37.「晩餐と手紙」
※ここからはルーク(主人公)視点の一人称です。
ギルドに隣接した食堂は、移設前はすべて丸テーブルでプライベートな食事空間はなかった。
移設後には規模拡大の恩恵からいくつかの個室が設けられたらしい。
密談を暗に認めているわけではなく、冒険者にも人目のない空間でゆっくりと食事を楽しんでほしいという配慮からだ。
食堂の個室での会話は、そんな他愛のない話を皮切りにして次々と展開していった。
個室にはたった二人、俺とアスラさんだけだ。
システィーナさんも誘ったのだが、色々と忙しい身分らしく残念ながら断られてしまった。
「十年経って少しは落ち着いた面構えするようになったじゃねえか、盾男」
「そりゃどうも。アスラさんはちっとも変わりませんね」
「あたりめーだボケ。魔王具の呪いを舐めんなよ」
アスラさんは十年経っても見た目はあの日のままだ。十四、五の少年にしか見えない。
が、中身はもう五十近いんだから驚きだ。
「十年前は本当にありがとうございました」
俺が頭を下げると、「ふん」と短い音が降ってきた。
十年前のあの日。
キュールと俺はアスラさんに処刑されたことになっている。
実際は俺とキュールの両方を生かすために『転送石』を使った一芝居を打ってくれたのだ。
顔を上げると、ちょうどアスラさんがフォークに刺した大ぶりの丸エビを頬張ったところだった。
「もきゅ……ごくん……テメェなあ、あの後大変だったんだぞ。上層部のジジイどもがよお、『処刑したのに死体がないとは何事か!』なんてボケたこと言いやがって、全員八つ裂きにしてやろうかと思ったぜ。ま、テメェを俺の魔法でぺしゃんこにした場面はギルドの関係者も見てたから丸く収まったけどよ……にしてもウゼえよな。そんなに証拠がほしいんだったら最前線でテメェが目ん玉見開いて確認しろっつうの。前線に立つ勇気もねえゴミクズがガタガタ言ってんじゃねえよ、まったくよぉ」
「ご苦労おかけして、すみません」
「ま、今じゃ多少快適になったな。三年前くらいか? ギルドで改革があったんだよ。で、口達者で石頭なクソジジイどもは全員仲良くゴミ箱にポイだ。知ってるか? 今じゃ魔物使い免状なんてモンがあんだぜ」
「それってつまり――」
「十年前みてぇな出来事はもう起こらねえってことだ。もっとも、そう一般的なモンでもねえけどな。人に危害を加えねえ魔物なんて滅多にいやがらねえ」
ギルドがそれだけ寛容になったことは喜ばしい。
たとえごく一部の特殊な場合であっても、十年前の俺と同じ理由で絶望を感じるケースが減るというのは幸福なことだ。
「アスラさんは相変わらずギルドの最高戦力なんですか?」
「テメェ失礼にもほどがあんだろ。舐めてっとブチのめすぞ」
悪態をつきながらも、アスラさんはどこか愉快そうに言う。
「言うまでもなくオレが最強だ。そこは変わらねえ」
「よかったです」
俺は本心からホッとしている。
知り合いがギルドの最高戦力だと、目前に控えている問題のために何かと手間が省ける。
「ただな、後進がウゼえ」
「後進?」
「俺を追い越そうと躍起になってるクソがいるんだよ。今までのオレにとっちゃ、ほかのSランクなんてアクビが出ちまうほど格下だったんだけどよ、そのクソは別格だな。多少マシだ。だがオレが最強ってことには変わりねえ」
どうやら相当の猛者がいるらしい。
アスラさんが言う『多少マシ』は、だいぶ褒めているように聞こえる。
「しかもそいつ、ここ数年は体術に凝ってやがんだ。魔法は極めたとかほざいて。前に拳で大岩を叩き割ってたぜ」
「……スキルか何かですか?」
「ただの生身の拳だよ」
世の中にはとんでもない手合いがいるらしい。
「で、だ。テメェの十年はどうだった?」
アスラさんはフォークの先端を俺に向けた。
「ずっと修行の毎日でしたよ。腕時計なしじゃスキルを維持するのも難しいですから、必死でした」
「へえ。それじゃ成果を確認しようじゃねえか」
そう言って、アスラさんはテーブルに腕時計を置いた。
盾使い用のものだろう。事前に用意しておくあたり、アスラさんは案外几帳面というか気が利くというか……。
「何ニヤニヤしてやがんだ、ブッ殺すぞ」
「あはは。ごめんなさい」
腕時計をはめるのは、もちろん十年ぶりだ。
腕時計は冒険者の持つスキルや魔法を維持する効能がある。一方で、位置情報もギルドに掌握されてしまう代物だ。だからあの日、位置を特定されないように腕時計を捨てる必要があった。
時計の盤面に触れると、音もなく半透明のウインドウが浮かび上がった。
~~~~~~~~~~~
【職業】盾使い
【冒険者ランク】C
【貢献度】0
【習得スキル】
絶対防御
シールドバッシュ
防御付与
遠隔防壁
~~~~~~~~~~~
おおむね思った通りのスキルが並んでいて、少しだけ安心した。
「それがテメェの磨き上げた、必要なスキルってワケだな?」
「ええ、そうです。余計なものを削ぎ落として、ひたすら磨きました」
運命の日が訪れたときに、何もかも終わらせられるように。
アスラさんは大皿のサラダを一気呵成にかき込み、それから身を乗り出した。
「で、クソ妖精に動きがあったんだな?」
「はい」
俺は自分の胸にそっと手を添える。
胸の内側に感じる燃えるような熱は、マルスからのメッセージだろう。
彼女は一切の準備を整えたに違いない。
だからこそ俺は王都に帰還した。
◇◇◇
近々マルスが動き出すか、あるいはすでに魔王を出現させているであろうことを伝えると、アスラさんは腕組みをした。そして舌打ちをひとつ。
「クソ妖精が回収した魔王が十年がかりでキッチリ育ったってことかよ」
「ええ。おそらくは」
アスラさんは短いため息を吐き出して、首を横に振った。
「クソ妖精の話は王都中に浸透してる。それこそ言葉を覚えたてのガキだって、クソ妖精が王都にとってやべぇ存在だってことは分かってるはずだ。王都以外にも同じように伝わってるはずだぜ。……だからよぉ、クソ妖精はテメェのときみてぇに人間に憑りつくなんざできねぇはずだ」
「……アスラさんが周知してくれたんですか?」
彼は頷いて、またしてもため息を吐いた。
マルスは十年前、俺を使って生み出した魔王を回収した。それを完成させる方法は定かではないが、これまでの彼女のやり方通りに魔物を使ったか、あるいはひたすら時間をかけて未完成の魔王を育てていったか……。
いずれにせよアスラさんの言った通りなら、人間を介して魔王を完成に導いたわけではないだろう。
俺とアスラさんはしばしの間、互いに沈黙していた。
個室の壁を隔てて呑気な笑い声が聴こえる。
今この瞬間、魔王の再来を間近に迫った現実問題として見据えているのは俺とアスラさんくらいなものだろう。ほとんどの人々は昨日と同じ今日を過ごしている。
料理に舌鼓を打ち、恋人と手を繋ぎ、同僚に愚痴を吐き出し、あるいは子供の寝顔を眺めている。
そういう平穏を守るために、俺は王都に帰還したんだ。
漏れ聞こえる笑い声はむしろ、俺の決意を確かなものにしていった。
◇◇◇
「ルークさん。ルークさん! ルークさん!! 嗚呼、こちらにいらっしゃったのですね!」
食堂全体に響き渡るような大声が接近し、個室で弾けた。
随分と取り乱した様子で入ってきたのはシスティーナさんだ。
先ほど別れてからまだ二時間も経っていない。
慌てた様子の彼女に、アスラさんはフォークを向けた。先端には丸エビが刺さっている。
「おお、クソアマじゃねえか。エビ食うか?」
「エビ食うか? じゃないんですよアスラさん。まったく貴方という人はいつもいつも汚い言葉ばかり……子供の前では綺麗な言葉遣いをしてくださいと何度も申し上げているのにちっとも改善してくださらない。王都常駐のSランク冒険者だというのに、教師としてはZランクですわよ」
「オレの言葉はオレのもんだ。ガタガタつまんねえことを言うんじゃねえよ。それに月一回だけ呼ばれるオマケ講師なんだからよぉ、キッチリ教師面しろってのもおかしな話だろうが」
「月一回だろうと年一回だろうと、生徒の前に立つ以上は相応の心構えと手本になる態度を身に着けてくださいと申し上げているのです! 第一、子供が真似するのですよ! 一部の男の子が貴方のはしたない言葉を覚えてしまって、それはもう酷いことになっているのです!」
憤慨するシスティーナさんに対して、アスラさんはケタケタと腹を抱えて笑っている。
アスラさん、教師してるのか。らしくないな。
でも冒険者としては現役のトップなんだから、冒険者育成が目的の学院としてはありがたい存在だろうな。多分。
「システィーナさん。俺に何か用事があったんじゃ?」
「嗚呼、ルークさん。先ほども申し上げましたけれど、わたくしにはどうか敬語を使わないでくださいまし。十年前と同じ態度でいてくださいな」
先ほどシスティーナさんと再会したときにもそんなことを言われたっけ。
そうは言っても、お互い十年ぶりなんだ。敬語にもなる。
それに、十年前の俺がシスティーナさんにぞんざいな態度をとっていたのは、彼女の行いとか精神性が気に食わなかったからだ。
今のシスティーナさんは――性格の変化があるのかどうかは別として――十年で積み上げた行為がある。それでかつての罪が帳消しになるなんてことはないけれど、少なくとも俺のなかにあった嫌悪感のようなものはすっかり消えていた。
「敬語の話はまた今度しましょう。……それで、何があったんですか?」
システィーナさんが大事そうに抱えている物を一瞥する。
大小の封筒がひとつずつ。
「どうか落ち着いてくださいね……。小さい方はわたくし宛ての手紙で、大きい方はルークさん宛ての日記です。教会にあるパペさんの部屋に残されていました」
そう前置きして、彼女は小さい封筒を開けた。
システィーナさんに向けて書かれたはずの、一枚の便箋が俺の手に渡る。
―――――――――――
シスターへ
今まで大変お世話になりました。
冒険者じゃなくなったボクに教師という仕事をくれたことを、心から嬉しく思っています。
シスターはボクと顔を合わせるたびに、昔のことを気にしていましたね。
恨んでるんじゃないかって、前に聞いてくれましたけど、あのときの答えはボクの本心です。
シスター。
ボクはあなたのことを少しも恨んでいません。
少なくともルークさんがいなくなって、あなたが街の復興に力を尽くしている姿を見た瞬間から、恨みなんてものは消えました。あのときからシスターは、誰にとっても本物の聖女だったんじゃないかと思います。
だから、あなたと一緒に生徒と向き合えた時間を誇りに思います。
ボクもシスターのように、誰かにとっての癒やしの手になれていたでしょうか。最後にシスターの意見を聞きたいところですけれど、あいにく時間がありません。
これからボクは旅に出なければいけません。
それがどれほどの長さになるのか、果たして戻ってこれるのか、それすら分かりません。
こんなふうにお手紙で伝えるしかなかった背景を、どうかご理解ください。
だってシスターは、きっとボクを止めるから。あなたの優しい姿を想像して、旅の励ましとさせていただきます。
最後にひとつ、お願いがあります。
もうひとつの封筒をルークさんにお渡しください。
この手紙をシスターが手に取るときには、遠からずルークさんが戻ってくるか、すでに戻ってきていることでしょう。
もうひとつの封筒の中身は、ボクとマルスちゃんの十年を綴った日記です。
それだけは事前にルークさんにお伝えください。
さようなら、シスター。
どうかお元気で。
パペより
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