表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シキノシカイ 一境界事変一  作者: 忘れ去られた林檎
第一章 空洞境界
1/21

第一話 五百年後の私たちに

趣味で小説を書いてみました。

 ───────暗い、真っ黒な世界が広がる。

 

 異様な静けさの中目を覚ます。止まっていた時間は、ゆっくりとその歯車を廻し始めた。

 

 意識が完全に甦る───────ほったらかしにされていた心も、徐々に身体に馴染んできたようだ。


 重い。

 拘束はされてはいないが、体は糸の切れた操り人形のように、固く沈黙している。

 まるで骨を鉄に変えられたみたいだ。

 

 ───────痛い。

 全身を鋭い痛みが貫いてくる。


 全身の筋肉を振り絞る───────身体中に均等に浸透している痛みが、より一層鋭くなる。けれど、どれだけ立とうとしても体は動いてくれない───────体は未だ心を拒む。

 そして無慈悲に、排他的に襲いかかってくる脱力感と疲労感。

 体そのものが本能とばかりに、動くのを拒んでいるらしい。

 ───────僕を拒んでいるらしい。

 

 ぴくん───────と、指先に波が立つ。

 カチリ───────と、心が肉体(からだ)にはまる。

 

 筋肉が脈動してく感覚が、明確に伝わり始める。


 ようやくか───────と、思ったとたんに、たくさんの感情が渦を巻いて入ってきた。


 どのくらいここにいるのだろうか。

 

 ずっとここにいるのはまずいんじゃないのか。

 

 というかここはどこなんだ。

 

 まず、なぜここにいるんだ。

 

 そんな危機感が肉体から心へと入り込んでくる。

 

 冷汗が額を流れるのがわかる、心臓の鼓動が徐々に早くなっていく。

 

 落ち着け、落ち着け、落ち着け───────


 追い込むように、自分に言い聞かせる。

 けれど心臓の音は、加速度的に早まっていくばかり。


 ───────深呼吸を幾度か繰り返す。


 膨張と収縮を繰り返す心臓を、押しつぶすようにして肺に空気をためていく。


 呼吸の仕方は教わっている。誰からは知らないけれど、きっといい人に違いない。


 ───────一瞬、目の前を、残像のようなものが過ぎていくような感覚を覚える。

 次に現れ出でたのは、からだの内側が澄んだ感覚と、じわりと胸のナカに現れた熱の塊が、身体に行き渡っていく感触。

 

 ───────胸の異常な高鳴りは、いつの間にか静けさに溶けていた。

 今までこんな呼吸法なんかで落ち着くことができるのかと思っていたが、案外効果は絶大だったようだ。

 

 しだいに焦燥感も収まり、体は落ち着きを取り戻し始めた。

 

 なぜ、こんなことなっているのか。海馬に沈殿する、赤黒い塊を、ニューロンの海を漁ってみる。


 しかし、記憶の表層にはなにも浮かんでこない。


 なんで思い出せないんだ───────

 あと少しのところまできているというのに、頭のどこかで引っ掛かって出てこない。

 このもどかしさに、また焦燥感が沸き上がる。

 止まらないムカムカした感覚に落ち着かず、身体中の間接を動かす───────

 

 ───────いや、動かせた。

 

「───────う───────あぁ」

 

 いつの間にか少しだけ体が動けるようになっていて、腕を動かすことに成功した。

 脳天を突き動かす興奮。警戒心と好奇心とが共食いをする。

 さっきから焦ったり落ち着いたりと忙しい。

 そして、かすんだ声と共に次に出てきた感情は『期待』だった。

 

 あたりは夜なのか、それとも明かりがない室内なのか、まっくらで、視覚からでは全くわからない。

 なんとか周囲の情報を得ようと、手で辺りを探る。

 ざらざらとした手触りしかない。

 今気づいたが、固い石のようなものをころがしている。河原を歩いた時のような音も混じりはじめ、ようやく砂利だったことに気づいた。

 となると、ここは庭か。

 

「───────えっ?」


 ───────突然の生暖かい感触に、思わず声が漏れる。

 

 指に、何かの液体がついている。

 ぬるぬるとしたそれの感触は心地よいとはいいがたい。指の先から体全体に不快感が広がり、背筋が震える。

 それが何なのかよくわからないうちに、反射的に鼻に指を近づけ、匂いをかいだ。


 ツンとするのでもなく、生臭いにおいでもない。鼻の先から奥にかけて、ゆっくりと浸食していく、重々しいにおい。

 鉄臭さいといったほうがわかりやすいであろうか。この匂いはシャーペンの芯でも食わない限り日常生活じゃまず嗅がないだろう。そもそもこれは液体だ、融点が馬鹿みたいに高い金属なわけがない。                               

 鉄臭い、それでいて生暖かい液体。金属以外にもこの匂いから想起するものが───────


「血───────」

 

 不意に、上から差してきた目映い光が濡れた指を照らす。

 

 辺り一面、鮮やかな赫、赫、赫赫赫赫赫赫赫赫赫赫赫


 脳は青く凍りつく。

 

 パタン───────と勢いよくドアが開く音。

 一瞬、心臓が飛び出そうな感覚に陥り、反射的に顔をかがめた。

 凍り付いてしまいそうになるくらいの冷たい風が、背中に覆いかぶさってくる。

 もう明日で夏至だというのに。


 誰かが入ってくる足音が辺りに響く。とんとんと機嫌が悪そうなその音は、反響して重なり合い、まるで追い詰めるように迫ってくる。

 

 その足音は、樫の床を叩いたような音だった。

 砂利の庭ならザクザクとした音なのに、この音は不自然だ。

 それだと自分は───────

 自身の心の片隅から、記憶が上ってきはじめる。

 

 トン、と、力が入っている鋭い音なのに、やけに軽やかな音は目の前で止まった。


 ───────瞬間、全身に震撼が迸る。

 

 誰かがいる。そんな当然ともいえる恐怖と、大口を開け、光はおろか、闇さえ飲み込まんとする幽谷の淵のような、ただひたすらにたたずむ虚無からにじみ出る重圧が、体全体にのしかかり、今にも息が止まりそうな感覚に陥りながらーー(こうべ)を上げた。

 

 ───────勇気ではない。


 ───────根性でもない。


 ───────そんなものはとっくのとうに枯れて空っぽだ。


 ───────いや。


 空っぽだったから上げれたのだ。


 絶望していたからこそ見れたのだ。


 希望を知らなかったから視れたのだ。


 黒光りした服を着たものがいた。身長は自分よりも遥かに高い。

 差し込められた光は、赤い水たまりを照らしている。

 

 夜空には、青白く綺麗な(まなこ)が見下ろしている。

 

 ───────逃げないと。

 

 このままではいけない気がする。本能そのものが訴えてくる。                     


 しかし、身体はただの銅像と化している。


 恐怖で固まってしまっている。


 ───────動け。


 動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け


 動け!!


 立ち上がると同時に、意識が流れるように消えていく。。

 水の底に沈んでいくような感覚に身を任せる。

 目の前の黒いシルエットが、霞んで、歪んで、原形をとどめなっていき───────



    ◇



  ───────目の奥をチクリと刺す光で目を覚ます。

 少しだけ開いている窓の隙間から吹き込む風が、カーテンをふわりと押しのけ、晴天を泳ぐ雲たちが顔を次々とのぞかせる。そんな雲たちの生き別れの兄弟のような布団を蹴り上げ、ぐるんと体を前に起こす。

 ───────ズキリ。と、眼球から海馬にかけて重く、ねっとりした痛みが流動する。

 

 ───────嗚呼、またあの夢を見たんだ。

 

 黒く、赤く、青い夢───────

 脳細胞の隅々にまで焼き付いたソレは、沈むまいと爪を掻き立ててしがみつき、それに反応する海馬の悲鳴は、電撃がシナプスを駆け巡るような苦痛となって体に訴えてくる。

 

 半年前、この悪夢は突然現れ、瞬く間に俺の中心となった。

 最初は、鮮明ほどではないがやけに記憶に残っている不思議な夢としか思わなかった。

 二回目を見る頃にはもうほとんど忘れていたし、頻度だってひと月に一回くらいだった。

 だが、みるみるうちに三週間、半月、一週間と間隔は狭くなっていき、今は三日に一回は必ず見るようになっている。

 

「───────っ。寒い。」


 部屋のドアを開けた瞬間、廊下から流れ込んできた冷たい空気に、躰が身震いという拒否反応を示す。夏の余韻がしつこく残っていた昨日までとは打って変わってこの寒さ、自然の気まぐれにはどんな人間も勝てないだろう。現に俺は今部屋へと逃げ帰って、真っ白でモフモフのクジラの兄弟をかぶりながら、廊下を進もうと再度ドアに手をかけているところだ。

 まさに完膚なきまでの自然への敗北、そしてお布団への服従である。

 

 防寒武装を手にした俺は、ゆっくりと扉に手をかけ開ける。

 

 何も感じない。少しだけ足元が冷えるだけだ。

 ゆっくりと明るい廊下を、布団を踏んで滑らないように足元にちらちら目を移しながら進んで行く。

 足に触れる無機質な冷は、小刻みに震える四肢から送り出される熱で相殺する。


 廊下はそう遠くなかったようだ。階段は木材なので案外滑りやすい。義父さんが都会でも新鮮な自然を忘れないようにと設計したものだが、ただの寒さだけでこんなにも自然を感じるのは、それだけ心が「自然」に近いからであろう。


 せっかく体が作った熱を逃がさぬよう、体を丸めてしゃがみながら階段を下りていく。意外と段差が大きいようで、衝撃が一段一段下りるごとに、臀部から腰へ、腰から背骨を通って脳から逃げる。

 あと六段、気と臀部の筋肉を引き締めながら一段下へ下がろうと腰をあげたその時───────


「───────っ、はあ。兄さん何してるんですか。」

 

 ───────と、玄関から憐れみの含んだ声。

 

「一昔前のお化けみたいな格好して。」


 踊り場の壁に、寂しげに張り付いている鏡に目を移す。

 

 たしかにその通りだ。鏡からはどこかの漫画に出てきそうなてるてる坊主がこちらを覗いている。

 エジプト神話に出てくるメシェドが一番的確かもしれない。


 自分の奥に見えるのは、腰に手を当て、若干の嫌悪と憐憫を孕んだ視線をこちらに向ける義妹の姿。今日は休日だと言うのに黒革のバックを肩からかけている。


「はあ、最近は夜中にふらっと何処かに行っちゃうし。やっぱり今日で正解だった。私、今日は部活があるから、じゃ、行ってきま───────」


 言い終わる前に、黒い扉は姿と声を遮った。


 勢いよく玄関を飛び出した義妹とは対照的に、俺は未だ断続的に迫りくる眠気に抗って、虚空に頭を打ち続けている。頭痛もひどい。最近はいつもこんな調子だ。


 回転が足りず不安定なコマのように揺れ、今にも壁にぶつかりそうになっている頭と意識を根性で制し、リビングに入るとソファに頭からダイブする。


 再度襲い掛かってくる睡魔に、躰も意識も再び暗い夢へと沈もうとしている。

 

 ───────しかし、目を閉じると、普段は使わない感覚が研ぎ澄まされて、より『世界』を深く感じられるようになった。

 小鳥の戯れ、空穿つ飛行機、家具の感触───────

 

 ソファがひんやりしていて気持ちがいい。

 外から内に容赦なく上がり込んでくる凍気に、家具はやられているらしい。木材の性質の内に『ぬくもり』と言うものがあるが、この樫の床にはそんなものはないようだ。


『───────ここで、次のニュースです。今日未明、霜枝市、第一区域、夕顔町周辺の山林にて、児童三名が遺体となって発見されました。死因はいづれも全身打撲とされており───────』


 かじかんだ指と指を擦り会わせながら起き上がる。

 眠気はわずかな興味に押し潰されたが、それはすぐに散り散りになって消え、残ったのは覚醒という結果のみ。


 ───────そんな残りカスは燃料とは到底言い難い。また眠りこけてしまう前に、ちょっとばかり外を走るのもいいかもしれない。 


「よし、最近は運動不足だったし、走るのもいいかな」

 

 ソファから勢いよく飛び上がる。

 こういうときの切り替えだけは早い自信がある。

 

 ───────と、ポケットの中から伝わる携帯端末からの振動。

 

「───────っ、だれからだ。折角、走ろうって気持ちに切り替えたのに。」

 

 悪態をつきながら、向こうにいる相手が誰かも確認せず、強引に耳に押し付ける。こんな朝っぱらからかけてくるやつは一人ぐらいしかいないだろう。

 

「もしも───────」


『ォォオおおっっっはああああ志輝ィィいいいいいい!!!』


 ───────案の定、やはり"こいつ"だ。

 

 あまりの轟声に、鼓膜が悲鳴を上げている。

 すぐさま携帯電話を耳から引き離した。


『ヤッホー、志輝!君に嬉しいニュースをお届けだ!』

「───────。」


『んだけど!今日ニュースは少し特別!!聞きたきゃ昼腰駅南口に今すぐ───────』

「───────。」

『え───────、し、志輝?』


 いつも人を自慢の声量で脅かしに来るやつだ。普段ならば、この『あいさつ』で特大の悲鳴を上げてイジられまくるのだが、今回はそうはいかない。

 今回ばかりは少し、痛い目を見てもらおう。

 

 昔から、人に舐められるのはあんまり好きじゃない。

 

 とくに───────


『ぬわああぁぁああああん志輝ィいいいいなあぁんか言ってくれよおおお!!!』


 コイツにだけは───────



    ◇



 ───────今まで、歩いて数分くらいの他とは比較的近い中学校に通っていた自分にとって、高校に入学してからのバスや電車に何十分も揺られながらの登校は、最初はか弱い三半規管にかなり堪えるものだった。

 半年たった今も、この脳髄をくちゃくちゃに掻き回されるような感覚は慣れないものだ。

 

 ゴロゴロと野菜のように揺れ、ぶつかり、これっぽっちも効いていないストーブから出る僅かな熱を頼りに暖を取る。この電車に乗っている者たちはみんなこんな調子なのだろう。

 

 ───────過ぎ去る一面グレー色の景色。その刹那に断続的に点々としていた若緑は、今や灰色のコンクリートの建物に融けている。

 ───────人の気配も薄い。その存在を感じれるか感じられないか、その瀬戸際でゆらゆら揺れる様は、砂糖水の濁りのようでも、水面に浮く薄氷のようでもある。

 わずかに目でとらえられる相対性を持つ鉄猪(くるま)は、このグラつく鉄箱よりずっと動きやすそうだ。

 

 ───────外を眺めるのは飽きてきたので、今度は内を眺めることにした。

 

 大人も子供もしかめっ面をしながら、食い入るようにスマートフォンを眺めている。その黒い瞳に強烈に映し出されているブルーライトは、無音にして無限の情報。それらの極限の連続性と依存性に当てられてしまえば、まず酔うことはないだろう。意識がすっぽりと抜け落ちてしまうのだから。

 

『ご乗車いただきありがとうございました。次は~夕顔(ゆうがお)町~夕顔町です。次は~夜膝(よひざ)町に止まります。』


 電車はゆっくりと減速し始め、やがて(なか)を僅かに揺さぶった後ぴたりと止まる。

 乗客たちは重い顔をしながら一斉に立ち上がり、次々と出ていき始める。ひと時前まで沈黙に落ちていた列車内は、刹那の間だけかすかな活気を取り戻した。されど、それは異様に無機質でもあった。


 ───────三度の電子音が鳴り終えたころには、列車内はしんと静まり返っていた。

 電車は停止したまま、何事もないかのように線路に寝そべっている。ドアは思いっきり開かれ、せっかくの貴重な暖流は冷たいホームへと逃げていく。

 

 ───────人っ子一人いない車内。全く動かない景色。まるで採集された昆虫のように、時間と空間とともに一繋ぎに針で固定されてしまったかのようである。


 いつもは一分も留まっていないはずだが、今日はどういうわけか長く停車しているようだ。約束の時間はとっくのとうに過ぎている。

 待ち合わせている昼腰(ひるこし)駅は次の次。この調子だとあと十分は待つことになるだろう。おそらく何かのトラブルか、まあ、最悪人身事故ということもある。


 ───────どちらにせよ最悪だ。

 

 ───────鞄に取り付けたストラップを手につまむ。赤と緑の小さな袋。昨日会った"あの"自称霊能者からもらったお守り。物事がスムーズに行くとかなんとかだったが、全然効力なったな。

 

 とにかく土御門に遅れることを伝え───────


 ふと、車内に今までなかった影が一つ――二つ――三つ───────


 ───────ぐらっと世界が反転する。


 彩られた景色が、薄氷のようにひび割れる───────


 ───────景色に浮かぶ裂け目の中から、赤黒い肉塊が顔を出す。


 黒い波が押し寄せる───────ゲラゲラと悪霊、穢れ、魑魅魍魎の高笑い。


 ───────いままでの『正常』が、音を立てて崩れ去る。


 現実は、真っ黒な『死』の視界に遮られ───────


 嗚呼───────そうだった、忘れていた。

 

 俺には───────俺の()には───────この世界の『異常』が見える。

 

 

 




書き直しました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ