【第一読目】風呂場の鏡
今日もまたこの時間がやってきた。
「かいー、お風呂よー」
「…はぁい…」
はぁ…、と重いため息をつく。
ぐだぐだしながら着替えを出してお風呂場に行く。
足取りが重たい。
うちの風呂場は古風だ。
電気は小さく全体的に薄暗い。
壁は青黒いタイルが一面に貼られている。
風呂桶はあまり広くないし底が深い。
シャワーはなく洗面器で風呂桶の中のお湯を掬う。
窓は格子状になっていて硝子の窓が嵌められている。
閉じ込められているみたいでまるで囚人の気分だ。
極め付けは座った正面に見える胸から上だけの鏡。
ひび割れていてその隙間から錆が滲んでいる。
割れているのがちょうど口のところなので鏡の中の僕が嗤っているように見える。
歪な嗤い方。
簡単に言えばこの風呂場はとても怖いのだ。
この家に引っ越してから早数ヶ月。
最初はここの風呂も古いだけだったから銭湯感覚で入ることが出来た。
雰囲気が昏くなったのはあの鏡がきてからだ。
引っ越しして数日後にこの鏡が入ってきた。
大家さんからの贈り物だった。
なんでも元は良い素材らしく割れていることもなかったらしい。
とても綺麗に加工されていて光の反射で虹色に見えたりするんだと大家さんは言う。
でも鏡を風呂場に設置した瞬間に奇妙な出来事が起こり始めた。
小さい物がなくなる。
何もしてないのに食器が割れる。
留守にすると机や椅子の位置が微妙に変わっている。
挙げ句の果てに夜中に話し声や足音がする。
いわゆるポルターガイストってやつ。
母さんと父さんは考えすぎだとか言うけど絶対そう。
だって机の中に入れてたって鍵がなくなるんだよ?
絶対に鏡の中に霊がいたんだ。
そう思ってからはお風呂が怖くなった。
出来ればお風呂なんか入りたくない。
鏡のせいにして鏡を割って欲しいと言っても人様に貰ったのになんてこと言うんだと怒られるだけ。
「…はぁ…やだな…」
入りたくない。
昨日だって背中を撫でられた。
一昨日は勝手に水が流れていた。
今日は何があるんだろう。
考えたらなんかイライラしてきた。
なんなんだもう。
いい加減にして欲しい。
「…ああもう!割れてしまえばいいのに!あんな鏡!」
ヤケクソ気味に扉を開ける。
がっしゃああん!
「うわぁあ!?」
尻餅をつく。
硝子が割れた音。
ぽかんとして目の前の破片を見る。
鏡が割れていた。
心臓がどくどくいってる。
なんで鏡が割れてるんだ。
僕はなにもしてないのに。
触ってすらないのに。
…いや。
やってしまったことはある。
思い返す。
『割れてしまえばいいのに!あんな鏡!」
嫌な予感がする。
どこからか足音が聞こえる。
ぺた、ぺた、ぺた、ぺた…
息が吸えなくなる。
もしも、ほんとに鏡の中に霊がいたのなら。
もしも、その鏡が割れてしまったのなら。
もしも。
もしも、ソレが現実に出てしまったのなら。
身体が震える。
破片に手を伸ばして拾う。
傍に置いてあるガムテープで貼り付けた。
ぺたぺた、ぺたぺた…
濡れた裸足の足音が近づく。
また一つ貼り付ける。
いやだ。いやだ。
つかまりたくない。
必死に割れた破片をくっつける。
作業を繰り返す。
こうでもしないと正気を保ってられない。
はやく。はやく。
もとにもどれ。
半ば泣きながら必死に破片を集める。
手がぬるぬるとする。
血塗れだった。
気にしない。
おねがい。もどって。
いやだ。はやく。
早くなる足音。
完成していく鏡。
もっとはやく。
てをきってもいいから。
つかまりたくない。
はやくして。
おねがい。
こわい。
ぺたぺたぺた、ぺたぺたぺた…
最後の破片がシャンプーが置いてある台の下に入った。
這いつくばって手を伸ばす。
掴んだ。
「…うぅ…うぁ…!」
皮膚に破片が刺さる。
それを引っこ抜いた。
ぶつっと抜ける音がして激痛が走る。
いたいいたい。
やらなきゃ。
もどさなきゃ。
もとにもどせ。
こわいこわい。
じゃないとつかまるぞ。
つかまりたくないよ。
最後の破片をくっつける。
ガムテープが剥がれない。
視界が恐怖で埋まる。
びりびりとテープを出して貼り付ける。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた…
ぺた。
「…っで、できた…!!」
鏡を立てて元の場所に置く。
足音が止まった。
ほっとしてその場に座り込んだ。
ガムテープで直した鏡を見上げる。
僕がいた。
歪な笑顔で。
「ナオシテクレテ、アリガトウ」
息が止まる。
手がじんじんと痛む。
「ツギハ、キミノバン」
にたり、と嗤って。
僕は言った。
…ガラスって刺さったら痛いよね…(´・ω・)