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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
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第十二話 遺物と蛇蝎

 

 最近の呪術師は、強化した肉体を使ってゴリラ宛らの殴り合いをするモノ、と言うのが世間一般でのイメージらしい。

 まぁ護身術の類いならどこの魔術学校でも習うらしいし、そのままの流れで格闘術を磨き続ける血の気の多いファイターも多くいると聞いている。

 しかし、まさかイタコだ(まじな)いだなんて専攻している奴等で、しかも、そんな奴等を一つの組織として束ねる頭領で、そのようなヴァイオレンスな戦い方をするだなんて想像も、いや確かにあの女帝様の性格を鑑みれば違和感はそこまでないが、やはり衝撃的な光景であることには相違ない。

 だが、その戦法に見合う程、浅影瑠鋳子の『強化』のレベルは卓越している。

 正直、ここまでの精度の肉体強化は初めてだ。

 一息で敵との距離を詰め、圧倒的な膂力を以て奇怪な巨躯に風穴を開ける。すると、倒した怪異が消滅する前に、それを足場に飛び跳ね空中の怪異を回し蹴りで一蹴し、それによって生じた回転ベクトルをそのままに、立体的な弧を描きながら落下し、全体重を乗せた一撃を地を這う虫に叩き込む。

 正しく、一方的な蹂躙。

 少女の暴力が、怪異の本領たる異質さと物量による圧倒を亡きモノにし、鏖殺の旋風吹き荒れる嵐の中へと変えていた。

 肉体運用自体は、恐らくそこそこの部類。俺は別に見る眼があるというわけではないが、彼女の動きには変な癖や無駄が多く、そこらにかけては俺の方が何枚も上手だろう。しかし、戦闘経験に裏打ちされた彼女の技量や才覚は、それ以上の何かを感じさせた。

 さらに、それだけではない。

 肉体強化の他に、全く別の術式を腕と足にかけている。

 この『眼』には、青白い靄を纏っているように見えるそれは、恐らく『浄化』の特性を持つ術式だろう。

 触れた端から怪異の体が崩れていき、清浄なる気と共に魔力となって霧散していく。

 さっき披露したあの結界にもあった力だ。

 やはり、浅影家相伝の神秘、その最奥にまつわるものであることに違いない。魔術特性と戦闘技術が上手く噛み合い、怪異やそれに連なるケガレにとっては、天敵とも言える死の舞いが炸裂する。

 その矮躯から繰り出される、想像以上の凶暴性と破壊力。そしてその中に隠れ潜む、繊細にして精細なる美しさは、その場にいるものからあらゆる視線を奪い去っていくのだろう。

 現に、さして大きな力を入れずとも、大木の如き敵を薙ぎ倒していく少女の舞から、俺は眼を外せれずにいた。

 確かに、昨日の昼から憎たらしい奴だと思っていたが、今のでより一層あの少女が憎くらしくなった気がする。

 だって────

 戦いと言う名の、蹂躙に更ける少女を見やる。

 少女は嗤っている。


 ────だって、あんなにも愉しそう。


 俺には、新矢志輝には、その精神が理解できなかった。

 怪異を殺すことなど、達成感はあっても、正常が戻ってくる安心感はあっても、何の面白味もないと云うのに────

 ────羨ましいな。

 俺は、『異常』を殺したい。けどそれは、ただ殺したいだけのものだ。そこに、愉悦の入る隙はない。

 怪異は、いるだけで気持ちが悪いし、殺した後も気持ちが悪い。だから、それが消えてくれることが一番の喜びなのかもしれない。

 やはり浅影瑠鋳子(アイツ)とは、根底からして相容れない。

 

「おい、それで最後か?」

 

 気づいた頃には、少女は戦いを終えていた。

 うっすらと路地に漂っていた淀みは消え去り、また夜の静寂が二人の若人に訪れる。


「結構いたな。」

「ええ、こういった場所にしてはこの数は珍しいわ。一匹が入れるのに気づいたら、周りにいる奴等が次々と入っていくなんて事はよくあることだけど、こんなにもたくさんいるのは想定外。何でなのかは、まぁおおよそ見当がつくけど、私としては久しぶりに沢山殺れて愉しかったわ。」

 

 ご満悦、といった表情を見せる少女。

 末恐ろしいなと、志輝は思った。


「やっぱり、お前とは気が合わないな。」

「ええ、そうよ。本当にそう。アンタ、怪異を殺してるとき、全然愉しそうじゃないんだもの。」


 少女の愚痴が夜風と舞う。


「────もっと愉しみましょう、怪異殺しを。」


 未だ蕾開かれざれど、少女が元来持つ美しくも鋭利な、月光に濡れたナイフのような笑みに、新矢志輝は一瞬見とれていた。

 

 「あぁ、そう努めるよ。」と、明らかに無気力な一言。

 新矢志輝のそっけない返しに、浅影瑠鋳子が不満を溢す。


「何よ、人が誘ってるってのに。」

「何にだよ。」

「戦いの愉悦。」


 はぁ、と溜め息を一つ。


「何よ、私の騎士(ナイト)なら、それくらいのイカれっぷりを見せなさいよ。」


 少女は歩きながら腰に手を当て、不満げな表情でこちらを見る。


「あぁ、あったな。そんな設定。」


 コイツとの()()()()()()()()を思い出す。


「ッッ…設定って…」

「まぁ、そんなこった。んで────」


 奥を見る。

 ここまで、沢山の怪異を殺して進んできた路地、その終着点。

 黒い夜の瘴気に包まれたあの場所は、魔術で眼を強化しなければ、ここからでは見ることすら叶わない。

 そこからは、これまでの道とはまた異なった質の魔力が漂っている。


「あれが、その"堂"ってことでいいのか?」


 新矢志輝が尋ねる。

 その声には、何が起ころうとも確実に対応しようという、高い警戒の気持ちが強く滲んでいた。


「そうよ、結界を支える五つの依り代。その一つが、ここで祀られている。」


 二人の視線の先、さらに狭い路地を突き進んだ先に、大きく開けた場所がある。

 どういう設計をしたらこんなことになるのか分からないが、建設業にも魔術に関連する業者がいるのだろうか。

 

「これは────」


 路地を抜けると、縦横五十メートル程の、公園ぐらいの大きさはある広大な空間が広がっており、その中心に、ぽつりと祠が建っていた。

 大きさは一軒家もないが、コンテナ一個分のサイズというには大きすぎる。

 神社や寺のような荘厳さはなく、逆にとんでもない悪霊やら妖怪やらを封じ込めているのではないかという程の、ある種の重厚さがあった。

 

「おいおい、どうやったら路地裏にこんなもんが作れるんだ?」


 『眼』を凝らす。

 よく見ると、世界が入り組むように歪んでおり、迷路のように様々な空間が繋がっていた、地層の隆起のように位相そのものがズレ込んでいる箇所もあった。

 間違いなく、『異界』と呼ばれるものに相当する場所であった。

 

「異界に設定された空間の構造、基盤、秩序は浅影家が独自に練り上げたものでね。ちょっと癖があるけど、まぁ内装はいたってシンプル。ここに近づかせない悟らせない。それだけに徹底している結界よ。」


 浅影瑠鋳子は、まるで自分が作ったとでも言うかのように、胸を張って誇らしげな笑みを浮かべる。自分の家系を、さぞかし尊敬しているのだろう。魔術師ではなくとも、人間として大切な精神には違いない。

 ────それが、あくまでも普通の家系ならの話ではあるが。

 ともあれ、異界としての完成度は極めて高いと言えるだろう。理念としての、"外界からの隠蔽"という性能は、しっかりと貫かれていて隙の一つも見当たらず、さらに極限まで無駄を削ぎ落とした構造は、結界破りなどの天敵に対し、最高の防御性能(セキュリティ)を誇っている。

 正しく、現代最高峰と言える仕上がりだった。

 

 しかし────


「内側から魔力が漏れているな、あの祠。」


 ただ一点、明確に欠けているところがあった。

 それは、浅影の落ち度ではない。人為的に、何者かの悪意と意思を以てつけられた傷であった。


「たぶん、その魔力に誘き寄せられちゃったのかな?さっきの奴等。」


 浅影瑠鋳子が来た道に眼を向ける。


「或いは、俺たちを妨害、もしくは消耗させるために、何者かに解き放たれたか。」


 新矢志輝が言う。


「或いは、」


 新矢志輝が、眼を細める。

 祠の中にある()()を見やる。


「或いは────()()()()()()()()()()()。」


 ────浅影瑠鋳子が押し黙る。

 新矢志輝はいつもの調子で、祠の全体像を一瞥している。


「前から気になってはいたんだが。お前、一番最初に俺にここの説明をしたときに、結界の依り代の事を"遺物"って表現したろ。」


 少女は未だ顔を地に向けたまま、頷きもせず沈黙している。


「あそこで一瞬引っ掛かったんだ。だって、大抵の結界の核や()は例装って言われるんだからな。遺物ってワードでいったら呪物とか、どっちかって言うと聖遺物の方がしっくり来る。聖遺物って言うと、仏舎利だとかゴルゴダの十字架とか、後はこれを加えても良いのか分かんねぇが、ロンギヌスの槍とか。」


 新矢志輝は祠に向かって歩き始める。


「逆に呪物って言うと、結構前に事件としても取り上げられた、バレンタインのチョコレートに、髪とか歯とか、ときには経血とかを入れて思い人に贈るヤツとかかな。いやあれはただの犯罪だな。もっとわかりやすい例だと、子供の指を何本も詰めて土地に埋める、「女子供を呪い殺す匣」、様々な動物の形に変形する立体パズルの体を装った、「凝縮された地獄への門」。後は、両面宿儺の即神仏とかか。まぁ前者は明らか例装だから、呪物と言われてピンと来るのは後者かな。

 とまぁ、長々と柄でもない話をしてしまったわけだけれども、俺は今までいろんなモノをこの『眼』で見てきた。だがら、呪いってものの本質を他の奴等よりも深く識っているつもりだ、皮肉なことにね。」


 新矢志輝が続ける。


「ほら、波長が合うって良く言うだろ?

 呪いってのはさ、基本的に似た者同士で集まりやすいんだ。人間が共感を求めて彷徨うように、呪いも集合を求めている。つまり、言ってしまえば"引き合う"のさ、磁石のようにな。まぁ、違う価値観の人間同士はいがみ合うから、違う共感で生まれた呪い同士は、互いに拒絶し殺し合うのが常だ。」


 新矢志輝は手を掲げ、親指と人差し指を会わせる。

 月がすっぽりと収まっている。

 その後、鍵が開いたように離してしまった。

 

「で、これとはまた違うんだが、風水って知ってるよな?俺の仲間にはそれに詳しい奴がいてさ、いつもいつも俺にそのうんちくを聞かせてくるんだよ。で、そいつが言うにはさ、家の鬼門と同じように、街にもそういった良くないモノが溜まりやすい場所があるみたいなんだ。そういったものを魔術で色々整備して、逆に一ヶ所にためちゃって処理しやすくするんだと。処理の仕方にも色々あって、定期的に淀みを術師を派遣して払ったり、浄化装置みたいなのを設置したり、後、これは面白かったな。集めた呪いをリソースとして魔力に変換するんだ。」


 ちらと、少女を見やる。

 少し冷や汗をかいていた。


「端的に言うと。ここは、家畜小屋だ。"遺物"を餌に呪いを集め、どうしても生まれてしまう別種の呪いといがみ合わせ、殺し合わせる。そうして、魔力となって霧散したところを回収し、結界の最低限のリソースとして活用する。

 で、ここで聞きたい。共感というのは解釈が絡むこともある。解釈次第で別種の共感も一つのものに集められる。いろんな別種の共感を引き寄せられるこの遺物は、一体誰の死体で出来ているんだ?」

「────ふぅん。やるじゃない。」


 ようやく口を開いたことに、多少驚きながら少女を見やる。

 やってくれたな、と言う感情の混じった笑みが、新矢志輝を突き刺した。


「そうよ、あんたの推理は大体当たってる。そんなに気になるなら、みてきても良いわよ。浅影の"遺物"を。」


 無言で祠の扉へ手を掛ける。

 ぎぃ、と重苦しくも素朴な、材木が軋む音が耳に木霊する。

 絶対に開けてはならない、見てはならないといった威圧感はない。

 変わりに、なぜか眼を背けたくなるような、掻痒感が全身を迸った。

 扉の向こう、壁や天井、床以外の全面全てに夥しいほどの呪文が書かれた廊下。

 その奥だった。

 祭壇のような何かの上に、白い棒状の物が、大小様々に何本も置かれている。

 骨だった。

 恐らくは指の骨。

 大人から子供まで、様々な人物の物のようでもあった。


「もう少し、良く見なさい。」


 後ろから浅影瑠鋳子の声。

 もう一度『眼』を凝らしてみる。


「あぁ…」

 

 様々な人物、というのは間違いだ。

 何てったって、どれもこれも全く同じ霊器だからだ。

 

「同一人物か。」

「ご名答。多分、三歳ぐらいから十五歳くらいまで、ある一定の期間で指を切り落としていたってことね。」

「なんでこんな────いや、そういうことか…」


 一つの基礎から、様々な種類の共感を呼び込む。

 その正体が、これか。

 全く同じ基礎だが、それは年齢によって少しづつ変化していく。


「本当はもっと規則的に並べられているんだけどね。これを崩したことによって、結界が弱まったって訳だ。」

「これを────戻せば良いんだろ。」


 複雑な感情を飲み込む。

 魔術師の世界なんだ。こんなことなどいくらでもある。

 幼少の頃から拷問じみた真似をされて、死語もその呪いと恨みを体よく利用される。

 確かに、それはおぞましい所業だ。本来はきちんと供養してやるべきだろう。しかし、これでは話が立ち行かない。

 俺は魔術師なんかじゃない。ただの人間だ。わざわざこの家の事情に肩入れする義理も権利もない。俺に出来るのは、浅影瑠鋳子のボディーガードという、ただ与えられた責務をこなすことなんだ。

 新矢志輝の手が、祭壇の上に散乱している指骨に手を伸ばす。

 すると、浅影瑠鋳子が割り込むようにして言った。


「それ、触ってもいいけど呪われるわよ。」

「呪いを掴めば良いだろ。」

「術式に誤作動が起きたらどうすんのよ。」


 わかったよ、と志輝はうざったそうに手を上げる。


「でも、どうすんだ。それを戻さねぇことには、俺は何時まで経っても寝ることが出来ねぇんだが。」


 少■が、不機嫌そうに頭を掻く。


「そうね。正当な手順を踏んで、術式を修復していくしかない。」

「何分かかる。」

「そんなの分かんないわよ。パズルみたいなもんなんだから。あんた知恵の輪やったことあるでしょ?あれってハマったときメチャクチャ時間がかからない?」

「まぁ、学校の授業でならやったことはあるが。どれもこれも一分もかからず解けるもんばっかだぞ。十秒でといたヤツもいる。」

「…知恵の輪を授業でやるって、アンタが通ってる学校ってスパイの養成所かなんか?」

「普通の公立高校だ。」


 少女は、呆れたように溜め息をした後、再び言葉を紡ぐ。


「とにかく、時間がかかるからおとなしく待ってなさい。

 それに────」


 少女が辺りを見渡す。


「────あぁ、分かってる。」


 二人の眼は、警戒一色に染まっていた。


 ────視られている。何者かに。


 右斜め上空。僅かにでも何者かの視線を捉えた第六感は、自然に体をその方向に向けさせていた。

 路地裏にぽっかりと開いた公園ほどの空間。それらをぐるっと囲むコンクリートの塀。向こう側に聳え立ち並ぶビルからでは、異界化した()()()側を見ることは叶わない。

 月明かりに照らされた塀の上。そこに、ちょこん、と、ただ一匹の蛇が居座りこちらを眺めていた。

 月光そのものと見紛うほどの、気高くも美しい純白の体表。金色の瞳は、それだけで人間の世界からは隔絶された存在なのだという、ある種の神性を感じされられた。

 嗚呼、俺は再び出会ったのだ。

 あの夜の蛇に────


「よう、久しぶりだな。」

 

 新矢志輝は、好戦的に言葉を投げると、懐に隠し忍ばせたナイフに手を伸ばす。

 逢魔坂が言うには、何処からともなく大量に現れ、あっという間に四方を囲まれたと聞く。

 既に包囲されていてもおかしくない。

 ────いや、既にされている。

 街頭一つない夜闇に、上手く溶け込んで見えていなかっただけだ。この『眼』には最初から見えている。

 塀の上に、夥しい数の黒い蛇が、ひしめき合いながら蠢いていた。

 今、この瞬間にも、黒蛇の数はどんどんと増えていき、塀が少しづつ盛り上がっていく。

 黒蛇の群れはその厚みを増し、今にも雪崩のように落ちてきそうだった。

 

(まず)いな。アレ、どうにか出来るか?さっきのヤツで。」


 黒い波を見ながら少女に投げ掛ける。

 巨大な大蛇が一匹だとか、すべての個体で一つの命を共有する群体生命とかなら殺りやすいんだが、一匹一匹が別個体のモノが何千匹も迫ってくるのは厄介だ。それなら、さっき浅影瑠鋳子が見せた浄化結界とかの方が相性が良い。


「無理ね。その『眼』で見たら分かるでしょ。あれは霊体や魔力の塊じゃなくて、現実にいる蛇。それを魔術的に改造しているだけなんだから浄化もクソもないでしょ。」

「クソ。あの数…俺一人じゃ対処しきれねぇぞ。」


 じゃわじゃわ、じゃわじゃわと、その嵩が増すごとに、黒蛇が蠢く奇怪な異音が、その旺盛を増していく。

 まるで悲鳴だ。

 夜の田舎の田んぼ道。小さい頃は、四方の闇の中から絶えず聞こえてくる、蛙の鳴き声を怖がっていたっけな。その頃は、怪異も今より見えていなかったから、ただ近くにいるという事実だけが頼りで、別に追われてもいないのに、何かが迫ってくるっていう不安に駆られて、急ぎ足で暗闇の中を突き進んだものだ。

 そんな生活も、土御門が来てから変わったな。

 少しでも、普通の生を実感できたのは、あいつが────

 ────いや、そんな思い出が何になる。

 実感を喪ってしまったのなら、不感症のままでいるのなら、それはただ、空っぽなだけの絵本じゃないか。

 そうだ、そんな不確かなものを埋めるために、あの夜闇に駆け出したんだろうが。

 ────強く、ナイフを握り込む。

 眼前の巨塀を見上げる。

 黒蛇のダムは決壊している。

 こちらに、雪崩れ込んでくる。

 まるで津波だ。

 黒い津波が、ただ俺達を目掛けて押し寄せてくる。

 ────良いだろう。

 

「いや、分かった────」


 この世に大切なのは棲み分けだと、俺のジジィが言った。

 社会にはいろんなヤツがいる。社会に出ると色んなヤツに出会う。気持ちの良いヤツにも、見るだけで胸糞悪くなるクズにもな。

 そいつらの数だけ、真理がある。共感なんてものがあろうと、決して一つに交わることはない。

 ただ、どう足掻いても"そう"である事、それだけは変わらない。

 良いヤツに心を救われようと、クズに人生ぶっ壊されようと、結局そいつらが今この世界にいること、生きていること、それだけは変えようがない。

 だから、人によっちゃあ、多少棲み分けること、分け隔てることは大切だ。

 自分と他人の境目、他人と他人の境目、その線を見つけること。

 お前の『眼』は、それを見つけられるのか?


 説明が下手くそなせいで、何を言ってるのかさっぱり分からなかったが、今は自分なりに解ってる。

 

 正常と異常。その境界を敷くこと。

 その境界を冒すものと、戦うしかないってことだ。


「────良いだろう、殺してやるよ。」


 眼前にまで迫った黒蛇を睨む。

 目測五メートル。その間合いを見極めろ。

 

「────ッ!」


 先頭の一匹目を、まず一閃。その後、逆手に持ち変えて横薙ぎにもう一閃。一気に三匹を刈り取る。

 しかし、それが何だというのだ。四匹の仲間の死を間近で見ても、その勢いは落ちるばかりか、仲間を殺された怒りでその呪いがさらに強まっている。

 飛びかかってくる十数匹を、しなる柳のような刃物捌きで切り刻む。

 しかし、それでも二匹を殺し損ね、紙一重でその毒牙を交わす。

 キリがない。

 押されているのは、俺の方だ。

 蛇の密度はどんどん高まってる。

 終わりが見えねぇ、ここままじゃ何処かでガブリだ。

 出きるだけ広範囲を、深く、疾く、切り刻む────

 腕を大きく振って、一気に数十匹を切り殺す。俺を警戒して、一気に蛇たちも俺を避け始める。

 蛇の海になかにポツリと生まれた、新矢志輝と言う名の水溜まり。

 背後(うしろ)も既に獲られている。ヒットアンドウェイ戦法は封じられ使えない。


「クソ、結局脳筋ってワケか。」


 一瞬、黒い何かが弾けた後、半径五メートルに亘って、蛇の血液が夜を舞い地を濡らす。

 新矢志輝のナイフは、瞬きの間に七を数えた。

 しかし、これでも厳しい。

 黒い蛇が、足を伝って登ってくる。

 狙うは一つ、俺の首筋。

 

「アアアアアァァ!」


 せり上がる悪寒を呑み込んで、我武者羅にナイフを振るう。

 ジリ貧────

 もう既に胸元まで蛇に浸かっている。

 後少しで急所に到達────と、その時、何かが光る。

 囲い込んでいた蛇たちが吹き飛び、俺に纏わりついてた蛇たちも、ぼとぼとと、力尽きたように落ちていく。


「これは、まさか────」

 

 振り返る。

 浅影瑠鋳子の姿が、そこにはあった。

 何やら、木製の弓を構えている。その弓には、霊が宿っていた。それに呼応するように、弓は青白く光っていた。


「それは────」 

「梓弓。」


 少女が答える。

 彼の弓は、巫女の祭事で使われる。 

 弦を弾いて神や仏をこの世に降ろす。口寄せの神弓。

 一体何処から────いや、魔術師なんだ。携帯する手段はいくらでもあるだろう。

 それよりも、今のは弓の効力だよな。間違いなく俺に向けて放たれたが、外傷どころか矢も見当たらない。俺に纏わりついてた蛇だけが吹っ飛んだ。

 

「志輝!」


 名を叫ばれ浅影瑠鋳子の方を見やる。

 少女が弓を引く。

 矢はつがえていない。が、弓が紅く燃えている。否、赤い炎に包まれている。


「避けなさい!」


 その意味を理解し、咄嗟に射線から身を躱す。

 次の瞬間、俺のすぐ真横を、特殊な『眼』がなくては視認できない魔力の炎が、音速を越える圧倒的な速度で駆け抜けていく。

 説明されずとも解る。

 あの焔が成す意味は、絶対的な破壊だ。

 刹那、雷が迸った。

 焔の矢が着弾した箇所から、莫大な熱が沸き上がり、殺戮の炎の嵐となって周囲の蛇を焼き尽くした。

 すごい火力だ。

 爆心地の蛇は消し炭になり、その周辺の群れまで火の殺意が渡り、地面は局地的な火災にあったかのように焦げている。

 立ったの一撃で、数百匹の黒蛇をまとめて倒してしまったのだ。

 

「やるじゃないか。死ぬかと思ったぜ。」

「それって、敵が使う言葉でしょう。」


 右足を軸にして立ち上がる。

 俺は、浅影瑠鋳子のいる方へ向き直り言う。


「そんなモンあるなら先に言え。」

「ごめんごめん。全身蛇に嬲らてるアンタが、これまた、中々様になっててね。」


 浅影瑠鋳子は、またいつもの邪悪な笑みを浮かべながら、スルリと携帯端末を取り出して俺に見せてくる。

 そこには、胸元まで蛇の侵略を許した、苦悶の姿でナイフを振りかぶる俺の姿だった。


「お前…この期に及んで。」

「違うわ、この期に乗じたのよ。」


 誇らしげに、悪びれもせずそう答える。

 上を見上げる。

 今日何度目の呆れだろうか。まだコイツの悪意に晒されなきゃならないのかと思うと憂鬱だ。


「それで、あの蛇は?」


 現在、沈黙している黒蛇の軍団を見やる。

 未だ焔が上がり、その侵入を拒む防波堤が出来ている。


「焔は分かったが、さっきの吹っ飛ばしたヤツはなんだ。」

「浄化の応用でね。使い魔との契約を切ったのよ。」

「なんだよ、使えるじゃねぇか。浄化。」

「別に、全部が全部聞かないって訳じゃないわよ。」


 浅影瑠鋳子が、呆れたように言い返す。

 新矢志輝はせり上がる文句を呑み込み言った。


「うし、あの焔を起点として責めるぞ。お前はある程度牽制したら退避して即刻知恵の輪だ。」


 知恵の輪とは、遺物の術式の修復とは言わずもがな。


「やるぞ、作戦開────」


『お~と、そうは問屋が卸さねぇよ。』


 ────唐突に脳裏に響く、何者かの声。


「な────」


 厳戒態勢を敷く間もなく、新たな驚異、いや真の驚異に先制される。

 バチィ、という火花が飛び散る音。

 浅影瑠鋳子の張った結界かと一瞬思ったが、実態は全く別であった。

 地から吹き上がるような焔の壁、その奥で塞き止められていた黒蛇たちが、金色の稲妻を纏っていた。


「帯電している。これはまるで────」


 逢魔坂達が交戦したっていう、仮面の女魔術師が使っていた雷撃術式にそっくりじゃないか。

 

「成る程ね、その術式。もしかしたらとは思っていたけど、やっぱりいたワケだ。あの"事件"の生き残りが。」


 あの"事件"だと?


「おい、それはどういう────」


 言い終わる前に、黒い蛇達が奇声を上げ、それとともに叩きつけられた熱風に、思わず手を翳す。

 数千の蛇が放出した雷撃によって、焔の壁が吹き飛ばされたからだろう。火傷を追う程ではないが、一瞬息をすることも儘ならなかった。


「話は後。とにかく、アレを一掃するわよ。」


 浅影瑠鋳子は、焔を突破しすぐソコまで迫ってきている黒蛇を睨み付ける。


「いいじゃない。ようやく尻尾を出してくれたんだし、しっかり回収させてもらうわ。『浅影の欠片』を。」


 浅影瑠鋳子の持つ梓弓に、再び煌々と赤き焔が宿り始める。

 梓弓に降ろされた霊体は、擬似的な刻印として機能し、指で弦を弾く唯それだけで、宿らせた霊体の属性を帯びた矢を、音速を越えた無数の弾幕として放つ魔術式として駆動する。

 浅影家の真髄。

 しかし、浅影瑠鋳子の勝手気ままなアレンジによって、あらゆる敵を滅する凶悪な兵器に昇華されている。

 いや、最早イタコとは…


 浅影瑠鋳子が自慢の弓を掲げ、黒蛇の大群のど真ん中に照準を合わせる。

 たった一度、指で弦を弾くという一工程(シングルアクション)

 それは、弓を引いて矢を放つという動作でもあり、また霊と同調し術式の精度を高めるという、二重の意味合いが篭っていた。

 突如響く美しい音色。

 この地獄絵面には不釣り合いな、月光を思わせる旋律が、汚れた大地を這っていく。

 罪人だろうが聖人だろうが、等しく魅了せしめるこの音色が、暴虐の女帝である浅影瑠鋳子の指から奏でられたなど、誰が信用しようか。

 放たれた紅き焔の魔矢は、その鮮やかにも豪快なる弾幕は、その威厳を誇示するかのように、黒蛇の大群を次々と炎の海に沈めてしまう。

 正しく圧倒だ。

 黒蛇達も、見に纏った雷を放出し、身を守ってはいるももの、馬力には到底埋められない差があるようで、渾身の防御も一瞬で書き消され炭化していく。

 絶え間なく降り注ぐ火矢に、黒蛇達は確実に消耗、或いは焼失し、さっきまでの攻勢は半分以下まで落ち着き、心なしかその数も最初の時よりも三分の一以上が減っていた。


「すごいな…」


 現時点でのパフォーマンスで言うなら、数百年レベルの家系の魔術師で、十年修行を重ねてコイツの半分も出せれば十分天才レベルだ。

 大体魔術を習い始めるのが五歳ぐらいの時だから、浅影瑠鋳子は七年くらいしか修行してないことになる。

 薄々感じてきてはいるが、浅影瑠鋳子(コイツ)の実力の源泉は、浅影というハードウェアではなく、コイツ自身というソフトウェアにあるのでは。

 つまるところ、浅影瑠鋳子が優れているのは、浅影という優れた魔術師を排出する名門の生まれである、ことも要因の内の一つだろうが、真の要因は浅影瑠鋳子自身にあるのではないだろうか。 

 脈々と紡ぎ受け継がれし名門の遺伝子か、はたまた、突然変異的な鬼才の個性か。

 そんな素朴な疑問を考えさせてくれる程、『異常』達の犇めく夜は甘くはない。 

 この空間の端へと追い込められた蛇達は、一層大きな奇声を撒き散らしながら、寄り集まって巨大な何かに変貌していく。

 ボコボコと、膨張と収縮を繰り返し、数千の黒蛇の群体から、唯一つの生物へと融合していく。

 獰猛な怪物が、少なくとも二十メートルは下らない大蛇が、二人の目の前に轟然と立ち塞がった。


「あれが────」


 圧倒はされども驚きはない。

 黒蛇たちが寄り集まって大蛇になったというのは、事前に逢魔坂から聞いていたことだ。

 しかし────

 この『眼』は、ヤツに通じるのか。

 群体であるなら、一匹一匹殺していかないといけないが、アレを一つの構造物として視れば、一撃で崩壊を狙えるのではないか。

 あの大蛇に『眼』を凝らす。

 大蛇の肉体の中身は、大量の黒蛇が互いに連携しながら蠢き形作っていた。

 

「ダメだ。あの大蛇は本質的には群体でしかない。それに、もしアレを一つの物体として殺したとしても、殺された部位を使わなければ、容易く元通りに出来てしま────」


 黒き大蛇が跳ねる。

 全くのノーモーションから、その巨躯に見合わぬ豪速でこちらに迫ってくる。

 勢い良く真上に飛び上がる。

 足元のすぐ下を、黒い砲弾が突き抜ける。

 紙一重の回避。

 そこから、更に上空へ体が上昇し、黒い巨体を視界に収める。

 

(七メートル…すこし飛びすぎたか……いや!)


 凄まじい轟音と衝撃の後、大蛇の体がが大きく揺れ、その動きを止める。

 恐らく塀に激突したのだろう。その一瞬の動きの鈍りを、新矢志輝は見逃さない。大蛇の背に音もなく着地すると、その『眼』に写った大蛇の外皮、その結合の弱いところにナイフを突き立てる。ナイフは反作用を感じさせず、溶けるような滑らかさで大蛇の身体に入っていき、その勢いのまま大きく真一文字で切り捌く。

 耳をつんざくような大蛇の叫び。

 そ程度では一切怯むことなどないが、大蛇が悶絶し暴れ始めた事により、足場が不安定となって半ば振り落とされるように飛び降りる。

 痛みによる怒りか、俺を危険と判断したのか。大蛇はこちらに振り替えって睨み付け、舌を出して威嚇してきた。

 ナイフを強く握り込み、次の突撃に備える。

 化野達にとっては凄まじく速かったのかも知れんが、俺にとっちゃそこまで速くはない突進だ。

 然るべき間合。

 然るべき観察。

 然るべき反応。

 然るべき動作。

 これら四拍が揃っていれば、避ける事に関しては、さほど難しくはないだろう。

 問題は反撃。

 それに必要なのは、一瞬の隙も身逃がさない為に、常に相手の出方を見極め適応すること。そして、絶対に取り逃さないための、正確無比な必殺の一撃────

 大蛇が跳ねる。

 先刻の攻防で俺の動きを読み取ったのか、今度は空中に大きく飛び上がり、俺目掛けてダイブしてきた。

 押し潰されるギリギリで回避し、大蛇の進行方向とは逆に走る。それを見越していたのか、はたまた土壇場で対応したのか、大蛇は体を捻って、薙ぎ払うように身体をぶつけてきた。俺が飛び上がることすら見越していたのだろう。地面からはすこし離れていたので、下を掻い潜って回避する。

 次に、一瞬の間も開けず、躊躇なくナイフを突き立て、一気に胴体を走りながら切り裂いていく。

 再度、大蛇は苦痛による悶絶で暴れだし、新矢志輝は直ちにその場を離れる。

 その直後、大蛇に向かって濃密な魔力の火矢が打ち放たれる。浅影瑠鋳子の魔術だった。

 蛇の群体な為に、多少の損傷は他の蛇で塞ぎ補えるのだが、燃焼はまた別だ。何せ燃えているのだから補いようがない。

 丁度、身体の真ん中に当たる部位を撃ち抜かれた大蛇は、そのまま燃えている箇所を切り離し、頭部がある部位のみで活動を始める。


(まぁ、そう来るよな)

 

 大蛇の顎が迫る。

 先程よりも明らかに速くなっている。

 長大で重量もあった体躯が半分になったことで、敏捷性が格段に向上したのだ。勿論、その分パワーも落ちているのだが、小回りが利くようになったのは大きな変化だ。それによって、戦況にどのような変動が見られるのか、見過ごすことはできない。

 

「くっ…!」


 身を大きく捻って、紙一重で大蛇の噛みつきを回避する。

 大蛇の動きを追うために、直ぐに頭部の方を見やる。

 瞳に写った景色は、すでにUターンして、再度こちらに向かってきている大蛇の大口。

 まだ半分になる前は、もっと遠くまで止まることなく突進していたはず。小回りが利くように、機動性が大幅に向上したのは間違いないようだ。

 飲み込まれる寸でのところで、身体を倒し飛び上がる。

 眼前を駆け抜ける大蛇の黒い背。

 まるで空中で行われる側転のように、すれ違いざまに大蛇をナイフで切りつける。

 回転しながら落下し着地────の瞬間を見越したように、上空から大蛇が落ちてくる。

 俺を飲み込むつもりではない、半分になっても健在な、自身の圧倒的重量で俺を押し潰すつもりだ。

 何度もナイフで切りつけられていること、俺が圧倒的な機動力と敏捷性で、戦闘を有利に進めていると考えたのだろう。

 自前の重さで押さえつけ、俺を封殺しようという魂胆か。

 スピードタイプはパワータイプを翻弄できるが、捕まったらどうしようもないのと同じ。

 だが、それでも────

 瞳に写っていたのは、迫り来る大蛇の驚異、それだけではない。

 浅影瑠鋳子の姿もある。

 梓の弓を構えて、弾いた弦の音律により霊的共鳴する、焔の矢を打ち放す。

 高い敏捷性を得たとは言え、音速を越え、広範囲に拡散する火矢を避けることは、さしもの大蛇でも困難らしい。

 俺に意識や感情を強く向けすぎたことが災いし、火矢の直撃を受けてしまった。 

 無駄な贅肉を落として軽くなった為、当然ながら火矢の衝撃で後方に吹き飛んでいく。炎に包まれながら塀に激突し、つんざくような強烈な鳴き声を撒き散らしながら、火をすこしでも速く消そうと懸命にのたうち回っている。

 

「チャンス!」


 浅影瑠鋳子が大声で叫ぶ。

 その意図を読み、弾かれるように走り出す。

 

(俺を殺す算段は悪くなかったが、すこし夢中になりすぎたな)


 一撃必殺。

 一突きで全てを崩す。

 『眼』を凝らす。

 大蛇を見る。さっきまであんなにものたうち回っていたのに、疲弊で動きが鈍っている。

 しかし、相手は何千匹もいる群体だ。一体一体殺していくのは流石に疲れる。

 だが結局、群体は群体。

 俺の予想が正しければ────

 

「いや、これは────」

 

 ここで新矢志輝は気づく、大蛇の全身から、見えないなにかが噴き出していることに。

 いや、見えている。

 それ自体も、その本質も。


(毒か────)


 最後の抵抗のつもりか。

 焦点を毒霧に移し、最優先で対処する。


「志輝、浄化の術式で凪ぐわよ。」

「いや、お前は溜めとけ。俺が蛇の連携を弱めた後、最大出力で纏めて焼きつくせ。」

「…わかったわ。」


 浅影瑠鋳子は一瞬戸惑うも、渋々受諾する。

 毒は、ほとんどの蛇が持っているものを、魔術的な加工で飛躍的に強化されたもの。俺なら、多少吸い込んでも全くもって問題はないし、今もすこし手が痺れるくらいだ。浅影瑠鋳子などの魔術師も、仮にも超常を操るものなのだから、超常により殺意を増した毒でも大丈夫だろう。

 しかし、問題はもう一つ。この霧には高濃度の呪いの瘴気を宿していることだ。

 ────キン、と、大気を切り裂く幽かな残響。しかし、それは決定的な一太刀の鳴動だ。

 新矢志輝は、毒と瘴気を同時に殺した。

 如何なる物であっても、壊れやすいところはある。

 意味と意義が死んだ毒は、何の害にもならない。

 ────こんなもの、前座にもならない。

 ぐん、と更に速度を上げて迫る。

 大蛇の"痛所"まで数メートル。

 一秒ともかからない。

 

「────!」


 するりと、ナイフは音もなく、大蛇の黒い硬化外皮を、驚く程滑らかに貫いていく。

 流れるような必殺だった。


「司令塔となっている個体がいるのはわかっていた。個体同士の霊的な繋がりを見たとき、蛸足配線のように集中している奴がいたからだ。その時に確信した。そいつを潰せばこの通り、統率がとれなくなり、一気に崩れていくってな。」


 大蛇の形が崩れていく。

 統率をとる個体が死滅したことで、連携がとれなくなったのだ。

 だが、もし司令塔が一匹だけじゃなかったら厄介だ。今は弱まっているだけで、新しいトップを据えたらまた動き始めるだろう。

 その前に、浅影の魔術で吹き飛ばす算段だ。


「おい、お前の出番だ。今のうちに一匹残らず────」


 と、言いかけたことで、ある違和感に気づく。

 浅影瑠鋳子の気配が、ない。

 梓弓の魔力も、あの溶鉱炉のごとき熱気もない。

 

「────!」


 振り返る。

 やはり、少女の姿はない。

 その変わりに────


「なんで、お前、が。いや────」


 そう言うことか。

 結局、群体は群体。

 統率役がいくらでも替えが利くならば────

 そこにいたのは、大蛇だった。

 だが、ここにも、俺の直ぐ後ろにも大蛇がいる。

 

「二匹目。いや、さっき切り離した半身か────」


 と、同時に、視界の端に映る浅影瑠鋳子。

 塀の下に倒れ伏し、苦悶の表情で()()()()()大蛇を睨み付ける。

 大蛇の持つ巨躯と硬度、瞬発力と速度を最大限利用した正面突進。

 浅影は、大蛇を一撃で消し飛ばすために、火矢の術式に魔力を最大限注ぎ込むことと、俺が統率個体を倒して退避したとき、つまり火矢を打ち込むのに最適なタイミングを見極めることに注力していたのだろう。

 大蛇の突進の回避だけなら、あれ程の卓越した肉体強化ができているなら問題はない。意識外からの攻撃に、対処できなかったに違いない。

 重量は半減しているし、速度もそれなりに下がってはいるが、ダンプカーの衝突は余裕で越える威力はあったはずだ。浅影の体重は四十キロあるかも怪しいし、百メートルぐらいは吹っ飛んでいたのでは。

 恐らく派手に塀に激突したな。肉体強化していたとはいえ、あれではただで済みそうにない。


「おい!まだ動けるか!?」

「言われ…なくとも!」


 少女は、ゆっくりと体を起こして立ち上がると、大蛇を睨み付けながら俺に言った。


「不意打ちされた時のために、防御術式は常に張ってる。衝撃緩和で大幅に削いだから、肋骨二本逝ったこと以外は特に問題はないわ。」

「おい、それは大丈夫なのか。肋骨二本ぐらいじゃあ、体の動きにはそこまで支障はでないだろうが、"痛み"はあるだろう。俺は色々あるから支障はないが、魔術師とはいえ"痛み"で動きが鈍ることはあるんじゃないか。」


 そうだ。肋骨なら、ヒビだけでも結構な激痛がクる筈だ。それが二本折れているともなれば、呼吸だけでも相当な激痛が走っているのに違いない。

 魔術師と言えども所詮は人間。痛みのストレスは、最も人の動きを鈍らせる要因となる。

 だが、これ程までの損傷を受けた後にも関わらず、詰まることなく喋れてるってことは、確かに浅影瑠鋳子は他とは違うのかもしれない。

 

「『強化』ってのは、痛みにも強くなれるのか?それとも、魔術師は痛覚遮断も出来たりするのか?」

「やろうと思えばね。でも私はやんない。」


 迫り来る大蛇の突撃を、紙一重で躱しながら少女は続ける。

 

「何か逃げたみたいでムカつくし、それに────」


 少女が跳ぶ。直ぐ下を、大蛇の黒が抜き去っていく。


「そっちのほうが────燃える!」

 

 そのまま大蛇の背に落ちていき、全体重を乗せた渾身の拳を、ありったけの『強化』を以て叩き込む。

 大蛇が悶える。


「痛いほど────」


 少女は着地後、一切の間を置かずに大蛇を蹴り上げ、自身も間髪入れず飛び上がる。


「もっともっと捩じ伏せたくなる!!」


 空中で回し蹴りを見舞い、大蛇を大地に叩き伏せる。

 

「それが────この私。浅影瑠鋳子よ。」

 

 地に伏した蛇の巨躯の上、月に照らされた少女の姿。

 羽より軽やかなその矮躯には、百鬼も戦慄せしめる暴君の才が秘められていた。

 

「わかったでしょ。痛みごときで、この私が止まるだなんて本気で思ってたの?」


 女帝が得意気に嗤う。

 

「はは。思ってねぇよ、狂戦士。」


 新矢志輝が右に跳ぶ。

 直ぐ左を、大蛇の顎が飲み込んでいく。

 後ろで()()()()()大蛇も、ようやく回復したらしい。

 

「同時に倒すわよ。気合い入れていきなさい。」

「言われなくとも。」


 二人の狂戦士は互いを背に、二匹の蛇蝎と向かい合う。

 新矢志輝はもう一度、強くナイフを握り直した。



     ◇


  

「────で、俺たちは結局働かされるというワケですか。」


 某県境の山道を、一人の少年を乗せた原付が疾駆する。

 時刻は丑三つをとうに過ぎ、深き夜の静寂が辺りを包む中、大自然に似合わぬ排気音が、暗闇の隙間を突き抜けていく。

 街灯が全くないということもあってか、その白い髪はより一層目立ちやすくなっている。真っ暗な山道という、どこか不気味な雰囲気が漂う場所であることも合間って、見たものは彼を幽霊と見紛うのではないだろうか。

 土御門有雪は運転しながら、虚空に向かって語りかける。誰かと、魔術による念話をしているようだった。

 

『ごめんごめん。他の魔術師と殺し合って負傷した当日に、こんな無茶振りは明らかにブラックだとは思ってるよ。でも、さっき志輝君に仕込んだ盗聴機からもわかる通り、浅影に何らかの異変が起きているのは間違いない。私たちも、浅影についての調査を前倒しして行うべきだ。』


 舌で飴を転がしたような甘く艶のある声色。それでいて、優雅さや気高さを感じさせる、気品と威厳を併せ持った口調。

 逢魔坂朱理。

 霜枝第一高等学校オカルト研究部。二つ目の名には魔術結社『胡蝶之夢』。その部長である。

 

「仮にそうだとしましても…」


 土御門は昨日の疲労もあってか、気だるげな様子で投げ掛ける。 

 ハッキリ言って気が抜けていた。

 しかし、逢魔坂の次の発言で、それは覆ることになる。


『異変と言えるものが起きている以上、私たちと浅影との間で結ばれた契約、その履行が果たされない可能性がある。一応、志輝君への護衛任務から過度に逸脱した待遇、及び行為の強制を固く禁じてるけど、ペナルティを度外視して誓いを破られればその限りではない。』


 逢魔坂が冷たく告げる。

 白髪の少年は一瞬、心臓が張り裂けそうになった。

 新矢志輝は、土御門有雪にとって無二の親友だ。彼にとって、無くてはならない人生のカケラなのだ。

 堕落は吹き飛んだ。

 心の平穏が、堅牢なものから、ひび割れた不安定なものに置き換わっていくのを感じた。

 それでも少年は納得できず、朱き魔術師へ問いかける。


「…まさか。連中が志輝を捕らえて何になるってんですか。」

『浅影家が今回執り行うのは追儺儀式よ。つまり、ナニカを鎮めて追い返す。ねぇ土御門君、日本の昔話や伝承でさ、人に災いをもたらす悪鬼や神様を鎮めるとき、どんなことをしたりする?』

「どんなことをするって、祭りをしたり色んな物捧げたりって感じじゃないですか。」

『そう、捧げるのよ。食べ物とか、宝とか、後、もちろん────人とかさ。』


 流れる沈黙。

 重苦しい緊張感が、二人の男女の念話ごしに立ち込める。


「志輝が生け贄にされる、と?」


 土御門の口からでる不振。しかし、それは脳裏によぎる最悪を、何としてでも否定したいという願望の現れだった。


『ないとは言いきれない。

 私ね、たぶん今回は結構な大事になるんじゃないかと思ってる。

 志輝君には、間違いなく過去一の負担を背負わすことになるわ。私たちは志輝君とは離れ離れ。彼の身の安全を保証できるのは、結局彼自身でしかない。()()()だってそうだったでしょう?私たちは単に指を咥えて祈るしかない。』


 土御門は押し黙る。

 ハンドルを握る力が増す。無力を噛み締めているのだろう。土御門は事前に、新矢志輝へ色々な魔術の品を渡していた。

 それでも、えもいわれぬ不安を拭うことが出来ない。いくら天才と持て囃されたところで、自分自身が魔術師として未熟であることは、絶対的で覆しようがない事実なのだから。

 自己評価が低い、と言ってしまえばそこまでなのだが、実際に過去にあった至らぬことの数々が、今でも自分への不信感として心に残っている。


『だから、私たちは今、自分に出来ることをやるだけよ。』


 ────そうだ。結局、他人のことなどどうしようもない。一度歯車が動き出したら、例え止まろうが狂おうが、静かに見守るしかない。

 だが、それでも。いや、わかっているそれでも。今すぐにでも志輝の元へと駆けつけて、彼の無事を確認したい。連れて帰りたい。

 いてもたってもいられない。胸の内で鳴り響いたまま止まらない。

 一体どうしたら、この気持ちを割りきることが出来るのだろう。


『ま、とは言っても、煮え切らない気持ちばっかりなのは仕方ないとは思うわ。だって、土御門君も私も化野も、勿論志輝君だって、魔術師だ何だっていう前に、まず子供なんだから。体も心も未熟だし、君がそこまで狼狽えるのも当然っちゃあ当然ね。まぁ、流石に感情の大きさはちょっと予想外すぎるけど、今はそれでいい。高校生の感情ってヤツを存分に楽しみましょうよ。』


 逢魔坂は、子供に絵本を読み聞かせるように、穏やかな口調で諭す。


『土御門君、君は新矢志輝を信じる?』

「信じ、たいです。アイツは…スゴいヤツですから。」

『そ、じゃあそれが答えね。』

「────そうっすね。そういうことにしておきます。」 


 白髪の少年は、肩の力が抜けたような、砕けた笑みを浮かべてそう答えた。


「あ、ところでなんすけど。」

『簡潔に。』

「"淵縫い"で鎮めるモノの正体について、何か分かったことってありますか?」 

『全然。浅影と逢魔坂は懇意にしているとは言え、互いの内情までは知り得ていなかったみたい。浅影についての文献をいくら漁っても、肝心な"何を鎮魂するのか"までは出てこなかった。けど、流石にというか流石だなと言うべきか、儀式についての最低限の情報はしっかり開示させていたみたい。文献では五百三十八年前。丁度、逢魔坂の名前が有名になり始めてきた頃だね。"淵縫いの儀"の護衛を、逢魔坂は雁崎家から依頼されている。』 

「雁崎。それって、今向かってるとこですよね?」


 雁崎。浅影家が擁する七つの傘下の内、外から来た魔術の家系と、浅影の人間が結び付いた、言ってしまえば分家のような立ち位置の家系。


『そうよ、正確には雁崎から別れた分家ってとこかな。本家は十何年か前の事件で滅んでるからね。』

「そんなとこに文献なんてあるんですかね?」

『あるはずよ。雁崎は浅影と最も結び付きが強い家系だった。だって実質的な分家だからね。浅影の情報などを数多く持っていたはずよ。となると、そんな家系が分家をつくる理由は唯一つ。』

「機密情報の保管場所、てことっすか?まぁ、ならこんな山奥にあるのも納得ですけど。ああ、話がそれまくっちゃいましたね。」


 土御門が軽く謝罪する。

 なぜ、雁崎に分家があることを知っているのかは分からないが、そこは手抜かりない逢魔坂家のことだろう。過去、あの手この手を使って手に入れたに違いない。例えば、五百年前の護衛のとき、依頼料金としてせびった、とか。


『問題ないわ。それで、その最低限の情報っていうのが、"この儀式は浅影の神秘、その根幹に関わってくる"っていうものでね。』

「まぁ、確かに。それなら頑なに情報を秘匿するっていうのも頷けますね。あれ?待ってください。それって────」

『そう、浅影が儀式で鎮める存在と、浅影の魔術は赤い糸で結ばれている。長きに亘る、浅影の魔術の歴史が生んだ業か、或いはその起源か。

 浅影は千年以上前に興った魔術の家系。いや、その"前身"も含めるなら、数千年は下らない。

 西暦以前の神秘の時代。未だ文明の火は小さく、人知を越えし超常を生きる者達が、我が物顔で地上を跋扈していた。その最中、人の手に渡った数多の奇跡。それを、人々は魔術と呼んだ。

 そう、浅影の起源となる者達は、奇跡を起こす術を手に入れた。しかし、一体それは、何処からもたらされた力なのか。』


 そんなもの、決まっている。

 人間の常識を越えた力を手に入れるには、人間の常識を越えた存在から得るしかない。

 当時、人間と最も近しい"超常"とは即ち────


『────私は、何らかの"神"ではないかと睨んでいる。』


 朱色に濡れた声は、乾いた夜に滴った。 

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