40.「因果」
「空の旅ってのはイイ気分だナァ、盾男よぉ」
キュールの背に寝そべったアスラさんが、そんなことを言う。
耳元ではごうごうと風が唸っていて、キュールの鱗を握りしめていないとたちまち空中に弾き飛ばされてしまいかねない。
そして状況的にも、爽快な気分にはほど遠い。遠くの山稜に沈んでいく夕日を見つめても、流れていく地上の景色に目をやっても、心は固く引き締まったままだ。
アスラさんだって多分同じ想いだろう。
あえてリラックスして見せているだけ……なはず。
「いい旅になるよう祈ってますよ」
「何言ってんだテメェ。オレたちゃ祈るような立場じゃねぇっつうの」
その通りだ。
俺たちは祈りを背負わなきゃいけない。
今頃ケイトさんは王城の関係者やら王都に暮らしている貴族やらを相手に詰問されているかもしれない。
魔王出現の発表。そしてキュールを王都に降り立たせる作戦。どちらも『現場の判断』としてケイトさんの独断で強行したことになっている。
彼女に言わせればこうだ。
「お偉方への事情説明と意思決定の場を設けるとなると、ひと晩かかる。事態は急を要するにもかかわらずだ。ここで私が全責任の主体となれば物事を即座に進めることが可能になる。考えるまでもない選択肢だ」
頭が上がらない。素直にそう思う。
「夜明けまでだ、盾男。夜明けまでに全部終わらせて帰るぞ」
「……はい」
これから俺たちは南方の町でもうひとりのSランク冒険者を回収し、三人で魔王のもとへ――南の火山地帯へと向かう。
もうひとりのメンバーについては、キュールの背中の上ですでに説明を受けた。
どんな職業で、どんな人格で、どれほどの実力を持っているのか。
もちろん、その名も。
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2960日目
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マルスちゃんが白旗を上げました。
もうボクを使って魔王を完成させるつもりはないそうです。
だから解放してあげる、と言っていました。
お断りしました。
マルスちゃんの存在はボクにとって、離れたくて仕方ないような負担ではなかったからです。
もちろん誰かの悪口や王都の不幸話を聞かせられるのは嫌ですけど、それらを補って余りある、何か特別な意味があるんじゃないかとボクは密かに思っているんです。
ボクが「解放しなくていいよ」と言ったとき、マルスちゃんはなぜか怒りました。酷い悪口も言いました。
それでも撤回せずに受け答えしていると、マルスちゃんは急にがっかりしたような様子で、全部話してくれたのです。
ボクとマルスちゃんとは特別な繋がりが結ばれてしまっていて、魔王を作り出すか、両方が「離れたい」と思うまでは一緒にいるしかないらしいです。
マルスちゃんはボクを使って魔王を完成させることができないと判断して、別の誰かに移りたがっているみたいです。
正直に打ち明けてくれて、素直に嬉しかった。
だってボクがマルスちゃんと一緒にいて、誰かに対して絶望しない限り、決して魔王を完成させられないんですから。
でも、マルスちゃんが正直に白状してくれなかったとしても同じことでした。
さっき書きましたけど、ボクはマルスちゃんに意味を感じています。
全部知った上でもう一度お断りしたら、マルスちゃんは泣き真似をしてボクのことを責めました。
「こんなにも離れたがってるのに自由にしてくれない」とか。
「こうなればパペが死ぬまで待ってやる」とも言ってましたっけ。
ボクは近頃ずっと、マルスちゃんのために何ができるかを考えています。
魔王を完成させるとかそういうことじゃなくて、もっと根本的なことを。
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◇◇◇
南方の町『サザ』が見えたのは、日が落ち切って間もなくのことだった。
砂漠地帯の中心に土やレンガで作られた建造物の群が広がっていて、点々と灯った明かりが、空から見た町を歪な四角形に浮かび上がらせている。
「キュール、速度を落として」
「きゅる、きゅるる」
スピードが徐々に落ち、高度も下がっていく。
「いいぞ、キュール。そのままゆっくり速度を落としてくれ」
「きゅるるぅ」
キュールの背中を撫でていると、アスラさんが怪訝そうにこちらを見た。
「盾男、こいつの言葉分かんのか?」
「なんとなくですけど」
「へー。じゃあ逆はどうだ? こいつも人間の言葉を理解してんのか?」
「俺の言葉は分かってくれるみたいです。といっても、簡単なものだけですけど」
十年も一緒だったんだ。姿かたちや扱う言葉が違っても通じ合うものはある。
鳴き声ひとつで機嫌も調子も分かる。隠したり偽ったりしないぶん、人間よりも分かりやすいかもしれない。
「きゅきゅきゅきゅ。きゅきゅ。きゅきゅきゅ」
「……何やってるんですかアスラさん」
「いや、オレもこいつと話せねえかなって。きゅきゅきゅきゅ」
俺が苦笑するのと、キュールが「きゅる……」と呆れ交じりの困惑を示したのはほぼ同時だった。
こんな状況でもマイペースにふざけられるあたり、アスラさんの神経の太さは尋常ではないだろう。
やがて町が近くなると、石造りの大門の周辺に整然とした人だかりができているのが見えた。
二十人程度の列が横に三つほど等間隔に並んでいる。隊列に加わっていない者が一人いて、それがおそらく部隊の指揮官か何かなんだろう。
指揮官は俺たち――というよりキュールを見上げてじっと佇んでいる様子だった。
「ちょうど外に出てやがるな。ぞろぞろと冒険者集めやがって」
「あれが例のSランクですか?」
アスラさんが頷くのと同時に、一気に高度が下がった。
みるみるうちに地上が近づいてきて、指揮官の姿もはっきりしてくる。
自分がしかめ面になっていないかと少しだけ心配したが、多分大丈夫だろう。
十年という時間は決して短くない。嫌な記憶を、感情が揺れないほど遠くへ運んでくれる。
キュールが着地し、俺とアスラさんもその背から降り立った。
深紅のドレスローブをまとった指揮官は、冷淡な調子で言い放った。
「想定よりも早い到着ね。ごきげんようアスラ。そしてごきげんよう、盾使いさん。自己紹介は必要ないわよね?」
アスラさん。
ケイトさん。
システィーナさん。
パペ。
そしてマルス。
十年経過しても決して断ち切れなかった因果が俺を取り巻いている。
彼女もそのひとつというわけだ。
「久しぶりだな、リリア」
かつて絶縁した幼馴染は、金の巻き髪――十年前とまったく変わらないヘアスタイル――を片手で優雅に払って、ほんのりと口を尖らせた。
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3404日目
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マルスちゃんは今、ボクの作った専用のベッドで寝ています。
去年試作品を作ったときは板切れに綿を敷き詰めただけの物でしたけど、今では針金と余り布で作られた天蓋付きのベッドに進化しています。窓辺に置いてるので外の景色も見放題。
これまでマルスちゃんは眠るとき、ボクに見つからない場所を選んで寝ているようでした。戸棚のカップの中とか、引き出しの奥とか。でも最近は窓辺で寝ることが多くて、ボクに見られても平気みたいでした。
だからこっちも開き直って、ベッドをプレゼントしたのです。
マルスちゃんは「こんなのいらない」と言いましたけど、ほんの一瞬だけ嬉しそうな顔をしたのをボクは知っています。
この間マルスちゃんは、魔王の作り方について教えてくれました。綿のベッドにくるまって、なんだか酷く不機嫌そうに。
マルスちゃんがボクに何かを教えてくれるときは、得意気な調子か、仕方なさそうにかのどちらかです。
魔王の作り方についてボクが知っているのは、ルークさんにやったように、心の一部を使う方法だけです。
でも、もうひとつだけ方法があるそうです。
魔王は対象の心の一部から作ることもできれば、対象の存在全部から作り出すこともできる。
その場合は、対象とマルスちゃんが一体化する必要があるそうです。
マルスちゃんは力の大部分を使ってしまうみたいですけど、そのぶん強力な魔王になるみたいです。
ただし、条件がひとつ。
充分な心の繋がりがあること。
マルスちゃんは、今のボクなら一体化できると言っていました。
正直に書いてしまうと、ちょっぴり嬉しかったです。
もちろん魔王になりたいだなんて思わないけれど、マルスちゃんとそれなりに仲良くなれたという証明ですから。
ボクがお断りすると、マルスちゃんは少しずるいことを言いました。
一体化するとしたらマルスちゃんだけじゃなくて、未完成の魔王――ルークさんの一部も含まれるらしいです。だからこれまで作ったどんな魔王よりも強いんだとか。
ルークさんには、今でも会いたい。
もう九年も経ってるのに、ルークさんと過ごしたほんの数日のことが忘れられません。
記憶から遠ざかっていくたびに、なんだか余計に胸が痛くなって。
でも駄目です。
ボクが会いたいのは、今もどこかで生きている実物のルークさんなんですから。
でも、こうも思います。
もし会えたとしても、きっと昔と同じようにはいきませんよね。ボクはもう冒険者じゃなくて先生ですし。
多分ルークさんも随分変わってしまったんじゃないかと思います。
ずっと昔の、あったかもしれない「もしも」のことを時々考えてしまいます。
もしもルークさんがマルスちゃんと出会っていなければ。
もしもボクに本物の勇気があって、自分の力でちゃんと教団を抜けていれば。
もしもキュールちゃんがみんなに認められていれば。
どれだけ考えても、幸せで正しい「あの日の続き」は見つけられません。
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