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シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
11/25

第十一話 万象の殺人者

 確かに、逢魔坂の言っていた通りだった。

 この屋敷には、俺の味方なんてどこにもいなかったのだ。

 部屋の中。

 明かりはついておらず、ただ静寂とした闇が広がっている。

 新矢志輝に新たに宛がわれた一室だった。

 最初に来た朝に(ぶちこまれて)いた、極寒と閉塞のオンボロ離れとは違い、ここは本家の屋敷の特等客室である。特等という名に恥じず、逆に人一人には少し過剰すぎると思ってしまう程広大で、内装の隅々にまで丹精に作り込まれた絢爛の装飾物は、稀代の彫刻家をわざわざ寄越して施したのではないかと勘ぐってしまうほどだった。

 寝床はベットはなく敷布団だが、それがまた日本古来の和風の良さを引き立てている。

 一面ガラス張りの一画は、街の風景が一望できる。真っ黒な塊に挟まれるように、いつもと変わらない明るい街がその命の育みを灯していた。

 それ以外にも、掛け軸やらトイレやら、もちろん露天風呂だってついていて、いつかの日の旅行を思い出した。

 たぶん来年ある修学旅行でも、ここまでの高級ホテルには泊まらないだろう。

 自分の元々の家柄のこともあって、目も舌も常人より遥かに肥えているという自覚はあるが、それでも流石に過剰すぎるというものだ。

 チカチカするというよりソワソワする。

 さっきの逢魔坂との電話のやり取りでも、終始落ち着かなかった。正しくそれは異界だった。

 そんな豪華絢爛の部屋を闇に包ませ、枕の上にさらに自分の手を置き枕代わりにして布団に仰向けで寝そべり、天井を睨み付けながらもの思いに耽っていた。

 新矢志輝は、不穏の気配をその胸に抱いていた。この屋敷、ひいては浅影家の異質さからくるものを。

 少し内装を見てみようと部屋から出て回ってみれば、あちこちから知らない誰かからの視線を感じる。

 視線を感じるというと、普通はただの気のせいか何らかの病気だったりするのだが、俺の場合は話が変わってくる。

 元々特殊な『眼』を持って生まれたせいか、幼少期から『見えては行けない者達』がこの瞳には写り混んでしまう。そういった類いの者達は、大抵ただそこら辺を飛び回っていたりするだけなのだが、稀に"こちら側"の存在を観察してきたりする。

 勿論のこと、こちらが"見えている"ことを悟られるのは非常に危険なため、常に視線を合わせないことを強いられた。

 そのため、常日頃から自身に向けられる視線が気になってしまい、気づいたときには"こちら""あちら"問わず、如何なる視線にも敏感な人間になっていた。

 だからこそ分かる。この屋敷の人間全員から視線を浴びていること、それらにうっすらと敵意が滲んでいること。

 味方がいないとはこういうことだ。

 困ったな。

 これじゃあ、本当に飛んで火に入る夏の虫じゃないか。

 浅影瑠鋳子から聞くに、屋敷(ここ)にいる人間は、女中から付き人に至るまで全員が魔術師だと言う。千年以上前、当時猛威を振るっていた浅影の旧家、その者達が持っていた強大な力を分けて貰おうと、契約を結び取り入った傘下や分家の者達なんだとか。

 つまり、もし俺が何かの拍子に狙われるようになった時(そんなことは万に一つもないとは思うが、仮に浅影の謀略と仮定してみると)、ここにいる全ての人間と戦うことを意味する。

 十何人もの魔術師と、だ。

 確かに、油断ならない。

 クソ。

 こんなところでも神経をすり減らすことになるのか。

 逢魔坂の最後の言葉を思い出す。


『周りに味方がいない夜を過ごして、私達の大切さに気づいてね。』

 

 何が大切さだ。今までだって、いきなり呼び出しては無理難題を押し付けてそのまま、何てことをさんざんやってきたくせに。

 つくづく、よく今まで胃に穴が空かずにここまでやってこれたものだなと、我ながら自分を誉めてやりたいぐらいだ。

 それに、問題はまだまだ山積みだ。

 まず、ここは、なんというか不自然だ。

 そもそも、儀式の詳細がわからないと言うのは取り敢えず置いておいて、気になる点が最低二つ。

 一つは、屋敷中に多種多様なカラクリが施されていること。

 カラクリと言っても魔術的なものじゃない。いや、一部ではそんなものにも活用されていそうだが、ここの屋敷には時代劇やミステリーものなんかで古くから使い回されている、回り扉や隠し通路なんて呼ばれるものなどが、至るところに仕込まれている。

 まるで忍者屋敷だった。

 高名な魔術師の家系というのもあって、最初は命が狙われるを想定したものであっただろうが、明らかにどれも出来がよすぎている。

 人間心理を巧みに逆手に取ってくる構造は、とてもじゃないが素人には真似できない。それこそ本物の忍者みたいなのが造ったと言っても納得の出来るものだった。

 そしてもう一つ。

 ここには女しかいないということだ。

 男のいる気配がまるでない。

 浅影家は、魔術師としての真理探求以外にも、口寄せやら、呪いやら、徐霊やらを生業(地域によって様々な言い方があるが、東北では所謂イタコと呼ばれており、グローバル化が進んだ現代ではどこでもイタコと呼んだりする)として以来を受けていると聞いている。

 最近は、神秘の衰退と共に組織としての力も弱まって、重要な任務も合わせて商いは年に数回程度だということも。

 イタコとは、(かんなぎ)の一種である。

 巫とは、その名が示す通り、巫女などの神に仕える者達のことを言う。

 イタコと呼ばれる職業は、盲目の女性が働き口の一つとして招き入れられ成ったもの多い。

 しかし、それは一般的なものだろう。それこそ、民間レベルでの伝統的な文化としての話。

 浅影家は千年以上もの歴史のある立派な名門だ。

 それに対し、史実のイタコの起源は二百数十年ほど前程度のものだし、明らかに浅影家と普通のイタコとを同列に語ってはならない気がする。

 そこでだ、巫も、男巫や覡という男がなるものもあるし、いくら女の多い神職関連でも、流石に男の一人か二人ぐらい居ても良いのではないか。

 やはり、考えてみれば考えてみる程、不自然で、不気味だ。

 蟠る女社会。

 何て閉鎖的。

 まぁともかく、儀式は明日の夜。万が一のために、しっかり英気を養っておきたい。こんな疑問の解決は土御門達に任せて、俺はもう寝るとしよう。

 目蓋を閉じる。

 それは、蝶が鼻先に止まるかのように軽く、この世の何者にも抗いがたい、眠りへの誘いの一つだった。

 ───────横一線に薙ぎ放たれる、()()の張り手さへ届かなければ。


「ブッッッッッッッ!」


 世界が横転する。

 新矢志輝は、何者かにぶん殴られたその勢いのまま、右に猛スピードで吹っ飛ばされ床を転がっていく。

 そのまま壁に激突し、みっともなく呻きながら静止した。


「お前…こんな夜更けに…一体何の用なんだ…」


 新矢志輝は這いつくばりながら天を仰ぐ。

 そこには、満面の邪悪な笑みを、その端麗な容姿に張り付けながら、腕を組んでこちらを見下ろす、小さな少女の姿があった。

 暗闇の中で、凛と佇むその姿。

 由緒正しき一家を越え、最早一つの組織とも言える浅影を、端から端まで余すことなく束ね、従える。正しく頭領に相応しい出で立ちだったが、その邪に歪む美麗な口元を、横から照らす月明かりだけが、少女の残虐性を露にしていた。

 いや逆に、少女自らが己という存在そのもの、その狂暴性を見せつけてくるかのようだった。

 

「浅影瑠鋳子。」

「少し、急用が出来ちゃってね。」


 暴虐の少女は、無邪気な子供のように答える。


「急用?」


 わざわざ俺を起こすってことは、儀式関連か。


「そ、まぁ多分あの逢魔坂大魔王には何も言われてないだろうから、特別にアンタには前提から教えてあげる。

 だから───────」

「だから?」

「情報料二千万円ね。」

「はぁ?」


 金取るのか、これ。


「俺がそんな意味わかんねぇ条件で、ハイ分かりましたで金払うと思ってんのか?」

「高い?しょうがないなぁ、じゃあ今なら特別にサンキュッパで済ませてあげる。これでも無理?」

「無理だってのの前にまず嫌だ。お前なんかに金払いたかぁねーよ。つか、サンキュッパってさっきよりも高くなってんじゃねーか。」

「じゃあ残念。情報は渡せないわね。」

「なんでだよ。」

「浅影の重要機密事項にもろに触れるから当然でしょ。こっちだって千年守った家の秘密を、アンタみたいな馬の骨に渡したくないわよ。しかも、あの魔王の手下の馬の骨に。」


 浅影瑠鋳子はやれやれといった感じで手を上げる。

 普通の少女として見る分には愛らしいが、こいつとなると妙に憎たらしいのが不思議だ。

 

「でもいいのか。」

 

 と、新矢志輝。


「なによ。」


 と、浅影瑠鋳子。


「俺がいないと、その急用ってやつを解決できないんじゃないのか?」


 新矢志輝が、訝しげに少女に訪ねる。


「ふーん。───────ふーん、ふーん、ふふふーん。」

「な、なんだよ…」


 歌うような感投詞の連投。

 それに釣られるように、少女の目尻が、どんどんどんどん垂れ下がっていく。それはそれは邪悪に、狡猾に、凶悪に。

 そんでもって、"ふーん"なんて腑抜けた言葉に合わせて、体を左右に大きく揺らしながら、あぐらをかいて座っている俺に、そのサディスティックに歪んだ顔を近づけてくる。

 ドMのぺドフィリアならさぞご歓喜なんだろうが、生憎俺にそんな趣味はない。


「随分と自信がお有りのようね。」

「なんだよ、急に品なんか出してきやがって。」


 ふふん、と歌うように笑ったあと、一息置いて、浅影は両手を後ろに回し此方を覗き込む。

 

「な、なんだよ…」

「いいわ。特別にタダで教えて上げる。」

「───────なんで今になって?」


 恐る恐る聞き返す。

 そこまで何か、タダで教えたくない理由があったのか。

 だとしたら、なぜ今更タダで教えるとコイツは抜かす?

 まさか、タダの変わりにとんでもない契約を結ばされるんじゃないのか。

 そんなの、たまったもんじゃないぞ。

 つっても断ったら二千万。屋敷に住んでた昔じゃないんだ。今はそんな大金もってねぇ。

 逢魔坂に相談して部費として負担して貰うか?

 いや、ただでさえ借金があるようなもんなんだ。この状態で金なんてせびってみろ。「君の交渉が下手なのが悪い。」で断られるか、いや仮に出してくれても、"誓約"を更に延長だとか新オプション追加だとかされかねん。

 だが、ここで聞いとかなきゃ話が進まない。

 クソ。何でこうも損するだけの板挟みにされなければならないんだ。

 面倒くせぇ。

 だが、浅影のいってることも理解できる。 魔術師にとって、己の秘中の情報がどれだけ大切で重要なのかを。太古の昔から、先祖代々連綿と受け継がれてきた、贈り物であり呪いの鎖。

 特許に登録された術式の著作料は、最低でも数万から最高で数千万。貴重な呪物や例装は億単位で取引される。そして、これは滅多にないし本来あり得ないことなのだが、もし仮に相伝の魔術や魔導書を売り払うとなれば、その魔術の家系の歴史が千年を越える場合、その市場価値は十桁を軽く突き破るのだとか。

 それをタダで知るのは、少し申し訳なくも思う。

 鬩ぎ合う、二つの心。


「なんでか知りたい?」

「とっとと教えろよ。」

 

 クスクス、と浅影のせせら笑い。

 

「ふふふ、だいぶ焦っちゃってるねぇ。まぁ簡単よ。最初に情報が家にとって重要なものっていっといて、タダで教えることで心のどこかに罪悪感を残させる。

 人間、罪悪感こそ最高の首輪になるんだけども、アンタにはそれがまるで通じないみたい。嫌悪のフィルターってやつ?後で上手くこき使おうと思っただけに、ざぁんねん。」


 コイツ…と、溢れる感情を飲み込む。


「安心しろよ。嫌悪のフィルターどころか、俺は魔術師のお堅い事情なんて知らねぇし、そもそもそういうのの実感がわかねぇから最初から対象外だ。

 お前のそれって、俺が魔術師の事情を深く知ってて、尚且つ今まで守ってきたものを破っちまう葛藤ってやつに共感することが出来るってのが前提条件だろ。」

「───────何がいいたいわけぇ。」


 訝しげに此方に目を向ける浅影。

 食いついたな。いいぞ。

 正直、申し訳ないと一瞬でも思っちまったから、コイツは確かにすごいんだろうが、今はいい。

 

「お前も、俺にフィルターをかけて見てたって訳だよ。魔術師との足の引っ張り合いのスキルを磨くのもいいけどよ、もうちょっと身内以外とのコミュニケーションスキルを磨いた方がいいんじゃないのかい?お嬢ちゃん。

 肉体言語が通じるのはさ、リングの上か"小学校"までなんだぜ。」


 かくいう俺も、お灸を据えるとか抜かして追いかけていたんだがな、まぁ、失敗してまんまとやられたが。

 しかし───────


 少女が目を剥いている。

 こめかみに血管が浮いている。

 いつも、邪悪な笑みを絶やさなかったあの浅影瑠鋳子が、だ。

 初めて俺の言葉で、明らかに苛立っている───────


「あっっっっそう。わかったわ。」


 少女がくるりと後ろに振り返る。


「そうか。いやしかし初めてだな、お前が人の話をこんなにもすんなり聞くってのは。」


「───────。」


「───────お前って、意外と素直なんだな。」

「───────!!!」


 浅影瑠鋳子から物凄い熱が噴出している。

 背中越しだからわからなかったが、多分その顔は屈辱と怒りで真っ赤になっていたことだろう。

 かといって、いつもの暴力をしてこない。

 いつものように暴れたいけど、"小学校"というドンピシャな煽りワードを入れられて、自分がそんな低レベルに属している(ことになってしまう)のが嫌だというプライドが働き。何とかそのイメージを払拭したいと思う(来年から晴れて中学生の身ならば尚更)。かといって、大人しくして、「素直だね」「大人になったね」なんて言われるのも癪に障る。

 思春期初期によく抱く、複雑な心境。

 浅影瑠鋳子は今、そんな渦中の最中にいるのだろう。

 コイツにも、年頃の子供っぽいところがあったんだなぁと、少し感心する。

 俺を睨んでも来ないというのは、恐らく自身の苛立ちすら悟られたくないのだろう。

 かといってこのままやいのやいの言い続けるのは、流石に命の危機になるだろうということで、このくらいで済ませておいた。

 

「ふん。とにかく、アンタは私とやることやって貰うから。」

「だから何をやるんだよ。」


 少女は一拍置いた後語り始める。


「私たちが明日の晩執り行う"淵縫いの儀"。それを執り行う儀式場があるんだけど、その儀式場を中心に、半径数キロをぐるっと囲むように大きな結界が張られているの。その役割は、土地の霊的なバランスを整え、清浄なる気を循環させることによって、儀式を円滑に進め正しく執り行わせること。単純だけど超重要。

 その要石となる遺物が計五ヶ所、結界にそって等間隔で配置されているんだけど、その一つがね、壊れてしまったみたいなの。」

「なんでだ?」

「さぁてね。なにせ、普通の人間じゃたどり着けないようになってるからねぇ。たまたま入れちゃった野良猫か狐か、人払いを素通りしちゃうくらいよっぽど頭のイカれちゃった不良のイタズラか、要石の重要性に気づいた賢い賢い悪霊か。

 もしくは───────」


 浅影は目を細める。

 冷徹な眼差しは俺から外れ、床の一点に注がれている。

 何か思い詰めるような顔をした後、すっと口角を上げ。


「私たちの邪魔をする、魔術師(何者か)か。」


 ひどく、冷たい風が吹いたような気がした。

 少女の口から零れたその言葉は、まるで夜に潜む蛇のように、重く、生暖かく、暗い床を這っていった。



     ◇



「では、私はここで。」


 あらゆる命が寝静まった、灰色の夜の町。

 鼠色の月の下、三つ人影がなんの変哲もない路地の前に立っていた。

 前には道路。敷き詰められるように聳える建物。

 なんでもない町の一角だった。

 一人は、腰までかかるほど長い濡れたような黒髪を、白い包帯で二つに巻き束ね、結び目の根本を後ろ髪で隠した独特なヘアースタイルの少■、新矢志輝。

 一人は、黒絹にも似た柳のようにしなる紺色の長髪に、深き海を思わせる蒼玉にも似た群青の瞳を持つ少女、浅影瑠鋳子。

 そしてもう一人、わずかに茶を水溜まりのように帯びた鴬色をベースに、鮫唐草の紋が刻まれた着物。新矢志輝をあの極寒の離れの客室から呼び出した女中。


「ここまで送ってくれてありがとね、霖雨。」

「ありがとうございます。では、いってらっしゃいませ。」


 浅影瑠鋳子がはにかみながら女中にサムズアップを贈る。その顔は、先程のような邪な感情がない澄んだ笑み。

 二つの影は、そのまま路地の奥へと入っていく。

 街頭なき夜闇に。

 ただズカズカと歩いていく。

 たった二人だけで。

 長く続く沈黙がむず痒くなってくるぐらい静かに。

 女中の姿が、ちょうど顔が判別できないほどまで遠ざかったぐらいの時。


「────意外と仲がいいんだな。」

「あったり前でしょ。小さい頃からの長い付き合いだもの。」

「へぇ。てっきり、DVでもしてんのかと思ったぜ。」

「失礼ね。そういうことするのは、アンタみたいな、へなちょこの他所者のみよ。」

「ふーん。」

「何よ、」

「べーつに。」


 少し疑問が出来た。

 てっきり女中も、日常的に浅影のイビりを受けているのかと思ったのだが、この女中自身の発言や浅影の反応的に、そこまで険悪な関係ではないらしい。

 ────じゃあ、あのうっすらと感じた翳りは、なにかに怯えているような瞳は、果たして何かから来るものなのだろうか?


「ははーん。」

「何だよ、次は。」

「アンタ、さっきの私を見て、そういう"ポジション"に入りたくなっちゃったわけだ。」

「ちげーよ」

「羨ましくなっちゃったわけだ」

「ちげぇえって」

「アッハハ。」


 こんな時にも…

 ったく、緊張感ってのを知らないのかコイツは。


「つか、まだかよ。その結界の依り代ってのは何処なんだ。」

「もうすぐよ。」

「なんだよ、意外と近いな。」

「無駄に道を複雑にするより、単に人払いや幻術をかけといた方がコスパがいいと踏んだんでしょうね。実際、ここの隠蔽魔術は現代最高水準よ。浅影の関係者は事前に知らされているから大丈夫だけど、アンタみたいに特別な目を持ってないと、ここ道があることさえも見抜けない。もちろん、怪異でもね。」

「ふぅん。」


 再び沈黙。

 二種類の足音が、四つの音を交互に響かせながら、奥へ奥へと進んでいく。それは全く均等ではなく、規則性があるわけでもない。二つの音が合わさったり、かと思えば遠ざかったり、そこに精巧なメロディラインがある筈もない。体格の異なる二人の人間がいると知らせる程度の物でしかない。


「ねぇ、アンタ。もしかして緊張してる?」

「…まぁな。」


 横から聞こえる、こもるような笑い声。


「何が可笑しい。」

「いや~ちょっとねぇ~」


 あらゆる命が寝静まった、灰色の夜の町。

 そんな世界とは不釣り合いな、二人の若人が歩む町。

 

 ────その命に魅せられた、蛇蝎魔羯が夜這う町。


「────ッッ!」


 空気が変わる。

 世界は遮断され、なんの変哲もない風景は、先程とは全く違う異界に変わり果てる。

 ────眼前。

 生暖かい風が流れ込んでくる、結界を支える遺物が祭られている"堂"と呼ばれる場所へと続く道の途中、優に二メートルを越える程の巨大な人型の怪異がゆらゆらと夜の闇に揺蕩っていた。

 足まで届くほどの長い黒髪。三メートルにも届かんとする圧倒的な巨躯。そして何より────こちらへ向ける悪意、害意、殺意。

 ────間違いなく敵であった。


 と、察するや否や、二つの人影は一瞬の隙も見せずに臨戦態勢に入る。

 一人は着物の袖に隠した暗器へと手を伸ばし、もう一人の少女は余裕の笑みを崩さねども、魔力を生成するための回路を起動し対抗するための術式を構築している。


 キィ、キィ、と奇怪な鳴き声が響き渡る。

 目の前の人怪から発せられているようだった。

 敵は、明確にこちらを獲物と定めている。

 いつ殺し合いが始まっても可笑しくない程、冬の冷えつく空気は更にその鋭さを増していく。

 

「────。」


 呼吸を整える。

 三者の殺意が絡み合う。

 一人は、怪異というモノをその眼で捉え。

 一人は、怪異の魔力や種別を推し量り。

 一匹は、二つの食事を前に、どう喰らおうかと舌を嘗めずる。

 この張りつめた空気を、最初に引き裂くのは果たして────


 ────嗚呼、ダメだ。

 人払いやら騙し絵があるとはいって、結局ここは言ってしまえばなんの変哲もない路地裏だ。

 少し見渡せば、何処にでもあるごく当たり前の風景。

 だからこそこの『眼』は、目の前にいる存在を、『異常』を、こんなにも強烈に鮮烈に、明確な異物と捉えてしまう。

 その本質を、自分達とは全く違うんだという現実を。

 おかしい。

 ありえない。

 意味がない。

 説明できない。

 知りたくない。

 認めない。

 歯痒い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 キモチワルイ


 ────嗚呼、ダメだ。


 殺さなくては────

 

 ────ドンッ、と言うコンクリートの地面を蹴る音。

 一つの影が、恐るべき疾さで怪異へと駆け出した。

 鈍りなき一直線────人の形に許された速度の倍以上の超速を以て、巨大な怪異へと肉薄する。

 新矢志輝だった。

 一歩で五メートル以上を詰める少■の瞬歩は、怪異との距離をほんの一瞬の間に劇的に縮めていく。

 

 ────ほんの一息でほら、後十メートル。

 

 しかし、怪異も黙って接近を許す程、理性が希薄というわけではない。

 怪異の懐に届くまでの二歩。

 その一歩目を繰り出そうかと、左足を前に送り出し地面を蹴ろうとした瞬間────

 怪異の影が、音もなく新矢志輝の足元へと伸びていく。

 まるで影自体が生きているかのようだ。いや、実際に蠢いているではないか。

 紛れもなく、間違いなく、その影は足を踏み入れていいモノではなかった。

 そこは既に、怪異が支配する領域だった。

 そしてもう一つ分かったことがあった。

 この怪異と出会ったときから吹いているこの生暖かい風は、この影から吹き出しているものだった。

 足元に広がる永遠の闇。

 その正体は、生きとし生ける者を飲み込まんとする、怪異の巨大な口だったのだ。

 

(さぁて、お手並み拝見ね)


 浅影瑠鋳子は、新矢志輝の能力を観察する。とは言え、黙ってみているだけではなく、援護のための術式も既に起動済みだ。

 ────しかし、新矢志輝にはそんなものは必要ないらしい。

 ダッと左斜め上空に飛び上がり、壁に足を着けたかと思うと、今度は体を倒したまま()()走り始めた。


(嘘でしょ…!)

 

 この人外の駆動には、さしもの浅影瑠鋳子も驚かざるを得ない。

 人怪は壁にも影を侵食させるが、既に遅い。

 新矢志輝は、物理を無視した挙動で壁を蹴り、中空に弧を描きながら人怪に向かって飛びかかる。

 その手に握られているのは────たった一本の黒塗りのナイフ。

 逆手持ち(リバース・グリップ)と呼ばれる握り方で、新矢志輝は怪異へその凶刃を振り下ろす。

 怪異はその神業になす術もない────

 

 刺突の音は聞こえなかった。

 怪異の脳天に突き立てられたナイフは、そのまま流れるようにその巨躯を貫いていく。

 これほど幽かな殺戮があっただろうか。

 存在としての体を保てなくなり、怪異は、怪異だったもののカタチは、無情にも急速に崩れていく。

 それは、溶けて水となって大地へ還っていく雪のようにも、焔に抱かれて灰となっていく様にも見える、儚い有り様であった。

 人怪は最後に、たった一度だけ小さくギィと鳴くと、それを断末魔として魔力となって霧散した。

 

 新矢志輝は、空を見上げ小さく息を吐く。

 吐息は白い霞となって、夜の黒に融けていく。

 ナイフが牙なら、この吐息は遠吠えか。

 そこには、月明かりに晒された、一切の返り血亡き狼の姿があった。

 綺麗だ、と、その姿を見て思った自身に、少女は少し驚いた。

 

(ふーん。結構やるじゃん。)


「お疲れ様。よくやったわね。まぁ、私のボディーガードに選ばれただけの事は」

「おい。」


 新矢志輝が呼び止める。

 その声は至って真剣だった。


「何?」

「お前、これ倒せる?」


 浅影瑠鋳子はムッとした様子で言う。


「随分と見くびられたものね。私ならそんなやつ、何十体来ようとイけるわよ。浅影家もとい私の専門分野だし、まぁ普通の人間じゃあ太刀打ちできないでしょうけどね。」


 胸を張って得意気に語る。


「ふぅん。じゃあ大丈夫かな。」

 

 新矢志輝がこちらに顔を向ける。

 月明かりに照らされたその顔の美しさに、一瞬だけ見とれてしまった。


「大丈夫って、何が────」


 幾つもの影が、浅影瑠鋳子を覆い隠す。

 地面、壁、真上。全方位のあらゆる位置から、十匹以上の複数の怪異の群が、無防備な少女に襲いかかった。

 

(ああ、そういうことね)


 少女は顔色一つ変えずに、ただ右手の人差し指を一本立てて、僅か数センチ程横にスライドした。

 

 バチィッと言う音と共に、中空で怪異達が止まる。さながら蜘蛛の巣に引っ掛かった哀れな虫のように。

 

「結界を張ったのか────」


 新矢志輝が声を上げる。


(だが…これは…?!)


 驚くべきは、張り巡らした結界の精度の高さ。

 さらに驚くべきは、その速度。

 逢魔坂ですら、即席で高精度の結界を張るときは、宝石を擬似的な刻印としたインスタント魔術か、それ専用の魔術例装を使っており(それですら数秒はかかる)、純粋な即興でなら詠唱付きでも三十秒は確実にかかってしまう。

 この少女は、そんな芸当をコンマ一秒ともかからず、まるで呼吸するようにやってのけたのだ。


 これが、浅影家現当主の天賦の才、その片鱗か。


 新矢志輝は、圧倒されずにはいられなかった。


 浅影瑠鋳子はもう一度手を前にかざし、今度は全ての指を立てて横に勢いよく振るう。

 パァンという何かが弾けるような快音と共に、彼女の張った結界に貼り付けられていた怪異達が、跡形もなく消し飛んだ。

 次の瞬間には、結界までもが消えていた。

 

 「さ、いくわよ。」と、何事もなかったかのような涼しげな顔で、浅影瑠鋳子は奥へ奥へと歩いて行く。それに対し、新矢志輝は素っ気なく「へい」とだけ返すと、少女に追従するように後をついていく。

 少しの間であろうが、再び過ごすことになる静寂。その内に、様々な疑問を消化しておきたかった新矢志輝は、少女に向かって一つ尋ねる。


「なぁ、聞きたいことがあるんだが。」

「ん?何。」

「お前んとこの魔術師に、蛇を使うヤツはいないか。」

「蛇?」

「ああ、蛇を使い魔として操る魔術師だ。」


 俺や土御門達が遭遇したという魔蛇、或いはその使い手の魔術師。

 アイツらによると、使い手らしき魔術師は男だったという。いや、正確には男の声をしていた、だ。逢魔坂によると、霊脈に襲撃してきた魔術師達は二人。黒衣の仮面女と、男の"声"。そいつらは浅影家と何らかの接点、いやもっと深い関係性を持ってるってのが逢魔坂の推理だ。

 その深い関係をもつ魔術師の中に男がいるとなると、浅影家の女だらけの惨状も、また違った意味を持ってくる。

 とは言え、魔術師なんて奴等は言ってしまえば"なんでもあり"な訳で、男の声だから、女の姿だから、子供だから老人だからと、見た目そのままに受け取ってしまうのは、大きな間違いであることには違いない。

 こう言ったことは結局、浅影瑠鋳子のようなヤツに直接聞いた方が速い。

 

()()()()()()。今はもういないけど。」

「それってどういう。」

「言葉通りの意味よ。」


 浅影瑠鋳子が素っ気なく返す。

 

「いたんだな。」


 新矢志輝が念を押すように尋ねる。


「知ってるわよ。」


 全く別の切り口に一瞬戸惑う。


「どういうことだ。」

「アンタの仲間。襲撃されたそうね。」

「────知っていたのか。」

「もちろん。」

「陰陽連だな。」


 こくり、と少女が頷く。

 陰陽連とは、土御門家を筆頭とした十三家からなる、謂わば日本魔術業界の"警察"だ。

 同格の賀茂とで両儀二家、或いは沈黙の閃堂家も加えて三大旧家なんて言ったりするのだが、本州ならば正直何処でも、土御門の息がかかっている。逢魔坂の霊地ですらだ。

 だから、基本魔術の世界は自己責任だが、被害にあった時は陰陽連に申請することで、ある程度の支援や制裁措置を期待できる。

 まぁ逢魔坂家だからこそのトコもあるが。


「そそ、浅影は優秀な人員が揃ってるし、豊富な裏のコネクションもあるから、こういった情報網には事欠かないわ。まぁ、とは言っても、界隈じゃあ結構話題にはなってたわよ、あの逢魔坂が出し抜かれたってね。」

「ふん。そりゃあ俺には関係のないことだ。」

「そう、まぁおおよそ、襲撃者が浅影に深い関連のある魔術師だと踏んで、私から聞き出そうとしたのでしょうけど、お生憎さま~。それ以上の事は知りませ~ん。」


 浅影瑠鋳子は、また茶化すように答える。


「じゃあ、あぁそうだ、お前んとこの傘下の家は七つあるんだろ。どの"家"のヤツが使っていたかだけでも────」

「ねぇ、あのさ。」


 浅影の声色が変わる。

 思わず、一瞬押し黙る。


「アンタって、質問責めできる立場?」


 浅影瑠鋳子の群青色の瞳が此方を刺す。


「────悪い、そうだったな。」


 忘れてはいたが、俺は所詮ボディーガードでしかないんだ。

 あくまで聞けるのは任務に必要な事のみ。


「けど、いいわよ。」


 もう一度、浅影瑠鋳子を見やる。


「教えてあげる。」

「いいのか。」

「その代わり、」

「何だよ。」

「アンタばっかりズルいからさ、私からも質問いい?」

「何だよ。」

「────アンタさっき、どうやってあの怪異を倒したの?」


 そうだ、さっきは新矢志輝の常軌を逸した身体技巧に面食らってしまって薄れていたが、そもそも怪異にたかがナイフ一本で損傷を与えられる訳がない。その黒塗りのナイフには如何なる術式が刻まれているのか、浅影瑠鋳子は大きく興味を寄せていた。

 自白の呪いをかけたときも、からかいついでに聞いてやろうかとも思ったのだが、なぁなぁで終わってしまった。

 

「これの事か?」


 するりと、ナイフを袖から取り出す。

 ────黒い。

 刃先からグリップの端まで、全てが光を飲み干す漆黒だ。

 夜の闇の中では、驚異になることは間違いない。たとえ明るいところでも、逆に立体感がないため捉えにくいだろう。

 暗殺者の武器だった。


「見たところ、何の変哲もない暗器ね。魔力痕もないし、術式が施されていた形跡もない。何らかの概念を帯びている、という訳でもなさそうね。」

「もういいか。」

「いいえ、質問に答えなさい。()()()()()()()()()()()()()()()。」

「────。」

「どうなのよ。」


 一瞬流れる沈黙。

 どうやら新矢志輝は、余り話したくないらしい。

 しかし、


「じゃあさ、こんなのはどうだ?」


 少女が、新矢志輝を見やる。


「どっちがより多くの怪異を殺せるか。勝負をしないか?」

「勝負?────あぁ、そういうわけね。」

「そうだ。」


 少女も大体察したらしい。


「俺が勝ったら俺の質問に答えてもらう。その代わり、俺が負けたらお前の質問に答える。これでどうだ。」


 両者、前方を見やる。

 既に、怪異(えもの)は大勢湧いている。


「ふん。」

「なんだよ。なんか問題でもあんのか。」

「問題大アリよ。メリットがないじゃない。」


 それはそうだ。俺の質問は浅影の内情に関わってくる。対して、浅影の質問はあくまで知的好奇心を満たすためのもので、そこに大きな政治的メリットはない。

 それに、"俺の"は知られたところで()()()()()()()()モノだからな。


「────でも、いいわ。乗ってあげようじゃない、ソレ。

 そうよね、立場だけで優勢気取るのは私の流儀に反するし、面白くないし物足りない。やっぱり、実力で完膚なきまでに捩じ伏せる方が私好みよね。」

「やる気になったか?」


 新矢志輝は若干興奮気味の証拠に問いかける。


「ねぇアンタ、本当にそれでいいの?

 アンタはなんの変哲もないナイフ一本だけ、私は幾つもの怪異殲滅用の術式を持ってる。

 そんなんで私に勝てるって本気で言ってるワケ?」


 少女は、好戦的に問いかける。

 その笑みは、どことなく楽しそうだった。

 初めての遊園地にワクワクしてる幼い子供のようで、ようやく年相応な一面を見られたなと、感心する。


「お前だって見ただろ?俺の武器はナイフ一本だけじゃない。」

「身体能力を強化できるのは、アンタだけじゃないわよ。」

「それだけじゃない。差ってのは別のところで開くもんだ。

 何せ、俺は"技巧派"なんでね。」


 新矢志輝が、得意気に笑みを浮かべる。


「────バカみたい。」

「生意気────」


 ────何気ない言葉の交わし合が、開戦の合図だ。


 二人は、凪の路地裏に風を作る勢いで、道全面を埋め尽くす怪異の群へと走り出した。


 ────風を切る豪速で、すれ違いざまに怪異をただ一本のナイフで切り刻んでいく。

 あまりにも軽やかで、あまりにも鮮やかな刃物捌き。

 狂気のような殺戮にも拘わらず、その凶器の軌道には一切の無駄がなく、人の限界にまで突き詰めた美しき理性が滲んでいた。

 地を疾り、壁を駆け、月と共に空を舞う。

 野生に活きる獣の如く、闇夜であってもその眼は獲物を捉えて放さない。

 ほんの一瞬近づいただけで、ほんの一度振るっただけで、その凶刃は仮初めとは言え怪異達の命を確実に狩り取っていく。

 眼前に迫った怪異を、順手持ちで横一閃。その勢いを維持したまま飛び上がり、体を倒したまま上空の怪異数匹をまとめて薙ぎ払う。

 今度はそのままナイフを逆手持ちにし、下から迫る驚異に向かって、体重を乗せた一突きを叩き込む。

 そのまま地面に落下したら、すぐに体勢を整える────ことすらせずに、そのままの不安定な体勢から猛スピードで体を回転させ、四方八方から飛びかかる雑魚をまとめて円に切り裂く。

 まるで花火のようだ、と新矢志輝は思った。

 順手持ちと逆手持ちを、状況に合わせて交互に尚且つ高速で切り替えながら、怪異の群が織り成す常識外の攻撃に対応する。

 突如目の前に現れる黒い鎌。

 新矢志輝の特殊な瞳は、それが魔術師達なら誰でも持っている呪いへの耐性、それがない人間にとっては正しく致死的とまで言える程の呪いを帯びた、病理の鎌だった。

 それに切られれば、たちまち切り口から入った呪いが、様々な病気や疾患を引き起こし、僅か数日足らずで被害者の命を奪うだろう。

 鎌の持ち主は普通の人間には見えないが、特殊な視界を持つ新矢志輝ならば、そこにひび割れた骨と、溶け残って未だ表面に付着している肉とだけで出来た怪人がいると分かっていたはずだ。

 新矢志輝は、振り下ろされた黒鎌を紙一重で後ろに飛び退いて交わし、そのまま後ろから飛んできた針状の攻撃を、走り高跳びの要領でバク中で躱し、すぐさま振り返って怪異に刃を突き、たったそれだけの一撃で消滅させる。

 その次の瞬間に体を右に捻り、上から振り下ろされた鎌を回避したと同時、鎌の主の首を撥ね飛ばす。

 すると今度は、無防備となった背後を突くように、壁から幾つもの青白い手が伸びてくる。

 右肩に一本、右腕に二本、左腕に二本、右脇腹と左胸に一本ずつ、右足に三本左足に二本と、計十本以上の数の手が体のあちこちを掴み、驚異的な力で新矢志輝を引きずり込もうとする。

 体の自由を奪われ、何とかこの状態から切れないかとしばらく踠いていると、「助けてあげようか」と上空から少女の声。

 上を見やると、浅影瑠鋳子が建物の窓の僅かな出っ張りに立って、見下ろしていた。

 いつもの嗜虐的な笑みを添えて。

 新矢志輝は、かまわん、とばかりに睨み付け、踠きながらもナイフを手首を動かして顔に投げ、刃で頬が切り裂かれる寸前でグリップを噛み、自身が飲み込まれそうになっている壁を、精一杯首を動かしてその『眼』で見る。

 物質的、霊的、概念的問わず、あらゆるものをカタチとして捉える視界で、壁の運命的に脆くなっている箇所を見出だし、全神経と筋肉を研ぎ澄まし、唯その一点に正確にナイフを滑らせる。

 見事に的を射ぬいたナイフが、壁に滑らかに沈み込んだかと思うと、そこを中心として壁に大きくヒビが入り、すでに朽ち果てていたかのように崩れ落ちた。

 これにより怪異の姿が露になり、そのままの勢いで脳天にナイフ突き刺して消滅させた。

 自らを掴んで放さなかった手も消え、ようやく得た自由に、ふぅ、と一息つくと、そのまま右を向き、虚空に刃を向ける。

 とすん、という軽い衝撃と共に、ソコにいた透明な何かが霧散した。 

 横から吹きつける冷たい殺意すら、カタチとして捉えていた。


「なるほど、そう言うカラクリね。」


 という声と共に、新矢志輝の前に少女が着地する。


「探ってたってわけか。」

「まぁね、元からおおよその予想はついてたわ。」

「だったら救出の交渉なんて考えてないで助けろよ。"事情"を察してんなら、さっきはかなりヤバかったって分かってるだろ?」

「ボディーガードでしょ?それくらい自分で何とかしなさいよ。折角、そんな御大層どころか埒外のモノまで持ってるんだから」

「お前…」


 新矢志輝は呆れたように息を吐く。


「あ、そうだ。アンタ何体祓った?」

「────十七体。」

 

 すでに秘密はバレた。

 今さらなんの意味がある。

 

「そう。まあいいわ、そこで見てなさい。浅影家現当主、浅影瑠鋳子の呪術を────」


 少女が勢いよく走り出す。

 その体は、強化の魔術で飛躍的に能力を向上させており、一瞬で怪異との距離を詰める。

 バチィと、静電気の音を何十倍にも大きくしたような破裂音。

 浅影瑠鋳子の拳に、ぼぅ、と邪気を払うことに長けた何らかの力が、陽炎の如き揺らめきとなって纏っていた。

 そのまま常軌を逸した速度で跳躍し、巨大な怪異の腹に拳を叩き込む。

 その拳の揺らめきに直撃した部分から、怪異の体が崩れ一瞬で灰となって消し飛んでしまった。

 

 これが、浅影瑠鋳子。

 『異常』を写す特殊な『眼』を写持つ少■は、少女の実力の片鱗を垣間見た。


「ちなみに、私はこれで二十九匹。」


 崩れ行く巨大な怪異を背景に、ゆっくりと舞いように降りてくる少女。

 そして落ちたまま此方を振り向き、


「アンタの負けよ。万象の殺人者(イデア・マーダー)。」


 横から照らす月明かりだけが、彼女の魔術師としての強大さを露にしていた。

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