第十五話 失意に淀む朝 ①
後編開始です。
青天の霹靂、という言葉がある。
ある日突然、思いもよらない出来事に遭遇するという意であることは、殆どの諸氏は心得ているだろうが、霹靂という言葉が成す通り、青空に唐突として降り注ぐ雷も表している。
正に、雷の力を扱う一族の彼女にとっては、皮肉のこもった事象であり悲劇だったと言えよう。
浅影瑠鋳子。
彼女は今夜、大切な人を悪辣の徒に奪われた。
鳴上霖雨。
所詮はただの女中の一人。しかし、浅影瑠鋳子にとって長い時を共にした部下であり、姉のような無辜の存在であり、なくてはならない大切な存在だったのだ。
生きているか、死んでいるかは分からない。だが、目の前からいなくなってしまった、これだけは純然たる事実でしかない。
そんな失意の最中に陥った彼女は、蛇の男との熾烈な戦いに勝利を収めた後、新矢志輝と共に本家へと帰宅していた。
本家にも鳴上霖雨の姿はなかった。
いつも居た場所にいない。
それによって、浅影瑠鋳子は改めて鳴上の喪失を実感したのだろう。あれっきり、自分の部屋に閉じ籠っていると他の女中さんが言っていた。
俺はというと、本家の屋敷に戻ってきてすぐに、浅影から宛がわれていた部屋に戻り、一時の休息に耽っていた。
深夜一時かそんぐらいに叩き起こされ、夜中ずっと異常な存在たちと殺し合い、ようやく帰ってくた時にはもう朝日が登りはじめていた。そして今、ちらと時計を見ると短針は七と八の間を刺している。
全くの睡眠不足だ。
そもそも叩き起こされたとは言っても、寝ようと思って眼を閉じたその瞬間だ。英気を養うばかりか、敵に無駄に体力を削らされ、あまつさへ当主にとってのアキレス腱をむざむざ人質を取られ、結果一睡も出来ずに一夜を終える。
なんて、踏んだり蹴ったりで散々な一夜の終わり、そして憂鬱な一日の始まりなんだろうか。というか儀式って今日の夜だよな? こんな大事な状況で、果たしてそんなの出来るのか?
山積みの問題を思い浮かべて途方に暮れていると、スマートフォンから軽快な着信音が聞こえてくる。何だかこの瞬間だけは、俺を嘲ける笑い声のように聞こえた。
土御門からだった。
すぐに出る。
『おっはよー志輝。昨日はよく眠れたかな?』
土御門の陽気な声が、電子チックなノイズを掛けながら端末の向こうから聞こえてくる。
『眠れない夜を過ごしてね』という、逢魔坂からの挑発を思い出し、胸一杯に広がる苛立ちを喉元で何とか押さえ込みながら、「実はだな…」と昨夜からの経緯を簡潔に話した。
「────ということだ。」
『え~と、結界の要石が壊されて修復しに向かったらあの蛇の野郎と交戦になって、勝ちはしたけど付き添いで待機していた女中さんが拐われちゃったってことでおk?』
「あぁ、だからそういったんだ。復唱しなくて良い。」
土御門の笑い声が端末越しに聞こえてくる。
何かムカつくが、余計な言葉は不要であろう。
『へいへい、以後気を付けますよっと。だけどまぁ、志輝が無事で何よりだよ。それに、すごいじゃん! あの蛇野郎をぶっ倒したなんてさ。俺たちでも何とか凌ぐので手一杯だったってのに。』
土御門の声に、称賛の色が濃く混じる。
つい照れそうになりながらも、込み上げる妙な感情を圧し殺して反証する。
「別に、俺だけの力じゃない。浅影瑠鋳子の協力も必要不可欠だった。アイツは、ぶっちゃけお前らよりも強いかも知れないからな。」
『へ~珍しいね。志輝がこんなにも分かりやすく誰かを誉めるなんてさ。しかも、その対象はあの浅影瑠鋳子と来たもんだ。そんなに気に入ったのかい? 彼女のことがさ。』
何かだんだん声に力というか感情が籠っていっているような気がするが、まさかジェラシーでも感じているのではと寒気がしてしまう。だが、これはあくまで業務連絡みたいなものだと割り切り、俺はそんな感覚を無視して近況の言葉を音に綴る。
「まぁ、ああ見えて意外だが、人を引き寄せる不思議なオーラがあるな。それはさておき、お前相当疲れてるだろ。」
唐突に、新矢志輝は土御門に問う。
電話越しから聞こえる、彼の声や喋りや呂律やらに違和感があったからだ。いや実際、新矢志輝本人も寝不足で疲れていたからか、その吉身で分かったのかもしれない。
『いや~バレちったか。志輝って、俺のコトなんでも分かっちゃうんだね。』
何故か、色っぽく話す土御門に内心うんざりしながらも、新矢志輝はそのまま聞き続ける。
『部長が雁崎の分家を調べてこいってね。ちょっと一晩行ってきた。』
「なるほどな。」
飄々とした雰囲気ではあるが、確かに言葉の端々に疲労困憊の様子が見られる。それを取り繕う演技は、皮肉にも常人では読み取れないぐらいには上手かった。
まぁ間違いなく、俺を心配させないっつーか俺にかっこつけたいっつーか、そんな願望の現れの可能性が高いな。たぶん、何か吹き込まれたのだろう。コイツは上手いこと焚き付けられてしまったに違いない。
逢魔坂朱理め。部員をこき使ってブラック紛いのコトしやがって。
部長────逢魔坂朱理への静かな憤りは、一旦は心の奥底にしまいこんで、新矢志輝は土御門へ質問を浴びせる。
「んで、その成果は?」
『核心に迫るってほどでもなかったけど、かなり重要な情報は手に入れた。』
自身に満ち溢れた語り口に、新矢志輝の興味が楚々られる。
「開示を頼む。」
『あぁ、雁崎の家は俺が来たときにゃあ、とっくのとうにもぬけの殻だったが、地下の怪しげな場所にたった一冊だけ日記が保管されていた。』
「日記?」
唐突に出てきた予想外の単語に、流石の俺も面食らってしまったが、大抵のミステリー物ではこういったアイテムが重要になってくるので、ぶっちゃけてしまうと割とすんなり受け入れられる。
土御門が続ける。
『そう、持ち主の名前は雁崎仄華。彼女は浅影家の当主、今では元当主だけど、そいつの夫の補佐というか待女みたいな地位にいる人だったらしい。』
「ふん、それで?」
『ある日、その元当主の夫が、鳴上のご令嬢さんと不倫している現場を視ちゃったんだって。』
「不倫? 鳴上家のヤツと?」
元当主の夫と鳴上のご令嬢の不倫。こんなところで鳴上という単語が出てきたことによって、新矢志輝の脳裏にとある仮説が組上がっていく。
『そそ、たしか名前は────』
恐らく、日記は既に手元にあるのだろう。古い紙を捲る時特有の、あのパラパラとした音が電話越しから聞こえてくる。
『え~と、朝霞って言うらしい。』
鳴上朝霞。
浅影本家の屋敷の他の女中は、全員何事もなく無事だった。鳴上霖雨だけが拐われたのと、この日記に記されている情報は何か関係があるかもしれない。
あの蛇の男は、共犯者がいると言っていた。人数は分からないが、実際土御門達が出会っている以上、存在するのは絶対確定。恐らく、鳴上霖雨を拐ったのもソイツだろう。
蛇の男の目的が、浅影という一つの魔術組織に対する復讐であることは、昨日の夜に既に本人の口より確認済みだ。
じゃあ共犯者の方は?
そうなったとき、鳴上霖雨が拐われたことが鍵になってくると仮定すると、共犯者は鳴上の人間に対する強い恨みを持っている可能性が出てくる。
あり得そうなところとしては、鳴上朝霞と婚約関係にあった人間が、裏切られたことのショックで鳴上家への怨念に変わった、とか。
流石に理由としては弱いな。いや、鳴上霖雨誘拐には意味があるという憶測に、さらに憶測を重ねている時点で論外なのだが。
『ちなみに、元当主の夫の名前は、浅影藍一郎ね。ここテストに出るからよろしく☆
で、著者である雁崎仄華は、最初は藍一郎へ問い質したりしてはいたのだが、あろうことか彼女自身も藍一郎と肉体関係を持ってしまう。』
「まぁ、そんなこともあるか。」
ミイラ取りがミイラになってしまう、どこかで聞いた言葉を思い出した。それだけ、藍一郎はヤリ手な男なのだろう。今電話越しで喋っているこの男と同じで。
『それで紆余曲折あって、雁崎仄華は十三年前の儀式に荷担することになる。』
いきなり核心に迫ってくるなぁ。
『で、儀式は失敗。関係者は殆ど死んで、雁崎仄華は藍一郎と共に命からがら逃走、本家の屋敷から百キロ以上離れた隠れ家的なところに逃げ込んで、めでたしめでたし。』
まるで、昔話か何かを読み終えるように、土御門は熱を籠めて話の幕を締める。
「ちょっとまて、鳴上朝霞はどうした?」
『ああ、殺したって書いてあるよ。朝霞様じゃあ藍一郎様を守れないとか言って。』
溜め息が自動的に出てくる。恋は盲目とは言うが、さすがに盲目どころか失明の域だ。
いや、失明も盲目も同じ意味か。
取り敢えず、藍一郎達の色恋沙汰は置いておこう。
「んで、十三年前の事件について何か詳細は?」
『あぁそうそう、それがまだだったねぇ。どうも"アレ"と呼ばれたやつが元凶らしい。』
「アレ? そんなんじゃわかんねぇよ。」
『ま、厄介なナニカを呼び出しちまったんだろうな。日記には、原因は"アレ"に心があると知らなかったこと、らしいぜ。』
「身に余る力は身を滅ぼすの典型だな。全盛期はそれはそれは栄華を誇っていただろうに、あっけないな。」
西暦以降、科学技術の発達にともなって、魔術はどんどん衰えているらしいが、それでも何とかしてしがみつこうとする輩も少なくはない。
しかし衰退は衰退だ。
そんな世界の理に抗おうとするならば、それなりの代償を要求される。
浅影は単に、天運に見放されたというわけだ。
『ま~栄枯盛衰、盛者必衰。どんなに素晴らしいものであろうとも、この世界は無常なんだよな。』
土御門の声は、少し儚げだった。
自らも衰退する側なのだという自覚があるのだろう。
『で、とりまその他の部分で気になる点をあげつらっておく。そのアレと呼ばれる存在は、この世の不浄という不浄を濾しとってこね固めたようなヤツだったということ、浅影は黄泉を支配する一族だということ、そして────"アレ"はまだどこかに潜んでいること。』
一瞬、ドキリと心臓の鼓動が高鳴った。
そのヤバいナニカを呼び出して親族を皆殺しにされたばかりか、あまつさへそれっきりという訳か。
まだ"ソレ"はどこかにいる。
多分、この屋敷のどこかに。
浅影瑠鋳子はこの事を知っているのだろうか。
もし、戦うとなったとき、強力な魔術師達を皆殺しにしたソイツに、俺は果たして勝てるのか。
情報が錯綜しすぎて混乱しそうだ。
一旦、整理するための時間が必要かもしれない。
「よしわかった。あぁ後、最後に聞きておきたいんだがちょっといいか?」
『? ああ。』
「お前らが出会ったって言う蛇男の仲間、ソイツの特徴を教えてくれ。」
現状、敵だと判明しているのは二人。
蛇男と、土御門達が出会ったって言う────
『黒服の仮面の女。』
「逢魔坂から服装はある程度聞いている。革ジャンに革のブーツ、全身タイツみたいな服に、包帯をグルグルに巻いて肌が見える部分を隠している。」
『そそ、顔に被っているのは泥眼の面。』
既に服装の特徴は聞いている。俺が知りたいのは、別にあるのだ。
「その女魔術師の背丈は?」
『日本人女性の平均身長よりは大きかったな。多分、志輝よりも一回り大きいかも。』
俺が聞きたいのは、"黒い女"の身体的特徴だ。大昔の魔術師は、身体の性別や体型も自在に操れたらしいが、現代の魔術師では何ヵ月もの月日を掛けなければ、身長や体つきの変化はまず無理だとされている。
黒い女も例外ではないだろう。
新矢志輝には、人間観察ならば人並み以上に優れている自負があった。
『でも、もしかしたら厚底のブーツで身長誤魔化してたりするかもだから、一応実際に相対して殺りやったとはいえ、ただの一意見だと思って聞いてくれ。』
「ああ。」
『その他の特徴は────』
土御門から聞き出せば、ある程度の情報で黒い女の候補を絞り込めるはずだ。
『おっぱいがおっきかったかな~』
心の中で、土御門の頭蓋に拳骨を喰らわした。
それから、土御門は件の女魔術師について、幾つかの特徴をあげつらってくれた。
黒い女魔術師の体格は、先にも示した通り日本人女性のなかでは比較的長身で、細身な体型ではあるものの、かなり鍛えているのか筋肉質で引き締まっている。
身体能力や運動神経は、魔術による『強化』があるとはいえ並の魔術師よりは高く、その中でも機動力や敏捷性は並外れてると言ってもいい程に長けており、木々の枝を軽々飛び乗っていく様は、忍者のようだったと感じたらしい。
しかし、近接格闘戦だけはそこまで手練れだとは感じなかったとの事。式神の支援があったとはいえ、格闘になったときは圧倒できたらしい。
実際、土御門は魔術を使わない腕っぷしでなら、恐らく部の中でも無類の強さを誇っている。
単純に喧嘩慣れしていたり、本当のところは分からないが毎日鍛えまくっているってこともある。だが一番大きいのは、あの恵まれた天性の体格だろう。
身長は百八十センチを越えていて、細身ではあるが結構ガッチリ筋肉がついている。
学校でもボクシング部や陸上部、その他のスポーツクラブからも数多くのラブコールが掛かっていたらしい。
俺だって、"反則"なしの殴り合いなら、アイツに勝てる気がしない。というか俺は、単純な馬力なら普通の非力な少女と大差ないし、一度義理の妹にも腕相撲で大敗している。
残酷な話だが、いくら身体を鍛えたからと言って元々ある体格差を覆すことは難しい。
人種ならばまだしも、男女だったら尚更だ。
────だが、そこに魔術が絡むと話はガラリと変わってくる。
土御門はあろうことか、あのナリで『強化』の魔術を不得手としていたのだ。
式神を扱うことを得意としていることからも、諸氏らにも納得していただけるだろう。
土御門は、魔術師同士の戦闘において、殴り合いが最も苦手なのだ。
そんな土御門が、格闘が苦手だと思ったのだから、黒い女魔術師は相当格闘戦を不得手としているのだろう。
しかし、単純な身のこなしなどは、土御門も驚く程だったそうで、恐らく肉体強化のレベルは確実に彼を上回っているのだろう。
ということはつまり、黒い女は身体能力や運動能力(特に機動力や敏捷性)は優れているが、単純な近接格闘戦は不得手としている。
ん? 待てよ、それって────
新矢志輝には、少しだけ思い当たることがあった。浅影に関してではない。自分の人生の中にだ。しかし、その時は違和感程度で見逃してしまっていた。
一旦別の話に切り替える。
黒い女が扱っていた魔術は、雷を操る術式。
蛇の男が金色、浅影瑠鋳子が赤と青、そして黒い女はその名の通り黒色の雷だった。色や特性は違えど、雷に関連する術式だというのは共通している。
確実に、黒い女も浅影関連だろう。
浅影瑠鋳子は、一族が絶えた雁崎と珠毀の刻印を回収し、あの蛇野郎相手に使用していた。曰く、浅影の傘下として取り入った七家が扱う魔術は、元々浅影家が『原典』を株分けして独自に発展させたものらしい。
どれだけ"付け足され"ていようが、元は浅影家由来のものであるため、血族の中でも最高の浅影瑠鋳子なら難なく扱えるということだった。
じゃあ、黒い女もあの『原典』を株分けされた刻印を持っているのだろうか?
いや、なら刻印を持っているそれぞれの傘下の当主以外は、どうやって魔術を行使しているのだ?
「なぁ、浅影の魔術の継承についてなんだが、いったいどういう仕組みになってるんだ?」
『ああ、ようやくそれ聞いてくれた?』
聞いてくれたとは、どういうことだ?
『実は部長の考察によると、とその前に。』
「?」
『パンパカパーン!五分で分かる魔術師の継承事情~』
いきなり音割れした大声が聞こえてきて、咄嗟にスマートフォンを耳から離す。
あぁクソ、何だってコイツは。
『現代の魔術師の生き様は、自らの魔術を研究しまくって形にし、次代に受け継いでいく作業の繰り返しだ。その上で、生涯を以て研究して編み上げた自らの魔術を、どうやって相伝させていくか。それはめちゃくちゃ重要なポイントになってくる。
まず、志輝はあんまり良く分かってはいないだろうけれどね、『原典』って言うのはその家系の魔術師達が代々研究してきた成果を編纂した奥義書の様なもの。言ってしまえばデータベース。それを色々なカタチで次代に受け継がせていくのさ。
西洋じゃあ、シジルや魔方円などの元型となったものを応用して、確固たるカタチへ固定化した紋章や刻印を埋め込んだり。もしくは、単純に一族が得た叡知を総結集させて、例装などの記録媒体に保存したりって感じ。
どちらも、一子相伝の方式だね。
魔術の本場ならもちろんこれ以外にも、まだまだ色々な方式は確立されているようだけど、そっち方面でよく知っている部長によると大体どこもそんな感じらしい。
後は土着宗教系かな。霊地や霊脈との繋がりが強いから、その土地の外では全くといっていい程通用しないけど、深く根付いて積み重なった信仰がそのまま基盤になるから、特に誰か一人だけに継承ってなりにくかったりするんだよね。そういうのって大体どこも、教義やら文化やら伝統芸なんかが、そのまま魔術のプロセスとして伝えられているかな。
けど、浅影の方式は少々特殊なんだ。逢魔坂家の情報によると、浅影の『原典』は刻印による一子相伝方式を取りながらもその実、在り方は土着信仰の共有財産方式によくにている。』
「どういうことだ?」
『ああ、知らなかったのかい志輝? 一子相伝方式は、大体一族の中で最も優れている、或いは最も『原典』と相性が良い者が選抜されるんだが、浅影の魔術方式は一つの刻印とその家系の個々の魔術師をパスで繋ぎ、オープンソースとして全員で共有し使用するものなんだ。まるで、インターネットにおけるクラウドみたいにね。そうすると、浅影家を合わせて八家分の刻印があることになる。』
何?
ということは、別に当主じゃない一介の魔術師だったとしても、刻印にアクセスさえすれば家系の神秘をいくらでも引き出せるということか?
というか、なんでコイツは知っているんだ?
土御門家の人間だから、か。
『まぁその代わり、パスが繋がってなかったらより深く力を引き出すことが出来ないし、個々の魔術式の構成なんかは、その魔術師の属性や特性にあったオリジナルの一品、ってな感じになると思うけどね。』
「おい、じゃあその家系の魔術師なら、自由に刻印にアクセス出来るのか?」
『いや、そりゃあ、ちゃんとした手順を踏んで儀式をしたら、の話だよもちろん。』
「じゃあ、一度でも繋がっちまえば、例え当主が死んで『原典』が回収されていても、力を引き出せるのか?」
そうだ、それなら。
『まさか…雁崎仄華は、まだ魔術を使うことが出来る…?』
流れる沈黙。
劇的な展開。
「俺は、内部から黒い女を探す。お前は外側から、雁崎最後の生き残りを追ってくれ。」
『────わかった。あぁ、最後に。』
「なんだ?」
『部長の見立てによると、浅影の神秘の大本には何らかの神格が絡んでいるらしい。』
「わかった。お前も、身体気を付けろよ。」
『────ああ!』
土御門の嬉しそうな応答の後、電話はブツリと切れてしまった。
◇
土御門との会話が終わった、その十分後のことだった。
俺がいた部屋の入口の向こうから、「失礼します」という声と共に襖が開き、女中さんが顔を出した。
「朝食をご用意いたしました!あったかい内に、ぜひぜひぜひぜひ────ぜひィ!」
えらくハイテンションな子だな…
身長は俺と同じくらい。
容姿はキリッと収まった端麗なもので、ダークブラウンの濡れるように艶やかな髪は、光が当たってないと茶髪だと気づけないくらいにはささやかだ。
服は全体的に桃色で彩られた着物で、桜の花の意匠がそこかしこに織り込まれている。
特級クラスの和裁士によって、丹精込めて仕立てられたのであろう。間違いなく国宝級の一品ではあるが、しかし今はまだ冬だぞ。少し早すぎるのではないか?
「ややや?どうかなされたか新矢殿。私の服を眺めながら首なんか傾げて。むむむ?まさか私のファッションセンスに疑問を抱いてらっしゃる?」
何奴。
俺の心の内を見透かしてきやがった。
コールドリーディングってやつか?それにしてもピンポイントだな。
「よくわかったな、抱いているとも。とはいっても、別にそこまで大層なものでもない。まだ春だって胸を張って言える程でもない真冬の一月に、もうそんなハルハルしてる着物に、ちょっと違和感を覚えただけなんだ。」
我ながら、ガラでもないことを。
「ははーん。新矢殿は、人為的というか作為的というか恣意的というか、人の意思や感情が絡んだ物事に人一倍敏感と見える。普通の人間は『そんなものか』で見逃してしまう所を、こんなにも食い付いてきてくれるとは。いやぁ、仕立て屋冥利に尽きると言うものです。」
胸を拳でドンと叩き、嬉しそうにはにかんで見せる。
明朗快活という言葉とは正に、この子の為に存在しているのではないかと思わせる程、目の前の少女にはカラリと光るダイヤモンドのような爽やかさがあった。
「はぁ────いや、ちょっとまてよ。その着物、あんたが仕立ててんのか?」
「そうですよ? ちなみに貴方が今着てる着物も、私が新米だった頃に仕立てた服です。因みにこの服は、無事に春が来ます様にっていう、願掛けみたいなヤツです!ふんす!」
衝撃の事実。
浅影瑠鋳子の悪意の塊。その大本には、少女の純粋な丹精が秘め籠められていたなんて。
「ちなみに朝御飯は…」
「それも私です。繊細な作業なら、ホントになんでも出来ちゃうんですよ、私って。逆に、実のところこう見えても非力なもんでして、力仕事は流石に向いてるとは口が裂けても言えませんが、男にだって負けてはいられません!ガッツと根性でゴリゴリ押していきますよ!ふんす!」
勢いよく立ち上がり、袖を捲って渾身のマッスルポーズをする張り切りガール。露出した右の二の腕は細身ではあるが筋肉は引き締まっており、確かに普段からちゃんと鍛えているのだろうと想像に容易い。
少しずつ、少しずつ、彼女の世界観に飲み込まれていることに、新矢志輝は既に気づいていた。
水で表すならば、清涼飲料水。
浅影瑠鋳子の荒波のような水でも、鳴上霖雨のような沼の様にぬかるんだ水でもない。
山から湧き出た、清らかで透明な生命の息吹。
こんなジメっとしたところに、こんな浄化システムがあったことには驚きだが、それより彼女との会話から予てより疑問だったことが頭に再生し、彼女にある一つの質問をした。
「あぁ、そういえば。」
「? 何です?」
「ここって女の子ばっかりだけど、男はいないのか?」
彼女は一瞬キョトンとした後、人差し指を上にピンと立てて言った。
「あぁ、それ、聞いちゃいます?」
「何か、不都合なことでも?」
浅影瑠鋳子は、頑なに自らの家系の神秘を口外せんとしていた。結局、彼女と共闘した時に、その片鱗を垣間見てしまったが。
彼女の詠唱が思い起こされる。
『────大雷!』
『火雷神よ────』
大雷。
火雷神。
どちらも、日本で有名な雷の神である『八雷神』。
その内の二柱の名前だ。
土御門は、浅影の魔術の由来は何らかの神格、即ち神だと言っていた。
もしや、浅影の魔術の根幹には、これらの神が絡んでいる?
それとも、ただ単にイメージソースとして術式に組み込んで利用しただけで、真の狙いは人々の信仰や共同幻想による基盤の安定、或いは強化?
土御門が言っていた。
魔術の才に乏しく、まだそこまで代を重ねていない魔術師の扱う術式は、酷く不安定なもので魔力がてんで言うことを聞かない時が多いのだという。その為、そう言った不自由への対策として上げられるのが、高度な例装や呪物等を触媒にした一時的な補強や、魔方陣などを利用した長時間の儀式による底上げである。
これらの行為に共通することは、術式の性能の向上だけでは決してなく、その本質は魔力に確固たる指向性をつけて術式を安定化させることにある。
即ち、デフラグ。
呪物や例装は既に魔力が色付けされていて、それに術式を合わして使えば良いだけの、ある種の加速装置である。魔方陣や象徴等は、そもそも魔力をちゃんと扱う為の定規やらレールみたいなもので、どちらも正直裏技でもなんでもない創意工夫だそうだ。
しかし、実際に冷静に考えてみると、新参の魔術師の家系が、魔方陣はともかくとして高度な魔術例装を手に入れられるだけの財力があるとは思えない。
近代西洋魔術の台頭で、サロンみたいな感じで門戸を広げ敷居を低くしたことで魔術の世界に入ってきた新参は数多く存在するが、裏社会に通じてるお貴族様たちばかりではもちろんなく、平民の出の人間も実際それなりにいたらしい。
では、一対どうしろと?
そうなったときに、魔術という神秘、その原初に立ち返ってみる。
そも魔術とは、霊的・物理的な事象に関係なく『概念』が力や意味を持つ技術だ。
世界の基盤に訴えかけて。
世界の理を騙くらかして。
束の間、世界を書き換える。
世界に対する詐欺行為。
現代の魔術とは、所詮は詐欺や詭弁の寄せ集めなのだ。
しかし、それでも超絶の業を扱えるという点では、優れた技術であることは確かだ。そこは認めざる終えないところだろう。
だが勿論、都合の良いコトだけではない。
結局どこまで言っても、詐欺は詐欺。詐欺の成功率を上げるには、それに足る説得力が必須である。
例えばオレオレ詐欺なんかは、被害者側が電話の向こう側にいる相手を息子だと信用しなければ成立しない。
今や、世界の基準点は人類文明にある。
ならば、説得力は人の持つ概念にある。
そして、その概念には定義がある。
しかし、その定義を安定させる柱は、ある特定の個人では決してなく、ましてや教科書でも百科事典でもない。所詮それらは全て人の認識の影に過ぎず、今ある常識を一時的に保存、補強するものでしかない。
真に世界の在り方を決めるのは、多くの人々がぼんやりと思い描いている共通認識だ。
或いは、共同幻想といってもいい。
科学が発展し、おおよそのオカルトは歴史の闇に全て廃棄されてしまった。
だが、やはりそういった神秘に対する幻想は、人々からは消えていない。
オカルト関連の記事や話題は、一昔前と比べると大分下火にはなっているが絶えてはいないし、宗教も文化も伝統も今までもずっと続いている。
ピンと来ないかもしれないが、墓や七夕や初詣なんかがいい例で、墓荒らしがニュースで報道されれば、罰当たりだなと目を細めるし、半ば形骸化しているとはいえご飯を食べるときは生き物の魂への感謝を忘れない。
やはりどこか人々は神秘に対する『信仰』を捨てきれない。
或いはロマンと言い換えてもいい。
そういった小さな隙が、世界を騙す説得力となり、魔術の在り方を安定させている。
そう、人々の『信仰』を基盤とし、不安定な魔力や術式に確固たるカタチを与えることで、正しく神秘を運用しているのだ。
だが流石にそう簡単に出来ることでもないし、後か先かの話もある。
例えば、土御門が基盤としているのは陰陽道だが、あれは既に魔術系統が確立された後に、人々の信仰が世界に刻まれたものである。それに対し、逢魔坂の魔術は既に世界中に信仰が根付いていたのを、魔術の基盤として目を付けたものらしい。
では、浅影は?
「はは、じゃあそれ答えるだけで良いです?あんまり言いすぎると色々と拙いですし。」
「ああ、出来る限りのことでいい。」
「じゃあ、浅影がイタコだってことは既にご存じかと思いますが、神道の流れが根幹にあることは知ってますよね?」
桜羽織の少女が言う。
「まぁ亜種みたいなもんだろ?民間がイタコで、公的機関が巫みたいな。」
「まぁ、今はその認識でいいと思います。今回はそっち方面は関係ありませんので。」
政治の話ではない?
「関係ないっていうと?」
「新矢殿、神道や修験道において、"山"とはどんな場所だと思います?」
「いや、そりゃ~神聖な地、みたいな? 確か、女人禁制だとかって話だったような。」
アレ?
そうなると話がおかしい。
ここは紛れもなく山に相当する場所だ。
浅影一族が神道家系なら、間違いなくロジックが狂ってる。
「そうです。神道において、山という場所は神が座す異界であり、絶対に穢してはならない聖地です。それで女の人は…まぁ、ほら…その…月一でアレがあるので、血は不浄な物だという神道の教義によって、山には登らせてはくれないわけです────が、」
「浅影家の屋敷は山にあって、しかも住んでいる全員が女しかいない。まさか────逆なのか?」
少女は、何かに気づいた様子を見せた新矢志輝へ、「ようやく気づいたみたいですね」と一言。
「────だとしたら、アンタらは千年続く名門どころか、王道から外れた紛れもない異端じゃないか。」
「ははは。浅影の歴史は、実際はその何倍もあるのですよ。それこそ、神道という大きな枠組みが作られるよりも、その原型の誕生は遥か前に遡ります。」
脳裏に浮かび上がったパーツが、凄まじい勢いである一つの仮説に組み立てられていく。
まさか、そんなことって────
「まさか、アンタらが奉じてる神って────」
「おっと────」
眼前の少女の声が、一段と低くなる。
透き通った小川のせせらぎが、突然として急流になったかのようだった。
「────これ以上は、朝御飯が冷めてしまいます。」
さっきまでとは打って変わって冷たい声。
少女は人差し指を立てて、口の前に持っていく。
警告だった。
これ以上は話せないぞという、口止め。
「わかったよ、失礼したな。長話はここまでにしておくよ。悪いけど、食堂まで案内してくれないか?えっと確か…君の名前は────」
名簿がなかったから、名前なんて覚えていないどころかそもそも知らなかった。
「ああ、私ですか? 絹幡蘭って言います。どうぞよろしく!」
満面の笑みを向けたまま、くるりと振り返り部屋を出ていった。
しばしの放心の後、俺も彼女の桃色の背に続いた。
◇
近代西洋魔術というものがある。
十九世紀だか二十世紀だったかはよく覚えてはいないが、そこらの期間に生まれた神智学の異端派閥だ。
彼らの思想や魔術体系は、聖書に記されている教義の粗や抜け穴を利用するものが多かったという。
別に宗教に限ったことではなく、長い時間をかけて世の中に定着し続けた概念には、逆張りや、ルールや法律の穴を突いたり、アウトラインギリギリのグレーゾーンを攻めたりする輩が、一定数以上は必ず湧いて出てくるものだ。
迷惑極まりないのが殆どだが、それがルールなのだからどうしようもない。
きっと、浅影家も同じなのだ。
神道では女を穢れとして扱い、山への立ち入りを禁忌としている。
それを、逆に利用した。
恐らく浅影一族は、『穢れ』という本来ならば忌むべき概念を、自らの『武器』として魔術に昇華したのではないか。
穢れを払って浄化するのではなく、穢れを穢れで以て侵食し喰らい尽くす。
自らの『穢れ』を、魔術の一環として扱う一族。
王道から外れた、異端の魔術系統。
これならば、女しかいないのも頷ける。
────逆に男ならば、ここでは除け者にされてしまうことだろう。
時刻は八時を少し過ぎた辺り、浅影の屋敷の食堂に俺は案内されていた。
「ささ、どうぞどうぞあったかい内に。」
「…あ、あぁ。じゃあ、いただき…ます。」
「ははははは!何て顔をしてるんです。別に、毒とか盛ってる訳じゃないですからね!いつも通り、腕によりをかけたまでですよ。」
声高らかに笑う彼女────絹幡蘭は、食卓一杯に豪勢な手料理を敷き詰めていた。
まるで、温泉旅館とかでよく出てくるフルコースだ。
俺は愚か、下手したら俺の義妹よりも料理の腕は上を行っているかもしれない。
「おいおい、アンタもしかして、これ、こんなの毎日作ってるのか?」
「はい、そうですけど。あっ、別に何も私一人だけじゃないですよ。他の女中さんによく手伝ってもらってます。」
絹幡蘭は、てへ、と頬を赤く染めて、照れ臭そうにしながら頭を掻く。
なんてことだ。浅影瑠鋳子の奴、こんな料理を毎日食ってんのか。
新矢志輝は心底恨めしそうにしながら、食卓に敷き詰められた超料理軍を物色する。
献立の方式は、ご飯やパンみたいな炭水化物を多く含む料理は少なく、魚や菜食が中心となっている。
朝方の胃腸などの消化器官は、一晩かけて夕食を消化したことで疲れ果てている。いや、俺は一晩中戦闘も行っていたから全身も疲れているのだが。朝食はあまり胃腸に負担を掛けさせたくないという、ささやかな配慮と思いやりが、これらの料理には詰まっていた。
なんだろう。
こちらを眺めながら、ニコニコしている絹幡が視界に入る。
この人って、浅影家の中でも有数の人格者なのではないだろうか。
鳴上霖雨はまだしも、この家に蟠る薄暗い事情を聞いていると、どうしてもこの人が女神様に見えて他ならない。
第一、現当主が問題アリすぎる。
「もう他の皆は爆速で食べ終わっちゃいましたよ? さぁさぁほら食べて食べて。」
言われるがままに口にいれる。
『銀舌』による毒の反応はない。
まぁ、あったとしても、特殊な嚥下法でどうにでもなるんだが。
そんな一抹の不安は、直後に口の中に溢れ出た甘美によって押し流された。
炊き立ての白米のふっくらとした甘い香り、焼き魚の鼻腔の奥をくすぐる香り、炒めた冬物野菜たちから立ち込める芳しい香り。
その他にも様々な料理の香りが、それぞれ全く異なる種類の匂いなのにも関わらず、交互に混ざり合いながら奇妙な一体感を作り出しており、俺の心の奥底から食欲という食欲が容赦なくそそり出され、空っぽの腹の中から胃の虫の音として響いてくる。
堪らず箸を取り茶碗を右手に持って、瑞々しい湯気が立ち上る白米を口のなかに放り込む。中心につれて温度は高くなっていき、それに伴って甘い味が口のなか一杯に広がっていく。
言われるがままに口にいれる。 『銀舌』による毒の反応はない。 まぁ、あったとしても、特殊な嚥下法でどうにでもなるんだが。 そんな一抹の不安は、直後に口の中に溢れ出た甘美によって押し流された。
箸を動かす手が止まらない。
米を頬張る口が止まらない。
夕飯をご馳走になってから、既に十時間以上経つ。
そこに、男との死闘によって体力は減り、腹の中は長いこと空っぽであることすらも、何時の間にやら忘れていた。
浅影瑠鋳子のボディーガードとして、彼女の大切な人間を守ることが出来なかったことは、それが初めての経験だったからという言い訳あっても、新矢志輝にとっては心の奥に自責の念を置くには十分だった。
そんな失意の暗がりに光が差し込む。
そうだ、いつまでたって俯いてちゃ意味がない。
というか、最悪だ。
ここは魔術師たちの世界の一部。陰惨で残虐で冷酷極まりない所業の数々が、人々の与り知らぬ暗がりで幾度となく繰り返され来た。
悲哀と怨恨に満ちた闇の坑道。
或いは、袋小路と言っても良いかもしれない。
常に蹴落とし合いながら進化し、犠牲と妄執の果てに積み重ねてきた真理へ至るための歴史が言っている。
ただ失意の最中に立ち止まっているだけでは、差しのべられるのは足を掬うための汚れた手だけなのだと。
今はただ食え、力を蓄えろ。
俺の敵に、浅影瑠鋳子の敵に、立ち向かうために。
「絹幡、とか言ったっけ。」
「はい、そうですが。」
少女は快活に言葉を返す。
屋敷の中は日光があっても結構暗いのだが、少女の太陽のような明るさが後光となって周囲を照らしている。物理的な意味では流石に無理極まるが、精神的にはLEDライトと比べても遜色はないだろう。
「ここの女中は何人いるんだ?」
「日にもよりますけど、大体いつも十五人くらいです。まぁその…今は、十三人…ですが。」
彼女の視線が落ちる。
やはり、思うところはあるのだろう。彼女にも、快活だけでない一面もあるのだと理解した。
ところで、今、気になることを言っていたな。
「いつもは十五人で、今日が十三人。不在の二人の内一方は鳴上霖雨だよな。じゃあもう一人は? 今日は休みの日とか?」
「ああ、そういえば"仔社"ちゃんのこと、まだ話していませんでしたね。」
絹幡蘭は、食べ尽くして空っぽになったお椀を、配膳台へ乗せながら話しを続ける。
「仔社? それは…」
「仔社玲奈ちゃん。ここの魔術師なんですけど、三日前から長期任務に行っていまして、多分今日中には帰ってくるんじゃないかなと。」
「な────」
思わず声が出そうになった。
「そんな大事なコトを、なんで今になって────」
三日前から長期任務でいない?
この状況じゃあ怪しさマックスだぞ。
「その感じだと、彼女を疑っているみたいですね。」
「あ、あぁ…まあ。」
「まぁ、あの子が使役する霊は強力ですからねぇ。霖雨を捕まえることくらいは、わけないかもです。」
絹幡は、部屋の右側から日光を漏らしている窓の、格子の隙間から見える外の景色を眺めながら言った。
「何せ、彼女は仔社家の次期当主と目されていますからね。継承はまだ完全ではないそうですが、それでも既に一流と言っても良い才覚を見せています。」
「まだ終わっていない? じゃあ、その人は────」
「はい、まだ十二歳。瑠鋳子ちゃんの一コ下です。」
「ちなみに、背丈って…?」
ちょっと失礼かなと思いながらも、恐る恐る聞いてみる。
絹幡は若干驚いた表情を浮かべながら、
「瑠鋳子ちゃんと同じくらいですかね。あぁ、でも若干瑠鋳子ちゃんの方が高いかも。」
成る程、確かにそれなら怪しむ必要はないかもな。
土御門は、黒い女魔術師の身長は俺よりも少し高いぐらいと言っていた。
体律────肉体の働きや発達を制御する魔術の基礎中の基礎を、仮に黒い女魔術師が高度なレベルで極めていたとしても、瞬時に体格を大きく変化させることは流石に至難の技であるだろうし、そもそも身体への負担が大きすぎるだろう。
土御門達の話を聞く限り、黒い女魔術師は身一つで起こす神秘と身体技巧を起点とした、肉体派の魔術師だ。
文字通り自らの身体が資本であるのに、大したメリットもないのにそんなハイリスクなことをするだろうか。
認識に介在するタイプの変身魔術もあり得るが、それはそれで俺の『眼』で容易く看破できてしまう。
「よし、絹幡。女中さんの名簿というかシフトみたいなのってあるか?」
「と、いいますと?」
絹幡が首を傾げて尋ねる。
「ちょっと確かめたいことがあってな。単刀直入に言わしてもらうと、鳴上霖雨を拐った奴についてなんだが、もしかしたら本家に潜伏しているかも知れないんだ。」
「────それって、確証はあるんです?」
絹幡は一瞬前とは打って変わって、真剣な眼差しで此方を観て返答を待っている。
此方を見下ろす彼女の瞳が、何らかの強烈な圧を発する。
彼女なりに、俺という人間を見極めようとしているのだ。
見たところ、彼女はここの女中や魔術師の中でも、かなりの年長者だろう。浅影瑠鋳子が、政治的な面ではちゃんとやることやっている人間であるとはいえ、やはり人生の先輩として気になってしまうのかも知れない。
妹のことを気にかける姉のように、彼女はここにいる少女達の面倒を影ながら見ているのだろう。
だから、彼女の反応は適切だ。
何せ、家族同然、姉妹同然の仲間達が、その家族を拐った犯人だと疑いをかけられているのだから。
だから、此方も示さなければならない。
「ないよ。だから内側から地道に探すのさ。勿論、お前らの仕事の邪魔にはならないようにする。正直言っちゃなんだが、俺は最初この件に関しては乗り気じゃなかったんだ。けど、事件は起こった。そして、鳴上霖雨が拐われた。正直言って、俺にも落ち度があったと思っているよ。だから、ほら、このまましてやられてばかりじゃあ、湯冷めが悪いにも程があるだろ?」
少女は一瞬逡巡した後、目を閉じて言った。
「────分かりました。良いでしょう。私の大切な家族達へ容疑をかけること、その無礼を赦します。彼女達の名簿をお貸ししましょう。」
彼女は一瞬間を置いた後、
「では!ついてきてください!」
さっきの様な快活さを強引に取り戻し、眼前に佇む桜羽織の少女は大声と共にはにかんだ。
彼女はくるりと振り向くと、廊下に出て歩いていく。
一応、黒い女の特徴については伝えなかった。
理由は簡単だった。
見下ろせるぐらいには、俺よりも一回り程高い身長。
華奢ではあるが引き締まっている筋肉と骨格。
絹幡蘭は、その特徴に一致していた。




