々、機織りを生業とする魔術の一家でして、儀式に必要な衣装や装飾を作ったり、儀式場を整備したりといった役割があります。他にも、お焚き上げなんかも民間で請け負っていたりしていたんですが、まぁ最近は依頼の声もめっきり減ってしまいましたけどね。」


 まぁ、最近はそういった儀式を行う人間も減っていると聞くが、そういった意味でも魔術師というのは過去へと向かっていく生き物なのかもしれない。

 というか、全体的に信仰というのは時代が過ぎるごとに形骸化していくものだし、ハロウィンみたいな催しも有名な宗教の禁忌行為(タブー)も、本質はすっぽ抜けて今は脱け殻のようなものだ。

 脱け殻と言えば、以前にも土御門が似たようなことを言っていたことがあったな。

 神や悪魔の存在が常識で、魔術が今よりもっと一般的であった時代。そこと今とでは魔術の在り方その物が違うと。神代の頃に比べれば、現代のものなど脱け殻のようなものに等しい児戯同然であると。

 過去を尊ぶ現代の魔術師らしい意見ではあるが、かといって自分達が納め積み重ねてきた術理を愚弄する意思など一ミリたりともない所が、彼らの業の深さをこれでもかと如実に表している。

 

「見習いだった頃の私は、家族と一緒に寝食を共にする機会が極端に少なかったんですよ。ほら、小説とかでよくあるでしょ? 学校から帰ってきても親が仕事でいないってやつ。まさに、私がそんな感じだったんです。」


 心なしか声が軽い。

 どうやら、調子を取り戻してきているようだった。


「唯一、一緒にいられたのは母との魔術の修練の時だけでしたね。だからか、やっぱり私も魔術師をやめられないんですよ。」

「それが唯一の家族との繋がりだからか。」

「ええ。」


 絹幡は小さく頷く。


「私にとっては、"しがらみ"ではなく、"つながり"ですから。」

「ふーん。」


 魔術こそが、自己と他者とを繋げた。

 成る程、これが絹幡蘭という人間か。

 

「さて、ここです。」


 前方を見やる。

 眼前には、ごつごつした岩肌で形成された、天然の門があった。

 その、明らかに人工的ではない形状の裂け目から、思わず鼻を塞ぎたくなる程の濃密な瘴気が、まるでバラエティのゲストが登場する際に放出されるドライアイスのように、もうもうと吹き出ていたのだった。

 

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