6.「演技派令嬢」
Aランクダンジョン『氷の迷宮』で出会った火の妖精マルスは、俺の望みを叶えてやると言った。
聞き間違えじゃない。確かにそう言ったんだ。
なのにどうして俺はギルドの前にいて、しかもタイミング悪く性格最悪の幼馴染――リリアと出くわさなきゃならないのか。
神様がいるなら全力で抗議したい。
『神様なんていないよ』
耳元でマルスの声がする。空中を滑るようにして、俺の視界を妖精が横切った。
彼女は目の前でにっこりと微笑んでから、俺の肩にちょこんと腰かける。
「心を読んで返事しなくていいから」
『久しぶりのお喋り、楽しい』
「ああ、そう……」
視線を前に戻すと、リリアと長髪の男が顔を見合わせて首を傾げた。
やがて、男が怪訝そうに口を開く。
「何を一人で喋ってるんだ、君は」
一人で喋ってる?
他の奴にはマルスの声が聴こえないのか?
『わたしの声はルークにしか響かないようにしてるの。姿が見えるのもルークだけ』
なるほど。理屈は分からないけど、妖精特有の力か何かなんだろう。
「嗚呼!」
甲高い声がして、思わず顔をしかめてしまった。
声の主はリリアだ。彼女は今まさに目の前で崩れ落ち、ハンカチを顔に当てた。
「生きてて良かったわ! あたくし、どんなに心配したことか……! でも、哀しいわ。きっと魔物に頭をやられたのね。見えない誰かとお喋りしてるなんてっ」
そんなリリアを、すぐさま男が慰める。まるで騎士のように跪いて。
「リリアさん、お気を確かに。貴女は何も悪くない。彼がこうしてギルドまで戻ってこれたのは、貴女が強化魔法をかけてあげたおかげですよ。それでも後遺症が残る程度には強敵だったのですね」
……何を言ってるんだ、この男は。
「いや、俺は強化魔法なんて――」
「生きてて良かった! ルーク! 生きてて良かったわ!」
リリアは俺の言葉を遮って、手を取った。ぎゅっと嫌な力を込めて。
そして俺にしか聴こえないくらいの小声で囁く。「大人しくしないと酷い目に遭わすから」
リリアはどこまでもリリアだ。彼女の頭の中には反省とか謙虚とか、真摯とか、そういう真っ当な考えは欠片もないらしい。
俺をダンジョンに置き去りにしたくせに、生きてて良かっただなんて冗談じゃない。
俺たちのやり取りが聞こえたのだろう。ギルドの扉からぞろぞろと人影が現れた。
野次馬は、あっと言う間に俺たちを遠巻きに取り囲む。
「リリア、手を離してくれ」
彼女は俺の手をパッと離すと、そのまま流れるように両手を組み合わせた。
整った顔が完璧な『哀願』の表情になる。
「ごめんなさい。そうよね、あたくしのこと、きっと恨んでるかもしれないわよね。だって、だって……どんな事情があっても置いていくなんて酷いもの……。でも、あなたの勇敢さ、本当に素敵だったわ。『俺を置いて逃げろ!』だなんて。どんなにあたくしが感動したか」
「そうか。ギルドにはそう説明したんだな。悪いけど、俺はそんなこと言ってない。リリア。君は俺をダンジョンに置き去りにしたじゃないか」
「何を言ってるのルーク! 嗚呼、なんて酷い後遺症なのかしら!」
ざわざわと野次馬の喧騒が流れる。
「ルークとリリア嬢だ」
「ルークの奴、『氷の迷宮』で死んだって聞いたけど」
「運良く生き残ったんだろうな。リリア嬢を先に逃がしてから、自分も逃げたんだろ」
「リリアさんの強化魔法がなきゃ、今頃魔物の腹で消化されてるんじゃねえの?」
酷い誤解だ。ため息すら出ない。
「誰!? 今ルークの悪口を言ったのは!? あたくし、そういうのすごく哀しいわ! あたくしの強化魔法のおかげで助かったとしても、あたくしを逃がしてくれたルークの勇気は本物よ! あたくしが、残って一緒に、一緒に戦って……死ぬって言ったときぃ……ルークは、ルークはぁ……! あたくしの頬を打って、『逃げろ』と言って下さったの!」
野次馬の誤解の原因は間違いなくリリアだ。自分に都合のいい話をばら撒いてるんだろう。今みたいに。
「マジかよ」
「大した英雄願望だ」
「にしても、リリア嬢の顔をぶつなんて罰当たりだぜ」
「侯爵の令嬢だってのに」
聴衆はどいつもこいつもリリアの味方だ。まあ、それも別に不思議なことじゃない。
俺はCランク冒険者で、リリアはAランク冒険者。
俺は孤児で、リリアは侯爵令嬢。
これまで何度比較されてきたことやら。
いつだって俺の言葉は軽視されてきたし、一方でリリアの言葉は多少綻びがあっても人々の信頼を勝ち得た。
『酷い目に遭ってきたんだね、ルーク』
「でも、何も言わずに済ますつもりはないさ。それじゃ今までと変わらない」
ひそひそと「誰と喋ってんだ?」「魔物にやられた後遺症だってよ」なんて聴こえたが、無視だ。
俺は俺の言うべきことを言うだけ。
「リリア。もう二度と俺に話しかけないでくれ。二度と構わないでくれ。君が周りの奴らにどんな言い訳をしたかは興味ない。これからはパーティメンバーじゃなくて、ただの他人だ」
マルスがわざわざ俺の視界の端に入り、親指を立てて見せた。
『イイネ!』
あはは……どうも。
「嗚呼! ルークは頭に酷い後遺症を負ってしまったのよ! だからこんな、思ってもない酷い嘘を言うの。あたくし、哀しいわ……。でもみんな、彼のことはそっとしておいてあげて。滅茶苦茶なことを口走ったりするかもしれないけど、温かく見過ごしてあげて……」
リリアは両手で顔を覆って、そう言った。絶妙な涙声で。
彼女が演技派だってことは長年の付き合いで分かってるし、周りの連中が簡単に騙されてしまうのもいつものことだ。現に、野次馬たちは口々にリリアを慰め、俺を非難している。
まあいいや。別にどう思われたってかまわない。言いたいことは言ったし。
「ちょっと……! どこに行くの?」
リリアの横を通り抜けようとした瞬間、腕を掴まれた。もちろん容赦ない力で。
「どこって、ギルドだ」
「脱退の手続きをするのね?」
「ああ」
「駄目よルーク! あたくし、とっても哀しいわ……。ルークは今混乱してるの。だからパーティを抜けるなんて言わないで」
「……は?」
なんで今さら引き止めるんだ。もう俺は一緒に行動するつもりなんてないし、リリアだってこれまで通りの冒険ができるなんて思ってないだろ。
なのに俺を引き止めるって――。
「あたくしとルークは、ずっとパーティとして生きていくのよ。ずっとずっと。……ルーク。あなたは、あたくしのかけがえのない仲間だもの」
野次馬の口笛や嘆息が折り重なる。
「リリアさん、なんて純情なんだ……!」
「ルークの野郎、幸せ者め」
「麗しい愛情だ……」
かけがえのない仲間か。
それが真実ならどんなにいいだろう。それが本心からの言葉なら、どんなに素晴らしいだろう。
彼女は『奴隷』を手放したくないだけなんだ。
「……次の仲間には、ちゃんと優しくしてやってくれ。そんな嘘まみれの言葉と行動じゃなくて」
俺の言葉の直後、一瞬だけリリアの目付きが鋭くなったのをいったいどれだけの奴が気付いたのやら。
リリアにとっての俺は、交換可能な道具でしかないってことはダンジョンで証明されている。
彼女の心を変えるなんてとっくに諦めてて、だから俺が言ったのはただの意趣返しだ。何を言ってもリリアは今のリリアのまま、誰かを踏み台にして生きていくに違いない。
俺は彼女の手を振り払い、野次馬を押しのけ、ギルドの扉を目指した。誰だか知らないが頭を殴ってきたが、無視だ。肩を掴まれたけど、それも払いのけて進む。
後ろのほうでリリアの声がした。
「あたくし、嘘なんてひとつも――ぁ」
ん?
なんだろう、「ぁ」って。
思わず足を止める。
野次馬は誰ひとり俺を見てはいなかった。いつの間にやら人波が一部、開けている。
割れた人だかりの中央を二人の男が歩いてくるのが見えた。
一人はステッキを突いた髭の紳士。もう一人は左右の腰にサーベルを提げた、従者ふうの若い男。
「お父様……! どうしてここに!?」
「リリアよ、少し見ないうちにまた美しくなったな。冒険者として順調にやっていると聞いているぞ。……して、これはなんの騒ぎだ?」
野次馬のざわめきには、いくつもの「侯爵」という二文字が混じっていた。
どうやら、無視するわけにはいかない状況になってしまったようだ。